07
その日、ジョイは店には現れなかった。
そう、店には。
「な、なぜジョイ兄様がこんなところにいますの?」
夜の開店時間前に野菜の買い物を言付かって店を出たアリアは、大通りに行くための細路地で待ち伏せしていたジョイに捕まった。
このまま無理矢理連れ戻されるのかとアリアは体を硬くさせたが、彼にその気はないようでアリアが立ち止まるとすぐに拘束をとく。
「連れてかないよ。そんなことしようものなら大声であの男を呼ぶつもりだろ。あいつ何者なんだよ~、勝てる気しないし」
「わかっているのならよいのです。それで改めて何の話をしようというんですの」
問われたジョイはすっと真面目な顔になった。
「婚約者のこと別に嫌いじゃなかっただろ。なんで男つくって駆け落ちなんかしてるわけ? 何があったのか知らないけど正直軽蔑してる」
……、
…………、
………………たっぷり60秒間考えてから、「誰の話をしてますの?」とアリアは首をかしげる。
「男をつくった」「駆け落ち」など、アリアにはまったく身に覚えのない単語が出たので、本気でアリアは誰か別の人の話を始めたのかと思った。
しかしジョイは相変わらず覚めた軽蔑の目でこちらを見ている。
これには「え、本当に私に対する質問だったんですの」とアリアは呆然とした。
「とりあえず兄様、私はお買いものを頼まれている身ですの。続きは歩きながらでよいでしょうか」
人が行き交う往来で話すことではないだろうとジョイは渋ったが、アリアとしては自身に恥ずかしいところはないため平気だとつっぱねる。
「兄様、あらかじめ申しておきますが、私は兄様がおっしゃっているようなことは一切覚えがございません」
「現に男と二人で旅してるよね? お前が言葉通じない子になってるなんて知らなかったよ」
「そういう嫌味を混ぜて喋るのはおやめください。家を出てまだ少ししか経っていませんが、エイディといいお兄様といい、そういうのはあまり尊敬できませんわ」
「ん~? だから婚約者を捨てて他の男にはしったってこと?」
ジョイの飛躍した話にイライラを募らせながら、アリアはこれ以上話が混乱しないよう、ゆっくりと慎重に言葉を選んだ。
「兄様がどのように把握されているのか、お話を全てお聞かせください。私もその後にきちんと説明をいたします」
ジョイは片方の眉山をぴくりと動かした後、ぽつりぽつりと話し始める。
その内容は口をはさまないよう耐え続けるのが大変困難なもので、アリアは聞き捨てならない単語が出るたびに拳を強く握りしめた。
二人がハーブ屋にたどり着いた時、ようやくアリアにとって拷問のような時間が終わる。
アリアはやっと疑惑を否定できると、いつもよりやや饒舌気味に語り始めた。
「まず、私は一方的に婚約破棄を言い渡されるその日まで、家族と婚約者以外の異性と二人っきりになったことはございませんし、恋仲の異性をつくるなどありえません。元親とは家を出た次の日、馬車に乗る際に偶然出会いましたの。一人旅では不安があったため、腕のたつ元親に護衛をお願いしただけですわ。恋仲だと疑われることは私にとっても彼にとっても迷惑なことです」
しかしジョイの表情は変わらない。
まるでアリアの話など聞くにあたいしないとでも言っているような、退屈そうな雰囲気をまとわせていた。
「あのさあ、お前の言い分はどうでもいーの。大事なのはお父様がそういう話だと言って『絶対に連れ戻せ』と命令してきたことだよ」
ぽかんとしたアリアの顔を見てジョイは笑う。
「なに、その顔。お前の話を聞いて、誤解があったんだね~なんて、ほっこり家族の絆を深めあうシーンにつながるとでも思ってたの?」
アリアは予想外なジョイのリアクションに驚いてしまって、買い物の時間が長引きすぎていることに気が付いていなかった。
すっかり顔なじみになったハーブ屋の主人にそろそろ開店時間だと指摘されて、思考がまとまらないままレストランへ引き返そうとするアリアに、ジョイは「じゃあ僕はここで」と肩をたたく。
だがその瞬間、彼はアリアの耳元に顔を寄せて、周りの誰にも聞こえないように囁いた。
「……繰り返すけど『絶対に連れ戻す』。それを拒むなら、お前が働いている店をはじめ、近くにいる人全員が不幸になったりするかもしれないね」
「え……」
去り際にジョイが笑ったのを見て、アリアは真剣に兄が悪魔に体を乗っ取られているのではとおののく。