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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
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第六章「予感」 (5)

 Ⅴ

 怒涛の体育祭が過ぎ、さらさらと吹く風は少し肌寒さを感じる季節となった。草木も紅葉を始めた頃、昼休みに竜也は今月上旬にあった中間テストの結果を、表情の変化は少なめに、されど内心喜々とした様子で眺めていた。

「筆記試験が上位……だと?」

 電光掲示板を前に、信じられないものを見る目でメルレインがつぶやいた。

 普段ならばいかに英雄の息子であろうとも“脳筋”と言われるほどはっきりと実技と筆記での点数に開きが見られた友人が、こともあろうに自分まで出し抜き、平均以上どころか、優秀者二十名の中央に位置するではないか。

「な、何が起きた? まさかお前、カン……っ」

 竜也はなんとも失敬な勘繰りをした大柄のクラスメイトを、拳一つで黙らせた。

「竜ちゃんはやれば出来る子だったんだよ。ね、セシル?」

 フィッツはまるで自分のことのように嬉しそうだ。セシルも頷くと「勉強会の成果ですね」と竜也に微笑んだ。

 体育祭後、フィッツとセシルは竜也の応用力強化月間とし、彼を両側から挟みこんで集中できる図書室に入り浸った。基礎知識はそれなりに備わっており、尚且つ勉強することを放棄しているわけでもない彼ならば、どうにか叩き込めば身になるはずだと踏んだのだ。

「なるほど、優秀な家庭教師が二人もくっついてたわけだね」

 リューベックは妙に納得している様子だったが、竜也はこの成果に行き着くまでが地獄の責め苦のようであったと振り返る。暗記した事柄が夢にまで出て来てうなされるほどであったのだから、相当なものだったと言えよう。

「寝言で兵法をお経みたいに唱え始めた時はそろそろ限界かと思ったけど……」

「……お前ら鬼だな。竜也がそこまでになるってどれだけだ?」

 殴られた頭をさすりながら、メルレインは大げさに呆れて見せた。

「期末テストの前にもこの調子でまた勉強しましょう」

 セシルの提案に、さすがの竜也にも少し動揺の色が差した。そこに、フィッツとセシルに並ぶ成績優秀者であるライオネルが茶々を入れる。

「どんな勉強方法を取り入れたか知らないが、随分と珍しいことが起きたみたいだな。今日は空から槍でも降ってくるんじゃないか?」

「そしたらお前の頭に刺さるように祈っといてやるから安心しろ」

 負けじと言い返す竜也との間に、目に見えぬ火花が飛び散る。体育祭が過ぎても相変わらずこのような調子の二人に、フィッツは溜息混じりに間に割って入った。

「はいはい、二人共そこまで。ところでライオネル、そろそろ文化祭の出し物決めないとじゃない?」

 学生のスケジュールとは中々に酷なもので、行事が終わればまた次の行事に移行する。

 ライオネルは生徒会入りは出来なかった変わりに、クラスの学級委員長を務めている。当然、十一月中旬に行われる文化祭でのクラスの出し物を取り決める役を担っていた。

「ああ、今日の帰りのHRで決めようと思う。ちなみに、一応聞いといてやるが、お前は何かやりたいものがあるのかフィッツ?」

 なんとも上からの物言いだが、問う口調はけしてきつくはない。むしろ優しい声のトーンに、メルレインとリューベックは顔を合わせて不思議そうにしている。

「そうだなあ、クラスの一致団結って意味では、演劇とか面白そうだよね」

「ふんっ、いかにも優等生ぶった答えだが、まあ良いんじゃないか? あらかじめ候補に入れといてやる」

「本当? ありがとう、ライオネル」

 その様子を見ていたメルレインが、堪らず竜也に耳打ちする。

「あいつらいつの間に仲良くなったんだ?」

「さあな、体育祭で友情でも芽生えたんじゃないか?」

 竜也はあくまでプールでの一騒動のことは伏せておいた。もしも竜也が実はあの様子を見ていて、しかもフィッツにかなづちなのをいいことに敗北したなど、ライオネルのことを触れ回ったら、それこそヒマラヤ山脈並に高い彼の自尊心を打ち砕いてしまうだろう。いくらこうるさい相手でも、そういった弱点を突くような真似はしたくないと考えるのが、竜也という少年であった。


