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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
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第九章「叛逆者」 (7)

 Ⅶ

 兄弟がいたのか、両親がいたのかすら分からない。

 ただおぼろげに、自分は初めから一人だったのだという記憶だけが根深い。

 物心が付いた頃には、すでに児童養護施設にいた。

 ある日、別の場所を狙ったと思われる一つの爆弾が、何を間違えたかその施設へ向って飛んで来た。

 窓の外が明るく光ったかと思えば、次の瞬間には真っ暗になった。

 全身が痛む。目も見えず、耳も聞こえず、身動きも取れない。

 漠然とただ、ああ、自分はこのまま死ぬのかと思った。

 芋虫のように横たわることしか出来ぬ己に、悔しさが憎悪に変わる。

 

――殺してやる、殺してやる、殺してやるっ!


 なぜこのような目に合わなくてはならないのか。世の中の不条理すべてに憤りを覚えた。

 虫けらのように消えゆく己のように、自分以外のすべてのものが無くなってしまえばいい。

 どうせ死ぬのだから、この手で破壊し尽くせたら、どんなに清々しい事だろう。

 いいや、死にたくはない。死ぬくらいなら他人の血を吸ってでも生きてやる。

 禍々しい思考が渦巻き、皮肉にもそれが彼の魂を掬いあげたのかもしれなかった。


「どうだ? 手足を動かせるか?」


 気づけば手術台の上に寝かされていた。

 NSW社の研究施設だということは、後々聞かされた。

 

 強張る手足をどうにか動かし、リハビリ室にある大鏡の前に立つ。


――誰、だ……?


