第八章「錯綜」 (3)
Ⅲ
たった三日間という短い冬期休業を経て、竜也たちは宇宙軍の着任式に列席していた。場所はフランス地区に存在する宇宙軍基地地球第一支部である。地球軍所属となった者達は、恐らく同時刻に地球軍本拠地のあるドイツ地区で同じような着任式を執り行っていることだろう。
竜也はぼんやりと特進少尉の星型バッチを代表士官から受け取りながら、普段いるはずのダナンと貴翔、それに、出雲生徒会全員が地球軍所属となり、そのメンバーにいる兄のことを気にしていた。
ヴァルキリーから地球軍所属となったのは、レニーと丹花であった。レニーはもともとテスト機が音を利用した性能であるので、宇宙では不向きであり、丹花は貴翔の親の意向が影響したに違いなかった。が、予想に反して竜也の隣には、IT企業社長のご令嬢であるサンドラが肩を並べている。彼女であれば、親の金で地球軍へ所属することも可能であったはずだが、それを本人がよしとする筈もない。おそらく、散々家族会議をした結果、彼女が押し切ったのであろう。
サンドラも竜也と同じ場所、軍服の左胸にバッチをつけてもらい、堂々と着任式の舞台上に一列になり、顔を今回出兵する艦に同乗する乗組員全員に見せた。
アスカ、ヨハン、セシル、竜也、サンドラ、キュリア、ココット、シャイアン、ロニン。以上九名の特進少尉が宇宙軍に派遣されることとなった特別編成隊である。彼らの誓鈴たちも、正規軍入りした証として、各々体に似合った軍用チョッキを着用していた。
乗組員たちはその若者たちを同情、あるいは不安視する表情で眺めていた。舞台側に立つ方としては、なんだか品定めを受けているようで、あまり気分の良いものではない。
ようするに、こいつらは使えるのか、それともただの足手まといなのか――ベテランの連中はほとんど後者を予測しているはずだ。こんな思いつきの作戦に休暇後早々同行しなくてはいけなくなった自分たちは、なんて運がないのだろうか。大方そのようなことを思っている表情であったのだ。
――まあ、当然と言えば当然だろうな。
自分だって同じ立場だったのなら怪訝な顔つきくらいいくらでもすると、竜也は内心で自虐的になる。
「竜也様」
着任式終了後、皆宇宙へ上がるため、その準備に動き出すと、サンドラが早速廊下で話しかけてきた。
「フィッツ様のこと、聞きましたわ……」
「……そうか」
素っ気ない竜也の返答に、彼女は初対面の頃同様、何か苛つかせてしまっただろうかと、少し不安になりながらも続ける。
「こんなこと言うと、また貴方は鬱陶しいとお思いになるかもしれませんけど、私は彼が戦死したなんて信じませんわ。きっと何処かで生きていらっしゃる。そんな気がいたしますの」
宇宙服へ着替えるために専用ロッカーに向かっていた竜也は、ふとその言葉に足を止め、彼女を振り返った。
「ああ、そうだな。俺もそう思う」
その表情は明るく、自信に満ちていた。彼の場合は予感などという不確かなものではない。そこには確信めいた何かが生まれているようである。
サンドラはそんな彼の様子に驚きつつも、笑顔で頷いてみせた。
宇宙戦線の境界線まで行くには、まず月面基地より編成を行う。ここで艦隊を組み、次に境界線前にある中間拠点で補給を行い、それから目的地である戦線基地まで赴くこととなる。
宇宙服を着込んだ竜也たちを乗せた宇宙母艦は、地球を後にし、宇宙へと飛び立った。
――父さんたちが戦った場所に、今から俺たち行くんだな……。
シートベルトに体を固定されていながら、竜也は感慨深げにこれから自分たちの向かう広大な宇宙を心に思い浮かべる。
大気圏を抜けていく巨大な軍艦の姿を目で追い、アルバートは学長室の窓辺から願う。
――どうかあの子たちを守ってやってくれ……龍一。
