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優希は定時に仕事を切り上げると、着替えもせずに紫のマンションへと車で向かった。
昨日、紫から言われたようにスノーボードへは3人増えるからと、孝一達にそれをLINEで伝えた。
当然のように、「彼女でも出来たか?」等の冷やかしはあったが、気になる人でそっとして欲しいとだけ伝えると、孝一が気を利かせ助け船を出すように司と颯太をおさめた。
孝一のおかげで紫の事をまだ何も知らない優希は多くを語らずにすんだ。
紫が誰を連れて来るのかも、あれから連絡もなければ、聞いてもいない。
紫が言ってこない以上、あまり聞くのも好きではない。こういう人に踏み込めない自分が嫌になるが、それも仕方のない事だ。今日聞けばいいこと、そうも思っていた。
紫のマンションへ着くと紫はマンション前に立っていた。
助手席側の窓を開け優希は「ごめん、待たせた?」と言うと「今降りてきたところだから大丈夫」と言うと紫はドアを開け、助手席へと座った。
「ちょっと静かなところまで移動してもらっていい?」
「わかった」そう言うと優希は車を紫のマンション前から走らせ移動した。
1時間程車を走らせ、着いたのは防波堤だった。
周囲は工場が多く、遅い時間になると工場を行き来するトラックもない。ぽつぽつと普通乗用車はある程度間隔を置いて停まっている。おそらくこれらもカップルなのだろう。
その一箇所に優希は車を停めた。
優希が車停めると、紫は助手席から降り防波堤へと向かって歩いていく。優希は黙って紫の後ろ姿を追った。
道路から防波堤に登るのに3m位の高さはあったが、防波堤には釣り人向けなのか階段が作られていた。紫はそれを簡単に登ると少し防波堤を沖側に向かって歩き、腰を下ろした。優希はスーツ姿で動きにくかったが同じように紫の隣に腰を下ろした。
昨日は砂浜だったが今日は防波堤。やはり冬の海は風通しがいいのか、やたらと寒く感じる。スーツの上にコートを羽織っていても、それ以上に寒いと言うのに隣の紫は寒くないのか、ただ海を見ている。
「ゆかりちゃん、寒くない?」
「うん、あんまり寒くない。優希君は寒そうだね。大丈夫?」
どことなく優しく感じる言葉に
「ゆかりちゃん。昨日とは違う人みたい。今日はショップで話した時のゆかりちゃんで、昨日は少し違う人みたいだったから」優希は目があった紫に思うままに言った。
きっと紫にはいくつかの顔があるのだろう。その中に嘘や誤魔化しはきっとなくて、言えば仕事用とプライベートが違うような物なのかもしれない。優希にはそんなものがない。同じように嘘も誤魔化しは苦手だが、そんな器用な人間ではない。思うままの言葉しか言えない。だから人付合いが苦手なのもある。
誰でも他人とうまくやっていくために本音と建前を使い分ける。それは優希も仕事をする上では行う。ただ、それに無理をしてる自分がいる事を知っている。仕事だからと割り切るから出来る事で、普段はしたくもない。そして、建前も通用する人間とそうでない人間がいる。優希からしたら紫はきっと後者だ。
「違う人…優希君にはわかるんじゃない。本当の自分はどれなのか、他人にそれがわかる訳なんてないって」真っ直ぐに紫に見られ言われると、強張っている自分に気付く
「それは、本当の俺を誰も知らないし、誰にも見せられないってとこはあるかもしれない。俺だって俺自身がわからないこともある。でも、俺は俺を見せてると思う。でも、ゆかりちゃんは違う」
紫は薄く笑うと見つめていた視線を海へと変え、少し俯き
「優希君がそう言うのは、あなたの寂しさを私がわかるからよ。自分と重ねてるから」
紫は防波堤に置いていた両手をコートのポケットに入れ足を組むと
「優希君。あなたは生きていたいと思う?」唐突な紫の問いに
「何それ?」
「言葉まま。生きていたいのか、いつ死んでも後悔はないのかって質問」
確かに死にたいと思った事はあった。それが心の底からかと聞かれたら、きっとそれはNOだ。
そして、いつ死んでも後悔はないのか、と聞かれてもそれもNOだ。
「生きていたいって言うより、死ぬ事なんて考えた事ないし、後悔しない訳がない。病気してるわけじゃないし、そんなすぐ死ぬ事があるわけない」
そうだ、健康なのに死ぬなんて、車の運転も両親の事故があったから気を付けている。
「そうだね。大体の人は優希君と同じことを言うでしょうね。死ぬ訳がない、そして人間死ぬときは死ぬって言うのよ」紫は空を仰ぎ言う
「優希君。スノーボードに行く途中の山中で死ぬと知ったらどうする?止める?スノボに行くのを」
「えっ…」優希は言葉をのんだ。
「なんでそんな事を言うの?」寒さでなのかわからないが、ガタガタと身体が震える。
「優希君の車が山の下に転がって、フロントガラスも窓ガラスも割れて車も潰れて、夜中に助けはこない。としたらどうする?」恐る恐る紫を見て聞く。
「助けが来ないって、みんな死ぬって事?」
