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14時前、優希は紫のマンション前に着くと、紫へLINEをした。
「優希:ゆかりちゃん、着いたよ。急がなくていいから、準備出来たら降りてきて」
「紫:大丈夫。今から降りる」
LINEの返事を優希が確認すると
〝コン、コン〝と車の窓ガラスをノックする紫がいた。
助手席のドアを開き
「ありがとう。迎えに来てもらって」
「いいよ。当たり前だって。大丈夫?乗れる?」
「今日は大丈夫」
そう言うとパンツにスニーカーを履いてる紫がいた。昨日よりもスムーズに助手席へと座る。
「昨日とはまた違って、今日はズボンなんだね。いいじゃん」
「そうかな、ありがとう。昨日より車には乗りやすいよ」
じゃぁ、行こうかと言うと優希は車を走らせた。
昨日のロングスカートも紫に似合っていたが、パンツ姿の紫は昨日とは違って、活発的な感じがして、それはそれで似合ってると優希は思った。
車中の音楽は紫が何を好きなのかは知らなかったが、コブクロの音楽をかけた。
優希自体、音楽はなんでも聴く方だったが、聴き入れる曲が好きで他にもMr.Children等、聴いてて頭の中でストーリーを想像出来る曲が好きなのだ。
「コブクロ好きなの?」
「うん。ゆかりちゃんは?」
「好き」
「そっか、同じだ」
好きな物が同じ事が優希は少し嬉しかった。
価値観は難しい。自分の物の考えも相手の考えも、それぞれ違うから、その中で1つでも同じ共通点があるのは、きっと誰でも嬉しいはずだ。
車を走らせながら、音楽の話をしたり、時々話をせずに曲に聴き入ってる時間があった。優希は紫との無言が苦痛とは思わなかった。曲が終わっては「いい曲だったよね」等と、また他愛のない話をしては、それを繰り返し3時間程車を走らせ、着いたのは浜辺のある海だった。
砂浜がある海岸に優希は連れてきたかったと紫へ言った。
「海って久しぶり」
車を降りるとスニーカーのせいが紫が一段と小さく感じる。優希の隣を楽しそうに軽く跳ねたように歩いてるように感じた。
「昨日より、背低くない?」悪気はないが、優希は少しだけ笑って言った。
「あっ、スニーカーだから。でも、普段ヒールだから、こっちの方が楽なんだ。毎日ヒールだし、疲れるから」
と言いながらも紫は隣を歩く。
冬は日が落ちるのは早い。
17時位になれば夕暮れ時で太陽がオレンジに空を染めている。その上を薄く藍色が膜を張り、今か今かと夜空へ切り替わるのを待っている。
「キレイ」
紫と優希は砂浜に2人並んで座り落ちていく夕陽を眺めていた。
ただ、落ちゆく夕陽を眺めてる間には、会話らしい会話はなかった。
少し暗くなりはじめた頃、優希は「寒くない?」と紫に聞いた。
「大丈夫」
冬の海は寒さが増す。優希は連れてきたものの、よかったのだろうか?と思っていたが、隣に座る紫を見て、ここへ連れて来たのは間違いじゃなかったと思った。空をただ見つめている紫は、どことなく嬉しそうに見えたからだ。
周りには少し離れてカップル達が同じように砂浜に座って海を眺めている。
優希はドライブに行こうと思いつつ、どこかいいのかはスマートフォンで検索して、雰囲気と景色の人気が1番高かった砂浜がある海岸を選んだ。
ーーみんな考える事は一緒かーー
誰でも人気がある場所を選ぶのは当たり前だ。
「日が落ちるの早いね。まだ18時くらいなのに、もう夜だよ」
オレンジの空はすっかり藍色へと姿を変え、都心から離れた海の空には星が光はじめていた。
「この色が変わる時って綺麗だよね」
紫が空を見つめながら言う姿を見て、優希も同じように空を見つめ、そうだなと言いながら、星がこんなにある光景をはじめて見ていた。
そもそも、普段考えたら空を見上げる事をあまりした事はない。
俯いていた事の方が多かった自分がいたからだ。
でも、隣に座ってる紫はきっと自分とは違って、こうして空を見上げて生きてきたに違いない、そして、少しそれが羨ましかった。
「ゆかりちゃんは、けっこう空を見上げるの?」
「見上げるよ」紫は空を見上げながら言った。
「そっか。俺はあんまり見上げる事ってした事ないかも」
やっぱりそうなんだ、優希は足元しか見る事がなかった自分と紫を比べ
―紫は知らないんだろうな…俺がどんな奴なのか。そりゃそうか―
卑屈な自分がチラッと顔をのぞかせた。
