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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
34/83

第五章「其々の朱夏」 (4)

 Ⅳ

 八月上旬、日本地区東方部。蝉しぐれと風鈴の音の調和が僅かな心の涼みを与える昼頃、熱を孕んだ湿気に鬱陶しげに男集は汗を拭う。

「皆さん、御苦労さま。こちらでも食べて、少し休憩なさってくださいね」

 自宅の縁側から顔を出したアリスが、黄色いワンピース姿で運んできたのは、青年団の人数分に切り分け、良く冷やした赤みのスイカであった。

 午後五時から開催する祭りの準備で、始まる前から力付きそうな若者たちは、彼女の笑顔で励まされる。

 丁度自身が火矢を打ちこむ薪を積み上げていた辰巳も、その声を聞いて一旦休憩を取ることにした。

「辰巳ちゃんもお疲れ様。はい、どうぞ」

 辰巳が礼を言ってスイカを受取ると、他の青年団から羨ましげな視線が降りかかる。

「アリスちゃん、塩もくれないかい?」

 早々と屋台の準備に取り掛かっていた町内会の老人もなぜかさも当たり前にスイカを受取っていたが、特に気にする事もなくアリスは卓上塩を手渡した。その老人は辰巳とアリスを幼い頃から知る人物でもあったからだ。

 均整のとれた二の腕を捲くった半袖から出し、すっかり逞しくなった様子の辰巳と、幼い頃と変わらない愛らしさを持ちながら、女性らしい体つきになって来たアリスを、老人はしげしげと見比べた。

「いやあ、こうして見ると、まさに美男美女だねえ」

「もうっ、勘平(かんぺい)お爺ちゃんはまたそうやってからかうんだから!」

 通称、近所の“勘平爺”は愉快そうにけたけたと笑う。その横で澄まし顔のまま、辰巳は興味なさげにスイカを一口かじった。長い髪が汗で頬に張り付く。鬱陶しげにそれを肩に掛けた祭りの手ぬぐいで拭っていると、勘平爺は懲りずに今度は辰巳に近づいて来た。

「辰巳や、余裕こいとるのは良いが、それもほどほどにして、早いところ手を打っといた方がいいぞい。トンビが横から掻っ攫っちまうかもしれんからなあ?」

 辰巳は溜息をついて仕方なく反応する。

「爺さん、相馬家は天野の分家だと何度言ったら……」

「たわけっ、遠い親戚に法律の壁なんぞないわいっ!」

 なかなか無茶な事をいう老人に、辰巳は呆れかえる。

「ちょ、ちょっとお爺ちゃん! 何言ってるのよ!」

 アリスは慌てて収集をはかろうとする。だが、勘平爺はおろか、周りの全員の肝が冷えるような態度で、辰巳は言い放った。

「興味ない」

 けして大きくはない声量であったが、その妙な迫力に、周りは黙ってしまった。辰巳はそれを特に気にする事もせず、お盆の上にスイカの皮を置くと、すぐにまた作業へと取り掛かった。

「よせよ爺さん。天野の坊ちゃんはそういった浮いた話は出来ねぇよ。性格があの通りお堅いからな」

 青年団の一人が片手を振りながら無駄だという表情を浮かべる。

「あれさえなきゃモテると思うんだけどなあ」

「馬鹿だなあ、それで丁度いいんだよ。あいつただでさえハイスペックなんだから、優しい口なんかがきけるようになったら、俺達立場ないだろうが」

「アリスちゃんはあいつの事なんて気にしちゃダメだぜ?」

 青年団の若者たちは、色々と勝手を言い合っていた。アリスはそれに苦笑で返しながら、孤立しがちな辰巳を見つめた。

「龍一くんがいた頃は、あんな子じゃなかったんだがねぇ」

 勘平爺と龍一の親交は深く、祭りの時は必ず挨拶に訪れていた。その時の辰巳は、竜也と仲良く父の手を繋ぎ、笑顔で明るく他人と接する事の出来る子であったのだ。

「アリスちゃん、相変わらず隆徳の奴は厳しく辰巳に当たってるのかい?」

 心配そうに老人は伯父と甥の関係を気に掛けた。幼馴染のアリスも、そこは気になってはいたのだが、なにしろ辰巳はすっかり家庭内の事は話さなくなってしまったので、まったく実情はわからないのだ。そのため、アリスは静かに「分かりません」と、首を横に振る事しか出来なかった。


