第六章「予感」 (6)
Ⅵ
彼の方は仰せになられた
ここに光あれ
この大地を再び蘇えさん
荒れ狂う大地は静まった
彼の方はさらに続けた
穢れしこの世のすべてのものよ失せよ
我こそは、この星に安寧をもたらせし英雄なり
かくしてこの土地は、我々の住まう姿へと復活を遂げた
生まれ変わった大地には花が芽吹き、草木が生い茂る
しかし、まだ再生したばかりの土地
一人の少女が傷つき今にも息絶えんとしていた
少女は祈った
英雄さま、どうか私の声をお聞きください
この咲いたばかりの美しい花に、私の魂を宿して欲しいのです
さすれば、貴方様の御心のまま、この星を清くあり続けて見せます
私の歌は種となり、私の体は緑へ、そして髪は花弁となりましょう
自身の身を持って、貴方様が齎して下さった世の映し鏡となることを
どうかお許しになってください
少女が息を引き取ると、傍らに彼の方は光となってお見えになられ
そして仰せになられた
貴女の尊き言霊を聞きました
しかし、貴女は生きる人の子として、わが写し身となりなさい
貴女にはその資格がある
彼の方は少女に生命の息吹をおかけになられた
少女はゆっくりと目を開け立ち上がる
そこにはもう、彼の方はいらっしゃらなかった
それから彼女には特別な力が宿った
少女の歌は森と草原を豊かにし
少女の体は動植物の声を聞き
少女の髪は人々に治癒を施した
そうして、人々は彼女を次のように呼んだ
彼の方の身使い“アンジェ”と――
政暦伝書 第五節より
児童書版『英雄の身使い』
その日、文化祭を二日後に控えた一年A組では、放課後の時間を利用して、クラス一丸となって劇の練習に取り組んでいた。
演目は地球共同連邦の人間ならば絵本などでもよく知られた『英雄の身使い』である。この演目は、代々学生たちに受け継がれる台本の中から選択したもので、ユグドラシル士官学校でほぼ毎年どこかのクラスが講堂の舞台で上演する、所謂この学園のお家芸であった。
そこには英雄信仰の総本山であるチャペルがあることはもちろん、共同政暦伝書の総編集取締役である英雄伝承者ユリウス・ドルニャークが在任しているからには、なにかしら伝書に関わった活動をしなくてはという暗黙のルールが敷かれているようだ。少なくとも、竜也は内心でぼんやりとそう考えた。
「おいっ、竜也、次お前の番だろう!」
ライオネルの怒声で我に返った竜也は「ああ、悪い」と言いながら、慌てて丸めていた台本を開いた。
竜也の役は息を吹き返した少女に、初めて声を掛ける山犬の役である。ライカンスロープという名の品種改良を行う際、狼犬を選んだのはこの伝承に由来したものだという説が有名だ。
ちなみに竜也がこの配役なのは天野家だからという、明確にして安直な理由が存在するのだが、演目選択のアンケート用紙ですら白紙で提出した前科のお陰で、彼に拒否権は生憎存在しなかった。
「“これは驚いた。まさか生き返るとは。折角食い物にありつけると思ったんだがな”」
おおよそ演技とは言い難い棒読みの科白で、竜也は前日に指示された身振り手振りを大雑把につける。
「“山犬さん、貴方はお腹が空いているの?”」
少女役を演じるのは、クラスの満場一致で見事主役の座を勝ち取ったフィッツであった。元々演劇を希望していただけあり、彼自身はやり甲斐があると目を輝かせていたが、正直なところ、男子校なだけあり少女の役というのは、どうも主役でありながら不人気なのである。
本人がそれに気づかず喜んで演じているのだから、良しとするにしても、この配役には竜也がもっとも心配している事柄が、実は一つだけある。それは――
「“ならば、あそこに生っている林檎を食べてはどうでしょう?”」
「“人間のくせに、お前は俺の考えていることが分かるのか? しかし、そうだな、あの林檎はまだ小さい。とても腹は膨れない”」
竜也が腹を擦る仕草をすると、ナレーション役のリューベックが、相変わらず鼻炎気味のくぐもった声で、努力して台本を読む。
「“少女は驚きました。たしかに、山犬の声が明瞭に意味として捉えられたのです。そして、彼女はまだ少し青みのある林檎に近づくと、なんとそこからも声が聞こえたのです”」
植物の科白を担当している学生が「“歌を歌ってくださいな。私は貴女のお声で、その山犬を満腹に出来るほどの実を生らす事ができるでしょう”」と、ナレーションに続けて告げる。
少女役のフィッツが林檎(まだ小道具が揃っていないので、代わりの丸めたガムテープ)を見つめながら、こくりと頷く。
