第九章「叛逆者」 (9)
Ⅸ
貴翔たちは目的地へと到着した。
外壁の形状から、そこが国会議事堂であることには違いないことは分かる。
しかし、かつての栄華は微塵も残ってはおらず、敷地内には死体の山が築かれ、護衛で配置されていたはずのアンジェクルス隊も無残な姿でばらけ散っている。
「間に、合わなかった……っ!」
銃弾で穴だらけの石畳に、がくりと膝を折ると、貴翔は真っ青な顔で、異様なほどに静まり返ってしまったこの国の中心たる建築物を見渡した。
こんな状態で、兄が無事な訳がない。絶望感は着実に貴翔の心を蝕んでくる。
「立って、瑛。とにかく中を確認しなければ、養さんだってまだどうなったかなんてわからないじゃない!」
必死に励ましてくれる丹花も、細い足が小刻みに震えていた。
「いくらなんでも行動が早すぎる。一体アキラ先輩たちはどうやって?」
アリスはぎゅっと自身の二の腕を掴みながら、この惨状に疑問を投げかける。
もはや敵もいない状況ではあったが、外の見張りはドリスのいる輸送機も、エルンストの機体も待機していてくれていたので、あとはとにかく内部を確認して来るだけなのだ。
どうにも足が重く進まない貴翔ではあったが、許嫁が気丈に振る舞っているというのに、自分だけが諦めて悲観に暮れているわけにもいかない。
意を決してぼろぼろの扉を潜ると、血塗られたエントランスホールは、外よりも死臭の度合いが増した。
「……酷過ぎる」
貴翔はぐっと下唇を噛んで、それでも二人を引き連れ奥へと進んでいく。
「誰かっ! 残っている方はいらっしゃらないのですかっ? 生きているなら返事を――っ」
三人とも同じような言葉で生存者を捜していたが、先に“彼”を見つけたのは貴翔であった。
「ホープマン・バーンズ国防委員長……」
それは変わり果てたライオネルの父の姿で間違いない。
彼は死してなお、何かに向って手を突き出しているような形のまま絶命している。
いよいよ兄の命も尽きているのだろうと諦めかけたその時、さらに奥の部屋の扉から、微かに物音がしたような気がした。
「行ってみましょう」
クーデター側の人間がまだ残っている可能性もある。
細心の注意を払って、三人は物音のした方へゆっくりと入室して行く。
「……ぐっ、ごほごほっ!」
咳きこむ声は開いている縦長の用具箱の下から聞こえる。どうやらその人物は、身の危険が去るまでこの中で隠れていたらしかった。
「兄さん!」
貴翔は構えていた拳銃をホルスターにしまうと、へたりこんでいる兄、国家総参謀議会第一書記、司馬養その人へと駆け寄る。
「……瑛? 本当に瑛なのか……」
久々に目にする弟の姿に、兄は幻でも見ているのではないかと疑っているようだ。
そんな相手に確かめさせるように、貴翔は手を差し伸べる。
すると、ぬるりとした感触に、一度安堵した心臓が再び早鐘のように警告を鳴らす。
「兄さん、血が……っ!」
よく見ると、兄の横っ腹からは銃弾に撃たれた流血が滴り落ちていた。
用具箱の扉にも穴が数か所開いている。おそらく、クーデターの連中は念の為一部屋一部屋回って銃を乱射していったのであろう。
隠れている事には幸い気づかれなかったものの、撃たれたのにも関わらず、激痛による悲鳴を堪え息を殺していた事を考えると、彼にとってそれは地獄の様な時間であったはずだ。
貴翔は急いで応急手当てを施す。彼に今死なれては困るのだ。
それは兄だからという単純な理由だけではない。
事実上、今この国のトップは彼しかいないことになってしまった。混沌とした現状を打開するためには、そういった人物の力が必要不可欠なのだ。
「こんなことで死なないでください! 貴方は今こそ自分の立場を全うすべきなんです!」
手早く包帯を巻きつつ、丹花には念の為部屋の外を見張らせ、アリスには担架を運んでくるように指示する。
その様子をぼんやりと見つめながら、養は小さな声で弟に尋ねた。
「瑛……、バーンズ国防委員長は?」
その名を口に出され、貴翔はぐっと何かを堪えるように簡潔に告げる。
「……すでに、お亡くなりになっていました」
養はその答えを噛みしめるような間を置いてから「そうか」と重く瞼を落とす。
「彼は私を咄嗟にここへ避難させてくれた……。彼の命で私はまだ……息をしていられるのだな……」
苦しげな表情と口ぶりで、呻くような言葉であった。
「誤解も多い人だったが、けして殺されて良いような人間ではなかった。――瑛、私たちが間違っていたのだろうか? ここまでの仕打ちを受けるのは自業自得なのだと思うか?」
