第七章「連邦国立出雲士官学校」 (9)
Ⅸ
「竜也」
優しい兄の声に呼ばれて振り返る。双子なのだから当然同じ歳のはずなのに、彼の方はどうにも大人びた品のようなものを持っていた。少なくとも、幼い日の竜也はそう感じていた。
小さな足を引っ掛けて、大木の枝に腰掛ける。ぶすくれた顔で「まだ帰りたくない」という弟に、兄は苦笑しながら手を伸ばす。
「伯父さんの鉢を割っちゃったの、一緒に謝ってあげるから……」
どうしていつもの時間に帰宅しないのか、兄には基本的にいつもばれていた。
「やだっ!」
「どうして?」
困った顔で首を傾げる相手に、竜也は尚も不機嫌に足をぷらぷらと揺らす。
「……辰兄までなんで怒られなきゃいけないんだよ。それに、父さんもまたどうせ帰ってきたら嫌味言われるんだ。俺、あんな伯父さんなんか大ッ嫌いだ」
自分の悪さを挿げ替えたような物言いに、多少兄は立腹した様子であったが、それでも諭すような柔らかい口調で淡々と答える。
「父さんが仕事に行っている間は俺たちのことは伯父さんが面倒見てくれてるんだから、そんなこと言っちゃダメだぞ。それに、今回はどう考えたってお前が悪い」
「辰兄はそうやってすぐ伯父さんの味方する」
苦手な人物の肩を持つ兄のことがよく分からなかった。第一、別に自分は面倒を見てくれなどと頼んだ覚えはない。極端なことを言えば、着る物があって、食べ物に不自由せず、住む家さえそろっていれば、伯父などいなくても勝手に育つとすら竜也は思っていた。
「竜也はどうしてそんなに隆徳伯父さんのことが嫌いなの?」
「それは……」
色々な言葉が幼いながらに浮かんでくる。しばらく考えてみたがまとまった言葉にはならず、結局羅列していくことにした。
「伯父さんは父さんのことも、俺たちのことも絶対良く思ってない。だから意地悪だし、いっつも威張ってるし、父さんの悪口ばっかり言ってるし。とにかく、嫌なもんは嫌なんだからしょうがないだろっ!」
最終的には当り散らすような語尾になってしまう。兄は仕方がない奴だとばかりに深い溜息をついた。
「もう分かったから。でも、このままってわけにはいかないだろう? ほら、もう帰ろう。そろそろ父さんも帰ってくるよ」
それでも頑として譲る気配のない竜也に、兄はいよいよ苛立ちを募らせる。そこへ、なにやらかさかさと葉を分ける音が二人の耳に届く。振り向くと、ひょっこりと顔を出したのは父の誓鈴、神威であった。
「主、ここだ」
「おお、いたいた。探したぞ二人とも」
顔に掛かる葉を分けながら、父がやって来る。兄弟が遊んでいる場所は大体把握しているのか、帰宅してすぐにこの林に来たようだ。その父に、竜也は何かに弾かれたように駆け出し飛びついた。
「どうしたぁ、また喧嘩でもしたのか?」
「してない」
父の足元にしがみつきながら、くぐもった声で即答する。
「じゃあ、どうしたんだ?」
「……伯父さんのとこ嫌だ。帰りたくない」
兄が何か言いたげに一歩足を踏み出した音がしたが、父はそれを制してそうかそうかと頷いた。
「ごめんな、兄貴も厳しいだけで悪気があるわけじゃないんだ。それに、俺が仕事の間お前ら見てくれる大人の人がいないと、色々と困るだろ?」
「……別に俺困らないもん」
「竜也っ! いい加減にしろ、我侭言うなよ!」
兄はとうとう怒り出したが、父は相変わらず柔らかい笑顔のまま、竜也の頭をそっと撫でた。
「なあ、竜也。お前は将来何になりたいんだ?」
急に別の話題をふられた竜也は一瞬きょとんとするが、ほとんど自然なことのように「父さんと一緒、軍人」と、口にする。
「そうか、じゃあ強くならなきゃなあ。皆を守る仕事だからな」
そこではたと竜也は気づいた。自分は今、伯父から逃げているだけではないかと――
「……辰兄」
竜也は兄に振り返ると、ぐっと手を突き出した。
「俺、帰る」
その言葉に少し機嫌が直ったようにはにかみながら、兄はその手を取る。
「……うん。帰ろう、竜也」
竜也の左手を兄が、右手を父が握り、一緒に帰路へとついた。見上げてみた父の顔は、安堵したような、それでいて少し切なそうな……、まだ子供だった竜也には、父の心情までは計り知れなかった。
――そうか、俺、自分のことばっかりで、父さんのことも、兄貴のことも、ちっとも考えてなかったんだな……。
後悔の波とともに、竜也の目の前から景色が一転する。
――ここは……家?
