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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
9/83

第二章「アンジェ学科戦禮コース」(3)

 Ⅲ

「何やってるんだお前はっ!」

 竜也の怒鳴り声が列の後ろで響く。皆がぎょっとしたように後ろを振り返ったので、フィッツは慌てて竜也の口を両手で塞ぎ、皆に愛想笑いした。

「竜ちゃん、声大きいっ!」

「お前があまりにも馬鹿だからだろうっ!」

「うっ……」

「おいおい、どうするんだよ。さすがにノーパンで身体検査はやばいだろ?」

 ヨハンの指摘を受けて、フィッツの顔から一気に血の気が引く。

「僕、死んじゃう……」

「死ぬな、生きろ。とりあえず作戦を考えるぞ」

 体育館まであと数メートル、脱衣室である程度待っていられるが、残された時間が僅かなのは確かだ。間の悪いことに体育館は一番学生寮から離れた位置にある。ヨハンに鍵を渡して取って来てもらうのでは、往復分無駄に時間がかかってしまうだろう。

 竜也は周りを見渡し、教官たちが居ないことを確認した。そこで、ズボンのポケットから端末を取り出すと、身をかがめてこそこそと通話画面を操作した。

「雷神、起きろ」

 通話は自室の誓鈴ゲージに繋がっており、雷神の寝顔が画面に映し出される。大好きな主人の声を聞き、耳がぴんと立ちあがった。ゲージにセットされている画面には、竜也のいたって真剣な、寧ろ必死な顔が映し出されている。これは何やら一大事と思ったのか、雷神はぱっちりと目を開け、食入るように画面に集中した。

「目の前にフィッツの脱ぎ散らかした服があるだろ? その中からパンツ拾って来い。いいな、これは緊急事態だ」

 雷神はほとほと困惑顔を露わにしたが、主人が緊急事態と言うからには、ライカンスロープとして、誓鈴候補生として、任務を遂行しなくてはなるまい。

 雷神は器用に棒状の鍵を前足で引っ掛け上げ、ゲージから脱出した。その隣では、ルナが呆れ顔でこちらを見ている。

『あんたあの子の命令だったらホントに何でも聞くのね』

 ルナが雷神に初めて話しかけた。誓鈴の証は無いので、無論この会話は人間に聞こえる物ではない。

『我々は誓鈴候補生だ。ゆえに主の命は絶対だ。それに、困っているのに助けないわけにはいくまい』

 落ち着いた淡々とした大人らしい対応をしながら、雷神はベッドサイドに引っ掛かっていたズボンの中から、フィッツのパンツを拾い上げた。それを確認のため、主の映る画面の前に持って行く。

「そう、それだ、偉いぞ。それを体育館の前に立ってるヨハン先輩に渡してくれ。いいか、体育館はこれだ」

 竜也は端末のカメラを体育館の扉や外装が映るように回す。

「ここからお前のいる学生寮はこう見える」

 そのままカメラをパンさせ、学生寮の方角を見せる。昨日散々捜索のため嗅ぎまわった道だ。すぐに体育館への道筋が雷神の頭の中に描かれた。

「で、ヨハン先輩は」

「俺だ、頼むぜワンコ!」

 オレンジ色の目立つ髪型は即座に雷神の網膜にインプットされた。

『御意』

 雷神が頷いて見せてると、そこで画面の映像は切れた。

『あんたそれ剥き身で持ってくつもり?』

『むっ……』

 ルナの一言に、玄関に向かおうとした雷神の足が止まる。確かにこれは人間が常に隠して着ているものだ。ひらひらと咥えて持って行ったら、主たちが恥じをかくのではないか。それは出来れば避けたい。

『しょうがないわね。私の〝一応〟ご主人様のだし? 手伝ってやるわよ。あんたちょっと鍵開けなさいよ』

 言い方は横柄だが、この場の手助けは正直ありがたい。雷神は前足で再び鍵開けの技を披露した。

『それ、貸してちょうだい』

 主の下着を雷神から受け取ると、咥えたまま彼の背中に飛び乗った。

『まったく、レディにこんなことさせるなんて。あの子ただじゃおかないんだから!』

 自分で手伝うと言っておきながら、文句を垂れる兎娘に、忠義の狼犬は密かに苦笑する。

 ルナは背中の上で下着を前足で腹の下に掻き入れ、うまいこと隠した。どうだといわんばかりに鼻息を漏らし、雷神に出発の合図を出す。

『いいわよ。行きましょ』

 後ろ足で背中をかかれ、雷神は一気にスタートを切った。

素早く玄関の鍵を開け、オートロックが閉まらないうちに学生寮を飛び出す。風を切って猛スピードで体育館を目指すライカンスロープの背中で、振り落とされないようにルナは必死に掴まっていた。

