第一章「聖ユグドラシル男子士官学校」 (5)
Ⅴ
ダナンは今、車を運転し、校内上空を飛んでいた。
免許制の車は、電磁反発の無い道を走ることが出来る。そして何よりも特徴的なのは、この飛行能力である。そのため、運転手の技術力が必要であり、ダナンはその技能に長けていた。
助手席には同級生の、同じく免許保有者が乗っている。というのも、新一年生の誓鈴候補生の中に二羽、鳥類がいたことが発覚したため、その捕獲に当たるための已む無い行動であった。
「ダナン、北側の捕縛準備は大丈夫かな……」
助手席に座るダナンと同じ三年生のディックが、太い眉毛を心配そう曲げながら校内の北側を見下ろす。
「責任をもってヨハンに見張らせている。流石にあいつだって生徒会の一人だ。今度こそ失敗無くやってくれるさ」
自信に溢れた爽快な発声で、ダナンは目の前を見つめながら言いきった。
「いたぞ。ディック、ハンドルを代わってくれ」
「ええっ! は、はい!」
ディックは飛行操縦が少し苦手であったが、突然ダナンが運転席を離れたのでは文句を言う暇は無い。そして、ダナンの言うとおり、確かに目の前には二羽の小鳥が飛んでいた。
「ダナン、危ないよ!」
ディックが悲鳴を上げるのも無理はなかった。ダナンはあろうことか、運転席の窓からボンネットにひらりと飛び移りそこに立ったのだ。常人には到底出来ないバランス感覚である。
風に長いダナンの黒髪が水流の様にたゆたい、陽光に照らされ青く透ける。一瞬見惚れてしまうような、堂々とした姿に、ディックは息を呑んだ。
ダナンはズボンのポケットから細く小さな銀色の笛を取り出すと、思い切りそれを吹き鳴らす。すると、ダナンと並ぶように、一羽の美しい隼が飛んで来た。
「バルムンク、目の前の二羽を、傷つけずここまで連れてきてくれ」
ダナンの華麗なる誓鈴バルムンクは、無言で了承し、素早く前へと躍り出る。さらに上空へ上がったかと思うと、雄々しい翼を真っ直ぐに広げ、目標の小鳥二羽に向かって滑空した。あれではひとたまりもないと、ディックは思わず薄目になったが、それも杞憂であったようで、バルムンクの大きな足は器用にも上膊筋あたりを包むようにやんわりと一羽を片足で握り、二羽とも同時にあっさりと捕まえたのだ。
「よくやったバルムンク」
褒めながら小鳥を受け取ると、一羽ずつディックに渡し、鳥籠の中へ入れてもらう。その間もディックは操縦を誤るかもしれない恐怖でガチガチと奥歯を慣らしていた。
「ダ、ダナン! 早く運転代わってっ!」
「ああ、すまない」
ダナンは運転席に素早く滑り込むと、落ち着き払って方向転換する。
「さて、下の手伝いに戻るとしよう」
午後五時五〇分。誓鈴候補生探索時間は、およそ九時間。日は翳り始め、夕焼けも段々と眩しさを失ってきた。
その頃、竜也の班は最後の建物、座学校舎にたどり着く。広い敷地に数多くたたずむ高い建築物をくまなく巡ったのだ、流石の竜也も多少疲労を感じ始めていた。昼飯も食べずぶっ通しであるから、無理もない。しかし、雷神はその血筋由縁か、まったく疲れを感じさせない動きで、鼻を利かせ続けている。一階からテンポ良く探索は続き、残るは薄暗くなった最上階のプロジェクター室だけであった。
「はぁ、やっとここが最後か」
「さすがに疲れましたか?」
ふっと鼻で笑われた気がして、竜也はむっとしながら貴翔を振り返る。
「別に。先輩は?」
「私は大丈夫ですよ。それよりも明日の入学式のリハーサルが出来なかったのが不安です」
「へぇ、先輩でも不安に思うことってあるんですね」
基本強気で自信に溢れているような人物だと思っていたが、竜也は意外な一面を垣間見たような気がした。
「いいえ、私はともかく他の在校生です」
しかし、その可愛げの無い返事に竜也は「ああ、そうですか」と返すほか無かった。その間も雷神は生真面目に教室の中を嗅ぎ回る。すると、ぴたりと今は天井に巻き取られている巨大スクリーン下で動きを止めた。
