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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
39/83

第五章「其々の朱夏」 (9)

 Ⅸ

 ドバイ二日目の朝、ついくせで早起きをした竜也は、いつも通りの時間に身支度をすませ、なんとなしにホテルの自室を抜け出した。

 外に出ると、丁度日が昇り始める瞬間であった。ぐっと一つ伸びをすると、少し辺りを見て回ろうかという気になる。

 今日の予定はもともとショッピングモールで自由行動であったはずだ。集合時間は午前十時だ。それまでまだ五時間ある。

――さて、まずは何処に行こうか……。

 ホテルの敷地を抜け、観光地区を少し過ぎたところで、竜也は朝市が開かれているのを発見した。花や果物、海鮮物など、華やかなドバイの地であっても、少し観光地から外れれば、こういった庶民的な光景が広がっているのである。

 しばらく物珍しそうに周りを見渡しながら歩いていると、人々の視線が自然と自分に集中しているのに気づく。

 観光地外は当然地元民が多い。その中で一人、日系人が混ざっているのである。これでは確かに目立ってしまうのも無理はない。

 少し気まずくなった竜也が、その場を後にしようとすると、人の良さそうな顔をした中年の商人が呼び止めた。

「そこの兄ちゃん、観光かい?」

 彼の店はどうやら布専門店らしく、屋台は無数のスカーフやターバンがぶら下がっている。

 竜也が頷くと、ちり毛の白髭を撫でながら、中年男性はにこにことしている。

「観光客がこんな時間にここまで来るのは珍しいね。どうだい? 記念に一枚スカーフでも買っていかないかい?」

 店主は赤と白のアラベスク柄の布を手にとって見せる。

「悪いな。ただの散歩のつもりで来たから、今持ち合わせがないんだ」

 竜也が申し訳無さそうにそういうと、店主はオーバーなリアクションで笑った。

「なんだ、そうだったのか。いやいや、いいんだ。ところで兄ちゃんどっかで見たことある気がするんだが、テレビかなんかに出てたかい?」

 どうやらこんな朝早くから布類を買い求める客は少ないらしく、店主は暇なようであった。いそいそと竜也のために店の中から簡易椅子を取り出すと、ここへ座れとばかりに座面を叩く。

 どうしたものかと少し悩んだが、自分とて暇人なのは変わりない。仕方なく、少し付き合うことにした。

 竜也が遠慮がちに座ると、店主は嬉しそうに自分の水筒からアラビアンコーヒーを注ぎ、相手に手渡した。

 見慣れない色と嗅ぎ慣れない香辛料の香りに、少し戸惑いながらも少量口に含む。普段飲むインスタントコーヒーとはまったく別物の味に驚くが、これはこれで癖になりそうな味である。

「う~ん、思い出せないなあ。兄ちゃん出身はアジア圏だろ? 場所はどこだい?」

「一応日本だけど……」

「ニッポン! そうかい、通りで見たような顔だと思ったよ。兄ちゃんあの人そっくりだ」

 ほら、なんといったかなと、頭を抱える店主に苦笑しつつ、竜也は自身の父がいくら英雄だのなんだのと褒め称えられていようとも、結局一般民衆レベルの価値観としては、そう大したことはないのだなと感じた。結局のところ、戦時下の一幕で消えていった軍人の一人という程度なのである。世界が二分した五百年前から、龍一のように功績を上げた軍人が何百何千と生まれては死んでいった。そう、父はたかがその繰り返しの中の一人なのである。

「天野龍一か? 確かにあの人も日本人だからな。でも空似だ。よく言われるんだ」

 竜也はあくまで他人だというふうに振舞った。ここでかの英雄の息子だなどと触れ回られたら、どうにも面倒くさそうだと、彼なりに頭を使ったのだ。

「そりゃまあそうだな、あの人は死んじまったからなあ」

 死んだ人間が、しかも若返ってこの場にいるはずもない。店主はそういってまたあの快活な笑いを飛ばした。

「なに、実は家の親父が元軍人でね。今はすっかり耄碌(もうろく)しちまったが、よくその人のことを話してくれたんだよ。若いのにえらく強い人だったって、まるで自分のことみたいに話すんだ」

 そこまで言うと、彼は小さな水煙草を取り出すと、ぷかぷかとふかし始める。

「よくも飽きずに五〇〇年も続けるよ。戦争なんて、俺は嫌いだねぇ。英雄様だかなんだか知らないが、結局はたくさん人を殺したってだけのことだ。なあ、若いの。お前さんは強くなって敵を蹴散らしてやりたいって思う口かい?」

