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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
37/83

第五章「其々の朱夏」 (7)

 Ⅶ

「プール広っ!」

 そう叫んだのは学校指定の水着姿のヨハンであった。

 ダナンの父親に挨拶を終えた一同は、宿泊施設である高級ホテルへと移動した。もちろん、遊ぶ約束をしたラフィーカも一緒である。しかし、急に娘がいなくなってしまっては母親が心配するだろうと、そこはしっかりと兄としてダナンが、夫人に連絡はとってある。

 晴れてラフィーカは年上のお姉さんたちとホテルのプールで遊んでもらえる事になり、喜々としてビーチボールを持って走り回っていた。

「ラフィーカちゃんパスパス!」

 可愛らしいビキニ姿のロニンとシャイアンが手招きし、ラフィーカは二人に向かって思い切りボールを投げた。だが、まだ四歳児の彼女の腕力が大玉のスイカほどあるボールを、二人にしっかり投げることはできず、ころころと転がって行ってしまったそれは、竜也の足元へと到着した。

 竜也はおもむろにボールを拾い上げると、つぶらな瞳で見つめてくるラフィーカへと優しく手渡した。

「ありがとう、ええと……」

「竜也だ」

「えへへ、うん。ありがとう竜也お兄ちゃん」

 ラフィーカはにっこりと笑うと、小さな足でぺたぺたとロニン達の方へ走って行った。

――お兄ちゃん、か……。

 プールサイドの白いチェアに腰かけながら、真っ青な空を眺める。竜也はぼんやりと、幼き日の辰巳の顔を思い出していた。

 丁度彼らがラフィーカと同じ年の頃、夏と言えば海水浴に山に虫取り、それに祭りと、イベントが盛りだくさんであった。

 父に二人はそうやって日本の地で良く遊んでもらった。遊んでも遊びつくせなかった。そんな思い出がつまったあの土地のことは、竜也はわりに好きであった。だが、今となっては二人で顔を合わせることも出来ない。そのため、日本にはもはや近づけなくなってしまった。本当はこの時期、アリスの神社では盛大な祭りが執り行われている筈である。

 アルバートに引き取られてからというもの、そんなことは考えない事にしていたのにも関わらず、辰巳に会って言い別れになったあの日から、妙に昔の事を思い出してしまう。

 そして今、こうして仲の良いダナンの兄妹たちを見ていると、なおさらどうして自分たち兄弟はああもなってしまったのかと、つい感傷的になってしまう。

――辰巳(あいつ)は、今もああやって気を張っているんだろうか……。

 どうにも兄のあの科白は、本心だとは信じがたい。言えと言われて発しているような、自身を偽り演じているような、とにかく妙な感じがしてならなかった。

 そもそも、本当に顔も見たくないというのなら、なぜ一度アリスの提案を聞き入れ甘味処などに入ったのだろうか。初めから、あの墓地で追い出しにかかれば済む事ではなかったのか。冷静な今になってちらほらと矛盾のような兄の態度を思い出し、どうにも気になって仕方がない。もう一度話せるチャンスがあるのなら……そう考えたところで、竜也は頭を振った。

――どのみち、向こうがあのままじゃあな。

 この場に相応しくない溜息をついていると、視界が陰るのを感じて上を向く。そこには自分を不思議そうに見下ろしている、素肌にパーカーを羽織った親友の姿があった。

「竜ちゃんどうしたの? プールまだ入れそうにない?」

 フィッツは竜也の手足の凍傷が完治していないのではないかと思ったらしい。それに対して、手の平と足を見せながら、竜也は「大丈夫だ」と少し困ったような表情で笑って見せた。

 改めて辺りを見渡すと、学校の室内プール程の大きさ三つ分に、それぞれ水流が作られていたり、レーンがあったり、簡単なウォータースライダーまであるのだから恐れ入る。所々にあるライオンの装飾が施された水口に、油田王のこだわりが見て取れた。

「じゃあ、端から端まで競争する?」

 フィッツが腕を伸ばす準備体操をしながら、目を輝かせる。が、そこで何かに気がついたように出入り口の方を向くと、咄嗟に「あっ、やっぱり後で良いよ!」と言って、彼はパーカーを脱ぎ捨てプールへ飛び込んだ。

