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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
31/83

第五章「其々の朱夏」 (1)

 Ⅰ

 士官学校の宿舎にある彼の部屋は薄暗かった。一切外部からの射光を抑え、何者をも拒むようなその空間には、小型シアターデッキと、沈みの良い大きなグレーのビーズクッションがある。彼はそれに身を預け、仄かに青く光る疑似水槽横のスピーカーから流れてくる、落ち着きのあるクラシックを聴いていた。

 彼の隣には大きな白銀の狼犬、ライカンスロープが寄り添うように体を丸めていた。その眩いほどに透明感のある珍しい毛色にも見劣りがつかぬほど、それには稀な特徴があった。左は稜々と流れる川のように聡明な水色。右は霊妙たるスフェーン石の輝きを湛えている。

 アルビノ種の体毛にオッドアイの瞳、そのライカンスロープともなれば、もはやこれ以上無いほどの特異性であった。しかし、この手の種はもともと劣性であるとされるために、本来ならば軍用犬としての出荷は認容されない。現に、この個体は水色の瞳とは反対の、すなわち右の耳は殆ど機能していない。だが、その主である人物はこの白きライカンスロープを敢えて取り寄せ手元に置いた。何を隠そう彼もまた、その種の人間であったのだ。

 プラチナブロンドの髪を後ろ髪だけ肩甲骨あたりまで伸ばし、いきなり途切れた音楽に、ゆっくりと開いた鋭い瞳は、脈絡膜に少量のメラニンを持つ葡萄酒色である。彼は先天性白皮症であった。

 彼の名はアキラ・フォン・ベルクシュタイン。父はあの天野龍一が彗星のように英雄と祀り上げられる前は、軍最高峰の武人として名を知らしめたゴットフリート・フォン・ベルクシュタイン元帥、現地球軍総司令官である。つまり、アルバート・オブ・キャテリー・グローリアス宇宙軍総司令官とは対となる軍部の重鎮だ。ただし、ひょんなことから聖ユグドラシル男子士官学校学長の兼任となった柔軟なアルバートとは違い、ゴットフリートは生粋の軍人である。

 軍律こそが教育、軍人こそが最も誉れある職業とする人物で、息子にも当然とその道を強制した。だが、その息子は生まれながらにして陽光に弱いという体質を患っていた。そのため日系人の母は、室内で教育出来る音楽家の道を彼には歩んでもらいたいと考え、アキラは十五の歳までヴァイオリンを習っていた。しかし、彼はその歳で父に楽器を折られ、現在の国立出雲士官学校へと押し込まれたのだった。

 ここまでだと決して軍人には向かない人物に思えるところなのだが、アキラの才能は寧ろ、この士官学校で開花された。彼には知略と武力と言う名の才があったのだ。父はそれに大いに喜んだが、母は嘆き、家を去った。彼はそれをさして気にもせぬ様子で、着々と好成績を収め、その独特の美しさを醸し出す風貌と、自らの病に憶することのない堂々たる態度で、現在は三年主席、生徒会会長の地位についている。

 アキラの妖艶たる瞳が、スピーカーの電源を無遠慮に引き抜いた人物に向く。その人物の肩には真っ黒な鴉が乗っており、クアッと一声鳴いてみせる。

「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調……か。相変わらず古臭くて高尚な趣味だね。西暦にしのこよみ時代の曲じゃないか。僕ならば、暦がまつりごとになった現代の政暦せいれきに相応しい曲を聞きたいけどな」

「ピーター、私は貴様を呼んだ覚えはない」

 冷たく言い放たれた科白に物怖じしないどころか、彼より一つ下の二年生、ピーター・ラップビートはずけずけとアキラに近づく。彼もまた、生徒会の一員であった。

 生徒会長の顔を、血のように赤いルビーの片眼で、ねぶる様にピーターは見つめる。もう片方の目を隠している右だけ長い前髪が、ざらりとアキラの頬に触れた。

「僕と君は同じNSW社のモルモットじゃないか。そろそろ仲良くしてくれても良いんじゃないかな?」

「貴様と私は違う」

「そうかな? 君の意地それは僕に対する嫉妬だ」

 厭らしく笑いながら、ピーターは無遠慮にも、相手のシルクのような髪を摘む。

「僕は成功作。そして君は失敗作だ。辛うじて生き残った結果、君には才能と狙い通り、ナノマシンがメラニンの代役を果たし、姿は変わらずとも陽光へ対する耐性が備わった。けれど君はそのせいである意味さらに虚弱になってしまった。違うかい?」

