04
エイディからするとアリア(元婚約者)の登場はまったく予期しない突然のものだった。
しばらくは口をあけ、幻でないことを確認するように瞬きを繰り返す。といっても、数秒のことではあるが。
「どうかされましたか?」
エイディは行動を共にしているらしい部下たちに尋ねられ、すぐいつもの彼に戻った。
「……いや、彼女は知り合いなんだ。こんなところで会うとは思っていなかったから少し驚いた」
アリアの頭から足を眺めてエイディは「汚れてて見えないだろうが、これでも貴族だよ」と言葉を付け足す。あんまりな紹介の仕方だ。
しかしエイディの言うとおり、アリアはとても貴族には見えない格好になっていた。一応家から持ってきたシンプルなドレスは着ているが、砂埃で汚れたマントに覆われ、唯一貴族らしいそれが見えない。アクセサリーは邪魔になるからと旅が始まってからずっと鞄の奥にしまっていた。ツヤのある綺麗な金髪も侍女の世話が1日ないだけでパサついてからまってしまっている。肌の血色をよくするための化粧ももちろんしていなかった。
とはいっても、まだ家を出てから少ししか経っていないため、町娘と並べて比べればよっぽど綺麗な状態ではあったのだが、エイディがふふっと笑いをかみ殺している様子を見たアリアには何の慰めにもならない。
「いったい何があったんだカナリヤ。……っと聞くまでもないことか」
カナリヤはまっすぐエイディの顔を見れず、とっさにうつむくと泥だらけの靴が目に入った。
エイディと会うまではなんとも思っていなかったそれが、ひどくみすぼらしくてみじめだと感じてしまう。
(私、バカみたいだわ)
エイディを見返したいと考えていたはずなのに、気がつけば手元には何も残っていないことに気が付いたのだ。
見た目は誰から見ても以前の彼女よりボロボロだったし、エイディは知らないようだったが貴族という地位ももうない。そしてそれと同時に頼れる家族も自ら捨てた。
家出したばかりで当然だが、職などもない。自分を養うだけの職をもつ才能があるかどうかもわからない。
お金も有限で、そう遠くないうちに底をつくだろう。
ヘタをしたら今目の前を通り過ぎていく町娘よりも貧しくてみじめな存在なのかもしれなかった。
「そうそう、君には一応伝えておこう。来年結婚することになったんだ」
「え?」
結婚が決まっているということは新しい恋人とはすでに婚約したということだ。
婚約が破談になってからまだ2週間も経っていない。
もう何も考えられなかった。
ちょうど視界のはしに昼食を終えたらしい旅仲間が返ってくるのを見つけて、走った。
「ごめんなさい。私もうここにはいられません」
いきなりアリアにそう言われた旅仲間はきょとんとして、彼女が立ち去るのをただ黙って見送るしかない。
そこへ本当に彼女とすれ違うように元親がアリアの昼食を持って戻ってきた。
アリアが走り去る様子は見えたようで、不思議そうに首をかしげる。
そんな元親の疑問はエイディたちの笑い声ですぐに解けた。
「っはは、すっきりしたぁ。あいつ婚約者だったんだけど、年下で女で何もわかってないくせに偉そうに意見して、ずっとムカついてたんだ」
「ああ、あの子がお話ししていた方ですか。確かに全然笑わないし愛想がありませんね」
アリアから少しは事情を聞いていた元親は、何があったのか大体を理解する。
具体的にどんな会話が交わされたのか知らないが、一人の少女を体躯のいい男たちが声をあげて笑いものにしている現状から、どうせろくでもない流れだったに違いないのだ。
新しい婚約者が彼女と比べてどんなに素晴らしいか話し始めたエイディの周りに、咳込むほどの砂ぼこりが一瞬で立ち上がる。
「っがは……なんだ、突然」
砂ぼこりの中心であるエイディたちは、先ほどまで風はほとんどなかったのにどうしてこんな目に合うのかわからなかった。
砂ぼこりがやみ、自分たちが頭から足先までこの一瞬で汚れてしまったことに気が付くと、さきほどまで少女の悪口で盛り上がっていたテンションが一気に下落する。
そしていつのまにかすぐ近くまで寄っていた異国人の男に驚いた。このあたりではあまりみない、海向こうの国にしかいない黒い髪と瞳が強い存在感を放っている。それに、なぜか男はこちらを睨みつけながら鞘付きの剣を横に向けていた。
「……最低なやつらだ」
何を、とエイディがとっさに言い返そうとした時、周囲の町民はまったく砂ぼこりをくらっておらず、また、すごいものを見たとばかりにそろって口をぽかんとあけていることに気が付く。
(この男が何かしたというのか!?)
しかし男に攻撃の意思はないようで、エイディたちが戸惑っている姿を見とどけるとアリアが走り去った方向へ走って行った。
「いったいなんだったんだ、今の男は」
喋ってみるとジャリっと砂の感触がして気持ち悪い。
エイディは唾を吐きながら男が消えた方角を睨み、仲間らしき人物に情報を求めた。
「あの女の子のお連れさんでフェメルまで一緒に旅をすると話していましたよ」
エイディにとってそれは予想外の返答で、何を言われたのか理解するのに数秒時間がかかる。
「カナリヤが男と……」
自然と足が二人の走っていった方角へと向けられた時、エイディは部下に声をかけられ仕事を思い出した。
無性に二人のことが気になったが、部下の手前それを表に出すのも癪に思えて、エイディはさっと砂を払い落とすと平然とした態度で仕事を続けるぞと号令する。
その日エイディの頭に浮かんで消えなかったのは、いつものカナリヤの泣き顔ではなく、整った顔立ちの異国人だった。