第七章「連邦国立出雲士官学校」 (7)
Ⅶ
フィッツたちが出雲と交戦を始めてからそろそろ五分が経過する頃、ダナンは二機を相手取っているミカエルを発見すると、すぐに大声で後輩の名を呼ぶ。
だが、どうにも一度着火した戦闘意思は鎮火する様子はなく、竜也はダナンの声に反応せず雷神の咆哮と共にアキラのイザナギ本体に向かって突進する。
当然、相手の誓鈴ヤツフサがそれを許すわけも無く、ワダツミとヤマツミが主を守護しようと前へ躍り出る。それでも竜也はミカエルの進行方向を変えるでもなく、猪突猛進のまま二刀のライジングブレードを逆手と順手に構え、前傾して飛び込んだ。
――だめだっ、そんな攻撃では!
ダナンが息を飲んだ瞬間、竜也の操縦するミカエルは疾風の如く地を蹴り重心に回転を加える。主を守ろうと懸命に後を追いかけた両方の勾玉は、損壊はせずともブレードの連撃を受けよろめいた。しかし、重力で落下する彼の機体を待ち構えるのはアキラの操縦するイザナギであり、強靭な矛であった。
「届けぇええ――っ!」
竜也のその願いを聞き届けるように、ミカエルはジャンプ台代わりにイザナギの矛に両刃を当てがうと、めり込んで失速しないためにタイミングよく双方とも手放す。その反動のまま空中を縦に一回転しながら、なんと後方にいるスサノオに飛び掛ったのだ。
「辰巳っ!」
武器を投げ捨ててまでの無茶な攻勢にアキラはすぐにミカエルが跳んで行った方向を振り返るが、そこには天空から舞い降りた鳳凰の如きアズライールの姿があった。
「……ダナンか。後輩の御守にわざわざ出迎えか?」
「すまんな、アキラ。ここは素直に生徒会の会長同士、一対一の手合わせを願いたい」
「ふっ、子犬を自分勝手にさせて、繋いでもおけぬ貴様が私の相手か?」
イザナギは矛を一振るいすると、姿勢を低くし身構える。
「――笑わせてくれるな」
会長たちが対峙する最中、スサノオを見事捕らえることに成功した竜也は、ミカエルの特殊能力である放電を右手に集中させ、メインカメラのある頭部を勢い良く引き千切った。
「うぅっ!」
押し倒され体への衝撃があった上に、立て続けに電流の激しい閃光と、視界を失った直後の暗闇に、辰巳は動揺した。
「ぐっ……、だ、大丈夫か風神?」
主の呼びかけにも風神から返事はなく、ただ苦しげな呻き声が伝わる。ああ、自分たちは負けてしまったのだと思いかけた直後、ハッチの装甲を外部から乱暴に抉じ開ける音が内側に響き渡る。耳を劈くような悲鳴を金属同士が上げ、削り取られていく様子に驚愕していると、怒鳴り声がそれに重なる。
「今そこから嫌だつっても引きずり出してやるからな、辰巳ぃっ!」
あまりの弟の横暴ぶりに、辰巳は目を見開いて反論する。
「なっ、何をしているんだお前は! こんなのは明らかな規約違は……っ」
言いかけた言葉は飲み込むしかなかった。目の前に曙の空が差し込んだかと思うと、仁王立ちした竜也が兄の立場としては見たこともない形相でこちらを見下ろしていたのだ。
「……とっとと表に出ろよ馬鹿兄貴」
「お前、自分が何をしているのか分かっているのかっ?」
「――っ、無駄な説教は聞き飽きたってんだよ!」
竜也は力任せに相手の胸倉を掴み上げると、地面に向かって放るように背負い投げをかました。
「ぐあっ!」
思い切り背中を打ちつけた辰巳は息を詰まらせるが、それでも何とか起き上がらねばとした体を、今度は上から押さえつけられる。
「さあ、何があったか今度こそ聞かせてもらうからなっ!」
「……っ、このっ」
あまりに唐突な弟の行動に躊躇していた心が、その一言を聞いて怒りの炎を燃やす。
「いい加減にしろ。言っただろう、お前なんかに話すことは何も無いっ!」
辰巳は砂を握りこんで竜也の顔面へと叩きつけると同時に、体をよじって馬乗りになっている相手を下から蹴飛ばした。
竜也が怯んだ隙に距離を取るが、蹴られた腹を押さえながら、相手は不敵に辰巳に笑いかけた。
「そうか、やろうってならそれでいい。ただし……」
ダメージなど皆無だったかのように、竜也はぎらついた闘争心をむき出しにする。
「俺は手加減なんてしないからなっ!」
「くっ!」
重い拳が辰巳のガードした腕へとずしりと響く。
「こいつは資料室でのおかえしだっ!」
「がっ!」
てっきり拳での連撃が来るかと予想したのだが、気づいた時には竜也の膝が腹に的中していた。
ざっと砂煙を上げて飛び退いた辰巳をまた拳が襲うが、そうそう当てられてなるものかと、相手の腕を受け流しつつ回し蹴りを試みる。しかし相手はしゃがみこみ前転するかのように見せ、空振りし一本立ちになっていた辰巳を、叩き折らん勢いで足払いする。脛への打撃と先ほど受けた腹への膝蹴りで、辰巳の眼前はぐにゃりと歪んだ。
――ま、まだだっ!