 竜也は思わず考え込んでしまった。今まで周りの人間に戦うこと自体を咎めるようなことは言われたことなどなく、むしろ英雄の子なのだから、という、期待の目でしか見られていなかった。しかし、彼とて思考の偏った人間には育ってはいない。どんな正義を振りかざそうと、戦はたしかに人を殺すという行為に変わりないのだ。それは本来一般民衆の目からすれば、褒められた行為ではない。

「俺は……大事な人を守るためなら、戦うことを選ぶと思う」

 あくまで自身を客観的に捕らえた上で、竜也はそう答えた。

「なるほどな、自衛ならばってことか。まあ、それも間違っちゃいないんだろうが、俺はなあ、そろそろ誰か頭のいい人が現れて、この長い長い戦争を終わらせちゃくれないもんだろうかと、最近はそんなことを思うようになったよ」

 そうしんみりと話していたかと思うと、店主は少しいたずらっぽい顔を浮かべて、竜也に視線を合わせた。

「戦争屋なんかより、商売人はいいぞ? ものを作って対等な収入を得る。実に平和でいいだろう? まあ、今日みたいに品物が売れないときもあるが、そりゃまあそういう時はちょっと我慢すればいいだけだ。それに、暇なら暇で、今日みたいに若者と交流もできるってもんだしな」

 少し強めに肩を叩かれ、竜也は思わず残りのコーヒーをこぼしそうになったその時、かすかに言い争っているような会話が耳に届く。気になって竜也が立ち上がると、店主は「もういっちまうのかい?」と声をかける。どうやら店主の耳には聞こえなかったようだ。

「このコーヒー美味しかった。話せてよかったよ、ありがとう」

 竜也は礼もそこそこに飲み終わったカップを返すと、その場を立ち去ろうとする。

「ああ、待った待った! おじさんの世間話に付き合ってくれたんだ。これ、あげるよ」

 店主は初めに見せたアラベスクのスカーフを、竜也に手渡した。お金もないのに受け取れないと、一度断るが「野暮なことを言うんじゃない」と、押し切られてしまった。

 スカーフを首にかけてもらった竜也は、もう一度礼を言うと、小走りに声のした裏路地へと入っていった。


「おいっ女、こんなところで如何わしい商売しやがって!」

「離せちくしょう!」

 息を上げ、髪を振り乱し、胸のはだけた商売女は、二人の青い制服の自警団員に取り囲まれていた。

「お前みたいな奴がいると、観光地の名折れだ。どこから出稼ぎに来た! 名前を言え」

 一人の自警団員が、女のか細い腕をねじり上げ自白を迫る。

「どこだっていいだろ? この土地に観光に来る連中なんてみんな持て余した金を使いたい連中ばっかりさ! あたしが体張って稼いで何が悪いのさ!」

 なおも暴れ、挙句の果てに掴んでいた男の腕を噛もうとするので、痺れを切らしたもう一人の自警団員が銃に手をかけた。

「ちょっと待ってくれ」

 いつの間にか背後にいた竜也が、自警団員の銃を手で上から重ねて制する。突然のことに、その場に居た三人がそろって一瞬目を見開く。

「姉さん、だめだろ。こんなところで」

 竜也は出来うる限り愛想の良い顔を作り、女の目を見つめた。相手も竜也の考えに感づいたのか、はっとして一芝居打つ事にした。

「な、なんだい、あんた追いかけてきたのかい?」

「当たり前だ。姉さんは病気なんだから」

 その科白に、自警団員の二人は怪訝な顔つきをする。

「あの、この人は自分の姉で、ええと、あまり人には言えないような性質の精神的な病でして……。虚言癖のような症状もあって、本当、迷惑掛けてすみません」

 竜也は自警団員と女の間に割ってはいると、何をしでかしたか知らないが、どうか許してやって欲しいと懇願する。

「何を言っているんだ。その女はよそからやってきた娼婦だろう? かばい立てすると貴様のためにならん!」

「娼婦っ? 姉さんまたそんなことを……恥ずかしいからやめてくれっていったじゃないか。ほら、お金とったんだろ? 返して」

 その言葉に女は心底嫌そうな顔をしたが、竜也の真剣な顔に根負けして、胸元から男物の財布を取り出した。

「やっぱり……。本当にすみません、二度とこんなことはさせませんので、どうか今日のところは見逃してください」

 財布を手渡された自警団員は、なにやら二人でこそこそと相談していたが、やはり「一度本部まで……」と、言いかけた。それとほぼ同時に、竜也はもはや回りくどいことは止めだとばかりに、女の手を引いて走った。

