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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
76/83

第九章「叛逆者」 (10)

 Ⅹ

 宇宙は尚も慌ただしかった。

 敵艦が巨大砲をパージする瞬間を狙い、アルバートの旗艦、熾天使(セラフィム)級アンジェクルス、ガブリエルが中心となる防衛特化の艦隊は地球側へ残し、智天使(ケルビム)級巡航艦型アンジェクルスと座天使スローンズ級駆逐艦型アンジェクルスを主立てた艦隊が凸型の陣形で月へ取りつく敵の元へとなだれ込んだ。

 地球を守る壁は薄くなるが背に腹は代えられない。むしろ、多少強引でも地球へと向けられた砲台の真前に敵を押しだせれば、撃ちたくとも撃てまいと考えたのだ。

 ガニアンからの艦隊も総力を上げなんとか敵の陣形を崩せまいかと奮闘していた。

 しかし、そもそもが数と機能性で相手の方が上回っており、うまく食い破る事が出来ない。

 そんな中、ココットはどうにかハイパーレールガンの弱点はないかと、S級ロングレンジライフルのモニターを覗き込む。

「……Apocalypseアポカリプス

 その巨大砲には確かにそう記されていた。

 神紛いのものを盲信的に信仰する地球共同連邦に、真の神からの啓示だとでもいうのだろうか。

「なあ、でっかいもんを壊す時には大概どうするか知ってるか? 例えば何十階にもなる高層ビルとかよ」

 ヨハンが遠目で敵のイブリーズを一機撃墜しつつ皆に問うように通信する。

「そうだねぇ……、ビルの解体とかだったらやっぱりダイナマイトとか内側に仕掛けるよね」

 次々と飛んでくる雷撃を狐火スピットファイアとバトルファンでいなしながらアスカが答えた。

「ええと、つまりあの大きいのに直接近づいて爆弾を仕掛けるってことですかっ? 無茶ですよ!」

 ロニンが悲鳴にも似た情けない声を上げるのも頷ける。

 なにしろ、それを実行に移すには、敵の只中をこっそりと忍び寄った挙げ句に、完璧に故障するように爆弾を設置しなくてはならない。しかも、アポカリプス砲台内部にである。

 ココットは苦笑いしながら冗談めかした。

「そりゃ名案だねぇ。けど、誰が猫に鈴をつけに行くんだい? 大体、あんな巨大兵器、あたしらの爆弾なんか利くのかどうか怪しいもんだけどね」

 その言葉に、普段からは想像出来ぬ程真剣な声音が返答する。

「俺が行く」

 ヨハンの志願に、皆一様に驚いた。

「あんなデカ物でも機械にゃかわらねぇんだ。どこが衝撃に弱くて効率的に壊せば故障するのか俺なら分かる」

 彼の主張は尤もであるのと同時に、今思いつく限りで最も実行価値がありそうだが、ロニンが言うように無茶な事には変わりない。それに――

「何言ってるのっ! 君自分が脚骨折してること忘れてないっ?」

「はっ、ストレッチャー運ばせといていまさら何言ってやがる。第一、無茶しなきゃどうにもなんねぇだろ。それに……俺はお前らがいなかったら今頃ガニアンで敵の捕虜にでもなってたさ」

 アスカは心配だった。怪我のことだけではない。キュリアのことで自暴自棄になってはいないかと、気が気ではないのだ。

「だったら僕も行くよ。さすがに一人じゃ成功率低いでしょ? それに、なんだかニンジャみたいでちょっとその作戦燃えるしね!」

 アスカの進言に「お前らしい言い草だな」とヨハンは苦笑いする。

「じゃ、じゃあ私も!」

「ダメだロニン。皆で行っちゃ目立つだろ? あたしらはこいつらに近づく敵を遠くから撃ち落とすって役目がある。――あんたたち、背中は任せな」

 頼もしいココットにロニンもはっとしてうんうんと頷く。

「お義姉さま達がああいってるんだ。やってやろうぜ、アスカ」

「うんっ! 名付けてニンジャヒーロー作戦だ!」

「いや、そういうの今いらねぇからっ!」

 ヨハンのいつも通りキレの良いツッコミに、内心少なからずアスカは安堵するのだった。



 眼前にはツンドラ地帯が広がっている。凍てついた大地に、彼は自身の故郷を思い出していた。

 キリルはロシア地区北西方部の出である。向っているNSW社はそのさらに北部に位置していた。

 正直、彼はNSW社のことはよく思っていない。

 遺伝子提供も一軍人としてお国のためにと思ったからこそ承諾したのであったが、いざそれが実用化されてしまった時、何やら生物の禁忌に触れてしまったような罪悪感に苛まれた。

