第六章「予感」 (1)
Ⅰ
散々なショッピングとなってしまった怒涛のバカンスも終了し、竜也たちは名残惜しさよりも複雑な気持ちで解散を余儀なくされた。
竜也は奇しくもこのたった数日間で、富裕層の最上位と、貧困層の最下位の現実を見せられてしまった。自分には母も父もいないが、それでも何不自由ない生活を送れている事に感謝しつつも、この国の抱える現状を重く受け止めた。
国が大きければ、人口も増える。当たり前のことだ。しかし、その中ではかならず、そういった差異が起きてくる。やがて生活の下位とみなされている人々の不満も膨れ上がり、今回のように暴走する場合もあるのだ。
それは、英雄がもたらせた平等と平和の星であっても、過去から続く人類の永遠の表題なのではないだろうか。
かといって、竜也には革命家になろうなどという大それた希望はない。せめて自分に出来ることといえば、目の前にいる誰かのために、何かを必死にやりとげることくらいであろう。
彼のそういった素朴な熱意は、少なくともあの元娼婦の女性には届いた。そう思うことを支えに、竜也は一先ず、なにかこのえも言えぬもやもやとする気持ちを払拭することにした。
アスカに渡されたチケットも結局使うことはなく、夜中に帰宅し、洗濯に出す時に慌てて気づき、サンドラにもらったオードトワレと一緒にポケットから抜き出す始末であった。
チケットの説明書きを見ると、有効期限は半年であった。果たしてサンドラと共にまたあのドバイの地を訪れ、歌劇場になど足を運ぶことはあるのだろうか。いまいち使うあてなど無さそうだと思いつつも、竜也はそっと財布の中にチケットをしまいこんだ。
そこで、竜也はふと学校行事を思い出す。ダナンの父が用意してくれたホテルの豪華絢爛な風呂とは、比べ物にならぬほど簡素な作りの我が家の風呂から上がったフィッツを捕まえ、夏休み明けに控えている体育祭について話を振った。
「そういえば、体育祭ってただの運動会みたいな感じなのか?」
「えっとね、全プログラムは三日間で、全校学生が参加するのが最後の三日目だね」
「その前の二日間は何をしてるんだ?」
フィッツは「ちょっと待ってね」といいながら自室に戻り携帯端末を持ってきた。画面をいじると、体育祭の日程がびっしりと書き込まれたデータを竜也の目の前に提示した。
「はい、これ。一応竜ちゃんも学校の代表、生徒会の一員なんだから、これくらい目通しておかなきゃだよ?」
何かと余計なお世話の親友に、適当に返事をしながら携帯端末の画面に視線を落とした。そこには、二日間の個人種目の内容がずらりと並んでいる。項目名をタッチすると、その競技に参加する人名リストが表示される作りになっていた。
種目を見る限り、対校戦の部活試合といったところであろうか。場所と日時も表記されており、その競技種目に出る学生以外は、自主勉強、及び見学に行くことが義務付けられている。
「うん?」
竜也は団体競技であるサッカーの項目の人物リストに、なぜか括弧で囲んだ自分の名前を発見する。急になにやら嫌な予感のした竜也は、次々に自分が一回でも参加したことのある部活を確認していく。
案の定、竜也の予感は的中した。
「……マジか」
「どうしたの?」
フィッツが尋ねると、竜也は頭を抱えたまま携帯端末をフィッツに返した。
「俺が参加したことのある半数以上の部活競技に、俺の名前が補欠として挙がってる……」
「えっ、うそっ!」
フィッツが一度見たときはそんなことにはなっていなかったはずである。しかし、この夏休みの間にデータが更新されたのであろう。たしかに竜也の言うとおり、彼の名前は括弧つきであちこちの部活に表記されていた。
「うわぁ、これで通っちゃうんだ」
あまりのことにフィッツが愕然とする。よくよく見てみると、ハードスケジュールには違いないが、時間と場所を見ると、可能ではある日程には組んである。
「これ、誰が作ってるデータなんだ?」
「もちろんそれぞれの学校の生徒会だよ。各部活動から参加学生を表記した書類を受け取って、まとめたものを会長がチェックしてるはず」
「ちょっとまて、ってことはまさか……」
