第二章「アンジェ学科戦禮コース」(1)
Ⅰ
その朝、春らしい爽やかな陽気に包まれた大空の下、聖ユグドラシル男子士官学校の講堂は、入学式の厳粛な空気で満ちていた。
三年と二年の学生たちは、後輩たちを向かい入れるため、制服とは別の指定された正装に身を包んでいた。かっちりとした純白のベレー帽に、丈が長めの同じく純白のケープを纏い、それらには金糸の刺繍が施されている。なんとも荘厳な様相に、新一年生の身も自然と引き締まった。
新一年生の証である花のコサージュを制服の胸に、講堂に入場を開始すると、先輩たちの堂々とした校歌も同時に演奏される。
我らは望む 我らは望む
遥かなる宇宙の
大河に見えし英知の光を
尊き御身のその双翼に
我らの大義を乗せて
永遠に輝く光となれ
十字の誓いを皆の胸に
サンクタ ユグドラシル
ロード メシア
我らは祈る 我らは祈る
悪しき者に立ち向かいし
英雄の血を分け与えたまえ
雄々しき御身のその力に
我らは習い仰ぎみる
永劫に導く光をへて
天使の願いを皆の胸に
サンクタ ユグドラシル
ロード メシア
男性二部合唱の迫力が、音圧となって耳から脳にまで響く。その伴奏である舞台奥のパイプオルガンを弾いているのは、クレールス・ユリウスだ。
新一年生がそれぞれ席の前で整列し終えると同時に、音楽が鳴りやむ。静かにユリウスが立ち上がり、教壇の前に歩み出た。貴翔が舞台袖のマイクスタンドをオンにする。貴翔の合図で皆が一斉に壇上に向かい敬礼し、そして着席した。ユリウスは穏やかな顔で、恒例の挨拶をする。
「皆さん、おはようございます。入学式に相応しい、大変恵まれたお天気ですね。これもひとえに、英雄メシア様が、皆さんのご入学を、心からお望みになった証でしょう。退廃する地球を救うべく、御降臨なされた尊きお方に、今日も心から敬い、祈りましょう」
在校生たちが左胸に右手の平を乗せ、それを流れるような動きで額の前に持っていき、拳を作り添える。これが偉大なる英雄に捧げる祈りの作法である。一年生もそれに習う。
「次は学長からのお話です」
緊張など一切感じさせない貴翔は。明朗な声で司会をこなす。その声で学長ことフィッツの父、アルバートはどこか慣れない様子でユリウスと場所を交代する。
「えー……。今年から学長に就任しました。アルバート・オブ・キャテリー・グローリアスです。どうぞよろしく」
気持ちを落ち着かせるためか、ふうと一息つく。
「さて、何を隠そう私はこの学園の出身者です。つまり、君たちの先輩になるわけですが、ずいぶんと様変わりしている部分もあれば、まったく変わらないものもあり、懐かしいやら物珍しいやらで、なんだか不思議な気分です。君たちはこれから軍人のエリートとして、能力を磨かなくてはいけません。卒業次第、君たちは戦場の即戦力、あるいは抑止力になる義務があります。人の上に立ち、指揮する立場の重さを常に忘れず、立派な士官に育つことを望みます。これから厳しい教練、授業がたくさんあることでしょう。しかし、それにめげずに学生時代を、どうか謳歌してください。十代にしか出来ない、大切なことが必ずあります。君たちには是非、それも生活の中で学び取っていって欲しいと願っています。君たちは軍人の前に、一人の人間なのです。そのこともどうか忘れず、心にとどめて置いてください」
在学生はその言葉に、少し意外そうな表情を滲ませた。このような人間臭い話は、前学長は一言も話さなかったのだ。寧ろ「貴様らは地球を反逆者から守る、言わば兵器だ。個々を捨て、日々の鍛錬を怠ってはならぬ」というのが口癖であった。それに比べれば、アルバートの言葉はどこかぬるさすら感じる。そんな父の“らしさ”に密かに微笑むフィッツの隣には、今にも眠りこけてしまうのではないかというほど、いつもの覇気がない竜也がいた。
「ちょっと、大丈夫?」
「……んあ、ああ」
実のところ、二人は昨日の食事会後、アスカの部屋に連れて行かれ、結局最後まで映像作品『サムライ魂の歴史上下巻』を見せられたのだ。
フィッツは疲れもあってか、途中で、というより大分見始めの段階で夢の世界に誘われていた。が、傍らで天使のような顔をしてすやすやと眠りにつく親友を尻目に、竜也はこのなんとも突っ込みどころの多い映像作品に遺憾の意を表した。
