第四章「聖ヴァルキリー女子士官学校」(10)
Ⅹ
遥か頭上から降り注いていた僅かな陽光も消え去り、代わりに轟々と風を切る音が鳴り響く。
竜也は悴む手をオイルと煤塗れにしながら、ブースターの修理を心見たが、やはり早々上手くはいかない。何度か電源を入れ、試しに吹かしてみるが、今一歩のところで不発に終わっていた。
――ヨハン先輩だったらこういうの得意なんだろうな……。
この場に居ない人物に期待しても栓無い事ではあったが、思わずそう考えてしまわずにはいられなかった。
竜也は仕方なく、一旦休憩を挟むことにした。もはや感覚が麻痺している手をズボンで拭い、あらかじめ腰に下げておいたアルミコップで綺麗な雪を掬いあげる。それをサンドラの待っているミカエルのコックピットへ持ち帰ると、暖房口付近にバランスを取って置いた。
「しばらくすれば水になるから飲め」
「私、雪なんて食べた事ありませんわ……」
緊急事態なのは分かってはいたが、落ちている物を口にした事のないサンドラは怪訝な顔つきをした。
「まあ、大丈夫だろ。この地球は英雄【メシア】様とやらが浄化してくれたらしいからな。雪だって毒じゃないはずだ」
普段あまり英雄信仰を信用していない竜也にしては珍しい物言いだったが、彼なりに彼女を安心させるための理屈であった。
それでもサンドラは雪溶け水としばらく睨めっこしているので、竜也が先にそれを少し飲んで見せる。
「うん、特に蛇口から出る水と変わらない。寧ろそれよりうまいかもな」
「本当ですの?」
「人間は水分を取らないと三日でダメになる。こんな時だ、目をつぶってでも飲んだ方が良い」
そこまで言われると飲まざるを得ない。サンドラは溜息をつくと、本当に目をつぶって飲んでみた。すると、びっくりしたように目を見開く。
「あら、本当ですわ。良いお水の味がします」
竜也には正直微妙な水の味の良し悪しなど分かりもしなかったが、どうやらしっかり水分補給出来る様子の相手を見て安心した。
「一〇分休憩したらまたトライしてみる。それでもダメなら……最終手段だな」
「最終手段?」
竜也は頷くと、携帯用通信機を見せる。
「こいつを持って俺が電波の届くところまで登る」
「なっ!」
あまりの無茶な作戦に、サンドラは驚きを通り越して呆れる。竜也はよりによって、この氷と雪で囲まれた極寒の絶壁を、素手で登り果せようというのだ。いくら体力のある健康な男子と言えど、極限状態の命綱もないロッククライミングなど冗談ではない。しかも、軽傷ながらも、今の彼には指の皮がない。そのような状態で、まともなクライミングなど出来るはずもなかった。
「馬鹿なことはおよしなさい! そんな事をしては死んでしまいますわ。大人しく助けを待ちましょう?」
サンドラの言うことはもっともだった。しかし、竜也が自力でも脱出を急ぐのには理由があった。
彼らのいるクレバスは、もちろん落ちた本人たちには見えていなかった。つまり、雪が蓋となって覆いかぶさっている今の状況では、肉眼で発見するのはさらに困難であろう。そして、いくらデコイの影響がなくなったとしても、この穴の中では通信は繋がり難い事に変わりはない。ならば、竜也が通信機を持って、なるだけ穴の縁に接近し、少しでも電波状況の良好化を図らねば、救出班はそのうち諦めて打ち切られることだろう。
「演習中に学生が行方不明になった場合捜索に当てられる日数は一週間前後だ。あまりのんびりしていると体力がなくなって、手段を取ることも出来なくなる。なら、元気なうちにやれるだけやってみるさ」
なおも心配するサンドラに、竜也は余裕の笑みを浮かべる。
「なに、自信はある。大丈夫だ」
