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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
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第九章「叛逆者」 (1)

 Ⅰ

「こうして共に食事を摂るのも久々だな、アキラ」

 たった三日の冬休み。その二日目に父親は上機嫌に息子を日本の別邸へと呼び出した。時刻はとうに深夜零時を回ろうとしていたので、正確には最終日の出来事である。

 父ゴットフリートは、息子に予定より早く訪れた出征の知らせに歓喜していたのだ。

 思い返せば生まれて間もない息子を目の前にした時、正直これは長くはないだろうと早々に見切りをつけていた。双子の姉もであったが、それよりもさらに脆弱な肉体に落胆したのだ。

 しかし、今やその息子がエリート軍人への道を歩んでいる。ゆくゆくは自身の退いた地位へと着任し、理想通りの人生を歩んでくれる事だろう。

 あの実験の結果、姉は耐えられなかったが弟は生き残った。双子が一つの命となり、現在を生き長らえているのだから、自身の決断は正しかったのだとゴットフリートは信じてやまない。

 彼の妻は娘の死を易々と受け流した夫が許せなかった。悲しみのままに家を出て行った彼女を鼻白み、彼はとうとう追う素振りも見せてはいない。

 あのまま二人とも細々と意味のない生をどうにか繋ぐよりも、たった片方を犠牲に、もう片方が太く長い意味のある生を授かれるなら、それが最善であるとの考えであったのだから、夫婦の意思が合うことは恐らく永遠と来ないであろう。

 ともあれ、ゴットフリートはその生き残った我が子が、とうとう自分と同じ軍人になる日を大いに喜び、この日はどんなに遅くなっても祝いの席を用意するとしたのだ。

「あいつに言ってやりたいものだ。息子はこうして立派に地球防衛の任に当たることが出来るのだ。お前のやり方では絶対にありえないことであっただろう……とな」

 父は得意気に食卓の向かいに座るアキラへと杯を掲げ、この日のために取っておいたワインを一気に煽って見せた。

「どうだアキラ、これからは上司と部下、父と子として向き合えるのも最後だ。貴様も飲め」

「いいえ、自分はまだ未成年です。日本地区の条例には反しています」

 困ったようにうっすらと笑みを浮かべる青年に、まったく真面目過ぎるが、だからこそ出雲の生徒会長を張れたのだとゴットフリートはごく自然に納得した。

「ところで父上」

 すっと細められた葡萄酒色の瞳は、真っ直ぐに自身の親を見つめる。

「今回軍はなぜ我々のような、まだ技術習得課程途中の士官候補生を戦場投入なされたのですか?」

「そんなことが気になるのか?」

 さも自身の息子ならば分かっていて当然だろうにといった態度で、ゴットフリートは手酌でワインボトルを傾けた。

「なに、心配することはない。実質的な戦闘行為は宇宙軍へ行った奴らにでも任せて、貴様たちは良い子にそれを見物でもしていればいいのだ。地球軍の特進少尉という存在は、言わば軍の宣伝広告塔というだけなのだからな」

「地球での戦闘行為はないと? 孤島演習での敵襲は気に止めなくてよろしいのですか?」

「あんなもの、既存の下士官供で十分対処出来るだろう。貴様たちはエリート中のエリート。将来私と同等の席が約束された人材だ。余計なことは考えず、目上の者が言うことにただ従っていれば良い。それに……」

 ゴットフリートはにやにやとしながら、特別なプレゼントのように、息子にデータ端末を渡した。アキラはそのデータに早速目を通し、いたって冷静に「これは?」と返す。

「なんだ、驚かないのか?」

「いいえ、むしろ予想だにしない技術革新でしたので、データよりも詳しくお聞かせ願いたいと……」

 そう言って見せるアキラに、そうかそうかと得意気に説明を加え始める。

 データには今後のライカンスロープの起用事項が記されていた。それによると、生産性はあっても戦禮者を選ぶ品種である軍用犬を完璧に運用するため、その知能だけを取り出し、アンジェクルスに搭載するという物であった。

 さらに、この技術の優れている点は、戦禮者を必要としない点である。遠隔で行動操作するためコックピットなどは必要なく、全体の小型化も出来たため、運搬においても非常に便利になるというのだ。