 丁度その頃結婚を前提に付き合っていた女性がいたのだが、言い知れぬ背徳感に、自らその縁を断ち切ってしまったほどだ。

 自身の分身のような存在であるセシルに直接会ったとき、己なりの御祓を済ませたことで、一度は振り払ったはずのその感情が沸き上がってきてしまったのは、まだ記憶に新しい。

 セシル本人に恨みがあるわけでも、気味が悪いなどといった嫌悪感を抱いているわけではなかった。ただ、兄弟とも親子とも違うはずなのに、遺伝子的にはどちらでもあるような相手に、どう対応していいのか戸惑ったのは事実である。

 だからこそ、努めて事務的に彼とは会話するように心がけた。

 本来ならばこの世に生まれ赤子も同然である相手に、このように接することしか出来ぬ関係を、非常に冷淡に感じる。 

 そしてその関係を作ったところこそNSW社だ。

 彼らには彼らなりの正義があるのだろうが、キリルは正義のための犠牲、つまり等価交換でしかないような気がした。

 本当にそうでもしなくては正義は実行されないのだろうか。

 少なくとも、何を犠牲にしても力こそがすべてだと考えるなら、それはまさにアキラたちの思想に寄っていると言えるのではないだろうか。

「結局共食いを招いたと言うことか……。皮肉だな」

 かといって、このまま見捨てる訳にはいかない。

 たとえ人道に反した組織であっても、貴重な戦力の源だ。また、門外不出の技術やら研究結果を山のように積み上げている。これらを荒らされるわけにはいかない。それでは、自分がなんのために身を捧げたのかわからなくなる。

