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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
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第七章「連邦国立出雲士官学校」 (2)

 Ⅱ

「……仇は取るよ、父さん、神威」

 納骨もされていない墓石に花束を置き、龍一と同じ黒髪の少年辰巳は、政暦一九九○年、六月、雨の下復讐を誓った。その時、彼はまだ五歳になったばかりの幼子であった。

「帰ろうよ辰兄、びしょびしょだ。風引いちゃうだろ?」

 双子の弟、竜也が喪服の兄の袖を引っ張る。彼は兄と違い、仇討ちのような言葉かけは父に対して発しはしない。ただ単に、あの世でくらいは平和に暮らして欲しいと願う限りであった。

――どうしてそんなふうに思えるんだ。お前は悔しくないのか竜也?

 大好きな父が死んだ。その事実をどう自分の中で消化していいのか、幼い辰巳には分からなかった。ただ、自分を引っ張り、ひたすら前を行く弟に、自分にはない何かを感じてはいた。

「辰兄、俺はやっぱり父さんの遺言通りアルバートさんのところに行きたい」

 その日の夜、竜也に枕元でそう告げられた辰巳は、酷く悲しそうな顔をして俯いた。

「だから辰兄も一緒に……」

「俺は行かない、お前だけ行けば良い」

 しかし辰巳はきっぱりと断った。竜也は意見が割れたのに、珍しくむすりともせず「そっか」と、少し寂しそうに頷いた。

「辰兄はもう字書けるし、電話も一人で出来るから、俺待ってるよ」

 辰巳はその言葉に返答できなかった。彼は分かっていたのだ。恐らく、連絡など二度と取らせてはもらえないであろうことを。

 それでも、辰巳はどうしてもこの天野の家を出たくなかった。父との思い出が唯一つまったこの土地は離れ難く、まだ幼い彼にとって至極当然の思考であっただろう。それに、伯父は厳しいが、あくまで自分たちの将来を思ってのことであって、竜也ほど毛嫌いする気にはなれない。竜也も兄の考え方を知っていたからこそ、無理に連れ出そうとはしなかった。

 だが何時からだったろうか、自身の保護者である伯父が、恐怖の対象でしかなくなったのは……。やがてそれは日常となり、辰巳にとっては“普通”となった。

 伯父が怒るということは、自分に落ち度があるということだ。それを泣いて許してもらえるはずはない。ならば泣くな、甘えるな。伯父を落胆させるような真似は絶対にしてはならない。己がすべていけないことなのだ。

 そう自身に言い聞かせることで、いつしか辰巳は家族に本来向けるはずの感情を、一切押し殺して生きていた。

 家庭の中にあっても、常に外向けの仮面をつけているような生活……。けれども、その生き方を覚えてからは不思議と苦しくはなくなった。それに、彼には生きがいがあった。たった一つではあるが、明確な目標が常に存在していたのだ。

――父さんの仇は俺が討つから……。そうしたら、伯父さんも俺を認めてくれるかもしれない。

 辰巳にとって、それが唯一の心の支えであった。


 中学生の時、ふと思い立って竜也に手紙を書いてみた。送る宛ては無かったが、それでも衝動的に筆を取った。


 竜也、俺はお前が羨ましい。

 俺は不器用だから、用意された場所から逃げ出せない。

 ここからはずれることが怖いんだ。

 なあ竜也、月での生活は楽しいか?

 本当は一緒に行きたかったよ。

 でも俺は……


 そこまで書いて、辰巳は苛立ったように手紙をびりびりと引き千切った。

――どうして、俺はこんなに弱いんだ……。

 地球に残ると決めたのは己の意思であったはずだ。いや、果たして本当にそうであったろうか。


 辰巳は父の葬式の日を思い出す。

 誰も入っていない棺桶をぼんやりと眺めていた。形だけの埋葬は早々に終わり、それでも気を張っていて疲れたのか、いつの間にか竜也と一緒に身を寄せ合って自室の端で眠っていた。

 ふと物音で辰巳だけ目覚め、竜也を起さないようにそっと部屋を出る。なにやら大人たちが自分たちの親権を巡って話し合いが行われているようだった。何となくいけないと思いつつも、襖の間から中の様子を見ようとした。

「ふざけるなっ! 少なくとも長男の辰巳だけは絶対に渡さんからなっ! 帰れっ、この疫病神がっ!」

 伯父の怒鳴り声と共に襖が大きく開かれる。驚いた辰巳はその場でしりもちをついた。自分も怒られると思い、咄嗟に目を瞑るが、振り下ろされたのは拳ではなく手の平であり、がっしりと両肩を掴まれたことに驚愕する。