 それは明らかに自分ではなかった。

 まだ所々巻かれていた包帯を毟り取ると、大変見事な縫合技術ではあったが、張りぼてのような己の姿に奇声を上げる。

 左右の瞳の色は微妙に違っていた。一つは血の様な赤。もう一つは……。




「――ああぁあああぁあああぁっ!」

「なっ?」

 突然でたらめに乱射し始めたピーターに、貴翔だけならず丹花とアリスも驚愕する。

「誰だっ! 僕に干渉してくる奴は!」

 悶え苦しむピーターに驚いた誓鈴ヌエが翼を動かしたため、黒い羽が操縦機材のそこらじゅうに舞い散った。

 なぜ彼が突然暴走し始めたのかは、貴翔たちには皆目見当もつかなかったが、とにかくこのチャンスを逃すわけにはいかない。

 のたうつようにような動きのマガツヒを回避しながら、施設の最深部を目指す。

「ぐっ……このぉっ、逃がすかあぁあっ!」

 前髪で覆われた右目を片手で押えながら、鬼の形相でピーターは我に返る。

 だが、目標はピーターを倒すことではない。爆弾を仕掛けてしまえば、自分たちは当初の作戦を完遂出来るのだ。

「お二人とも、私が殿を務めます!」

 アリスは先輩であったピーターの様子をしっかりとメインカメラに捉えながら進言する。

 彼女の申し出に丹花と貴翔は同意し、手早く作業に取り掛かる事にした。

 本当ならば彼女一人にあの怪物のような敵を相手取るなど無謀であったに違いないが、今はそうするしか方法がない。

「……アリス、そうか、その機体……くくく、ダナン本人ならいざしれず、お前なんかが扱えるものか!」

 肩で息をしながら、呪いを含んだ言葉が絞り出される。

 アリスは恐怖に負けぬよう自身を奮い立たせるため、隣のバルムンクに話しかけた。

「大丈夫よ、貴方の大切な主の機体を、無駄になんかしないから」

 バルムンクは静かに頷くと「来る」と一声鳴いた。

「あはははっ! お前はただ殺すには惜しいよ! そうだ、辰巳の土産にその顔引き裂いて、死体を送りつけてやる!」

 酷く悪趣味な発想に、普段誰にでも分け隔てなく温和に接するアリスにも、悪寒と共に嫌忌の気持ちが生まれる。

 叩きつけられるように撃ち込まれる弾を避けながら、或いは後ろの味方を庇い、頑丈なアズライールの翼の盾で弾きつつヒートシャムシールで応戦した。

「うっ……くっ!」

 凄まじい衝撃がコックピット内を震わせる。

 いくら頑丈とはいえ、翼の耐久力にも限界がある。ほぼ防戦一方のこのままでは間違えなく翼ごと撃ち抜かれてしまう。

「アリス、飛ぶ。ここ、広い」

 バルムンクが片言ながら指示を出す。

 しかし、飛行タイプの扱いに慣れていないアリスは当然戸惑った。

「飛ぶ、任せる。アリス、隠れる。時間、稼げる。大丈夫、大丈夫」

 宥めるような優しい声音に、彼女は勇気を貰えた気がした。

「分かった、翼は貴方に任せる!」

 瞬間、アズライールの翼にバルムンクの意思が伝動する。

「逃がすかっ!」

 天井高く飛び上がったアズライール目掛け、ピーターは操縦桿を倒す。

 彼が放った一撃はしかし、並べられたイブリーズらを貫いただけであった。

 なおもしつこく追いすがるが、アズライールの回避に徹した動きに、障害物があっては尚更当たらない。

 ピーターは段々と焦れて来る。

「逃げ回ってばかりでつまらないなあ……だったらっ!」

 苛立った彼の銃口が向けられたのは貴翔の機体、ラファエルであった。

「しまった……っ!」

 アリスが再度敵の気を引きつけるにはもう遅い。

「瑛っ!」

 丹花の叫び声に、貴翔がメインカメラを振り向けた時、大きな塊がマガツヒに向って体当たりする。

「ぐあっ!」

 突然の衝撃に、ピーターの標準はずれ、弾は的より明後日の方向に飛んでいく。

「レニー、なぜ戻って来たのですかっ!」

 捨て身とも取れる行動だった。

 レニーの操るイスラフィルはそもそも後方支援機である。それにも拘らず直接接近戦を挑むとは、彼女の性格からしても予想だに出来なかった。

「隊長には状況を伝えて来ました! 皆さん、今のうちに早くっ!」

 丁度貴翔は最後の爆薬を仕掛け終わっていたが、レニーを囮に自分たちだけ逃げ出すわけにはいかない。しかし――

「ああ、うざい……。退けよ、退けって、言ってるだろっ!」

 ピーターは逆上した勢いに任せ、イスラフィルを乱暴に投げ捨てると、躊躇なく銃口を構える。

「やめてっ!」

 アリスは必死にマガツヒに喰らいつくが、片腕で塞がれてしまう。

「レニー先輩っ!」

 丹花の位置からはどう考えても間に合わなかった。

「皆さん、どうか……ご無事で」

 彼女は壁に投げつけられた衝撃で朦朧としていた。それでも、隣で気を失っている誓鈴サズに、辛うじて指先が届いく。

 最後に口にした言葉は感謝だったか、それとも謝罪であったか……。カナリアはもう二度と歌を紡がない。

「そんな……嘘……」

 丹花は放心し、アリスは咽び泣く。

 貴翔は動かないイスラフィルに目を伏せ歯噛みした。