 執拗な相手に、瞼を閉じ、視界を遮断する。それにも関わらず、ピーターは続ける。

「僕はそうじゃない。僕は今までにない力を手に入れた。なんの障害も残らずにね」

「貴様のそれは紛いものだ。命も、力も……器すらもな」

 アキラは瞳を閉じたまま相手を否定した。それに面白く無さそうにピーターは鼻息を漏らす。

「確かに僕は“一度死んだ”のかもしれない。けれど、寄せ集めた部位で僕は復活したんだ。ナノマシンを受け入れられる体となってね。そうして一つの個体となった僕は僕自身の何者でもない。こうして生きている。君が僕の事を紛いものなんて言うのは、力を妬んで僕の存在を否定したいからだ。そうだろう?」

 もっと素直になれとでも言うように、目を三日月型に細めて言うピーターに、アキラは羽虫を払うように手を振った。

「去れ。その方が貴様のためだ」

 アキラの誓鈴、白きライカンスロープは鼻づらに皺をよせ、今にも飛びかからん勢いで唸りだす。

「生憎このヤツフサは鴉が嫌いでな。肩ごと食われたくなければ退出することだ」

 ピーターは苦々しげに舌打ちすると「駄犬共が」と捨て科白を吐き捨て部屋を出て行った。

「気を使わせて悪かったな」

 ヤツフサの頭を撫でてやると、緊張がふっと体から抜け、アキラの方を向く。

「下種の戯言です。主は決して気に病むことのないよう……」

「貴様こそ気にすることはない。ああして傲慢に振舞っていなければ、自我を保てないのだ。あれはあれで、自分の存在意義を見出したいのだろう。哀れなものだ」

 その時廊下ではピーターが足早に自室に戻るところであった。丁度エレベーターの扉が開くと、目の前には彼がアキラの次点に嫌いな人物が中にいた。

「あ、ピーター先輩」

「ふんっ、辰巳か。どうせ会長に夏休み前のご挨拶だろ? あんまりベタベタしていると、へんな噂がたつぞ?」

「ご心配なく。自分は先輩ほどではありません」

 天野辰巳もまた、このピーター・ラップビートという何とも言い難い気色悪さを放つ先輩が苦手であった。

「ふんっ、どけ。犬屋敷!」

 ピーターは辰巳を押しのけエレベーターに乗ると、さっさと下の階に下りていく。辰巳は足元について来た雷神の弟犬である風神と顔を合わせ、きっとまたアキラ先輩と言い争ったのだろうと苦笑した。一年である辰巳がそう熟知するほど、生徒会の中であの二人の仲の悪さは有名であった。

 辰巳は生徒会の書記の任についていた。それは直々に生徒会入りした際に、アキラから回された職務であった。正直一年の身で生徒会の役職を貰うことは極めて珍しい。だが、それはアキラが辰巳に寄せる信頼と期待の証でもあった。

 本日、彼がアキラの居室を訪れたのは、ピーターの言うとおり長期の休みに入る前に、一言挨拶をというのもあったが、その前にアキラ自身が彼を呼び寄せていたのだ。そこでアキラは部屋の鍵を彼がいつ来ても良いように開放していたのだが、残念ながら嫌な先客が来てしまった形となっていた。

 そのせいで少々不機嫌になっていたが、アキラは辰巳の来る前にシアターの電源を入れる。

「失礼いたします。天野辰巳です」

 開けておくとは前もって言われていたが、それでも黙って先輩の部屋に上がり込むのは気が引けたので、辰巳は丁寧にノックし、学ランの襟を整える。

「ああ、待っていた。入れ」

「はっ」

 辰巳が入室すると、室内のミニシアターには、ユグドラシル対ヴァルキリー戦の模様が映し出されていた。

「これは……」

 辰巳は思わず眉根を寄せる。この映像自体は、全国放送された物の録画画像なのだが、そのテロップには対戦学生たちの名前が並んでいた。その中に自分と同じ苗字を持ち、血を分けながらにして、月へと出て行ってしまった弟の名が示されていた。

「天野竜也か。辰巳、確か貴様には双子の弟がいたな?」

 知っていながら敢えて微笑しながら問う相手に、少しからかわれているような気分になる。

「はい、自分もこの放送を見ていました。ですが、それがなんだというのですか? 奴とはもはや他人です。文化祭後の対戦は情けをかけてやるつもりなど毛頭ありません。つまり、何の支障もないのですから、それがどうというのですか?」

