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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
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第六章「予感」 (2)

 Ⅱ

 九月上旬、まだ暑さの抜けきらない天候の中、夏休み明けの小テストで、竜也は撃沈していた。実技は相変わらずの好成績であったのだが、どうにもやはり筆記の方が芳しくない。

 フィッツにフェンシングを教えがてら、自身もそれなりに勉強はしていたはずなのに、何故か理解しきれていない部分をわざわざ狙って出題されている気がしてならない。

 とにもかくにも、終わってしまったものは仕方がない。いつまでも自分の席に突っ伏しているわけにも行かず、竜也は足元に控えていた雷神と共に生徒会室へ向かった。

「よぉ、竜也。明日の体育祭一日目、四種目決定したぜ。がんばれよっ!」

 元気よく手を振って出迎えたのはヨハンであった。なんとも押し付けがましい先輩を苦々しく一瞥すると、そこに普段居るはずの会長、副会長、書記の三人が居ないことに気づく。

 先に来ていたフィッツとセシルがそれぞれの種目準備の話し合いの手を止め、竜也に現状を教えてくれた。

「ダナン先輩たちは、他校の生徒会代表と体育祭の最終確認のミーティング中だよ。それより随分落ち込んでたけど、テストそんなに点数悪かったの?」

 フィッツの余計な質問にむすっとした竜也に、セシルは「十月の中間テストまでに対策をしましょう」と、前向きに応援してくれた。その優しさに、なんだか心底自分が情けなくなる。

「お前本当に脳筋なのな?」

「あんたにだけは言われたくないっす」

 ぎろりと睨まれたヨハンは苦し紛れに口笛を吹く。どうやら彼とて小テストの結果はよろしくなかったようで、図星をつかれたのだ。

「おかしいんだよねぇ。自宅学習は割と真面目に取り組んでるのに……」

「応用力の問題でしょうか?」

 いつの間にか竜也の学習方法についての話し合いにシフトしてしまいそうな雰囲気に、渦中の本人は慌てて話題を変える。

「それより、他校とミーティングって、直接生徒会がこっちに来てるのか?」

「うん、そうだよ。あ、そうそう、ちらっと見ただけだから、あいさつまだしてないけど、竜ちゃんのお兄さん初めて僕見ちゃった! すごいね、一年で書記なんだって!」

 そのフィッツの報告に、思わず竜也は雷神と顔を見合わせた。脳裏には鮮明に、梅雨の日の喧嘩別れを思い出す。


『……出て行け。顔も見たくない!』

『はっ、言われなくてもそうするさ』


 売り言葉に買い言葉……。あの時もう少し冷静に兄の話を聞き出せていれば、何か解決の糸口が見つかったのかもしれない。しかし、自分の性格を省みれば、それは土台無理な話であろう。

 あれから竜也は自身の幼少期の前半を過ごした天野家について、少し調べていた。

 そもそも、天野家がライカンスロープを発案したのはおよそ四百年前に遡る。それは丁度、アンジェシステムの基盤が出来た時期とほぼ同時期であった。

 当時すでに軍人家系となっていた天野は、百年間パンデミックと同じような武器を、それこそいたちごっこのように開発し続けていた国へ、アンジェシステムの研究が進むのと同時に、それに適した生物を人工授精により作り上げる案を提出した。

 その結果、ライカンスロープのアンジェシステムとの適合性は、とても大きな成果を上げることに成功し、数々の英雄を生み出すのに貢献する。

 このため天野家は、国から軍事的要生産者としてみなされ、代々家督を継いできた。

 そして年月は立ち、天野龍一が、天野家の次男として誕生することとなる。

 これは竜也が始めて本格的に調べてわかったことなのだが、どうにも父、龍一の出生には様々な憶測が飛び交っている。その理由には、先代には様々な愛人がいたという噂があったからだ。

 中でも一番有力視されているのは、一年間だけ後妻として天野家に入ってきた女の腹から生まれた子で、伯父、隆徳とは異母兄弟になるのではないかという説である。

 その父の母と思わしき後妻の女は、龍一を出産後すぐに亡くなっている。父は結局、帰ってきた前妻である隆徳の母に育てられたことになるという。

 思春期の少年がもし父と同じ立場であったら。そう考えたとき、自分も父、龍一のように家を飛び出したかもしれない。少なくともあの伯父、隆徳と竜也は、まったくと言っていいほど気が合わなかった。それは調べていくにつれ、竜也の中でなんとなしに合点がいった。