一度通ったデータを更新してまで竜也の名前を補欠として捻りこむ。そんな人物は、きっと生徒会の中ではあの先輩を置いて他にはいまい。
「ヨハン先輩、ダナン先輩になんて交渉したのか知らないけど、きっとそういうことだよね……」
さすがにフィッツも呆れ顔である。竜也はもはや怒る気にもなれず、リビングのソファーに座り込むと、深く溜息を漏らす。
「だ、大丈夫だよ。補欠でしょ? 全競技参加なんてならないよきっと!」
「だと良いんだけどな」
励ましたフィッツもそれ以上の言葉かけが出来ずにいた。何よりもあのヨハンである。いったい各部活とどんな裏取引をしてのことか、想像に難くない。
竜也はデータを見てしまったことを少し後悔したが、直前に判明するよりはましであったと気持ちをどうにか切り替え、フィッツに尋ねる。
「お前は何に出るんだ?」
「僕は水泳とフェンシングだね」
その答えに、竜也はいまいち訝しげな表情を見せる。
「水泳はともかく、フェンシングなんて大丈夫か?」
「う~ん、実はね。フェンシング部の大将選手が授業中足怪我しちゃって。で、それこそ補欠に僕がいたんだけど、繰り上げでメンバー入りすることになっちゃったんだ。正直不安ではあるよ」
苦笑いするフィッツは、これでもフェンシングを習い事として嗜んではいる。だが、実力のほどは中の下といったところで、お世辞にも上手とは言えない。
そこで竜也はとある提案をすることにした。
「俺は剣道だが、フェンシングもそれなりにお前の見ていてルールとやり方くらい知っているし、こうなったら残りの夏休み中に特訓だな」
にやりとする親友に、フィッツは口をあんぐりと開けた。
「えっ! 竜ちゃん相手に?」
「何か文句あるのか?」
「うっ、いや、なんていうかその、つき合わせちゃ悪いかなぁ~って……」
折角の申し出ではあるのだが、どう考えても普段の彼の様子からして、特訓と来たらその頭に“猛”が付く物との予想が成り立つ。そしてなによりも、彼のご教授、特に直接的な近接戦闘系の競技においては、そのスパルタ式の様相が手に取るように想像できる。
「遠慮するな、ああいうのは一人で練習するより、相手がいた方が良いに決まってる」
「えっ、あ……まあ、そうなんだけどさ」
竜也には、親友のいまいちうだつの上がらない返答の理由など、すでにお見通しであった。意地悪く微笑むと、彼は宣告する。
「そうとなったら決まりだな!」
「ええっ!」
いかにも嫌そうな顔で驚くフィッツを尻目に、竜也は悠々と就寝のため二階の自室へと階段を上っていくのであった。
学生たちにとって長い夏休みも、仕事を抱えた大人たちには、“そういえばそんな長期休暇も過去にあったかもしれない”というくらいなもので、それでも通常の週末休暇をどうにか取る事に成功したアルバートは、ムーンヴィレッチにある我が家に久々の帰宅を試みた。だが、それは無情にも一本の電話によって適わぬ願いとあいなった。
アルバートは渋々電話の主に会うため、旅客機でドイツ地区北部へと向かった。
「アルバート、どうにも久しいな。直接会うのは何年ぶりになる?」
アルバートを空港で出迎えたのは、厚顔な顔つきをしたゴットフリート・フォン・ベルクシュタイン元帥、地球軍総司令官であった。
普段この熊のような出で立ちの男と顔を合わせるのは、モニターの向こう側でのみである。その脂ぎった鬱陶しい顔面を直接見たことにより、アルバートは帰りたい気持ちを露にしそうになるが、そこは知将と名高い彼である。気持ちを腹の底にまで下し、いつもの軽薄な表情を浮かべて見せた。
「査問会以来ではありませんかな?」
ゴットフリートの部下が運転する軍用車両へ乗り込みながら、少し意地悪いトーンでそう告げると、熊面の男は大口を開けて笑った。
「いやはや一本取られたな。まあ、そう拗ねるな。もう過去の話、水に流せ」
「ええ、気になどしていませんよ。それで? 私に見せたいものとは?」
「卿は意外とせっかちな所があるようだ」
慌てることもないだろうと、話をそらし、ゴットフリートは自身のスキットルをアルバートの目の前に突き出したが、ウィスキーは趣味じゃないと丁重に断った。