 少しむきになる辰巳に、アキラは鼻で笑う。

「ふっ、そういうところがまだまだ子供だな」

「なっ?」

「こちらがかまをかければすぐに掛る。第一、ユグドラシル戦より先にヴァルキリー戦が秋口にあるだろう。それを差し置いて後のことを述べるとは、結局は弟の事が気になっているのではないか?」

 アキラの物言いに、辰巳はむっとする。

「放っておいてください。これは家の問題であって……」

「辰巳」

 アキラはクッションから立ち上がると、羽織っている上着をひるがえしながら、相手のもとに近寄った。

「もう少し素直になれ。それとも私では信用できんか?」

「い、いえ、決してそういうわけではありませんが……」

「ふむ」

 しばらくアキラは腕を組み、何やら思案顔で辰巳を見つめる。どうにも彼の独特の色合いの瞳で真っ直ぐにこちらの目を捉えられると緊張してしまう。

 辰巳は怒らせてしまったかと内心冷や汗をかいていた。辰巳にとってアキラは尊敬に値する先輩である事には間違いないのだ。手を煩わせたり嫌われたりするのはなるだけ避けたいところである。

「まあ良い、貴様を呼んだ本題に入ろう」

 そういうとあっさりと映像を消し、部屋の明かりを灯した。

「他でもない。来週からは夏休みなわけだが、辰巳、貴様予定はあるか?」

「は?」

 思わぬ質問に辰巳はぽかんとしてしまう。

「忙しいか、そうではないかを聞いているのだが?」

「はい、あ、いいえ、ええと。一応夏祭りに行く予定があって、それ以外は伯父の手伝いです。あとはこれと言って取り立てるような事はないと思います」

 夏祭りは地元の青年団として、辰巳は毎年参加している。祭りの拠点は神社で、場所は幼馴染で親戚の、つまり相馬アリスの実家である。

 彼の今年の役割は、薪をくべたところに火矢を飛ばし着火する、祭りの始まりを彩らんとする重要なものだ。去年の春先、流鏑馬会で披露した腕が買われたのだという。

「祭りか……」

 アキラは興味を引かれた様子で呟く。

「貴様は祭りの間はずっと何がしかの役割があるのか?」

「はい、開催式の後には太鼓囃子があるので、その舞台で舞を少々」

 なるほどとアキラは頷く。さらに開催日時を聞き出すと、彼は何やら嬉しそうだ。

「いやな、実は今年、日本に居るかドイツに戻るかで迷っていたのだが、それは面白そうな事を聞き出せた。世の見聞のためにも見学に行っても良いものだろうか?」

 アキラの実家はヨーロッパ地方ドイツ地区の北部に存在していた。だが、彼には日本にも立派な別宅があり、学生最後の夏休みをどちらで過ごそうか迷っていたのだ。何か面白いイベントがあるのなら、そちらを是非味わっておきたいと考えた。

 辰巳はそれに対して拒否する気持ちは皆無であった。無論是非いらしてくださいと答え、相手が満足げな顔をする。

「自分は舞が終われば祭りの片づけまですることがありませんので、声をかけてくだされば出店などをご案内します」

 アキラはその申し出にさらに機嫌を良くしたようで「よろしく頼む」と少なめの表情筋で微笑んだ。

 その先輩の珍しい顔つきに意表を突かれながらも、辰巳は幼い日の祭りをどこかで思い出していた。

 あの頃はまだ父が生きていて、仕事が忙しいのにも関わらず祭りだと騒いで帰宅し、兄弟二人を神社まで手を繋いで連れて行ってくれた。

 アリスは小さい巫女姿で三人を出迎え、それがまたとても可愛らしかった。

 開催の火は轟々と燃え盛り、独特の神秘性を孕んで天に向かってうねり踊る。太鼓囃子に舞の鈴の音。父と回った屋台の数々。弟のはしゃいだ笑顔。

 辰巳はなぜだか胸が締め付けられる。あの頃に戻れたのなら、どんなに幸せであろうか。もはや幼き日は遠く、出て行った弟との溝は深い。自分たち兄弟を切り裂いたのは他でもない、あの父の親友を騙るアルバートという男であった。

 あの男に弟は騙され続け、とうとう思想が真っ向から食い違ってしまった。いつか必ず後悔する。その時に、果たして自分の前に手をついて詫びに来る日が来るであろうか。いや、きっとその望みは薄いだろう。辰巳にはもはや、弟の竜也と互いに手を取り合うことは、二度とないものなのだという諦めがあった。

