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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
40/83

第五章「其々の朱夏」 (10)

 Ⅹ

――まずい、よりによって今日はサンドラ先輩の荷物持ちを頼まれてたんだ!

 普段待ち合わせの時間に遅刻などした事のない竜也にとって、このミスは許し難かった。しかしながら、後悔はまったくしていない。自分の遅刻程度であの女性がこの後少しでも生まれて来た幸せを感じて生きていけるのならば、それに越したことはないと思うからだ。

 息子を亡くした布屋の店主と、元娼婦の彼女が、仲良く店を切り盛りしてくれることを祈りながら、竜也はサンドラたちの待つであろうショッピングモールへと急いだ。

 途中ホテルを経由して、財布と携帯端末を取ってから向かったこともあり、竜也の足を持ってしても、現地につくには三十分以上を要した。

 全速力でも少し息がはずむ程度であったのは流石と言うべきであったが、当然遅刻は遅刻である。

 特に今回の集まりは、皆時間に厳しい軍人の卵たちであるので、一体何を言われいじられるのかと、内心面倒くさいと思いつつ、そろりと待ち合わせ場所である、ショッピングモール中央広場にある室内噴水の前に出る。

「……ん?」

 しかし見知った面々が見当たらない。試しに噴水をぐるりと回ってみると、知人が一人だけ、ぽつんと近くのベンチに腰かけていた。

「あ……」

 レモン色の髪をアップにし、今日もとてもお嬢様らしいさらさらとしたブラウスを着こなし、非常に品の良い角度で振り返った相手は、竜也の顔を確認すると、にっこりと笑って見せた。

「お待ちしておりましたわ、竜也様。もう皆さま先にお買いものに行ってましてよ?」

「え、あ……そ、そうか……」

 えらく気まずい雰囲気に、とりあえずサンドラの隣に、ある程度の距離感を保って座ってみる。

「…………遅れた、悪い」

 言い訳しても仕方がないことなので、ここは素直に謝罪した竜也であった。

「あら? 理由はおっしゃらないの?」

 しかし、サンドラはどこか意地悪くそう尋ねる。

「理由があっても遅刻した事実には変わりない」

「まっ、律義ですこと」

 軍事教育の見本とも言える回答に、サンドラはくすくすと笑った。

「それでは、罰則として、今日はとことん付き合ってもらいますわよ」

 サンドラはとても嬉しそうに先頭を行く。竜也はさしずめ従卒の如く、彼女の後ろについて歩いた。


 彼女の買い物は見ていて気持ちが良いくらいに豪快であった。ほぼ一切の迷いもなく、気になったものはとりあえず手に入れるという方針で、ファッション類から雑貨品に至るまで、カード一枚で次々と買い求めた。

 竜也は愚問だと理解しながらも、つい口をついて出てしまう。

「こんなに買って大丈夫か?」

「いいんですの。このカード、あの人のですから。お金なんて無駄に持っていてもろくなことに使いませんもの。こうして平和的企業に投資した方がよっぽど有意義ですわ」

 なるほど、と竜也は頷いた。確かに金持ちが金を使う分には、世の中に資金が回る分大変意味のあることには違いなかった。彼女いわく「ただ貯めておく方が世間様には申し訳ないくらい」とのことだから、確かにごもっともな言い分であった。

 そうして竜也の両手いっぱいに紙袋がぶら下がる頃に、彼女は一つ提案をした。

「このくらいで一旦許してさし上げますわ。あそこで休憩いたしましょう」

 一旦、ということはまだ買い物を続ける気かと、竜也はサンドラの底知れぬ物欲に圧倒される。いや、彼女の口ぶりを信じるのなら、物欲というよりは融資活動(ボランティア)といったところかもしれないが――。

 とにもかくにも、買い物開始から早二時間以上が経過した後、竜也にはようやくお嬢様から休息のご命令が下されたのだった。

 休憩場所はドバイの景色が一望出来る大窓のあるダイニングカフェである。お昼時を少し過ぎたくらいの時間帯であったこともあり、客は疎らである。

「ふう、さすがに疲れましたわね」

 そう着席しながら、手ぶらの彼女はパタパタと手の平で胸元を扇いだ。一方竜也はというと、店員に二つほど大きめな荷物入れを借り、足元に置かせてもらった。その際、彼女の履物が華奢な作りのピンヒールであることに気がつく。

「そんな靴で歩いてるからじゃないのか?」

 その言葉に少しサンドラはむっとした表情をする。

「可愛くはありませんこと?」

 そう聞かれ、どう返して良いものかと、ふと視線をずらすと、目の前の席、要するにサンドラの後方から、なにやらスケッチブックが開かれている。

「あ? “可愛い”……よ?」

「なんですの? その微妙な言い方」

「あ、いや、その」

 竜也としては、ただ後ろのスケッチブックに書かれた文言を読んだだけなのだが、そう答えようとした瞬間、フィッツがひょっこりとその下から顔を出して「しーっ!」と必死に人差し指を口の前に立てている。

――何のつもりだあいつ……。

 竜也が微妙な顔つきで自身の後ろを注目し始めたので、サンドラも気にして後ろを振り返るが、さっと絶妙なタイミングでフィッツは背もたれに身を隠す。

「なにかありましたの?」

 サンドラが怪訝な顔つきで尋ねるので、竜也はフィッツの指示通り「いや、べつに」と、相変わらず素っ気無く答えた。

 サンドラは少し顔を顰めたが、特にその後気にすることもなく、サーモンパスタとハーブティーを注文した。

「竜也様はどちらになさいますの?」

 サンドラにそう問われ、竜也が同じもので良いと注文しようとすると、また目の前にフィッツお手製の指示表が上がる。


『同じものはNG! 特にパスタ!』


――本当、何なんだ一体……。

 油性インクで走り書きの指示書通り、仕方なく訳の分からぬまま、竜也は終了時間間際だったランチメニューを指差した。とくにそれが食べたかったわけではないが、迷わずに選ぶにはそれしかなかったからだ。

 しかし、注文がテーブルに届いてから、どうしてフィッツが特にパスタを否定したのか何となく把握した。目の前のサンドラは綺麗にパスタを一口分にまとめ上げると、上品に小さな口へと運ぶ。その様子を見たからだ。

――あいつ、俺だと蕎麦みたいに啜るって思ったな……。

 確かにサンドラほど上手には食せないが、さすがにそこまでマナーをわきまえていないわけではない。心外だとばかりに、竜也は運ばれてきたランチセットのピラフにぱくついた。

 そこではっと竜也は気がついた。

――フィッツだけがこんな暇なことしてるのか?