 帰りのHRの時間、ライオネルは早速文化祭でのクラスの出し物を決めるため、一年A組全員にアンケート用紙を配った。皆隣の席と相談し、悩みながら書いていたが、竜也は特にこれと言ってやりたいことも意見もなかったので、何も書かないまま用紙を返却した。

「むっ? 誰だ、白紙で出した奴は! おい、お前だな竜也っ!」

 すぐに犯人を決め付けたライオネルが怒鳴るので、頬杖をついて外を眺めていた竜也は特に弁解することも無く、適当に手をひらひらとさせて「気にするな」と告げる。

「もう、竜ちゃんってば基本は真面目なのにこういう時は非協力的なんだから」

「別に何でも良いし、文句言わないんだからいいだろう?」

 フィッツの非難にもまるで魂が抜け落ちたように呆けている竜也のことは、この際置いておくことにした。どうにもこういったイベントは無関心なようである。それに、彼にはまだテスト勉強の疲れが残っており、余計なことに頭を使いたくない様子にも見受けられた。

「じゃあ、これから結果発表するが、お前は選択権無しだからなっ!」

 前置きをしてから、ライオネルがぶすくれたまま集めたアンケート結果をホワイトボードに書き込んでいく。その結果、演劇、飲食店、休憩所が同票数で並ぶ。しかし、休憩所は教官たちが設けるスペースとなるため、あっさり却下と相成った。となると、残るのは演劇と飲食店である。

 演劇なら演目は何にするか、飲食店なら売る物は何かという細かいことは後回しにし、とりあえずはどちらにするか多数決を取る事にした。もちろん、竜也にはどちらにも手を上げる権利は無い。それをいいことに、彼はついに机に頬をくっつけ、目を閉じてしまった。非協力もここまで来ると極めたものだ。

「あの、質問よろしいでしょうか?」

 セシルがクラスの中で一番小さな手を真っ直ぐに上げる。

「なんだ?」

「演劇と仮定した場合、演目は誰かが台本を一から書くのでしょうか?」

「ああ、それでも良いが、図書室に先輩らが使った台本が何冊かあるから、それを使っても良いぞ」

「そうですか、ならば練習時間を削られる心配はありませんね。僕は演劇に一票入れます」

 おそらくセシルとしては、先ほど電光掲示板の前でフィッツがやりたいと話していたのを聞いて、それに賛同したのだろう。だが、普段自分の意見をあまり前に出すタイプではない彼に、周りは少なからず驚いた。

「じゃあ、セシルと同じで演劇がいい奴は挙手してくれ」

 ライオネルの指示で、クラスの半数ほどが手を上げた。当然フィッツも嬉しそうに賛成票に自身を入れる。ライオネルは黙って自分も数の内に入れ、人数を数えた。


 放課後、生徒会室に向かうフィッツはご満悦であった。

「お前そんなに演劇好きだったか?」

 竜也は欠伸交じりに、結局一年A組の出し物が演劇に決定したことに対して、フィッツの喜びように疑問を投げかける。

「ユグドラシルのアンジェ学科一年は、毎年舞台発表が多くてね? 中でも演劇が主流なんだ。僕たちのお父さんも同じ舞台で演じていたかもって思うと、なんだかわくわくしない?」

「興味ないな」

 すっぱりとそう言い切る竜也に、フィッツは脱力すら覚える。

「張り合いないなあ」

 そうぼやきながら生徒会室の扉を開けた時、いきなり耳を劈くようなハウリングが飛び込んでくる。一年三人はきんきんとする耳を押さえながら、エレキギターを持ったアスカに注目した。

「ああ、ごめんごめん。ちょっとアンプミスったみたい」

 言いながら機械をいじるアスカに、一体こんなところで何を始めたんだという疑問が浮かぶ。自然と視線は会長たちに向けられた。

「生徒会の催しを決めようと思ってな。毎年校庭に特設する外舞台を使わせてもらっているんだが、今年はそこでライブでもやろうという話しになったのだ」

 ダナンがなにやら微妙な顔つきで説明している側で、アンプを調整し終えたアスカが、徐に音を鳴らし始める。まだ微調整の為されていない弦ながら、素早く音をかき鳴らすとなかなかに様になっていた。先輩であるアスカのギターテクニックに、一通り聴き終えた後、フィッツは思わず拍手する。