「なるほど、これにより無駄な地球軍の軍備と人員が縮小できるというわけですね」

「うむ、そういうことだ」

 納得する息子に頷きながら、レアに焼き上げた肉にナイフを入れる。切り分けたそれをフォークで刺し、口に頬張り、数回噛んだ後ワインで流し込む。

 アキラはその様子を淡々と眺めた後「素晴らしいお考えです」と告げる。だが、すぐにこう続けた。

「ですが、私はもっと素晴らしい方法を知っています」

「ほう? それは……っ?」

 なんであるかを問う前に、ゴッドフリートの視界は突如揺れた。握っていたワイングラスが床へと転げ落ち、割れ砕け、辺り一面を息子の瞳と同じ色へと染め上げる。

「それは、地球軍そのもの……いえ、この世を腐らせているすべての者たちを排除することです。彼らは貴方の提唱する無駄以外の何者でもありません。そうでしょう、父上?」

 冷徹に述べるその声を聞きながらも、体は内側から痛みとも熱さとも分からぬ感覚に蝕まれ、ただ呻きながら無我夢中で掴んだテーブルクロスごと崩れ落ちる。

「いかに元帥閣下と言えど、こうなれば実に無様なものだ」

 ゆっくりと椅子から立ち上がり、床に突っ伏す父に近づくと、アキラは吐き捨てるように言い放った。

「きっ……貴様……なに、を?」

 必死に搾り出した台詞に、とても今まで息子としてこの場に同席していた人物とは思えない冷笑が返って来る。

「簡単なことです。貴方が私と姉に見舞った毒と、同じ物をワインに入れてさし上げたまでのこと」

 瞬間、ゴットフリートは目を見開き、明らかな困惑の色を浮かべる。今まで自身の信じ切っていた正しさを、根底から覆され、裏切られたのだ。

「貴方はその傲慢さで、私から姉どころか、母すらも奪った。知っていますか? 母が家を出て行ってからどうなったのか……」

 アキラは護身用の拳銃を静かに引き抜く。

「死にましたよ。海に身を投げ、自害されたのです。考えてみれば無理もない事です。母はそもそも気の弱い方でした。それでも、私たち双子を優しく愛して下さっていた。音楽を教え、私がヴァイオリン、姉はピアノが得意だと言うと、それは嬉しそうに褒めてくださった。私たちの奏でる曲が好きだと、これからもたくさん聴かせて欲しいと……」

 次々に母と姉の居た時間を思い出しながらも、アキラの顔にはもはや表情と呼べるものは存在していなかった。

 その時、ゴットフリートは人生で初めて恐怖と後悔を覚えた事だろう。他でもない自分自身が、この狂気に満ちた怪物を作り上げてしまったのだから。

「貴方は私のヴァイオリンを手折ったように、母の心をも無残に打ち砕いた。だから……、さようなら父上。あの世に行って母と姉に手をついて詫びろとは申しません。ただ、地獄の底で静かにお眠りください」