「おおっ、辰巳。丁度いいところに来たっ! お前はこの天野家の長男だ。お前はここを継いで、ライカンスロープをお国に献上しなければならない義務がある。第一、お前は優しい子だ。伯父さんを一人になんてしないな? お前がこの家を出て行ったら、天野家は無くなってしまうのだ。お前の父さんが育ったこの家がなくなるんだぞ? それでもお前は月になど行くとは、まさか言うまい? ん、どうなんだ?」

 珍しく気弱な色も見せつつ、半ば泣き落としのような伯父を、辰巳は初めてこの時目にした。

 気づいた時にはアルバートの目の前に立たされ「月になんて行かない」と口走っている自分がいた。


――違う、伯父さんに言わされたからじゃないっ! あれは俺の本心であったはずだ。天野家の長男だから、父さんの家を無くしたくないから……っ!

 本来ならば思春期という多感な時期、辰巳の思いはこのような堂々巡りを繰り返していた。

 だからだろうか、士官学校の試験に受かった年、何か肩の力が抜けるような心地がした。少なくとも、寮生活になればあの家について考えることも減るだろうと思えたからかもしれない。



 出雲とユグドラシルの対校戦開始日まで残り一日となった早朝、辰巳は青ざめた顔を洗面台で洗い流す。

――まだ、悩んでいるのか? 俺は……。

 夏休みのあの日、伯父に初めて反抗した。そのことが、辰巳の心の中でまだ罪とも恐怖心とも付かぬ形で蟠っている。

 そのせいなのか、どうも竜也たちが出雲へとやって来てからというもの、立て続けに昔の思い出が夢に出てくる。

「こんなことでは、またアキラ先輩に“貴様の歳はいくつだ”と馬鹿にされてしまうな」

 自嘲気味につぶやくと、辰巳はゲージから風神を出し、朝の散歩へと出かけた。生徒会の書記となって良かった点といえば、このような時間から動き始めても、ルームメイトがいないので気が楽だというところだ。

 外に出てすっと息を吸い込むと、椿の香りが鼻腔を擽る。小奇麗に整備された日本庭園が出雲には数箇所存在し、その中で咲き誇る冬の花々に、棘ついた心がいくらか和まされる。そこから砂利道を少し歩くと、赤い小さな橋が架かっており、下の池には鯉がゆったりと泳ぐ。

 辰巳は元来生き物が好きだ。竜也はどちらかというとそれらと遊んでしまう性格であったが、辰巳はただじっと観察する方が好きだった。鯉もその好きな生き物の一つで、餌を撒くと大口を開けてよってくるのが何とも可愛らしく思える。

 さすがにここの鯉は管理人がしっかり餌付けをしているので、勝手には与えられないのだが、いつも辰巳が水面を覗き込むと、条件反射で寄って来るのだ。

「主、あそこにいるのは……」

「ん?」

 風神が橋より向こう側を見ながら言うので、辰巳がもう少し歩を進めると、立派な松の下で、男女が話し合っている声が聞こえる。

――あれは、アキラ先輩と真梨奈先輩?

 こんな朝早い時間に、しかもこんな場所で何を真剣に会話しているのだろうかと気にはなったが、流石に親しい仲でも間に割って入るのは無礼だろう。どうしたものかと立ち往生していると、先に相手の方がこちらに気づく。

「辰巳か、こんなに早い時間から散歩か?」

「あ、はい。お話中の邪魔をしてすみません。偶然居合わせたもので……」

「いいえ、構いません。それでは、私はこれで」

 真梨奈は綺麗なお辞儀を見せると、真っ直ぐに伸びた黒髪をふわりと揺らしながら、女子寮の方へと帰って行った。

「あの、まずかったでしょうか?」

「ん、何がだ?」

「その、いえ、やっぱり何でもありません」

 会長と副会長である二人はどこからどうみても美男美女である。辰巳が周りから二人の関係を噂する声を耳にする機会も少なくはない。もし何かそういった事情での立ち話だったとしたら、彼は完全な厄介者であっただろう。

 とても気まずそうな顔をする辰巳に、アキラは何かを察したのか、意地の悪い表情を向けた。

「辰巳、今貴様が考えていることを当ててやろうか?」

「や、やめてください……っ」

 なぜか本当にそっくりそのまま当ててしまわれそうな気がして、辰巳は動揺しながら赤面する。その様子をいかにも面白げに観察しながら、アキラは「ふむ」と自身の顎に親指を添える。