面白おかしく編集されたこの手の映像作品は、フィクションやでたらめも多く、日本地区出身の人間にはなんとも不快な違和感を生じる場合が多い。(例えば、街並みがどう見ても香港地区や台湾地区のようで、さらにちょんまげの侍がなぜかそりのない日本刀紛いの剣を持って、カンフーのような足技を繰り出すという、なんとも奇天烈な展開……とかである)竜也は日本文化について、先輩であるアスカに対し律義に講義していたところ、時間はあっという間に過ぎ、全学生に向けて朝の起床放送が早朝6時を知らせた。
青ざめた竜也は慌てて眠り姫状態のフィッツを叩き起す。
よりによってアスカの一人部屋は二年生棟の最上階であったため、寝ぼけたフィッツの腕を鷲掴み、エレベーターに最速で駆けこんだ。
自室に戻った竜也は、さっさと雷神とルナに餌と水をやり、のろのろと着替え始めたフィッツを確認した後、シャワーを浴びながら歯を磨き、制服に着替えてからヘアブラシをかけるのもそこそこに、なんとか食堂に滑り込んだ。その間、わずか三○分。時間を過ぎてしまうと、朝食を取らずに登校する羽目になるので、竜也は我ながらよくやったと思う。
しかし至極当然な話だが、案の定寝不足が祟って、大事な式の最中だというのに、地獄のような眠気が襲ってくる。
それもアスカとて同じ目に遭っているだろうと思えば胸もすくというものだが、憎々しくも彼は徹夜することなどお手の物らしく、まったく理路整然とした態度で式に参加していた。生徒会役員席の並び、つまり舞台袖のすぐ下、右端最前列に、いけしゃあしゃあと背筋を伸ばし座っているのである。その垂れ目のハンサムな面構えに、横っ面を引っ叩いてやりたくなるが、自分も昨夜つい熱弁を揮ってしまった非があるため、ただただ苦々しく思うだけに止まった。
舞台袖からダナンが昨日車で運んでいたジュラルミンケースを持ってくる。学長の横の台に乗せ、蓋を開くと、そこには色とりどりのロザリオが入っていた。
「それでは、これから学長からロザリオを授与します。新一年生は一列ずつ前へ出て、名前を呼ばれたら舞台へ一人ずつ上がってください」
眠気を吹き飛ばす貴翔の声に、肩がぴくりと反応する。
講堂に集まる前に、一年の教室にて、すでに大まかな式の流れは生徒会役員のヨハンから教えられている。なので、特に問題はないのだが、いまいち本調子でない竜也は微妙に不安を覚える。ロザリオの受取り方を脳内で復習しているうちに、目の前のフィッツが呼ばれた。
「はいっ」
しっかり返事をして敬礼する親友の姿を観察する。学長の教壇前に真っ直ぐ進み、左足を九〇度前へ向け、それに右足を合わせた。学長に頭を下げ、金細工に青い石が埋め込まれたロザリオを首に掛けてもらう。励ましの一言を学長から賜り、一歩後ろに下がって再び敬礼し、反対の舞台袖へ下りていく。竜也は小さく深呼吸をして、フィッツを真似ることにした。こういうことは抜かりなく覚えている親友には感謝だ。
「天野竜也」
「はいっ」
教壇前に進み出ると、人の悪い笑みで顔を見られた。
「さっそく学生生活を楽しんでいるようだね。その調子で勉強にも励むように」
「……はい」
アルバート学長にウインクされ、ばつの悪い表情のまま、舞台袖を後にする。先に席で待っていたフィッツが笑いを必死に堪えていたので、竜也は照れ隠しに肘で小突いてやった。恐らく、いや、間違いなく他の学生にもマイクを通して学長の小さな皮肉が聞こえていたのであろう。その証拠に、貴翔のこちらを窺う冷たい眼差しが直視できない。身から出た錆とはいえ、その後は実に肩身の狭い時間を過ごす事となった。ダナンが学生代表として、何やらありがたい先輩から後輩たちに送る文章を読んでいたが、あまり内容が頭に入らなかった。
入学式のプログラムが一通り終わると、講堂からぞろぞろと学生の集団が列をなして外へ出てくる。竜也はやっと終わったとばかりに、ずっと我慢していた欠伸をした。
「はいは~い、それじゃあ、これから学科別に分かれてねぇ~。学科の旗持った先輩たちがいるから、その前に集合。ちなみに僕のところはアンジェ学科だよ~」
拡声器を通して、アスカが順々に学科を読み上げる。
