第七章「連邦国立出雲士官学校」 (8)
Ⅷ
東から上った日が、樹海へ酷く冷えた靄を発生させる。それは、上空をも薄ぼけた不明瞭な世界へと変貌させていた。
おまけに先ほどから北側で戦闘が行われているせいで、塵まで舞い上がり強力なスモッグにまでなりつつある。しかし、セシルとピーターの戦闘において、それは極僅かな障害でしかない。彼らはナノマシンが呼び起こす第六感の感覚でお互いの位置を把握していたからだ。
セシルは北側で起こっている出来事の全容に感づいていた。それはルシフェルのシステムを完全開放したのと同時に、自身もリリスが制御し、低レベル化してあった感覚感知能力も、同時に高レベルへと引き上げたからだ。
これは彼にとって危険な賭けであった。何しろ、感覚が敏感になるということは、死者が出ればまたその魂の叫びや怨念などといった、一般的には非科学的とされているものまで感じ取ってしまう。しかしそれは彼にとって現実的に起こり得る現象であり、非常に恐ろしいものなのだ。あまりにも酷く干渉を受けると、精神崩壊の深刻性も孕んでいる。
当然その判断にリリスは反対した。だが、周りで起こっていることは生半可な出来事ではない。そこでセシルは、自身の身も省みず、一刻も早く目の前の敵を倒し、本部へ馳せ参じこの異常事態を報告せねばと覚悟を決めたのである。
「――っあぁああああ!」
咆哮には悲痛さが綯交ぜになった。この現場に渦巻く残忍さと、ピーターの歪みきった感情が、地獄の責め苦のように脳内を浸食し始めていた。
眼球は血走り、心臓は早音を打つが、それでも無数に己を狙って飛び込んでくる砲撃を次々と避け、星明りを連射する。
ピーターはそれを嘲笑うように避けながら、勢い良くこちらへと近づいて来る。慌ててビームブレードを出そうとするが、セシルのその行動はがっしりと掴まれた腕により制止されてしまう。
「出来損ないの癖になかなかやるね。けど爪が甘いよ。君は僕を倒して本部へ救援を頼みに行こうとしているんだろうけど、それは僕を倒せたらの話しだ」
「ぐっ……な、なんでこんなことを」
いかにも苦しそうな問いかけに、ピーターは楽しそうに、されど忌々しげに答えた。
「復讐だよ。僕を成功作だと褒めちぎったその口で、奴らは君こそが最高傑作だと言ったんだ。ならば僕はなんだ? 君の試作品かい? 冗談じゃないっ! 僕はここに生きている! 僕は君なんかよりずっと戦える!――だったら、僕の力を認めてくれるところに身を置いた方が、よっぽど意味があるとは思わないかい?」
「貴方のしていることは、国への裏切り行為なんですよっ?」
「国? 僕個人が敵と結託して工作がこれ以上ないほど成功してしまうような国が、今後も存在し続けることが出来ると思う?」
セシルは苦々しく歯を食いしばる。今回この島に設置された空中カメラをハッキングし、島全体をドーム状にジャミング電波を作り上げたのも、全部この目の前にいる男の仕業であると、彼には伝わる邪念から分かったのだ。
もっとも、最初からセシルがナノマシンの力を不自由なく使えていたのなら、このようなことになる前に、ピーターの暴走を回避出来たかも知れない。それを思うと、悔しくてたまらなかった。
「今頃教官共は、暢気にまだ寝静まってる朝方の映像を見ているはずだ。いくら馬鹿でも一向に戦闘が始まらないんだ、昼には気づくとは思うよ。ただ、それまで君らがもつかなぁ?」
ピーターの地を這うような笑い声が脳に直接響いてくる。吐き気すら伴うが、セシルにはもう一つ、知っておかなければならないことがあった。
何とか繋がれた手を振り解きながら、セシルはビームブレードを構える。
「貴方の目的は理解しました。しかし、敵の真の目的は何ですか? まさか貴方個人の欲求を満たすことではないはず。基地でもなく、要塞である士官学校でもない、なぜここを狙うか説明してください!」
「本当に無能だなぁ。まだ分からないの? 僕たちの乗ってるこの機体は一体何? この国の最新鋭の武器じゃないのかい?」
セシルはそこではっとした。明らかなる殺意と、とても少年たちに向けられたとは思えない敵方の恨みの念でなかなか本筋が見えてこなかったのも事実だが、確かにこんなことも察せなかったのかと、自身を責める材料には十分であった。
「そうか、貴方たちの目的は他でもない。テスト機の鹵獲……っ!」
「やっと気づいたね。けどもう遅いんだよ、何もかもっ!」
ピーターも接近戦用の武器を携え飛びかかってくる。大きめなナイフのようなその武器は、リーチこそ短いものの、確実にルシフェルの手元を狙って突いて来る。
彼とセシルの違いは、明らかな実戦経験の違いであった。何時からかは検討はつかぬものの、ピーターからは人を何人か殺した気配が感じ取れる。おそらく、前々から宇宙開拓同盟側の工作員として暗躍していたのだろう。
そのため、どうにか殺さずに撃破したいと願うセシルとは違い、ピーターの攻撃には容赦がない。
「セシルっ!」
リリスが険しい表情を向ける。それは主に決断の時を迫るものだった。
――僕は……ここでやられるわけに行かない!