地面へ倒れ突きそうになった体を、どうにか受身の姿勢で保つと、上から振り下ろされた踵を両手で握り締め横へとぶん投げる。半回転しながら着地した竜也はいかにも楽しそうに口角を上げた。
「へぇ、もう泣かないんだな?」
「なっ!」
辰巳の顔があからさまに紅潮する。
幼い頃、いくら仲が良かったとは言え、そこは男兄弟である。喧嘩の一つや二つ、日常生活には折込み済みである。
その際、どうにも力で竜也に多少劣っていた辰巳は、大概負けて半べそをかいていた。それを見た伯父は「情けない」と嘆いたが、父はまだ小さな辰巳の頭を大きな手でそっと撫でながらこう言うのだ。
「今度俺がお前にこっそり喧嘩の仕方ってのを教えてやるな?」
にっと快活に歯を見せながら発したその言葉は、子の成長を見守る誠の慈愛に満ちていた。
辰巳はその光景を思い出した瞬間、何か腹から胸にかけて熱いものがこみ上げて来るのを感じた。
「……うるさいっ、黙れ竜也!」
何かを振り払うようにして、辰巳は竜也目掛けて拳を突き出した。
「余所見とは随分と舐められたものだ」
アキラは二人の様子を気にしてちらりと後方を見やったダナンに、鋭い矛の一撃を浴びせる。
「――っ、しかしあのままでは収拾がつきそうにないが?」
どうにかシャムシールで受け流したダナンは、心配そうに告げた。
「放っておけ、兄弟喧嘩などいずれは決着がつく。他人が口を挟むものではない」
アキラのどこか面白がっているような声音に、ダナンは眉を顰める。それに対し、相手は「それよりも」と、話を続けようとした時であった。
「う……っ!」
突然動きの止まったイザナギに、ダナンは不審に思い、一時休戦するように呼び止める。返事は無かったが、自ら膝をついたイザナギにこれ以上の戦闘意欲がないという意味を見出し、異変を突き止めるためにもダナンはコックピットのハッチを開けた。
「おいっ、何があった!」
尚も返事のない相手に痺れを切らし、外部から緊急に戦禮者を助け出すため設置されているバルブを探し当て、自身の開いたハッチの上から手を伸ばしつつ工具で蓋を抉じ開けた。
「アキラっ!」
空気の漏れる音と共に開け放たれた内部は実に悲惨であった。
咳き込み続けるアキラの隣には、本来美しき白銀であるはずの毛並みを、赤黒い主の血で点々と染めながら、ヤツフサは悲しげな声を上げていた。
「ダナン殿、主が……」
誓鈴が助けを求めるような目を向けるが、当の本人はそれを鬱陶しそうに手で制した。肩で息を整えながら、鋭い葡萄酒色の瞳がダナンを睨みつける。
「構うな。いつものことだ、さして驚くことではない……」
「何を言っている! 第一、血を吐くような体でなぜ試合などに出たっ?」
「貴様が知る必要はない」
あまりにも突っ撥ねた物言いに、さすがの人格者であるダナンも多少腹を立てそうになったが、今はそれどころではないと判断し、本部用の通信機を手に取り、緊急事態を連絡しようとスイッチを押すが、その瞬間砂嵐の音が虚しく流れ出る。一体どういうことだと目を白黒させているダナンの前で、アキラは自嘲気味に笑い声を漏らした。
「何がおかしい?」
「くっ、くく……いいや、そうか、そういうことか。ナノマシンが知らせたかったものはこれか」
まったく話しの意図が汲み取れないダナンがむっとしていると、アキラは真剣な顔つきに戻り相手に告げた。
「良いかダナン、よく聞け。なるべく戦力の残っている奴らを今すぐ掻き集めろ。私の予想が正しければ、ここはもうまもなく本物の戦場と化す」
「な、なんだとっ?」
「二度は言わん。急げ」
当然会長二人のその会話は、本気で格闘戦を生身で行っている双子の兄弟たちに届いているはずもなかったが、竜也の背中には電流のような感覚が突如走った。
――まただ。しかも、嫌な感じが近づいてきたような……。