聖ユグドラシル男子士官学校の学科は全部で四学科あり、アンジェ学科、普通学科、兵器学科、衛生医療学科である。竜也とフィッツ、それに生徒会の面々は、実は皆アンジェ学科の学生である。二人は昨日の食事会で色々と先輩たちの事を聞かされたのだ。
「みんな集まったかなぁ? これから全員集まったか確認するから、二列に整列してねぇ」
アスカはアンジェ学科の旗を振りながら、二列揃ったのを確認し、それからハンディタイプのスキャナー機を持って、一番前からロザリオをスキャンし始めた。
学長から配られたロザリオは、どれもデザインが異なるが、中にはマイクロチップが埋め込まれており、スキャンすると、持ち主の個人情報が分かる。いわゆるドックタグと同様のものであった。学生証とは異なり、わざわざカードリーダーを通す必要がないので、アスカは手早くスキャナー機を翳していく。機械の中にはあらかじめ学生数が登録されているので、足りない学生がいれば直ちにエラー音と共に学生名が出てくる仕組みになっている。幸い全員いたようで、そのエラー音は聞かれなかった。
「え~、ではでは。アンジェ学科の君たちはクレールス・ユリウスのお話を聞くことになるので、チャペルへ向かうからね。はい、んじゃ出発~」
それぞれの学科ごとに移動を始める。竜也たちはチャペルに入り、指定された席に順序良く座って行く。
チャペルの内部は外見よりも装飾美で溢れていた。薔薇窓を中心に、周りに広がるステンドグラスには、政暦伝書で語られている、英雄が起こした奇跡の数々が、物語の時系列順に描かれている。天井画には英雄メシアの誓鈴と言われている白鳩が飛び交い、光と共に苦しむ人間たちを救っていた。その光の出所を辿っていくと、真正面の一際大きなステンドグラスに英雄メシアの具現化の形、十二枚の白い翼を持ち、騎士のような甲冑に身を包んだ純白の人物。男か女かすら分からないが、黄金に輝く長い髪が印象的である。目元は兜で伏せていて見えないが、このように描くのが伝統的であった。英雄の持つ双剣は神々しく鋭利で、金や宝石で彩られている。ガラスを通って入ってきた日光が、壁の彫刻を一層引き立たせる。鳩の彫像は、強い光の分だけ、濃い影を落とし、より本物のように立体的に浮き出る。今にも飛び出して行かんばかりのリアルなディティールだ。
英雄信仰のバイブル、政暦伝書の発行総取締役であるクレールス・ユリウスが勤めているとは言え、あまりの豪奢な作りに、フィッツが竜也の隣で、思わず感嘆の吐息を漏らす。
「ユグドラシルのチャペルは凄いって聞いてたけど……」
「ああ、さすが英雄信仰の総本山だな。俺はなんだか寒気すら感じる」
そんな会話をしていると、ユリウス本人が壇上へ上がり、咳払いを一つした。少しざわついていた周りの学生も、すっと静まる。
「皆さん、本日は誠にご入学おめでとうございます。アンジェ学科、とくにその中の戦禮コースに入れる人は限られています。貴方たちは、これから前期の中間テストまでに授業で個々の能力の研鑽に励み、一人でも多く、英雄メシアのご加護を賜れますことを、心から祈っております」
戦禮コースとは、要はパイロットコースであり、アンジェ学科の中でも花形のコースである。
戦禮とは、戦う器の意味を持ち、さらにそれは英雄メシアによって戴冠される名誉だとされている。
パイロット、即ち戦禮者は、戦禮名を戴いた者のことで、前期中間の特殊能力テストで合格すると、初めて戦禮名が貰え、誓鈴候補生が正式に誓鈴となり、例の言葉を発する鈴、誓鈴の証を授与されるのだ。
卒業後戦禮者は実践戦闘のエリートとされ、即戦力になる。さらに武勲を重ねれば、アンジェクルスの戦艦型、熾天使級の艦長となれる未来が約束されており、まさに若い士官たちにとって花形の役職なのであった。
それゆえ、憧れる者も多いが、実際のところ動物との相性、戦術的能力、個々の戦闘力など、総合評価のためなかなか難易度は高い。アンジェ学科に入ったほぼすべての学生がそこを目指すが、結局エリート街道を進めるのは、そのうちの半分である。
また、アンジェクルスを製造しているSW社は、人型アンジェクルスの量産はすでに行えているものの、新製品の研究に余念がない。一年に二機ずつ、新型のアンジェクルスを三校の士官学校に寄贈している。つまり、一年に一校で二人ずつ、選ばれた者がテスト戦禮者として新しい人型アンジェクルスを動かせるのだ。これはさらに花形を目指す学生たちの目を輝かせる要因となっている。