BGM担当が講堂の機械を操作し、少女のテーマソングを流す。そしてそれに合わせてフィッツが歌い出すと、出だしの第一小節目で舞台監督役のライオネルが「カットだ! カット!」と、堪らずに叫んだ。
「お前……それ、わざとか?」
「え、え?」
なぜライオネルだけならず、周りの学生たちまでもが、いやいやをする様に頭を抱えているのか、フィッツ本人には皆目見当がつかないようである。
竜也は溜息混じりに、自分が伝えてやるしかあるまいと、親友に真実を知らしめるべく肩を叩いてやった。
「あのなフィッツ。お前の歌はこんな短い劇中歌でも、相当破壊力があるんだ」
「ふえ? は、破壊力?」
「つまり、有り大抵に言うと、お前は“ド”のつく音痴だってことだ」
カラオケの時もそうであったが、どうにも本人には自覚が無いらしい。その証拠に、彼はショックを受けながらも首を傾げていた。そしてあろう事か「と、特訓すればいいかな?」などという始末である。
正直、この音痴っぷりを寮の狭い部屋で何度も繰り返しでもされた日には、流石の竜也とセシルも「参りました」と音を上げることだろう。
「ああ、もういい! あと二日しかないからな。誰か代理で歌え!」
ライオネルがそう怒鳴り散らすが、どうにも誰もそわそわとするだけで代理歌手に立候補しない。というのも、この歌は女性口調の歌詞である。主役の役が人気のなかった理由と同じく、皆少し躊躇いがあるのだ。セシルもフィッツのピンチを救ってやりたい気持ちはあるが、彼は声があまりに小さいと言う理由で、元の役を降ろされ、舞台セッティング班(要するに黒子)に回されたしまった口である。
竜也は再び妥協の溜息を漏らすと「俺が歌うから、録音したのを少しピッチ上げてフィッツっぽく聞こえるように調節したらどうだ?」とライオネルに案を出した。
「お前歌なんか歌えるのか?」
ライオネルのその言葉に、竜也はいい加減むっとして口走る。
「だったらお前歌えよ」
「なっ! ぼ、僕はだな……その……」
どうやらライオネルは自覚のある音痴のようだ。いつも自信満々の彼が、珍しく肩を縮めて目をそらしているのだから、なんとも分かりやすい。
「ほら、時間ないんだろ? 今歌ってやるからBGMもう一回流して録音しとけ」
竜也とて自身の歌声が良いか悪いかなど判断しかねるが、少なくとも音痴だと言われたことはないのだから、何とかなるだろうとBGMの入りに合わせて息を吸った。
緑よ、育みなさい
実よ、赤く染まりなさい
青き空より燦々と光を浴び
清い大地からさらさらと水を吸い上げ
大きく、大きくなるのよ
嗚呼、どれも尊き彼の方がくださった素晴らしき贈り物
私は歌い続けるわ
彼の方のご意思に従い
この託されし命、再び尽きるまで
私はただひたすらに
彼の方に与えられし言霊を紡ぐのよ
竜也が歌い終えると、しんとその場が静まり返る。さすがに柄じゃないことをして皆失笑しているのだろうと彼は受け取ったが、その予想を裏切ったのはメルレインだった。
「ブラボーだ竜也! お前歌上手いな!」
その一言を皮切りに、本番のラストでもないのにちょっとした拍手喝采が起こった。
「いやいや、いくらなんでも大げさだろお前ら?」
なんだかむずむずとする背筋を軽く掻きながらフィッツを見ると、彼もまた目を輝かせてこちらを見ていた。
「初めて竜ちゃんが真剣に歌ってるの聞いたけど……すごい。思わず聞き入っちゃった……」
「お前まで何言ってるんだ?」
しかしあのライオネルすらも、呆気に取られて目を開いたまま固まっていた。
「い、一瞬誰が歌ってるのか分からなくなった……」
そこまで言われると、なにやら急に照れくささが増してくる。
確かに録音するのなら、中途半端には歌えないと少し力んでいた部分はあるが、それにしても皆やたらと持ち上げ過ぎではないのかと、竜也は釈然としない違和感を覚えた。
「なあ、このシーンだけどうせなら役交代したらどうだ?」
クラスメイトの一人がライオネル監督にそう相談を持ちかけた。竜也はその言葉にぎょっとする。
「ちょっと待てっ! それじゃ俺がフィッツから役奪うみたいじゃないかっ!」
慌てて拒否するが、隣のフィッツはむしろクラスメイトの案に賛成の態度を示した。
「ここのシーンだけで何も役奪われたなんて思わないよ。むしろ竜ちゃんの歌声をピッチ上げた録音にする方がもったいないって気がするし……」
――お前はどれだけ俺をよいしょするんだ!