 伯父の隆徳は龍一の教育方針とはまるで逆行していた。龍一が、子供たちに対して大らかに振舞うのに比べ、隆徳はとにかく厳しく、意見や反抗など決して許さないという態度で接する。

 辰巳がまだ幼いにも関わらず、養子に迎え入れてからはとにかく扱き抜いた。勉強は竹刀を背後で構え、間違える度にそれは辰巳の手を打ち据えた。稽古ごとも同じで、まだ幼い辰巳は時に声を上げて泣いた。しかしそれすらも許さぬと、また手に持っているもの、時には鉄定規などで叩き伏せるのだ。そのせいで、辰巳は泣き言など決して言わない男子に育ったが、昔のような笑い方は、いつのまにか出来なくなっていた。

 とにかく、伯父の言いつけ、ルールは絶対であった。立派な天野家を継ぐ長男として、朝は四時に起きライカンスロープの世話をし、足腰を鍛える目的のため廊下に雑巾がけをする。その後、刀の素振りをしながら軍事教本を暗記し、それが終わると伯父を起こしに行った。女中の作った朝飯を静まり返った空間で伯父と共に食し、学校へ出かける。少なくともつい最近士官学校へ入学するまではそのような生活が続いていたのだ。

 母のいない辰巳は時に女中を母のように慕うこともあった。しかし、それは甘えだとし、伯父は辰巳に優しくしてくれる女中は容赦なく解雇した。人に頼らず潔癖である事が、伯父にとって立派な人間像なのだ。

 辰巳はそれに出来るだけ答えようと努力した。ひたすら従順に、伯父に対して卑屈なほどに服従した。彼らの関係を例えるのならば、親子ではなく、まさしく軍隊の上官と部下であり、城主と家来であった。


 祭りの準備を終えた辰巳は一旦帰宅し、冷水で体を清め、女中の手伝いで武官束帯の衣装に着替え、伯父の部屋へ出かけの挨拶をしに障子越しに正座する。そっと両手で障子を開き、三つ指を突いて頭を下げた。これも、散々伯父自身に叩き込まれた座礼の作法である。

「伯父上、準備が整いましたゆえ、祭事に赴きます」

「うむ、恥をかくような事のないようにな」

 こちらの方は振り向かずに、ライカンスロープの個体健康状態の票を作成しながら言う伯父に、辰巳は丁寧に返答し、また音のしないように障子を閉めた。

 家の前には巫女の赤い袴を纏ったアリスが待っている。毎年この祭りを楽しみにしている彼女は笑顔で彼の祭りの正装を褒めた。

「うんうん、辰巳ちゃんカッコいいよ。似合ってる!」

「……行くぞ」

 辰巳はアリスの言葉を無視するように、神社へと歩を進める。鳥居をくぐり、神社の広場につくと、集まっていた皆が拍手で辰巳を迎える。

 神主であるアリスの父が、辰巳に弓を渡し、祝詞を唱え、矢の先端に火を灯す。

 辰巳はそれも受取ると、自身で組んだ木に向かって、弦を引く。

「祓い給え、清め給え、(かむ)ながら守り給い、(さきわ)え給え」

 言霊にのせ、矢を放つ。矢は見事命中し、無事木枠からは轟々とした真っ赤な炎が立ち昇った。周りからは歓声が上がり、厳粛なムードから、一気に賑やかな祭りの体へと変貌した。

 ふと、辰巳はある人物を目で探してみたが、それだけでは見当たらない。何か事情があって来られなかったのかと、少し残念に思う。

「辰巳ちゃん! 次はあっちで踊るんだから、準備、準備!」

 アリスは、辰巳の手を引いて設置された即席舞台の袖へと入る。

「一人で着替えられる? お父さん呼ぶ?」

「いや、大丈夫だ」

「そう、じゃあそこの着物に着替えて、終わったら教えてね」

 夕方とて真夏のクーラーもないところで着替えるのは億劫だったが、それでもかっちりとした武官束帯を脱げるのならばありがたい。幸い次の狐舞で使う衣装は軽装なのでほっとする。

