第五章「其々の朱夏」 (6)
※差別的な表現がありますが、あくまで作品中の表現ですので、他意はありません。
Ⅵ
イタリア半島南部。すっかり青く綺麗な海も、闇夜に溶け込み黒いビロードのように広がっていた。
酒場のネオンがちらつき、夜の街は店から漏れ出る楽しげな大人たちの声で、昼間とは違う賑やかさがあった。その中でも、ひっそりとした裏路地を入って行くと、落ち着いた雰囲気の店構えがある。レトロな黒看板に、白い文字でカフェ&バーと書かれている。外のメニュー表には『珍しいワインあります』と宣伝文句が書かれてあった。
木の扉を押し開くと、カランカランとベルの音がなる。店のマスターは入って来た馴染みの顔に、嬉しそうに視線を向けた。
「いらっしゃい、アルバートさん。どうも久しぶりだね。元気にしていたかい?」
いつもの白いマントの軍服姿ではなく、カジュアルなスーツの装いで、名前を呼ばれた彼は気さくに手を振って見せる。
「やあ、マスター。この通り手も足もしっかりついているさ。悪くなったのは視力くらいかな」
「はは、違いない。あの色男が老眼鏡とはねぇ、わしも年を取るわけだよ。しかし、懐かしいねぇ。今にも昔みたいに、龍一さんが隣に現れてくれそうだよ」
アルバートは思わず、よく親友と二人で杯を交わしたカウンター席を見つめた。彼は良く酒を飲む男だった。こりもせず、元来酒にめっぽう強いアルバートと競っては強い酒を煽り、結局いつも先にぐでんぐでんに酔っては、息子たちの自慢話をした。
やれ、竜也はよく走りまわって元気で良いだの、辰巳は大人しいが素直で可愛いだの、親馬鹿ですと言わんばかりの面をして、さも嬉しそうに語るのだ。
アルバートも店のマスターも、やれやれと思いつつも、そんな彼の様子を見ているのが微笑ましかった。なんとなしに、幸せを分けてもらえているような気がしたのだ。
「早いものだね。あれからもう十年はたってしまったのだからねぇ」
死んだ者をいくら嘆いたとて帰ってくるわけではないが、時の流れの残酷さを噛みしめずにはいられなかった。
マスターとの積もる話はたくさんあった。しかし、今日のアルバートの目的は雑談ではない。とある人物と、待ち合わせをしているのだ。
「ところでマスター、彼は来ているかい?」
「ああ、来ているよ。此処じゃなくって、奥の個室で待たせてくれと言っていたよ」
「そうか、ありがとう。ああ、酒と食べ物はマスターに任せるから、何か適当に運んで来てくれ」
「あいよ」
アルバートは店の奥にある三つの個室のうち、一番奥の部屋の仕切りを開けた。そこには、すでにジョッキ一杯分のビールを空けた、同じくスーツ姿のエルンストが待っていた。
「すみません、随分前に着いてしまっていたので、先にやっていました」
「いや、気にしないでくれ。ちょっと野暮用があって遅くなってしまった。それより……」
学長は普段けして学生たちに見せないような鋭い眼差しで、個室の壁を見渡す。
「大丈夫ですよ。調べ済みです」
そう言ってエルンストはにたりと笑って、盗聴防止用の探知機を、鞄からちらりと見せた。アルバートは部下の適切な判断力に、やはり今日相談する相手はこの人選で間違っていなかったと再確認した。
エルンストは実は戦場においても、彼の優秀な部下であった。
アルバートが士官学校を卒業し、すぐに配属になった宇宙軍の任地にて、彼はその時少尉、エルンストは少年兵からの叩き上げ軍曹であった。
エルンストにとって、エリートだろうと戦場においてひよっこの上官に遠慮はしなかった。ずけずけと現場の経験を頼りに進言する彼に、当時のアルバートは嫌な顔一つせず、よく話を聞いていた。
共に戦場を駆ける内に、彼らには信頼関係が芽生えていた。エルンストがユグドラシルの教官として召喚された後も、彼との交流は続けていた。それこそ、龍一と共に三人で、酒を飲み交わした事さえある。
「それで、話っていうのは?」
真剣な表情のエルンストを手で制し、マスターの運んで来た、ワインボトルとグラスにチーズ、それとビールジョッキにミックスナッツを受取る。
「お食事は?」
「とりあえず、今はいいよ。ありがとう」