かつて二人で駆け抜けた宇宙の大海原を頭に浮かべた。暗黒の世界に無数のか細い星々の光。戦争さえなければ、なんと神秘的な世界であっただろうか。
そういえばと、アルバートは思い出す。龍一が士官学校を卒業した祝いの席で、ふと自分が尋ねてみた事だった。
「龍一はもし、この世から戦争がなかったら、どんな仕事をしたかった?」
どうしてこんな質問をしたのか、今となってはあまり覚えてはいなかったが、それに対して龍一が放った一言は鮮明に覚えている。
「宇宙飛行士!」
そう応えた青年の目は、きらきらと輝き、成長など感じさせない幼さがあったが、アルバートは特に馬鹿にすることもなく「それはどうして?」と聞き返した。
「まだまだ自分たちの目で見たことない惑星とかいっぱいだろ? 戦争なんかしてなければ、火星のもっともっと遠くまで行ける筈だ。そのうち銀河系だって越えられるはずだろ? もしかしたら、宇宙人だっているかもしれないぞ?」
本当に無邪気にそう話す龍一に、アルバートは嬉しそうに笑った。戦時中にこんな夢物語のようなことを、堂々と言ってのける年下の親友に、この国の未来を託したかった。
もはや人生の半分以上に到達した己には、次の世代、子供たちに未来への希望を見出すしかない。自分たちが達成出来なかった夢物語を、勝手に押し付けることになるのは心苦しく歯痒いが、きっと彼らも自分たちと同じ“戦争がない”未来を思い描いているはずだと信じている。
アルバートは徐に、机の引き出しから妻の写真立てを出す。
「せめて、私が彼らに道しるべを翳す必要がある。君もそう思うだろう? イザヤ」
そうつぶやくなり、彼は学長室を後にするのだった。
またあの夢だ。白衣の母と思わしき女性。実験室のような風景。目の前には水のような膜が張り、辺りは歪んで見える。
ふと母か確かめようと手を伸ばしてみる。いや、実際には伸ばせず届きもしなかった。だが、女性は気づいてくれたかのようであった。
こちらに向かってなにやら微笑みかける。けれどその視線は自分ではなく、なにやら頭上の方を見ているように思える。
――お母さん、お母さんなんでしょう? こっちを向いて、僕はここだよ。
懸命に呼びかけてみた。すると、女性は目を大きく開いてこちらを注視する。やっとこちらを見てくれたことに安堵するが、母と思わしき人物の顔は恐怖とも単純な驚きともつかぬ顔を向けていた。
――え? どうして、そんな顔をするの?
女性は興味を持ったのか、こちらに手を差し伸べる。すると、目の前の水溜まりが徐々に引いていく。
自分と同じ綺麗な金髪に、丸いエメラルドの瞳。間違いなく、幼い頃に写真で見せてもらった母である。しかし、彼女は彼を抱いてこう言うのだ。
「貴方、家の子になる?」
優しい顔だ。非常に慈愛に満ちた顔でそう告げるのだ。
――お母さん? ねぇ、それ、どういうこと?
「うっ……」
全身の痛みに顔を歪ませ、フィッツは目を覚ました。
ぼんやりと辺りを見渡すと、薄暗く無機質な鉄製の壁に覆われているようである。まだずきずきと痛む頭で、必死に記憶を辿ってみる。
フィッツはルナを逃がした後、海に飛び込んだ。子島までなんとか泳ぎつくことが出来たが、その際中に脇腹に飛んできた敵機の破片が当たり、体の血が無遠慮に抜けていく。岸辺にたどり着いた時にはすでに顔面蒼白となり、視界も霞が掛かる状態であった。
辛うじて子島に広がる小さな森へ這うように移動すると、その中の木に寄りかかり、朦朧とする意識の中上着を脱ぎ、震える手で水気を絞って傷口へと巻きつけ――
と、そこまでは覚えている。だが、この場所が一体何なのかまでは、分かりはしなかった。
「だ、れか……?」
掠れる声で回りに人が居ないか確かめる。返事はない。試しに体に無理を言って上体を起そうとしてみる。
――え?