その隙を見逃さなかった辰巳は、竜也の肩口を右手で鷲掴みにすると、遅れて抵抗を試みた相手の腕を左手で握る。そして半身の腰を中心にし、押し上げるようにしながら足を内から外へと払い上げた。
流れるような辰巳の動きは、紛れもなく、生前の父に教わった柔道の技、払腰だ。竜也はその兄の姿に、思わず地に倒されることも気にせず目を見張る。
「ぐえっ!」
そのせいですっかり受身を取り忘れた竜也は、易々と相手にマウントポジションを取られてしまう。
「どうだ、これで満足かっ!」
弟の胸倉を掴み、右手を今にも振り下ろすぞと言わんばかりのポージングで、辰巳は威勢を張った。が、現状の彼は口の端は切れ、演習服のジャケットは土まみれになり、袖はよれよれである。おまけにぜえぜえと肩で息をしている始末だ。その格好と表情が妙に不釣合いで、竜也は思い切り歯を見せてにやけた。
「へへっ、格好は良くないが、やりゃ出来るじゃないか」
彼の顔が、その科白が、辰巳にはあまりにも見覚えがあった。
「――っ!」
思い出と現実が重なった瞬間、胸に留まっていた熱いものが、目頭へと一気に集まってくる。
「んだよ。折角褒めてやってんのに、やっぱ泣くのか?」
「泣いてないっ!」
間髪入れずにそう答えるものの、本人の意思とは関係なく、頬を一つ、また一つと、透明な水滴が滑り落ちていく。それは点々と竜也の演習服に染みを作っていった。
「……くそっ、どうして……なんでお前は……っ」
振り上げていた拳は、徐々に力なく下ろされる。
「……辰兄」
竜也が発した懐かしい己の呼び名に、辰巳が何か答えようとした、その時であった。
「――逃げろっ!」
空を割った落下音がしたかと思うと、猛烈な爆音と共に、今まで二人が居たところの土が捲りあがった。
辺りには続け様に砲撃の音が鳴り響き、ダナンは慌てて攻撃の方向を確かめつつ、そこから庇うようにして二人を捜索した。
「いたかっ?」
アキラも捜索に加わろうとするが、突如海から湧き上がるようにして出てきた複数のジュダスを確認する。ざっと目視しただけでも、十機はいるだろうか。
「主っ!」
本調子ではないアキラに、ヤツフサが問いかけるように叫んだ。
「安心しろ。私はまだ、こんなところで死にはしない」
イザナギは矛を振るい、迫り来る敵機に向かい、自ら疾走していった。
「竜也――っ! どこだ、返事をしろっ!」
ダナンはアキラが敵を引き受けてくれたことに申し訳なさを覚えつつ、普段見せぬような必死の形相で後輩の姿をアズライールのカメラを介して探し続ける。そこへ――
「ダナン先輩っ!」
「ダナンっ! これは一体っ?」
フィッツと貴翔がそう声を発しながら、他のメンバーを含めた、ユグドラシル、出雲、両チームほぼ同時に到着する。とりあえずそろった皆は無事な様子に、束の間の安堵を覚える。しかし、その中からセシルの姿を見つけ出すことが出来ない。恐らく、まだピーターと交戦中だろうと踏んで、ダナンは比較的すぐに言葉を発した。
「敵襲だ。数は複数海に隠れていたものと思われる。正直全体数は計り知れない。連絡も先ほど試みたが、教官たちとの通話が出来なかった。最悪異変に気づいてもらえなければ、三日目の試合終了時間まで応援は来ない。なので、我々に出来ることはそれまでどうにか粘り生き残ることだ」
皆が驚愕しながらも、了解する様子を見渡し、ダナンは一呼吸置いて続ける。
「さらに、天野竜也、並びに辰巳両名が先ほどの着弾で行方不明となった」
「……えっ?」
その事実を知ったフィッツとアリスは驚愕を通り越し、一瞬のうちに頭の中が真っ白になった。
「どういうことです? アンジェクルスには二人とも乗っていなかったのですか?」
すかさず貴翔が問うと、ダナンは苦々しく首を横へと振った。