マスターはにっこりとして立ち去った。それを見計らって、二人はお互いの手に酒を準備すると、一応の乾杯の動作をする。アルバートは一口ワインを飲み、そのグラスの中でたゆたう渋みの強い赤色を見つめながら口を開いた。
「少し、あの学園の実態に気がかりがあってね」
「学長もお気づきになっていましたか……」
エルンストも思い当たる節があるのか、思わず身を乗り出す。ならばと、アルバートは先にエルンストの考えを聞かせて欲しいと願い出た。
「自分は学長よりずっと長くあの学園都市に勤めている身、様々な噂は否応なく耳に届きます。そして、初めのうちはそんな馬鹿な話がと、気にも留めていなかったのですが……」
「メシア級アンジェクルス」
アルバートの静かにつぶやいたその単語に、エルンストは目を見開く。
「やはり貴方は聡い方だ。いや、学長閣下に向かって聡いはありませんでしたな。失礼」
「ふふ、いいよ。君の方が色々と先輩なのだし。私はただ無駄に勲章を頂いたばかりに、位だけが上がってしまったようなものだ」
「御謙遜を」
エルンストはやれやれと口の中にナッツを放り込み、ビールで流し込んだ。そして一息つくと、彼は自身の見解を話し出す。
「軍部の最高機密、なんて噂に一時期なった、あのメシア級の存在。つまり、すべてのアンジェクルスの大本になったという、言わば原型。それはかの英雄の鎧か、はたまた乗り物だったのか。とにかく、それが本当に現存している可能性がある。しかも、よりによってあの学園の地下に眠っているのではないか……学長も、そう思うのですね?」
アルバートはゆっくりと頷くと、皿からナッツを三つ取りだした。そしてそれをトライアングル状に机に置くと、一番大きな実を指差す。
「そもそも、学園都市型要塞になんの意味があると思う? 基本的に戦争は宇宙で行っているにも拘らず、地上に三つも配してどうする。そして、なぜそれらを浮上させておく必要がある? 答えは簡単だ。閉鎖された軍の管轄下に置いていたいから。そして、安全な場所であり、かつ中の物を隠したければ、その上に学園と言うカモフラージュを作ってしまえばいい。中でも一番怪しいのは、規模が一番大きく、創立も三校中一番古い我が校だ」
アルバートは三校中二校、つまり、出雲とヴァルキリーも無関係だとは言わない。やはり何か隠しておきたいものがあるのだと推測するが、まだそこまでは分かっていないので、今はまだ話せないと、机に置いた小さめのナッツ二つを口に入れた。そして、またワインに口を付けると、改まったように質問する。
「エルンスト、君は学園の噂を知っているかい?」
「もちろん、夜な夜な響いてくると言われる英雄様のお声でしょう? 結構なOBたちにも有名な話です。やはりその噂から、原型の真相を探ろうと思ったのでしょう?」
「いや、まあそれもあるのだけれども」
学長のはっきりしない言葉に、エルンストは眉をひそめる。
「ねえ、エルンスト。最近の学生たちが、それを噂しているところ、聞いた事あるかい?」
「え? ああ、そういえば、いつからかぱったりと……」
エルンストは唸りながら天井を仰ぎ、記憶をたどる。そして何かを思いついたのか、一つ手を打った。
「丁度貴方と龍一提督のお子さんが生まれた時期ですよ。それから耳にしなくなりました」
「そう、やはりね……」
アルバートは厳しい表情を作ると、一気に残りのワインを飲みほした。そして、自分で酒を注ごうとするので、エルンストがボトルを横取り、苦笑いしながら注いでやった。
「珍しく怖い顔していますね。何か思い当たる節があるのですか?」
「確証はまだ何も掴めていないよ。ただ……いや、まだはっきりしていない事を話すのは、私の美学に反する」
その言葉に、現役で戦場の指揮を執っていた頃のアルバートを、エルンストは思い出していた。
目の前の上官は、昔からこうして自分の頭の中の考えをすぐには表に出さない。ある程度まとまってからでしか答え合わせをしてくれないのだ。余計な事をいって部下を不安にしたくないという気持ちがあるのだろうが、色々と質問されるだけのこちら側としては、どうにも気になってしまうところである。だが、エルンストはそんなことはもう慣れっこであった。
彼は呆れたように溜息をつくと、アルバートの近くにあった皿からチーズを一つ貰う。