 残された竜也がきょとんとしながらも、フィッツのパーカーを拾い上げチェアの背もたれに掛けた時、誰かが近づいて来た。声のする方を向くと、そこには実に挑発的な黄色の水着姿のキュリアと、純白で、これまた面積の少ないビキニ姿のサンドラが立っていた。

 恥ずかしそうにパレオを巻こうとするサンドラに、キュリアが「それじゃあ意味ないじゃん!」と責め立てている。

 結局そのままパレオをキュリアに奪われ、半ば強引に竜也の目の前に突き出されたサンドラは、どうしていいか分からず顔を真っ赤にしていた。

「あ、えっと、その……ごきげんよう」

 どうにか絞り出したような挨拶をする彼女に、どう返したものかと少し悩むが、何も反応しないわけにもいかず「ああ、うん」と、これまたうだつの上がらない返答をする。

 ただでさえ白雪のように透き通った肌に、軽く食い込んだ腰の紐が悩ましい。丁度座っている姿勢の竜也から見上げると、二つの丸みが強調され、それはまるでつきたての餅のようで、一瞬旨そうだとか思ってしまったのは、心の中だけにとどめておく事にした。

 さすがに鈍感な竜也でも、ここまでされてしまっては少し圧倒されつつも、眼福させていただいた気分になるのだから、彼もやはり年頃の男子に違いなかった。

 しばらくお互いを無言で見つめ合っている二人に、キュリアは「ほらほら」とサンドラを急かすように肘で小突く。

「竜也様が、し、白い方が良いとおっしゃっていたので……」

 サンドラが口ごもりながら言うので、竜也はそこではっとした。あの時キュリアとの通話で聞かれた質問の意味がようやく理解出来たのだ。

――それならそうとはっきり言ってくれればいいのに。

 白い色が不服なわけではない。いや、寧ろ大いに結構なのだが、それにしてもこの色を竜也自身が水着としてチョイスしたとなると、絶対に茶々を入れにくる連中がいる。

 竜也は背後から何やら嫌な気配を感じ、後ろを振り返る。すると、予想通りこそこそとしながらもにやけてこちらの様子を窺っているアスカとヨハンがいた。

「おっと、お邪魔だったかな?」

「白リクエストするとか下心丸出しじゃねぇか。アスカ、あいつむっつりだぜ、むっつり!」

 そんな二人の野次馬に、キュリアはむっと腹を立てたかと思うと、何かをたくらんだようにずかずかと近づいて行った。

「お二人さん、ちょお~っとお姉さんと向こうで遊ぼうか?」

「えっ、いや、キュリア先輩?」

 二年の男子二人は、にこにこと作り笑顔の彼女に恐怖を覚えつつ、されるがままにウォータースライダーまで連行されていった。

 結果、竜也とサンドラが二人きりで取り残され、どうしたものかとよわってしまう。

「あの……少しお話でもしませんこと?」

 そう切り出したのはサンドラであった。

「泳ぎに行かなくて良いのか?」

「ええ、私実を言うと、そこまで泳ぎは得意ではありませんの」

 彼女は珍しく気を使う竜也に微笑むと「お隣良いかしら?」と尋ねる。当然断る理由もなかったので、着席を促した。

「なんだかキュリアさんが張り切ってしまって。お見苦しいものをお見せしてすみませんでしたわね」

 謙遜する彼女に、竜也は自然と周りの女子と隣のサンドラを見比べる。やはり、純白は彼女のためにある色に思われた。

「似合っているから問題ない」

 率直に意見する竜也に、サンドラはふいをつかれてまた頬を染めた。しばらく甘ったるいような妙な沈黙が流れる。

 この雰囲気に耐えきれそうにない竜也は、頭を掻きながら話題を模索する。気取った事など言えるはずもない彼は、無難にあの遭難事件の後どうだったかと質問した。

「ええ、傷もすっかり良くなりました。トゥオネラも今はリハビリ中ですわ。家に帰ったらお母様が酷く心配なさってて、しばらく家から出してもらえませんでしたのよ。大げさですわよね」