「すごく上手じゃないですか!」

「え、そう? まだ腕衰えてなかったみたいで良かったよ」

 へらへらと笑うアスカの隣で、何故か貴翔は先ほどから眉間に寄せた皺を指で押さえていた。どうしたのかと問う前に、この場にいなかったヨハンが駆け足でどんと勢い良く扉を開けて入って来る。

「例のもん借りられそうだぜっ!」

 その報告を聞いた貴翔は益々眉間の皺を深く掘り下げた。

「本当かいヨハン!」

 何故かアスカは嬉しそうだ。生徒会の妙なテンションの違いに、一年生はどちらに何処から説明を求めれば良いのかきょろきょろとしてしまう。

「貴方たち、恨まないでくださいよ。恨むなら言い出したヨハンとアスカを恨みなさい」

 貴翔がほとほと呆れた様子でつぶやくので、この妙な空気感の訳を求める視線を二年生たちに向けた。それに対して、アスカは悪びれも無く、さも当たり前のように堂々と言ってのける。


「レッツ、ジャパニーズオタク文化! ずばり、コスプレだよっ!」


 その言葉を聞いた瞬間、一同は一瞬にして凍結したように手足が動かなくなる。竜也に関して述べるなら、ジャパニーズオタク文化と聞いて、口の端と眉根が不自然にぴくぴくと動いている。もはや疲労からくる倦怠感など、脳内から吹っ飛んでいた。

「僕は女子高生とかメイドさんとか王道が良いって言ったんだけど、ヨハンがインパクトは大きければ大きいほど良いって、なんだかすごいのヴァルキリーから取り寄せるっていってたよ」

「キュリア先輩に連絡入れたら、去年使っためっちゃ可愛いのがあるから期待して待っててくれってよ。良かったなお前ら、これで皆の注目の的だぜ?」

 いやらしくにやつくヨハンの顔面に、迷うことなく竜也は相撲で言うところの張り手を食らわせた。その勢いで仰け反り倒れた先輩をそのままに、つかつかとダナンの席に向かい、勢い良く机を両手で叩いた。その音は先ほどのハウリングよりも、室内に大きく響き渡る。

「……どういうことか詳しく説明していただけませんかね、会長?」

 はらはらと衝撃で巻き散った書類の向こう側から、般若の面でも貼り付けたかのような竜也の顔がのぞく。ダナンがどうどうと馬を嗜めるように両手で着席するように促すと、仕方なく竜也はソファーにどっかりと座り込む。フィッツとセシルもその隣にそっと腰掛けた。

 そして、恐々としながらフィッツは、蚊の鳴くような小さな声でダナンに問う。

「さっき、ライブって言ってませんでしたっけ……?」

「ああ、言った」

「じゃあ、なんでそこにコスプレって単語が出てくるんっすか?」

 イライラとする竜也の側で、セシルは初めて耳にするコスプレという文化について、端末で手早く検索にかけていた。そこにはアニメやゲームのキャラクター、または特定の職業の制服などを着ること――と、明記されている。

「先ほどアスカが言っていたでしょう“インパクト”だ、そうですよ?」

「だってそこ重視しないと、毎年生徒会の出し物って真面目なのが多くて、ちょっとマンネリ化して来た気がしてさあ。どうせだったら文化祭なんだし、はっちゃけて楽しくやりたいじゃない?」

 同じ二年の、しかも同じクラスの友人が後輩にのされたというのに、特に気にせずアスカはいつもの調子で軽薄な笑顔を浮かべている。

 フィッツは怒れる竜也に代わり、会長との会話を進めた。

「つまり、ただのライブではなく、コスプレを見世物にしたショーにしようと……。要約するとそういうことですか?」

「随分と聞こえの悪い意味の捉え方だが、まあ、あながち間違ってはいない」

 ダナンが腕組みをしながら溜息を一つつくと、ゆらりと小柄な影が立ち上がる。

「いってぇなぁ……ったく、いきなり打ち込んでくるなよなあ。顔がへこむかと思ったじゃねぇかっ!」

 顔を擦りながら立ち上がったヨハンに、竜也は冷酷な瞳を向ける。

「いっそそのまま抉れてればいいっす」

「ひでぇやお前。つか、抉れて堪るかっ!」

 やれやれと、ヨハンは木製の丸椅子に腰掛けると、ごほんとわざとらしく咳払いをして、ご高説を垂れる。

「良いかお前らよく聞け。新顔の一年生生徒会、しかも顔の整ってる奴らが三人もいるんだぜ? お前らみたいなのが珍しい格好すりゃ、集客なんてわけねぇんだ! いいから黙って生徒会のため、先輩のためにコスプレでも女装でも何でもしやがれ!」