 自分の想像力があまりに貧困だったのだ。

 彼女は自分が無力で臆病な事を、人知れず恥じていたに違いない。それがまさか、こんな形で現れるとは……。

――すみません、レニー。私はもっと貴女の事を知っておくべきでした……。

 周囲には悪魔のような高笑いが響き渡っている。己の勝利を確信したのだろう。

「次こそはお前の番だアリス――っ!」

 だが、その科白にマガツヒの行動は伴わなかった。なぜならば、がくりと姿勢を崩したかと思うと、膝を折るように停止したのだ。

 貴翔はその隙を見逃さなかった。

「撤退します!」

 彼の感は当たった。

「う、うがぁああああぁああっ!」

 ピーターは忘れかけていた、あの訳が分からない苦痛に再度苛まれたのだ。

「待って瑛、レニー先輩をっ!」

「丹花……」

 貴翔はイスラフィルに近づこうとする彼女を止めた。

 沈黙した機体の中央、すなわちコックピットがあった場所には、深々と無残な弾痕が残っている。とても回収出来る形で、遺体が残っているとは考えられなかった。

 貴翔の無言の訴えに丹花は気づいたのか、力なく肩を落とす。

「くっそぉ……、くそぉおおおぉおお!」

 ピーターはまたもや意味不明な乱射を始める。

 アリスはマガツヒに一矢報いようと反撃を試みるが、丹花によってそれは制止された。

「――っ、どうして!」

「レニー先輩の望みは何だと思う?」

 丹花の操るラグエルが放った流星錘は、的確に敵の手を打ち払い、銃を落とすことに成功する。

「それは、私たちが生き残る事。……そうでしょう?」

 アリスは息を詰まらせ、下唇を噛んだが、消え入るような声で「……はい」と答えた。

 貴翔は彼女たちを先に出口へと向かわせると、普段ならば信号に使う煙弾を、マガツヒ目掛けて発射する。

 煙はただの岩のようになったイスラフィル諸共、周囲を包みこんだ。


「……なぜだ、どうして、こんなに苦しいんだ……。誰だ……、誰なんだ! 体が……全身が千切れ飛びそうだっ!」

 割れんばかりの頭を抱えながら、ピーターの瞼の裏に微かな、まるで稲光のような早さで、とある人物の顔が映りこむ。

「そうか……分かったぞ。お前か、この不快感は、お前だったのかっ!」

 ぐっと巨大砲塔の付いた得物を、今度は明確な意思を持って天井へと向けた。


「隊長!」

 三人が駆け戻って来る姿に安堵しつつも、もう一人いない事実に、エルンストは彼らの雰囲気と長年の感で気づいてしまった。

「……首尾はどうだ?」

 そのため、彼はあえて今は、ただ淡々と作戦の遂行状況を尋ねた。

「どうにか仕掛けて来ました。今から起爆しますので離れてください」

 貴翔が操縦桿の隣に配置された起爆スイッチを押し込む。

「レニー先輩……」

 先ほどまで押し込めていた滴が、爆音の轟きに紛れ、丹花の頬を伝う。

「……あれは!」

 唐突、アリスが空を見上げ大声を上げる。

 目線の先には爆風と共に一つの筋が、隆起した地面から突きあがるように飛んでいく姿が捉えられた。

「マガツヒ!」

 なんと強固な装甲だろうか。あの悪魔の機体は、幾重にもなる爆発をものともせず、施設の天井を打ち抜き脱出せしめたのだ。

 呆然とする三人を庇うようにエルンストは前へ出たが、相手はこちらを見向きもせず、そのままどこかへ去って行ってしまう。

「あちらの方向は……」

 貴翔の背筋にはなにやら冷たく這い上がる感覚が走る。

「奴の次の目的地も国会議事堂か……」

 エルンストも気づき、思わずぼやく。

「そんな! 早く追いかけないと!」

 アリスは飛行能力で追いかけようとするが、そんな無謀をエルンストが許すわけもない。

「お前たちは良くやった。今はとにかく、素早くエネルギーの補給作業と、自身の休息に努めろ」

「隊長、行かせてください! 私たちは、もう誰も失うわけにはいかないんです! 必ず追いついてみせます!」

「それで、貴様も死ぬか? 急いては事を仕損じる。敵と対峙した時に動けなくなったらどうする? 無駄に命を落とすだけだぞ」

 もっともな事を言われ、アリスはそれ以上何も言い返せない。彼女たちは、諦めるしかなかった。

 

 一旦テントに戻ると、レーダーを観測していたダナンの顔色がどうも優れない。

「ダナン、どうしました? 気分が悪いなら横になっていてください」

「いや、そんなことはしていられない。これを見てくれ」

 観測情報を投影する画面には、二方向から何らかの物体が、こちらにむかって進行してくることを示していた。

 さすがに貴翔も青ざめる。当然だ、数は双方とも小隊レベルで、少なくとも併せて二十兵員くらいはいる。

「敵の伏兵、ですか……。この数で挟み打ちはさすがに降伏、ですかね……」

 貴翔は眉間に皺を寄せ、パイプ椅子に座りこむ。

 もちろん、彼とてここまで来て白旗を上げる事など良しとしなかった。だが、レニーの死という出来事が、彼に疲労感を与え、仲間の命だけでも助けなければならぬという方向へ思考を傾けていたのは確かだ。