 彼女の場合、本来軍人などには似つかわしくない家柄なのだ。それもたった一人の愛娘ともなれば、当然と言えば当然であろう。竜也も、同じように家政婦のミモザに心配されたと話すと、サンドラは意外だったらしくくすくすと笑った。その花弁が開いたような表情に、思わず心を奪われそうになる。が、竜也は周りからおだてられ、すっかりその気にされてしまっているだけだと、気持ちの上ではかぶりを振った。

 サンドラは何かをはっとしたように思い出すと、急に下を向いてしまう。どうしたのかと問いかけると、彼女はばつが悪そうに言った。

「一応誤解のないように念を押しておきますが、ダナン様とのことは本当にもう何もないんですのよ? 私は……その……」

 竜也はなんだそんなことかと、あっけらかんとした表情で答えた。

「親父さんが勝手に進めていたんだろう? 貴翔先輩もそうだけど、金持ちって色々大変なんだな。俺らみたいな歳で結婚とか、考えたこともなかったな」

 その言葉に若干サンドラはなにやらやきもきしている様子であったが、竜也はそんな彼女の心情を慮ることもなく話を続けた。

「けど、ダナン先輩は良く出来た人だ。別にすぐに結論出さなくても、保留にしといたって損はしないと……」

 そこまで言いかけたところで、相手の表情が悲痛な面持ちになったので、ぎょっとして続きを言う事をためらった。

「え、あ、そんなに嫌なのか?」

 竜也としてはまったく悪気はなく、ただ単に二人は同じ三年生であるし、なおかつ生活水準も同じであろうから、結婚したところでさして問題はなさそうに思えたのだ。ただ、彼女は男嫌いであることと、父親の仕組んだ策略に乗る事はよしとしないだろう。ダナンの非の打ちどころのない人間性を主張しすぎて、基本的なその事を失念していた。さすがにデリケートな問題でもあることなので、自分の言いように責任を感じ、竜也は申し訳なさそうに頭を下げた。

「さすがに余計なお世話だったな。悪かった……」

 それに深々と溜息をついたサンドラは、苦笑いを浮かべながらも、宝石のように輝く瞳で竜也の目を捉えた。

「本当にデリカシーのない深慮の浅い方なのですから、困ってしまいますわ。でも、まあいいでしょう。許して差し上げます。ただし……」

 サンドラの手の平が顔に伸びて来たので、これは軽く張り手でもお見舞いされるかと身構えたが、それはそっと耳元に添えられただけであった。

「明日は罰として私のショッピングに付き合いなさい。いいですこと? これは命令ですわよ?」

 頬すれすれにあった唇が、三日月型になって離れていく。

――荷物持ち兼、ボディーガード的なことをすればいいのか?

 まあそれくらいならと、竜也は非常に軽い気持ちで「了解した」と受諾したのであった。


 その様子をプールの向こう岸でこっそりと見守っていたフィッツが、何やらほっとした様子だったので、隣に来たセシルがしゃがみ込み、どうしたのかと尋ねる。

「竜ちゃんの初恋もこれで一歩前進出来るかなと思ってさ」

「……そうでしょうか」

 思わぬセシルの一言に、フィッツは仰天する。

「え、え? なんで?」

「詳しくは良く分かりませんが、なんとなくお二人の気持はどこか違う方を向いているというか、纏っている感情の色が違うというか……」

 フィッツは思わず「あー……」と、妙に納得したような声を出す。

「ちなみに、試しにセシルにはあの二人はどういうふうに見えたりするの?」

 そう言ってフィッツが指をさしたのは、何やらまた押し問答をしている貴翔と丹花の二人であった。セシルはしばらく考えるような素振りを見せると、たった一言「平行線です」と答える。