空港から発進させた車は、ほどなくしてこの土地に設けられた地球軍基地へと到着した。両元帥が車から降りると、出迎えの兵がそろって敬礼する。それを軽く手で制しながら、アルバートは日が翳り、薄暗くなった視界の中、ゴットフリートの後に続いた。
コンクリートで固められた敷地内は、無機質で重々しい。休みを取れたはずの今頃ならば、家に帰って子供たちと久々に学長としてではなく、父として明るく出迎えられたことだろう。それを思うと、なんとも遣る瀬無い気持ちになってしまう。
しかし、アルバートとてただ呼ばれたから馳せ参じたわけではない。彼はどうせこの熊男に会うのならば、とある件を直談判してやろうと腹を決めていたのだ。
「ゴットフリート殿、卿に私から一つ……」
「まあ、待て」
そう言われ、アルバートは表情に出さないながらも多少苛ついた。その気持ちを知ってか知らずか、両者の目の前にあった巨大なシャッターの一部が、人一人分の隙間を空けた。
「どうぞこちらへ」
ゴットフリートから今日の訪問のことを託っていたのか、将官クラスの男が二人を誘った。
中は巨大な倉庫となっており、奥にある業務用簡易エレベーターに乗り込むと、将官は下へ降りるボタンを押した。一同が下へ下へと降っていくと、徐々に地下の全貌が、ライティングにより映し出されていく。
「これはっ!」
アルバートは思わずエレベーターの柵に手をかけた。そこには今まで見たことのないほどに小型化された大量の人型アンジェクルスが整然と並んでいたのだ。従来の人型アンジェクルスが形状により差があるものの、大方平均して二〇m以上であったが、ここに整列しているのは目視でもその半分ほどしかない。
「驚いたかね?」
ゴットフリートはアルバートの反応を待っていたとばかりににやけた。
「我々地球軍はSW社との共同制作で、アンジェシステムの小型化に成功した。これにより需要が上がれば量産費、材料費、共に抑えられる。さらに……」
エレベーターを降りてもなお、唖然とするアルバートをゴットフリートは得意げにとある一角へと案内する。鋼鉄製の自動扉を開くと、そこには――
「あ……」
アルバートは思わず口を覆った。目の前には巨大な試験管のような筒に、浮かび上がる無数の脳が陳列されていたのだ。見たところ人間の脳ではなさそうである。そこで彼は悟った。人型アンジェクルスの小型化と、経費削減が可能な訳を。
「まさか、直接これをアンジェクルスに搭載するのですか?」
「さすがだな。理解が早くて助かる」
「いや、しかしこれでは本来のアンジェシステムの意味が……っ」
「アルバートよ」
振り返ったゴットフリートは、相手の肩を一つ叩く。その眼光は濁り、妖魔のような奇怪な色を放っていた。
「もう人間同士で行う戦争は終わるのだ。考えても見ろ、アンジェシステムの本来のあり方では、まるで犬畜生共をさも人間の如く育成せねばならず、その相互性はお互いの相性だ。そんな不確かなものなど当てにせず、動物の能力を直接機械に組み込んでしまえば、無駄な労力は一切なくなる。そうなれば、我々は今度こそ数をもってパンデミックを潰しにかかれる!」
アルバートは思わずその場で頭を抱えたくなったが、一先ずこの胸糞悪い空間から一秒でも早く立ち去りたかった。
「少し、落ち着ける場所に出て話ませんか?」
「いいだろう」
両者は兵舎まで移動すると、執務室の隣にある客間へと通された。そこにはすでに、チェスと酒、そして簡単な肴が用意されていた。初めからゴットフリートは、アルバートをすぐに帰す気は毛頭なかったと見える。
二人は対面する形で、それぞれのソファーへと腰掛ける。
「腹は減っていないか? なんなら、従卒に何か用意させよう」
「いえ、結構です」
正直、あのような光景を見て、食欲など到底湧いてくるものではない。
――あんな物を見せられたら、龍一だったらなんと言うだろうか……。
今は亡きあの友人ならば、間違いなく激怒したに違いない。彼のあの英雄と称される強さに至ったのは、誓鈴との絶大な信頼関係があってこそ、アンジェシステムが答えた結果であったのだ。それを、あのように小さな命であろうと、機械同然として扱うことに、到底許せるはずもない。