 白い衣に赤い半纏を羽織り、簡易棚に置いてあった狐の面を手に取り、アリスに終わったと声を掛ける。

 アリスが出てくるように言うので、そのようにすると大麻を振って厄祓いされた。

「えへへ、本当はお父さんがやったほうがいいんだろうけど、一応ね」

 辰巳が反応に困っていると、太鼓の準備が整ったと舞台から声がかかる。

「あ、辰巳ちゃんお扇子持った?」

「ああ、ある」

 懐から赤い扇子を出してみせる。アリスは頷き「がんばってね。これが終わったら一緒に屋台まわろうね」と励ました。その後ろから、アリスは母に大声で手伝いに呼ばれ、走って行ってしまう。

――神主の娘も大変だな……。

 自分の事は棚に置いて、辰巳は何となしに溜息をついた。


 太鼓の音が鳴り響き、調子のいい笛の音も加わる。辰巳が扮する白狐が、舞台上をそれに合わせて舞跳ねた。扇子を翻しながら舞台を独特の足取りで歩く。

 日本舞踊で女形をもこなす辰巳にとって、この舞は朝飯前であった。

 彼は舞う事は嫌いではなかった。役になりきっている間は、何もかも忘れられる気がしたからだ。家の柵も蟠りも、すべて舞に乗せ、飛散してしまうような、そんな錯覚が起る。

 舞も終盤へ差し掛かった頃だった。近くでバイクの音が鳴り響く。まさかどこかの不良学生がたむろに来たのではなかろうかと、あまり耳にしないマフラーの排気音に周囲は少しざわつく。しかし、たった一台分しか聞き取れず、どこかに停止したようで、音はすぐに鳴りやんだ。周りはすぐに祭りの雰囲気に戻る。

 丁度舞も終わった時、そのバイクに乗っていたと思わしき全身黒尽くめの人物が、辰巳のいる舞台へと近づいて来た。それに対して狐面の下で不審顔をしていた辰巳に、フルフェイスを目の前で脱ぎ、妖艶な光を漂わせた瞳を向ける。その色はあの独特な葡萄酒色を湛えていた。

「あっ!」

 辰巳は思わず声を上げた。そして面を取りざま、舞台を飛び降り、その人物に近づいた。その様子は祭りのお囃子にはしゃぐ子狐のようである。

「アキラ先輩、来てくれたんですね!」

 妙に嬉しそうにする後輩に、薄手ではあるものの、夏でも長袖姿のアキラは苦笑して見せた。

「そのように喜んでくれるのなら、もう少し早く来ればよかったな。すまない」

 その返事に、辰巳は己の幼子のような態度に気づき、慌てて取り繕う。

「いえ、そんな。お忙しいのでしょうし、ご無理のない範囲で楽しんでいってもらえれば幸いです」

 思わず赤くなって下を向く辰巳に、アキラは物珍しそうに彼の格好を確認した。普段真一文に唇を結び、生真面目を絵に描いたような後輩が、今はまるで道化師のような体であるのも興味を引いたが、何よりも、このように生き生きとした姿を見るのは初めてである。年相応の青春を謳歌する少年に、辰巳の裏の性格を読みとれた気がした。

「丁度出し物の舞も終わったところですので、自分がご案内いたします。今すぐ着替えて参りますので、少々このあたりでお待ちいただいてもいいですか?」

「ご苦労なことだな。無論待たせてもらおう」

 狐舞の衣装とてけして涼しい代物ではない。その格好で面まで付け舞を嗜んでいた辰巳の前髪は汗でべったりと張り付いている。アキラはそれに対して労いの言葉かけを忘れなかった。

 辰巳は気恥ずかしそうに頷くと、舞台袖に常備してあるクーラーボックスのおしぼりで汗を拭い、藍染の浴衣に手早く着替えた。乱れた髪を結い直しながら、舞台の太鼓担当にしばらく出店を回ってくると説明する。

「お待たせいたしました。まずはどこに行きましょう? ご希望のところはありますか?」

 普段見慣れない格好にころころと変わる辰巳に、まるで和装のファッションショーのようだなと、内心で面白がりながら、アキラは「任せる」と言った。

 そもそもこのような催し物に顔を出すことは滅多にない彼にとって、どういう店があるのかも検討がつかないのである。

 辰巳は少し悩んだが、汗をかいた体は水分を欲していた。出来れば冷えた品物が好ましい。周りを見渡すと、丁度近くにラムネとかき氷の出店があった。そこを指差し、アキラを誘う。