「どうして?」その声にハッとし紫を見ると目があった。
「俺ね、昔っていうか、中学の時とか色々あって」優希はそのまま砂浜に仰向けに身体を倒し寝転んだ。
「色々って、どんな事」紫は両手で自分の膝を抱えている。
「ん…親が死んだりさ…」優希は自分の事を紫に話した。
それは両親が亡くなった事、1人暮らしをしないといけなかった理由、人と関わりを持てていなかった事、それらを紫は黙って聞いている。
優希は会って2日しか経ってもいないのに、何を話してるんだろうと思いながらも、言葉は留まる事をせず、次から次へと優希の口から溢れ出る。
優希が一通り話し終えて、紫が発した言葉は
「そうなんだ」だった。
ーー何の不自由もなく生きてきた人間からしたら、そんなものなのか…ーー
「自分が不幸だったと思ってたの?」
「思ってた。今は、普通に友達もいて大人になって、そんなには…あまり思わないけど」
不幸だと思ってる?と聞いてきた紫がわからない。不幸じゃないとでも言いたいのかと思うと、少し苛ついてる自分がいる。
「ゆかりちゃんは、そういうのってないんだろうね。なんか、苦労とかあんま無い感じ」
ハハッと笑って言ってから、失礼な言葉を言ったのではないかと不安になり、笑った口を閉じた。
「ごめん。違う、変なこと言った」即座に身体を起こすと、紫の右肩を掴んだ。
肩を掴まれた紫は顔を優希の方に向け
「大丈夫」そう言うと
「優希君は、死にたいと思った事があるの?」
「えっ?」紫のいきなりの質問に
「あるよ」紫の掴んだ肩を離し、再び寝転んだ。
「1人が寂しかったのかもしれない。あの時は」自分でも何を言ってるのかわからなかった。
ただ、そこからは自分が自殺しようと、太ももに傷を付けた事を紫に話していた。
「痛かったでしょ」
「そうだね、痛かった」
「自分の身体が可哀想だよ」
紫がどんな顔をして言ってるのかは、わからなかった。ただ
ーー自分の身体が可哀想ーー
その言葉は優希の胸を痛くした。
「そうだね」優希にはそれしか返す言葉は出てこなかった。
「優希君だけじゃないよ」
紫の言葉に
「俺だけじゃないって、どうゆうこと?」
「みんながみんな、楽に生きてもいない。優希君と同じ様に親を亡くした人もいれば、最初から親もいない人もいる。そして、どんなに生きたくても生きられない命もある。」
「それ位知ってるよ」
そう、そんな事知っている。親がいない奴が他に数え切れない位いる事も、生きたくても生きられない人がいる事も。それでも、耐えられる人間も同じ様にいる事も知っている。
「優希君は弱かった」
紫は見上げていた空を足元の砂に目を移し、俯き足元を見ている。
「弱かったか…そうだな。そうだよ。だから、馬鹿な事をした」
ーー人間みんながみんな強くはないだろうーー喉元まで言いかけた言葉を優希は飲み込んだ。
「その通りだよ。人はみんながみんな強くはない。弱い人間の方が多い」
紫の言葉に、思わず絶句した。
自分の思考が読まれでもしたのかと、思わず思った。
「弱いから強くあろうとする。それが自分の為なのか、誰かの為なのかは別として」
そう言うと、紫は寝転んている優希の太ももにそっと手を置いた。
「ここに傷があるのね。何本も何本も。優希君、この傷を付けて、あなたは救われたの?」
ーー救われたのか?ーー
そう改めて問い掛けられると、救われてはいないと言える。
傷を付ける度に後悔しかしなかった。未だに時折痛痒く疼く傷に、それを擦り見る度にするのは、〝後悔〝それだけだ。
「救いはなかったよ。単に証が欲しかっただけだ」
ーーそう生きてる証が欲しかった
太腿に置かれた紫の手の上に、優希は自分の手を重ね置いた。
「でも、消せない。そして、消してはいけない。これは俺が背負っていかないといけないんだ。自分がした罰のような物だ」
「そうね。それは優希君が選んでした事。選択の結果」
ーー選択の結果?ーー
「ゆかりちゃん、それはどう言う事?」
紫と重ねた手は、重ねた時から冷たく、そして今も冷たい。
「死ぬつもりはなかったけど、傷を付ける事を優希君はその時選び、自分を傷付けた。それは、傷付けないという選択もあったはず。出したカッターの歯を、収める事も出来たのに、優希君はそれをせず、カッターを太腿にあて引き傷を付けた」
ーーそういう事が…それが俺が選んだと言う事か。傷を付けない事も、カッターを片付ける事も、俺には選べた。それに気付いてなかったーー