 伯父、隆徳は父、龍一を疎んでいた。そう考えるのがたぶん自然であるのだ。なにしろ、伯父の立場として考えれば、自身の父は身勝手にも隆徳の母親に三行半を付き渡し、いきなり後妻と腹違いの弟と名乗る人間を家に招きいれた。それだけでも非常に伯父としては腹立たしかっただろうが、一年で後妻は死んだ。愛しの前妻である母親がもどり、伯父にはさぞ、取り残された龍一を見て、胸のすく思いであっただろう。

 だが、伯父にとって腹立たしいことはそれだけに留まらなかった。父親の意向に逆らい、ユグドラシルに入学すべく家を出て行った腹違いの弟が、なんと英雄として世間に取り立たされるようになった。

 その時期、伯父はと言うと、すでに足を悪くしており、自身は軍人の責務ではなく、ただひたすらに父の後を継ぎ、ライカンスロープの育成をするのみとなっていたのだ。

 それを思うと、竜也の知る伯父の性格上、さぞ苦々しかったであろう。おまけにその後、自身には妻もいなければ当然子供も出来なかった伯父の目の前に、へらへらとした面で、二人も子供を連れて龍一が帰ってきたのである。

 当然恨み辛みが蓄積していたであろう。それを思うと、あのように龍一の意向を無視するように辰巳を半ば強制的に養子とし、卑屈な性格に育て上げてしまったことについても、無理のないような話のような気がした。

 そしてその経緯を総括すると出てくる答えは――

――結局、兄貴はお家騒動の犠牲になったってことだよな……。

 兄、辰巳の性格は、実のところ非常に優しい。少なくとも、幼き日はそうであった。

 竜也がカエルやヘビを捕まえ、悪戯しようとするものなら、それを止め、むやみな殺生はするものではないと叱った。

 よせばいいのに、捨てられた猫を拾い、伯父に見つかって保健所に持っていかれ、部屋の隅で「ごめん」と泣いていた。

 そんな姿を思い出すたびに、竜也は一体伯父と兄二人きりの年月に、何があったのかと、むしろ最近は苛つきではなく不安になるのだ。

「竜ちゃん?」

 兄がこの場に来ている。それを知った竜也は、自己調査の結果を振り返り、なにやら考え込んでいるような姿勢になっていた。心配そうに覗き込むフィッツに、竜也は唐突にミーティングは何処でやっているのかと尋ねた。

「えっと、たしか丁度この部屋の真下の階だよ」

「そうか、わかった」

 そういうと、竜也は足早に生徒会室を出て行った。

「なにか思いつめているようですが……。大丈夫でしょうか?」

 セシルが心配そうに竜也の出て行った扉を見つめる。フィッツもどこか胸騒ぎを覚えつつ、しかし竜也がここ最近自身の家について調べていたことは、履歴などを見て気づいていた。

「大丈夫だよ。兄弟だもん、何かきっと話したいことがあるんだよ」

「そうかあ? あいつのことだから、また無駄に喧嘩して帰ってくるんじゃねぇか?」

 ヨハンの小言に、フィッツは苦笑しながらも「それもきっと必要なことです」と、応えた。


 竜也がミーティングルームの前に到着すると、解散直後だったようで、ぞろぞろと生徒会の重役たちが廊下へと出て来ていた。

「あら、竜也様?」

 当然サンドラもそこにいて、ぱっと表情を明るくして近づいてきた。しかし、竜也はなにやら余裕のない様子で兄、辰巳の所在を聞いた。

「まあ、やっぱりあの方がお兄様でしたのね。でも、竜也様の言うような意地悪い方には見えませんでしたけども……?」

「基本は悪い奴じゃない。と、俺だって思いたい。で、何処に行ったか分かるか?」

 妙な言い回しをする竜也に目を白黒とさせながら、サンドラは「まだ中に……」と、ミーティングルームを指差した。

「ありがとう」

 竜也は軽く礼をいうと、早速ミーティングルームの扉へ向かう。

「どったの彼?」

 キュリアがひょっこりと、サンドラの後方から顔をのぞかせる。それに対して、サンドラは親友に「さあ?」と首をかしげた。


「辰巳っ!」

 竜也が入室しながら兄の名を呼ぶと、目の前には真っ白な髪と肌を持つ青年が、まだ残暑が厳しい時期であるにもかかわらず、冬用の学ラン姿でダナンと立ち話をしていた。

「竜也、どうしたんだ?」

 普段あまり何事にも動じないダナンが、竜也の唐突な登場に多少驚いた表情を見せる。その隣に居た白い青年は、彼の纏う空間だけ冬の気候ではないのかと思うほど、ひやりとした雰囲気で葡萄酒色の瞳を細めた。