 色とりどりのシロップが並び、味の想像がつかないアキラに変わり、辰巳がどれにするか悩む。個人的には宇治抹茶に小豆とバニラのトッピングが望ましかったが、食べるのは自分ではなく先輩である。果たして抹茶味が彼に受け入れられるかどうかが怪しい。安全圏と見込み、無難にイチゴのシロップを選び、ラムネと一緒に購入した。

 かき氷をアキラに渡すと、辰巳はラムネのビー玉を蓋で押して飲みだす。乾いた喉にほどよい甘みと、炭酸の刺激が心地良い。その様子を興味津々と見ている先輩に気づき、首を傾げて見せる。

「氷菓子は苦手でしたか?」

「いや、これも初めてなのだが、それはいったいなんだ? 中にボールが入っていて飲みづらくないか?」

 その反応に、辰巳は思わず笑ってしまいそうになる。

――アキラ先輩は本当にこういった文化に触れた事がないんだな……。

 辰巳は親切丁寧に、中身はいわゆる炭酸飲料であり、なぜかこの飲み物は昔からこのようにビー玉が蓋の変わりになっている仕様なのだと説明する。そうしながらも、改めて自身の文化の奇異さに気づく。この飲むまでの動作がなければ、ラムネらしくないというのは分かるのだが、敢えて最初からなぜスクリューキャップではなかったのだろうと、疑問にすら思った。

 辰巳は袖からハンカチを出すと、飲み口を拭いて半分のこったラムネを差し出した。

「味見してみますか?」

 アキラは一瞬訝しげな顔をしたが、かき氷と交換し、中のビー玉をしばしころころと転がし、中の様子を窺いながら、一口飲んでみる。すると、思いのほか好みの味だったようで、思わず「うまい」と一言洩らす。

「だが、やはり入口が塞がって飲みづらいな」

「ここの突起にビー玉を引っ掛けながら傾けるといいですよ」

「なるほど、こつがあるのだな」

 妙に真剣なアキラの様子に、辰巳はとうとう堪え切れずに笑った。遠慮がちに肩を震わせている後輩の様子に、また意外なものを見た目でアキラは苦笑する。

 その後、かき氷は頭が痛くなるのが苦手だったらしく、途中放棄したものを辰巳が引き継ぐ。そうしながらも、色々と出店を体験していった。

 中でもクレー射撃を得意とするアキラは、射的屋の商品を何でも好きなものを当てる事が出来た。照準の悪さと威力の無さに文句を言いながらも、辰巳が希望した物を取っているうちに、店から貰った袋の中身は駄菓子で埋め尽くされた。店の店主はあの勘平爺であったので「本職の兄ちゃんたちにやられたんじゃ商売あがったりだ。このあたりで勘弁してやってくれ」と、最終的にはお願いされてしまった。

「さて、大漁なのは結構だが、これをさすがに全部はいらないな……」

「でしたら、アリスに半分分けてきてもいいですか?」

「彼女も祭りに来ているのか? なら、私が割り込んだのは邪魔をしただろうか?」

 辰巳はそれに対して慌てて手を振った。

「いいえ、そう言った事ではありません。アリスはこの神社が実家でして、今日は巫女の奉仕務めで忙しそうなので、差し入れをと思ったまでです」

「なるほど、それでは是非そうしてやってくれ。私はこのあたりをうろついているとしよう」

「すみません、すぐ届けて来ますので」

 気にするなと言ってくれた先輩に軽く頭を下げると、辰巳は小走りにお守りなどの授与所を目指す。案の定、アリスはそこで母と一緒にせっせと訪れた参拝者に札などを手渡ししていた。

「辰巳ちゃん、ごめんね。今日人が多くてなかなか出れそうにないの」

「いや、実は今アキラ先輩が来てて、これ、射的の景品取れたから差し入れに」

「え! アキラ先輩が?」

 アリスは驚いて丸い目をぱちぱちとさせる。彼女もまた、生徒会の一員であったので、普段の先輩の寡黙さは承知していた。彼のイメージと祭りは、どうにも失礼ながら縁遠い気がしてならない。それでも、来てくれるのは願ってもない事であったので、アリスは嬉しそうに目を細め「楽しんでもらって行ってね」と、辰巳に念を押した。