「こ、こらっ! 待たんか!」

 突然走り出した二人にふいをつかれ、自警団員たちは出遅れた。

 あまりに走りの早い竜也に、女は足を縺れさせながらどうにかついて行く。後ろを振り返り、彼女を気にしながらも、竜也は先ほどの朝市の道へと出てきた。すると、先ほどの布専門店の店主が、こそこそと手招きしている。

「布の中に隠れな!」

 そういわれ、小さな屋台の中に二人して身を潜めると、竜也は咄嗟に先ほどもらったスカーフを女の顔から被せ、自身は匍匐姿勢で商品の並ぶ台の下へと滑り込んだ。女の体はすっかり無数にぶら下がっているスカーフと同化し、竜也の体はすっぽりと外からは見えなくなった。

 ほどなくして息を切らせた自警団員が、二人して左右ばらばらに散っていく。そして、そのうちの一人が布屋の店主の前までやってきた。

「おやじさん、ここに若い男と女が来なかったか?」

「うんや? 朝市に若者がデートにくることはまずないがね」

 とぼけてみせる店主に肩を落とし、自警団員はすごすごと去っていく。その様子を見送った店主は、頃合を見計らって二人に声をかけた。

「もうあいつらいっちまったよ。出ておいで」

 女は深く溜息をつき、頭からかぶっていたスカーフを台の下の竜也に返す。すると竜也はそれを握ったまま台に頭をぶつけながらのそのそと這い出てきた。

「ありがとう。助かった」

「なあに、あいつら厳しすぎることが多々あってな。俺も何度か店にケチ付けられて、腹が立ったことがあったんだ」

 ちょっとした嫌がらせにもなったと、店主は満足そうであった。

「で、兄ちゃん、その色っぽい姉ちゃんは?」

 つい先ほどまでいなかった同伴者を、店主は不思議そうに見つめた。竜也がそれにどう説明したものかと考えあぐねていると、女はつっけんどんな態度で言い放った。

「まったく、下手な芝居うってくれちゃって! あんた馬鹿じゃないの? 関係ないのに自分まで捕まっちまったらどうする気だったんだい?」

 助けてくれた礼よりも先に、ダメだしを喰らう形となった竜也は、苦笑いしながら頭を掻いた。

「慣れない事はするものじゃないな。結局失敗して悪かった」

 竜也のその意外な態度に、女はふいをつかれて目を泳がせる。

「べ、べつに悪かないよ……。とりあえずは難を逃れたんだ。礼くらいは言ってやってもいいさ」

 女は顔を赤らめ、腕組みしながらそっぽを向いた。とてもではないが礼を言っている態度ではない。しかし、竜也は一言「そうか」と返した。

「姉ちゃん姉ちゃん、とりあえずな、この店に閑古鳥が鳴いてる時に入った若い客は、俺とおしゃべりする決まりなんだ。な? 兄ちゃん」

 店主は二人の間に割って入り、竜也に向かってウインクして見せた。竜也はそれに頷き、自身が先ほど座らせてもらっていた簡易椅子を、彼女に差し出した。

 それから彼女は店主からアラビアンコーヒーを受け取り、それを飲みながらぽつりぽつりと事情を話し出した。

「うちは貧乏でさ。こうして観光地まで来て体売らないとやってけないんだよ。ここはそういうの厳しく取り締まっているけど、それでも客ってのはいるもんでさ。そういうのに限って金もってるんだよ。ただ、今回は相手が悪かった。あたしのこと騙してさ、金も払わずに部屋から追い出そうとするもんだから、頭に来て財布ごとすってやったのさ。そしたら、後から来たさっきの自警団員に追いかけられてね……」

 それを聞いた店主はうんうんと頷きながら、彼女のカップにコーヒーを継ぎ足してやった。

「世知辛い話だねぇ。兄ちゃんもそう思うから助けてやったんだろう?」

 早々に話の筋を飲み込んだ店主は、竜也に向かってそう言った。竜也は別にそこまで考えが及んで助けに入ったわけではないが、なんとなく、女性の腕をあのように乱暴に持ち上げて威嚇する自警団員に反抗心を抱いたのは確かであった。