この時彼は、初めて相手を殺してもかまわないという明確な意思をもって行動に移した。
「金星の鎖展開っ!」
「その攻撃は見飽き――っ?」
ピーターは思わず言葉を呑んだ。それまで規則正しい配列でしか運動をしていなかった円盤型ユニットが、まるで個々の意思を持ったようにばらばらと弾けとんだのだ。
「当たってっ!」
敵の背後を取り囲むようにしていたユニットから無数の放射線がピーターのマガツヒに向かって縦横無尽に駆け巡る。それをどうにか避けようとするが、まるで一度ターゲットにしたものを取り逃がすまいと吸い付いた蜘蛛の巣のように、ユニットが追い掛け回し攻撃を浴びせ続ける。
「ぬっ、ぐぁあああっ! くそ、くそぉおおっ!」
直撃は避け続けるものの、逃げ回るしかない自身に苛立つピーターは、相手の真の力量に嫉妬を露にする。
これだけ複雑な動きを的確に、しかも綿密に操作できること自体、セシルが最高傑作だとされる由縁である。少しでもミスがあれば、自身のユニットを自身のもので破壊しかねないのだ。しかも、それぞれが意思をもったような、まるでパターン化されてない動きはとても常人の脳波でやってのけられるものではない。
だが、こんな芸当を実戦で発動したのは初めてである。極度の緊張感とストレスからか、セシルの膝にはぱたぱたと鼻から血が落ち始める。
「だめよ、これ以上は貴方の体が持たない! とにかくここを離脱して、一刻も早く教官たちに知らせるのよ!」
「う……ん、わ、わかったよ。リリス……」
ピーターの自負はただの虚勢ではない。少なくともセシルはそう考えるに至った。彼は間違えなく強い。通常なら、セシルの攻撃を避けることすら適わず蜂の巣になっていたであろう。
「逃げるのかっ!」
慌ててルシフェルを追おうとするが、それを先ほどから追いかけてくる金星の鎖に阻まれる。一体何処まで遠隔操作が可能なのだと呆れつつも、さすがに動きの鈍くなったユニットを腹いせに強化バレルのついた散弾銃で撃ち落していく。
「うぅうっ!」
まるで自分の神経を焼き切られているような感覚に襲われながらも、セシルは必死に本部を目指して飛んだ。自身について来たユニットは八個あるうちのたった二個。出力は不十分だが、とにかくジャミングポイントからは抜け出せ、ピーターも追っては来ない。
セシルは息を整えながら、リリスに感覚感知機能を低レベルに落としてもらうと、鼻血をぐっと乱暴に拭き取りながら目的地である出雲を目指す。
――間に合って! 皆どうか無事でいて!