「見つけたか?」
雷神は本当に良く出来た軍用犬だった。無駄に吼えず、確実に主人に目標の事柄を伝えようとする。前足でそっと、機材のコードをまとめてあるチューブを示す。彼がこうして着実かつ冷静に任務を果たしてくれるおかげで、竜也と貴翔が確保した誓鈴候補生は二十匹を超えていた。
「偃月、この中を偵察してください」
「了解」
細い身体をするするとチューブ型のコードカバーに滑り込ませるが、中を確認して直ぐに出てきてしまう。
「だめだよ貴翔、大変!」
「どうしたのです?」
「中のコード噛んじゃったみたいで、感電して気絶しちゃってる!」
偃月の報告に、思わず竜也と貴翔はお互いの顔を見合わせる。
「とにかくコンセントを抜きましょう」
竜也は素早く自身の左側にあるコードをまとめて引き抜く。
「ドライバーは?」
「ない」
コードカバーを外そうというのだろう。しかし、竜也が工具を常備しているわけもなく、貴翔は眉間に皺を寄せて溜息をつく。
「仕方がありません。偃月にもう一度行ってもらいましょう」
「待ってくれ先輩。中がどうなっているか分からないのに、また行かせるのは危険じゃないか?」
「そうかもしれませんが……」
早く救出しなければ生命が危うい。考える時の癖なのだろう。貴翔は親指の爪を噛んで押し黙ってしまった。
「雷神、ここから噛み千切ってくれ」
「えっ」
間髪入れず、主の命で躊躇いなく堅いゴム製のコードカバーの縁から、一直線にばりばりと派手に喰いちぎる。貴翔が頭を抱え、偃月は目を瞬かせた。
「生徒会の経費から弁償ですかね……」
「こいつの命には代えられない」
そう言って竜也はそっと中にいたモモンガを摘みあげた。小さな体はぐったりとして全く動かない。
「校舎の北側に救護班を配置してあります。すぐに連れて行ってあげてください。私たちはもう少しこの部屋を見てみますので」
竜也は頷き、雷神とともに廊下を走って行った。彼の背中は今までの疲れをまったく感じさせない。その姿に、貴翔はふっと柔らかい笑みを漏らした。
「言葉や行動が少々粗暴ですが、なかなか見所がある子みたいですね」
その言葉に偃月が首に纏わりつきながら、物珍しそうに貴翔の顔を覗く。
「貴翔が他人を認めるなんてダナン以来だね?」
不本意そうに偃月を睨む貴翔は、先ほどの笑顔はすっかり消えていた。
「認めたとは言っていません。ただ、評価するに値するものを持っていると思っただけです」
「またそういう遠まわしなこと言う。貴翔はもっと素直になればいいのに」
「お黙りなさい。さっさと見回りますよ」
「は~い」
可愛らしい返事をしながら、彼女は懸命に室内の端から端まで探索して回った。貴翔はその反対回りで探索を続けながら、はたと気づいて端末を取り出す。
「私です。ええ、こちらは今竜也が搬送中の誓鈴候補生を合わせて二十六匹確保済みです。はい、ではこれで全部ですね。わかりました。切り上げてそちらに向かいます」
通話を切ると、偃月を手招きする。
「任務完了です。さ、みんなのところに戻りましょう」
九時間労働の終了を告げられ、偃月の誓鈴の証からは、心底嬉しそうな声が上がった。
今にも消えそうな小さな命を両手で包みながら、竜也は雷神とともに必死に走った。救護班の白い簡易テントが見える。そこに向かって大声で助けを求めた。
「こいつ感電して気絶してるんだ!」
「わかった。こっちに任せてくれ」
白いエプロン姿の上級生は、モモンガを受取り、大丈夫だからと微笑んで見せる。テントの中にはぱっと見ただけでも十匹以上は治療を受けていた。ほとんどは軽い擦り傷程度のもので、竜也は一先ずほっとする。
「竜ちゃ~んっ!」
耳慣れた声に振り向くと、ルナを片手で抱えながら、フィッツが大きく手を振っていた。あちらも一仕事終えた後のようで、いまいち声に張りがない。さらに、竜也は近づいてから眉根を上げた。