そこはよく、父が竜也たちに柔道などを教えてくれた、板の間の広間であった。
「お前はどうしてそう物覚えが悪いんだっ!」
「――っ!」
床に小さな体が叩きつけられるのと同時に、広間にはけたたましい怒鳴り声が響く。竜也の目の前に倒れていたのは兄、辰巳であった。
――あれは、伯父さんっ!
こめかみに青筋を立て、凄まじい剣幕で、およそ幼児に対する叱り方とは思えないその仕打ちを目の当たりにする。
伯父は突き飛ばした辰巳を足蹴にすると、自身の足を支えるための杖でもって、小さな甥っ子の背中を何発も打ち据え始めた。
――やめろっ!
竜也は止めに入ろうとしたが、なぜか足が進まない。それどころか、何かこちらとあちらの間に見えない壁でも立ちはだかっているようであった。そこで初めて、自身の矛盾に気がつく。
――これは……?
己の手の平を見る。明らかに目の前の兄とは年齢が違う。それもそのはずだ。なぜか竜也は現在の姿かたちで、兄の過去を見ていたのだ。
「ごめんなさいっ! ごめんなさい……っ!」
泣きながら必死に謝る兄の姿が痛ましい。竜也は歯痒いながらもその場に立ち尽くすことしか出来ない己を恥じた。辛かったろう、苦しかったろう。ありとあらゆる兄への感情が竜也の心を蝕む。
――俺はどうしてあの時、もっと強く、一緒に行こうって言ってやれなかったんだ。
そう、これはすべて、竜也が見逃して来てしまった現実の光景に違いなかった。
――頼む、もう、やめてくれ。
あれほど謝っているのに、伯父は尚も泣き叫ぶこと自体が許し難いと、兄の腹を蹴り上げる。息を詰まらせながら、今にも吐き出してしまいそうな咳を懸命に堪えて、辰巳はよろよろと立ち上がり、落ちていた竹刀を拾い上げた。
――……辰兄。
今にも躓いてしまいそうな足を引きずる兄の姿が、徐々に遠ざかっていく。
――俺は、俺はどうしたら良かったんだ。あの時、俺に何が出来た?
軍人になりたい。それは他でもない、自分の周りの人々を守りたいと願ったからだ。それなのに、現実は双子の、たった一人の兄でさえ、意図もたやすく見捨てたのではないか。
『竜也』
その場に膝をついていた竜也の視界は、いつの間にか真っ白に染まっていた。名前を呼びかけられた方を向いてみるが、そこには人影は存在しない。誰かと尋ねたところで返事はなかった。ただ辺りには、殺風景で何もない、無の世界が広がっているばかりである。
ひょっとしてと、竜也はこの場所に心当たり、声に出して尋ねてみた。
「なぁ、俺、死んだのか?」
そう口にした途端、じわりと胸が軋んだ。そして気づいた時には叫んでいた。
「英雄様だかなんだか知らないけど、頼むよ。俺はまだこんなところで休んでられないっ! 帰らなきゃ……。俺は、帰らないといけないんだっ!」
刹那、立っている世界が割って開け、宇宙のような暗い世界へ放り出される。そして竜也の背中を、誰かがそっと押してこう告げる。
『お前のせいじゃない、自分を責めるな。――ただ、信じる道をひたすらに貫け。それだけやれたら、上出来だ』
竜也の瞳には少しだけ、にっと不敵に笑ってみせる懐かしい口元が、すっと映りこんだような、そんな気がした。
「くそったれぇえええっ!」
ヨハンの咆哮が樹海に響き渡った。ホバーが出せる最高速度で、フィッツの後を追いかけている隊列の尻尾を捕らえる。
残った火薬を使い切る勢いで敵の背中に砲弾を浴びせるが、まだ規模にして二十機ほどある列の三分の一も数を減らすことは出来ない。そしてさらに状況が悪かったのは、そのような攻撃を行っても、相手は一切こちらを無視するようにフィッツを追い続けるのだ。
「アスカ、どうなってやがるんだ! 全然敵の奴らこっちに釣られやがらねぇっ!」
「たぶん、こっちが二機だからだよ。一機を追った方が確実だと思ってるんじゃないかな?」
「んじゃ、お前離れろよっ!」
ヨハンの意見ももっともであるが、いざ敵が半数こちらを向き直った時、ヨハン一人では荷が重い。丁度相手を追っている自分たちは、坂の下の方に位置する。下がってくる敵はスピードが増すが、反対にこちらは駆け上がって向かい討つ事となり、格段に機動性が落ち込む。そうなると、ただでさえ俊敏な動きが得意ではないヨハンのメタトロンでは、非常に不利と言う物である。