ちなみに、戦禮コースに残念ながら入れなかった者は、普通科と同様、または高射特コースとなり、艦のオペレーターや砲撃手、後方支援などに卒後配属されることが多い。
「私はこれから歴史の授業を担当いたします。休み時間や放課後はカウンセリング室も開いていますので、なにかお悩みがありましたら、是非ここにいらしてくださいね。ふふ、お茶だけしに来る学生もいますが、もちろんそういった雑談などでもかまいません。チャペルはいつでも開いていますので、どうぞお気軽にいらしてくださいね」
柔和な笑顔で語るユリウスは、学生たちの心の拠り所なのだという。優しい彼の人柄は、厳しい訓練や寮生活で疲れた気持ちを癒してくれる。カウンセリング室は、もはやお茶会広場と化しているらしく、なんだか想像しただけでも微笑ましい。
ちなみにこれらはダナンたちとの食事会で聞いた話なのだが、なんと生徒会の面々は、お茶会はまったく未経験だそうだ。たしかに、カウンセリング室の戸を叩くような精神では、ライバルたちを押しのけ、戦禮コースには入れないのかもしれない。
さらに言うなれば、生徒会は実のところ漏れなくテスト戦禮者である。これにはさすがに竜也とフィッツは驚かされたが、考えてみると、そもそも生徒会に入るには成績最優秀者でなければならない。つまり、テスト戦禮者としても貴重な人材なのである。理にかなっていると言えばそうなのであろうが、一学生たちに権力が固まっているような気がしてならないのが正直な感想だ。
しかし、ここに入学したからには、是非先輩たちを目標にしたいと、強く願わずにはいられない。何しろ二人が目指すところは、父たちなのである。『父親たちのような立派な軍人になりたい』その願いは少年がヒーローに憧れるのによく似ているのかもしれない。それほどまでに、父たちの背中は逞しく広かった。「ところでみなさん、アンジェクルスはどうしてアンジェクルスと呼ぶのか、ご存知の方はいらっしゃいませんか?」
そんなことはたぶんこの学科を志望した者なら誰でも分かるであろう。だが、人数が多いとなかなか挙手するのには躊躇してしまうのが人間の性である。少しぎくしゃくとしながら、フィッツは手を上げた。
「どうぞ、起立してお話してください」
「は、はい。えと、アンジェは天使、クルスは十字を意味しています。英雄メシアの翼が、古代神話の天使に似ていたこと、それに双剣を合わせると十字になり、戦う意を表します。英雄メシアの力を模した兵器なので、アンジェクルスという名前になったと聞いています」
「その通りです。英雄メシアさまの力を、どうぞお貸しくださいという意味合いもありますね。どうぞ着席してください」
ユリウスは満足そうに微笑む。
「かつてこの地球は、多様で様々な文化や宗教、争いの種が散らばっていました。そのため、いつしか核戦争が起き、大地は荒廃し、空が濁り、死の雨が降り注ぐ暗黒の時代が到来したのです。しかしそこに突如御降臨なされたのが英雄メシアです。強大な力は大地と空を清め、慈雨の雨を降らせました。そうしてこの地球は救われたのです。英雄メシアは仰いました。この地を一繋ぎの輪としなさい。そして人々はそのようにして生きるべきなのだと。このお言葉は、地球共同連邦アースラインの由来とされています」
恍惚と語るユリウスに、相変わらず竜也は薄ら寒い何かを感じていた。恐らく異色文化が根深い日系の血が、彼にそう思わせているのかもしれない。
英雄の物語は幼い頃から地球共同連邦の人間ならば誰しも聞いたことがある。だが、どうも竜也は疑り深い性分のようで、昔からなんとも胡散臭い話だと思わずにはいられなかった。
皆が奇跡と讃えている伝承は、果たして本当に出来ることなのだろうかとか、はたまたどうしてその英雄様とやらは人間が勝手に自滅していくのをわざわざ助けたのだろうかなど、根本的な理由付けが欲しかった。フィッツに言わせると「竜ちゃんって結構理屈っぽいよね。みんな仲良くしましょうねって物語なんだから、理由付けとかはいらないんだよ」とのことだが、竜也はいまいち腑に落ちない。妙に現実主義者なのかもしれないが、どうもこういった話は苦手である。徹夜の眠気も相まって、だるさが倍増するような気がした。