 考えてみれば、彼とて一人でこんなどうしようもない世話焼きをするとは思えない。第一、一人でやるにはあまりに恥ずかしくはないだろうか。

 竜也はサンドラがハーブティーに口をつけ、一瞬目を閉じた隙を窺って、フィッツの席を覗き見た。すると、フィッツの前にはセシルがこそこそと、ただでさえ小さい身長をかがめて潜んでいた。

――巻き込んだのか……それともセシルが好奇心に負けたのか。

 腹立たしさよりも呆れの方が大きく、竜也は軽く頭痛を覚える。

 しかし、竜也は知らなかった。そんなお節介焼きが、何も二人だけではないことを。


「こちら作戦部隊B班、C班応答せよ」

 丁度竜也達からはカウンター席の影で見えない位置に、ダナンが紅茶を飲みつつ着席していた。そしてなにやらこそこそと誰かと通信を繋ぐ。

「こちらC班、例の物入手。A班はうまくやってますか? どうぞ」

 通信相手の声はアスカである。A班、即ちフィッツとセシルのコンビを指しているようだ。

「いまいちぎこちないが誘導には成功。対象者Rは今のところ素直に従っている」

 B班こと、ダナンはさも楽しげにそう伝えた。

「了解。では自分はこれより目標座標へと移動開始します。通信一旦切ります」

 通信を切ったアスカは、後ろを振り返ると、苦笑いする。

「お二人さん。いちゃつくの早くない?」

 エスカレーターの上りにて、後ろにいたヨハンが抗議の声を発する。

「なっ! いちゃついてねぇしっ! つかもうちょっと先輩離れて歩いてくれって!」

「やあだっ!」

 子供のように駄々をこねてヨハンを背中からハグするキュリアは、彼のオレンジ色の髪に頬擦りするように顔をうずめた。それにもはや根負け状態のヨハンは、がっくりと項垂れた。

「分かってると思うけど、僕はここから単独。ヨハンとキュリア先輩は二人で対象者を目的地まで誘導、OK?」

 アスカはまるで引率の教師のような振る舞いで、二人に行動確認をとる。

「わあってるよ! “俺たち付き合いだしたんだ~”ってフリして、それとなく……だろ?」

「フリだけじゃなくって、いっそ本当につきあっちゃおうよ?」

「ちょっ、先輩マジ勘弁してくださいって!」

 先輩キュリアの押しの強さにたじたじとなるヨハンに向かって、アスカはどこか曇った目つきでつぶやいた。

「あ……こういうときに言うんだね。“リア充爆発しろ”って」

「ふざけたこと抜かすんじゃねぇっ! お前こそリアルに彼女いんじゃんよっ!」

 ヨハンの怒号はエスカレーターの端から端まで響いたのだった。


 紅茶を飲み干したダナンは胸に下がっていたサングラスをかけると、スマートに会計を済ませ、店を出て行く。そこに待ち構えていたのは、シャイアンとロニンの二人組であった。

「ダナン先輩。どうですか?」

 ロニンが手を後ろに組んで、首を傾げる。こういった彼女の仕草は実に計算しつくされている。シャイアンは少し対抗するように、その動きを真似た。しかし、ダナンは別段そのポーズについては触れず、次の作戦を告げる。

「アスカは目的地に移動中。俺たちも移動開始だ」

「は~い」

 二人は可愛らしく敬礼すると、ダナンを両サイドで挟むように移動する。後ろから見たその姿は、身長差もあってか、さしずめ若い娘を侍らすジゴロといった体であった。が、この土地ではさして珍しいことでもなかったので、そうそう目立ちはしない。

 当然出て行く客など気にすることもなく、竜也は未だにフィッツの掲げる指示書に困惑していた。


『何かしゃべって! 次どこいく? とか!』


 竜也はランチにセットになっていたドリンクを飲みながら、鬱陶しそうにその文字を目で追った。

「あ~、先輩、この後の予定は?」

「そうですわね。まだ化粧品を見ていませんでしたわ。香水も最新のが欲しいですし……」

 これはまた豪快な金額の買い物につき合わされそうだと、竜也が背もたれに寄りかかると、サンドラの頭の後ろからは飽きもせず『話を繋げて!』との応援メッセージが示される。

 こうなると、いっそサンドラにばらしてしまおうかという意地悪い気にもなってくるが、それもそれで彼女にいらぬ誤解を招いてしまいそうで、竜也は溜息を一つついた。

「……私といても、つまらないんですの?」

 サンドラのその一言に、なぜか竜也よりも後方のフィッツの方が焦り出した。慌てて出した文字は『フォロー!』とだけ殴り書きしてある。もはや何のフォローにもなってないのはそっちだろうとばかりに、竜也は鼻で笑ってやった。それに対し、サンドラは困惑した表情を浮かべる。

「そうじゃない」

 竜也は一言否定すると、じっとサンドラの顔を見つめた。突然の視線に、彼女は思わず片手で頬を押さえる。

「な、何か私の顔についていまして?」

「いや、化粧なんていらないだろうと思って」

 その言葉に、サンドラだけならず、スケッチブックを掲げるフィッツさえもきょとんとする。

「肌はもとから白いわけだし、唇だってわざわざ塗らなくったって、十分血色が良い。それに、俺はあんまり香水とかで人工的な匂いつけてるのって、どうも苦手だ。買うなとまでは言わないけどな」

 竜也としては、その科白はいたって正直に感想を述べたまでであろうが、これは相手の聞き様によっては“化粧など使わずともそのままの君で十分だ”というふうに言っているとも取れる。少なくとも、サンドラは当然そのように捉えたようで、顔色が一気にチークで染め上げたように紅色と化した。

「えっ、や、やですわ、竜也様ったら。私も年頃ですもの、お化粧くらい普段からしていますし。ですから、その、ないと困るというか……。でも、竜也様がそうおっしゃるんでしたら、ほどほどにいたしますわ」

 どもりながらも、サンドラはまんざらでもなさそうである。フィッツは拍子抜けしたようにするすると席に正しく座りなおした。

「どうしたんですか?」

 セシルが小声でフィッツに問うと、相手は何かにあてられたように軽く頬を染めている。

「え~と、僕たち、必要なかったかも……なんて、思ったりして?」

 フィッツは心配ばかりで予想だにしていなかったが、思えば竜也という親友は、かの英雄の息子である。その血の持つ可能性は、何も戦闘能力に長けているというだけではないのかもしれない。少なくとも、鈍感ではあるが素質は十分にあるように感じる。つまるところ、それは“女殺し(プレイボーイ)”のことである。

――あれは俗に言う殺し文句ってやつじゃ……。どこで覚えたの? じゃ、なくて。あれは素だよね? 素、なんだよね?