「落ち着いてヨハン! フィッツくんのことだから、何かいい考えがあるからこその無茶だと思うんだ。上手くすれば敵を前後で挟み撃ち出来るかも……。とにかくこのまま後ろの列を削りながら追いかけた方が得策だよ!」
「ったく! 断崖に向かって一直線なんて、凡人脳の俺にはまったく意味不明だぜっ!」
その時、文句を垂れ続けるヨハンの頭上を、黒い影がざっと駆けて行った。その影には二人とも身に覚えがある。
「ピーター?」
「あんにゃろっ、今更現れやがって!」
そういえば浜辺で応戦中に彼のマガツヒの姿は見かけなかった。いくら気まぐれな他校の同輩とは言え、さすがに手伝う気になったかと思ったその瞬間。
「雑魚に後ろ取られてるんじゃない! 僕が兎を追いかける! 半数は奴らの足止めにまわれ!」
信じられない命令を相手側に下しながら、ピーターはそのまま上空を飛んでいってしまう。己の耳を疑うしかないヨハンとアスカであったが、事実、敵は半数をこちらに向け応戦の体制を示した。
「んだよっ! 意味わかんねぇ事が起こり過ぎて俺の頭パンクしちまいそうなんだけどよっ?」
アスカは普段見せる事のない真剣な顔つきで、奥歯を悔しげに噛み締めた。
「……裏切ったんだ。ピーターはそもそも宇宙開拓同盟側の人間になっていて、この日の試合を内通した。それならば、どうして敵がここにこのタイミングで狙いをつけて、これだけの戦力を用意できたのか納得が行くよ」
「はあっ?」
目を見開きながら、尚も理解力のない表情をするヨハンに、アスカは敵の攻撃を受け流しつつなるべく簡潔に説明する。
「つまり、攻撃の仕方がいまいち迫力のないこの状況から考えて、敵の目的は一機でも状態のいいテスト機のアンジェクルスと、その戦禮者を鹵獲すること! しかも教官たちが応援に来ない短時間の内にそれを遂行する手はずになっているんだってことだよっ!」
「馬鹿野郎っ! それを先に言いやがれ!」
「君が鈍すぎるんだよっ!」
言葉の応酬を繰り返している間も、敵は群れて二人に襲い掛かる。遠距離型の二機に対して、当然のように坂の上から勢い付けられた近接攻撃が繰り出され、二人は苦戦を強いられた。
「くっそ! こいつらもう手抜く気ねぇなっ?」
次々と浴びせられるビームソードの斬撃に、巨大なハルバートを盾代わりにするヨハンは、反撃の隙を見出すことが出来ない。
敵はどうやら標的を完全にフィッツのガブリエルと定めたらしい。つまり、ここにいる二機は、破壊してしまって構わないという結論に至ったのだろう。
「まずいよっ! フィッツくんそういえばライフル持ってなかったよっ?」
アスカは先ほど向かって行ったピーターの攻撃に対抗するには、ガブリエルの備え付けの出力だけではどうにもならないと焦った。
しかし、今は人の心配よりも自分の身すら危うい。とにかくここは活路を見出さなくてはならず、アスカはきっと敵を睨みつけた。
「ムラクモ、システム開放は済んだ?」
「ああ、遅くなってすまん。試合モードは解除し、実戦用に切り替えた。高出力での攻撃がこれで可能なはずだ」
先ほどまでは敵のコックピットを確実に狙い撃つか、何発も同じところに撃ちこまなくては機能を停止させるまでには至らなかったのだが、これでフルエネルギーでの攻撃が可能となった。ただし、その分エネルギーの消費も、戦禮者への負担も大幅に増えることは容易に想像出来る。だが、この期に及んで出し渋っている余裕など、有る筈もなかった。
「狐火デルタ配列で展開っ!」
バトルファンで敵の攻撃を弾き回避しながら、アスカは叫ぶ。すると、今まで周りを囲うように浮いていた狐火のユニットが、それぞれ三個で一組となり、トライアングル型に構成されていく。
「デルタ砲で攻撃する! ヨハン、避けて!」
「ちょっ、おまっ!」
言うが早いか、アスカは発射スイッチを押し込む。三つが一体となった出力は、ユニットが一個の時よりも太い光の線を放ち、敵を串刺しにするように打ち抜いていった。
寸でで自分にも当たりそうになった攻撃を避けながら、ヨハンは悪態をつく。
「てめぇ、後で張っ倒されてぇのかっ!」
「そんなこと言ってないで君もがんばりなよっ!」
「ちっ、同士討ちだけはごめんだっつぅの。アポロ! こっちのシステム開放はまだかよっ?」
アポロはそれに対して大変申し訳無さそうに事情を告げる。
「ごめんヨハン。一生懸命探したんだけど、やっぱりないんだ」
「なにがっ?」
