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国内でも有名な観光地、キュリエッシュ領の赤い湖ガレリ。昔から人が立ち入らない山の麓にあり、その山が何かしらの影響を与えていると考えられている湖だ。赤といっても血のような色ではなく、頬紅のようなやわらかな色合いをしている。さらに透明感もあるので、湖を囲む木々の花びらが落ち始めるときは巨匠が描く絵画のような景色だと人々は噂した。
つまりは花が乱れ咲く温かなこの時期、ガレリ(赤い湖)がある街・デロウワは観光客でにぎわい、どの店も大忙しとなる。
「いらっしゃいませ!」
アリアは束ねた髪を左右になびかせながら、入り口から店の中を覗きこむ家族連れに声をかけた。
レストランに住み込みで働き始めて三日目、まだまだ怒られることは多いが、元気な声で店内を明るくするアリアは従業員からも客からも愛されるマスコット的存在になりつつある。
「ガレリスープを3人前追加ですの」
「はいよ!」
ピーク時は外に行列もできるほどの店なので、レストランらしい落ち着いた雰囲気の内装とはうらはらに食堂のような騒がしさがあった。
アリアはその中を右へ左へ駆け回るように休まず動きまわる。
「最初はどうなることかと思ったけど……、1ヶ月と言わずこのまま雇いたいくらいだね」
「ふふ、ありがとうございます」
アリアと元親が乗っていた馬車は予定通り三日目の夕方にデロウワに到着した。一緒に旅した商人たちはデロウワには滞在せずにそのままフェメル行きの馬車に乗り継ぐ者、フェメルより東側にある港町に向かう者に分かれるということで、最後にその日の夕飯をみんなで楽しんだ。
さて、所持金の問題からアリアはこれ以上馬車に乗れないし、元親を雇うことももちろんできない。二人はこの街で別れることになると考えていた。しかし、いざデロウワに着いてみると、結局お金がない者同士なのでこの街で路銀を稼ぐという行動が一致しており、思いがけず二人はまだ一緒にいる。
元親はまだ言葉が不自由だし、アリアはここでお別れというのも寂しいと感じていたから、馬車旅仲間たちと最後の夕飯を楽しんだレストランがちょうど住み込みで働ける人を募集していて助かった。
元親は厨房で野菜を切ったり簡単な盛り付けを担当し、アリアはウエイトレスを担当している。
意外にも元親は料理がうまく、働き始めた日から大活躍だった。一方アリアは働くどころか家事すらしたこともないので、食器を割ったり食事をこぼしたりといったミスが目立ち、初日は散々な出来と評される。しかし長時間こうやって働いていると、さすがに料理を運ぶ行為に体が慣れてきて、今ではだいぶ動きに余裕が出てきたところだ。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
ランチタイム最後のひと組のお会計が終わり、ようやく従業員たちのお昼休みとなる。
「アリアは本当に接客が丁寧だね」
店の経営者でもありシェフでもあるヴェーチェが、できたてのまかない料理をテーブルに並べながらアリアを労った。
ヴェーチェは様々な国で料理の修業をしていたらしく、彼が作るまかないは色々な国の料理が出てくる。アリアはその異国料理に目を輝かせながら彼の労いに笑顔を返した。
「今日は元親の国の料理にしたよ」
たしかにアリアは見たことがない不思議な料理ばかりだ。
元親の方はよく知る故郷の料理だからか、口元がゆるんで少し嬉しそうにしている。
「元親、これはどうやって食べるんですの」
アリアはこの店に来てから元親のことをちゃんと名前で呼べるようになった。
ヴェーチェが元親の国で修行していたので、元親の名前は区切るものではないし愛称としても違和感のある呼び方になっていると指摘できたのだ。
正しい発音もヴェーチェに教えてもらい、元親本人からも故郷の人たちに呼ばれていた時とほとんど変わらないと誉められた。
積極的に他人と関わる性格ではない二人だったが、出会ってからの濃密な日々のおかげで距離は確実に近づいている。
アリアが元親とヴェーチェに解説をしてもらいながら異国料理を堪能していると、店に青年が一人入ってきた。
「申し訳ございません。お昼の営業は終わってしま……」
店の入口が見える席に座っていたアリアが真っ先に声をかけようとしたが、青年の正体に気が付いて言葉が途切れる。
アリアの様子を不思議に思い、昼食を一緒に楽しんでいた従業員全員が青年の方を見た。
アリアと同じ金髪碧眼で、いかにも異性の目を惹きつけそうな顔をしている。また、おしゃれな髪型・服装から帝都で暮らしている人間だとすぐにわかった。
青年は大きく片手を振って、堂々と店の真ん中までやってくると、「はじめまして~」と間延びした声であいさつをする。
突然の美青年の登場に女性従業員数名が立ち上がり「え、誰!? アリアちゃんの知り合い!?」と甲高い声ではしゃいだ。
アリアは女性たちのその反応に喜ぶ青年を、苦手な昆虫を警戒するときと同じ表情で見ながら、早口で彼を紹介する。
「………私の兄ですの」
「いや~、綺麗なお嬢さんが多くていい店だね! 僕はこの子の兄のジョイ・ディゼ──…」
「こちらに来てください!!!」
普通にディゼール家だと名乗ろうとする兄を、問答無用でアリアは引っ張った。
「空気を読んでください、ジョイ兄様。私はごく平凡な平民の少女として働いているのです」
「その口調に誰もつっこまなかったの? 周りがイイ人たちばかりだったんだね~」
アリアが小声で文句を言うのに対し、ジョイは普通の声量で話す。
彼はアリアに合わせる気が最初っからないのだ。
「さあ、もう遊びは終わりだよ。僕とお家に帰るんだ」
そしてとどめとばかりにさきほどより大きく、店の人たちに絶対に聞こえるような声で、彼はアリアの帰還を命令した。