励ましの意味合いよりも、寧ろ挑戦者の瞳で笑う彼は、この状況をあたかも楽しんでいる気すらする。サンドラは思わず彼を見つめた。ただの無鉄砲な愚者なのか、はたまた何者にも勝る真なる強者なのか、それを彼女は見極めたかった。そして、サンドラが心意の中で見た者は明確に後者であった。それはほんの一筋の希望でしかないのかもしれない。しかし、彼女は彼にすべてを委ね、賭けてみることにした。それが今できる最善の判断だと、なぜか彼女の中で決意することが出来たのだ。
「分かりました。貴方を信じますわ」
真剣な彼女の眼差しに、竜也はしっかりと頷いた。
一〇分の休憩後、竜也は再びブースターの修理に取り掛かる。限られた工具だけでろくな整備は出来ないが、ごまかしてなんとか少量のブーストをかけられることが判明する。しかし、ミカエルに戻ってその出力でクレバスの縁に届くか、サンドラと一緒に計算してみると、明らかに飛距離が足りなかった。途中で出力不足による落下が予測される。
竜也は頭を掻きながら、どうにか飛距離を伸ばせないかと、サンドラの考案を求める。
「あの故障で火を吹くようになっただけでも奇跡ですもの。ミカエルを踏み台にすれば、半分には到達出来るかも知れませんけど、縁まではとても……」
サンドラがすまなそうに長い睫毛を伏せる。竜也は落胆よりも、これを何か足がかりに出来ないものだろうかと思案する。
――あいつなら、フィッツならこの場合なんて言うだろう。
きっとかの親友ならば、何か突拍子もない妙案を提案してくれるだろう。しかし、残念ながら竜也はそういった頭脳は持ち合わせていない。彼なりの思考で、彼にしか出来ない行動力で、どうにかならないものかと考える。
そして、ついに彼が翌日出した提案は、サンドラをまたもや驚愕させるものだった。
「よし、こうなったら限界まで飛んで、そこから俺が壁に飛び移って登る。そっちの方がフルに登るより、途中ショートカット出来るから体力温存にもなるしな」
「そんな、上手く壁に掴まらないと、生身で落ちてしまいますわ!」
いつの間にか意識を取り戻していたトゥオネラもその通りだと首を振る。あまりに危険すぎる行為だ。
「雷神、お前は?」
そう主に問われた誓鈴は、とても冷静に答えて見せた。
「分かった。自分はミカエルを操作し、サンダルフォンの飛び出しに助力しよう」
さも当たり前にそう答える雷神に、サンドラとトゥオネラは信じられない物を見る目で固まる。
「先輩」
竜也に呼ばれ、はっとしたサンドラの手は、がっしりと力強い手で握られていた。
「俺を信じるって言ってくれたよな?」
「は、はい。でも……」
いざ生死の境目を選択する時に直面し、サンドラは戸惑った。そこに、雷神がフォローに入る。
「サンドラ殿。どうか主に任せてやってはくれないか。自分も主を支援し役立つために生まれてきたライカンスロープだ。みすみす主を失うような失態は犯さない」
どうやら竜也と雷神の心はすでに強く決まっているようであった。サンドラは諦めるように了承した。
そうと決まれば竜也の準備は早かった。指を保護するために包帯をきつく巻きつけ、通信機を腰に下げた。念のため、足場を作るのに役立つかもしれないと、拳銃とドライバーも装備した。サンドラは防寒用コートを渡そうとしたが、ロング丈のそれは、足に絡みついて逆に危険だと拒否する。
「良いか雷神、勝負は一瞬だ。俺がブーストを吹かせたら、その瞬間ミカエルの使える腕で放り投げろ」
「御意」
サンドラはトゥオネラを抱えながら、雷神とモニター越しに、剥きみのコックピットに座っている竜也を見守る。
――英雄様、どうか彼に力をお与えください。
彼女が祈りを捧げた時、竜也は僅かに陽光の透けている頭上を目指し、ブーストをかけた。
「行くぞっ、雷神!」
雷神の操作するミカエルは、合図とともに主を乗せた片翼のアンジェクルスを放り投げた。それに上乗せするように、竜也はブーストをフル出力にする。
ブーストは今にも壊れそうな悲鳴を上げ、そしてついには破損した。
――今だっ!