 混乱気味のフィッツを尻目に、セシルはしばらく考えるような素振りを見せると、一つの結論を導き出した。

「フィッツさん、僕たちもう普通に買い物しませんか? これ以上関わっても“薮蛇”ということになりかねません。いや、もうむしろなっている気がします」

 フィッツはなにやら複雑な心境であったが、セシルの申し出は理にかなっている。少なくとも、先輩たちのように遅刻した竜也をいいことに、調子づいて作戦立案にまで話を広げる予定のなかったフィッツは、溜息混じりに通信機を取り出した。

「こちらA班。諸事情により任務放棄します。あ~、大丈夫ですたぶん。問題ないです。はい。じゃ」


 そのフィッツの連絡を受けたのはなんと貴翔と丹花のチーム、D班であった。彼らとて別に調子づいて他人の恋路を後押しする計画など立てる気もなかったが、副会長の貴翔の場合、会長であるダナンに命を託っては断りなど出来なかった。

 とはいっても、実際彼らの作戦上の仕事といえば、連絡の収集係というなんとも簡素なネーミングである。

そして、A班が離脱するという連絡を他の班にメールで一斉送信したことにより、彼らの任務はほぼこれにて完了したに等しかった。

「これからどうするの、瑛?」

 丹花が長い睫毛を上向きにして、貴翔を見つめる。それに対し、彼はこめかみを抑えた。

――やはり、謀りましたねダナン。最初からこうなるつもりで組ませた班なのでしょうが……。

 彼はこうなることをある程度予測していた。つまり、ダナン会長は後輩だけならず、親友の恋愛の後押しもせしめたのだ。

 貴翔としては甚だ大きなお世話といったところであったが、結局、会長が無言にして伝えんとすることは、これ以上婚約者を無下に扱うのも如何なものだろうかという叱咤激励の意味も感じざるを得ない。

 しかしほとほと困り果てた貴翔は、睨むように丹花を見ると、彼女は少し怯えたように肩をびくりと震わせた。

「……瑛?」

 不安そうな表情の彼女に、さすがに八つ当たりが過ぎると思った貴翔は、仕方なく問うた。

「どこか見てみたい場所などはあるのですか?」

 その言葉にぱっと表情を明るくした丹花は、おずおずと近くにあったショッピングモールのパネル地図を指差した。その先が示しているのは、地下にある水族館である。

 それに頷いた貴翔は、丹花と一緒にエレベーターホールへと向かってゆっくりと歩いて行ったのであった。


 かくして、これにより実質作戦行動を実行中の班は、ダナンたちのB班と、アスカたちのC班のみとなった。


 食事を終え、竜也とサンドラは香水専門店へと足を向けた。その店の扉を開いた瞬間、独特の混ざり合った匂いに、竜也は顔を微かに顰めた。気を利かせた店員が、竜也の常人には重労働と思える荷物を預かろうと気をつかってくれる。サンドラはそれを目配せで了承し、彼は両腕の自由を取り戻した。

「竜也様、この香りなんてどうかしら?」

 サンドラはさっそく店員に見せてもらっていた新作の香水を、平たく細い紙につけ、竜也へと手渡した。

 すでに色々な匂いで鼻が馬鹿になりそうだった竜也は、渡された紙を鼻っ面に持って行きはするが、甘ったるくむわりと広がるその芳香に、正直脳までやられそうであった。そのため、店員に聞こえる距離であっても、彼は遠慮なく率直な感想を述べる。

「……きつい」

 たった一言であったが、その辛そうな表情で、相当お気に召していない様子が周囲に伝わった。元来、ライカンスロープ並……とまでは行かないものの、人間という種族の中ではだいぶ鼻の利く竜也である。この店に訪れること自体、無茶であったのかもしれない。その時、またもや気を利かせた店員が、筒に入ったコーヒー豆を持ってきた。

「お客様、こちらで一度香りをリセットしてみてください」

 言われるままに竜也はその筒の中の香りを嗅ぐ。なにやら最初は香水とコーヒー豆のアンバランスな香りの融合に気持ち悪さすら覚えたが、不思議と確かに鼻の感覚が元に戻ったような気がする。

「ではこちらなどはいかがでしょうか?」

 恭しく店員がサンドラに差し出したのは、オードトワレであった。本格的な香水(パルファン)よりも濃度が薄く、その分香りも爽やかなものである。中でも特に優しいシトラス系とウッディな香り、二種類を紙につけ、店員は二人に手渡した。

 本来のサンドラならば、オードトワレなど香水ではないと言いたいところであるが、付き合ってくれている相手の表情が、これならばなんとか大丈夫であるというものだったので、彼女は妥協した。そこで、ふと思い立ったように、サンドラは指を二本立てた。

「こちら二つともくださる?」

「かしこまりました。すぐにお包みいたします」

「あ、ウッディの方はそのままでいいですわ」

 そう言って彼女はさっさとカードで会計を済ませると、再び荷物で両手の塞がった竜也の首筋目掛けて、先ほど包装紙に包まずに買ったオードトワレを吹きかけた。

「うっ?」

 思わず短い声を発した竜也に、面白そうにくすくすとサンドラは笑った。

「この香りなら、貴方にも合いますわ。たまにはこういったオシャレをしてみるのも、悪くはなくってよ?」

 言いながら彼女は竜也のズボンのポケットに、オードトワレの小瓶を差し込んだ。どうにも男に香水という文化に馴染みのない竜也は、苦い顔をしてみせたが、自身からふわりとほのかに香る白檀を主体とした芳香に、不思議となにか懐かしいものを感じる。

――この匂い、どこかで嗅いだことがあるような……?

