第一章「聖ユグドラシル男子士官学校」 (3)
Ⅲ
大理石の床に真紅のカーペットが敷かれた学長室には、学長自身が淹れたダージリンの良い香りが漂っていた。
「いやぁ、それにしても竜也は本当に龍一に似てきたねぇ」
今や半分が白髪になり、くすんだ金髪はかつて黄金色に輝いていた。そんな頃の話を、アルバートは懐かしそうに二人に話す。
アルバートと龍一は五歳も年が離れていながら、立派な戦友同士であった。もとはというと、アルバートが士官候補生時代、他校との模擬戦闘を繰り広げる様を龍一が見学していたのがきっかけだったと語る。
「当時はびっくりしたよ。全然知らない男の子が突然『兄ちゃんかっこいいな!』って寄って来たんだからねぇ。聞けばライカンスロープで有名な天野一家のご子息だっていうじゃないか。なんで私なんかが気に入ったのか、未だに謎なんだよねぇ」
老眼鏡の下で照れくさそうに目を細める学長はとても嬉しそうだ。しかし実際のところ、天野家は前代未聞の修羅場であったそうで、アルバートと同じ士官学校に拘る龍一は、勘当同然に家を飛び出したらしい。
かくして軍人家庭のやんちゃ坊主は、この士官学校、聖ユグドラシルをアルバートと同じく主席で卒業。龍一は多少力任せではあったが、アルバートの助言も効をそうし、将官への道を駆け上った。その頃には流石に天野家も卒業校のことについてはとやかく言わずにいたのだが、問題は龍一が男盛りの三十路を迎えた年に起きた。
「実家は大騒ぎだったと思うよ。生まれたての小さい双子を連れて、家出息子が帰ってきたんだから……」
従卒の腹と背、両方にベビーキャリアをくくりつけ、龍一は何食わぬ顔で両親と兄に「俺の子だ」と紹介した。それが竜也と双子の兄、辰巳であった。
「母のことは、アルバートさんも知らないんですよね?」
竜也が半ば呆れ顔で問う。
「龍一は私にも話さなかったからね。こっちでも探してはみたんだが、未だに行方知らずの正体不明だよ。正直降参だね」
学長アルバートは両手を挙げながら、溜息混じりに首を竦める。が、直ぐに慌てるように口を開く。
「ああ、安心して。もちろん龍一の子供ってことははっきりしているから!」
なんなら鑑定書もあると言い出す養父に、竜也は丁重にお断りした。もし仮に四歳まで一緒に暮らした父と血が繋がっておらず、他人だったとするのなら、それはあまりにも無茶だと思う。それほどまでに、竜也は龍一に酷似していたのだ。少し癖のある硬めの頭髪、睨みの利く鋭い瞳、日本武術に長けた能力、すべて父譲りである。
龍一は二人の息子にこう遺言を残している。
『長男辰巳には日本の芸能を、次男竜也には日本の武道を』
ざっくりとしたリクエストであったが、アルバートは預かった手前、とにかく竜也にやれるだけの習い事をさせた。剣道、柔道、空手、この三つに通わせ、どれか一つでも習得出来れば良いと思っていた。しかし彼は養父の想像を凌駕する。中学に上がる頃には、それぞれの師範と互角、またはそれ以上の技を習得してしまったのだ。もはや同期生で彼の右に出る者は皆無であった。このユグドラシルの入学試験においても、彼の場合は学業成績よりも実技能力の点においてずば抜けていたのだ。
「龍一も本当に強かった。特に剣術に置いては誰も手合わせしたがらなかったよ。あ、そうだ。フィッツ、お前はどうだね。習い事はちゃんと通っているかい?」
その質問に、フィッツのティーカップに触れた手が止まる。
「えっと、うん。まぁ、通ってはいるけど……」
明らかに触れて欲しくなかった話題らしく、苦笑いしながら目線をそらす。
「武術センスゼロだもんな、お前」
「ぐっ、竜ちゃん酷い」
フィッツは花が萎れる様に俯いた。彼は幼い頃、竜也への対抗心か、はたまたただ単にお揃いが良かったのか、とにかく剣術を学びたいと父にねだった。まったく同じ物を学ぶより、少し毛色の違うものが良いだろうと思った父アルバートは、彼にフェンシングを習わせる。それから今の今まで通って真剣に取り組んでいるのにも関わらず、フィッツの成績は底辺を彷徨っていた。