そのたった一つの願いを携え、少年はルシフェルの機体を限界までスピードを上げ飛行するのだった。
セシルとピーターが死闘を繰り広げている間、フィッツたちもまた難局に立たされていた。
敵はアキラが目視した限りの十機だけに限らず、後から切りなく湧くように出て来た。
一度フィッツが海へと潜って数を確認しようとしたが、それはアキラによって止められた。もし下手に探って、水中で撃破されるようなことになっては、ただ地上でやられるよりも死亡率が格段に上昇する。とにかく、今はかかってくる敵をなるべく的確に仕留める他ないのだ。
一機、また一機と仕留めていくうちに、皆の疲労度が増して行くのを感じる。なにしろ、敵を生かしておくほどの余裕などあるわけもなく、コックピットを直に狙った攻撃をせざるをえないのだ。
――これが、戦争……。
恐らく、そう思ったのはフィッツだけではないだろう。初めて敵をこの手で殺したという実感が、じわりじわりと操縦桿を握る手に伝わってくるようだった。
息を深く吐いてみたが、肩は振るえ、嫌な汗が頬を伝い落ちる。
「くそっ、一体何機居やがるんだ!」
脳内では何度目の問いになるのか分からない叫びを、ヨハンが痺れを切らしたように上げた。
その声にアキラは何か感づいたように真梨奈を呼ぶ。
「このジュダス……、ほとんどが無人機ではないか?」
「え?」
アキラは痛む胸を押さえながら、それでもはっきりとした声で告げる。
「完全にそうではない。おそらく有人機も混ざっているが、大半は無人だ。そして、基本的には敵小隊に一機はいるはずのイブリーズが見当たらない」
彼の中のナノマシンが人間の存在の有無を知らせているのだ。アキラにとってのナノマシンは有害であるが、戦場においてはやはり役立つ。諸刃の剣とはまさにこのことであると、心中で己を皮肉った。
「つまり、隊長機自体は海中でジュダスに指令を送っているということですか?」
真梨奈のその質問に頷く。
「その可能性が高い。何体ストックがあるのか……くっ……」
それを探ろうとした瞬間、また彼の肺の中で活性化したナノマシンが蠢く。
「無理はなさらないでください」
事情を知っているのか、真梨奈は落ち着いた口調で庇うように前へと機体を進めた。ボルジャンも援護するために駆け寄り、近づいてきたジュダスを両手装備のジャマダハルで引き裂いた。
「アキラさん、私たちは“崇高な目的”を共有しているのです。ここで貴方を失うわけには行きません。体の均衡が保てるまで、どうか後ろへ」
本来ならば彼女らの後方で守られるなど、アキラ本人としては不本意であっただろう。だが、自身の体を分かっていないはずもなく、ここは素直に副会長である真梨奈の意見に従った。
「ね、ねぇフィッツくん。何か良い案ないかな? このままだとエネルギーが尽きたところで皆やられちゃうよ……」
アスカですらぜえぜえと息を切らしていた。彼の狐火も原理はセシルの金星の鎖と似通ったところがある。兵器の威力自体に差があり、複雑化された個々の動きでもなく、グループ分けされたある程度のパターンがシステムで組まれているので、そこまで脳派を酷使することはないものの、やはり頭にかかってくる疲労感は相当なものだろう。
「竜ちゃんたちの捜索さえ完了すれば、地雷原まで逃げながら応戦することが可能です。とにかくそれまでは持ちこたえないと……」
「ちっ! あいつらのせいじゃねぇのは百も承知だが、このタイミングの悪さにゃ腹が立つってもんだぜ、ちくしょうっ!」
ヨハンが何処にぶつけたらいいかもわからぬ憤りを吐き出しながら、半ば投げやりな射撃を繰り返す。
――エネルギーの前に、この数の敵を長時間相手取ってる僕たちの集中力の方が限界だ。なんとかして効率よく数を減らさなくちゃ……。
フィッツは脳内に地形のすべてを思い起こした。地形の外周の半分は断崖、もう半分は浜辺。そして内側は樹海――。
竜也たちを捜索している場所は北側の樹海、そして現在地はそこから西に位置する浜辺である。海の向こうからは自分たちの姿が丸見えなのに対し、こちらは後ろの捜索チームを背に戦っている状態である。引くに引けず、進むに進めぬ、まさに八方塞であった。
やはりここは自分が海中へと潜り、敵の数や陣形を把握する他ないのか。そう考えた時であった。
――いや、相手のそもそもの目的を考えるんだ。どうもさっきから攻撃の手が温い。本気で殺そうとしてはいない。これはひょっとすると……。
可能性から導き出した答えは一つ。アンジェクルスの有人状態での鹵獲という結論であった。そう考えたとき、相手の立場としては、最善で生け捕り。最悪でも損傷の少ない機体だけの確保はしたいはずだ。
――相手が全部の鹵獲を目的と欲張っていなければ、一人が簡単に捕まえられそうなところに囮になれば、そちらに集中して目標を定めるはずだ。
さらにフィッツは自身の決断を固めるための推測を立てる。
――敵はここが当然演習所だと分かって計画を立てたに違いない。でも、僕たちにだって試合前日にならなければ知らされないこの場所が分かったということは、信じたくはないけど、内通者がいるということだ。ならばその人間から遅くとも今日を入れて二日で士官学校側の迎えが来ることは伝えられているはず。それでなくとも、ジャミング工作の存在が何時ばれてもおかしくはないんだ。なるべく迅速に目的を達成して、この場から一秒でも早く離脱したいと考える。――だとするなら、大丈夫、僕が失敗しなければっ!