「ゆかりちゃんの言う通りなのかな」
「そして、今のあなたは、もうそっちを選択はしない」
ーー今の生活で、もう傷付ける選択も、死にたいという事もないーー
「あぁ、今の俺はそっちの選択はしない」
「安心した」少し柔らかい紫の言い方が気に掛かった。
「俺の心配でもした?」
「そうね。でも、今からその心配は大きくなる」
瞬間、優希は背筋にゾクッと嫌な寒気を感じた。
「ゆかりちゃん。それってどうゆう事?」
静かな夜の海に聞こえるのは、波音と遠くのカップルの声だけだった。
優希は寝転んだまま、紫は足元を見つめ合ったまま、片方の手はお互いの手を掴んでいた。
「ゆかりちゃん、心配って何?」
不安感な気持ちがよぎる。何があれば、紫はそう言うのだろう。優希は変な汗をかいた。
「優希君は今の生活は楽しい?」
紫は優希に問いかけると、膝を抱えていたもう片方の手を自分の膝から、優希の頬に手をあてた。
紫の冷たい手が、優希の頬を冷たくする。
「楽しいよ」続けて言葉は溢れたた。
「死ぬ気なんてなかった。ただ、自分は生きてるんだって思いたかった。いつも1人で家にいるのが寂しくて、それでも誰かに助けてなんて言えなくて…自分で自分の血をみるとホッとした。痛いのに、こんな事しても死ねないのに…死にたくないって思ってるのに、死にたいって思った。だから何回も切って…本当に死にたいって思って、でも死にたくなくて、死ぬ気なんてなかったのに」
そうだ、死にたいと死んだ方がマシだと、何度も何度も思った。何度も思ってカッターを太腿にあてて、自分の血を見ては後悔をした。ただ、その瞬間に生きてる実感を感じていた。本気で死のうなんてしてなかったのに、自分を切る事でどこがで安堵してる自分がいた。
ーーあぁ、そうだ、俺はただ寂しくて、自分で自分を…生きてる証がほしかったーー
そして言えるのは、今ならそんな事は決してしないという事。例えしたとしても、止め叱ってくれる奴が今はいる。
「今の生活が、友達がいなくなったら、優希君はどうする?」
優希は紫の問い掛けに、紫の顔を見た。
ーー何故?そんな事を聞くのだろうーー
優希が見上げ見た紫の顔は、周りの暗さに表情は確認出来なかった。ただ、柔らかい物言いに聞こえてはいるが、その言葉に抑揚はあまりない。
紫の手を掴んだまま
「ゆかりちゃん。なんでそんな事を聞くの?」
「今が明日も明後日も続く保証なんてない」
ーー保証がない?ーー
「それって…」優希の言いかけた言葉を遮るように
「優希君の両親のように、突然事故が起こるかもしれない。それは、わからない事で、今か続く保証はどこにもない」
そういう事かと内心思い、想像をする。
ーーもし、孝一達がいなくなったら、俺はどうなるのだろうーー
想像すると、孝一達と出会う前の自分がちらほらと姿を見せる。淡々と何も望まず生きてるだけの日々を送っていた。想像しただけでも、それは嫌気がさすものだ。
「想像もできない」素直な答えだ。また1人になる孤独等、想像もしたくない。
「そうだね。想像する事は難しい。そして目の当たりにしないと、それはわからないことでもある」紫は優希の頬にあてていた手を離すと、再び自分の膝を抱えた。
「どうかしたの?ゆかりちゃん」寝転んだ身体を起こし、優希は紫の顔を覗き込んだ。
「手を離して」重ねてきた紫の手を、握り締めていた事に優希は気付き、「あっ、ごめん」そう言うと、そっと手を離した。優希は手を離すと、そのまま紫の横に座った。
「なんでそんな事聞くかな」紫は黙り俯いている。
聞こえてるはずなのに、そこから会話がない。答えたくないのか、答えられないのか、それは優希の知るところではない。
紫は黙って夜空を見上げた。
「少し都心から離れただけで、こんなにも景色は変わる。優希君も同じ」
「ん?」黙っていた紫の言葉に、言ってる意味があまりわからなかった。
「優希君は高校へ行って環境が変わったように、見える景色も変わったでしょ」
確かに住んでいる場所は変わらなかった。ただ、高校はあえて同じ中学の奴があまりいない所にした。自分を知らない人がいるところを。知っている人間がいれば、言わずとも優希の家庭環境は勝手に周りが言い、勝手な想像だけが一人歩きしただろう。そして、誰もが哀れみの目で見たはずだ。
「そうだね、俺は周りが俺を見る目も変わったし、俺も見方が変わった」正確には友達と呼べる奴が出来た。今までいなかった親友と呼べる奴等が出来た。