「すまない……、俺の監督不行き届きだ。こんなことになるなら、やはり単独行動は強く止めるべきだった」
そう自分を責めるリーダーに、ヨハンは力強く言ってのけた。
「誰もこんなことになるなんて思ってなかったんだ。会長の責任だけじゃねぇよ」
それでもすっかり落ち込んでしまっているユグドラシルのチームに、真梨奈が喝を入れる。
「殿方がそろいもそろって情けないですよ。今すべきことを端的に命令すべきです」
その科白に頭を殴られたような刺激を受け、ダナンは改めて言を発する。
「ダメージの少なく応戦出来る者は残り弾数、エネルギーに気を配りつつ現れる敵機を出来る限り迎撃せよ。それ以外の者は俺がこの一帯を守っている間に天野兄弟を捜索。見つけ次第――……いや、見つからなかった場合でも、三十分経ったら切り上げて子島を目指す。浜に地雷原を用意してあるので、そこへ敵を集めるんだ。以上、作戦開始!」
皆それぞれの役目を理解し行動に移るが、フィッツはダナンに訴えた。
「僕はライフルを失くしてしまいました。捜索の方へ参加させてください!」
「駄目だ。お前は見たところ損傷が少ない。気持ちは分かるが迎撃に向かえ」
悔しげに歯を食いしばるフィッツに、カリンが提案する。
「ねね? 私、救急救命士の資格持ってるんだ。だからさ、何かあっても絶対助けてあげるから、君は敵をやっつけてよ。ね? お願いっ」
こんな時でも彼女は持ち前の明るさを崩すことなく、それでいて茶目っけのある言い回しでフィッツに懇願する。
「うん……」
「よしよし、いい子だ! さっ、行って行って!」
カリンに急かされ、フィッツは先にアキラの応援に向かったアスカ、ヨハン、ボルジャン、真梨奈の後を追う。
「あ、あの、私はダメージを受けていませんが、武器がありません」
アリスがおずおずと進言すると、貴翔がずいと、自身の長刀をつき渡した。
「私の機体は残念ながら移動するのがやっとです。なので私は捜索の方を当たりますから、貴女がこれを持っていた方が有効でしょう」
事務的な言い回しであったが、どことなく竜也と辰巳のことは任せておけと言われている様で、三年男子の頼もしさのようなものを感じる。
「は、はいっ! どうか、どうか辰巳ちゃんと竜也ちゃんをよろしくお願いします!」
震えそうな声を必死に律して、アリスもフィッツに習い敵のいる方へと走っていった。
「では、二人とも頼む。だが、無理だと判断したらすぐに戻れ。いいな?」
「了解!」
カリンと貴翔はダナンに返答すると、それぞれ誓鈴には待機を命令し、持てるだけの救急道具を持って、コックピットを降りる。すると、それに呼応するように、雷神と、眩暈から回復した風神も、己の機体から飛び降り二人に駆け寄ってきた。
「我らにも主たちを捜索する許可をっ!」
まったく同じ顔立ちの二頭に言われ、貴翔とカリンは快く了承した。
ダナンがこの辺りにいたはずだから、そう遠くには行っていないはずだと指し示す一帯の、避難出来そうな木々を縫うように、二人は二頭の鼻を頼りに走っていく。
「あのさ」
カリンが走りながら貴翔に語りかける。
「アリスちゃん、たつみんと弟くんの幼馴染なんだよね……」
「先ほどのフィッツも、竜也とは兄弟のような仲ですよ」
貴翔はけしてカリンの顔を見て話しはしなかったが、言いたい気持ちは受け取れる。
「そっか、じゃあさ。偉そうなこと言った手前、諦めるなんてことあたしには出来ないんだけど?」
真意を確かめるような彼女の言い回しに、貴翔はやはり顔は捜索に奔走しながらも、明確な意思を持って答えた。
「肯定します。第一、これだけ皆を心配させ、迷惑を掛けているんです。叱ってやらねば気がすみません」
「あはは、それ良いね! たつみんが弟君と揃って怒鳴られてるレアショット見てみたいもん!」
二人は初めて視線を交差させ、決意したように頷きあった。