フィッツは決断するやいなや、ガブリエルの踵を返し、大声でスピーカーの音量も最強にし、あろうことかその場で次のように喚きたてたのだ。
「こんなのもう嫌だっ! 弾ももうすぐ尽きる! 僕は一人でだって逃げてやるっ!」
その言葉に周囲は驚愕し、信じられないと言った様子で、文字通り脱兎の如く浜辺から東南に向かって走り去って行くフィッツの機体を見送ってしまった。
「な……はぁあっ? 何言ってるんだあいつっ!」
ヨハンがまったく予想だにしていなかった事態に、声を裏返して叫んだ。皆も声には出さないものの、残念だという空気が流れる。しかし、その逃亡兵とも見なされる情けない行動を、一人だけ冷静に分析し、舌打ちした者がいた。
「……己一人で犠牲にでもなるつもりか」
アキラは薬を飲み、口元を無造作に拭いながらヨハンとアスカに怒鳴りつける。
「すぐにあの偽善者を止めろ。あいつは一人で囮になるつもりだっ!」
その言葉に二人ははっとし、ようやく周りの変化に気づく。敵は喚きながら逃げていったフィッツを次々と追いかけ始めていたのだ。結果として敵は浜辺に残るチームを無視するように移動する。
「馬鹿野郎っ! いっつも奇妙奇天烈なこと思いつきやがって! 勝手な思いつきで行動する前に、ちっとはこっちに分かるように説明しやがれってんだっ!」
「文句は後にしよう、ヨハン。出雲の皆は、これ以上彼を追ってこないように、引き続きここの防衛をお願いしますっ!」
アスカの言葉に「承知した」とボルジャンが短く返すのを確認すると、ヨハンを引き連れフィッツと敵を追跡する。
奇しくもフィッツの機転により、敵の数が分断されたことに間違いはない。出雲はアキラを庇いながらでも何とか相手に出来るほどの数だけ任された形となった。
「あっちは断崖の中でも一番高いところのはず……」
フィッツは必死に敵の追撃をかわしながら、それでも距離を一定に保ち、誘導することに成功していた。
「ちょっと、あんたのこと信用してないわけじゃないけど、こんなことして大丈夫なんでしょうね?」
ルナが不安そうにフィッツの顔を見上げる。それに対して彼はふっと笑みを零すと「ちゃんと考えてるつもりだよ」と、なるだけいつもの調子で返すことに勤めた。
本当は相当危険なことを冒しているとの自覚はもちろんあったが、それよりも、どうにか仲間全員の窮地を救いたいという思いの方が、フィッツの恐怖心を払拭したのだ。
――あともう少し。もう少しで、地形は優位に立てるはずなんだっ!
樹海の中を突き進んで行くフィッツを、敵が扇状に展開し、囲い込むために鶴翼陣形を取り始める。一体多数で捕縛するには、当然の行動だ。フィッツはぐるりと機体を後ろに向けると、足に装備された中距離ビームで応戦しつつ、目的地点まで目指す。後方へジャンプをも織り交ぜ走りながらの操作は竜也ならお手の物であろうが、フィッツにとっては相当神経をすり減らす行為であった。だが、その甲斐あって敵の陣形を斜行に保つことが出来た。
――よしっ、このまま断崖まで誘い込めば……っ。
しかし、目の前に凄まじい爆音とともに一筋のエネルギー弾が撃ち込まれる。
「うわっ!」
丁度機体が浮いている時に喰らった爆風で、フィッツは予想以上の距離を後ろへと吹き飛ばされた。
「どこに行くのかなぁ? ウサギさん?」
上空から見下すようにして現れたのは、悪魔のような機体。その姿を確認し、フィッツは悔しげに下唇を噛む。それはまごう事なき、ピーターの操るマガツヒであった。