そんな非力な彼が士官学校などに入学出来たのは、身体的能力ではなく、知能指数の高さからだ。どちらかというと、いや、明確に彼の場合は、学者や政治家などといった手堅い職業選択が似合っていたはずである。正直竜也としてはフィッツにそのような道を選んで欲しかったのだが、妙にフィッツの決意が固かったのは未だに謎だ。
「あはは、特技は人それぞれだからね。続けることに意味があると思うよ」
そう父が息子にフォローを入れた瞬間だった。なにやら外が騒がしい。反射的に窓辺に様子を見に行ったのは竜也だった。その後に続いてフィッツが駆け寄る。
「学生寮からか?」
竜也の視点は、寮からわらわらと出てくる士官候補生たちを捉えていた。
「おや、どうしたんだろうね?」
あまり慌てた様子もなく、学長は不思議そうに顎を撫でている。
「とにかく行ってみようよ竜ちゃん!」
「ああ」
「こらこら、ちょっと待ちなさい」
学長室の扉に手をかけたタイミングで、学長は少し真剣な面持ちで引き止める。
「明日からは君たちとは父と子ではない。教官と士官候補生、または上官と部下だ。そのことを肝に銘じときたまえ。返事は?」
その言葉にはっとした二人は、しっかりと向き直り敬礼する。
「はい、アルバート学長。ご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」
「うむ、行ってよし」
「はっ!」
広い校庭を駆け抜け、二人は校門側の石階段を駆け上がった。そこには三棟、五階建ての学生寮がある。その真ん中に位置する二棟目に、学生が輪を作るように群がっていた。
「ここって、たしか二年生の寮だよね?」
フィッツが手の平でひさしを作り、ぴょんぴょんと跳ねながら輪の中心を見ようとする。フィッツより身長の高い竜也も背伸びしてみるが、良くは見えない。ただ、そこには人が二十人は軽く納まるであろう箱状の檻が三つ置いてあり、その柵が開いていることが辛うじて確認できる。するとその時、誰かの怒号が中心から上がった。
「てめぇら、見物してないで手伝えっ!」
なにやら必死な様子の声音に、周りの連中は少しずつ辺りへと散っていく。そこに残ったのは竜也たちと、先ほど怒号を発したと思われる、小柄な少年であった。
「ああ? お前ら見ねぇ顔だな。新入生か? 見世物じゃねぇぞ、とっととあっち行きやがれっ!」
無造作にハーフアップした髪型を掻きながら、面倒くさそうに二人に近づく。派手なオレンジにカラーリングされた頭髪、アーモンドアイの生意気そうな視線、勝手に着崩した制服。どこをとってもガラが悪そうな少年であったが、フィッツよりも身長で劣っている体型がなんともミスマッチである。
「あんた誰? ってか、何があったのかくらい教えろ」
「ああっ?」
いきなり喧嘩腰の質問をぶつける竜也に、相手は当然のようにすごむ。
「ちょ、ちょっと待って!」
今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気に、フィッツが割り込む。竜也に言葉使いに対する説教を軽く済ませ、オレンジ色の髪をした少年に謝罪した。そんなフィッツをじっと見つめ、少年はぽつりとつぶやく。
「えっとさ、お前……女子?」
「……へ?」
思わずぽかんとしてしまった親友に代わり、竜也が「いや、こいつこんなんだけど一応男だから。ここ男子校だし」と、冷静に解答する。ショックだったのか、石化するフィッツ。それにはお構いなしに、まるで珍獣を見るように、しゃがみこんで、上へ下へ舐めるようにしげしげと少年は彼を観察した。
「へぇ、副会長も美人系だけど、それ以上っつぅーか……。ってか、こいつマジでアレついてる?」
