01
カナリヤ・ディゼールが家を出て1週間が過ぎた頃、エイディ・マルケットがディゼール家を訪れた。
「マルケット様がいらっしゃいました」
カナリヤの父、ジョージ・ディゼールは執事の報告を受けて顔をしかめる。
エイディから邸を訪問したいと打診されたのは昨日の朝のことだ。いったい何が彼の背中を押しているのかしらないが、こちらが了承してすぐにやってくるとまでは思っていなかった。
忙しい時期なのはディゼール家もマルケット家も同じはずだがと呟きながら、サイドデスクに溜まっている書類にうんざりする。今日は深夜までこれと戦わなければいけないだう。
豊かなマルケット領を治めている彼らはディゼール家にとってとても重要な一族なので、この面会がどんなに面倒だと思っていて付き合う道しかなかった。
それについ先頃、娘のカナリヤが不興を買って婚約を破棄されてしまったのだから尚更というものだ。
「お通ししろ」
ジョージの気持ちを察しているのか、執事はいつもより深々とお辞儀をしてからエイディを呼びに行った。
しばらくして部屋に入ってきたエイディは、以前あった時よりも少し顔色が悪い。
目の下にくまがあるところをみると寝不足なのだろう。
「時間をもらってすみません。……カナリヤのことで少し話したいことができて」
お互いこの邸でもう会うこともあるまいと思っていただけに、笑顔で歓談という雰囲気には遠かった。エイディも面会時間の都合をつけてもらったという自覚があるのか、顔を合わせてすぐに本題に入る。
「今日はその…カナリヤのことで……」
ジョージはドキリとした。
カナリヤとは一緒になれない、顔もみたくないと、婚約破棄の申し出を受けたのは先月の話だ。
あまりの言われように何をしでかしたんだと驚き、あわててすぐに教育が行き届いていない娘で申し訳ないと謝罪したのを覚えている。
細かなことは把握できていないが、確認をしたらたしかに貴族間でカナリヤの悪評が広まっていたので、状況を重くみて自分たちより低い家へ嫁がせ降格させるか、修道院に行かせると、マルケット家には書面で改めて謝罪の意思を示したのは数日前。
まさかその次の日にカナリヤが家出するとは全然予想できなかった。
もちろんすぐに家の者たちに探させたが、結局連れ戻すことはできないでいる。世間知らずの彼女がその日のうちに行ける距離はたかが知れていると思いそこまで人数はさかなかったことと、そうでなくても知らない土地で一人でやっていけるとも考えなかったことが原因だった。
どうせすぐに家に戻って泣きつくに違いない、誰もがそう思っていたのだ。
なんと言えば怒りを買わないだろうか。
ジョージはエイディの顔色をうかがいながら考え始めた。
正直に家出したとは言えない、けれど修道院へ行ったなど嘘を言ってしまっていいものか。やはりここは勘当したと言ってしまうべきなのか……。
ジョージはカナリヤに酷な選択肢を用意し、彼女の幸せを二の次にしてしまってはいたが、勘当したと公言することに踏ん切りがつかなかったのは彼なりに娘への愛情があったからである。
一度勘当したと認めてしまえば、もしカナリヤが帰ってきたくなっても容易に家に戻れなくなる。
「実は先日、カナリヤに会いました」
悶々としていたジョージは何を言われたのか分からなかった。
「は?」
とっさに聞き返してしまう。
「……カナリヤはてっきり部屋に閉じこもっているものと思っていたんですが、マルケット領のシュランという町で偶然会いまして。僕は仕事があったので話すことはほとんどできませんでした。なぜあの町にいたのか教えてもらえませんか」
教えてほしいと言われても、ジョージにもまったく分からなかった。
ジョージが黙り込んだのを見て、エイディはため息を吐く。
「やはり駆け落ちだったんですね」
「……は?」
何が「やはり」なんだろうか。ジョージからすると飛躍しすぎて意味不明の発想だった。
カナリヤとはあまり会話がなかったが、物静かで貞操観念の強い真面目な性格の少女だということぐらい把握している。
貴族間の悪評にもその手の話はなかったはずだ。
なのになぜエイディはそういう結論にいたるのか理解ができなかった。
「ひょっとしてご存知ではなかったのでしょうか。カナリヤは若い男と二人で旅していると聞きました」
「若い男と? 二人で?」
そのときジョージは自分の知らないもう一人の自分を知る。まるで誰かに体を乗っ取られているかのように、口が勝手に言葉を発していた。
「それは何かの間違いです。カナリヤは確かに外出していますが、来週には戻ってくる予定ですから」
エイディはきっぱりとジョージに否定されて呆けたが、すぐに気を取り戻す。
どういう意味か詳細を聞き出そうとするエイディだったが、しかしそれはディゼール家の執事が声をかけてきたことで邪魔された。
「大変申し訳ございません。旦那様に急ぎお伝えしたいことが……」
「申し訳ない。この時期は多忙でこういうことが多いのです。今日のところはお引き取りいただけますか」
「……急に訪ねたのはこちらですから仕方ありません。また改めて伺います」
できればもうこないで欲しいところだが、それを悟られないようジョージはエイディから視線をそらす。
エイディが邸から出ていくのを、ジョージは当主執務室の窓から見送った。
「セバストール、さっきは助かった。礼を言おう」
「いえ、とんでもございません。……して、どうされますか」
その場には重い空気が漂うが、尋ねた執事は姿勢を変えずにジョージの返答を待ち続ける。
長年ディゼール家に仕えている彼は、主が何かを覚悟するときにこうなることをよく知っていた。
やがてジョージが口を開く。
「カナリヤを探して何が何でも連れ戻せ」
「かしこまりました」
執事は深くお辞儀をして退室した。