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帝国のアリア  作者: 晃
序章 カナリヤは鳴かない
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02


カナリヤ・ディゼールはディゼール家当主の執務室前で大きなため息を吐いた。


(何も理解していないくせによくもあそこまで人を罵れるものね)


政略的な意味合いも強かった婚約だっただけに父の怒りは大きく、つい先ほどまで執務室では父から娘へ一方的な叱責の声が飛んでいた。

地顔が怖い分、父の攻撃力はすさまじい。自分に非があるとは思っていないカナリヤはあまりの仕打ちに目が涙でうるんでいた。


月末の忙しい時にも関わらず、仕事の補佐官や当主に面会の約束を取り付けていた人などは執務室をしめ出されており、部屋から出てきたカナリヤは多くの人たちに迎えられた。

その中で、ディゼール家の執事で仕事を補佐している壮年の男がカナリヤに声をかける。


「お嬢様、もうよろしいでしょうか」


カナリヤが生まれた時からディゼール家に勤めている男だったが、彼の目にはカナリヤを想う感情など少しも浮かんでいなかった。

税を納める領民を何よりも優先する父と同じく、彼もまた長年同じ家で過ごした当主の娘より、今手に抱えている仕事の方が大事というわけだ。

立派立派と手を叩いて差し上げたいところだが、カナリヤにそこまで吹っ切れる覚悟はない。


「ええ、けっこうよ」


涙を浮かべながらも、精一杯すました顔をして上品に場所を譲った。


執務室や応接室がある、いわゆる当主の仕事場と居住区域は屋敷の中でも東西でしっかり分けられているのだが、父とこの男はその区分けのとおり自分とは心が違うところにある人間だとカナリヤは考えた。


だから、今心の中がどんなに荒れ果てていようと、泣き言は言えない。

ましてや、その場にいるのは自分たちだけではないのだし、たった5分であっても執務室を父娘で独占しただけ特別扱いを受けたととらえるべきだ。


男がカナリヤの涙に気が付いたことにカナリヤも気が付いたが、お互いすました顔を続けてその場を切り上げた。


さっそく仕事の話が再開したらしいことを背中で受けとめ、カナリヤは屋敷の西側にある自室へと足を向ける。

たまに人とすれ違うと、かすかに口元を緩め柔らかな表情で会釈した。頭の中では執務室での父の言葉がぐわんぐわんと響いているため、これはほとんど無意識である。


(これから私はどうしたら……)


マルケット領次期当主を怒らせ婚約破棄にいたったカナリヤは、父曰く邪魔な存在ということだった。

婚約破棄の原因もカナリヤの淑女らしからぬ言動にあり、夜会を通じて貴族たちにはすでに悪評が広まっているそうだ。具体的にはどのような言動だというのですかと父に詰め寄っても、そんな細かいことは知らないと逆に怒鳴られる。どうせ誰に聞いても答えは返ってこないだろう。エイディか、あるいはエイディの新しい恋人あたりが広めたものだろうから。


父は怒りながらも、ただ怒鳴り散らすのではなく簡潔に自身の結論を告げた。


世話になっている商会のトップ(30歳年上バツイチ)と結婚をするか、あるいは修道院に入るか、マルケット領次期当主の怒りをおさめるためどちらかを選べ、と。


仕事第一の父とほとんど交流はなかったが、親として少しばかりの愛情はあるだろうと思っていた自分が恥ずかしい。

彼は娘の幸せより、周辺で一番財力も資源もある豊かなマルケット領との友好関係の方が重要だったのだ。

婚約破棄の経緯をきちんと確認することもなく、マルケット領へのおべっかが優先とはなんとも情けない思いでいっぱいだが、父に反論したところで今さら何がどうなるわけでもない。

おそらく父のことだから、婚約破棄の申し出を受けるとともに、先ほどの選択のうちどちらかが娘の将来だと返事しただろう。




自室についたカナリヤは父に並べられた選択肢について考えた。


父が結婚をすすめた男とはあったこともないが、30も年上ならば、父よりも年上ということだ。

正直夜の生活を考えた時に吐気がする。

それについこの間までエイディの妻になる気持ちでいたのだ。

エイディとは最悪な別れ方になってはしまったが、幼いころより育ててきた愛情がある。異性を目の前にしてもエイディの魅力的なところと比較してしまって好きになれそうな気がしない。