「優希君。過ぎた過去は変えられないし、過ぎた出来事は元には戻らない。じゃぁ未来は変えられると思う?」
「その未来によるんじゃないかな…」紫の質問の意図はわからない。ただ、聞かれる度に1つ1つ優希の中では、紐が解けていくような気がした。
「未来はわからない」紫は呟くように静かな声で言った。
そして、ふぅと溜息のように軽く紫は息を吐くと
「今から起こる未来は普通はわからない。今やその都度に選んだ先で、自ずと未来を決めている。優希君で言えば、高校を何処にするか選んで結果が今。友達が出来て今の生活は楽しいと言う事。それは過去にした"選択"の結果。でも、これは未来を変えてるようで、変わったのか変えたのか、それは優希君の未来を知らなければ、わからない」
そう言った紫の顔色は覗き込んでもわからない。
「ゆかりちゃんは、何が言いたいの?俺、わかんないよ」
「ごめん、意味分かんないね」そう言うと紫は優希の顔を見た。
優希はそこに表情なくいる紫の顔を見た。
ーーきれいだーー
可愛らしいと思っていたが、無表情にいる紫は冷たさより先に、きれいと思わずにはいられなかった。
「優希君は偶然だと思う?私と会った事を」そう言うと紫は足元に視線を移し、両手で浜辺の砂をすくい、サァーっと砂時計のように両手の隙間から落としていった。
砂をすくって落としながら
「優希君。砂時計って不思議じゃない?時計は進むことしかしないのに、砂時計だけはひっくり返したら時が巻き戻ったように見える。進んでるのか、戻ってるのかわからないのに時計なんだよ」
紫はおかしいよね、と付け加え話した。
「そう言われたら、どっちが先とかなも。何分でいう事しかないような…」
普通の時計は1つずつ秒針を進め、確実に時間を刻み進める。何時なのか当たり前のようにわかり、人はそれを見て行動を決める。働いてなくとも時計を見ない人はいなく、時間をみて人は日々を過ごしている。
砂時計に関しては、インテリアにもなるが正確にわかるのは、砂の量で測れる単位の時間だけだ。今が何時かなんて教えてはくれない。インスタントラーメンのように、決まった時間を知る道具にはなっても、今はスマートフォンならアラーム音で時が来れば音を鳴らしてくれる。砂時計はそこまではしてくれはしない。
「私は昨日、優希君がショップに来る事を知っていた」紫の手のひらあった砂は全部手の下に積もり、小さな三角の山を作っていた。
紫は砂のついた手を叩き払いながら
「昨日、来る事を知っていたし、今日海に来る事も知っていた」そう言うと紫は大きく両手を広げ、眼差しを夜空の遠くへと向けた。その横顔をただ優希は見るしかなく
「知っていたって…俺の事前から知ってたとか、ひょっとして孝一達と知り合い?」
自分の事を知っていたとして、携帯ショップなんてたくさんあるのに、紫のいるショップに行き事なんてわかるわけないし、ショップに着いた時にはすでに紫は仕事をしていた。そうなるとストーカー的な問題はないはず。かと言って孝一達にはスマートフォンが割れた夜から連絡は出来なかった。当然、連絡がつけば1人でなんてショップには行かない。紫が言う"知っていた"はどちらにも当てはまらないんじゃないだろうか…
「優希君、スノボ行くんだよね」
「そうだよ。あっ、一緒に行けそうかな?」
「一緒に行くわ」
「金曜日の夜に出発するんだけど、大丈夫?迎えに行って、そのまま向かおうと思うけど」
「大丈夫」
紫はそう言うと立ち上がり、もう帰ろうと言うと1人車の方へ歩き出した。
優希は聞きたい事は沢山あるのに、うまく言葉に出来ず、来た時とは違い会話のないまま車はただ北路を走る。。
車中はただ音楽が流れ、紫は窓の外に顔を向け、また優希も真っ直ぐにフロントガラスを見ていた。
紫をマンションまで送ると
「また、家についたらLINEして」そう言うと紫は車を降り、マンションの中へと入って行った。
優希はもやもやした感情が自分の中にある事を感じていた
ーー何だったんだ…ーー
紫は何故知っていた。自分がショップに来ることを、どこで知ったって言うんだ。共通点なんて今まで何処にもない。ましてや、多数あるショップに来るとか、初めて行ったショップで知られる所なんてないはずだ
疑問に疑問が重なる。混乱している自分と、それを整理出来ずにいる自分に苛立っていた。