落下運動に入る寸でのところで、竜也は座席を蹴って外に飛び出す。雷神は降って戻って来たサンダルフォンを避け、サンドラと共に主の生存を確認した。
「ああっ!」
サンドラは思わず安堵と恐怖の入れ混じった声を上げる。竜也は辛うじて壁に片手と片足をかけ、ぶら下がっていた。
「ふう、ギリギリ届いたな」
竜也は安心しろと残りの手を軽く振って見せた。サンドラは一々彼の行動にひやひやとする。
「下は気にしないでくださいまし! とにかく手と足もとに気をつけて!」
サンドラはコックピットから顔を出して叫ぶ。
「了解した!」
返事をすると、竜也はするすると壁を登り始める。ショートカット出来たとはいえ、まだクレバスの半分である。竜也は念のため通信機の電波を確認するとまだ反応はなかった。
「上等だ。こうなったら登り切ってやる」
にやりと独り語ちて、彼は冷たい壁をよじ登る。容赦なく底の方から風は吹きつけ、彼を振り落とさんとしているかのようであった。
彼の思考は今、目の前の絶壁とまさしく戦っていた。勝負事になると燃え上がる竜也の性格上、気分は自然と高揚する。寒さなど、それを寧ろ冷却する役割であったかもしれない。しかし、登り始めて四○分ほど経過しただろうか。すでに体の末端は冷え切り、睫毛は凍り、すでに感覚も麻痺している。指から血も滲み、さすがに息も上がり始めた。
――まだ一時間も経ってないのに。ちょっとまずいかもしれないな……。
竜也はだんだん反り気味になってきた壁に凹凸を作るため、ドライバーを手に壁に打ち付ける。その時であった。
「うわっ!」
血で滑った手が壁から一瞬外れる。少しずり落ちたが、なんとかそこで止まることが出来た。心臓は高音を打ち、竜也の緊張が一気に跳ね上がる。慎重に息を整えると、竜也は差したドライバーのところまで登りなおす。
――あのさぁ、親父。
竜也はまるで天に祈る様に、亡き父に向かって話しかけた。
――俺、一応まだあんたのとこには行きたくないんだけどさ。最悪、俺は良いんだ。ただ、なんていうか、格好くらいはつけさせてくれよ。例えばさ……。
竜也は銃を取り出し、覆っている雪を弾が切れるまで何度も打ち抜いた。すると、ぽっかりと蓋が外れるように、地上に繋がる穴が口を開けた。
――女の子一人くらい、助けてやれる、とかさっ!
竜也は通信機を確認する。電波をあらわす数値は半分の量を示している。彼はその僅かな可能性に賭けた。
「こちらはユグドラシルの学生、天野竜也。現在クレバスに落下し遭難中。同じく、ヴァルキリーの学生サンドラ・ハカラも共に生存中。至急救出されたし。繰り返す。こちらは――」
穴から漏れる陽光は眩しく、一瞬竜也の目が眩む。
――届けっ、誰でもいい。俺の声を聞いてくれ!
そう心で叫んだ瞬間、竜也の足元は無情にも崩れ落ちる。竜也の視界が真っ白な雪の色に染まった。
「――竜ちゃんっ!」
竜也の開けた穴からずるりとアイボリーカラーの大きな腕が伸びる。その手は落下する直前の竜也を、見事受け止めた。
掬いあげられた竜也はしばらく目を細め、ぼんやりとした視界で目の前を確認する。
「あ……、フィ……ツ……?」
何とか立つことの出来た竜也を乗せた手の平は地上へと下ろされ、その腕の上を渡って、フィッツが走り寄ってくる。
「竜ちゃん!」
フィッツは思い切り助走をつけた状態で、竜也に向かって飛び込んできた。正直、疲れた体には酷な衝撃が走ったが、竜也は注意する気力もなく、そのまま膝が砕け、へたりと座り込む。
「竜ちゃん! 竜ちゃん、よかった。よかったよぉお~っ!」
抱きつかれ、ぐしゃぐしゃに号泣する顔を擦りつけられながら、竜也は半ばうんざりとした顔をしていたが、心配して探しに来てくれた挙句、危機一髪のところを救ってくれた親友を無下に払うこともできず、ただされるがままになっていた。
「すっごい心配したんだよ? ねぇ、聞いてるっ?」