「最大威力のミサイル。砲門が開かないシステムになってるだけじゃなく、そもそもそれ用の弾薬が搭載されてないんだよ!」
「っんだとぉお!」
考えてみればそれもそのはずである。そのような破壊力のある弾薬は実戦形式といえど、対校戦には不必要なものである。不正を防ぐためにも、実弾ならば士官候補生に解かれないような難しいセキュリティーを組むよりも、最初から載せなければ話が早い。
ヨハンはもはや万事休すかと思われた。なにしろ、先ほど敵に追いすがっていた時点で、だいぶ手持ちの弾薬を使ってしまっていたのだ。残りの敵の数と、残弾数を見比べると、どうにも余裕がまったくない。
弾をなるべく節約するためにも、ハルバートを振り回しながら応戦するが、元々鈍い動きのメタトロンには限界があった。
「うわぁあああっ!」
「ヨハンっ!」
アスカの目の前でメタトロンの片腕が叩き切られる。すかさず庇うように前に出つつデルタ砲を放つ。敵は半数に削れたが、それでもまだ五体。片腕を失ったメタトロンを庇いながらはさすがにきつい。
「くっそ、何か、何かないのか?」
片腕だけではもはやハルバートを満足に振るうことは出来ない。ヨハンは必死にあたりを見渡す。すると、そこには見覚えのある物体が横たわっていた。
「あ、あれはっ!」
それは間違えなく、打ち捨てられたガブリエルのライフルであった。しかし、それを仮に使用するに当たり、形状的には片手で撃つことは難しいように思える。どうしても重心がぶれ、ターゲットを定めにくいのだ。どこかに砲身を支えるような土台があればいいのだが――
「しょうがねぇ……。アスカ、肩貸せ!」
「えっ?」
ヨハンは返事も待たずにウリエルの肩部分にライフルの砲身を乗せると、間髪入れずにトリガーを引いた。
銃口は確実に敵のコックピット部分を捉え、三機はあっという間に沈黙した。
「へっ、残るは二機だ。任せても良いか?」
「わ、分かったけど、君は?」
「こいつをちょっと改造して、遠くの敵にも届くようにしてやるんだよ!」
ヨハンはにたりと笑って見せると、そそくさとその場から離れて行ってしまう。少し呆気に取られていたアスカであったが、敵からの攻撃にはっとし、必死に応戦した。
丁度その頃、きれぎれのジェットを吹かしながら、ルシフェルが出雲のドックへと帰還する。
出迎えた教官たちは何事かと、倒れこんだ機体に駆け寄った。それを押し退けるようにして、ムラマツが慌てた様子でハッチ内部に声をかける。すると、空気の漏れる音ともに現れたのは、すっかり青ざめた顔のセシル少年であった。
「おいっ、何があったんだ?」
「あ……」
今にも気絶しそうなセシルはどうにか目線を相手に向けると、くしゃりと泣き出しそうな表情で訴える。
「た、大変なんです……っ! 皆が、ピーター先輩が裏切って、敵がっ!」
「待てっ、落ち着け! どういうことなんだ?」
「このままではジュダスの大群に戦禮者ごとテスト機を奪われてしまいますっ! 早く、早く応援を……っ!」
ムラマツに伸ばした腕は、肩を掴んだかと思うと、そのままずるりと下へ落ちる。そしてセシルは事切れたように、その場で全身の力が抜け落ちてしまった。
「――まさかっ!」
ムラマツの後ろで報告を聞いていたエルンストは、大急ぎで今まで監視していた空中カメラの中継を再度確認する。
何もない。ただ静かなだけの森がそこには映っていた。セシルの報告が本当だとするなら、これは偽の映像ということになる。
「まずい、謀られたかっ!」
エルンストはすぐさま本校に連絡を入れ、同時に空中カメラを提供しているテレビ局にハッキングの出所を探るよう簡単な文書を瞬時に作成し送信した。
「学長、以上の緊急事態により、彼をお借りしてもよろしいでしょうか?」
アルバートはエルンストの声音に二つ返事で答えた。許可を得ると、エルンストは出雲の整備班に主天使級を一機貸すように申し出、素早くコックピットに身を沈めながら携帯端末をとある人物あてにかける。三コールほどで相手は電話口に出た。
「キリル少佐。今どこに?」
すると、相手は丁度出雲が浮かんでいる場所よりも孤島に近い日本地区東方部にいるという。
「緊急事態だ。先に今回の試合場所である孤島へ応援に向かって欲しい。敵の襲撃があったと報告を得た。私もこれからそちらに部隊を編成して向かう」
簡潔であったが、相手はすぐに了承したのだった。