「なんかわかんないけど、当を得ているような……」

「人の恋愛感情と言うものは情報をいくら仕入れても具体的には体感しないと分からない事だと言うのは判明しました。なので、僕の感じているものが的確なのかは自信ありませんが、貴翔先輩と丹花先輩が距離を保ちつつ隣り合って同じ方向に向かっている線に例えるならば、竜也さんとサンドラ先輩は交差して明後日の方角に向かっているような……。すみません、僕も言っててよく分からなくなってきました」

 恐らくセシルは縁談や婚約から派生した言葉を、休みに入ってから調べつくし、男女のそういった感情の研究にまで行きついたのであろう。勉強熱心なのはいい事だが、無垢な少年が要らぬ知識までつけてしまってはいないか、些かフィッツは焦りを覚える。

「ま、まああんまり難しく考えない方がいいよ。恋愛はタイミングとノリも大事だって、お父さんが言ってた気がするし!」

「学長がですか?」

 そう聞き返され、父は昔モテていただのと伝えた瞬間、そこから芋づる式にプレイボーイなどという言葉を検索されたのでは、彼の教育面で責任が取れない。フィッツは冷や汗をかきつつ、話題を修正する。

「と、とにかく、このまま竜ちゃんをデートさせるのには不安があるってことだよね。う~ん、どうしようかな……」

 しばらく真剣ぶって腕組みをしたフィッツの出した答えは、珍しく実に安直なものであった。

「よし、竜ちゃんが下手な事しないように後ろからこっそりついていっちゃおう!」

「フィッツさん、人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られて死んでしまうそうですよ?」

「うっ……」

 そんな言葉まで調べたのかと、もはやどこまで知ってしまったのかと不安にすらなる。

「だ、大丈夫だよ。要は邪魔しなければいいだけのことだし、ねっ?」

「そうなのでしょうか……?」

 眉を顰めるセシルをどうにか口説き落とし、共犯に持ち込む算段が付いた時、ウォータースライダーから絶叫が上がる。

「ビート板で立ちながら下りるとか無っ――ぎゃああああっ!」

 スタート台の上からキュリアに思い切り背中を押されたヨハンが、当然の如く足を滑らせコースから外れ、高い位置からプールへと落下していった。

 それをまるで小悪魔のようにきゃっきゃと笑いながらキュリアが眺めているので、その隙をついてアスカは逃走を図る。

「あっ! こら逃げんなっ!」

「いや、ホント、無理だからっ、ありえないからっ!」

 あまりの光景に周囲は唖然としてしまった。そこに一人の男が監視員よろしく、勢いよく笛を鳴らした。

「こらっ! そこの三人、正しい使い方をしないなら退場だぞっ!」

 ダナンのその言葉に、水面から真っ青な顔を出したヨハンが「キュリア先輩の暴挙であります会長!」と訴えるがそれはいともあっさり跳ね除けられ、連帯責任という結果にあいなった。

「た、助かった……」

 運よく事なきをえたアスカは、ほっと一息ついたが、その気が緩んだ瞬間をキュリアは見逃さなかった。

「そおれっ!」

「うっうわぁああっ!」

 背中を押されたアスカはビート板を尻に敷いたままコースを滑り下りていく。

「ヨハンっ、どいてどいてっ!」

「ちょっ、おまっ!」

 思い切りゴール口に立っていたヨハンの頭目掛けてアスカの足が直撃する。声にならない悲鳴を上げながら、ヨハンは再び水中へと沈んだ。

 ぽかんとするロニンとシャイアンに変わり、早々に機転を利かせていた丹花がラフィーカの目を覆いながら言う。

「いい? ああいう人たちの真似はしてはいけませんよ?」

 ラフィーカは首を傾げながらも、元気よく「は~い」と返事をした。その光景を目の当たりにして、ダナンは頭痛を覚える。

「あの方たちは今後プールには出入り禁止ですね」

 貴翔が冷静にそう言い放つので、ダナンは静かにそれに賛同するのだった。


「馬には蹴られませんでしたけど、アスカさんには蹴られましたね」

「ああ? なんの話だよセシル?」

 アスカの足が直撃した後頭部をさすりながら、ヨハンが眉間に皺を寄せる。フィッツは必死に笑いをこらえながらも「人の恋路を邪魔したからですよ」と教えてやった。

 シャワーを浴び、着替えの済んだ一同は夕食を共にするため、ホテルのラウンジに集合していた。

 どうにもすっかりヨハンのことが遊び相手として気に入ってしまったらしいキュリアは、自分より背の小さい彼の頭の上に顎を乗せながら、まるでぬいぐるみでも抱くようにがっしりと後ろからホールドする。