「兄さん……、それは今考えるべき事ではありません。貴方が専念しなくてはならないことは、バーンズ氏に何を託されたかです」
もっともだと頷く養の顔は青白い。止血剤は打ったが、その前に流れた血液量が多すぎる。
焦る気持ちを抑え、どうにか気を失わせないように話を繋いでいると、アリスが担架を息を切らせ運んでくる。
早速乗せて運びだし、ドリスの待つ輸送機につくと、積んできた軍用車両に養を担架ごと固定する。
一連の作業を終えると、丹花とアリスは貴翔に提案した。
「私たちはまだ生存者がいないか、もう少しエルンスト隊長と探してみます」
「瑛は近くの病院へ養さんを早く運んであげて」
貴翔は一瞬躊躇したが、考えている暇は無い。敵はもう一人もいないことを祈りつつ、二人に頷き車のエンジンをスタートさせた。
後ろに乗せた兄の容体をバックミラーで気にしつつ、貴翔は周りの様子に驚愕する。
警官隊と、民間人があちらこちらで衝突しているのだ。
皆アキラの演説に共感した者たちであろう。
幸い警官隊の努力もあり、沈静化は進んでいるようであったが、貴翔の不安はそこばかりではなかった。
「すみません。怪我人が多くて、病院で保管している輸血用の血液が足りていません」
病院につくとその不安は的中した。思わず医者の言葉に舌打つ。
兄の様態は貴翔が見ただけでも、すでに体の半分は血液を失っていてもおかしくない状況である。
話しかけても返事もだんだんと弱くなり、事態は一刻を争う。
ともなれば、彼が取る行動は一つであった。
「分かりました。どうか私の血を使ってください。兄と私は同じO型です」
対応した医者は判断に少し困っていたが、現状が今までに類を見ない緊急事態であることは確かだ。
「どれだけの量が必要になるか明確には今宣言出来ません。場合によっては貴方も危険ですよ?」
「構いません、この人の生死は今後の国の在り方に関わるのです。治療中、暴徒にこの人の存在が割れないようにだけ、ご配慮願いたいのですが……」
「……分かりました。精いっぱい努力させてもらいます」
事態の重さを十分に理解した賢明な医者の判断により、早急に手術は執り行われた。
緊急治療室に並んだ隣の兄を見て、貴翔の脳内には走馬灯のように過去の出来事が駆け巡る。
軍人になると言いだしたことで仲違いし、出て行ってからというもの、一度も実家には帰っていない。
意地を張って、兄がメディアに取り上げられれば、気分を害しすぐ見ないようにしていた。
けれどその兄は今、クーデターにより命の危機を迎えている。
政治家などではなく、軍人になることこそがこの国の役に直接立つと信じてやまなかった自分の使命感や正義感に、陰りが差す。
権力を持ち、自らの安寧に胡坐をかく者たちが許せなかった。
自分はああはなりたくないと思った。
だからこそ、今の道を選んだはずなのに、自分と同じく研鑽に励み、物理的な力を持った若者の、なんと不安定で危ういことか。
もはや混沌とした今日に、何が正しいのか、どうすれば良かったのか、まったく正しい答えなど導き出せそうもない。
――それでも、私が取らねばならない道は、これ以外思いつかない……。
兄が意識を取り戻した時、自分も同じように無事現世に帰ってこれるだろうか。
その時、兄はどんな行動でこの国の行く末を導いてくれるだろうか。
結局、兄の手腕に頼らざるを得ない自分に嫌気がさすが、人として、兄弟として、今は純粋にただ、この人に生きて欲しかった。
――兄さん……、どうか……。
貴翔の意識は、段々と遠退いて行った。
貴翔が病院に向ってから、ドリスはある作戦をエルンストに申し出る。
「実は貴方が嫌がるかもしれない案があるのだけども……」
唐突に切り出した彼女の目つきはいつになく真剣なものであった。
「言ってみてくれ」
エルンストは周辺を注視しながらも、自身のアンジェクルス内で、彼女の映るモニターに頷いて見せる。
「この惨状をあえて中継してみてはどうかしら?」
「……たしかに、好ましくない内容だな」
ようはこの血だまりと化した国会議事堂をそのまま世間に流してしまえと言う、なんとも暴力的な発想である。
あからさまに怪訝な顔つきになるエルンストに、ドリスは続けた。
「今、各地で民間人による暴動が起きているわ。それだけアキラの放送には力があった。でも、それを超える効力がある衝撃的な放送を流せば、彼らの行動が如何に危険思想で残酷なのか、視覚に訴える事が出来るわ」