 幼馴染に頷くと、袋から小分けにした駄菓子を渡す。その中には彼女が好きな味の飴玉も入っていたらしく、中身を覗いた彼女は心底嬉しそうに辰巳にお礼を述べた。

 まだ当分仕事が続きそうなアリスに労いの言葉かけをしながらも、辰巳はあまり先輩を待たすことも出来ないと、その場を後にした。

「辰巳くんなんだか今日は嬉しそうだったわね?」

 アリスの母親は、久しぶりに少年らしい表情を垣間見せた娘の幼馴染に安堵した表情を見せる。普段厳しい顔つきしかしなくなった近所の子供に、多少なりとも、同じ年の子をもつ母として、気にはなっていたのだ。アリスも同感したように頷く。

――先輩とは気が合うのかな。お友達になれてよかったね、辰巳ちゃん。

 同年代で同じ性別の友人が極端に少ない辰巳に、その後ろ姿を見送りながら、アリスは母と同じような表情を向けるのだった。


 辰巳は先ほどまで先輩がいると言っていた辺りを見渡してみたが、なかなか見当たらない。出店を順繰りにめぐっているうちに、違うところにいってしまったのだろうか。もう少し自力で探すか、携帯端末で連絡を取るかで迷っていると、突然後ろから肩を叩かれる。

 驚いて振り返ると、何やら辺りは夕闇に影って来たというのにサングラスを掛けている三人組の男たちがいた。明らかに怪しい風体に、警戒した顔つきを見せると、男たちの中で肩を叩いて来た中央の人物が恭しく頭を下げる。

「突然こんな場所で申し訳ありません。天野辰巳さまとお見受けしてお声を掛けさせていただきました」

「貴方達はいったい?」

「ここでは雑音が少々多いので、他のところでお話を聞いていただきたいのです。すぐに済みますので、どうぞお願いいたします」

 辰巳は困惑したが、よくよく見ると、彼らのスーツには宇宙軍所属であるピンバッチが付けられていた。通常日本地区や出雲士官学校の治安維持部隊は地球軍が担っている。だが、わざわざ自分のために宇宙軍が派遣されたとはどういうことなのだろうか。辰巳は怪訝な顔つきは変えずに、とにかく話だけは聞いてみようと、アキラには少し遅くなるとメールを送り、彼らの後について行くことを了承する。

 言われるままについて行くと、そこは神社をずっと下って行った所にある港であった。普段は地元の漁師が商いを行う市場も併設されているような中規模の漁港である。当然現時刻、市場はシャッターで締め切られ、妙な静けさが漂っていた。

