03
カナリヤ・ディゼールという名の伯爵令嬢は本日より改め、ただのカナリヤという少女に生まれ変わった。
すがすがしい気分で朝を迎えたカナリヤは、まだ空の色がうす暗いにも関わらず荷物をまとめ宿をあとにする。
身の回りの世話をする侍女もいないので、今日という記念すべき日の第一声は、宿を引き払う際に発した「隣町でおすすめの安宿をご紹介くださらない?」になった。
庶民の金銭感覚はまだ養われていないものの、お金は無限に財布からわき出るものではないことぐらいカナリヤは知っていたからだ。
(一泊で60ヤニス……)
残りの金銭を勘定しながら、とても庶民的な行動だわと感動して体が震えるのをとめられない。
生まれが恵まれなかった他人からみたら頭突きをくらいそうな話だが、彼女のように養い親の手から飛び出してきた場合は、一抹の不安をエッセンスに未知のものへの夢や期待に胸が高まるのは仕方のないことだ。
宿の人に怪訝な顔で見られるとわかっているのに、カナリヤはにやけ顔をやめられないでいる。
「とりあえず、目指すとしたらお城のある帝都フェメルですねっ」
カナリヤの目標はエイディも羨むような幸せを手に入れることだと決めた。具体的な方針はまだ何も立てられていなかったが、働いてお金を稼ぐことは避けてはとおれないのだから、働き口が多いだろうフェメルを目指すのだ。
(節約することを考えたら基本的には歩きで向かうのがいいのでしょうけど、三日くらいは馬車でも使って移動距離を稼がなくては)
もしかしたらカナリヤを連れ戻そうとする動きがあるかもしれない。しかしその行動にメリットはないし、杞憂に終わる可能性の方が高い。
(ここまでして家に連れ戻されたくありませんし)
カナリヤが町の外れの馬車屋に着くと、見習いなのかカナリヤよりも幼い子どもが馬の世話をしていた。
「あのう、フェメル方面に向かいたいのですが、費用は安くすませたいんです。同じ方角を目指す人たちとの相乗りはできるものかしら?」
庶民としてカナリヤは精一杯口調をくだけてみせるが、やはり貴族令嬢としての所作はそう簡単には消えない。宿を引き払う時には諦めて、「良いところのお嬢様ですが何か」と堂々とした態度でカナリヤは生きていくことにした。それがカナリヤを実年齢より年上に見せていたが、それでも小娘の外見であることにかわりない。
大きな旅行鞄を抱えた娘一人が突然尋ねにきたら相手も驚くだろう。
世間知らずと言われたり、馬車はそんなに安くないと諭されるか、はたまた詳細を聞かせて欲しいと怪しまれるか、カナリヤは相手のリアクションを待ちながら、シュルシュルと頭の中でこちらの返答を考えていた。
「……あと半時もすればそういう馬車がひとつ出発するから、それに乗るといいよ」
「え?」
「ん?」
カナリヤが驚くことに驚かれた。
いかにも訳ありそうな感じを醸し出しているというのに戸惑いはないのだろうか。
しかしその疑問を投げかけても良いことはなさそうなので、カナリヤは1拍おいて「ありがとう」とだけ返事をした。
時間までどうしようかしらと、くるりと背を向いたカナリヤはすぐ後ろに人が立っていたことに驚く。
どうしてそこへとツッコミをいれたくなるほど、二人の距離は近かった。なにしろ振り返ったカナリヤの鼻先に旅人特有の埃っぽい香りまで漂ってきたのだから。
「じゃあ2名追加するって親父に伝えとくから、半時後にまたここにきてね」
「え?」
子どもは言い終わったと同時に、忙しいとばかりに走って馬車屋の中に入っていった。
(なるほど。小娘の一人旅に見えなかったから、疑問を抱かれなかったんですね)
どうしたものかと戸惑いながらも、やっぱり先ほどは余計なことを言わないで正解だったと胸をなでおろす。
とりあえずこのまましれっと馬車に乗ることができれば一番いい。
「……えっと、あの、どうやら連れだと間違われたみたいです。あなたの行き先は私と同じフェメルでよかったのかしら?」
カナリヤはズササッと身を引いて、自分のすぐ後ろに立っていた人物を観察する。
ところが相手はこちらを見ておらず、本を広げて首をかしげていた。どうやら本に夢中でカナリヤと距離を詰めすぎてしまっただけらしい。カナリヤに声をかけられ、ようやく先ほどの馬車屋の子どもとカナリヤのやり取りに自分が関係していると理解したようだ。
「すまない。まだこの国に来て……いた? ばかり……で、道を知りたくて馬がある? 建物に寄ってみただけなんだが」
本から顔をあげた相手の顔を見て、カナリヤはドキッとした。
この田舎じゃ稀に見る美形だ。
闇夜のような黒い髪と瞳は存在感が強く、肌は日に焼けて黄色いのに荒れていない。その色彩が異国風の顔立ちと相まって、不思議な魅力を生んでいた。
年齢はエイディと同じ17歳くらいだろうか。世間的には子ども扱いされるかもしれないが、14になったばかりのカナリヤにはちゃんと大人に見える。
「?」
顔を見つめすぎたせいで不審に思われたようだ。
カナリヤは慌てて視線を下にずらす。すると腰に剣を携えていることに気がついた。
「あなた、剣士ですの?」
「ああそうだ。剣が使うできる」
「つ・か・え・る、ですよ。……そうですか、剣が使えるのですね。……提案があるのですが聞いてくれませんか?」
カナリヤはとても良いことを思いついた。