第八章「錯綜」 (4)
Ⅳ
天井は白かった。正確に言うと眩しい医療用ライトの光である。散々身体チェックと除染を受けた挙句、フィッツは両手を拘束されたまま診察台に乗せられていた。
ここが宇宙で、敵の艦内であることは想像できた。ピーターと別れてからどこかへ運び出され、大気圏を突破する衝撃を体に覚えたからだ。
彼が今身に纏うのは、少し青みがかった白の医療用ガウンと、医療機器に差し障りのない拘束具のみである。もっとも仮に手を自由にされていたとしても、こう周りに敵しかいない状況、しかも宇宙の只中で、反抗を試みるほどフィッツに余力は残されていなかった。
毎朝勝手に投与されている点滴には何か含まれているらしく、体が脱力し、ただ歩くだけでも上手く平衡が取れない。
当然の処置だとは思った。敵は自分が一体何者なのかを恐れているのだ。ナノマシン保有者の特性はピーターから露呈しているだろう事を思えば、セシルの能力を思い返す限り、確かに自分が相手側の立場であるなら、なるだけ戦闘意欲を削っておく必要があると考えるだろう。
しかし、と、フィッツは思う。自分には人心を読み取る力もなければ、人間の最大能力を引き出したような身体的特性もない。――いや、まったくないわけではない。むしろ今のところこの一点においてのみ、彼は人間離れした特性を持っていた。
それは、ピーターにも指摘されたとおり、驚異的なまでの自己治癒能力である。あのような大怪我を負ったというのに、傷跡はすっかりそこに何もなかったかのように消え去っているのだ。
ありえない、と、フィッツは己が信じ難かった。何しろ、自分はドジな方だから、幼少期からよく転んでいた。だが、その擦り傷の治り具合は他人と大して変わりはしなかったはずだ。むしろ、竜也の方がそういった回復力には長けていたとさえ思う。
――竜ちゃん、どうしてるかなぁ……。
診察台ごとCTスキャンにかけられながら、フィッツはぼんやりと親友のことを考えた。多分、自分のことは戦死したと思っているかもしれない。いや、本来ならそうでなくてはおかしかったのだ。
どうして自分はここにいるのか。どうしてまだ生命活動を続けられているのか。自分自身の存在があやふやになる。
スキャニングが終了すると、宇宙開拓同盟の派遣研究者たちであろう、なぜかざわめきが起こっている。フィッツは半分しか開こうとしてくれない重い瞼をどうにか押し上げながら、そちらの方へ視線を動かした。視点はふわふわと定まらないが、白衣の群れがなにやら相談事をしているのは大体把握できた。
「なんだ? これは……」
「下腹部あたりに変な球体があるな」
「これがコアか?」
「なるほど、確かに身体の動力源がここならば……」
水の中で聞いているような、歪に広がる音で耳に伝わってくる会話であったが、少なくとも、どうやら自分はだいぶ人間離れした存在であるという事実は確認できた。
「ふむ、本人と話がしたい」
「本当のことを言いますかね?」
若い声をした助手を引き連れ、一人の老人と思わしき人物が近づいてくる。この研究チームのリーダー的存在なのだろうという予測が立てられる。
「質問には正確に答えてくれたまえ」
咳払いの後そう言い放った相手に、フィッツは素直に頷いた。彼とて、己の真の姿が気にならないわけではない。むしろ、質問に答えることによって、何か詳細な答えが得られるのなら、それを是非とも知りたかった。
「君は自分のことを人間だと思うかね?」
「……はい、少なくとも今の今までそう思っていました」
点滴の副作用だろうか。どうにも喉が渇いて仕方がない。フィッツの声には生気がなく、からからと乾いた音が出た。
「根拠は?」
そう問われ、フィッツは一瞬ぼんやりする頭で考えた。改めて自身が“人間であるとする根拠”など、今まで考える機会すらもなかったのにと、つい悲観的になってしまう。
「学校での身体検査などで、特に異常などありませんでしたし……。それに、傷も本来なら至って普通の治り方をしていました。正直、この状況に僕自身が一番驚いているのが事実です」
なるべく率直に返答したつもりであったが、相手は唸ったきり沈黙してしまった。この場合どう述べたところで、そのまま信じてもらえることなどありはしない。そのようなことはフィッツには分かりきっていたが、それでも酷くもどかしい。
老人はそのまま少し離れ、助手に「やはり解剖して調べてみましょう」などと言われ、渋々同意している様子だった。
不思議とフィッツは無感情に近かった。本来ならば己の死を直感し、慌てふためきもするのだろうが、なぜだかふっと抜け落ちるように気持ちがそこからなくなってしまっている。もっとも一度死んだはずの己である。二度目も死ぬかどうか怪しいものだ。
そういえば、士官学校に入学した当初、血液検査の結果で先輩に尋ねられたことがあったと思い出す。ひょっとしたら、あの時から自分の体に何か異変があったのかもしれない。だとするなら、自身の父がその事実を揉み消したのではないか。フィッツはそう考えたところで、急激に頭が重くなり目を完全に閉じてしまう。
――だめだ。思考が鈍くなっていてちっとも結論が見えてこない。
せめて、先ほど研究員たちがスキャンした自身の体の状態が見て取れるのなら、それなりの仮説が立てられるかもしれない。
――軍需会社の作ったナノマシン体ではない別の人工物? それとも、もっと別の……。
どちらにしろ、己の生い立ちについては直接父に問い質した方が早そうだ。いくら自分で考えたところで、答えなど見えてこない。もっとも、ここから脱出でき、尚且つ地球へ、父の元へ戻れたらの話であるが。
フィッツはすっと消え入るように眠りへと誘われた。この絶望的な状況に、半ば考えることを放棄したのかもしれなかった。
――……あれ、ここは?