「それで暴動は治まると? だが、過激な連中はむしろ調子づいたりしないだろうか?」
「彼らがアキラ達に求めているのは、あくまで武力による国の強化。そしてそれは裏返せば、国を強くして自分たちの生活をより安全にして欲しいという願いを少なからず含んでいるわ。だから問いかけるの。貴方たちが望んでいる平和は、こういうことでしか築けないのかしらって……」
エルンストは納得はするものの、やはりすぐに了承する気にはなれない。
「奴らの訴えは若者たち同士で波長が合っているはずだ。俺たち大人が訴えたところで聞きはしまい」
「そうね。しかもベルクシュタイン元帥の息子自ら立ち上がったというのと、天野というネームブランドにはどうしたって対抗するには私たちでは人選が弱いわ」
エルンストとしても、それは非常に歯痒くも不愉快な思いであった。
彼も過去に天野龍一とは戦場を駆けた経験のある人物である。その相手の息子が、親の名を穢すような行為に及んでいる。
本人たちには大義名分があるのだろうが、とてもではないがそれは認められるような主張ではなかった。少なくとも、この場にいる自分たちにとっては……。
「彼らに見劣りしない人物は……」
「同じ天野の姓を持つ、奴しかいないだろうな」
エルンストは教え子の顔を思い浮かべるが、ドリスはもう一つの可能性を見出していた。
「もう一人いるでしょ? 同じ大人でも、天野龍一提督と肩を並べた人が」
「待て、まさか学長を賭けに使う気か?」
よりによって現在戦闘中であるアルバート元帥を引き合いにだされたことに、エルンストは思わず眉を顰める。
「うふふ、実はこの作戦自体あの方の発案なの。録音は預かっているわ。もっとも、こんな事態にまで進行しないことを強く望んでらしたけど、結局使う事になってしまったわね……」
「……まったく、あの方の先見の目には恐れ入るな。しかし、こうなると学長に普段から発言力と権力があればと、悔やまずにはいられない」
「結局軍人はいくら偉くても国の犬でしかないのよ。少なくとも、この国の体制ではそういうことになっているわ。かといって、あの方に政治家へ転身しろというのも、きっと無理な話だったに違いないわね」
「まるで軍事国家ならばと言いたげだな。それではアキラ達とそう変わらないぞ?」
「あくまで多用にある可能性の一つの例を上げたまでよ。現に過去の歴史を見ても、軍事国家でありながら安定した政治を行っていた国がないわけではないわ。さ、議論はこの辺にして、そろそろあの子たちも惨状を見て諦めもついた頃でしょう。呼び戻してカメラを回すように指示しましょう」
エルンストは根っからの武人気質の軍人である。
アルバートやドリスのように、時に人の良心や仁義に反するような判断は、彼には到底出来ない志向性である。
だからこそ、アルバートは自身の考え方により近い彼女にだけ、自身の肉声を託したのだろう。
「……待て、やはり彼女達にやらせるのは反対だ。俺が変わってカメラを回そう」
「そう? じゃあ、お願いね」
かくして、エルンストの映す陰惨な背景に乗せ、似つかわしくない澄んだ優しげな口調は全世帯へとテレビやネットを通じて流れた。
『地球共同連邦の皆さん、覚えておいででしょうか? 私はかつて火星遠征へと参加した、現在は男女士官学校二校の学長を務めているアルバート・オブ・キャテリー・グローリアスであります。私がこの放送を流す真意は、けして現政治に物申したい若者たちを上から押さえつけようと言うのではありません。多様な考え方はあって然るべきだからです。なので、そんな考える力のある貴方達にこそ、今から話す私の気持ちを聞いていただきたいのです。これは、かつての私の戦友が残した言葉です。“敵を恨み殺すという行為は、自らに跳ね返るもろ刃の剣である。そして仇討ちは永遠に連鎖するのだ”と。彼が武人であったからこその言葉であったと、私は思います。そこで皆さん、この現状をどう思いますか? 貴方たちの目にはどう映りますか? 死んだ者の家族、親戚、友人……そういった人たちはどうでしょう? 私はこう思うのです。殺すと言う行為は、死んだ者たちの魂を一生背負うことです。貴方たちは、その罪の十字架を背負う覚悟はありますか? その重さは、時に貴方の家族、親戚、友人にまで及ぶかもしれません。――さて、現在の空を見てください。何が見えますでしょうか? 私は今、貴方達の大切なものをすべて抱えているこの星を守るべく、全力で宇宙開拓同盟と交戦しています。私は軍人として、ここを命を賭して守る事が、自身の背負ったものの大きさだと考えています。さあ、どうぞ今一度考えてみてください。貴方達が本当にしなくてはいけない事が、そこに見えてくるはずです。私は、貴方達“全員”の命を守りたいのです』