「何だお前その格好……」
上から下まで全身土と砂だらけの親友に、あからさまに呆れて見せる。
「何だお前って酷いなぁ、これでも頑張ったんだから褒めてよぉ~」
「あ~、はいはい。偉い偉い」
感情のこもっていない返事を返しながら、金髪の前髪をすっかりくすませている砂埃を払ってやった。少し不服そうだが、フィッツはそれで妥協したようだ。が、その腕に抱かれている月の女神の名を冠したウサギは、じとりと竜也を睨みつけていた。
ルナはある種のジェラシーを感じているのかもしれない。彼女が飼われ始めたのはつい半年前である。家族間に馴染めず、また、ライカンスロープの臭いも慣れずにいる。よって、唯一飼い主であるフィッツは別として、竜也は彼女の中では完全な邪魔者であった。そんなふうに思われていることに、当の本人が気づくはずもなく、常に睨まれることについてはもはや慣れっこであった。精々、目つきと性格の悪いウサギくらいにしか思っていない。ただ、今日は再三足蹴にされた恨みがある。そのため、あえて竜也は彼女の眼差しを無視した。
「で、どうだった?」
「えっと、こっちは二十八匹確保。大変だったけど、アスカ先輩と誓鈴のムラクモ君もいたから何とかなったよ」
「アスカ先輩?」
「すっごく日本に詳しくて面白い先輩だよ。ちょっと変ってるけど……。竜ちゃんの話したら是非会ってみたいって。あ、先輩生徒会の書記だから、ついさっきまでここにいたんだけど、今はダナン先輩のところに行っちゃったんだ」
残念そうな顔をするフィッツだったが、どの道この学園内、しかも生徒会ならば、そのうちに嫌でも会えることだろう。
とにかくこれで一件落着。すぐにでも学生寮に帰り、荷物の整理もそこそこに、早くシャワーを浴びて昼分も含めた夕食を摂りたいところである。しかし、解散のお声掛けがない限り、ここからは退場できない。
竜也が暇そうに肩に手を置いて腕をぐるぐると回していると、誰かの怒鳴り声が響いてきた。驚いてフィッツと声のした方向を見渡すと、見覚えのある柄の犬がリードを引っ張られ唸っている。それを無理やり学生がゲージの中に入れようとしていた。
「竜ちゃん、あれってライカンスロープだよね?」
「ああ、雷神と目の色が違うが、同じ種類だ。まずいな……」
相当嫌がっているライカンスロープを、雷神も心配そうに凝視している。
「おい、さっさと入れ!」
なおも学生を睨みつけ、頑として動かず唸る軍用犬の目は、明らかに怒りの炎をちらつかせていた。ライカンスロープの特性を、遺伝子と経験で叩き込まれている竜也に、その危険性が解らないはずが無い。あれは今にでも跳びかかる危険信号だ。だが、妙である。すでにリードに繋いでいるのに、飼い主の元に帰さないのはなぜだろうか。
「お前を買うのにいくらかかったと思ってるんだ! 言うことを聞け!」
その怒鳴り声に、竜也は呆れつつも理解した。
ライカンスロープは確かに強く利口だ。軍用犬としてもっとも重要な訓練を受け、それがしっかりと終了してから取引されている。しかし、飼い主を自分のリーダーと認めない限り言うことを聞かないのは、基本的には一般的な犬と同じである。さらに、ライカンスロープはプライドの高い品種だ。自分より劣っていると判断した相手には酷く無関心だ。それどころか、軍用犬として磨き上げられた闘争力が、牙を剥くことも少なくない。最強の軍用犬は、扱う者を選ぶのだ。その能力がなければ無理に飼うことなど不可能である。それを理解せず購入した者は、まさに目前の学生のようになる。
竜也が事の収拾を図るため、一歩を踏み出すと――
「うわっ!」
だが、事態は急速に悪化した。とうとう痺れを切らしたライカンスロープが、学生に向かって跳びかかったのだ。竜也は慌てて走り出す。距離が明らかに遠い。
――くそっ、間に合わない!