 それに対してヨハンは「ひっ」と短い悲鳴を上げるが、彼女はそんなことはどこ吹く風と言った様子である。

「んふふ、ご飯食べたらまた遊ぼうね。ヨハン」

 プールは出入り禁止になったが、とてもご機嫌な彼女にヨハンはげっそりとしながらすっかり観念していた。もはやされるがままである。

「よかったねぇ、ヨハン。モテ期到来じゃない?」

 アスカが程良い距離感を保ちながら言うと、ヨハンは「うれしかねぇよ……」と嘆いた。

 そんな中、ダナンがはっとしたように端末を見て困った顔をしていたので、竜也が尋ねると、申し訳なさそうに皆に内容を打ち明けた。

「すまない。兄が急に明日仕事が入ってしまったので、今から家族で食事を取りたいと言いだしたんだが……」

 竜也は本当に仲の良い家族に感心しながら、貴翔に目配せすると、彼も同じ気持ちらしく、頷いて見せた。

「行って差し上げなさい。滅多に家族全員揃えないのでしょう?」

 ロニンとシャイアンは少々残念そうな顔をしたが、まだ明日もあるのだしと丹花に言われ、皆の意見に賛同した。

「本当にすまない。食事はここから奥に行った部屋に用意させてある。何かあったら俺に連絡をくれ。ラフィーカ、皆にご挨拶を……」

「うん、お姉ちゃんたち遊んでくれてありがとう! みんなまたね!」

 ダナンはその足でラフィーカの手を引いて運転手に連絡を取ると、急いで駐車場へと向かって行った。


 食事どころはシャンデリアがさがり、絨毯の敷き詰められた広さの中に、少し大人なムードのある空間であった。ピアニストが落ち着く曲調を奏で、普段は富裕層の客人にしか向けない笑顔を、惜しみなく若い彼らに振りまいた。

 そんな主催者の居ない高級感あふれる夕食は何となく緊張してしまう。

 竜也はヨハンのように貧困した暮らしにも馴染みはなかったが、こういった贅を尽くした生活に慣れているわけでもなかった。もとより、このような雰囲気に慣れている人物は、おそらくこの中でもサンドラや貴翔だけであろう。食事の仕方一つをとっても、きっちりと上品にナイフやフォークを使う仕草が様になっている。対してヨハンはもはやそんなことは自分には鼻からできんと、とにかく旨い料理をたらふく食う事に専念していた。キュリアはその様子をまるで飼い猫でも見るような目で見守っていたが、竜也は流石にそこまで恥を捨ててがっつく気にもなれず、素直にウエイターに箸を要求した。この道具の使い方に関しては、恐らく彼の右に出る者はいないであろう。

 その光景を発信源に、しばらくそれぞれ家庭のテーブルマナーの話や文化の違いなどの話題を繰り広げていたが、ふとセシルが食事の手を止める。

「あれ? もうおなかいっぱい?」

 普段から食の細いセシルを心配し、フィッツが声をかけると彼は首を横に振った。

「いえ、少し疑問がありまして」

 男子たちは“出た“とばかりに身構えた。ヴァルキリーの宿舎で、彼の質問を回答するうちに妙な空気が流れたのを思い出したのだ。果たして今回はどんな唐突な疑問を投げかけられるのか、前回よりもどうやら知識に幅を得たであろう彼の言動にひやひやとする。

 女子はそんなことは知るはずもなく、可愛らしい少年の彼に優しい視線を向けた。

「結婚の平均年齢は現在男女共に二十四歳です。貴翔先輩の件といい、ダナン先輩の件といい、どうしてそこまで早めに約束する必要があるのでしょう? 本人たちも互いに了承したわけでもないのに……」