それは強硬派なアキラ達に対して、随分と柔軟性のあるものの言い様に聞こえたが、大概の人が本来持ち合わせているであろう根本的な道徳心を刺激するには十分であった。
「人の死体を見せて、良心に語りかけるという矛盾を、俺はどうにも払拭しきれないんだがな……」
無事に放送が流されたことを確認し終えたドリスに、エルンストは遺体の収容作業を行いながらぼやく。
「そうね。貴方のそういう頑固で真っ直ぐなところ嫌いじゃないわよ?」
死んだ警備員の瞼を閉じながらそんな冗談をいう彼女の図太さに恐れ入る。
そんな大人たちの隣で、有志で集まって来たユグドラシルやヴァルキリーの士官候補生たちに、それぞれ作業を割り振る丹花とアリスは必死であった。
「遺体を触る際は必ず手袋をしてください! こちらに用意してあります!」
特に丹花はなかなか戻ってこない貴翔を心配していたが、それを振り払うように自分の役割を務めていた。
「あの、ここは私に任せて、様子を見て来ても……」
アリスがそう気を使うが、彼女は首を横に振る。
「いいえ、瑛と養さんなら大丈夫よ。絶対に」
それは信頼というよりは願いであるように、アリスの瞳には映るのだった。
宇宙も地上も混乱の只中である頃、フィッツはキリルのアンジェクルスに同乗し、無事、空中都市学園、聖ユグドラシル男子士官学校へと到着する。
本来ならば士官候補生たちや、学園都市を成り立たせている施設が賑わっているはずが、この情勢下でまったくの無人と化していた。
しんと静まり返っただだっ広い敷地に、ある種の不気味さを感じながら、ただ一人待っているであろう、クレールス、ユリウス・ドルニャークの元へと向かう。
「お待ちしていましたよ。フィッツさん、キリル少佐」
やはり彼はチャペルの中で、いつも通り柔和な笑顔を作り佇んでいた。
「アルバート学長から、貴方をよろしく頼むと託っています。NSW社は今まさにクーデターの襲撃を受けているはず。そこに貴方を送るのは危険なので、一先ずこちらで荒事が収まるまで避難していて欲しいとのことです」
至って落ち着いた様子でそういうクレールス・ユリウスに、キリルは少し迷いの陰りを表情に見せる。
「キリル少佐、僕はもう大丈夫ですから、どうかNSW社へ加勢に向ってください」
ドリスが流した放送は、フィッツたちにも届いていた。あの様子では、NSW社がアキラ達とまともに対抗できるはずもない。
「しかし……」
キリルはこの閑散とした場所に、直属の上司の子息を置いて行くことには抵抗があった。
「大丈夫ですよ。この場所は要塞としての装備もあるのです。外からの攻撃なら、自動防衛システムもちゃんと把握していますし、いざという時に発動する手筈は整っています。今となってはどこよりも安全です」
クレールス・ユリウスのいうことは尤もであった。それもたった二人に対してこの防備はむしろ過剰なくらいだ。
「……フィッツ、絶対に勝手な事はするなよ。約束できるか?」
「ふふ、すっかり信用がなくなってますね僕。大丈夫ですよ、さすがにこの状況を一人で何とか出来るだなんて思ってませんから。さあ、どうぞ行って下さい」
まるで幼い子に言い諭すようなキリルがなんだか可笑しくてつい破顔してしまう。
「それではクレールス・ユリウス、後は頼みます」
「ええ、貴方に英雄のご加護があらんことを……」
一礼して出て行くキリルを見送りながら、ふいに得も言えぬ不安感に煽られる。
長い睫毛を伏せ、きゅっと胸の前で手を握るフィッツを見かねたクレールス・ユリウスは、彼の豪奢な金髪の頭を、そっと撫でてやった。
「……どうしてこんなことになってしまったのでしょう。何もかもが、僕の知っている光景とは変わってしまいました」
ひんやりとした手の感触にフィッツが振り返ると、クレールス・ユリウスも悲しげな顔で「そうですね……」と、言い淀む。
「やはり人の持つ業というものでしょう。英雄の御業を時が経つにつれて忘却の彼方へと追いやってしまった結果です。私どもの様な立場が、もっと世に知らしめねばならなかったのでしょうけれども、力及ばず、残念なことです」
実に英雄伝承者らしい自戒の言葉であったが、フィッツとしてはそんな科白で終わらせたくはない。