腕がぎしりと音を立てて止まった。よくよく見ると、腕どころか、全身がベッドに括りつけられるようにして、丈夫なベルトで拘束されていた。とてもではないが、起き上がることなど出来はしない。こうなると、思い当たる事柄は一つだ。
――そっか……僕、敵に見つかっちゃったのか。参ったなあ……。
溜息と共に全身の力が抜けていく。今の自分に対抗手段などあるはずもない。ならばせめて、体力を回復させることに時間を使った方が有意義であろうと考えたのだ。
いっそもう一度目を瞑って眠ってしまおうか。そう思った時、なにやら部屋の外から誰かが入ってくる気配を感じる。扉を開けて来た人物は、瞼を閉じているフィッツに向かって、鼻で笑った。
「寝たふりなんて手は、僕には通用しないよ?」
それに対して口を開くのも億劫だったフィッツは試しに脳内で返事をしてみた。
――……貴方も、セシルと同じナノマシンの能力を持ってるんですね、ピーター先輩。
それに対して多少驚いた様子のピーターは、ぐっと牽制するように顔を近づける。ざらりと相手の片方だけ長い前髪が頬に触れ、フィッツは眉を不快そうに寄せた。
「へぇ、君。ナノマシンの特性は理解してるんだ? ますますこれは気になるね」
――これから僕をどうするんですか?
「君は僕たちの研究材料の一つだからね。然るべき装置のある施設に送らなくちゃいけない」
――アンジェクルスの研究ならわかりますが、どうして僕自身を?
「いつまでも目を瞑ってるから気づかないんだよ。目を開けてごらん」
そっと仕方なく瞼を開くと、ピーターはにやつきながらフィッツの脇腹を指差す。
「この傷、はっきり言って致命傷だ。体内の血液も海水に晒されてほとんど無くなっていた。それなのに、君は生きている。これだけでも十分研究余地があるよ」
「……え?」
フィッツは思わず小さく声を発した。大怪我を負ってから何日経過したか今は知る由もないが、言われてみれば、深手だったにも拘らず、特にこれといった治療の形跡は見あたらない。あそこまでの負傷で、なんの処置も行わなければ、死んでいても不思議ではない。むしろ、なぜ自分は生きているのか、そちらの疑問の方が深まる。
「つまりこう言うことだよ。君は僕と同じで、ただの人間だとは思われていない」
そんなはずはないと反論したかった。しかし、目の前に異常な事実がある以上、否定することは叶わない。
「僕は奴ら、宇宙開拓同盟に全面協力するという契約を立てた。けれど、君はその様子だと心変わりはなさそうだ。ならばいっそ、モルモットにしてしまった方が、彼らにとっては効率がいい」
フィッツは苦々しく唇を噛む。
「それとも、協力するから実験なんてやめてくださいって、お願いしてみるかい?」
「……しません」
ピーターは鼻で笑うと「言うと思ったよ、馬鹿な奴」と、一瞥して去っていった。
――竜ちゃん……。どうしよう、僕は……いったい……。
今まで自分が築いてきた過去にすら不安が膨れ上がる。まさかとは思うが、自分も軍需会社で何らかの実験を受けていたのだろうか。だとするのなら、父はどうしてその事実を隠していたのか――疑問をいくら提唱しても、答えてくれるものはここにはいない。
竜也たちを乗せた艦は、月ですでに準備された艦隊を前列に据え、一路中間拠点である宇宙要塞パトリへと到着する。ここまでトータルで地球時間に直すと三日間ほどのことだ。
パトリとは、旧フランス語で故郷を意味する。宇宙軍所属の軍人にとって、第ニの故郷となるようにとの意味合いが込められているのだそうだ。
要塞内には休憩施設と売店、映像鑑賞ルームにスポーツジムなど、長期滞在に耐えうる設備が整っている上に、食料や水はフルオートで機械が栽培、精製などをしている。だが、竜也たちはここでのんびりしている訳には行かない。あくまで目的地は最前線基地、ガニアンである。
ガニアンは旧フランス語で勝者を表す。名前の通り、境界線を確固たるものとした龍一の功績が讃えられその名がついた。