――それに、あんなところでも、あいつにとっては生まれ故郷には違いあるまい……。

 刹那、音速の壁を越えた物体がこちらへ向かって来る。

「あれはっ!」

 キリルは反射的に武器を構えた。

 間違いない。あれは裏切り者の機体、マガツヒである。

 嫌な偶然とでも言えるのか、キリルの操る主天使(ドミニオンズ)級アンジェクルス、アザゼルも、相手の機体と同じくNSW社製だ。

 対峙するとなると、もろに旧式と最新式の能力差があるのもさることながら、操縦者はあのナノマシンで強化された人物である。最初からなんとも分が悪いことは明らかだ。

 主と同じく、危険を感じ取った誓鈴ロドも、低い唸り声を上げる。

 その裏切り者が目指しているのは同じくNSW社だ。このまま進行方向に行かせるわけにはいかない。

「待て、この先に何の用だっ?」

「ああ、お前、あいつのオリジナルか」

 目の前に立ちはだかったキリルに対し、ピーターは不気味な微笑を浮かべた。

「お前には関係ない、退けよ雑魚。でなきゃ……、殺すよ?」

「脅されただけで退くとでも?」

「――じゃあ、死ねっ!」

 鋭い怒声と共に、マガツヒが銃口を向ける。高出力のビームがキリルを襲うが、手慣れた操縦技術で難なく交わし、後ろへぐるりと回りこむ。

 だが、相手もそんなことは予測済みだ。あっという間に近接戦闘へともつれ込み、マガツヒのビームウィップとアザゼルの超硬質ロングソードが複雑に絡み合う。

「くっ!」

 ビーム兵器に物質兵器はいくら強固であっても、時間をかければ焼き切られる。

 絡みついたビームウィップは容赦なく超硬質素材に煙を上げさせていた。

「ほら、ただの人間一人じゃ弱すぎる」

 ガシャッとマガツヒの肩にミサイルの射出口が開く。このままでは間違いなく直撃だ。仕方なく武器を手放しギリギリの回避を試みた時――

「させないっ!」

 円盤型のユニットが二人の間に割り込み、防御壁を構築したことで、ミサイルの威力は全て消滅する。

 それとほぼ同時に、連続した砲撃がマガツヒを襲った。

「裏切り者には天誅でしてよ!」

 豪雨のような怒涛の攻撃に、マガツヒは飛翔高度を急激に下げる事で避けようとする。

 すると今度は森の陰から恐ろしいほどのジャンプ力で、狼の牙の如くライトニングブレードが煌めく。

「ぐっ、このぉおおおっ!」

 貫かれる寸前で、マガツヒは何とか攻撃を払い、体勢を着地することで立て直す。

「お前たちっ!」

 驚いたのはキリルだ。まさかこんなタイミングで、宇宙にいるはずの三人が都合良く現れるなどとは思っていなかったのだから。

「色々と隊長に聞きたい事はあるが、今はこいつを倒すのが先決か?」

 竜也は目の前のマガツヒを睨みつけながら尋ねる。

「……ああ、やだやだ。地球に居残りにされた連中といいお前らといい、寄ってたかってでしか僕の相手ができないの?」

 ピーターは挑発するようにマガツヒの両手を広げて見せる。

 そもそも孤島にあれだけの敵兵を仕込んでおく悪党に言われたくはないと、この場にいる誰もが思ったが、それを口に出すよりも早く竜也が動く。

「お前、ダナン先輩たちとも会ったのかっ?」

 肩口のミサイルポッドを塞ぐように、袈裟懸けに武器を振り下ろしながら尋ねる。

 その攻撃を交わしつつ、ピーターはけたけたと笑った。

「ダナン? ああ、奴は兄貴たちに撃たれて使い物にならないよ。そうか、なあんにも知らないんだね、お前たちは」

「なんだとっ? どういう意味だっ!」

「そのままさ。お前たちが宇宙に行っている間に、ダナンの家がパンデミックの支持者だと知った奴らは、その施設の破壊を試みた。まあ、成功はしたんじゃない? ただ、今も全員生きてるかどうかは知らないけどね。少なくとも――」