 女はコーヒーの入ったカップを手の平で弄びながら、深い溜息をついた。

「しかしどうするかねぇ。金は返しちまったし、今日止まる宿もないし……また客を見つけるしか無さそうだね」

「やめておけ、今日すぐにそんなことをしたらまた追いかけられるぞ?」

 すかさず竜也がそう指摘すると、女はむっとして声を荒げる。

「じゃあなにかい? 手ぶらで腹すかせた家族のとこ帰れってのかい?」

「そうは言っていない。もっとマシな仕事を見つけたらどうだ?」

 その言葉が琴線に触れたのか、女は烈火のごとく怒った。

「こんな観光地に遊びに来るんだ、あんたどっかのボンボンに違いないだろうけどね。あんたが思うほど世の中ってのは甘く出来てないんだよ! 戸籍なんてもんもなく、その辺でのたれ死ぬ戦争孤児が山ほどいるんだ。どこの孤児院施設だって溢れかえってる! あぶれたあたしらみたいのは、そのへんで汚いことでもなんでもやらなきゃ生きてけないんだよ!」

 肩で息をする彼女を、店の親父はどうどうと、まるで馬を宥める様に肩をさすってやった。しかし、当の竜也はというと、至って真剣な表情で、珍しく冷静に言ってのけた。

「別にあんたの今やってる仕事を否定しているわけじゃない。さしせまった状態だっていうのも理解した。――その家族っていうのは、あんたの子供か? それとも戦争孤児のグループか?」

 女は一瞬きょとんした顔をしたが、首を振って怒りの表情を続けた。

「戦争孤児だけじゃないよ。あたしより年下で親を亡くした子たちの集まりさ。寄り集まって、協力すれば、少しでも長く生きられるかもしれないからね」

 竜也は頷いて答える。

「そうか、けど、あんたが自警団に捕まって、それで残されたその子たちはどうなるか想像はしたか?」

 女はぐっとした唇を噛んだ。想像など容易だった。自分を慕って集まって来た子供たちはまだ十に満たない者がほとんどである。精々ゴミ拾いなどで小金を稼いでくるのが関の山だ。ただでさえ栄養失調気味の子らなどは、一週間ともたぬかもしれない。実際そうして亡くなってしまった子供たちを、彼女は何度か見てきた。

「……いっそ、捕まっちまった方が、あたしは楽なのかもしれない。豚箱までいけば一時だが飯は食える。けど、あたしはあの子たちを裏切ることはできない」

 気丈にも彼女は涙を流さなかった。けれども、その目には歯痒さと惨めさが滲む。

「なら考え方を変えろ」

 竜也のその一言に、女ははっとする。

「一時しのぎの危険な仕事より、一日の給料が多少低くても、長期で安全に働けるところをあんたはその子たちのために見つけるべきだ。それが簡単じゃないのは俺だって分かってるつもりだ。けれど、諦めたくないならそうするしかない。違うか?」

 無茶を言っているのは百も承知であった。しかし竜也は目の前の彼女が本気になれば出来るような気がした。言うなれば感のようなものでそう思ったのだ。

 普通の孤児であれば、まずは自分を優先しようとする。他人を蹴落とし、自分はどうにか這い上がろうとする。その行きつく先が麻薬の密売人であったり、強盗であったり、重犯罪者となるケースが多数あるのだ。

 しかし彼女は自己犠牲型であった。自我を保ちながらも他人のために、どうにか踏ん張って生きていこうとする責任感がある。

 どうして極限状態にありながら、彼女のこういった生きざまが形成されたのかは分からない。あるいは彼女もまたそういう女性のもとで此処まで育って来たのかもしれない。

 とにかく、彼女のそういった性質を、竜也は直感だけで見事見抜いてしまっていたのだ。案の定、彼女は悩む姿勢を示した。竜也の言葉に、真剣に向き合っている証拠である。

「なあなあ、お二人さん、俺から一個提案があるんだが」

 すっかり二人の会話を聞きいっていた店主が、にんまりと笑いながら二人の肩を同時に叩いた。

「実は家には子供がいなくてな。俺の代で始めたこの布屋も、このままじゃ一代で終わりだ。――そこでだ姉ちゃん。ものは相談なんだが、機織りを覚える気はないかい?」

「えっ?」

 唐突な申し出に女は仰天する。

「仕事ぶりは当然見させてもらうがね。真面目にやる気があるって判断できたら、姉ちゃんうちで雇ってやるよ」

「い、良いのかい?」

 そんな都合のいい話があって良いものだろうかと、女は少し疑った目を店主に向ける。

「良いも何も、丁度こっちも最近腰にがたが来ててね。女房もそろそろ休みたいって言ってた頃なんだ。むしろ来てくれるととても助かるよ。今から家の機織り見にいくかい?」

 女はどぎまぎしながらも、店を空けることになってしまうと心配する。すると店主は能天気に「兄ちゃんちょっとここにいてくれ」と言ってのけた。つまり、店番を頼まれてしまったことになる。竜也は思わず肩をすくませてみたが、快く了承した。