「エルンスト、私は十五年前と比べて老けただろうか?」
こうした急な話題の変更も良くあることである。エルンストは一瞬戸惑ったが、じっと学長の顔を見ると、にっと笑って見せた。
「そうですなあ、十五年前は、まだ老眼鏡も掛けていませんでしたし、気苦労が多いのか、白髪も増えたように思いますがね?」
「君は相変わらず遠慮がないな。まあ、だから聞いたのだけれどね」
アルバートはくすくすと笑って見せたが、その目は笑っていなかった。年をくった事を明言されたからではない。十五年と言う月日を思い返すような、そういった目つきであった。そうして押し黙ってしまった学長に、エルンストは敢えて口を開いた。
「話を戻すと、自分があの噂が本当じゃないかと思ったのには理由がちゃんとありましてね」
「ほう、なんだい?」
「聞いちゃったんですよ。英雄様のお声ってやつを……」
その言葉に、アルバートは驚愕し、どこでだと問い詰めた。
「アンジェクルスのドッグに繋がるエレベーターあるでしょう? あれに乗っている最中に、下の方から人の声とも何とも付かない音が聞こえたんです。確か、学生が大方寮に戻った後くらいの時間でした。もっとも、噂が聞かれなくなったのと同時に、自分にも聞こえなくなりましたがね」
「そう、そうだったのか」
アルバートは何か新しい事をひらめいたように言うと、またワインを飲みほした。
「下の、どのあたりか詳細までは分からないかい?」
エルンストはまたワインを注いでやりながら唸った。さすがに十五年前に聞いた音を詳細に思い出すには苦労する。
「真下ではなかったと思うんですがね。ただこう、ホールのように響く感じというか……。すみません、なんだか聞いたこともない音の種類だったもので」
――ホール……響く……か。
机の上に一つ残された実を摘み、ころころと指で転がす。するとその時、携帯端末がズボンのポケットで揺れ動く。それはメールの受信を伝えていた。
アルバートは内容を確認すると、深い溜息をついてがっくりと項垂れた。
「どうしました?」
「いや、こうなるだろうなとはある程度予測していた結果になってね。まったく、不器用な部下にも困ったものだ。相手がある程度悟ってくれればいいけれど……。まあ、これで当分身の回りには注意するだろうし、大丈夫だろう」
「何の事です?」
疑問符を浮かべる年上の部下に、アルバートは端末を操作して画面を見せてやった。
「君のクラスの誰かさんにそっくりでしょ?」
学長は困ったような顔をして笑って見せた。
その日は月が綺麗な晩であった。先輩と共に駐車場から見た月も、大きく盆のようで見事であったが、こうして縁側のタライに張った水で夕涼みをしながら、足元にゆらゆらと揺れる月をぼんやりと眺めるのも、また風流なものである。
辰巳は隣でうとうととしている風神の頭を撫でながら、庭の鯉に餌を撒いてやった。暗闇で魚の跳ねる音が返り、夏虫の声がどこからともなく聞こえてくる。
白い寝間着に、普段高く結っている髪を解いた姿は、まるで日本画に描かれた麗人のようでもあった。
辰巳は一度床に就いたものの、蒸し暑さに目が覚めてしまった。だが、それは、けして暑さだけのためではない。二日前のあの夜、先輩と繰り広げたカーチェイスの相手、その正体が気がかりでならないのだ。
手掛かりは宇宙軍のバッチを付けていた事くらいである。第一なぜ自分を連れて行こうとしたのか、そして連れて行かれたとしたら誰が待っていたのだろうか。
彼らは辰巳を保護すると言っていた。仮に彼らが本当の宇宙軍だとして、なぜ自分を保護しなくてはならないのか見当がつかない。
――あんな得体のしれない奴らに守ってもらわなくとも、自分の身くらい自分で守れる。
辰巳は苛立ったように帯から扇子を抜くと、さっと開いて袖口から風を送った。すると、それとほぼ同時に、風神が何かに気づいたようにぱっと立ちあがった。
「どうした?」
風神の向いている方向に耳を澄ますと、聞き覚えのあるエンジンの音がする。まさかと思いながらも、辰巳もいつでもその場を離れられるように身を構える。
だが、その音はすぐに鳴りやみ、辰巳は一先ずほっとした。だが、風神はなおも庭から外に繋がる裏口の扉を見つめている。そして、その扉は静かに開かれた。