「これ以上色のある話が私にあると、また貴様に軽蔑されてしまうかな?」

「それとこれとはまた別の話では……」

 ゴットフリート元帥の愛人との関係は正直いかがなものかと今でも思うところではあるが、同年代の男女が真面目に交際する事に関してまで、辰巳が口出しすることはさすがにない。というより、むしろ愛人との関係を切って、真っ当な恋愛にシフトしてくれた方が、よっぽど健全である。

「安心しろ、私はまだ手を出していない」

「……は?」

「実は気になっているのだろう? 真梨奈のことが」

「なっ! ち、違いますっ!」

 確かに真梨奈はあの端麗な顔立ちと艶やかな黒髪で、男子たちの注目を集めている。辰巳とて素直に綺麗だとは思うが、恋愛感情とはまた別物である。言うなれば、誰しもが経験する、年上の女性に対する憧れのようなものだろう。

「そうか? では、貴様に遠慮はいらぬということだな」

「……もう好きにして下さい」

 辰巳はいい加減付き合いきれないとばかりに顔を抑えて溜息をつく。だが、それに反してアキラは何やら嬉しそうだ。

「よもや貴様とこのような話が出来るまでになるとは思わなかった」

 言われてみれば年相応のやりとりだったかもしれない。内容はともかく、軽口の掛け合いなど、辰巳は他人との今までの思い出の中に見出すことは出来ない。そもそも、同性の友人らしい友人を、これまで作れた例がないのだ。共通の女性が話題の中心に上がることなどあるはずも無い。

「辰巳、これを貴様にやろう」

 機嫌良くアキラは内ポケットから、なにやら浅葱色の守り袋のようなものを取り出す。

「これは?」

 受け取りながら、辰巳はその袋からほのかに白檀の香りが漂ってくるのに気づく。どこか懐かしさを感じるこの香木は、辰巳が好きなものだ。

「香袋ですか?」

「ああ、厄払いの効果があるそうだ」

 よくよく見ると、袋にはアリスの神社のマークが刺繍されている。あの祭りの日、はぐれた間に購入していたのだろうか。それとも、日を改めてわざわざ自分のために買い求めに行ってくれたのか……。いずれにしろ、思わぬ贈り物にどう反応していいかわからず、辰巳はぽつりとお礼の言葉だけつぶやいた。

「その袋には私からちょっとした(まじな)いをかけておいた」

「呪い、ですか?」

「ああ、冬休みにでも入ったら、中身を見てみると良い」

 どうもなにやら仕掛けたらしい。気にはなったが、先輩であるアキラがそう言うのだ、従うことになんら躊躇はない。今すぐ中身を確認することなく、辰巳は休みまでの辛抱とし、そっと自身の内ポケットへとしまい込んだ。その様子を見ていたアキラは、思わず苦笑いする。

「貴様は本当に人を疑うということを知らないらしい」

「そうでもありません、一応人は選んで信頼を置いているつもりです。先輩の手癖の悪さは評価しかねますが、その他は信用に値しますから」

「言うようになったな貴様……。だが、それでいい。参謀役にはしっかり己の意見を伝えられる者が適任だからな」

 満足げにアキラから右手を差し出される。辰巳は少し真剣な顔を作りながらそれに答えた。

「今回の試合も貴様に私の背中を預ける。殿(しんがり)は任せたぞ」

「はい、承知しました」

 アキラははっきりとした辰巳の返事に、握った手を確かめるように力を込めるのだった。



 その日の午後、竜也たちは昼食に出雲の食堂で出た和風御膳の旨さに余韻を覚えつつ、明日の試合に向けてアンジェクルスの最終整備に取り掛かっていた。

「兵隊の士気を高めるには、日頃の待遇の良さであって、ここにもう一度帰って来たいという意識を植え付けることが肝心だって話、兵法でそういえばあったよな」

 竜也はミカエルのハッチを空けたまま、装備品を確認しつつ、そのチェックリストを持ったフィッツに話しかける。

「おお、珍しく竜ちゃんから兵法なんて言葉聞いたよ……。でも確かにその通りだね。特に出雲はそういう意味では食事に力入れてる気がする」

 普段竜也たちが口にしている学食が不味いというわけではないが、基本的には大味であった。例えばスパゲッティならトマトケチャップの味。煮物なら決まった醤油ベースの汁味……、といった具合である。それぞれ好きなものが好きなだけ取れるように種類は豊富なのだが、どれもいまいち似通った様な味付けであった。

 竜也たちが特別グルメなわけでは決して無いが、ミモザの手料理に慣れ親しんでいた彼らにとって、軍隊食とはこんなものなのだろうという、妥協した気持ちがあったことは確かだ。