ガニアンには普通に航行すると二ヶ月ほど掛かってしまうが、超高出力ブースターの噴射を間に挟みながら航行すれば、二十日以内に到着できる。ところが今回、それよりも間違えなく早くつく方法、ワープが導入されようとしていた。
ワープ技術は宇宙開拓同盟が発足した時を境に衰退していたのだが、それを復活させようと言うのだ。
衰退の原因は地球と火星を繋ぐ巨大ワープゲートの封鎖が原因である。それまで人類は、火星開拓のためそれを利用していたのだ。しかし、戦乱に乗じ、敵がお互いに領域内側から侵入してこないように、そのゲートを閉じた。これにより個人的な小ワープも規制され、領域の広さ的にも無用の長物となったことにより、今はほとんど使われない技術となっていたのだ。
それを復活させるにあたり、その辺のことが妙に詳しいヨハンが、皆を休憩室に集めご高説を垂れていた。
「つまりだ。ワープってのは、時空を歪める為に超高圧亜高速電流なんつぅしろもんで無理矢理縮めた時空波形の両端をこじ開けるっつぅ結構乱暴なやり方なわけだ。俺たちが失われつつある技術力でバーン! と現れりゃ、敵さんもびびるんじゃねぇかっていう、まあようはびっくり箱作戦ってとこだろうぜ」
真剣に一応聞いていた竜也であったが、残念ながら言っている事の半分以上理解できない。とにもかくにも、抑止力としての効果を狙ったものであろうことは、一応把握したつもりである。
「でもそれって、ものすごぉくエネルギーが必要なんじゃないの? だって私たちの艦隊全部飛ばすわけでしょ?」
簡易ベンチに腰掛けながら、可愛らしい足をぷらぷらとさせ、ロニンが小さな口でドリンクのストローを咥えながら質問を投げかける。
「この要塞パトリはめちゃくちゃ高機能な直エネルギー発電施設でもあるんだぜ? 本気だしゃどうだってなる優れもんだ」
得意気にヨハンは説明しきったという顔だが、アスカは微妙な表情である。
「でもさ、それってつまりしばらく使ってなかった機械を、古い倉庫から引っ張り出してきて使ってみようってことでしょう? まともに動くのかい? 戦死だってもちろんしたくはないけど、その前に事故死だなんて僕はごめんだよ」
非常に皮肉の詰まった意見だが、確かにそれは竜也も同意見である。無駄死になど、冗談ではない。それは彼だけに留まることなく、周りの女子たちも少なからず不安げである。
「それは大丈夫です。僕が保障します」
静かにそう言い放ったのはセシルであった。言うからには根拠を聞こうと、皆一様にセシルに視線を向ける。
「ニュース報道等でご覧になった方もいると思いますが、僕は皆さんより一足先に領域に立ち入った経験があります。その時に小規模ではありましたが、やはりワープ装置を使用しました。今回僕たちの艦隊に装備される物も、基本的には一緒でしょう。火星開発時の巨大ワープゲートというよりは、艦一個一個に装着した装置でワープする。と、いうことになるかと思います」
普段爆弾のように質問を投下するセシルも、この時ばかりは皆から羨望の眼差しが注がれた。こういったとき、先駆者がいると心強い。
「この中で年長組は私とキュリアさんですけども、宇宙での先輩は間違いなく貴方ですわね、セシルさん」
言いながらサンドラはころころと笑って見せた。今回このメンバーの長として選ばれたのは彼女であった。順当に生徒会長が隊長キリル少佐の補佐に当たることが、自然と考えたからである。
ただ、何もセシル以外のメンバーが宇宙自体を未経験なわけではもちろんない。士官学校のシミュレーションでも宇宙空間での戦闘練習は行っていたし、実際の熱圏外まで専用シャトルを飛ばし、無重力経験と大気圏突入は受けていた。それでも、宇宙実戦とワープ経験はセシル以外体験したことはない。サンドラはそういった意味で、彼に信頼を寄せたのだ。
「僕も唯の一回、砲撃を行ったまでです。実際で経験するはずの混戦状態は味わったことはありません。そうなると、金星の鎖での攻撃、星明りも、巨大出力であるがゆえにむやみやたらに撃てません。最悪、味方を巻き込んでしまう可能性がありますから。……敵も馬鹿ではありません、前回の僕の攻撃で、何か対策を考えているということも、視野に入れておかなければならないかと」