学生の喉に凶暴な牙が振り下ろされる。フィッツが思わず顔を覆ったと同時だった。巨体がライカンスロープの脇腹めがけ、弾丸のように体当たる。巨体よりも一回り小さいライカンスロープは、ふいをつかれ横に思い切り弾かれた。悲鳴は上げない。軍用犬の特性だ。跳ばされながらも、体制を立て直し、地面に仁王立ちで着地した。
「勝負なら俺らがしてやるぜ! かかってきな、ライカンスロープ!」
巨体の後ろから現れたのは、小柄な上級生、ヨハンであった。そして巨体の正体は、なんと鬣の立派な雄ライオンである。それが大きな口を開け、威嚇の雄叫びを上げる。その場にいたほとんどの動物を硬直させるのに十分な迫力だ。だが、当然軍用犬であるライカンスロープは、より一層牙を剥いて臨戦態勢を露にした。
「おい、やめろ!」
たまらず竜也が怒号を上げる。相手を煽っては、お互いに血を見ることは明白である。
「はっ、黙って見てやがれ、生意気な日系坊主! おめぇは見たとこライカンスロープの扱い方がわかってそうだけどよ、ここまで怒り狂った状態のやつを鎮めるこたできねぇだろ? だったらぶっ倒したほうが手っ取り早いだろうが!」
「なっ……」
竜也は言葉を失った。あまりにも無謀な方法論に開いた口が塞がらない。
「アポロ、お前はあいつの足止めしろ。後は俺がなんとかする」
「アイアイサー、ヨハン」
アポロと呼ばれたライオンの首には、誓鈴の証がさがっている。そこからは少年のような溌剌とした声が鳴り響いた。
最初に動いたのはライカンスロープだった。敵と見なした相手は、自身に体当たりを仕掛けたアポロだ。もはや兵器と化した爪と牙を剥き出しにして、急所である首に向かって飛びつく。それに応戦するかに思えたが、アポロはあえて鬣に食いつかれるのを良しとした。彼の目的はあくまで相手の足止めである。しかしライカンスロープの牙は予想以上に鋭い。さすがに百獣の王といえど、されるがままに噛まれていたのでは致命傷になる。肉を食いちぎらんと首を振ろうとする頭を、アポロはその巨大な前足でがっしりと制御した。
野生動物のドキュメンタリーと見紛うほどの場面に、フィッツは竜也の袖を掴む。
「ど、どうしよう」
竜也はその質問に答えない。いや、答えられなかった。ただ固唾を飲んで見守るしかない自身が歯がゆい。
「いいぞアポロ、そのまま抑え込んでろ!」
いつの間にかライカンスロープの後ろに回ったヨハンが叫んだ瞬間、銃声が鳴り響いた。周囲の空気が張り詰める。その直後、ライカンスロープの噛む力は徐々に弱まり、力なく地に崩れ落ちた。
「よっしゃ!」
ヨハンの手には先ほど発砲した銃が握られていた。竜也は一気に頭に血が昇るのを自覚した。
「あんた何をした!」
フィッツが思わず後ずさるほどの声音で、竜也は怒りを露わにした。
――まさか撃ち殺すなんて……。
竜也は止められなかった後悔よりも、なぜそんな選択をしたのか、ヨハンの考えがわからない。それではあまりに非道すぎる。思わず体が先に動き、ヨハンの胸倉を掴みかかった。
「もっと別の方法があっただろ!」
「はぁ? お前だったらどうにかできたのかよ。これが最善だ!」
「だからって殺すことないだろ!」
「へ?」
激しい言い争いになるように思えた会話は、ヨハンの気の抜けた声で途切れる。
「いやいや、待てよ。よく見ろ。あれ“麻酔”だっつぅーの!」
竜也は慌てて後ろを振り向く。ライカンスロープの太ももには、確かに麻酔の針が突き刺さっていた。
「猛獣用の薬だから強力だけどよ。死にゃしねぇよ。安心しな」