 どうにも思い出せずに歩を進めていると、目の前に広いホールが現れた。子供たちが大勢いるところを見ると、なにやら中央付近でイベントを催している最中であるようだ。

「見に行ってみませんこと?」

 ぐいぐいとサンドラに袖を引かれホールの中央まで来ると、真ん中で茶色のクマの着ぐるみが、ぱたぱたと陽気に両手を振っていた。その周りには透明なプラスチックケースに入った子供の頭ほどの大きさで、小奇麗なぬいぐるみたちが円になるように展示してある。

 その数々の作品は、有名な作家が作ったハンドメイドのぬいぐるみたちのようだ。よくよく周りを見渡すと、子供たちにまざって、その母親と思わしき人々も顔をほころばせケースの中を覗きこんでいる。

「まあ、こちらはバレリーナの格好をしていますわ」

 実は特技がバレエだと話すサンドラは、一番に純白の衣装を纏ったクマのぬいぐるみに注目した。どうやらこれらは商品ではなく、観賞用ということらしい。その証拠に、金額表示はなく、代わりに小さな文字で、クマの下の板に『ご注文賜ります。御用の方はスタッフまで』と、書かれていた。

「サンドラちゃ~ん!」

 すっかりバレリーナのクマに見入っていたサンドラは、その声にはっとして顔を上げる。そこには、笑顔の引きつったヨハンと手を繋いだキュリアが、元気にこちらに手を振っていた。

「あら、キュリアさん」

 自身を呼ぶ声に、素直にサンドラはキュリアたちに近づいていった。その場から竜也は様子を見ていると、後ろからとんとんと肩を叩かれる。それに彼が反応すると、振り返り様何かをくしゃりと握らされた。

「これ、僕からのプレゼント。うまくやってね」

 なにやら二枚の紙を竜也に手渡した赤毛の後姿は、親指から中指までを立ててさっと切れよく振って去っていった。

 そのなんともこなれた格好の付け方に、思わず竜也は妙に納得する。

――アスカ先輩は、ああいうのが普通に出来るからまともに彼女が出来るわけか……。

 さしずめ英国紳士とでもいうのだろうか。とにかく、アスカから渡された紙の内容を竜也は早速確認した。それは、ショッピングモールの近くに存在する歌劇場のペアチケットであった。

――サンドラ先輩と見に行って来いってことか……。

 竜也はやれやれと肩を落とす。フィッツたちだけならず、アスカまでもがなんだかよくわからない応援団のグルだったとは、これはいよいよ全員疑ってかかった方が良さそうだとすら竜也は思った。

「竜也様? どうかなさいましたの?」

 いつのまにかキュリアたちと別れ、隣へと戻ってきていたサンドラが、竜也の顔を覗き込む。彼女にばれないようにチケットをポケットへ突っ込むと「なんでもない」と首を振った。

 すると、突如バックから軽快なミュージックが流れる。それと、先ほど中央にいた茶色のクマが足を左右に突き出しダンスを踊りだした。後ろからは、そのクマのお友達というコンセプトのキャラクターだろうか、ピンクと水色のクマまで登場する。

 周りの子供たちはわっとマスコットたちに駆け寄っていった。

「みんな、来てくれてありがとう!」

 イベント進行をするスタッフの女性が、ピンマイクを通してあいさつをする。

「今日は、クマさんたちとみんなで遊びましょう」

 女性スタッフが持っていたタンバリンをパンッと一回鳴らす。その時であった、竜也の耳が、BGMに混ざって何か妙な音を拾う。

――なんだ? 時計?

 針が動くようなその音は、明らかに先ほどのバレリーナのぬいぐるみから聞こえてくる。不審に思い覗くと、クマの背中には他のぬいぐるみには存在しない、一度糸を解き、再度縫い直したような小さな跡が見えた。

 瞬間、ざっと駆ける様に竜也の全身が粟立つ。

「――っ、伏せろっ!」

 彼の第六感がそう叫ばせた。それと同時に、サンドラを片手で抱き寄せ、床へ共に倒れこむ。

 刹那、バレリーナのぬいぐるみは内部から破裂し、周りのプラスチックケースを弾き飛ばす。爆発の煙はもうもうとその場に上がり、辺りは騒然となった。

 人々の怒号と悲鳴が響き渡る中、一つの銃声が放たれた。誰もが不安と絶望を介した表情で、音のした方を向くと、女性スタッフはその場にそぐわぬ笑顔でなおも話を続ける。

「はい、みんなお静かに」

 言いながら、彼女はタンバリンとは反対側に持った小銃を、いつの間にか茶色のクマの着ぐるみに捕獲されていたおさげの少女に突きつける。少女はあまりに唐突のことに、目を見開きかたかたとただ震えていた。

「クマさんたちとの遊びはまだはじまったばかりです。これからルールの説明をしますので、みんなよぉく聞いてね?」

 竜也は爆音で軽い耳鳴りのする頭を振りながら、サンドラと共に立ち上がる。

――テロか? いや、目立つことを目的とした愉快犯かもしれない。

 竜也はサンドラの無事を目視すると、周りの確認も行った。先ほどの爆発はデモンストレーションの意味合いが強かったのか、竜也の咄嗟の掛け声もあり、さほど被害は多くない。ただ、やはり数人は飛び散ったプラスチック片などが当たり、額から血を流す者もいた。

「なんと! このホールだけではなく、ショッピングモール全体に爆発するぬいぐるみを仕掛けちゃいました! これからみんなには、それを探して来てもらいます。ここから近い位置に存在するぬいぐるみから順番に、各五分間で爆発しちゃいますから、急いで探してきてね? ちなみに、一体でも爆発したら、子のこの命はありません!」

 竜也は思わず舌打ちした。サンドラがあのバレリーナのぬいぐるみに注目した時、すぐに糸の解れに気づいていれば、何か手だてが打てたかも知れない。

「竜也様、大丈夫ですわ。どうか落ち着いてくださいませ」

 サンドラは彼の苛つきに気づき、そっと握った拳に白い手を添えてくれた。しかし、それに気づいた女性スタッフ姿の爆弾犯の一人は、あろう事か彼女を指差しこう言った。

「そこの綺麗なお姉さん! この子一人じゃ可哀想だし。こっちに来てお友達の仲間入りして欲しいなぁ。あっと、お兄さんはそのままね? 彼女とお別れするの寂しいかもしれないけど、私たちに逆らったら、この子死んじゃうからね?」