「貴様が弟か」

 ダナンとはまた違ったカリスマ性を漂わせた青年は、少し高慢とも思える、だがけして違和感のない態度で、後ろに居る後輩を顎で呼びつけた。

「辰巳」

 その声に反応して、長い一括りの髪が揺れる。竜也と同じ鳶色の瞳と、黒髪の日系人の少年は、いたって落ち着いた歩調で、まとめた会議用資料をもってこちらへ寄ってきた。

「アキラ先輩、何か?」

 わざとそう返す兄の瞳は、冷徹に弟を貫いた。

「貴様の弟がなにやら用があるようだ。私はダナンとまだ話があるからしばらくここにいるが?」

 “どうするんだ?” という眼差しを受け、辰巳は表情を変えないまま答える。

「自分は、別に彼に用はありません」

 竜也は思わずまたかっとなってしまいそうな気持ちを、雷神の目配せでどうにか堪えた。しかし、そこに丁度助け舟を出すように、すっと細身の女性が立った。

「辰巳さん、いいではありませんか。たまにはご兄弟でお話されて来てはいかがです?」

 漆黒の艶やかな髪を、さらりと腰までのばしたその女性は、晴天の空を思わせる色の瞳で、優しく辰巳を諭すように言った。

真梨奈(マリナ)先輩……」

 少し困ったように辰巳が彼女を見つめると、白い青年もそれに賛同する。

「行って来い」

 また顎で指図されるように言われてしまっては、行かざるを得まいと、辰巳は真梨奈という女性に資料を託して、竜也と共に廊下へ出た。

「……何の用だ?」

 先輩たちの前では我慢していたのか、竜也と二人きりになった途端、辰巳は苛立ちの表情を露にした。

「とりあえずここじゃなんだし、落ち着ける場所に移動しないか?」

 竜也の提案に大げさな溜息を漏らすと、じゃあ案内しろとばかりに睨みつけられた。どうにも自分と同じ顔でそういう表情をされるのは癪なのだが、ここは我慢のしどころである。幸い今回は冷静沈着な雷神も一緒だ。多少は自分の感情もコントロールできるような気がした。

 竜也は一先ず、呼び出したはいいが、どういった話の流れになるかも分からないと考え、とにかく人目につかない室内を探した。結果、生徒会が使っている資料室が空いていたので、そこに入り、万が一にでも他人が入室しないように、内側から鍵を閉めた。

 とりあえず落ち着いて座れと、折りたたみ式の簡易椅子を、壁際から持ってくるが、辰巳はそれを無視するように窓から校庭を眺めていた。

「辰巳……おい、兄貴っ」

「……」

――だんまりか……。

 これでは埒が明かないが、とにかく一旦自分が落ち着こうと、用意した椅子にどかりと腰掛ける。

「あんたがそういう心づもりなら、俺が勝手にしゃべるからな?」

 尚も沈黙を貫く兄に、どうしようもない頑固さを感じつつ、竜也は今まで調べた自分たちの家庭事情を語った。自分が理解したところまで語りきると、一分ほどの間があって、辰巳がやっと冷めた瞳ではあったが、竜也の方を向いた。

「……で、それがどうした?」

「わかった。遠回しに話た俺が悪かった。あんたのことだ、親父の出生の噂はすでに知ってたってとこだろう? つまりだ。単刀直入に、あんたは伯父さんと今まで何があったんだって聞きたいんだ」

 その質問に、それまで寒空ほどの視線だった兄の眼が、まるで絶対零度の氷河を削り出したような鋭さを持った。

「それを聞いてどうする? お前は自らあの家を嫌い出て行ったのだろう。今更関係のない奴が、伯父のことを勘繰る様な真似は許さんっ!」

「辰巳、俺はあんたのことが心配で……っ」

「煩いっ、黙れ!」

「辰巳っ!」

 それまで黙って主たちを見ていた雷神が、堪らず声を上げた。思えば、彼は初めてこのような態度を取る辰巳を見たのだ。幼い頃との代わりばえに、少なからずショックを受けたのかもしれなかった。

「頼む辰巳、主の話を少しは聞いてやってくれ。主は本気で心配しているのだ。私とて同じだ。何か辛いものを背負っているのなら、隠さず教えて欲しい。我々が何か力に……っ」

「余計な世話だっ! それだけのことならもう何も聞くことはない!」

 辰巳は大またで出口まで向かうが、竜也がすかさず立ちはだかる。

「待てよっ! まだ俺はあんたに言いたいことがあるんだ!」

「聞きたくないっ!」

「そうやって何でも耳を塞いで目を瞑って、一人で我慢して抱え込むなよ! あんたは俺に昔から辛いとか、嫌だとか、そういうこと言ってくれなかった。いくら兄弟でも話さなきゃ分からないことがあるんだ! 俺があの家を出て行った後何があった? 雷神だって、今のあんたの態度は変だって思ってる! だから普段口を挟まないようなやつが必死にいま説得しようとしたんじゃないか! それが分からないあんたじゃないだろっ?」