 高速で再び空に舞い上がったピーターは、さも楽しげに言い放つ。

「――女は一人僕が殺してやったよ。なんて言ったかな? あの地味でなんの取り柄もない……そうだ、確かレニー」

「な……なんですって?」

 一瞬サンドラの機体が動きを無くす。

「危ないっ!」

 セシルが盾になり、キリルが相手の攻撃を弾く。

「サンドラさん、あいつの言う事をまともに聞いてはいけません!」

 セシルに叱咤され、サンドラははっと我に帰る。

「くくくっ、必死で笑えるなDC―01。お前なら僕が言ってる事が真実だって分かってるんだろ? 仲間に隠し事はいけないなぁ?」

「――っ!」

「セシル様……」

 少年の配慮も虚しく、目の前の仇は不愉快にもにやけ続けている。

 確かにセシルの特殊能力は、地球に降りた途端に様々な情報をキャッチし初めていた。それははっきりとしたものではないものの、大体の推測がつく程度の予感めいたものだ。

 その情報源は当事者と対峙することで、より感覚的に明確になる。

 つまり、レニーの死はピーターのどす黒いまでの思念により、セシルに残酷なまでに克明な情景を知らせてくるのだ。

「……僕は貴方を許すことは出来ません、ピーター。いえ、貴方に合わせるなら、DC―00と呼ぶべきでしょうか?」

 はっきりとした怒りを顕にしながらも、珍しく嫌みも添えてくる相手に、ピーターは面白くない様子で小さく舌打ちする。

「竜也さん、サンドラさんと一緒にユグドラシルへ向かってください。フィッツさんはそこに居ます……。そうですよね、キリル隊長?」

――私の記憶からも探り当てたか……。

 ついこの間まで人の死を垣間見ただけで怯え発狂していた少年とは思えない。

 確実に特殊能力だけならず、軍人としての成長を感じた。

「ああ、そうだ」

 この少年には隠し事など通用しない。キリルが否定したところで彼らは大事な親友の後を追いかけるだろう。何しろ宇宙からたった三人で戻って来てしまったほどだ。

「けどセシル、まずはこいつをどうにかしてからでも……」

 竜也のいうことももっともであるが、セシルはなぜか切羽詰まったように急かす。

「なんだかざわつくんです……。嫌な感じ、とでも言えば分かりますか?」

 彼の感覚はしつこいようだが一般人のそれとは異なる。そういえば、フィッツも地球に降り立つ際に同じような事を言っていたと、キリルは思い出した。

 フィッツを非戦闘員であるクレールス・ユリウスに丸投げしてしまっている以上、彼も竜也たちに向ってもらった方がありがたい。

「ならばセシル、貴様もここから離脱しろ」

「――えっ……どうして?」

 セシルは思わず驚きの声を上げる。キリルの意外な言葉まではさすがに予想していなかったのだろう。

「NSW社には多分すでにクーデターの連中が向っているはずだ。私はこいつを引き留める。その隙に……っ!」

 説明する最中だからといって敵が手を抜いてくれるはずもなく、マガツヒのミサイルは空に浮かぶ三人目掛けて飛び交った。

「そうだ……僕は、僕はあいつこそ殺さなくちゃいけないんだ! だからお前たちは邪魔なんだよ!」

 私怨渦巻くままに、ミサイルに紛れ鋭いマガツヒの一撃がアザゼルを襲う。それをどうにか受け流しながら、彼は命ずる。

「行けっ! それぞれがやるべき事に殉じろ!」

 キリルの号令に後ろ髪を引かれつつも、竜也はサンドラと共にユグドラシルへ向う。しかし、なぜかセシルはその場に止まりたくて仕方がなかった。

「どうしたっ、早く行け! あの場所は貴様にとって大切な場所ではないのか!」

「――っ! こちらが済み次第必ず加勢に戻ってきます! それまで、どうかご無事で!」

 キリルの一喝にそう答えると、セシルは不安を振り払い飛び去って行く。

「……さあ、これでまた一対一だ。文句はあるまい?」

「あんたさぁ、馬鹿なの? どう考えたって一人じゃ無理でしょ?」

 ピーターの表情は獲物を追い詰めた獣のそれだ。だが、キリルとて現役職業軍人のプライドというものがある。

 彼はにっと笑みを湛えると、フットペダルを強く踏みしめた。



 セシルは急いだ。キリルのもとへいち早く加勢に戻りたいという気持ちはもちろんであったが、竜也たちにはあえて伝えなかった“嫌な感じ”にはもう一つあったのだ。

 それは他でもない、NSW社から漂ってくる気配の様なものである。

 目と鼻の先に見慣れた施設が現れた瞬間、彼のその予感は的中してしまう。

「こ……これは……」

 広い敷地を誇る施設はあちらこちらで煙が上がっている。その光景を目の当たりにしたセシルは一気に血の気が引けた。

「ヴァレンチナ博士、ムラマツさん……」

 青白くなる主に、誓鈴リリスは「とにかく中を調べましょう」と促す。

 彼女の言葉に従い、恐る恐るドッグへと降りてみる。ぱっと見誰もいない様子であった。

「研究室の方を見て来るよ。リリスはここにいて、何かあったら呼んで」

「わかったわ。気をつけて……」

 リリスをルシフェルの中に残し、セシルは銃と軍刀を携え、荒れた内部へと進んでいく。

 すると、クーデターの一味と思われる連中が、今まさに生き残っていた研究員にむかって刀を向けているところであった。

「デ、データを引き渡せば助けてくれるんじゃ……っ!」

「総長の御命令だ。貴様の様な卑劣漢は切り捨てろとなっ!」

「そ……そんなっ!」

「元より貴様らの様な連中を一人として生かしておくことは出来ない!」

 ぎらりと白刃が振り下ろされる。

「やめ――っ!」

 セシルは止めに入いろうとするが、敵は一つの分隊を組んでいたため、真ん中に割り込むには遅れを取った。

 結果、研究員の首は重い音を立てて床へと転がり落ちる。

「――っ! このぉおっ!」

 マゼンタの瞳が怒りの炎を宿す。こうなってしまえば、小規模な人員など彼にかかってはあっという間に制圧されてしまう。

「がっ!」

 七名ほどいた人間を、反撃の暇もほとんど与えずに次々に沈め落として行くと、最後に残った分隊長と見られる青年の顎下を掴み上げ壁に叩きつけた。

 とても低身長の少年からは想像出来ぬ腕力であるが、これがナノマシンを搭載された人工生命体のほんの一端だとは、分隊長の青年には分かるまい。

 ただ、その出鱈目なまでの力に、恐れ慄くのみだ。

「……他の人たちは?」

「うっ……貴様……」

「答えろっ! 一体何人殺した! 博士たちはどうしたっ!」

 こんなに声を荒げたのは初めてだった。それほど心に余裕が無かった。

 遠目からはあくまで予感でしかなかったそれが現実になってしまった今、目の前の状況は信じ難く辛いものである。

 少年にとっては、自分の故郷を踏み荒らされたのと同等なのであるから無理もない。

「は、博士? さあ……な、総長が、探していた……どうせ、もう……っ」

 そう言われ、思わず手に力を込めてしまう。

 青年からはごきりという鈍い音が響き、だらりと両腕が垂れ下がった。

 しばらくセシルは自身の手を見つめ放心しているようであったが、ぐっと拳を握りしめると、また研究室を目指して走り出す。

――博士……ヴァレンチナ博士っ!