フィッツは自身の足元や周りを見渡した。そこはいつだか夢に見た、あの研究室だ。
――嫌だな、こんな時まで悪夢を見るなんて。この場所って確か、お母さんが……
夏休み、父の隠していた龍一の遺言書とブラックボックスを暴いてしまった。それが切っ掛けで、母の死の現場を夢とはいえ垣間見てしまったのだ。あれをもう一度見せられるのかと思うと、自然と身構えてしまう。
「ねぇ、教えて頂戴。貴方は何処から来て、どうして此処を選んだのか……」
――え、お母さんの声?
今立っている所よりも、もっと奥の方から聞こえる。フィッツがその方向に歩みを進めると、一気に視界が明るくなった。先ほどの研究室とは別の場所に移ったようだ。
母は誰かに向かって話している。どうも上を見上げているようだが、ぼんやりとそこだけ霞んでよく見えない。ただ、母に向かって何か返答のような音が降ってくるように聞こえる。不明瞭ではあったが、何処となく言語であることは感じ取れた。
「地球……人間……滅ぶ……救う……共存……と、支配?」
母はその言語をどうにか苦労しつつ訳しているようであった。彼女の周りには、今まで研究した資料らしき走り書きの紙が散らかり、パソコンは何台も画面を起動したままである。
――お母さんはいったい誰と話しているんだろう?
おずおずと母に近づいてみるが、彼女は気づかない。まるで何かに取り憑かれたかのように、研究に没頭している様子である。
夢の中と分かっていながらも、どうにか彼女とコミュニケーションを図りたいとフィッツは考えた。彼女なら、自分の今身に起こっていることへの説明が聞けるのではないかと思ったからだ。
しかし、彼女が振り向くことは一向にない。どんなに呼びかけても声は届かず、いくら肩を叩こうとしても、手は空を切った。
やはり、所詮夢では無理かと半ば諦めかけた時、ふと母の目の前にある大人ほどの直径で丸いレンズの様な物が気に掛かった。
――なんだろう、これ?
覗き見ると、中は水のような液体で満たされており、球体の水槽のような作りになっているのが確認できる。その中心に極僅かながら、物体を発見したフィッツは、よくよく目を凝らしてみた。すると――
「……ひっ!」
思わず自分の短い悲鳴に目が覚める。辺りを見渡してみると、牢獄のような小さい部屋に押し込められていた。
相変わらず付けられたままの手錠と、簡素なベッドに暗い影を落とした便器を見て、フィッツは長い溜息をついた。
――間違いない。さっき夢で見たのは何らかの“胎児”だった。人間に近かったけども、お腹に宝石みたいな球体がついていた……。
フィッツはずきずきと痛む頭を抱え込み、一つの結論を導き出し、そしてそれに自ら恐怖した。
――ああ、何てことだろう。僕は、そうか……だったら説明がつく。けど――っ!