それならば修道院……となるが、カナリヤはこれまで結婚して子どもをつくる幸せを描いて生きてきた。

修道院に入ってしまえば神と結婚するようなもので、生涯子どもは望めなくなるだろう。

まだそこに命などないが、お腹をさすってみると子どもを生めないのはとても不幸なことのように思えた。

たとえ夫となる人と愛を育めなくても、子どもを生んで育てられる母としての幸せがある分、結婚の道を選んだ方がいいかもしれない。


いやしかし、そもそも30も年上の男とまだ子供は作れるのだろうか。

結婚までスムーズに事が進んだとしても1年近くかかかるはずだ。

まあでも、できにくいだけで絶対できないわけでもないだろう。


どちらかといえば、カナリヤの心は30年上の男との結婚に傾いていた。





その日の夜、カナリヤは夢を見た。



エイディが知らない女の腰に手をまわして笑っていた。

女はカナリヤよりも豊満な肉体を持っており、美人というより愛らしい感じの顔だった。

柔らかな茶色い髪はきっとエイディも好きだろう。彼はカナリヤの金髪にコンプレックスを持っていたようだから。

彼女のお腹は膨らんでいた。

そして気が付かなかったが、二人の後ろには小さな子どもが二人いる。

三人の子供に恵まれて幸せなのだ。


エイディはふとこちらに顔を向けた。

カナリヤが見ていることに気がついたのだろう。


声は聞こえないが、唇の動きや彼の表情からなんとなく言葉が読み取れる。


『お前みたいな女と別れて正解だ』










「いやっ!! なんて最悪な夢なの!!!!」



カナリヤは絶叫して飛び起きた。


かなり大きな声をあげた気がするが、夜も遅かったため誰にも気が付かれなかったようだ。カナリヤの部屋に侍女がやってくる気配はない。

しかしそんなこと今のカナリヤにはどうでもよかった。


カナリヤは夢を見てようやく気が付いたのだ。



自分はこのままではどう考えても不幸になると。


自身の言動を棚上げして、カナリヤをやたらめったら傷つけたのに飽きたらず、最後はカナリヤの将来を潰した最低な男エイディに振り回されすぎだ。


受け身の幸せではダメだ。

彼を見返して高笑いできるほどの幸せでなくては。



「忘れなくては、エイディに作り上げられた自分なんて」


カナリヤは寝巻きの上に軽く羽織ものをまとって部屋を出た。

行き先はスリッパで頬を叩きたくなる程度に憎い父の寝室だ。


ドンドンドンッ


「お嬢様、こんな夜更けに何をなさいます」


執事が数名寄ってくるがかまわない。

カナリヤは寝室の扉を拳で打ち続けた。


物心ついてからのカナリヤはエイディの好みの女になろうと、女らしい所作を心がけていた。こんな野蛮なまね、カナリヤ自身も驚いている。けれど手は止まらない。


「お嬢様! 旦那様はお会いにならないと強く仰せです。なぜマルケット家を怒らせたかもよくわかったと」


わざわざ執事棟に電話で連絡を入れたらしい。

昼間も対峙した壮年の執事がやってきた。


「まったくもってわかっていないわ。お父様にとにかく話を聞いてとあなたからも伝えて」


「お嬢様、差し出がましいことと思いますが、このような行動は私も遺憾を感じざる──」


「ええ、本当に差し出がましいわ。この行動の本当の意味を理解していない、しようともしていないあなたに咎められる筋合いはありません。わかったらお黙りなさい、……セバストール」


「……」


「あら、何を驚いているんですか。私は当主の娘ですよ、会話をほとんどしたことがなくとも家に仕えているあなた方の名前くらいちゃんと覚えています」


父が寝室から出てくる気配はない。

それならとカナリヤは潔く自室に戻った。



カナリヤが去った後、カナリヤの父は寝室から出てセバストールに礼を言ったが、セバストールはうまくお辞儀を返すことができなかった。

カナリヤは感情的になっていると思っていたのに、対峙した時の目は理性が宿っていたように思えたからだ。それにその行動に反してその時の姿は、野蛮どころか貴族と名乗るにふさわしいもののように見えた。

セバストールにとって主は絶対的に現ディゼール家当主であることに変わりないが、カナリヤの中には確かにディゼールの高潔な血が流れている。

カナリヤには兄弟が3人おり、ディゼール家の当主の座は兄ダラスが引き継ぐことに決まっていた。しかし運命が乱れ、もし兄弟がおらずカナリヤが引き継ぐことになっていたら、セバストールはその日を楽しみにしたかもしれない。

次にカナリヤと対峙することがあるならば、ディゼール家に仕えてきた自分にはその時の彼女の言葉に逆らえないだろうとセバストールは予感した。






翌朝、カナリヤの部屋を訪れた侍女が悲鳴をあげた。


部屋の主はおらず、床もテーブルもベッドシーツの上もどこもかしこも散らかっていた。


あと半時もしないうちに、やってきた誰かが枕の上に置かれた薔薇の便箋に気がつくだろう。


そこには勢いに任せて書き殴ったような荒々しい文字がこう並んでいる。

『マルケットへの体裁が保てる選択肢をありがとうございます。ですが、これではディゼールが嘲笑われるだけですわ。私を勘当してください。』




もし寝室の扉を開けて訴えを聞いてくれたら、この朝はもう少し穏やかになっただろうにと、カナリヤは自分がいなくなったあとの顛末を想像して苦笑した。


心の中で父をハゲデブ親父、エイディをちびデブクズ男と罵ることに決めたカナリヤに、もうためらいはない。







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