「……っざけるな」

 辰巳は下を向いて肩を震わせる。

「いい加減にしろ。お前に世話になるほど俺は落ちぶれても居ないし、今の生活に不満もない。これ以上干渉するようなら俺にだって考えがあるっ!」

 言いながら辰巳は拳を振りかざす。竜也はそれをカウンターではなく、あくまで喰らうまいとその手を止めようとしたが、辰巳はすかさず足を思い切り蹴り出した。

「……ぐっ!」

 容赦ないその攻撃を何とか手の平で受け止めたが、竜也は腹に受けた衝撃でドアに思い切り背中を打ちつけた。

「邪魔だ、どけ」

 蹲る弟を見もせず、辰巳は部屋の鍵を開けてさっさと出て行ってしまった。

「主、大丈夫かっ?」

 珍しく攻撃を受けた竜也に、雷神が心配そうに駆け寄った。普段そうしない彼だったが、さすがに気の毒だと思ったのだろう、竜也の顔を優しく撫でるように舐めてやった。

「……あの野郎」

 竜也はしばらくすると、どすの利いた声音でゆらりと立ち上がった。

「こっちが下手に出てやればつけあがって……」

「あ、主?」

 雷神が竜也の背にまさしく昇り竜のように轟々と音を立て燃え上がる禍々しいものを感じ、思わず二、三歩引いた。

「ああ、分かったよ……っ。そっちがその気なら、こっちにだって考えがある。今に見てろよ、あのクソ兄貴っ!」

「あ、主よ。一応聞くが、何をするつもりだ?」

 焦る自らの誓鈴に、今まで向けた事もないような修羅の形相で、竜也はさも当たり前に言ってのけた。

「ああっ? 決まってんだろ?」

 雷神はごくりと固唾を呑む。

「――誰の兄貴だか分からないくらい、ボッコボコにしてでも吐かせてやるっ!」

 それは、竜也の辰巳に対する今後の対応の方針が固まった瞬間である。

――すまん、辰巳。これはもはや止められん……。

 雷神はただひたすらに、自身の無力さを痛感するのであった。


「ん? 辰巳、早かったな?」

 ミーティング室に残っていたアキラが、至って澄まし顔で帰ってきた辰巳を出迎えた。

「大した用ではなかったので……」

「ふむ、そうか。では明日の準備に向かおう。我々が担当するのは――」

 アキラが話すのをどこか遠くで聞きながら、辰巳は竜也が受け止めた自身の手を見つめた。

――どうして、まともに受け止めた? お前なら避けられただろうに……。

 弟を足蹴にしたからといって、気持ちが晴れるわけもない。むしろ、もやもやとした気持ちが膨れ上がるばかりである。

――言える訳がないだろう……馬鹿が。

 自身の置かれた立場の不遇さと心境など、弟に語ってなんとするのだ。それをしたところで、一体何が変わると言うのだろう。ただ虚しいだけではないか。辰巳はそのようなことを思いながら、触れられたくない部分にいきなり踏み込んでくる弟に困惑していた。

「辰巳、聞いているか?」

 アキラの葡萄酒色の瞳が、いつの間にか目の前にあった。

「……あ、えと。体育館の裏手にコートを張るんでしたっけ?」

「辰巳、分からないなら分からないと言え。それは最初のが終わってからだ」

「……すみません」

 普段しっかり者の書記にしては、珍しく会長であるアキラに注意を受けている様子に、副会長の真梨奈は品良くくすくすと笑った。

「アキラさん、あまり後輩をいじめてはいけませんよ。辰巳さんは少し疲れているのよね?」

 アキラと同じく三年生の彼女は、まるで辰巳の良き姉のように気遣ってくれる。

「そうか、では早く終わらせて、出雲へ帰るとしよう」

 そしてアキラもまた、それ以上咎めることもなく、辰巳の肩を軽く叩いてくれた。

 父が戦死し、竜也の出て行ったあの日から、辰巳を内側から温かく癒してくれるものは、少なくとも家庭にはなかった。その辰巳には、今こうして支えてくれる先輩たちがどんなに心地良いものか計り知れようがない。

――大丈夫だ、俺はこの人たちとなら立っていられる。

 だから余計な心配はしてくれるなと、心の中で弟に漏らすのだった。

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