頭に上った血が一気に引き、強張った肩から力が抜ける。竜也はヨハンから一歩離れ、手元を指差す。
「でも、その銃……」
「ああ、これ?」
ヨハンがにやつきながら、地球共同連邦指定の軍用拳銃をいじりだす。弾丸の装填部を外すと、そこにはあと二回分の麻酔針が仕込まれていた。
「俺、猛獣捕獲担当だったから、急遽改造して麻酔銃にしてやったんだ。どうだ、すげぇだろ?」
「……紛らわしい」
がっくりと項垂れる相手の背中を乱暴に叩きながら、大口を開けて下品に笑うヨハンに、別の意味で竜也は心底腹立たしく思う。だが、その様子を見ていたフィッツは、一先ずほっと胸を撫で下ろした。
竜也は気を取り直して、腰を抜かしている学生に話しかける。
「おい、お前立てるか?」
「ふ、ふん。僕はライオネルだ。お前って呼ぶな」
無愛想に差し伸べられた手を払いのけ、よろよろと立ちあがったライカンスロープの飼い主、ライオネルは、倒れている自身の誓鈴候補生にむかって、あろうことか砂を蹴り掛けた。
「この駄犬が! 僕に恥をかかせやがって、とんだ大損だ!」
その科白に、竜也が黙っている筈がなかった。
「ぐあっ!」
気づいた時には、拳がライオネルの顔面を押し潰していた。
「お前みたいな飼い主は、ライカンスロープの主には相応しくない。それどころか、相手を責めてばかりで自分の非を認めない限り、どの動物もお前を主だとは認めないだろうな」
地べたに尻もちをついた相手を、鋭い眼光で見下しながら、竜也はどすの利いた声で捲くし立てた。相手は反論できずに口をぱくぱくと動かす。言うだけ言って、竜也は倒れているライカンスロープを抱え上げる。
「助けてやれなくってごめんな」
優しくゲージに入れると、ライオネルを振り返る。
「訓練所に帰してやれよ。お前にこいつは無理だ」
「お、お前に言われなくったって、そうしてやる!」
こんな役立たずと、続けようとしたライオネルの口は、竜也の一瞥で閉じた。
「なんか疲れたな」
「竜ちゃん……」
肩を落とす親友に、なんて声をかけていいのか分からず立ち尽くす。彼らの隣には、雷神が相変わらずお行儀よく座っていた。
しばらくして、放送でダナンの声が、誓鈴候補生の回収が済み、解散してよいという内容を告げる。それを合図に周りにいた学生たちが、各々に背伸びなどをし、お互いの健闘を讃え合う。竜也たちも苦笑いし、学生寮に戻って行った。
学生寮の部屋は基本的にみなシェアルームだ。一人部屋を与えられるのは生徒会の会長、副会長、そして書記だけである。
竜也とフィッツの部屋は一階にある107号室で、正面玄関から一番奥にある部屋だ。
部屋の中には誓鈴用のゲージが二つ、簡素な二段ベッドに、折りたたみ机が一つ、パソコン台も一つある。洗濯機はユニットバスに続く脱衣所にあり、食事は共同食堂で摂ることとなるため、部屋にキッチンはない。
「だぁ~っ、疲れたねぇ~」
すでに配達で部屋に運ばせてあった大きなバックに、フィッツがだらしなくもたれかかる。ルナがそこですかさず膝に乗り、夕食の催促をする。荷物の中からペットフードを出し、ゲージの中にセットした。ルナをそこに入れてやると、もりもりと食べ始める。見ているだけで自然とフィッツの腹が鳴った。
竜也も淡々と雷神に餌をやりながら、すっかり疲れ果てている顔のフィッツに話しかける。
「荷物ある程度整理しといてやるから、お前先シャワー浴びてこい。全体的に土っぽい。部屋が汚れる」
「ふぁ~い」
汚れた衣類を脱ぎ捨てながら、ふらふらとユニットバスに向かうフィッツ。その後を竜也は慣れた手つきで洗濯ものを拾い集める。ふと振り返り床を見渡すと、案の定土や草がフィッツの歩いた通りにぽつぽつと落ちていた。