「お願いやめて!」

 間髪いれずにそう叫んだのは、おさげの子供の母親であった。それを見たサンドラは、堂々と両手を挙げ前へと歩を進めた。

「およしなさいっ! 今からそちらに行きます。ですから、その子に銃を当てるのはおやめなさい!」

 強い口調で言い放った彼女は、少し竜也の方を向くと口の動きだけで『他の方と連携を』とだけ伝えた。竜也は静かに目で答え、彼女を見送った。

 サンドラが爆弾犯の前まで来ると、すかさず水色の着ぐるみのクマが彼女の腕を後ろ手に拘束する。

「こんなことをして、何が目的ですの?」

 サファイアの瞳が、鋭く爆弾犯を睨みつける。それに対して犯人は、今まで少女の頭に向けていた銃口を、サンドラのこめかみに無遠慮に押し付けた。

「お姉さん“僕”はね? 金持ちが大嫌いなんだ。だから、どうせ殺すならゲーム形式にした方が面白いでしょ? つまり、そういうこと。わかった?」

 爆弾犯は不気味ににやりと笑みを湛えた。どうやら、犯人は女性ではなく、変装した男性であるようだ。見た目の年齢からすると十代から二十代といったところであろう。

「馬鹿なことはおよしなさい」

「うるさいなあ、それ以上意見するようなら、君から先に殺しちゃうよ?」

 さすがにサンドラも引き金に指を掛けられたのでは、黙るしかなかった。

「はい、それじゃあゲーム開始!」

 青年と思わしき犯人は、タンバリンを再び腰に当て鳴らした。これにより、一番ここから手前にある爆弾が起動したはずである。恐らく、先ほどの爆発の比ではない威力であろう。

――耐えてくれ、先輩!

 竜也が小さく『相手に抵抗するな』の手信号を送ると、サンドラは余裕ぶって軽くウインクしてみせた。

 ホールの人々は散りじりに出口に向かって逃走を図ろうとしていた。見ず知らずの子供と女のために、自身の命を投げ打ってまで爆弾を発見しようとするものは、ほとんどいないようである。しかし、無情にもショッピングモールの入り口は硬く封鎖されている。

「何で閉まっているんだっ? まさかここの管理者も犯人なのか?」

「嫌だ! 死にたくない!」

 口々に憶測や雑念が飛び交い、パニックで人々は右往左往する。そんな中、竜也はとにかく近くの爆弾を探すべく、小走りに辺りを気にしながらフィッツの携帯端末に連絡を入れる。

『竜ちゃん! さっきすごい音がっ!』

 通話が繋がった瞬間、フィッツが慌てた様子で先に声を出す。

「ああ、面倒くさいことになった。サンドラ先輩と小さい女の子が爆弾魔の人質になった。場所はホール。犯人が言うには、ここから近いところから順にぬいぐるみ型の爆弾が仕掛けてあるらしい。五分間ごとに爆発。起動スイッチはどうも犯人の持っているタンバリンを鳴らすことでONになるみたいだ。一体でも爆発したら人質を殺すと言っている。近くの外への出口は封鎖を確認。他のところも恐らくダメだろう。犯人はクマの着ぐるみ三人と、スタッフ姿の銃を持った主犯が一人。だが、出入り口封鎖までしてあるということは、管理室も占拠されているはずだ。犯人の数は少なくとも合計五人、またはそれ以上、いや、倍以上と考えた方が良い。俺はとにかく主犯の様子を窺いながら周りを探索する。お前は他の先輩たちに連絡をまわしてくれ!」

 一気に言い終えると、竜也は通話を切って後ろを振り返る。サンドラと女の子はまだどうにか無事なようだ。

――くそっ、ヒントなしじゃ探すもなにも……。

 竜也はそこらにあるゴミ箱や鉢植えなどを次々とひっくり返すも、一向にそれらしき物体は見つからない。焦っていたところに、アスカが駆けつける。

「竜也くん! 話は聞いたよ。あと残り何分だい?」

「たぶん二分くらいだと」

「ヨハンが一体見つけたって連絡が来たけど、ブランドショップのカウンターだって言ってたから、ここの近くじゃないよ。何かヒントはないの?」

 竜也は眉を寄せ、首を横に振った。

「最初の爆発は見た?」

「はい、ホールに展示してあったぬいぐるみの一体が爆発して……」

「他にたくさん展示してあった?」

「はい、あっ!」

 二人はお互いに顔を見合わせ頷くと、ホールに向かって大急ぎで駆け戻った。


 時を同じくして、連絡網を回したフィッツは、セシルと共に屋上へと向かっていた。通常スタッフでなければ上がれない階段を駆け上がり、屋上のドアに手を掛ける。

「うっ、だめだ。ここは専用の鍵がかかってるよ」

「フィッツさん、退いてください!」

 セシルはそう言ってフィッツを退けると、マゼンタの瞳の奥をぎらりと光らせる。そして大きく足を振り下ろすと、その小さな体からどう生じたのか解らぬほどの力で、ドアノブごとロックを破壊した。

「す、すごい……」

「感心している場合じゃありません」

 思わず目が点になるフィッツを叱咤し、セシルはもう一度蹴りをドアに見舞い、扉ごと吹き飛ばす。

 放たれた出口から二人は駆け出すと、フィッツは電気店から借りてきたパソコンを、有線でショッピングモールの主電波塔に接続する。セシルもフィッツのパソコンと並列接続を行うと、共にショッピングモール内にジャミング波を流すプログラミングを行う。

――竜ちゃんが言うには犯人がタンバリンを鳴らすと起爆スイッチがONになる仕組みだ。と、いうことは、電波信号をその動作で各ぬいぐるみへ送っているってことだ。ショッピングモール中一切の電波式の電子機器がパーになるけど、一気にカタをつけるにはこれしかない!