 するとその時、通信機が赤いランプの点滅で受信を告げた。

 敵の降伏勧告だろうか、レニーと共にイスラフィルを失った今、こちらの位置を傍受されていてもおかしくは無い。

 まるで鉛でも付けたかのように重く上がらない腕を、何とか伸ばしヘッドフォンを被る。すると――

『貴翔! ダナン! 君たち無事かっ?』

 いきなり飛び込んできた声に、貴翔は驚き数秒応答するのが遅れた。

『おい?』

「あ、いえ……すみません。無事……とはとても言い難いですが、何とか私もダナンも生きています」

『そうか……こちらディック、遅くなってすまない。学長命令で後輩たちも含め、使えそうな連中かき集めて応援に来た。それと、そこにアリスって子はいる? 彼女のアンジェクルス、誓鈴もセットで持って来たぞ!』

 思わず貴翔は笑い出しそうになってしまった。

 今やアルバート学長とて戦闘の真っただ中であろう、こんなに根回しの良い話があるだろうか。今までの虚脱感が嘘のように晴れ渡って行く。

 おまけにクーデターのおかげですっかり地球軍の基地に置きっぱなしになっていたアリスの機体、アマテラスをも無事奪取してきてしまうとは恐れ入る。

『クーデターの連中は次の場所に総移動したみたいで、基地は蛻の殻だったよ。ぽつんと彼女の機体だけ残っていた』

「そうでしたか、ともかく助かります。早速で申し訳ないのですが、貴方達とは逆方向から敵と思われる信号が見て取れませんか?」

『ああ、分かってるとも。補給物資も輸送してきた。大丈夫、任せてくれ!』

 あの車の飛行操作におっかなびっくりしていたディックが、こんな頼もしい人物だとは知らなかった。

 一気に安堵した表情になった貴翔に、周りの仲間たちもほっとする。

 だが、続いての受信通知に、一同はぎょっとした。

「貴翔……俺に取らせてくれ」

 何かを悟ったように、ダナンが申し出る。

「良いのですか?」

「ああ、これは俺が決着をつけなくてはいけない問題だ」

 そんな体でどうしようというのだろう。貴翔は喉までそう出かかった思いを飲み込んだ。

 自分で責任を果たそうという親友に、余計な心配は不用であろう。

 貴翔はすっとヘッドフォンをダナンへと手渡した。

「……ナジブ兄さんだろう。俺だ」

『やはりダナン、お前、そこにいたのか……』

 今まで耳にした事のない声音が返って来る。静かに地を這うようなその声は、普段気さくだった兄からは想像の出来ぬ怒気を孕んでいた。

『お前は良い子だと思っていたんだがな。ここまで聞き分けのない奴だったとは……あまり失望させてくれるな』

「兄さんこそ、掲げている言い分こそ御立派だが、どうにも中身が伴っていないように思えて仕方がない」

『……なんだと?』

 “この国は狂ってる。英雄【メシア】なんていう幻影を国民に見せ、そのくせ政府高官が甘い汁を啜っている。”確かにナジブはそう言ってダナンを説得しようと試みた。だが、その兄の言葉は、彼にとってとある意味にしか捉えようがなかった。

「貴方達は本当のところは“政府高官”ではなく“自分たちこそが甘い汁を啜っていたい”のでは?」

 その証拠に、父を初めとし、この計画に賛同する者、即ち兄の腕にも“我らの血族は永遠なり”という刺青が彫られているのだ。

 土地を元々納めていた有権者であり、代々の血筋である者こそが、世の富の頂点となるべきである。つまりはそういう考えであることに違いないのだ。

「兄さん、貴方達の掲げる正義感は単なるエゴイズムだ。自分たちさえ裕福ならそれでいい、そのためになら他人が戦争に巻き込まれたっていい……それでは私腹を肥やす政府高官の連中と何が違うっ!」