こんなことになるなら、変な仏心は出さずに歌わなければ良かったと、竜也はがっくりと肩を落とした。正直竜也とて、少女の役など御免こうむりたいのである。
「そうだな、少女復活のシーンで一回暗転して幕下ろすから、その間に衣装交換出来れば……。戻るときは、林檎が成長するシーンで二人とも舞台袖に入って、もう一回着替えれば問題ない。少し早着替えの練習が必要かもだが、まあ、そんな複雑な衣装でもないし、出来るよな?」
どうやら周囲の意見は早々に合致したようであった。しかも、そのシーンだけ早代わりの術のようで、それはそれで観客としては面白いかもしれない。などとまで言われる始末である。
――もう、どうでもいい……。
どのみち、生徒会の方でも奇妙奇天烈な衣装を着せられる予定である。この際、文化祭での恥の上塗りは致し方ないと諦めるざるを得ないようだ。
「僕の衣装、上から被って着るワンピースだし、大丈夫だよね?」
竜也は急に訪れた偏頭痛に顔を顰めながら、仕方なしに了承した。
文化祭は三校合同という巨大な敷地内で行われる、文字通り大掛かりなお祭りだ。そのため、開催期間は三日間設けられ、学生外の家族や一般客も空港の検問を受けて訪れる。
竜也たち一年生は生徒会の仕事として、この日は初日開催時刻である午前十時に校門の前に立ち、三日間の予定が書かれた三校合同制作のパンフレットを客に配っていた。
飲食店の無料クーポンも五枚まで付いているということもあり、三十分ほどで配り終えてしまった三人は、パンフレットを入れていたダンボールを持って撤収しようと、生徒会室に足を向けた瞬間だった。
「竜也様っ!」
その声に振り返ると、そこにはヴァルキリーの三年生、生徒会会長と、副会長、それに書記まで並んで立っていた。しかし、いつもの制服とは違う格好に、竜也は思わず凝視してしまう。
何しろ彼女たちは、いかにもアスカが好みそうな白黒のメイド服を可憐に着こなしていたのだ。よりにもよって、サンドラの胸元は大きく開いており、今にもこぼれ出さん勢いである。
「わあ、可愛いですね先輩たち! どうしたんですか? その格好」
呆然としている竜也に代わって、フィッツがはしゃぎながら女子三人組に近寄っていく。
「ヴァルキリーの生徒会の出し物は、今年アンジェクルスの航空ショーが見られる屋上メイドカフェになりましたの。だからその宣伝に、私たちが年長者として各校を回っていますのよ」
航空ショーつきというのがただの女子高ではなく士官学校らしい構成である。
得意げにそう語るサンドラの視線が竜也に向けられた。恐らく何か感想は無いのかという要求だろう。
フィッツがじとりとこちらを睨んで、セシルが脇をつんつんと指で突くので、竜也は一体文化祭の準備を始めてから何度目になるのか分からないため息をついた。
「そういう格好で、あんまりここの校内うろつくなよ」
否定的な言葉に、一瞬サンドラは不機嫌な顔つきになったが、その後にぼそりと続いた「目のやり場に困る……」で、すっかりと上機嫌になっていた。
「もう、照れちゃって可愛いなあ!」
キュリアがテンション高めに竜也をからかうと、手に持っていた紙袋を三つ、彼の持っていたダンボールにぼんっと音を立てて入れた。
「キュリア、気になっていたのだけど、それは何が入っているの?」
長いスカート丈の、レトロなメイド姿をしたレニーが、袋を指差し尋ねた。それに対し、絶対領域を多めに見せたミニスカートのキュリアが、きわどい角度で振り返り、人差し指を口元に当てる。
「うふふ、ヒ・ミ・ツ! 後のお楽しみだよ。ねぇ、三人とも!」