『ち、ちょっと! 私が乗ってるんだからもう少し静かに走りなさいよっ!』

『そうは言っても、緊急事態だ。急がねばなるまい』

 そう言ったきり、まったくスピードを落とさず目的地を目指す雷神に『なによもう』とルナは子供らしく拗ねた。


 その頃フィッツは、相変わらず青ざめた顔で、更衣室のベンチに腰掛けていた。ヨハンは体育館の外で雷神から例の物を受取るべく待機し、竜也はフィッツ一人残しとくわけにもいかず、皆が不思議そうに検査に向かうなか、一緒に待つことにした。

「竜ちゃん、ごめんね。先行って来ていいからね?」

「……」

「お、怒ってる?」

 ロッカーを背に、無表情、無言のまま立っていた竜也がつぶやく。

「……お前のマヌケ伝説がまた一つ増えたな」

「なにそれ、酷っ!」

「小学生、アンカーズッコケビリ伝説。中学、あわや全教科〇点伝説。他にも多々あった気がするが、一々覚えてられない。今回はそうだな、さしずめ低血圧ノーパン登校伝説か?」

「ごめんなさい、本当にすみません、だからお願いやめてあげてください……」

 立て続けに過去の失敗談を持ち出され、フィッツは涙目で土下座する。

 普段、竜也は人の古傷を抉る趣味は持ち合わせていないものの、今回のあまりにもどうしょうもないフィッツの行動には立腹していた。それでも放っておかないのは、彼の優しさであろうが、多少は意地の悪い発言もしたくなるのも、至極当然である。

 彼は元来、フィッツの尻拭い役に徹していた。

 小学生の運動会での失敗は、クラス全員から非難を一身に浴びるフィッツを気の毒に思い、次の競技、騎馬戦で竜也はわざとフィッツに鉢巻を取らせてやった。もちろん他人には判断がつかぬよううまくやってのけ、親友に名誉挽回の機会を作ってやれたのだ。そのかわり、騎馬戦のエースと見込まれていた竜也は、自分のクラスからがっかりされたが、そういうことには無頓着な性格だったため、彼は特に気にしなかった。

 中学生のテストに名前を書き忘れた件も、落ち込むフィッツを引き連れ、職員室に駆け込み、一緒に頭を下げて、どうにかこいつに点をくれと頼み込んだ。

 このように、親友に尽くす態度は、なにもアルバートに対する衣食住の感謝からだけではない。純粋にフィッツがいわば弟のようで放っておけないのだ。兄貴分の竜也にとって、今までもこれからも、特にこの関係性に不満はない。寧ろフィッツの長所も知っているが故に、それをバックアップしてやらねばという、一種の使命感すらある。だが、どうにも今回の一件は竜也の怒りの琴線に触れたようで、彼は鬼や修羅のように眉間に深々と皺を寄せていた。

「フィッツ、お前がドジなのも、不器用なのも、あるいは低血圧で朝が弱いことも俺は知ってる。だがな、だからといって、この年でそういう失敗をするんじゃない。仮にもお前の親父さんが学長の学校で、醜態を晒すな。俺がお前の失敗を一緒に被る分にはもう慣れてる。けど、親にまで迷惑をかけるような出来事を起こすな。お前はもう少し慎重に行動しろ。大体脱いだ服はいつもたためと教えてるだろう。ちゃんと日頃から整理整頓を心がけていればこういうことにはなぁ……」

 普段口数が少ないはずが、今回は堰を切ったように、くどくどと説教を垂れる親友に、ただただ「はい……」と相槌を打ちながら、正座で縮こまるフィッツは、心底雷神の救援を待ちわびていた。

「おい、一年。まだ二名残ってるだろ? 服を脱ぐだけに何分かかってるんだ? この後お前らの先輩たちも検査があるんだ。つっかえるから早くしろ!」

 身体検査の人数確認を任せられている衛生医療学科の先輩であろう。これはもうありのままを話して、後日自分で医者に行って診察結果を受取ってくるか、はたまた先輩たちと一緒に検査を行ってもらうか、どの道二人で頭を下げよう。そう覚悟を決めた時だった。

「おいっ、お前らここ開けろ!」

 ヨハンの声が更衣室内に届く。フィッツと竜也が外側を振り向くと、窓にはちらちらと何やら二つ、縦長の小さな影が映っていた。

「ごめんなさい、もうちょっとです!」

急かす衛生医療学科の先輩に返事をしながら、藁にも縋る思いでフィッツはベンチを台にして、天井近くの小窓を開ける。

「ふぇ、ルナっ?」

 腕に飛び込んできたのは、なんと白い毛玉、もといパンツを咥えた兎であった。

「早くブツを受け取って兎をこっちに渡せ。見つかると色々と言い訳がめんどくせぇ!」

 小窓から覗くと、ヨハンは両腕を壁につけ、小柄な身体を小刻みに震わせていた。それもそのはず、まるでブレーメンの音楽隊よろしく、ヨハンの上にアポロ、さらにその上に雷神が、ずっしりと重量感のある身体を乗せていた。