「それで、話と言うのは?」

 睨みを利かせ、問い詰める辰巳に、再び男たちは頭を下げる。

「ここではその名を直接口に出すことは出来かねます。ただ、その方は貴方に直接話を聞いてもらいたいことがあり、これをお渡しになるよう、託っております」

 そう言うと、男は胸ポケットから電子文で書かれた紙きれをよこす。そこにはただ簡素に『貴方を宇宙軍の保護下に置きたい』という内容のものだった。

「何ですかこれは?」

 意味不明な事態に、思わず辰巳はどすの利いた低い声を発する。先ほどまで祭りの中にいた少年とは思えぬ態度に、男たちは顔を見合わせなにか相談事をしている風体であった。

「車をご用意させていただいております。ですので、何卒詳しくは、その方にあってから事情の説明をお受けください」

「そんなことをいきなり言われて信用できるとでも?」

 辰巳の警戒心はもはやじりじりと音を立て、完全にいつでも戦闘態勢をとれるような気迫が伝わってくる。

 彼の反応はもっともであり、男たちもある程度予測はついていたようだ。彼らはため息交じりに、辰巳に近寄る。

「これ以上私どもは貴方にお話がすることが出来ないのです。どうか分かってください。でなければ、こちらもそれなりの方法を取らねばならなくなります」

 その言葉にいよいよ辰巳は一歩足を引いた。それを見計らったように、黒塗りの軍用車両が、辰巳の退路を閉ざすように現れた。

「最初からこうするつもりだったわけだな?」

 実力行使しようとする相手に、辰巳は舌打ちする。

「信用していただけるのなら、このような方法はなるべくとりたくはないのです。どうかこちらの事情もお察しいただけるとありがたいのですが」

 勝手な事ばかりを並べたてる相手に、辰巳は目線だけで辺りを探る。たまたま港の縁に置き忘れになっていた、リールの壊れた釣り竿を見つけた。

「はいそうですかとは……っ」

 横っ跳びに素早く釣り竿を手に入れると、流れるような動きで男一人の足を竿で薙ぐように叩き伏せる。

「行かないなっ!」

 竿を構えると、残りの男たちは懐から出した銃口を構えた。辰巳は表情を崩さずに軍用車をどう避けてここから逃げ出すか思案する。

――流石に分が悪いか……。

 万事休すとはこのことかと辰巳は悟る。そもそも剣道より弓道を得意とする彼は、せめて自分も飛び道具を持っていれば、もう少し事態を打開しようがあったかもしれないと悔しく思った。だが、ここで諦めるのも癪だ。辰巳は構えた釣り竿を一か八かで振り上げんとした、その時であった。

 突如マフラーを吹かし、けたたましい音を立てながら、あろうことか軍用車両を踏み台に黒光りするバイクが現れた。軽々と辰巳を飛び越えてきたそれは、地面をタイヤで擦りながら半回転し、操縦者はどこに隠し持っていたのか、小型機関銃で敵の足元を威嚇射撃する。

「辰巳、乗れっ!」

 有無も言わせぬ口調で命令され、辰巳は彼の後部座席へと浴衣の裾を翻し飛び乗る。

「しっかり掴まっていろ」

 フルフェイスの下の顔は不敵な笑みを浮かべ、その葡萄酒色の瞳の色も相まって、思わずぞくりとしたものを感じる。

 辰巳が彼の腰を掴んだのとほぼ同時に、バイクは車両側とは逆の灯台側に走る。明らかにそちらは海である。男たちも慌てた様子でバイクのタイヤを狙い撃つが、突如Uターンしたバイクは、その男たち目掛けて突っ込むように戻ってくる。大型バイクに踏みつぶされてはただでは済まない。左右に散る得体のしれない連中を尻目に、辰巳を乗せたバイクは前輪を起こし、再び軍用車両を飛び越える。天井を思い切り踏まれた車両の運転手は、仲間を乗せると、すぐにバイクの後を追いかけた。

 はたして、海岸沿いの道路は完全に二者のカーチェイス場と化したのだ。

「アキラ先輩、どうしてここにっ?」

 窮地を救われた辰巳は、バイクの疾走音に負けじと声を張り上げる。

「貴様が奴らに連れて行かれるのをたまたま見掛けて、気になって来てみればあの様だ。とりあえず咄嗟に救い出したが、余計な世話だったか?」

 意地の悪い答えを返すアキラに、辰巳が「いいえ、ありがとうございました」と返事をした瞬間、すぐ後ろから拳銃で足元を狙う銃声が響く。

「礼は完全に振り切ってからにしてもらおうか」

 アキラはそう言うやいなや、目の前の大きなカーブを慣性ドリフトで白い煙を上げながら曲がる。バイクに乗った事のない辰巳は、思わず舌を噛みそうになりながら、相手の背中にどうにかしがみつく。

「なるべく曲がる方向に重心を置いてくれ。失敗するとガードレールの外に弾き出されるぞ」

 辰巳は言われた通り、アキラの傾く方と一緒に傾きながら、カーブを攻略していく。しかし、なおも食い下がる軍用車両に、アキラは鬱陶しげにフルフェイスを脱ぎ捨て後ろ手に放り投げる。それは相手のフロントガラスに大きなひび割れを入れ、多少怯んだ様子であった。

「辰巳、私の背中に銃がある。使っていいぞ」

 確かに、アキラのズボンには小型の護身用拳銃が挟まっていた。辰巳はそれを抜き出すと、慎重に体をひねって車両の前輪を狙い撃った。

 彼の照準は的確であった。軍用車両はコントロールを失い、路上で蛇行すると、壁に衝突し、動きを止める。

「さすがに良い腕をしている」

 なおもスピードを緩めることなく操縦するアキラは、後輩を素直に褒めてやった。それに対し「それほどでもありません」と自身を謙遜しつつも、一先ずほっと一息つく。だが、緊張して高鳴ったままの心臓がどうにもうるさい。それを感じ取ったのか、アキラは一つ提案をする。