 兄弟に向って怒鳴ったのは初めてだったが、それこそがダナンの家族に対する訣別の証しだった。

「決着をつけよう兄さん」

『……いいだろうダナン。今度こそ生かしてはおけないが、いいな?』

「望むところです」

 そう言って通話を終わらせてしまったダナンに、貴翔だけならず、周りの皆が動揺を隠せない。

「貴様、一体何をしようと言うんだ?」

 言葉を失う貴翔に変わり、エルンストが尤もな質問を投げかける。

「そのままの意味です。――アリス、君の機体は間もなく到着する。そうしたら貴翔たちと一緒に国会議事堂へと向ってくれ。アズライールとバルムンクはここに置いて行くんだ」

 当然アリスは困惑した。

 勿論自身の機体には乗り換えるつもりだ。その方が十分なパフォーマンスを生み出せる。

 しかし、アンジェクルスと誓鈴を彼に明け渡したところで、まともに乗りこなせるはずがなかった。

「ダナン、お願いです。貴方まで無茶をしないでください! 学長は“死ぬな”と御命令を下さったんですよ? ただでさえ、私は彼女にその命令を全うさせてあげられなかったというのに……」

「貴翔の言う通りだ。どうしてもディック達だけでは不安だというなら、俺もここに残る」

 貴翔とエルンストに猛反対されつつも、ダナンは頑なに拒絶した。

「いいえ、隊長は引き続き貴翔たちと行動を共にしてください。――貴翔、あの人に引導を渡さなくてはならないのは俺自身だ。どうか、ディック達には俺の体の事は詳しく言わないでいて欲しい。誓って足手まといにはならない、頼むっ!」

 仮に、彼が自身の傷の痛みを我慢し続け、戦えたにしても、ダナンはそれこそ血の繋がりがある兄をその手で屠らなくてはならない。

 そんな酷な事は、彼が強く望むにしろ、強い責任感からでも、けして貴翔はやって欲しく無かった。

 もしそれが実行出来てしまったら、元来優しい彼は壊れてしまうのではないか――そんな危うさすら感じるのだ。

「ダナン……」

 貴翔が答え捲ねていると、エルンストが隣で深い溜息をついた。

「まったく、若い奴らは無茶が好きで困ったものだな」

 言いながらエルンストは、ダナンの手に一つだけ中身入りの注射器を手渡した。

「これで痛みはしばらくの間忘れられる」

「――っ! 隊長」

 思わぬエルンストの行動に、貴翔は戦慄いた。

「もはやここで揉めている時間はない。国会議事堂に行く者は俺について来い」

「ならば私はここに残ります!」

「貴翔っ!」

 ダナンは無事な方の手で、貴翔の肩をぐっと掴む。その力は少し痛いほどだ。

「お前は、お前の兄さんの元へ行ってやってくれ」

 真っ直ぐ深い海の様な瞳で見つめられ、貴翔は続く言葉を落としてしまったようだった。

 しばらく下を向いていたが、ここで決断しなければ、エルンストの言う通り悠長に構えている場合ではない。

 貴翔はぐっと何かを我慢してから、ふっと息を漏らすように口を開いた。

「こんなわがままで死んだら、絶対許しませんから……」

「すまない、貴翔。ありがとう」


 ディック達が運よく敵よりも早く到着したことにより、貴翔たちは国会議事堂へ向う前に、エネルギータンクと食糧を受け取る事が出来た。

 ダナンはというと、ディック達に姿を見られないよう、すぐにアズライールに乗り込むと、薬を打っても言う事を聞かない手足片方ずつを、それぞれ操縦桿とフットペダルに余っていた包帯でもって括りつけた。これで手なら手首の、足なら足首の上からの動きだけで、何とか動かせるはずである。