夢で与えられたヒント、それと父の隠していた龍一の遺言書に、宇宙開拓同盟の研究者たちが呟いていた文言。すべてを統合して考えた結果フィッツには大まかな答えが出揃ってしまった。あとは実際の真実を証明し、自身の目で見極めるだけだ。
――きっと、僕のせいでお母さんは殺された……。だから僕は現実を受け止めて、それを確かめなきゃいけない責任がある。けど、ここにいたんじゃそれも出来ない……。
現状に悲観し、困り果てたフィッツは、ベッドの上で体を小さく丸め、壁を背もたれに天井を仰いだ。
無機質な、灰色しか見えないこの空間で、まるで本当に実験動物になってしまったかのような錯覚に陥る。
その時、かつんかつんと廊下を歩く音が聞こえてきた。ゆっくりと格子の先を眺めると、あの研究員たちのリーダーが立っていた。
「……まだ、なにか?」
疲れ果てた面持ちでフィッツが尋ねると、老人は淡々と、至って事務的に答えた。
「これから君の体内にある人工物と思われる物体……我々はコアと仮に呼ぶことにしたが、それを摘出することに決定した」
やはり解剖実験は実施するのだなと理解したフィッツは、相手と同じく無感情に質問する。
「つまり、それを取り出すと具体的に僕はどうなるんでしょうか?」
老人はしばし考える素振りを見せたが、今更実験対象は何も出来まいと踏んだのか、さらりと言ってのける。
「コアの作りは一切不明だが、体の動力源であるという仮説が立てられた。これにより、君は仮初の生を繋いでいると推察される」
「……つまり、貴方方はそのコア自体を研究したいがために、邪魔な入れ物である僕を切り離してしまおうということですね。――たとえ、入れ物が生命活動を維持出来なかったとしても……」
フィッツは相手を睨みつけたが、効果のほどは皆無である。そのようなことは百も承知だったが、せずにはいられなかった。
「そのとおりだ。さあ、来てもらおう」
老人の言葉を合図に、複数の武装した男たちが、ずけずけと牢の中に押し入り、フィッツの両脇を抱え上げた。
特に抵抗する気は起きなかった。されるがままに、実験室へと引きずられていく。冷たい台に乗せられた時、初めて実感する。
――どうしよう……。今更すぎるけど、やっぱり死にたく……ないなぁ……。
目を閉じると、今まで過ごしてきた時間が、動画を逆再生したように思い起こされる。これが世に言う走馬灯というやつなのだろうか。せめてもう一度、親友と、仲間たちの顔を見たかった。
麻酔用の注射針が皮膚にひたりとついた瞬間、ドンと大きな爆破音が響く。衝撃でフィッツは台から滑り落ち、室内がざわつき始めた頃、遅れて緊急事態を知らせるサイレンがけたたましく鳴る。
「どうしたというんだっ?」
研究員の一人が叫んだ。
「侵入者です!」
その一言に、フィッツは今まで生気が宿っていなかった目をぱっと輝かせた。なぜか彼には分かったのだ。その侵入者が、何者なのか。
「――竜ちゃんっ!」
考えるよりも先にその名を叫んでいた。研究員や武装した男たちに、体と頭を地面に押さえつけられながらも必死にもがく。
生きたい。此処から脱出して、一刻も早く真実を知りたい。そして何よりも、仲間たちの許へ帰るのだ。その意思が、フィッツを強く押し動かした。
ドイツ地区第一基地。ここは地球軍の本拠点であり中枢である。
この日、貴翔は真新しいカーキの軍服に身を包み、着任式へと出席していた。そこには出雲の生徒会の他に、丹花とレニーも参列している。
敷地内の中心に位置する建物の最上階で、式は行われている。外見は無機質な建物だが、中はかなり華美な装飾であった。
貴翔たちのいる舞台には赤い幕が両端に吊るされており、面積も広い。客席の頭上を飾るのは、豪華なシャンデリアだ。その下には士官学生なら知らぬものはいないであろう数々の勲章を授与された将校たちと、軍備関連の政治家たちが軒を連ねていた。もっとも、偉い人物たちという印象しかなく、実際なんの仕事をして、どんな功績なのか、得体が知れないのだが……。
そんな顔ぶれに嫌気が差しながらも周りを見渡してみるが、一番見慣れた親友の姿が、そこには無かった。
――ダナン、どうして……。
宇宙軍に配属されたメンバーとは違い、地球軍に特別編成された自分たちの隊の任務は、主に地球内部に蔓延るテロ組織や侵入者の排除に当たる。と、言うのが主な名目である。だが、結局のところ、そうそう敵も尻尾を出すわけでもなく、実質的にはほとんど活躍が見込めず、お飾りという意味では宇宙軍のそれよりも文字通りの存在かもしれなかった。
貴翔にしてみれば、皆と共に宇宙に行けなかったのは、自分がろくに親に対抗せず、ただ黙って家を出てしまったのが原因だと悔やんでいた。もう少し話し合っていれば、理解を得られたかもしれない。だが、それと同時に、いや、それでも結局、自分はこのエリート集団という名前に託けなまくら刀と化した戦闘集団にねじ込まれていたのだろうとも思う。
ブランドン・バシェットがこの日のために秘書に作らせた祝辞を機械的に読み上げる会場は、老練であるはずの将校たちも半ば眠りかけていた。
――こんなくだらない形だけの儀式、来たくない気持ちは分かりますが……。
この場にいない彼は、少なくともこういった行事をさぼるような人柄ではない。人に対して融通は聞くが、己の事となるとそれは真面目な人物であったはずだ。
疑問符の浮かんだ表情を、彼にしては珍しくあからさまに出していたのか、丹花が心配そうにこちらを伺っている。貴翔もそのことに気づいていないわけではなかったが、あえて正面を向き無視した。
――何か、あったのでしょうか?