 二人を待っている間、運悪く(と言っては店主に失礼だが)客が何人か訪れた。アルバイト経験もない竜也は四苦八苦しながらではあったが、なんとか布についている値札を見ながら商売に貢献することが出来た。

「ありがとうございました」

 竜也がそう客に頭を下げ、顔を正面に戻した時、満足そうに店主が手を振り帰って来た。

「いやはやご苦労さん。遅くなって悪かったな。兄ちゃんにも時給が必要かな?」

 冗談めかして言う店主に、竜也は「もうもらってる」と、自身の首に掛ったスカーフを指差した。それに対して店主は快活に笑った。

「兄ちゃんは欲が無いねぇ、実に気持ちが良い」

 そういう店主の背後を何気なく覗いた竜也は、あの女がいない事に気づく。そのことを問いかけると、店主は嬉しそうに語った。

「あの姉ちゃん勉強熱心でな。機織りの仕方ちょっと教えたら、今日一日で形に出来る様にがんばるって言いだして、そのあとず~っと、手を動かしてるもんだから、とりあえず後は家に居る女房に任せて俺だけ帰って来たよ」

 給料は一先ずまとめて一月分彼女に渡し、仕送りをすませたらとんぼ返りでまた機織りの仕事をするという約束を立てたらしい。正直孤児に対して此処まで信用し、雇用する店主の太っ腹さに感服する。

「ありがとう親父さん。助かった」

 女にああは言ったものの、実際竜也が彼女にしてやれることと言えば、一緒に職探しに奔走するくらいであっただろう。

「いやいや、助かったのは俺の方さ」

 ちょっと失礼するよといいながら、店主は簡易椅子に腰かけ、背中をとんとんと叩いて一息つく。

「実はな、こんな俺にも息子が一人いたんだ。当然、そいつにこの店を継いでもらうつもりだった。けどな、何を思ったか、そいつは俺の親父と同じ軍人を目指しちまいやがった。学なんてない馬鹿な奴だったから、少年兵からの駆けだしでな。……で、運悪く、テロの仕掛けた爆弾で死んじまったよ」

 竜也はその話を聞いて、なんと声を掛けていいか分からずにいた。そんな少年の表情に気づいたのか、店主は相も変わらず人の良い表情を浮かべる。

「なあ、兄ちゃん。あんたも軍の側の人間だろ?」

 ぎくりとする相手に、店主はからからと笑って見せた。そして別段咎める風もなく、淡々と若者に告げる。

「いいかい。この世には俺やさっきの姉ちゃんみたいな、戦争で苦い思いをした人間がたくさんいる。兄ちゃんは良いやつだ。だからそういった職業を目指す明確で高い目標ってのがあるんだろう。その歳で立派さ。――けどな、戦争ってのは苦しんだり悲しんだりする人間が必ず出てくるんだ。それはきっと、俺たちが敵だと思ってる奴らだって一緒さ。そのことを、心のどっかでいいから、必ず留めておいてくれないもんだろうか?」

 忠告というより、それは願いであったのかもしれない。竜也はその言葉に、ただ深く頷いて見せた。

 ふと、竜也は空を眺めた。晴れ晴れとした良い天気だ。と、そこではっと気がついた。

「親父さん、今何時かわかるか?」

 急に慌て出した若者に、店主は不思議そうな顔をしながらも、自身の腕時計を覗いた。

「ええと、ちょっと待ってくれ。今は……ああ、丁度十時になったところだな」

――しまった!

 竜也は挨拶もそこそこに、店を抜け出そうとする。

「ああ、兄ちゃん待ってくれ! せめて名前くらい教えてくれないか!」

 竜也は店主を振り返って答えた

「天野、天野竜也!」

「そうかい! ありがとう! またどこかで会おうアマノ……っ?」

 走っていく若者の後ろ姿を呆然と眺めながら、店主は溜息をついた。

「なるほど、そういうことか。どうやら俺のご高説は、兄ちゃんにとって余計なお世話だったかもしれないなあ……」

 そうして店主は彼の名をつぶやくようにくりかえした。今日の日差しのように、温かく真っ直ぐな若者のことを忘れまいと――。

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