 或いは、まともな感情を失っていたのは己だったのか。

 ゴットフリートは眉間を撃ち抜かれる間際、手を伸ばし、何かを最後に告げかけたが、アキラは特に興味を持つことはなかった。

 ワインと混ざりあった血液を一瞥すると、背後に微かな気配を感じる。

 アキラは躊躇なく、扉ごと向こう側の人物を撃ち抜いた。

「ぎゃあぁああっ!」

 品の無い叫び声には聞き覚えがあった。

「貴女もつくづく馬鹿な人だ、シルビア。今さら何をしようというのだ?」

「ひ、人殺しっ! 父親を殺すなんて、あんたは悪魔だ!」

 着用しているカクテルドレスと同色である真紅の血液を太腿から流しながら、女は這いずるように後退り、相手を罵った。

「こんなこと、許されるわけが……っ!」

 にじり寄るアキラを振り切れず、彼女はとうとう壁にまで追い詰められた。

「父と同じ場所に堕ちることは覚悟の上だ。だが、そうまでしてやり遂げなければならぬ使命が私にはある」

「一体、何を……?」

 怯え、震える彼女の唇を奪うと、アキラはゆっくりと銃口をふくよかな谷間へと埋める。

「私は変革を望む。ただ、それだけの事」

 壁に散った彼女の亡骸を見据え、頭痛でも堪えるような動作で、彼は溜息をついた。

「出て行けと、伝えたはずだが……。所詮、父の女だったというわけか」

 それだけ言い終えると、なぜだか自然と笑みがこぼれる。

 今まで自分を縛っていた何かから解放された気分だったのかもしれない。しかし、意外なほどにあっけなかったそれに対して、虚しさも過る。

「……姉さん、もう少ししたらそちらへ参ります。どうかそれまでは……」

 そう言いかけた時、アキラの携帯端末が受信を告げる。

「真梨奈か」

『……はい』

「そちらも終わったようだな」

『ええ、終ったわ……これで、もう……』

 通話する彼女の声は、明らかにこわばっていた。

「泣いているのか。やはり、荷が重すぎたか」

『いいえ、いいえ……っ! 大丈夫です。貴方の革命の礎となれるなら、私は何だってできると、そう言ったはずです!』

 そうは言い切ったが、おそらく彼女の足元にも、政治家の両親が息も無く横たわっている事だろう。

 彼女もまた、お互いに愛人を作り、離婚したはずの彼らが、裏では同じく汚い金のやりとりをしていたことが許せなかったのだ。

 それでも、いざ己自身で決着を付けた瞬間、ことの恐ろしさと罪の重さを自覚してしまったのだろう。

 真梨奈は本来そういった選択をする人間ではない。しかし、彼女はアキラの力になりたいその一心で、自ら血塗られた運命を背負ったのである。

「……そうか、すまない」

『謝らないでください。私たちはこの国を正すのですから』

「君の決意と忠義に感謝する。ありがとう、真梨奈」

 彼女を巻き込むことに、迷いが無いわけではなかった。だが、アキラのそういった心理も汲んだのであろう、真梨奈はすぐに涙を拭い、気丈に振る舞った。

『秩序と真の正義を』

 その言葉を受け取ると、アキラは通話を切った。

「……さて、残すは……」

 拳銃を見つめる瞳は、この世の者ならざる色を湛えていた。それが父から賜った毒、ナノマシンからのものなのか、はたまた、彼自身の内側から溢れ出た怨念によるものか定かではない。

 薄暗い主の部屋で、この屋敷で起きた事件を黙認しながらも、アキラの誓鈴ヤツフサは、片方聞こえていない耳を欹てる。

 黙りこくりながらも、ああ、やはりこうなってしまったかという口惜しさと共に、主の強行でもなければ覆らぬであろうこの国を憂いた。

 せめて己より先に、無残にも脳だけ残して逝ってしまった同胞たちへ、祈りと誓いを捧げた。

――こうして主と共に歩めるだけでも幸せなのだろう。人間のためにと日々鍛錬を重ねておきながら、その人間たちの身勝手で命を落とした英霊たちよ……そなたたちの無念は我々が晴らそう。




 天野家の廊下を、足音高く渡るのは辰巳であった。その後ろを不安げについてくるのはもちろん風神だ。

「主っ! その手紙、いくらアキラ殿からとはいえ、鵜呑みにしては……っ」

「だからこそだ! 伯父上に直接確かめる!」

 辰巳の鳶色の瞳は、いつもより一層吊り上っていた。

 本当はたった三日の冬季休みに、この家に帰ってくる気にはなれなかった。だが、正式に軍人になるのなら、一言だけでも挨拶しておこうと、この最終日に辰巳は真新しい軍服を着こんで帰って来たのだ。

 帰宅の車中、彼は少し忘れかけていたアキラからもらった香袋の中身を改める。そこには、ライカンスロープの脳を直接アンジェクルスに埋め込む技術が発明される前の、実験記録が示されていた。