 使えない方の指先で扱わなくてはいけない操作は、バルムンクに委任してもらうこととした。

「……付き合わせて悪いな、バルムンク」

「主、気持ち、同じ」

 誓鈴の言葉にダナンはふっと笑みを漏らす。

 後方には、今しがた貴翔たちを乗せ飛び立った輸送機が見えた。それを背中で見送ると、ダナンはディックに話しかけた。

「ディック、お前には俺の右を任せた。ついて来てくれるか?」

「もちろんだ! けど、どうしてモニター画面がノーイメージのままなんだ? 内部カメラの故障か?」

 勿論、ダナンが自身の状況を知らせないために、わざとカメラをオフにしているのだが、色々と言い訳を考えるのも面倒なので、ディックの想像のままにしておくことにした。

「先輩! 自分たちは?」

 量産機型の主天使級で降り立ったのは、なんとライオネルであった。

 フィッツをいじめていた頃とは見違えるほど、澄んだ瞳をしている。

 随分と変わった彼に、ダナンは感心した。

「そうだな、一年生は後何人いる?」

「はっ、メルレインとリューベックの二名がいます」

「そうか、では君たち三人は固まって行動するように。必ず三対一になるように敵と戦うんだ」

「了解っ!」

 残りのこちらの兵員は二年生が二人、ディックとダナンも併せて七人。

 丁度演習戦の生徒会の人数と同じであり、動きは把握しやすい。

 だが、敵はもはや目と鼻の先であった。あとは戦いながら指示を飛ばすしかない。

「まずは敵の正確な数を把握する! 合図を出すまで絶対に一人で飛び出すな!」


 ダナンが号令を発している頃、輸送機の中でしばしの休息をとる貴翔は、そわそわとし、軽食もなかなか喉を通らなかった。

「瑛、大丈夫? せめてこれだけでも……」

 丹花はゼリー状の栄養剤の袋を彼に手渡すと、隣のシートへと腰掛ける。

「彼なら大丈夫よ。皆がついているもの。養さんだってきっと……」

 貴翔は彼女の言葉を、どこか薄ぼんやりと聞いていた。

 大切な者は、どちらか片方しか選べないのだろうか。だとするならば、己のこの選択は合っているのだろうか。

 自信などなかった。その選択のミスで、自分は先ほど、一つの命を手から溢してしまったではないか。

「瑛、私たちは貴方の選択に最後までついて行くわ。だからどうか迷わず、後悔なんてしないで。それだけは約束して頂戴?」

「……丹花」

 確かに、迷いは判断力を鈍らせる。しかし、いまいち浮上して来ない貴翔に、上から落ち着いた大人の女性の声が降って来る。

「貴翔くんに良い事教えてあげようかしら?」

「――ドリス教官っ!」

 うふふと口元を可愛らしく押さえる彼女は、まるで緊張感などないようであった。

「君は囲碁が得意だったわよね?」

「は、はい……?」

「だったら分かるでしょ? 石を置く側は、その時一番いい手を予想して打つの。その中で助けられない石が出てくるのは普通よね?」

「……それは、多少の犠牲は気にするなと言う事ですか? 頭では分かっていますが、そう簡単に割り切れるものでは……」

「そんな身も蓋もないことじゃないわ。私たちは当然、ただの石っころじゃない。自我を持つ人間よ。ピンチだって、力があれば生き延びられる。だから、貴方は自分の立てた作戦にこれからも自信を持って。それをより良い形で実行出来るかは、個々の力量に頼るしかないのよ」

 それはどんな優れた指揮官も同じと、ドリスは言う。

「だからね、一人ひとりを気遣う事は大事よ? けど、近い手だけ見てたら視野が狭くなって相手の先手が読めない。だったら、貴方は一番に何をすべきかしら?」

 貴翔は俯き加減のまま「……皆を信じて、作戦を託す事です」と答える。

「よろしい。物分かりがいい子だと、教え甲斐があるわね」

 教官によしよしと頭を撫でられ、貴翔の今まで張りつめていた心が、多少和らいだ気がした。

 丹花は人知れず、やはり教官には敵いそうにないと苦笑する。

「さ、そうと分かったら、目的地に着くまでに少しでも寝ておきなさい」

 彼女の指示に、貴翔、丹花、アリスの三人は、素直に従った。

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