 辰巳は伯父を信頼し尊敬しているが、竜也には元から伯父に対するそういう気持ちが無い事は明白であった。あんなに立派にライカンスロープを育成し、怪我をして退役後も、軍人としての威厳をもつ伯父のどこが気に入らないというのだろうか。たしかに多少なりとも父より厳しいところはある。戒律と独特の家訓を重んじ、自分もそれを散々叩き込まれた。辰巳はそれについて、天野家を背負って立つ長男として当然のことだと認識していたのだが、この間父の墓で再会した弟の様子を見る限り、彼はそれをマイナスイメージに捉えているらしかった。

 言うに事欠いて、偉大な伯父をクソ呼ばわりした事は大概に許せぬ言動である。自分たちの父親は家出した挙句、どこの女の産んだ子とも分からぬ我が子を一切説明もなしのまま、謝罪もなく父にとっては兄である伯父の実家に連れて帰って来たという。理由は自分一人では子供、しかも男子の双子など到底男手一人では面倒見切れぬという身勝手なもので、伯父の怒りの沸点はとうに超えていたが、それでも追い出さずに父子を家に置いてくれた。そんな伯父の実際の懐の広さが分からぬとは、到底弟の思想は理解に苦しむ。

 よりによってなぜあのアルバートの方を信頼するのだろうか。確かに、アルバートから発せられる雰囲気は父に似ている気がする。能天気で何を考えているのか分からず、ひたすら笑顔に絶えない胡散臭さは特に覚えがある。だが、あの男は父を背中から撃った可能性がまだ消えていない。世間的には人気であっても、その疑いは決して一部の人間にはまだ晴れていないのが事実なのだ。そんな男となぜ弟は一緒にいられるのか、不思議でならなかった。

 辰巳はアキラの部屋から自室に戻り、帰宅のための荷造りを始めながら、なにやら苛々とそんなことを考え始めてしまっていた。一先ず、一旦冷静になろうと息を思い切り吐き出すと、風神が自分をじっと見つめている事に気が付く。

「何か言いたげだな?」

「いいや、別に。ただ、嬉しそうな顔をしたり、怒ったような顔をしたり、今日は随分と忙しいのだなと思っただけだ」

 相棒の風神には、辰巳の心境の移り変わりが手に取る様に分かるらしく、そのようにからかわれてしまった。主をからかうとはどういう料簡かとも思うが、注意をするまでもないとも思い、敢えて無視をきめこんだ。

「兄上は元気にしているだろうか……」

 しかし、その一言に無視はできなかった。

「あいつは竜也の言いなりだ。もうお前のことなんかきっと覚えてはいないぞ?」

「そんなはずはない。主だって弟の事を気にかけている。きっと同じだ」

「別に俺は奴のことなんかどうとも思っちゃいないっ!」

 思わずかっとなる辰巳に、やれやれと風神は首を振る。

「昔はあんなに仲が良かったのに、どうしてそこまでになってしまったのか……。自分には皆目見当がつかないのだが。なあ、主よ?」

「知るか。全部アルバートのせいだ。あの男さえ介入してこなければ良かった。なぜ父が奴に向けての遺言書しかしたためなかったのか気がしれない!」

「つまり、主は竜也殿をアルバート殿から連れ戻したい。ということだろうか?」

 辰巳は今度こそ黙ってしまった。実際のところ、自分が本当はどうしたいのかがいまいち分からないのだ。確かに、アルバートほど怪しい人物はいない。その魔の手から弟を救いだし、洗脳をといてやれたらどんなに理想的だろうか。だが、きっとそんなことは出来はしない。ならば、もう弟を気にやんでいても仕方のない事だ。もう歩む道が違うのだから、他人として生きればいい。言葉ではそう割り切れているのに、気持ちの上ではそれが効かない。

 辰巳はふと、これが先輩の言っていた自分がまだ子供ということなのだなと、少し呆れた。

「……悪かったな」

「む?」

 突然の主の謝罪に、風神は首を傾げる。

「お前たち兄弟を引き裂いたのは他でもない、俺達だった」

 風神はそれに対して「気にするな」と告げた。

「元々我々ライカンスロープは一人の主に一頭だ。それがたまたま我ら兄弟は貴殿らに配当されただけで、引き裂かれたなどとは毛の先ほども思ってはいない。ただ、こうして懐かしく思ったり、相手はどうしているかと思いを馳せることに、なんの罪もなければ、気がかりも必要ではなかろう?」

 風神の言わんとしている事は何となく伝わるが、それを理解までは出来ない。

「お前たちはそれで良い。何の柵も蟠りもないのだから……」

 辰巳は悲しげに、自身の誓鈴に向かって笑って見せた。

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