「中年のいい大人が、生娘でもあるまいに随分とショックを受けているようだな」
ゴットフリートは相手を小馬鹿にした素振りで、二つのグラスにワインを注いだ。普段から嗜む酒であったが、今のアルバートには不思議とその発する色が血の色に見えてしまう。
「ゴットフリート殿、私は卿のこの試みに賛同しかねる」
「ふっ、卿なら理解してくれてもいいはずだぞ?」
その押し付けがましい言い様に、アルバートはいよいよ眉間に皺を寄せた。
「卿の戦場での有り様は聞き及んでいる。いかに犠牲を少なくして勝利を得るか。そのことに関して大変長けた作戦を立案していたそうではないか。それは人間の命を尊ぶ気持ちがあってこそであろう? ならば、今回の私の試みは、その概念に当てはまっているではないか。私たちは動物の肉を食らってきた。それを今、兵器として使うことに何のためらいがある? 人間と同様に扱わなくてはならぬと、いったい誰が決めたのだ?」
「そうではありません。アンジェシステムの理念上、人と動物、それらの以心伝心があってこそ、あのシステムは意味を得るのです。それを、あのように動物の脳だけにコントロールを委ねるのは、倫理以上にまず無意味でしょう」
アルバートは、出来るだけ感情論ではなく、理論的に訴えようとした。だが、その言葉はゴットフリートの飽きれた様な鼻息で吹き飛ばされてしまった。
「卿なら喜んでくれると思ったのだが、残念だ。それで? 何か卿から私にも願い出ることがあったのでは?」
どうやら彼はこれ以上話し合う必要はなしとの結論を出したらしい。アルバートとて、この相手では馬の耳に念仏である。昔から、こうと決めたらその方向にしか視線を向けない男であった。もう着手してしまっている案件に、これ以上意見されたくないのだろう。
とにかく忠告はした。それに、あのように量産に成功しているということは、国の上層部もすでに彼の試みを認めている証拠であろう。そうなると、これ以上アルバートに介入出来る話でもなかったのだ。
――アンジェシステムを使わない連中に、アンジェシステムがなんたるかなど、分かるはずもないか……。
長らく直接的な戦に参戦せず、怠慢の蓄積した地球軍の現状を知らないわけではない。アルバートは心の中で、国の贅肉だと罵った。
「では一つ、聞いてもらいたいのですが」
「うむ、叶えられる願いなら聞いてやろう」
同じ階級でありながら、どうもふんぞり返っている相手に釈然としないが、こういった相手にはむきにならず理路整然としているのが吉であろう。
「なに、そんな無茶は言いませんよ。人材を一人こちらにもらえないかと思いましてね」
「たった一人きりをか?」
ゴットフリートはアルバートの真意が読めず、少し不思議そうな顔をする。もしこの光景を第三者が見たのなら、お互いに表情が入れ替わる様子を、狐と狸の化かし合いととったかもしれない。
「まあ、いいだろう。で、名はなんという?」
「キリル・リヴォーヴィチ・イオノフ、現在の階級は少佐だったかな。年齢は確か二十七歳。彼を地球軍から宇宙軍へと引き抜きたい」
「分かった、今呼び出そう。彼が来るまでそうだな、チェスでもしながら待つとしようではないか」
ゴットフリートは内線を繋ぐと、すぐにアルバートの提示した人物をよこせと命じた。そして再びソファーへと戻ると、チェスの駒を手に取った。
「そういえば、卿のところにも一人息子がいたな」
急に私的な話を振られ、アルバートは意外そうな表情を作る。
「ええ、今年私の任地に入学してきましたよ」
「ユグドラシルか。うちの倅は出雲だが、今年生徒会の会長になってな。卿のところはどうだ?」
「うちのも何とか生徒会入り出来たようです」
「そうか、ならばいずれ相まみえることになるだろう」
アルバートは一度だけ、相手の息子に出会ったことがあった。酷く顔の白い華奢な少年であったのを覚えている。その頃十にも満たない彼の子供は、確か二人いたはずだ。しかし今の話ぶりだと、もう一人がどうしているのか伺えない。