「僕は……、まだ希望があると信じています」
「ええ、貴方に備わった特別な力は、きっと英雄様が齎してくれたもの。大切にしませんとね」
細められたクレールス・ユリウスの瞳の奥に、なぜか一瞬、ぞっとするような光が微かに燈ったように映る。
フィッツは思わず肩に乗せられていた彼の手から離れると、クレールス・ユリウスは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうかいたしましたか?」
「い、いえ……。別に……」
そう答えながらも、得体の知れない恐怖にフィッツの心は揺れる。
――地球に降りる時も、なんだか指先から全身にびりびりとするような変な感覚がした。おかしいな、自分に変なものが埋まってるって分かってから……ううん、一度死んでからと言った方が正しいのかもしれない。とにかくそれからだ。なんだか第六感が徐々に開けて行くような、この妙な感じ。
いつしか自分もセシルの様な力を持つ事になるのだろうか。しかし反応はしても、彼のように明確な意味が見出せない。
それはとても不可解で、もやもやとして、あまり気持ちが良いものではない。
「大丈夫ですか?」
クレールス・ユリウスが心配そうに顔を顰めるフィッツを覗き込む。
そこにはもう、先ほどの様な違和感は存在しなかった。
「いえ、その……はい。なんだか、あまり大丈夫ではなさそうです……」
「そうですか。では、こちらにあるカウンセリング室へどうぞ。お茶を入れてさしあげますので、ソファーで寛いでお待ちくださいね」
フィッツは言われるまま、祭壇の右隣に存在するカウンセリング室へと通される。
つきんと片頭痛のように響く痛みを押さえながら、フィッツはゆっくりとソファーに腰を下ろした。
クレールス・ユリウスは給湯室へと行ったようで、まだしばらくは帰って来ない。
それをいいことに、もはやだらしなくしていても問題ないとばかりに、端の肘掛に凭れ、何とか体を楽な姿勢にしようとする。
だが、妙な予感めいたものはどくどくと心臓の音を目立たせるようである。
――ふふ……変なの。謎のコアって器官のおかげで生きているのに、心臓がこんなにも動いているだなんて……。
自分は一度死んだ。そのはずだった。
それなのにこうして息をしている。
死ぬ前の自分はなんだったのか。
死んだ後の、今の自分は?
セシルのように作られた存在だとするならば、一体何のために、誰が?
たびたび見る母の夢は、自分に何を伝えようとしているのか……。
――ああ、考えるにはあまりに心臓の音がうるさい……。でも、待って。この感覚はどこから来ているものなんだろう?
いっそのこと、この妙なざわつきのもとの糸を手繰ってみたらどうか。
自身の開花した能力に身を任せた結果どうなるか、やってみなくては分からない。
――そう、僕は地球に来る時から感じてる。何かに呼ばれているんだ……。
ふらふらと立ち上がり、呼ばれていると感じる方へと耳を澄ませ、歩をそろりと進める。
「フィッツ!」
その時、どこから入り込んだのか、部屋の隅から聞き覚えのある声がする。
「ルナ!」
小さな白い体は、主の呼びかけにぴょんと跳び上がり、すっぽりと彼の腕の中へと収まった。
「よかった……無事だったんだね」
「まったく、そっちこそ! 慣れない格好なんてつけるからよ!」
変わらぬぶっきらぼうな口調に、張りつめていた気持ちが少しほぐれる。
「ねぇ、ずっとここで待ってくれてたの?」
「いいえ、忍び込んだのよ。フィッツ、学長からの伝言よ。あの男には気をつけなさい。大体、学長はあんたのことを地球へ呼びつけたりなんてしてないんだから!」
「……え?」
一体どういう事かと問い詰める前に、部屋にノックが鳴る。
「フィッツさん、お湯をお持ちしましたよ」
開けることを律義に確認すると、返事が無い事に疑問を抱きながら、そっと扉を押す。
クレールス・ユリウスが部屋に入ると、そこはすでに蛻の殻であった。
「……ほう。これはこれは、絶対に勝手な事はするなとキリル少佐に言われていたというのに……」
窓のカーテンが揺れ、すうっと風が舞い込んでくる。
どうやらここから逃げ出したようだ。
それを発見したクレールス・ユリウスは、至っていつもの柔和な笑顔に、あの怪しげな瞳の色を湛え、お湯の入ったポットを机の上に置いた。
「かくれんぼですか、それも良いかもしれませんね。私は鬼も得意ですよ」
そう言い残し、彼は部屋を後にした。