「……掃除機、かけるか」
荷物の中からハンディタイプの掃除機を取り出す。竜也は元来、割と綺麗好きであった。床に外から持ち込んだ汚れが落ちている事など、言語道断である。対してフィッツは多少の埃やゴミは気にしない。というより、竜也が指摘してやっと重い腰を上げ、掃除を始めるといった具合だ。始めのうちこそ竜也が色々と指摘していたが、そのうちに注意する方が面倒くさくなり、自分でやってしまった方が早いという、現在の結論に至る。
「制服、これ掃除機だけでいけるか?」
フィッツの制服を持ちながらしばし考え、結局ベランダで振ったり叩いたりしているうちに大分綺麗になった。満足して床の清掃、荷物の片づけを順序良くこなし、そうしているうちにフィッツが呑気にシャワーを終わらせ出てくる。
「竜ちゃ~ん。タオルと着替え取ってぇ~」
「持って入れよな」
脱衣所から手だけ出して訴えるフィッツに、雑にご所望の品を投げつける。
「メルシ~」
月出身者流の感謝を述べ、再び脱衣所に手を引っ込める。彼らの先祖はフランス人やイタリア人の移民という説が主流である。月出身の人間を『リュヌ』と呼ぶ習慣も、そのためであろう。
「はぁ、さっぱりしたぁ~。あれ?全部片付けてくれたんだ?」
髪を拭きながら、カーゴパンツと水色のパーカー姿で脱衣所から出てくる。部屋の中を見渡して、竜也の手早さに感心した。
「お前が出てくるまで暇だったし。飯、一緒に食いに行くだろ?」
「食堂まだやってるかな?」
「七時までだからギリギリだな。なんなら外に食べに行くか?」
「いいね、行こ行こ!あ、ルナと雷神はお留守番だよ~?」
学生寮の門限は十時。それまでに帰って来られなければ、学校の門が閉められてしまう。
「シャワーは?」
「帰って来てからでいい」
そう言いながら竜也はさっさと制服から私服へと着替える。ジーンズにロングTシャツという、至ってラフな姿だが、色みが暗いせいか、はたまた目つきのせいか、少しガラが悪く見えてしまうのは、今に始まったことではない。
外に出ると、門の前には生徒会の面々が各々私服に着替え、勢ぞろいしていた。
「お、フィッツく~ん。待ってたよぉ」
アスカが愛想の良い笑顔で手を振っている。その横にはヨハンが腕組みをしてむすっと立っていた。なぜか右頬に湿布を貼っていたが、なんとなく聞いてはいけないような気がして、フィッツはあえてそのことには触れずに駆け寄る。
「みなさんもこれから夕飯ですか?」
「そっ。外に食べに行くから、待ってみようかって話してたんだ。本日の功労者二名をね。ところで君が噂の天野竜也くん?」
竜也が黙って頷くと、アスカは夢見る少年のように目を輝かせ「YES!」とガッツポーズを取った。
「リアルサムライボーイ!ねね、今度さ、剣道教えてよ!いや、この際柔道でも空手でもいいんだけどさ!日本について語り合おうじゃないか!」
竜也に顔を近づけながら、完全にエンジン全開になってしまったアスカを、ダナンと貴翔がたしなめる。
「今語り始めたら夕飯を食べに行くどころじゃなくなるぞ?」
「その通りです。後にしなさい」
三年の会長と副会長に言われたのでは、二年の書記はしょんぼりと黙るしかない。ヨハンがぼそりと「このキモオタ」と言うと、アスカの鋭いエルボーが鳩尾に入る。呻いて蹲るヨハンを見て、貴翔が呆れ、ダナンが苦笑する。その様子を見た新一年二人は、思わずぷっと吹き出した。
かくして、一癖も二癖もある先輩たちに囲まれ、竜也とフィッツの士官候補生としての日々が始まるのだった。