 あまりにも横暴な先輩の説得に、竜也はゆっくりと立ち上がった。

「なるほど、つまり先輩はもう一度、今度は本気で俺に殴られたいと?」

「は?」

「いいっすよ。とりあえず歯食いしばってそこに立ってください」

「いやいや、待て待てっ!」

 生徒会室が血の海と化すかと思われた瞬間、セシルがそっと手を上げた。

「一つ、質問よろしいでしょうか?」

 竜也はその言葉に、握り上げていたヨハンの胸倉をぱっと離した。当然の如く、そのままヨハンは尻から落下する。その落下音を尻目に、セシルはいたっていつもの調子で、純粋無垢に先輩ら全員に問う。

「なぜ僕たちだけというお話なのでしょうか? どうせなら生徒会全員でやった方が、インパクトという意味では大変大きいかと考えますが……」

 今度手足が凍結したのはニ、三年であった。今までどこか人事だったことが、自身の身の上に降りかかろうとしているのだ。しかしそんな先輩たちの焦り顔とは裏腹に、竜也とフィッツは「よく言った!」という顔でセシルを内心で賛辞した。

 いつの間にか生徒会内で密かに話題に上がるセシルの通称“爆弾”と呼ばれる質問投下も、たまには役に立つようだ。ただし、先輩らにとっては通称の持つ意味合い通りの空爆であったのだが――

 しかし、その爆風の影響か、今まで困ったような顔をしていたダナンも、何かが吹っ切れたように大笑いし出した。

「ははは、それは良い。なるほど、確かにそうだ」

「ちょ、ちょっとダナン、まさか貴方っ?」

 貴翔は青ざめた顔で親友である会長に、正気かと問い詰める視線を送る。

「皆でやった方がいっそ楽しそうだ。珍しいものが多いほど集客も稼げる。違うか?」

「いえ、おっしゃっている意味は分かりますよ? ただその……私も、ですか?」

「当然だ。俺もそうだが、アスカ、ヨハン、お前たちもだ」

 なんとも豪快なダナン会長の決断に、ヨハンが何か反論を展開しようと慌てて立ち上がる。だが、仁王立ちした竜也の表情に、思わず尻込みしてしまった。

「先輩らがやるって言うなら、俺らだって覚悟決めますよ。それが条件です。さあ、どうするんっすか?」

 その様子を楽しげに眺めながら、アスカは軽い調子で竜也に語った。

「うん、じゃあやろう。確かにコスプレは大勢でやると楽しいっていうし。皆で日本文化をエンジョイしようじゃないか!」

 コスプレを果たして日本文化と一括りにして良いかには疑問が残るところではあるが、その単語自体が和製であることには違いない。

 竜也は一つ頷くと「だ、そうっすよ?」と、ヨハンに詰め寄った。

「おいおいマジかよアスカ! 俺はっ……」

「嫌なんっすか? だったらこの企画自体取り下げてください。それが筋ってもんだろう? なあ、ヨハン先輩?」

 まるでゴミか害虫でも見るような目で見下され、ヨハンはとうとう参ったとばかりに両手を挙げた。

「わぁったよ、やりゃいいんだろが、やりゃあっ!」

 あのキュリアに衣装の貸し出しを頼んでしまった手前、企画を今更取り下げるのも気が引ける。というより、変に自分たちの企画に期待させてしまった分、彼女を裏切った時の報復が怖い。そのようなこともあり、ヨハンは嫌々ながら了承したのだ。

 正直一番竜也が望んだ結果は、当然企画の帳消しであったが、先輩たちもイベント盛り上げのために一肌脱ごうというのである。これ以上責め立てることも、反論する余地もない。そのため、彼は苦々しく舌打ちするに留まった。

 かくして今年の文化祭は、例年とは一線をはくしたものとなりつつあるのだった。

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