なんとも下劣な問いは、上から突如振り下ろされた踵により中断された。
「ぐおっ! ってぇな、何しやがっ……」
振り返ると、そこには到底優しくはない微笑を浮かべ、眉目秀麗な副会長が立っていた。さっと少年の顔が青ざめる。
「何をしているのですか? ご自分の失態も整理できぬうちから無駄話とは、良い度胸ですね?」
両拳を合わせ、関節の音を鳴らす貴翔に、少年は恐れ慄き「今すぐ事態収拾に向かいます!」と、尻尾を巻いて退散した。
「まったく、ヨハンには困ったものです」
眉間を押さえながら溜息をつく先輩に、先ほどのフィッツの注意をあえて完全に無視した口調で竜也が問う。
「あいつ、なんすか?」
「バルトロメイ・アレハンドロ・デ・ホセ・アントーニョ・イ・ヨハン」
「は?」
あまりの長さに、すべて聞き取れなかった竜也は思わず呆れた声を出す。
「呪文?」
「いえ、彼の本名です。長すぎるのでフルネームで呼ぶ人はいませんがね。教官たちもバルトロメイ・ヨハンと呼んでいます。一応あれでも二年生で、しかも生徒会役員です」
「ふーん、生徒会……って、マジ?」
「ええ、残念ながら」
二度目の溜息をつく貴翔は、どことなく初対面の時より少し柔らかい印象を受ける。気のせいだろうと自己完結し、この状況の説明を求めた。
「誓鈴候補生たちが逃げ出したんですよ。まったく、ヨハンたちに搬入を頼んだのがそもそも間違いでしたね」
誓鈴とは、特殊システムが搭載された地球共同連邦屈指の戦闘兵器『アンジェクルス』に必要不可欠な動物たちのことだ。そもそも特殊システムとは、動物たちをインターフェイスとして戦闘利用するシステムである。これを『アンジェシステム』という。人工的な画面上のインターフェイスと違い、人間の命令入力がなくとも、自己判断で人の能力を超える瞬発的行動が取れるのが利点だ。また、個々の動物の性質により、得意能力がアンジェクルスに反映する。つまり、アンジェシステムとは、人が動物とバディを組むことで生まれる利点を、最大限引き出すシステムなのだ。その候補生たちが逃げ出したとなると、アンジェクルス乗りを目指す士官候補生たちの人数分動物たちが逃げ出したこととなる。すべて回収するとして、その作業が大変難航するであろうことは容易に想像出来た。だが、竜也は物怖じするどころか、不敵な笑みを浮かべると、指笛を鳴らす。すると、三つあるうち、一つの檻から「わん!」と鳴き声が上がった。
「雷神、来い!」
竜也が声を張り上げると、檻の奥から銀色の毛並みが走りよってくる。
「雷ちゃん! 中でちゃんとまってたんだ!」
今まで固まっていたフィッツが急に元気になった。雷神と呼ばれた狼犬は、二人との再会に歓喜した様子で、尻尾を千切れんばかりに振っている。
雷神は亡き竜也の父親、龍一の誓鈴神威の子で、ルビーのように赤い瞳にがっちりと筋肉質の体型、灰銀から白に流れるようなグラデーションの毛並みと、すべてがライカンスロープとしてトップクラスの品質を兼ね備えていた。また、幼い頃から一緒に育ったため、雷神はとても二人に懐いている。特に竜也のことはすでに主として認めているらしく、顔を嘗め回したり、すりよってきたりなど、ただの飼い犬のようにべったりと甘えることはしない。彼が命ずるまでは、指定されている場所でしっかり待機が出来、ひたすら従順で、実に賢い良きパートナーである。フィッツに撫でくり回されながらも、竜也の前でぴたりと座り、まるで指示を待っているかのような雷神の態度に、貴翔は感心した。
「なるほど、さすがライカンスロープといったところでしょうか」
そこで何かをひらめいたのか、貴翔はぽんとひとつ手を打った。
「竜也、この子を少しお借りできないでしょうか?」
「雷神を?こいつは俺の言うことしか聞きませんが……」
「構いません、一緒に他の誓鈴候補生たちを探して欲しいのです」
竜也は一瞬雷神と目を合わせたが、直ぐに了承し頷いた。