 公表すれば残虐非道と人々に罵られるであろう、様々な記述があったのだが、その中でも辰巳が注目したのは、ライカンスロープの脳にナノマシンを投与したという項目である。

 辰巳は実のところ、出雲対ユグドラシル戦の後、重症を負った竜也を見舞う中で、キリル少佐と対面していた。

 キリルは学長アルバートの命で、天野家を探ったばかりであったのだが、彼は学長の指示に逆らうわけにも行かず、ただ良心からすれ違いざま、たった一言辰巳に漏らしたのだ。

「伯父殿には気をつけろ」

 この言葉の真意が分からずにいたが、アキラがわざわざこんな形で情報を提供してくれた今なら、辰巳の直感が両者を結びつけた。

 ライカンスロープへのナノマシン投与の記述は実にあっさりとしたものであった。そう、たった一度きり。その一度きりで打ち切られている。その一回がよりによって、自分の父が最後に戦地に赴いた日付の前日なのだ。

――こんな事が偶然なものか……。けれど、伯父上がまさか、そんなっ!

 半信半疑ではあった。だが、一旦火がついた真実を語ってほしいという気持ちは、あまりにも強かった。

「伯父上っ!」

 執務室を兼ねた伯父の部屋の扉を勢い良く開け放つと、伯父はさもいつも通りの様子でちらりと辰巳を確認すると、溜息交じりに書類に目線を戻す。

「騒々しい奴だ。それに、この家に今更何の用があって来た。明日からはお前も正規軍人の端くれだろう。もうお前の世話をする事もないと思えば清々する。早く宿舎にでも行くんだな」

「言われなくともそうします。ですが、その前に聞いておかねばならない事があります!」

 以前の反抗とはまた別種類の剣幕にも関わらず、なぜか伯父には妙な落ち着きがあった。

 そのことに疑問を覚えなかったわけではないが、辰巳にはそちらを気にする余裕などあるはずがない。

「ライカンスロープの様々な研究について知りました。その中に、ナノマシンの投与というのがあります。伯父上、この実験に貴方は当然携わっていましたよね?」

「ふん、どうせ例の小倅から聞いたのだろうが……。まぁ、私がブリーダーである以上そうだな」

 さも当然といった態度に、辰巳は歯噛みする。

「では、その実験を行った日付を覚えておいでですか?」

「そうだな。NSW社からアンプルを受け取った日は……」

 伯父は徐に座椅子から立ち上がると、本棚の前へと移動する。

「ああ、そうだ。丁度あいつが出兵する前日だったか」

 辰巳の心臓は早鐘を打ち始める。

 なぜだか、これ以上聞いてはいけない気がしたのだ。

 これ以上聞いてしまえば、自分の感情が抑えきれなくなる。

 しかし、伯父は悪びれも無く閉ざされていた真実を、特に変わらぬ口調で淡々と伝えた。

「極小さなカプセルが液状の中に入っているとか説明していたな。それがライカンスロープの中で徐々に溶けてナノマシンが滲み出す仕組みだと。人類の英知を超える……とかなんとか。そんなにすごいものならばと、私は――」

 続く名称に、辰巳は全身を粟立たせる。


「――龍一の誓鈴、神威に投与してやったのだ」


 一気に辰巳の体内中の血液が煮えくり返ったようであった。

 気づけば地球軍の標準装備である太刀を抜き、伯父を押し倒し、そして――

「ぐっ……うぅう……っ!」

「……なんだ、殺さぬのか」

 切っ先は伯父の顔ではなく、その真横の畳へと突き立てる形で刺さっていた。

 辰巳は玉になった脂汗を額から落としながら、修羅の様な目つきで伯父を見下ろす。

 寸前で止まったとはいえ、まだその手には刀の柄がしっかりと握りこまれている。

 その様子を少し離れた所から、風神は見守ることしかできなかった。

――主……。

 思えば風神にとっても、この伯父という人物は自身の父親の仇であるのに違いないのだ。

 だがなぜだろう、今にも肺が詰まりそうなほど胸が苦しく悲しいのは……。

「どうして……そんなことを……っ」

 辰巳も同じに違いない。彼の声はどうにか絞り出したものだった。

「……さあな。ただ、悔しかったのだ」

「たったそれだけの理由でっ!」

「辰巳、人間の行動理由などというのは、語ってしまえばそんなものだ。――龍一……あいつは自分の血に半分は父親の、天野の血が流れていると信じていたらしいが、それは違う。どこの馬の骨とも分からぬ妾を父が連れて来た時には、すでにその女は身籠っていた。それがお前の父親、龍一だ」