 少年は無意識に強烈な心因性音波(サイキックウェーブ)と呼ばれる思念を送り続ける。

 これもまたナノマシン所以の能力であったが、彼は基本的に受動的であったが為に、今まで使わずに過ごしてきた。

 能動的な使用をしなかったのは、単に自分だけではなく相手に影響のある力なため、恐れを抱いていたのだ。

 だが、今やその能力は、少年にとって心の底から母親を求める叫びであった。

 自分の呼びかけに答えて欲しい。その一心から呼び覚まされた力だ。

「……セ……シル?」

 頭に直接訴えかけるような、ほとんど泣き声に近いものを感じ取ったその人は、息も絶え絶えに彼の名を呼ぶ。

 被検体番号ではなく、我が子につけた名で。

「博士っ!」

 ほぼ叩きつけるようにして、自分の手の平を声が返って来た扉に認識させたセシルは、中を確認することもせず夢中で飛びこむ。

「……やあ、セシル君、おかえり。なんだか久しぶりだね」

 答えたのはヴァレンチナではなく、彼女を座りながら抱きかかえたムラマツであった。

 彼も相当くたびれた様子であったが、ヴァレンチナは腹に銃弾による致命傷を受け、押さえつけているハンカチからは止めどなく血が滲み続けている。

「い……嫌だ……博士、どうして、こんな……っ!」

「因果応報、というやつだ……お前が気にすることは……ない」

 吐血しながらも、ヴァレンチナはいつもの冷静な口調で返答した。

 その瞬間、彼女らが見た記憶がセシルになだれ込んでくる。


 それは革命軍を名乗るアキラ達がつい数時間前に攻め込んできたシーンであった。

 NSW社側もありったけの防衛システムと備え付け兵器を駆使し、彼らの猛攻に耐えていた。

 外側からの爆撃があり、その次に内部制圧の為白兵戦が開始される。

 勿論戦闘慣れしていない科学者たちは混乱を極めた。しかし、防護壁を作動させ、かなりの人数を閉じ込めることにも成功する。

 そうしてお互いに死者の数を出し合っていたが、ついにあの青年、アキラが管制室にまで乗り込んできたのだ。

 記憶の示す彼の表情は、完全なる無であった。

「復讐のつもりか?」

 他の物が慌てふためき逃げようとする中、ヴァレンチナは毅然とした態度でアキラと対峙した。

「ナノマシンの研究データを出所から初期段階まですべて渡してもらおう」

「断ると言ったら?」

 彼女がそう問うと、なんの躊躇いもなくアキラは背中を向け走っていた研究者を二、三人、そちらの方向を確認することもなく撃ち抜く。

「た、頼む! 渡すから、俺の命だけは助けてくれ!」

 近くで腰を抜かしていた研究員の一人が命乞いの交渉を勝手に進める。

「やめろっ!」

 極秘情報のパスコードを打ち込もうとする研究員の手を止めようとした途端、ヴァレンチナの腹に向って銃声が鳴り響いた。

「……がはっ!」

 勢い良く倒れこんだ彼女に止めをさそうと近づくアキラの前に、ムラマツが咄嗟に割込み抱えて走り出す。

 意外にも、アキラは後を追わなかった。いち早くデータの方を手に入れようとしたのか、それとも興味が失せたのかは分からない。

「無駄な事を。どうせこれでは、助からん……」

「いいんです。俺がこうしたいだけなんで、ほっといてください!」


 まるで自身で見たかのように鮮明な映像を体験したセシルは、ぐらりとした眩暈を覚え、ヴァレンチナたちの前に膝を折る。

「すみませんでした……。もっと、僕が早くここに来れたら――っ!」

「ふふっ、何……これでもなかなか奴らにだって痛手を負わせてやれたのだ。ちょっとは褒めてくれ」

 柄にもなく冗談めかして言う彼女の目は虚ろであった。

「そう、何を犠牲にしようと、非難は受けても褒められなんてしやしない……。私たちはそういう仕事に就いた人間だ」