紫は物を言わずに、ただ軽く首を縦にしたように見えた。
「んな事。本気で言ってる?」
優希は笑いながら言いながらも、小刻みに震える自分の身体を、必死で右手で自分を抱き締めるように左腕を掴んだ。
「そうね」
紫が微かに呆れたように息を吐くのが聞こえる。
優希は隣に座る紫を見ると、そこには口元は少し口角を上げながらも、海に向けられた眼差しに、海を見てるのに、海を見てなくどこか遠く見えないものをみているような紫がいた。
〝そんな事ない〝
そう言った自分が間違いなのか…
頭の中がグルグルする。
ただ、横にいる紫の顔を見たら気付いた。
冗談でこんな事を言ってるわけではない事を。
それでも、それ以上に聞かないといけないはずなのに、聞く勇気は自分にはない。
ただ寒い中を二人でいるこの時間は、優希は嫌とは思わなかった。
こんな話をされてる今でもさえ、紫が隣にいる事も、そんな話をした紫の事も、嫌いにはなれないし、なぜか居心地が良いと思うのだ。
「優希君は、優しいね。やっぱり」
紫が優希の顔を見てきた。
「…優しくなんて…ない」
「優しいよ。こうしてまだ隣にいる。それは、優しい事」
優希は重なる視線を外せず
「スノーボード、3人追加って言ってくれた?」
「あ…あぁ、言ったよ。大丈夫。俺の車だし、7人乗れるから」
そう言うと、「そっか、ならいい」と紫は、また海を見つめた。
あれ?俺の車…さっきスノーボードに行く時にって、確か言ってたんじゃ…
「ゆかりちゃん。車が転がるって…」
転がるってわかっていながらスノーボードについてくるのか?優希は疑問に思った。
「どうする?と聞いただけよ」
そう言うと紫はスクっと立ち上がり優希に手を差し出した。
「寒いから、帰ろう。明日、仕事だし」
優希は紫の差し出した手を掴むと立ち上がり
「…うん。でも、まだ話が…」
そう言いかけると、紫は
「優希君。人は自分の目で見た事しか、信じられないんだよ。何を聞いても、知ってもね。それに現実味がなければなおさら」
そう言うと車の方へと来た道を紫は戻っていく。
優希は来た時のように、ただ目の前で歩く紫の背中を見つめた。
紫は歩きながら、時折海を見つめ、空を仰いだ。
紫の背中は、凄く華奢で小さくて、思わず抱き締めたくなった。
紫の事は何も知らない。
会って間がないのも理由の1つだが、話は沢山した。
沢山したはずなのに、考えたら優希は自分の話ばかりていたように思う。紫が1人暮らしなのは聞いたが、それ以外他に好きな物の話や、紫の事を何か聞いただろうか。
なんで1人暮らしなのか、今の仕事の事や友人の事、趣味とか普通に聞く事を聞いてないのではないだろうか。
そして、今日の話もそうだ。
ーー何を間違えたのだろう…ーー
何を?ではなく、そう、半信半疑な時点で俺は間違えているのかもしれない。
そして紫の「見なければ信じない」という言葉に、〝やっぱりな〝って少しホッとして、その言葉に甘えた。
帰る車の中で、優希はそんなことばかりを考えた。
会話のない車中に、流れるコブクロ曲〝時の足音〝が流れる。
「この曲好き」一言、紫がポツリと呟くように言ったのが聞えた。
「俺も」返事になりそうで、ならないように優希も呟いた。
それに続く会話は何もない。
ただ、優希は一瞬紫を見た時に、そこにはやはり無表情の紫がいた。そして、またきれいだと思う。
その後は紫の方を見る事は出来なかった。
紫が冗談を言うために、今日会い言ったわけではないことはわかる。
その確信に迫る事は、紫が言うように目にしてない以上、聞いたところで理解は出来ないだろう。
じゃぁまたね、と言うと紫は車を降りると
「優希君、人は選択することで未来を作っている。知らずにしている選択が、どんなに小さな事でも、大きな物事で明らかに選択してるって時でも、なんでも選択なんだよ。忘れないで」
紫はそう言い残すと助手席のドアを閉め、マンションへと入っていった。
優希は今日は紫の後ろ姿ばかりを見ていたなとふと思った。
華奢で小さい背中に、なぜか大きさを感じる反面、守って抱き締めたくなる。
ーーあの子は一体どんな生き方をしてきたのだろう…ーー
自分の知らない紫はきっと沢山いる。
でも、紫は紫自身を知ってほしいとは思っていない。だから、何も話さないのだろう。それとも、さっきのように聞いても信じられないだろうと諦めたのか…
一体他にどんな紫がいるのだろう。
〝スノーボードに行く時に死ぬ〝
そう言ったのに、紫はついていくと言っている。
何故なのだろう。
優希は帰路につきながら考えたが、考えがまとまるわけもない。
スマートフォンが〝LINE♪〝と音を鳴らす。
「孝一:少し話せるか?」孝一からのLINEだ。
赤信号で車を停め
「優希:家に着いたら電話する」
返事を返す。
ちょっとした事に勘の鋭いのは孝一だ。
きっと紫の事だろうと想定はできる。
とりあえず、今日の話はするつもりはない。
何を聞かれるのかわからないが、余計な心配はさせないようにしよう。
優希はそう決めた。