皆がセシルの言葉にもっともだと頷いた時、隊長、キリル少佐が入室する。慌てて敬礼すると、不要だとばかりに手を軽く振られてしまった。
「現時刻、一〇・〇〇時。時計は合っているか?」
一斉に確認し、はっきりと合っている事を報告する。
「よし、では今から一〇分後にワープ用エネルギーの装填が開始される。それまでに母艦の持ち場でしっかり着席し、安全ベルトを装着すること、以上だ」
「はっ!」
再び敬礼し、キリルが退室したと同時に、セシルはかっと目を見開いて硬直する。
「どうした?」
竜也はいち早く彼の異変に気づき、顔を覗き込んだ。
「……近い」
「何がだ?」
「――フィッツさん、ああ、やはり生きていますっ!」
叫ぶと同時に、セシルは休憩室にある窓辺へと駆け寄った。
「分かるのかっ?」
竜也も慌てて彼の後ろをから窓の外、宇宙空間を視界の限り眺めてみる。
「宇宙空間はより感覚が広がるんです。ちょっと待ってください……」
セシルはまるで小さな音を探るように、両耳に手を添える。
「ここからそう遠くありません。急いで追いかければ、間に合うかも」
「よしっ、セシル。詳しい場所をミカエルの宇宙図上に登録してくれ」
「いえ、僕も行きます!」
あまりに唐突なことに、一同は唖然としていたが、その会話を見かねたキュリアが二人の前に立ちはだかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ二人とも! それって二人っきりでフィッツくん探しに行くって事っ? これから私たちワープして目的地行っちゃうんだよ? 分かってるの?」
慌てふためく先輩である彼女に、二人は力強く頷いてみせる。
「後からどうにか追いかける。そうだろ? セシル」
「はい」
「おいおい、お前らいきなり無茶苦茶過ぎるだろっ!」
さすがにヨハンもこれには頭を抱えてしまう。
「竜也くんもセシルくんも落ち着いて! そんなことしたら明らかな命令違反だよ? それに、フィッツくんが生きてこの宇宙のどこかにいるっていうなら、それは敵と一緒ってことでしょ? 二人だけでなんて危険すぎるよ!」
アスカは何とか引きとめようともっともな意見を提示するが、二人の決意は固く、無視するように部屋の扉の前まで駆け寄っていく。
「お待ちなさいっ!」
空間がびりびりと痺れるような怒鳴り声が、室内に響き渡った。
「……サンドラ」
切ない声音で振り向く竜也に、彼女は一瞬怯みそうになるが、このメンバーの長として、ここで勝手を許すわけには行かない。
「アスカさんの言う通り、命令には従っていただきますわ。私たちの本作戦の目的は、境界線以降に敵を後退させることですの。分かってくださいますわね?」
今までそわそわとして黙っていたシャイアンも、加勢するように付け加えた。
「そ、そうだよ。任務がうまく行けば、捕虜交換とかも出来るかも知れないし……」
「いいえ、それじゃ間に合わないんですっ!」
大変珍しい事であったが、この時初めてセシルが声を荒げた。さすがの竜也もこれには驚き、相手を凝視する。
「どういうことなんだセシル? あいつの今の状況が分かったのか?」
「具体的には分かりません。でも、何かとても嫌な予感がするんです。この機会を逃がしたら、二度と会えない、そんな気がするんです」
先ほどからセシルの不可思議な言動に、女子たちは首を傾げる。それもそのはずで、なにしろヴァルキリーのチームに、ナノマシン成功例であるDCの話は行き届いてはいないのだ。彼がどんな能力を有しているか、さらによりそれに詳しいという点で言えば、この中で唯一把握しているのは竜也だけと言ってもいいだろう。
「そういうことなら迷ってられないな」
竜也は得意の悪戯坊主の笑顔で扉を勢い良く開け放ち、アンジェクルスが格納されている母艦のドッグへと向かう。全速力で走っていく二人に、メンバーはあたふたとしながら追いかけるが、とてもでないが間に合わない。