 もはや、この伯父の語る話が信じられなかった。しかし、初老のその眼差しには、どこか遠くを見据えた、諦めとも取れる悲哀が隠れている。

「龍一は私より優秀だった。天才とはまさにああいうことをいうのだろう。馬鹿なように振る舞ってはいるが、何でもそつなくこなしていた。私はその度に父に比べられ、実の母にはなぜお前が出来ないのだとなじられた。そうなると見返してやるという気力もそぎ落とされ、私はただひたすら、奴がいなくなればどんなにいいかと考えるようになっていた」

「それは……」

 辰巳はそれ以上の言葉を失った。

「父が死に、実の母も死んだ。奴もこの家から出て行き、やっと私は解放された気持ちだった。けれども、しばらくたってお前たちと一緒に奴は何食わぬ顔で帰って来た。だから、奴が私の両親の心を奪ったように、私は物理的にお前たちと奴を引き離してやりたかった」

 実に深い闇がこの伯父には存在していた。しかし、それならばなぜ、辰巳だけでもと引き取ったのだろうという疑問が残る。

 真に心から憎んだ相手の子ならば、野に放てど、自身で育てるなどとは考えにくい。或いは、あの厳しい躾こそが、単なる憂さ晴らしだったというのだろうか。

 辰巳の心理に渦巻く疑問は尽きることはない。

「さあ、殺す気がないならとっとと出て行くが良い」

 しかし、それも伯父の拒絶の言葉で遮られる。

「――っ!」

 何かを言わねばならない。それでも、歯痒くも何一つ喉から外へと出てこない。

「辰巳……、主っ、もういい、行こう。この事実を公表すれば、彼は社会的に消えることになる。己自身の手を、わざわざ育ての親の血で穢すことはない」

 必死に宥める誓鈴に同情を覚え、辰巳はやっとのことで太刀を鞘に納めた。

「……さようなら、伯父上。もう二度と会う事もないでしょう」

 戦慄きそうになる声音を抑えながら、廊下へと出て行く。

 なぜか伯父はそれに自然とついて出て行き、丁度辰巳の背中側へと立つと、先ほど本棚から取ったのであろう一冊の分厚いノートを開く。その中に入っていた小型の拳銃を手に――


「ああ、これで、本当にさようならだ……」


 はっとして辰巳が振り向いた刹那、たった一発の銃声が響き渡った。

 中庭の松の木に止まっていたメジロやスズメたちが一斉に逃げ惑い、池の鯉がぴたりと動きを止め、静寂が辺りを包んだ。

 その中に、どうっと倒れる音だけが、大きく耳に残る。

「……あ、あ……ぁ……」

 その場に膝を折った辰巳が、目を見開きながら一点の光景を凝視する。

 伯父の頭には横から大きな風穴が空き、血飛沫は元居た部屋の床にまで、べったりと広がっていた。

「何とか間に合ったな」

 妙な静けさのあった中庭から声が近付いてくる。

「ア……キラ……先、輩……?」

 彼の手にはロングバレルの付いた銃が握られていた。

「先輩が……伯父上を?」

「ああ、危なかったな」

 確かに、伯父の手には銃が握られていた。しかし、本当にその銃は、辰巳の方を向いていたのだろうか。

 それを確認するには、あまりにも一瞬の出来事であった。

「さあ、辰巳。これで分かっただろう? この世界がどんなに根から腐っていたのか……」

 アキラは伯父を殺した手を、辰巳に向けて差し出した。

「私と共に来い、辰巳」

「……自分は」

 一瞬の戸惑いがあった。相手の異常なまでの迷いの無さに、ある種の恐怖心であったのかもしれない。

「私の革命には貴様が必要だ」

 その一言に、辰巳は決意する。

「はい……。このようなことを繰り返さない世界を、共に……!」

 かくして、彼はクーデターの先導者の手を取り、立ち上がったのであった。

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