試しに貴翔は着任式終了後、ダナンに端末で連絡を取ってみる。コール音はなく、現在使われていない番号だと電子音に告げられた。
まさかの親友の蒸発に、貴翔は困惑するしかない。深い溜息をつきつつ、外の空気を吸いに屋外へ出てみる。コンクリートで固められ、周りは鉄の塊ばかりの無骨な基地敷地内であったから、あまりいい空気とはいい難い。それでも、中の空気よりは幾分ましのような気がした。
ふと視線を横へ向けると、なにやらこそこそと下士官たちが集まって噂話をしている。
「おい、聞いたか? 油田王の坊ちゃん。実戦投入って聞いて、親がやはりうちの子は軍に上げられませんとかなんとかって……」
「ああ、聞いた聞いた。まったく、甘やかしもいいとこだよな。まあ、どうせ本人もほっとしてるんじゃないか? 出て来たところでガキ共が活躍することなんか滅多にないわけだし。出撃したってあっという間にやられちまうのがオチさ。おお、可哀想に」
下卑た笑いを聞いた貴翔の足は、つかつかとその連中のど真ん中へと向かった。
「……彼は、ダナンはそんな人間ではありませんっ!」
「なんだお前?」
「馬鹿よせ。そいつも坊ちゃんの一人さ。確か第一書記の……」
「ああ、例の家出坊主か。結局家の力で宇宙行きはなくなって良かったじゃないか。やっぱりいい親はもっとくもんだよなあ」
その言葉を聞いた瞬間、貴翔の中の何かが弾けとんだ音がした。
「ぐあっ!」
下士官の一人は貴翔の華麗なる回し蹴りを見事に喰らい、後方へと倒れこむ。
「この野郎! ガキの癖にっ!」
反撃しようとする相手の前に、貴翔を庇うように影がするりと割り込んだ。
「やめてください、こんなところで騒ぎを起さないでっ!」
「姉ちゃん邪魔だ、退けっ!」
「丹花っ!」
貴翔が叫ぶが早いか、一発の銃声が響く。
「……え?」
二人は目の前で倒れる下士官を思わず凝視する。こめかみには確実な狙いで開けられた穴が貫通し、血がとめどなく流れ出ている。当然、貴翔も丹花も手を下してなどいない。
「な、なんだっ?」
振り返ったもう一人の下士官の頭には、すかさず拳銃が押し付けられた。
「あんたたちは政府の味方? それとも国民の味方? どっち?」
「な、お、お前は新しく入ったガキ共の……っ!」
「残念、時間切れ」
瞬間、下士官は脳漿を飛び散らせその場に仰向けに倒れた。撃ったのは貴翔の見間違いでなければ、いや、見間違えるはずはない。何しろ、共に孤島で竜也たちを助けた士官候補生であったのだから。
「一体何を血迷ったのですか、カリンっ!」
「……出来れば殺したくない。レニーって子も連れて、今すぐここを逃げて。もっとも、交通や連絡手段は今一斉にストップしてるはずだから、ちょっとがんばってよ」
「意味が分かりません! 貴女は何を――っ!」
カリンが少し悲しそうな、それでいて決意の固い眼差しで笑った。同時に、基地の奥から爆破音が響く。倉庫からは次々と煙と共に量産型のアンジェクルスが出動する。
まったく異様な光景だった。丹花はただただ唖然とし、貴翔の袖を思わず握る。そして凄まじい、まさしく戦場の騒音を背負ったカリンの声は、微かにしか聞こえなかったが、口の動きで明確にこう告げた。
「これは、革命だよ」