なにしろ、一人は運動能力において常人のはるか上を行く英雄の息子であり、もう一人は成功体と言われる人間の最高能力を引き出した人工生命体である。
アンジェクルス内で待機していた誓鈴を叩き起こすと、二人はほぼ同時に起動スイッチを押した。メインカメラがコックピット外を映し出した時、目の前にはキリルの姿があった。
「貴様ら何を考えている! 今すぐそこから出て来いっ!」
通信機を通して厳しく叱咤する上官に、セシルは必死に訴えた。
「そこを退いてください! 僕たちを行かせてください!」
「何処へ行こうというのだっ!」
その質問に今度は竜也が答える。
「アルバート元帥閣下のご子息を奪還します。今なら助けられます。いえ、今でなくては助けられません!」
「――何っ?」
なぜかその返答にキリルは一瞬強張った。
「……DCいや、セシル特進少尉。貴様の助言か?」
「はい」
キリルはしばらく顔を顰めたかと思うと、少しくらい待てと手で二人を制し、なにやらドッグの端から持ってくる。
「ハッチを開け」
竜也は一瞬そう言われて躊躇った。開いた瞬間に、引きずり出されるのではないかと疑ったからだ。
「いいから開けろ。もう止めはしない」
セシルのモニターを開き、相手にも同意を求めた上で、竜也は渋々開閉スイッチを押した。もし騙まされたのだとしても、こうなったからには意地でも抵抗してみせるとすら考えていた。
しかし、ハッチが開いた瞬間、飛び込んできたのはキリルではなく、彼が持ってきた装備品一式であった。
それは敵の宇宙要塞を白兵戦で攻略することを想定された強化スーツとレーザー式サブマシンガン、それと、竜也のもっとも得意とする武器、軍刀が二本含まれていた。
「あと、こいつも一応持って行け」
キリルが近づいてきたので、思わず身構えるが、彼は腰に装備していた軍用バックから一本、透明な液体が入ったアンプルと、それを注射するための器具を手渡した。
「強力な痛み止めが配合されたドーピング剤だ。副作用が強い薬品だから、なるべく使わないに越したことはないが、なにしろセシル特進少尉は敵艦をアンジェクルスで足止めし、貴様が侵入することとなるはずだ。実質一人での攻略、持っておいて損はないだろう」
最初とは打って変わって淡々と説明し出す協力的な上官に、竜也は困惑する。
「なぜ、急に行かせる気になったんですか?」
「……さあな、自分で考えろ。ただし、我々は待たない。予定通りワープ移動はする。それと、貴様らの行動は命令違反には変わらない。無事に帰ってこられたとしても、それ相応の罰則は与えるからな」
そう言ってのけるキリルに対し、竜也は挑戦的な眼光で相手を見据えた。
「反省小屋入りは、元より覚悟の上です」
「――ふっ、いい返事だ。後で泣いても知らんぞ?」
キリルは不敵な笑みを浮かべながら、すっとミカエルの機体から離れていった。
「良いのですか?」
メカニックマンがキリルに向かって確認を取る。
「ああ、好きにさせろ。自棄になって艦を破損されても困る。とっとと発艦させてやれ」
「りょ、了解です」
母艦のハッチが重々しく開き、竜也たちの乗るアンジェクルスは、カタパルト上へと移動した。
「キリル隊長、竜也たちは――っ!」
一足遅れてすっかり竜也たちの足にまかれてしまった一同が、ドッグ内に顔を出す。その時にはすでに二人共、母艦を勢い良く離れて行ってしまった後であった。
「竜也様……」
サンドラは人知れずぽつりと虚しく呟いた。諸事情は分からないにしろ、彼らがあれほどまでに頑なに決意したことだ。こうなってはもはや、無事に帰艦することをひたすらに祈るばかりである。
「さあ、何をしている。我々は直ちにワープエネルギー装填完了次第、現地へ飛ぶ。ぐずぐずするな、持ち場へ急げ!」
「は、はいっ!」
こうして慌しく、彼らを乗せた母艦は、要塞パトリを後にするのだった。
発艦後、すぐに竜也は一時操縦を雷神に任せ、セシルの機体、ルシフェルについて行かせながら、自身は強化スーツに袖を通す。
――フィッツ、待ってろよ。今、行くからなっ!