 フィッツとセシルが協力しながらジャミングプログラムを構築していると、出入り口からマシンガンを構えた男たちが雪崩れ込むように複数人押し入ってきた。

 瞬時にそれに気づいたセシルが、電波塔のある屋根から飛び降り、男たちの前へひらりと立ちはだかる。

「貴様らそこで何をしている!」

「貴方たちは犯人の一味ですか?」

 セシルの瞳の奥が、再びちらちらとナノマシン特有の光を発する。彼の脳は瞬時に相手の存在を読み取り肯定する。

「パターングリーン、敵と認識。直ちに排除します」

 言うやいなや、セシルは男たちに飛び込み、炸裂するマシンガンを諸共せず、むしろその銃口を横から薙ぎ払い叩き落す。そのまま流れるような動作で、男二人の鳩尾を、的確に蹴り倒した。

「このっ! クソガキ!」

 少し離れたところから、セシルに銃口が向けられる。

「セシルっ!」

 フィッツの声に反応し、セシルは振り向き様落ちているマシンガンを拾い、フィッツに投げた。そして自身は撃ちこまれる弾を避けるべく、地べたを素早く転がる。

「くっ!」

 フィッツは受け取ったマシンガンの照準を敵の足に合わせると、引き金に力を込めた。放たれた無数の銃弾は、敵の爪先を貫き、その痛みに悶絶しながら前のめりに倒れていく。その間、セシルは二丁マシンガンを敵から奪い取り、フィッツに叫ぶ。

「出入り口の防衛は任せてください! フィッツさんは早く自身の任務の遂行を!」

「わ、わかった!」

 セシルのことを気に掛けながらも、フィッツはプログラミングに集中した。

――一個目はどうしても間に合いそうにない! 竜ちゃん、お願いがんばって!


 フィッツの願いを受けるようにして、竜也とアスカはホールに戻ると、主犯の舌打ちを無視して展示されているぬいぐるみを手分けして次々とプラスチックケースを割って調べる。すると、思ったとおり、その中の一つが、やはり最初に爆発したぬいぐるみ同様、解れた糸の跡があった。竜也はその看護士姿をしたネズミのぬいぐるみを掲げ、主犯に怒鳴りつけた。

「一番近い爆弾はこいつだろう! さあ、はやく起爆スイッチをオフにしろ!」

「……お兄さんたちさ」

 主犯はあの不気味な笑みを浮かべ、竜也とアスカを見下ろした。

「僕は探して来てって言ったけど、スイッチを切ってあげるとは言ってないよ?」

「なっ!」

「ふふふ、あはははっ!」

 主犯の高笑いがホールに響く。爆発にはあと一分を切っていた。

――間に合わない!

 竜也がせめて被害を最小に抑えようと、天上の高いホールの真上に投げようかと考えた時であった。

「竜也っ! そいつを貸せ!」

 ヨハンが叫びながら近くのエスカレーターを駆け下りてくる。言われるまま竜也はヨハンに向かってネズミのぬいぐるみを投げると、ヨハンは見事キャッチし、乱暴にぬいぐるみを引き裂いた。すると、時限式の爆弾が中で点滅している。残り時間は十秒を示していた。

「へっ、ちょろい仕掛けしやがって」

 余裕な、むしろ少し楽しんでいるのではないかと疑うほどの表情で、ヨハンは手早く爆弾を小さなドライバー一本で解体していく。そして残り三秒を残し、爆弾は秒読みを停止した。

「へへ、残念だったなあ、爆弾魔。この通り、てめぇの爆弾はただのガラクタになったぜ?」

 その科白に、竜也とアスカは一先ず胸を撫で下ろした。

「へぇ、なかなかやるね。チビガキのくせに」

「ぐっ! 俺はガキじゃねぇ!」

 いきなり低レベル化した争いに、思わずアスカは苦笑いを浮かべる。しかし、竜也はサンドラと視線を合わせ“大丈夫”と言い聞かせるように一度まばたきをして見せた。

「でもコレで終わりじゃないよ。まだまだ爆弾は仕掛けてあるからね?」

「へ、ブランドショップにいたスカンクのスキーヤーならこの通り、ここだぜ?」

 ヨハンは懐から、すでに爆弾部分は解体し抜き取ったスキー板を穿いたスカンクのぬいぐるみを取り出した。

「だ~か~ら~、わかってないなあ、まだ終わりじゃないってば」

 そう、それは竜也もアスカもわかっている。爆弾がネズミとスカンクの二体だけな訳がない。なにしろ、犯人はショッピングモール全体に爆発するといっていたのだ。こんな少数なはずがない。

「クマ、ネズミ、スカンク……?」

 竜也がなにかこの三匹に共通する点はないかと、ぼそぼそとつぶやく。すると、アスカが手を打った。

「ねぇ、ネズミはマウスだよ。日本語のカタカナ表記なら、しりとりになってるんじゃないかな?」

 竜也は確かにそうだとも思ったが、それでは次にクのつくのは、やはり最初のクマに戻ってしまう。しりとりはこれで終了である。共通する哺乳類という点では、クジラという選択肢があるが、そもそも、ネズミは英語のMouseなのに、クマは日本語名のままでいいのだろうか。それだと決め付けるにはあまりにあやふやである。

「ふふっ、ヒント、欲しい? “皆繋がっているはずなのに、一匹だけ仲間はずれ”がいるんだ」

「はあ? 意味のわかんねぇ事抜かしやがってっ!」

 ヨハンが苦悶の表情を浮かべるが、明らかに今のがヒントであったはずだ。

――こんなときにフィッツがいたら……。

 竜也は歯痒さを感じていた。結局こういった難解なことは、親友の専売特許である。自分はただ腕っ節だけなのだ。今のところ役に立っていない自分を殴ってやりたい気分であった。

「わかんない? わかんないかなぁ~?」

 実に愉快そうににたにたとする爆弾魔に苛立ちだけが募る。サンドラの表情も心なしか曇ってきたようにも思える。そしてその隣の少女も、しくしくと泣き出してしまった。彼女の母親も、ただひたすら娘をおろおろと見守ることしか出来ていない。