「……誰だ?」
辰巳がそっと確認すると、目の前には月夜に照らされたプラチナブロンドの光が現れた。さらさらと流れるその前髪から覗く瞳は、あの葡萄酒の色であった。
「あ、アキラ先輩?」
「夜分遅くすまないな」
遊びに来たのだろうか。いや、まさかこんな時間にと、辰巳が訳も分からず目をしばたかせていると、アキラはいたずらっぽく笑って見せる。
「私は夜の方が活動しやすいのだ。どうだ、ちょっと付き合わないか?」
辰巳は何か言いかけて口を噤んだ。すると、なんとも悲しげな表情を浮かべて、視線を地面へと落とした。
「すみません、先輩。その、とても言いづらいのですが」
「伯父殿に、白子の不良となど遊ぶなと叱られたか?」
間髪入れずにそう言われてしまった辰巳は、驚愕のあまり目を見開いた。
「あの、どうして……?」
まさかそんなにはっきりと当てられるとは思ってもみなかった。自分とて伯父の言った酷い言葉をそのまま伝えるつもりはさらさらなかった。それを、当の本人が殆ど同等の科白を発したのだ。
辰巳のあまりに申し訳なさそうな、さらに打ちひしがれたような様子に、アキラは出来るだけ優しい声音で言った。
「貴様の伯父殿はなかなか古風で気難しい人らしいからな。大体そういった人間が言いそうな事は想像がつく。何、気にするな。こちらも言われ慣れている」
辰巳はその言葉にさらに驚く。伯父の外に、士官学校トップの先輩に、いったい何の恨みがあって誰がそんな事をいうのだろうか。持っていた扇子をぎゅっと握りしめ、どこにぶつけたらいいのか分からない憤りを感じた。
負の感情を全て身の内に抱え込んでしまったような後輩に、アキラはやれやれと肩をすくめて見せる。
「貴様がそんな顔をするな」
「しかし……」
苦しそうに下を向く辰巳の肩を、アキラは手の平で叩く。
「さ、行くか」
「え?」
先ほどから辰巳は驚いてばかりである。
「あの、でも」
「辰巳、貴様年齢は幾つだ?」
なんとも今更な事を聞くので、おずおずと十六だと答える。
「そうか、ならば十分自分が今何をしたいのか、悟れる年になっているわけだな?」
少し馬鹿にしたようなアキラの言葉に、辰巳ははっと顔を上げた。
「いいか、辰巳。貴様は伯父殿の飼い犬か? 違うだろう。自分の事は自分で考えられる、もう保護者など不要な身だ。現に貴様は夏休みに入る前、伯父殿のいない学生寮に居ただろう」
「先輩……」
アキラは自身を見上げる後輩の視線に頷いて見せる。
辰巳が伯父に逆らいたいと心から願ったのは、この時が初めてのことであった。視線を風神に向けると、彼はふいっと横をむいて、自分の小屋へもどってしまった。
「ほら見ろ。貴様の誓鈴も、ああして自分の考えを示しているではないか」
「風神……」
――行ってこいというのか?
風神とて、約束を破れば罰を受けるのは承知の上だ。それでもそのような態度を取るという事は、アキラの言葉に賛同したのだろう。
「あの、先輩」
「ん?」
「ちょっと、待っててください!」
辰巳は意を決したように自室へと戻ると、しばらくしてワイシャツに濃いグレーのズボン姿で縁側へ出てきた。こっそりと玄関にも行ったのだろう、片手には靴を持っていた。
「なんだ、わざわざ着替えて来たのか」
髪を結いあげながら、辰巳はぎょっとする。
「あ、あれは寝るときの格好でして、さすがにそのままは……」
「祭りのときに着ていたのとは違うのか?」
「違っ!」
思わず声を張りそうになった辰巳に、アキラはしっと唇の先に人差し指を立てる。
「伯父殿が起きたら面倒なのだろう?」
小さな声でそう言うと、アキラは嬉しそうに裏口へと手招いた。そして家から少し離れた雑木林の脇に置いてあったバイクの後ろに辰巳を乗せ、エンジンをスタートさせる。
ふと、腰にまわされた手の甲に、うっすらとだが、赤い蚯蚓腫れを発見する。カーチェイスの時は目にとまらなかった。思わずアキラは顔を顰める。
「辰巳、貴様はひょっとすると……」
はっとして、辰巳はそっぽを向いた。
「いいんです。自分は望んで此処に居るのですから」
アキラは溜息をつくと「貴様とは色々と腹を割って話す必要がありそうだ」と、一言つぶやき地面を蹴り上げた。