 随分と家庭問題に切り込んだ質問をする彼に、一同は思わず時間が止まったように一瞬固まってしまう。

 さすがにプライベート過ぎる話題なのではと、フィッツは慌てて今の質問の取り消しを行おうとしたが、その前に貴翔がわざとらしい咳払いをした。

「親とは勝手なもので、安心したいとか、出来れば自分が見込んだ人間と結ばれて欲しいとか、大体そんな都合ですよ」

 相変わらずつんとした態度で答える彼に、追加するように様にサンドラも口を開く。

「それに、家の場合は父の金儲け主義な性格ゆえですわね。本当に、勝手に話を裏で進められている子供の身にもなっていただきたいですわ」

 二人して大きく溜息をつくと、この中で唯一まともな交際相手のいるアスカがセシルに耳打ちする。

「たぶんなんだけど、こういった話は富裕層の人間特有だと思うんだ。皆が皆そういうわけじゃないと思うよ」

「それは理解しているつもりですが、親子という関係性に僕は興味がありまして……。子供の将来にまで干渉するというのはどういった心理状況で生まれるのかと」

 なんだかややこしい話になって来てしまった。セシルの口から発せられるものは、本当に素朴で基本的なことなのだが、あまりに当たり前に存在している概念なので、皆まともに答える事が出来ない。それはどうしてAはAであり、次にBが来なければいけないのか……と、質問されているのに等しかった。

「自分の保護下にある者は、いつまでもそういう立場であるっていうふうに勘違いするんだろうな。子供だって自由意思があるはずなのに、目上とか育てられたとかいうどうにもならない恩義がある以上、逆らいにくい。だからこそ、少し強硬な姿勢を親ってのは取ってしまいがちなんだろう」

 意外にもそうつぶやいたのは竜也であった。普段あまり小難しい事を言わない人物であるはずの彼に、皆が目を丸くするのを知ってか知らずか、本人は伯父に育てられた兄の事を考えていた。

――恩義か、兄貴は昔からそういう気持ちを最優先にしていたのかもしれない。俺も自分の気持ちよりもそっちを優先していたのなら、あいつと一緒にあの家にいて、伯父さんの保護下に置かれて支配されていたのかもな。だとすれば、俺たちは全然真っ向から違う人間なわけじゃない。寧ろ紙一重なんじゃないか?

 ようやく兄の立場を少し理解し始めた竜也は、一つの決断を下す。

――あいつが今どんな状況に立たされているのか、俺には知る必要がある。出来るかぎり情報を集めてみよう。

 あの頑なな兄と意思疎通をするにはそれしか手段がない。竜也は避けていたはずの天野家を、もう一度振り返って見直すことにしたのだ。

 そんなことを神妙な顔つきで考え込んでいると、セシルが何やら申し訳なさそうに顔を覗き込んで来た。

「あの、ごめんなさい。何だか悩ませてしまいましたか?」

「ん? ああ、いや、いいんだ。お陰で個人的な糸口が見つかりそうだからな」

 竜也がそう笑ってみせると、ヨハンが冗談めかしてからかう。

「普段何も考えてなさそうな奴がいきなり真面目なこと言いだすから、真夏の砂漠に雪でも降るかと思ったぜ」

「貴方よりは数倍竜也の方が物事を真剣に捉えていると思いますよ」

 貴翔の思わぬ贔屓目に、ヨハンは「そりゃないぜ、先輩」と嘆くと、皆に笑顔が戻る。食事の時間はその後滞りなく、和気あいあいとした中で過ぎて行った。


 その頃、ダナンも家族と共に実家で食事を取っていた。大きなテーブルを家族で円になる様に囲み、笑顔の絶えない食卓であった。

「ダナンさん、今日はラフィーカと遊んでくださってありがとうございます」

 十番目の夫人がにこやかにそう告げるので、ダナンも同じような表情で受け答えた。しかし、この一見温かな食卓には、一つだけ空席があった。それはかつて九番目の夫人の席だった。つまり、ダナンの実の母親である。