「……痛っ」
辰巳はいきなりの衝撃と爆風で一瞬気を失っていた。だが、幸い酷い傷はなく、目の前には竜也も共にいたことに胸を撫で下ろす。
「おい、竜也」
自分に覆いかぶさるようにしている弟の肩に触れる。しかし、その感触に辰巳の顔面から一気に血の気が引いた。
「悪い、ちょっと避け方ミスった」
本人はへらっと笑って見せるが、触れた辰巳の手にはべったりと血が付着している。
「馬鹿っ、出血がある。早く傷を見せろっ!」
「何言ってんだよ……。これくらい、あんたが受けてきたもんに比べたら、全然少ないくらいだ……」
「……なに?」
目を見開く辰巳に、竜也は言葉を濁すか迷ったが、少し困った顔になると、ぽつりぽつりと正直に語りだした。
「……アリスに、聞いたんだ。親父が死んで、俺が月に行って……そんであんたが伯父さんにどんな仕打ちを受けてきたか。――なあ、あんたの背中、きっとまだ残ってんだろ……。火傷とか、酷い痣の跡とか……」
それを聞いた辰巳は堪らず下を向いてしまう。しかし、竜也は尚も言葉を続ける。
「約束してくれ辰巳……。アリスを、どうか怒らないでやってくれ。あいつはあいつなりに、あんたを心配してた。ずっと側にいるのに、何もしてやれないって……そう嘆いてた」
ふと地面に視線を投げると、そこは既に竜也の血が滴り落ち、広がりつつあった。もはや見ずとも、彼の傷口がどんなに酷いものか想像に難くない。
「――っ、分かった。分かったから! もうしゃべるな!」
「ん、あと、もう一つだけ……」
竜也はくしゃりと妙に子供っぽい笑顔を苦しげに作った。
「……一緒に、居てやれなくて、ごめん……な」
それだけ言い終えると、辰巳の背にある木に当てていた手が、力尽きたようにずり落ち、妙に見た目より軽い気すらする体が、自身に向かって倒れかかってくる。
「おい……っ、竜也……?」
軽く頬を叩いてみるが、返事は無い。
「やめろ……なぁ、嘘だろ?」
今度はもう少し強く頬を叩きながら揺すってみる。しかし、起きるどころか、相手は糸の切れた人形のように、ぱったりと地面へと倒れてしまった。
そして辰巳の目に映ったものは、無数の木々や石が無残に背中に突き刺さっている、紛れも無い、自身のたった一人の弟だった。
一切動かない相手を見て、辰巳の頭の中には、あの雨が続いた父の葬儀がフラッシュバックする。
「い……嫌だ……っ」
辰巳は必死に竜也の体を抱き起こし、少しでも止血になればと背中に自身のジャケットを羽織らせる。
「自分だけ言いたいこと言って……い、居なくなるなんて。そんなのっ、絶対許さないからなっ!」
辺りを見回してみる。一面木々が生い茂り、どこをどのように吹き飛ばされたのか検討がつかない。いや、もしくは竜也のことだ、自身の怪我など気にせず、とにかく無我夢中で攻撃が届かないところまで連れて来てくれたのかも知れない。
「起きろよ、竜也……。俺もお前に……」
謝らなければいけない……。しかしその先は消え入り、嗚咽で言葉にならなかった。ただ後悔の波が辰巳に容赦なく打ち寄せる。
そもそも、なぜわざわざ竜也を拒絶したのか。どうして父の命日に、追い払うような真似をしてしまったのか。
兄としてのプライドのようなものも確かにあった。伯父に虐待を受けていたなどという事実など、出来る事ならば隠し通して居たかった。だが、本当のところ、すべては他でもない竜也を、あの家に、あの伯父に近づけさせないための無意識の防衛だったのではないか。それなのに、今目の前にあるこの状況は一体何なのか。一体、己は何を守ったと言うのか。
――竜也、ごめん……ごめんな。結局俺は、何も、何もしてやれない……。
辰巳は急に体の半分をそぎ落とされてしまったような、途方もない虚無感に襲われるのだった。