 そうしている時であった。ホールに響き渡る明朗な声が、上の階から降り注ぐ。

「管理室、及びスタッフルームはすべて制圧完了した。残ったのはホールのお前たちだけだ」

 その声は、手すりからこちらを見下ろすダナンであった。彼の手にはライフルが握られている。恐らく、爆弾魔の一味から奪い取った代物であろう。

 ダナンの堂々とした発言に、さすがに主犯も驚いたのか、彼にがなった。

「馬鹿なっ! 一人でこんな短時間にそんなことが出来るわけっ!」

「残念だったな。こちらにも頼りになる仲間はそれなりにいるものでな」

 ダナンが口角を上げると、爆弾魔は苦々しげに歯軋りした。これでとりあえず、出入り口が開き、一般客の脱出、及び避難は完了することだろう。しかし主犯は諦めなかった。

「ふんっ、けど、爆弾はまだある!」

 言いながらタンバリンを連続で叩く。だが、ダナンは物怖じしなかった。

「お前が今起爆させようとしたのはこいつらか?」

 ダナンが片手で摘み上げたのは、皇帝の冠を被ったペンギンと『A resident‘s card』つまり、“住民票”と書かれたファイルを持った、役人風のヤギのぬいぐるみであった。

「なぜだっ! これで爆発するはずなのに!」

「それもまた、頼りになる仲間のお陰で、こうして俺は無事だ」

 ダナンは竜也に向かっていたずらっぽく片目を閉じる。

――そうか、フィッツが……。

 これにより、目の前の爆発という脅威からは逃れられた。だが、爆弾魔は肩を振るわせ始めたかと思うと、壊れた玩具のように大声で笑い始めた。

「――はははっ、あははははっ!」

「何がおかしいっ!」

 竜也が叫ぶと、主犯は顔を片手で抑えながら、狂気のゆらめく瞳で答える。

「ゲームは終わりじゃない。切り札っていうのがかならずあるものなんだよ……」

「っ、まさか!」

「そう、爆弾はこれだけじゃない。一番威力があって、この建物ごと吹っ飛ばせる時限爆弾を仕掛けてある。そうだな、残り、あと四分でドーン! だよ?」

 ダナンは顎を撫でながら思案した。フィッツのジャミングは確かに成功した。その証拠に自身の手元にあるぬいぐるみはすでに爆弾としての機能を失っている。それなのに、この主犯の者の絶対的な自信は何なのだろうか。その答えは一つである。

「そうか、独立させた機体を、初めからセット時に起動させておいたのか」

「ふふふ、ご名答」

 その答えを聞いて、いい加減痺れを切らしたサンドラが怒鳴った。

「どうして貴方はそこまでしてここを破壊しようとするんですのっ? 金持ちが嫌いなら、その個人を攻撃すればいいだけの話ではなくって?」

「あー、君、うるさいなあ」

 爆弾魔は冷めた眼差しで彼女を睨みつけた。

「もういいよ。いらないから死んじゃえ」

 トリガーに添えられた指に力がこめられる。


「――っ、サンドラ!」


 竜也が叫びながら彼らの間に割り込んだのと、銃声が鳴るのはほぼ同時であった。さらに、それに重ねるようにして、ダナンの持つライフルも、爆弾魔に向かって火を放つ。

「ぐあぁああっ!」

 ダナンの撃った弾は相手の利き腕である右肩を撃ち貫いた。あまりの激痛に、主犯はのたうちまわる。現場に少し遅れて駆け寄ったアスカとヨハンは、一緒にいたピンクと茶色、両方の着ぐるみを殴り飛ばす。その隙をついて、少女は母親の元へと無事に戻った。

 一方、水色の着ぐるみは、サンドラの手を離すばかりか、だらりと腕をたらしたかと思うと、電池が切れたように後ろへと倒れこむ。

「竜也様っ! ご無事ですかっ?」

 自身を掻き抱くようにしている相手を按じ、サンドラは必死な声を上げた。

「ああ、どうにか、間に合ったな」

 サンドラはほっとして、倒れている着ぐるみを見下ろすと、クマの顔の頬あたりに、黒く焦げた穴が開いていた。恐らく、竜也が飛び込んだ際、銃口を肩で押しのける形となったため、その瞬間に弾が反れて発射されたのだろう。

「死んで、いますの?」

「たぶん、な……」

 着ぐるみからはじわじわと赤い血だまりが広がる。それを見たサンドラは、思わず竜也の胸にうずめるようにして顔を背けた。

「けっ、仲間を殺しやがって、大馬鹿野郎が。オラッ! 残りの爆弾の在り処、吐かねぇかっ!」

 ヨハンが自身の上着で主犯を縛り上げると、それをギリギリと締め上げながら自白を迫る。だが、爆弾魔はそれでもくつくつと笑っている。

「みんな壊れてしまえ。なにが一繋ぎの輪で地球共同連邦(アースライン)だ。なにが英雄(メシア)様のもたらした平等な世界だ。結局この世は貧困と裕福層に分かれ、弱者は蹴落とされ、蔑まされて生きていかなきゃいけないんだ。この土地はその縮図だ! 一つの家系がのさばって、油田という資源を売りさばき、個人的な利益を、国家予算を超えるほど得ている。異常だとは思わないか? 憎いとは思わないか? 地球が生み出している資源を、なぜ個人が所得して牛耳っているのだ? どうして平等に分配されない? おかしい、実におかしいじゃないかっ!」

 語られる呪詛を聞きながら、ダナンはアスカにライフルを手渡し、気絶している着ぐるみ二人を見張らせた。

「ならば、お前はこんな大掛かりなことをせず、サンドラが言ったように、俺や俺の父を狙うべきだったな」

「お前……っ! そうか、お前があの強欲な爺の息子かっ!」

 ダナンは彼の罵倒を複雑な思いで聞いた。

「死ね! この建物ごと醜く果てて死んでしまえっ!」

「うるせぇ、黙れ!」

 ヨハンは爆弾魔を思い切り殴った。銃弾を浴び、そもそも衰弱した体には響く。このままでは殺しかねないと、珍しく竜也がヨハンの両腕を羽交い絞めにした。

「離せっ、竜也! 俺は身勝手なこいつを許しておけねぇ! ――いいかっ? よく聞け! 人間つぅーのは生まれながらに“不平等”なんだよ! そんなこた馬鹿な俺にだって解る! けどよ、だからといって、人様を恨んだり妬んだりするのは筋違いってもんだろうよ! 貧乏人なら貧乏人なりの幸せっつぅーのがあんだよ! そんなこともしらねぇで、探そうともしねぇで、ただ自分は不幸だって思い込みだけで、他人を巻き込むんじゃねぇーよっ!」