 彼の母は亡くなった……と、正確にはそう聞いているだけだ。というのも、ダナンは幼い頃に、夫人たちのとある噂を耳にした事がある。

『あの(ひと)子供を置いて逃げ出したらしいわ』

『酷い話よね。いったい何が気にくわなかったのかしら?』

 そのような会話を聞いてしまった彼は、とてもではないが母の死という事柄をそのまま鵜呑みにすることは出来なかった。

 当然、そのことを父に問い詰めた事がなかったわけではない。しかし、母と言う名を口にするだけで「お前の母は死んだのだ!」と怒鳴られてしまった。

 それからというもの、家庭内の平穏のため、結束力や連帯感を重んじるダナンは、結局その件については一切口を紡ぐことにしたのだ。

「ダナンよ」

 父が愛おしそうに息子の名を呼んだ。

「お前は優秀な子だ。兄たちに引けを取らない自慢の息子よ。“我々の尊き血筋”を継ぐのだから、これからも家族と共にあれ。いいか? お前が最も大事にしなくてはいけない者は、此処に居る者たちなのだ。それをけして忘れてはいかんぞ。良いな?」

 ダナンくらいの息子を持つ親にしては高齢な父は、たまにこうして気分が高揚すると説教をする。それは慣れ親しんだ光景であったので、ダナンは特に異論を唱えるでもなく、素直に頷いて見せた。

「うむうむ、お前は実に良く出来た子だ」

「まったく、父さんの口癖はいい加減耳にタコだよ。なあ、そうだろダナン?」

 ナジブが溜息交じりにそういうので、なんとも答え難く苦笑いだけを返す。

「お前はもっと親を大事にせんか! 仕事仕事でろくに家にも帰らん奴が。偉そうなことを抜かすな」

「はいはい、どうもすみませんでした」

 父の御冠を受けてしまった長兄は、ちろりと舌を出して見せると、それに合わせて皆くすくすと笑いだす。しかし、ダナンはこんな時にふと詮無い事を考えてしまう。

――自分は本当に此処にいていいのだろうか……。

 何とは言えないが、得体の知れない不安が脳裏によぎるのだ。この家族に馴染んでいない、何か一部が、自分の中に存在しているような、妙な心地になる。

「ダナンお兄ちゃん、今日は本当に楽しかったね!」

「ん? ああ、そうだな」

 末っ子の妹の素直な笑顔に、何となく虚しさを感じていた心に光明を見つけ出す。そうだ、彼女だけではない。自分も遊んで欲しかったのであろう、少し不機嫌そうな顔でラフィーカを見つめるムスタファも、自分にとって大事な弟で家族ではないか。大丈夫だ。何を不安に思う事があろうか。少なくても彼らは己を信じ心から慕ってくれている。心配に思う事はない。自身はこの家族にあって良い存在なのだ。

「お兄ちゃんも、お休み終わったら、また学校いっちゃうんだよね?」

 ラフィーカが急に寂しそうな顔をするので、ダナンがまた帰ってくると話すが、それでも彼女はいつの間にか掴んでいた兄の袖を離さなかった。

「兵隊さんになっちゃったら、もう遊べなくなっちゃうの?」

 確かに、卒後の任地先によっては殆ど一年の内に帰省することは不可能となる。それどころか、いきなり前線に送られ、二度と帰れぬ身となる事もあるだろう。ダナンが答えに考えあぐねていると、父は意外な事を口にした。

「ダナン。お前の士官になりたいという気持ちがもし少しでも揺らぐようなら、いつでも我が家に帰って来なさい。ここなら安全だし、何よりも温かい家族がいる。なに、お前は私の跡を継げば問題なかろう」

 父の優しい笑顔はしかし、ダナンの決意を変える事までは出来なかった。

「いいや父さん。俺は自分でやると言った事はやり遂げる」

「……ん、そうか。それがお前の生き方ならば、文句は言うまい」

 残念そうに眉尻を下げる父に、申し訳なくは思うが、彼の意志は固かった。

――すまない父さん。でも、俺には家族よりも大事なものがある。

 ダナンの心の内には、今後も共に戦って行くであろう、友たちの姿が映るのだった。

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