「そういえば、双子の姉弟だったと記憶していますが、娘さんの方はどうしているのですか?」
何気なくそうふった言葉に、ゴットフリートは一瞬身を強張らせた。
「……アルバート、卿の記憶力には恐れ入った。たった一度しか会わせていなかったはずだが?」
「え、ええ、確かにそうですが、楽しそうに二人で楽器を演奏していたのが、とても印象的でしたので」
ただでさえ二人とも弱々しい体つきであり、まだ小学校にも入ったばかりであろう小さな指で、ヴァイオリンの弦を正確に押さえ、難しい曲を弾きこなしていたことに感動すら覚えた。
「姉の方は、死んだ」
たった一言、ゴットフリートの口から漏れたその言葉に、アルバートは気の毒にと視線を落とした。
「すみません。知らなかったもので」
「いや、家族だけで密葬にした。知らなくて当然だ」
「そうでしたか……」
ゴットフリートは一気にグラスに入ったワインを煽ると、苦い顔で笑ってみせる。
「なあ、卿ならば自身の子供の体が弱かったとして、その特効薬があるといわれれば飛びつくか?」
「一刻も争うような大病を患っていたのなら、藁をも縋るのが親心というものではないのでしょうか?」
「そうか、卿もはやり人の親だな。少し安心した」
何を指しての質問だったのか、アルバートに詳細までは分からなかったが、おそらく相手の娘の死には、親として色々な葛藤があったのだろう。そして、それ以上質問することも出来ず、アルバートは押し黙った。
その時、ドアをノックする音が、重苦しい雰囲気を押しのけた。
「失礼いたします。キリル・リヴォーヴィチ・イオノフ少佐をお連れしました」
「うむ、入りたまえ」
ゴットフリートが入室許可を出すと、扉が開かれる。そこにはアールグレイの髪色をした、十代と言われても納得するほどに若々しい男が立っていた。
「キリル・リヴォーヴィチ・イオノフ少佐であります。御用があると伺い参じました」
きっちりと軍靴を揃え、地球軍の軍服であるカーキ色の制服で敬礼した彼は、アルバートの顔を発見し驚く。まさか両元帥が揃い踏みとは思ってもいなかったのだろう。
アルバートはすました顔で立ち上がると、早速彼に申し渡した。
「突然で悪いのだけれど、今日付けで君には宇宙軍へと転属してもらう。いいね?」
「え、あ……はっ! 了解であります」
本人としてはなぜと理由を問いたかったことだろうが、上官、しかも雲の上と言っていい元帥直々の人事異動となれば、余計な文言は無用である。行けと言われれば黙っていくのが軍人の本分であるのだ。
アルバートはにこりと人のいい顔を作ると、キリル少佐に任地についてデータスティックを手渡した。
「詳細はこれに記してある。君の着任を待っているよ」
「はっ、どうぞよろしくお願いします!」
ゴットフリートは両名が去り、従卒が机の上を片付け終わると、すぐに一本の電話を日本へとかけた。
「アキラ、私だ。シルビアとは仲良くやっているか? 一応そっちではお前の母親代わりなのだから、あまり困らせるようなことはするなよ」
電話口からは素直で従順な息子の声音が聞こえてくる。少し照れくさそうに『大丈夫ですよ父上、我侭等言ったりしていませんから』と答える出来のいい息子に、父は気を良くした。
「そうだな、シルビアもお前を気に入っていると言っていたからな。そうだ、そろそろ夏休みも終わるだろう。一度ドイツの方にも顔をだせ。いいな? ん、待っているぞ」
通話を切った青年の、白銀の髪を後ろからそっと撫でながら、赤い唇の女がくつくつと笑った。
「またお父様に嘘をついたのね。いけない子」
アキラは父の愛人、シルビアの手を払うとソファーから立ち上がり、二、三度咳こむ。口を覆った手には、少量であったが血が付着した。シルビアは慣れた手つきで、彼の手を自身のハンカチで拭いてやった。
「このような体にしたのはあの男だ。私はあの男を一度でも父親などと思ったことはない」
手負いの獣の様な目つきに、シルビアは思わず肩を竦める。そしてそれを宥めるように、彼女は青年を胸へ抱くのだった。