男子三人ははっと袋の内容物に気が付いて、思わずぎくしゃくとする。
「そ、そうだね竜ちゃん! クラスの演劇終わってからのお楽しみ? だ、だよね?」
「……俺はちっとも楽しみじゃないぞ。むしろ不安しかないぞ」
「一体この中にどんなものが入っているのでしょうか」
竜也たちは、ダンボール内に燦然と輝く存在感を放つ紙袋を、思わず固唾を呑んで視線を落とした。そういえば、一体どんなコスプレ衣装なのか、竜也達にはまったく情報が来ていない。
生徒会で決まったことと言えば、竜也は演劇練習のエピソードもありボーカルに抜擢、フィッツはキーボード、セシルはベース、アスカはギター、ヨハンはドラム、三年の二人に関しては、サプライズ的にボーカルとキーボードの入れ替えに後半入るという構成のみである。
つまり、三人は衣装についてはまるで触れられていないのだ。よって、先輩たちが一体どのような格好をするのかも定かではない。
――先輩ら、ああ言っといて自分らだけマシな衣装選んでたら承知しないからな……。
何も知らない様子のサンドラとレニーは、竜也たちの反応を見て、お互いを見つめて首を傾げた。
一方、出雲も出だしの午前にも関わらず、文化祭初日とあって、人で溢れ返っていた。
午前中だったら自由行動で構わないと、ダナンに言われた生徒会二年の二人は、ほぼアスカの独断で、この日本文化に富んでいる出雲へと直行して来た。
ヨハンとしては新たな小遣い稼ぎのためにも、ヴァルキリーに行って写真でも取れればと思っていたのだが、半ば強制的に連行され、現在はすっかり目を見開いてはしゃいでいるアスカのいいお世話係と化していた。
「わおっ! 巫女さんだ! 赤い袴の巫女さんだよヨハン!」
「見りゃ分かるっつぅーの!」
「ヘイ、ガール! 記念写真プリーズ! ヨハン撮影よろしくね!」
「はあっ?」
いかにも嫌そうな顔をするヨハンに、少し恥ずかしがりながらも、日本式おもてなしでにっこりと笑った袴の少女に、ヨハンもすっかりほだされて、仕方なく彼女とアスカのツーショットを写真に収めてやった。
「貴方も一緒にいかがですか?」
少女の思わぬ声掛けに、ヨハンは思わずどきりと胸を躍らせた。
「そうだよヨハン! 君も彼女と一緒に並んで並んで!」
カメラを奪われ、ずいずいと背中をアスカに押されたヨハンは、はにかみ気味に一枚写真を撮ってもらった。
「やあやあ、ありがとう巫女さん! ところで君はなんて名前? どこのイベントをしているんだい?」
あまりにも図々しいアスカの質問攻めに、ヨハンはいい加減にしろと拳を上げたが、少女は変わらぬ笑顔で答え始めた。
「相馬アリスと申します。私のクラスはこの先にある日本庭園で、茶道をしていますよ。あと、生徒会ではその近くにある能舞台で、日本楽器の演奏と日本舞踊を公演いたします。私も拙いながら琴を弾かせてもらいますので、よろしかったら来てくださいね」
誠実に案内をする彼女は、まるで店員の鑑のようにヨハンの目には映った。そのため、一度掲げた拳をばれないように、そっと下ろす。
「生徒会のこだったんだね! 奇遇だね。僕も生徒会の書記なんだ」
「まあ、じゃあ辰巳ちゃんと同じなんですね」
「タツミちゃん?」
アスカは一瞬女友達の名前だろうかと思ったが、そういえば体育祭のミーティングの時に、同じ名前の書記がいたことを思い出す。
「ああ、あのポニテのこか!」
話が弾み出した二人から、すっかり蚊帳の外になってしまったヨハンが、ふと彼らの後ろ側を見ると、藍色の和装姿でこちらに歩いてくる人物が映った。
――んんっ? あれは、竜也?