 だが、出雲の学食には正直驚かされた。素材の良さは然ることながら、味付けの幅広さ、栄養価のバランス、すべてにおいてハイクオリティであったのだ。

「さすが別名地球軍のお膝元だよな。ここ出身の奴って、大概後衛部隊に配属されて、一生デスクワークだけで済むって言うじゃねぇか。軍人っていうよりオフィスワーカーだよな」

 ヨハンがぶつくさと愚痴りながら、三日分のレーションを一つ一つ確認しながらバックパックへ詰めていく。

「そうは言うけど、俺にはあっちの会長が大人しく役職について、その椅子に座り込んだまま肥えて行くような人間には見えなかった。どちらかというともっと好戦的で自ら前線に立つような……」

 竜也のその意見にヨハンは呆れたように首を振った。

「何言ってんだよ。ベルクシュタイン家といえば地球軍総司令官、ようは親玉の息子だろ? ふっかふかででっかい特等席が用意されてんに決まってるじゃんか。それに、その隣の副会長の和風美人な姉ちゃんいたろ? ありゃ母親はアーカムハイム家って有名な政治家一家のご令嬢だ。今はどうも父親の姓を名乗ってるみたいだが、その親父さんだって国防委員会地球軍支部のお偉いさんだぜ?」

 なんともビックネームのオンパレードであったが、竜也にはいまいちぴんとこない。何しろ、隣にいるフィッツもアルバート元帥、すなわち宇宙軍の総司令官の息子であり、クラスメイトにはライオネルという国防委員長の息子までいる。さらにいうなら、我らが生徒会副会長も、国家総参謀議会第一書記の弟であるのだ。今更驚くこともないだろうと、思わず疑問符を浮かべてしまう。

「ヨハンが疎んでいるのは何も家柄だけの話ではありませんよ。地球軍という組織は、そういったことがわりと直接的に出世に影響する集合体だということが問題なのです」

 貴翔はラファエルの足を背もたれ代わりしつつ、ノート型端末をいじり、溜息をつきながら会話に参加した。

「要は金と権力が渦巻く伏魔殿ってやつだよ。俺は宇宙の最前線に送られたって、あんなとこに配属になるのはご免だね。嫉妬や憎悪が蔓延る気色悪いとこだぜ、地球軍ってのはよ」

「そう? 偉い人にごますってれば安全にお給料もらえるわけだし、むしろヨハンは向いてるんじゃない?」

 アスカがあっけらかんと言ってのけるので、ヨハンはむっとして反論する。

「馬鹿野郎! 俺は貧乏人だがプライドまで捨てた覚えはねぇぞっ! そういうお前こそお似合いだろうが!」

「ああ、ダメダメ。僕ああいうぎすぎすした空気すごく苦手」

 狐火(スピットファイア)のユニットを点検しながら、アスカはへらへらと笑い片手を振った。

 なにやら聞けば聞くほど地球軍のイメージが真っ黒に染まっていく。竜也は少し兄のことが心配になった。

 この士官学校の生徒会、しかも書記という役職にまでついている兄は、まず間違いなく地球軍のエリートコース入りすることだろう。デスクワークという点では向いている職業なのかもしれないが、とても今耳にした混沌とした人間関係に耐えられる性格ではないような気がする。

――それに、アリスの言っていたことが本当なら……。

 竜也は体育祭の日にアリスが打ち明けてくれた事実を思い出す。それはとても信じ難かったが、辰巳の自分への態度を思うと酷く合点のいくものだった。



「ダナン先輩、ちょっと今回の作戦について相談があります」

 日の沈んだ頃、竜也は単独で会長を宿舎前へと呼び出した。そして、とある立案をする。

「これは俺のわがままですし、聞き入れてもらえないかもしれません。けれど、どうかやらせて欲しいんです。モーリス博士にはすでに話を通して準備は出来ています。後は先輩の許可があれば……」

 しかしダナンはすぐに首を縦には振らなかった。しばらく考え込むような仕草を見せてから、一つ質問をする。

「お前一人にリスクが大き過ぎる。試合とは言え、かなり危険だぞ? なぜそうまでする必要がある?」

「単に勝ちたいからではありません。どうしても、俺自身が確かめておきたいことがあるんです」

 本来ならば私情を挟んだ戦闘は禁止すべき立場であろう。だが、ダナンは背中を向けると、独り言のように言い放った。

「今の話は聞かなかった事とする。お前が何をしても、それはすべて俺の与り知らぬことだ」

「先輩……」

 竜也は一瞬目を見開いたが、にっと笑って、ダナンの背中に敬礼した。

「ありがとうございます」

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