「だ、大丈夫ですかっ?」

「いいから早くしねぇかっ! ヒキガエルになっちまう……っ!」

 ライオン一匹ですら、二〇〇キログラムは軽くオーバーしている。それの上に体格のいいライカンスロープが乗っていたのでは、小柄なわりに力のあるヨハンにも限界である。

 フィッツはルナの額に軽くお礼のキスをすると、そっと雷神の頭の上に置いてやった。

「だぁああああ~っ!」 

 その瞬間、達磨落としの如く、ヨハンたちは崩れる。

「せ、先輩!」

「と、とっとと検診、受けて、来い……っ」

 腰を抑えながら、両膝をつき、ヨハンは呻くように告げた。フィッツが罪悪感に苛まれ、助けてやってくれと言った目で竜也を振り向くが、静かに彼は窓辺に向かって合掌した。

「犠牲は忘れない」

「てめぇ、っざけんな。貸し一つに決まってんだろっ!」

 怒鳴る先輩はこの際無視して、二人は急いで着替え、無事に検診の列に並ぶことが出来た。

「竜ちゃん……」

「なんだ?」

 フィッツが困り顔で自分の後ろに並んでいる竜也に視線を送る。

「……パンツ、生あったかい」

 ルナが抱えていたのだ、無理もない。竜也は心底憔悴した様子で答えた。

「自業自得だ、我慢しろ」


 一年から三年まで、全員の検診も無事終わり、昼食を摂りに学生は皆、食堂へなだれ込んだ。

 ライカンスロープは通常、一日一食という躾がなされているが、今日は働いた功績としてビーフジャーキーを贈呈すべく、竜也たちは食堂へ雷神とルナを同行させた。いかに動物であろうと、誓鈴は命を共にする相棒である。躾がしっかり出来ている誓鈴候補生を連れ歩く分には、校内ならばどこでも許可されているのだ。

「竜ちゃん、身長伸びた?」

「ああ、一七〇センチぴったりになった」

「え~、いいなぁ」

 そんな他愛もない話をしながら、二人はトレーに各々好きなものを乗せていく。バイキング式なので、嫌いなものを除くことも可能だが、それをあからさまに過多に行うと、食堂のおばちゃんに怒られる。幸い今日は二人の嫌いなものは並べられておらず、かわりにフィッツは大好きな人参のオレンジ煮を多めによそった。

 席に着くなり、竜也が怪訝そうな目つきで、フィッツのよそってきたトレーを覗く。

「それ、美味いか?」

 竜也がハムエッグを箸で突付きながら、満足そうに輪切りの人参を頬張るフィッツに問う。

「え? 甘くて美味しいよ?」

「人参にオレンジって、食えなくはないがミスマッチじゃないか?」

「僕はそれより、納豆ご飯に生卵かけて、さらにキムチまで入れる方が意味わからないよ」

「あれはあれでうまい」

 二人の好みはきっぱりと分かれていた。

 フィッツは人参を少し手のひらに取り、ルナに食わせてやる。少量で満足したのか、ルナは当然のように雷神の背に乗り丸まった。丁度雷神も竜也からの贈呈品を食べ終わっていたので、くたくたと床に伏せ、しばしの休息を取る。

「なんだか急にルナったら雷ちゃんに懐いたね?」

「雷神の毛並みの良さにやっと理解を示したんだろう」

「あはは、雷ちゃんの毛つやつやだもんね」

 二人の談笑中、突然衛生医療科の血液検査担当だった三年生が近づいてきた。

「君、フィッツ・オブ・キャテリー・グローリアスくんだね?」

「はい、そうですけど?」

「ちょっと質問があるのだけど」

 他学科の先輩は間を少し置き、言いづらそうに、言葉を選びながら話す。

「君は過去に大きな病気とか、入院、手術なんかをしたことはあるかい?」

「へ?」

 フィッツは驚いて、エメラルドグリーンの瞳を丸くする。先輩が言うような過去は一切身に覚えがなかったからだ。

「一般的な麻疹とかしか……。入院経験はありません」

「そうか、うん、そうだよな。すまない、気にしないでくれ。恐らくこちらの手違いだろう。しっかり検査し直すから、安心してくれ」

 血液サンプルは残っているので、再採取の必要はないそうだが、なんとも複雑な気分である。二人はその先輩の後姿を黙って見送った。

「どうしたんだろう?」

「さぁな。まぁ、検診結果が全員配られるのは三日後らしいから、何かあったらそれで分かるだろう」

「うん……」

 不安そうに俯くフィッツに、竜也は自分のよそった煮物の人参をフィッツのトレーに乗せてやった。

「これやるから元気だせ。別に緊急性がある問題でも無さそうだし、大丈夫だろ」

 もし急を要するのであれば、今この場で大病院への招待状を渡されるであろう。案の定、その様子もなく、三日後にはまったく問題ない、健康体そのものである検査結果報告通知が、皆と同様にフィッツの個人端末に送られて着たのだった。

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