「博士……」

 彼女の冷たく血塗れた手が、そっとセシルの頬に触れる。

「お前は私の誇りだよ。その対価としての代償が私自身の命だというのなら、安いものじゃないか……。ねぇ? 私の、愛しい子……」

 苦しげに笑ってみせる自身の生みの親である存在に、セシルは胸が締め付けられる。

 この人は確かに多くの命を犠牲にし、多くの反対を無視し研究を続けた。

 彼女の情熱と価値観は異常だ。けれど、だからこそ、自らが作り出した命に並々ならぬ偏愛を注いでくれる。セシルにとってそれは、掛け替えのないものであるのと同時に悲しくもあった。

「僕が存在するまでの過程が、貴女にとっての罪だというのなら、僕だってそれを負うべきです!」

「優しい子になったものだ。だが、作り出すエゴを押し通したのは私自身。勝手に生み出された子に、責任などあるはずがない……。それに、お前はこの国の希望にならなくてはいけない。生きていてこそ皆の役にも立とう……」

 ふっとヴァレンチナの手が頬から滑り落ちた。

 セシルは慌てて彼女の手を拾い上げ握り締める。

「博士っ!」

「……一度だけ」

 彼女はぽつりと言った。

「“お母さん”と、呼んではくれまいか……?」

 そんなことを頼まれたのは初めてだった。

 いや、むしろ呼んではいけないものなのだとすら思っていた。

 セシルは精一杯の慈しみを込めて、彼女の願いを叶える。

「お母、さん……」 

 泣くまいと自身に誓った。最後にこの人に情けないところは見せたくない。

 だから必死に耐える。しかし、どうしても声は震えた。


『ありがとう』


 彼女の音にはならない声で、セシルにだけそう聞えた気がした。

「……すまないね。助けられる位置にいながら、どうにもならなかった」

「いいえ、ムラマツさんはこうして、博士の……母の最期を僕に届けてくれました。――感謝しています」

 俯きながらも礼を言う少年にいじらしさを感じつつも、ここで暗く沈んでいる暇はないとばかりに、ムラマツは努めて明朗な口調でとある物を白衣のポケットから取り出す。

「セシルくん、このデバイスはヴァレンチナ博士の形見みたいなものだ。これで君のルシフェルがアップデートされる! このままクーデターを野放しになんか出来ない。君に、アキラたちを止めて欲しい!」

 少年は手渡された物を握り締めると、ムラマツもとにかくここから逃げるように誘う。

 しかし、彼はそれを拒否した。

「彼女とここに居るよ」

「どうしてっ!」

「……君なら、もう分かってるだろう? 野暮なことは聞くもんじゃない」

 彼の手にはもう一つ、小型のスイッチのある機械が握られていた。

 にやりと笑ってみせるムラマツは、ヴァレンチナの血と混ざり分かり辛くはなっているものの、明らかに体の中心あたりに深手を負っている。

 セシルはすべてを悟った。

「……ムラマツさん。貴方も、僕にとって大切な人でした」

「あはは、パパなんて言わないでくれよ? こっちは柄じゃないからね」

 こんな時まで冗談めかす相手に苦笑で返し、セシルは何かを振り切るように、その場を後にした。

「はあ…、やれやれ。ホント、柄じゃない。――そう思うだろ? ヴァレンチナ。地獄でまたこき使ってくださいよ?」


 ルシフェルが空へと飛び立つと同時に、今まで居た施設が地下から巨大な火柱を上げ爆発する。

 セシルはキリルの元へ向かいながらも、込み上げて来る衝動を押さえられなかった。


「うぁああああああああっ!」


 少年の慟哭は大空へと木霊する。

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