05
「はあ、はあ、はあ…──」
アリアは自分の力が尽きる限界まで走り切った。
気がつけば人通りのない住宅地の細路地に入り込んでしまっている。
全力疾走をしなければいけない場面など貴族にはなく、走って息がきれるのは初めてだ。あまりの苦しさに自分の体はどこかおかしくなってしまったんじゃないだろうかとアリアは不安になる。
「もう走らない、のか」
「きゃ!」
すぐ後ろに元親があらわれて、不思議そうにアリアを見ていた。
(なぜモトが……というか、もし私を追いかけにきたのなら汗の一つくらいかいていてほしいですわ)
状況からみて走る自分を見て追いかけてきたのだろうとアリアは考えるが、その推測は元親が涼しい顔をしているためにあまり自信がない。
「私は…っはあ…これまで…走る必要がっ……なかったんですの」
「長く走れないのか」
ふんふんと納得したように元親はうなずいた。その余裕そうな様子が息切れ中のアリアには憎らしく見える。
「………追いかけてきてくださったようですけど、私、もうあの馬車には戻れません。醜態をさらしてしまいましたもの」
当初の予定ではそろそろこの町を出発して旅を続けるはずだった。
そこでアリアは「ああ」と気が付く。
「あなたの馬車代の問題がありましたね。お金をお渡ししますのであなたはあの馬車でフェメルを目指せばよろしいかと思いますわ」
「一緒、別の馬車に乗ればいいい」
アリアは大きく首を横に振った。
元親の提案は彼女にとってとても受け入れられるものではない。
「私は醜態をさらしてしまいました。正直あなたと顔を合わせるのも気まずいのです。勝手を言ってしまって申し訳ありませんが、ここで……お別れ…にさせて下さい」
行動を共にしたのはわずか1日だったのに、その1日はアリアにはとても濃い時間で別れを口にするのが苦しかった。
けれど恥ずかしすぎて、今も元親の顔を正面から見ることができずにいる。顔を合わせたくても自分の顔全体が熱くて、どんなみっともない様になっているだろうと思うと怖いのだ。きっと目も頬も真っ赤に染まって、どこもかしこも涙でぐちゃぐちになっているに違いない。
そんなアリアの体は、次の瞬間ぶわっと元親に持ち上げられた。
元親は何も言わずに元来た道をアリアを抱えたまま戻っていく。
「ちょ……ちょっと! やめてくださいませ!! 私はここでお別れしますといいましたの!!」
アリアは元親の背中を叩いて下ろせとアクションするが、元親は面倒そうな表情をしながらも、そのままアリアを抱え続けた。
小柄の方とはいえ軽くはないはずなのに、元親はアリアの全力疾走よりも早いスピードで歩く。
あっという間に馬車が停車している広場まで戻ってきてしまった。
「いやっ、いやですのっ!! 私はもう……」
戻ってくるにしてもあまりにも早く戻ってきてしまった。
まだこの広場にエイディがいてもおかしくない。
アリアは本当にやめてほしいと元親に全力で抗うが、それは完全に無視された。
馬車は出発する準備をしているところで、エイディたちが馬車の前にいないところをみると、彼らの用は終わっているらしい。しかし少し離れたところで別の馬車の前で話をしている。
ここまで来てしまったら、騒ぐことでエイディに気が付かれてしまうので、アリアはいっきに大人しくなった。願わくばエイディに気付かれないようにどこかに隠れたい。
「よかった、戻ってこれたんだね。もうすぐ出発だから乗りなよ」
ここまで同行していた商人たちは、戻ってきたアリアと元親を見ても何も言わなかった。いつもと変わらない平然とした表情か、アリアが戻ってきたことを嬉しく思うような優しい表情をしているかのどちらかだった。
仕方なくアリアは頷く。そうでもしないと元親が馬車の荷台にアリアをぽいっと放り込みそうな気がしたからだ。
アリアが荷台に上がるステップを踏んだ時、どうしても気になってエイディがいる方をちらりと確認すると
、
「……!」
アリアが戻ってきたことに気が付いたエイディが、アリアと同じくちらりとこちらの様子をうかがっており、ちょうど二人の視線がぶつかった。
慌ててアリアは視線を荷台に戻し馬車に乗りこんだ。
エイディは何か言いたげに体を向けたが、元親は彼からアリアを隠すように自身のマントをはためかせながら、アリアに続いて馬車に乗る。
馬車に乗ったアリアは顔を見られるのが恥ずかしくてしばらくうつむきっぱなしだったが、スッと温かいスープが渡された。
「何があったのかわからないけど、戻ってきてくれてよかったよ。他の用事ができたとかでなけりゃ、最後まで一緒に旅を続けた方がいい」
「こういう旅は最後の町で再会を約束して別れるのが基本さあね」
「お嬢ちゃんが楽しそうにしてると、慣れた旅なのにこっちまで楽しくなったんだ。あの男に何を言われたのか知らないが気にしちゃだめだよ」
出会って1日の浅い繋がりでしかないのに、みんなアリアを心配していたようだ。
「ありがとうございます」
元親は何も言葉を発することなく、何事もなかったような顔をしてうたた寝を始めている。
なんだか一人で騒いでばかみたいに思えた。
傷つき泣いている少女を見て哀れだと笑う人間など、ここにはいない。
「本当に、ありがとうございます……」
まだエイディの言葉は忘れられないが、アリアは戻ってきてよかったと思った。