「このまま近くの山にでも行くか」

「えっ?」

 意外過ぎる一言に、辰巳は目を白黒とさせたが、アキラは返事を待たずにとっとと峠への道を激走していく。

 辰巳を乗せたまま、バイクはあっという間に真夜中の闇に染まった展望台近くの駐車場へとついてしまった。

 アキラは爽快な表情でバイクから降りると髪を掻き上げる。

「なかなか面白かったな」

「御冗談を……先輩を危ない目に遭わせてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

「そうか? 私は楽しかったぞ?」

 今までの危険な駆け引きが嘘だったかのように、アキラは笑って見せる。それを見た辰巳は、彼の大物っぷりを拝見出来た気がした。

「まあ、あまり知らない奴にはついて行かない事だ」

 もっともな注意を受け、辰巳は深々と反省した。

「一体彼らはなんだったのでしょうか? 宇宙軍のバッチを付けていましたが……」

「さあな、まあそんなことはどうでもいいことだ。見ろ」

 アキラは遥か天空を指差した。その先を見つめると、眩いばかりに星々が瞬いていた。夜空に浮かぶベガとアルタイル、そしてデネブが、堂々とした夏の大三角形を描いている。

 そういえば、辰巳はよくこの山で天体観察を父に連れられて来た覚えがある。弟と順に肩車をしてもらい、星の名を教えてもらった。急にそのことを思い出すと、何やら胸から込み上げてくるものがある。

 思わずこんなことで感動を覚えている自分に気づき、ふとアキラの方を向く。彼はなおも星空を見つめていた。その瞳は、何かを真っ直ぐに捉え、大きな野望を秘めてさえしそうな輝きを帯びている。

「月もああはっきりとこちらを向いていると、やはり近いと感じるな」

 しみじみとそう呟いたアキラの言葉に、辰巳はその地球の衛星に移り住んで行った弟の事を思い出してしまう。

 あんなに近くに居るのに、今にも手が届きそうなのに、どうしてお互いの心はこうまで違ってしまうのだろう。

 自分が此処に残ったのは、そもそも伯父のことを気の毒に思ったからだ。仲はけして良くなかったもしれないが、自分の弟を亡くし、両親も妻すらもいない伯父に、自分一人くらい残ってやらねば、あまりにも物寂しいではないか。

 辰巳はそんな心情を誰にも話した事はなかったが、その同情の気持ちが、彼が地球に残った理由の実は大部分を占めていた。だからこそ、伯父に厳しく当たられても耐えられたし、それを当然と思い、自分に精一杯手厚く教育をほどこしてくれようとする伯父の愛情なのだと受取って来れた。だから、他に選択肢などなかったのだ。自分は今、ここに居るべくして居る、後悔などしていない。これでいい、良かったのだと、自身に言い聞かせた。

「なあ辰巳、人間はかくも小さき生き物だな」

 突然のアキラの声掛けにはっとする。

「その割に皆権力を欲し、それを自在に操る事ばかりを考える。そして周りに働かせて自分は楽をしようとする……」

 何かを語ろうとする先輩にしっかり視線を移すと、アキラの瞳は真剣そのものであった。

「私はこの世を正したい。堕落した人間はやがて怠惰の末滅びる。それを進行させる奴も、黙って見て見ぬふりをする奴も、私は度し難いと思う」

「それが、先輩の将来の目標ですか?」

 思わず訪ねた辰巳に、アキラはやっとこちらを向き直り、微笑んだ。

「そうだ。それも近いうちに、必ずな」

 その力強い言葉に辰巳は何か自分もそれに感化される音を聞く。

「自分も、それにお伴出来るでしょうか?」

「貴様が望むなら、私が先陣を切り、道を示してやろう。この世は腐った事が多すぎる。私が蹴散らし、お前が地をならせ。さすれば、人間はもう少しまともな生き物になれるはずだ」

 誰かが誰かを妬み、その者の足を躓かせる。父もきっと、そのような謀略に掛ったに違いない。父が戦死などありえないのだ。あれほど強かった男があっさりと敵の手に落ちるとは考えがたい。

 敵はパンデミックだけにあらず、内側の俗物はある意味さらなる脅威なのだ。腐った膿は、出し切らねば、その脅威が消えることはない。

「先輩、自分は仇を討ちたいのです。それは、先輩の言う世直しに役立ちますか?」

 アキラと辰巳、それぞれの闘志が瞳を通じる。そしてそれは、同じ熱を孕んでいた。

「もちろんだ辰巳。私と共に来るか?」

「――はいっ!」

 その返事に満足そうにアキラは頷いた。今ここに、二人の盟約が交わされたのだ。

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