ヨハンは今頃校門でパンフレットを配っているはずの竜也が、なぜこんなところにいるのかと疑問に感じた。だが、ふと彼には双子の兄がいたことを思い出す。
「アリス、ここにいたのか。そろそろ生徒会の準備に戻るぞ」
ヨハンはその声を聞いて、双子とは声までやはり一緒なのだなと、妙に感心してしまう。そして、彼とアスカをユグドラシルの学生だと認識したのか、竜也の兄、辰巳の表情が瞬間的に曇った。こういった無愛想な顔も、兄弟揃ってそっくりである。
「ごめんね辰巳ちゃん。今この人たちに案内していたところなの。じゃあ、また、ええと……」
相手の名前を聞いていなかったアリスは、言い留まる。
「あ、僕はアスカ・L・イオタ。で、こっちのちっこいのがヨハン。苗字はこいつ長過ぎるから覚えなくていいよ!」
「お前本当に何処までも失礼な奴だなっ!」
二人の漫才染みたやりとりに、アリスは可愛らしく袖で口元を隠しながら笑った。
「アスカさんにヨハンさんですね。覚えました」
「……早く行くぞ」
辰巳に急かされ、アリスはお辞儀もそこそこに、慌てて彼の背中を草履で追いかけていく。その動きが小柄な彼女の愛くるしさをより一層引き立てていた。
「巫女さんいいなあ……。はっ、このソウルがまさしく萌えなんだねっ!」
「おいキモオタ。そんなこと言ってると、さっきのボーイフレンドが返って来て殺されるぞ?」
「何言ってるんだい。僕にだって彼女がいるんだから、別に目移りしたわけじゃないよ!」
「へっ、どうだかな」
呆れるヨハンを他所に、アスカはぐっと拳を握りこむと、目を爛々とさせた。
「さっ! 和風ガールたちとお茶して、能舞台で日本文化を堪能したら、ユグドラシルに帰るよ!」
「俺は腹が減ってるんだが……」
げんなりとしながら、アスカに強引に腕を引かれる。それでも何とか彼が和服の女子たちとお抹茶を頂いている間に、クーポンを駆使し、ヨハンはやきそばと焼きとうもろこし、さらにオレンジジュースを入手することに成功した。
「ほら、そろそろ始まるから早く食べちゃいなよ」
外に設置された古の日本の趣がある舞台前まで来て、アスカがヨハンを肘で小突く。たった今焼きとうもろこしを食べ終わったヨハンはぎろりとアスカを睨む。
――まったく、誰に付き合ってやってると思ってやがる。
悪友を忌々しく見つめながら、ヨハンは丸め込んで口に放り込んだやきそばを、少ない回数で噛み砕き飲み込んだ。それを追い討ちで胃に流し込むために、オレンジジュースをがぶ飲みする。周りの観客にその様子を見られ、くすくすと笑われているのが聞こえるが、もはや気にはしない。空腹を満たすことが彼にとっては最優先なのだ。
すると、演舞の始まりを告げる小鼓の音が響いた。先ほど案内をしてくれたアリスが琴を奏で、それを挟むように副会長の真梨奈ともう一人、髪をくるりとアップにした女子が一緒に演奏している。三人とも雅な振袖姿で、それだけでも異国情緒の雰囲気を存分に演出していた。
小鼓担当のネグロイドの男子は、その屈強な体躯を生かし、力強く音を早める。それを合図に舞台の奥から、生徒会会長であるアキラが紋付姿で扇子を開き、見事な男舞いを披露する。皆その姿に感動し、拍手を送った。しかし、これはあくまで前座だとばかりに、アキラはさっと舞台袖に移動すると、用意してあった横笛を手に取った。
アキラの演奏が加わった二曲目が始まると、白い布を被り、和傘を持った白塗りで細身の人物が出てきた。黒地の着物をさらりと裏地の朱を翻しながら、何度か見返るような仕草で舞う。柳腰に切れ長の流し目はなんとも妖艶だ。その瞬間、なぜか観客の女性たちの黄色い声が上がる。
「よっ! 天野、待ってました!」
男子たちも早くもスタンディングオベーションで迎える。しかしアスカとヨハンはそれに混ざり、顔を見合わせた。
「あ、天野?」
そう、今目の前で女舞いを披露している人物こそ、先ほどアリスを呼びに来た辰巳だったのだ。
彼は一通り舞を披露すると、アリスが持ってきた三味線と、自身の和傘を交換し、舞台中心に用意してもらった椅子に腰掛け女形姿のまま超絶技巧とも言える、三味線のソロ演奏を始めた。
あまりの格好の良さにか、観客たちの目は自然と潤んでいるように見える。
「こ……これは」
アスカがぐっと何か訴えるような瞳を向けるので、ヨハンもにやりと笑ってそれに答える。
「おう、俺たちも負けてらんねぇなっ!」
こうして彼らは決意を新たに、ユグドラシルへと帰還したのだった。