 血走った目で捲くし立てたヨハンは、肩で息を整え、相手を侮蔑のこもった目で見下した。しかし、相手はどこか遠くを見たまま、相変わらず壊れたように、静かに笑う。ヨハンはその様子に唾を吐きつけ、苦々しく言った。

「はっ、だめだなこいつ。完全にいかれちまった」

 いかれたやつを相手にしても始まらないと、ヨハンは竜也にもう大丈夫だとつたえ、戒めを解いてもらう。

「……あっ!」

 そこでなぜかアスカが唐突に短い発声をする。

「何か解りましたか?」

「竜也くん、最初に爆発したぬいぐるみはどんな格好をしていたか覚えてる?」

 覚えていないわけはない。最初にサンドラが興味を示したぬいぐるみだったのだ。それがまさかこんな大事の発端となるとは思いもしなかった。

「バレエの格好です。リボンがついていたので、女の子を模ったクマでした」

「英語にするとBallerina【バレリーナ】だよ。さっきこいつが言ってたヒント、思い出して」

 たしか『皆繋がっているはずなのに、一匹だけ仲間はずれ』というのがキーワードになりそうな文言だったと、竜也は答えた。

「うん。それでね、試しに全部のぬいぐるみの職業を英語で考えてみたんだ。ネズミはNurse【ナース】スカンクはSkier【スキーヤー】ペンギンはEmperor【エンペラー】ヤギはOfficial【オフィサー】ほら、こうすると、単語の最後から二番目のスペルで、やっぱりしりとりになってるんだよ!」

 竜也ははっとした。バレリーナの最後から二番目のスペルはN、そして、ナースの頭文字は同じくN。他も確かにそういう法則になっている。それなら『皆繋がっている』の意味が解る。しかし『仲間はずれ』とは。そう考えたときに、竜也は理解した。

「ペンギンだ。ペンギンだけ鳥類。哺乳類じゃない」

「そう、それで思ったんだ。なんでわざわざペンギンなのか。そして、最後のオフィサーの後から二番目のスペルAから始まるここの施設といえば?」

 アスカの推理に竜也は頷いた。


「水族館【Aquarium】だ!」


 竜也とアスカは、ダナンとヨハンにサンドラを任せ、急いで地下の水族館へと向かった。爆弾が破裂するまでの時間は、残り三〇秒を切っていた。

 エレベーターやエスカレーターは、緊急事態用のシステムが働き、完全に停止してしまっている。とにかく自力で駆けて行くしか方法はない。

 カンカンと響く自分たちの足音が、いつまでも響いているような気がしてもどかしい。

「どうしよう! 竜也くん!」

「何ですか先輩っ! まだなにかっ?」

 エスカレーターを自力で下りながら竜也とアスカは会話する。

「水族館って場所はわかったけど、何処に仕掛けてあるかまでわからないよっ!」

 確かに、こんなに広いショッピングモールの最も地下に設けられた巨大水族館というのがここの売りである。そんな中で、どこに爆弾があるかなど端から探している時間は残されていない。

「ペンギンでしょ? しかも皇帝! だったら、文字通りコウテイペンギンが展示してある部屋じゃないんですかっ?」

「そうなんだけど、もしそうじゃなかったらっ?」

「その時は……色々と諦めてくださいっ!」

「そんなぁあ~っ!」

 情けない声を後ろに聞きながら、竜也はコウテイペンギンの展示スペースへと走る。残り時間は一〇秒、九、八、七、六――

 コウテイペンギンの案内板が見えた。そしてその角を曲がった瞬間――

「ばっ! くだん……は?」


「遅いですよ、お馬鹿さんたち」


 竜也の目の前には、派手に壊れた巨大水槽と、ずぶ濡れになった貴翔と丹花がぐったりと座りこみ、周りにはコウテイペンギンたちが自由にクアクアと声を上げながら歩き回っている。

「竜也くん! 爆弾はっ? え、あれ? 貴翔先輩たち、なんで?」

 貴翔は眉間に皺を寄せながら深い深い溜息をつき、丹花は疲れきった様子で両手をつきながら、水浸しの床を見て「カー君が、カー君が」と、つぶやいている。なにやら相当ショッキングな出来事があったらしい。

「あの、何があったんですか?」

 恐る恐る竜也が貴翔に尋ねると、海獣類独特の生臭い匂いのする服をぎゅうぎゅうと絞りながら立ち上がり、臭いさえなければ見たまま水も滴る色男な副会長は、淡々と後輩たちに告げた。

「フィッツから連絡を受けたので、私たちも行動していました。この建物を崩すのだったら、構造上、地下から突き上げるように爆破させた方が、効率がいいですからね。しかもここは水が満載です。全部漏れ出れば地下にいる人間は全滅でしょう。なので、丁度ここにいたこともあって、この中をくまなく探していたんです。そしたら、ここにその爆弾を発見したため、慌てて分厚いガラスを二人して辛うじて突き破ったのですが。その、名前がカリムという雄ペンギンがですね……」

 そこで丹花は顔を覆ってさめざめとした表情で「この子です」と、目の前を平然とした顔(というか何も考えていなさそうな表情で)ペタペタ行進する大きなコウテイペンギンを指差す。

「要は、拾って食していたんです」

「へ? 何を?」

「貴方たちは何をしに慌ててここまで来たのですか?」

「爆弾の起爆を止めにですが?」

「それですよ。それ」

 竜也とアスカはしばらく顔を見合わせて答え合わせをする。

「えーと、つまり」

 まさかと思い二人してカー君ことカリムの足元のあたりを見ると、そこには原型が分からぬほど唾液と魚のミンチに塗れた時限爆弾がぽつねんと置かれていた。そして信じがたいことに、その爆弾はすでに解体済みであった。

「つまり、そういうことです」

 もはやそれ以上説明すまい。あるいは、それ以上語りたくないというオーラが、貴翔、ならびに丹花から溢れ出ていた。


 こうして、犯人たちは逮捕され、ショッピングモールはしばらくの間閉鎖となった。竜也たちは最悪の事態を防いでくれたとダナンの父親から名誉特別市民賞を与えられ、事は一件落着と相成ったのだった。

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