喜んで泣いていたかと思えば、次は急に怒り出す。相変わらず表情筋の豊かな奴だとぼんやり思った。
「ああ、悪い。悪かったから。まだ下にサンドラ先輩たちがいるから、そっちも助けてやってくれ……」
「うん、うん、そうだね。分かった」
フィッツは袖で涙を拭きながら、応援を通信機で呼び寄せる。
――ん? あ、そうか、俺助かったのか。なんだ、無事だった。そうか、俺、生きてる……。
疲労が蓄積し、寒さに凍りかけていた頭が、ようやくまともに現状を受け入れ、竜也は安堵と共にどっとその場に倒れ込んだ。
「ちょっ、竜ちゃんっ? 竜ちゃんってば! しっかりしてよ!」
フィッツの声は聞こえるが、なんだかそれがどこか遠くに感じる。
――聞いてる、聞こえてるから。だからそんなにキーキー喚くな、俺は今、ものすごく眠いんだ。
竜也の意識はそこでぱったりと途絶えた。
結局、その後竜也が目を覚ましたのは、それから丸一日経過したヴァルキリーの医務室であった。室内では誓鈴も男子生徒会も一緒になって竜也のベッドを取り囲んでいた。
「もうっ! なんで大人しく待ってなかったの? 手こんなにしちゃって!」
「いってて! 痛いって! 触るな馬鹿っ!」
リクライニングベッドで半身を起している竜也に下された診断は、両手両足の凍傷、ならびに鼻と耳のしもやけ、全治一カ月。幸い重いものではなかったので、通常生活では触れるとびりびりと痛いという程度のものであったが、フィッツはこれ見よがしに軽く水疱になった部分をつんつんと突いてやった。
「そうは言っても、竜也は良くやってくれた。あの時通信で声が確認できたからこそ、大体の居場所がわかったのだからな」
ダナンがフォローを入れると、珍しく貴翔も竜也の行いを讃えた。
「銃で穴を作ってくれたのも分かりやすかったみたいですよ。そうでしょう? フィッツ」
竜也には良く状況が理解できないが、なぜか生徒会一同皆がフィッツを見て、やけににやついていた。
「と、とにかく! タイミング良く救助出来たから良かったんだよ? 危うく落っこちちゃうところだったんだからね!」
フィッツがむきになっていると、医務室の自動ドアが開き、女子の生徒会一同も皆揃って入室した。その中心には、腕に新しい包帯を巻いた、しっかりと両足で歩く元気な様子のサンドラがいた。それを見た竜也は、思わずほっとする。
「竜也様……」
だが、サンドラは今にも泣き出しそうな悲痛な顔で、深々と頭を下げた。
「この度は、本当にご迷惑おかけいたしました。あのような危険まで冒し、全身全霊を懸け、助けていただいた事、どのように感謝してもしきれませんわ。本当に私たちのくだらない意地の犯したこの失敗は、今後に生かし、深く反省して、後々まで……」
延々と続きそうな陳謝の言葉に、竜也は思わずそれを遮った。
「いや、別にそんな改まらなくて良い。俺も大口叩いたわりには大したこと出来なかったわけだし……」
「何をおっしゃいますの? そんなお怪我までなさって!」
サンドラはずっと堪えていた涙の堤防が決壊し、弱々しく泣き始めた。竜也は突然のことにどう対処して良いのか分からず、おどおどと周りの皆に助言をもとめる視線を送るが、あっさりと知らん顔される。むしろ、ヨハンやアスカにいたっては「女の子泣かした」と、冷やかされる始末である。
竜也は内心まったく意味が分からなかったが、とにかく泣かしたのはどうも自分らしいので、とにかく謝った方が良いだろうと判断した。
「えと、なんだ、その、怪我なんかして悪かった。だから頼む、泣くなっ」
いまいち的外れな回答に、周囲は男子だけではなく、女子や誓鈴たちまでもが、溜息混じりにぞろぞろと退出していく。その様子に竜也は唖然とし、この場には泣いているサンドラと二人きりにされてしまった。
――……は? いやいや、何なんだ一体? どうしたら正解なんだ! 出て行く前に誰か教えてくれてもいいじゃないかっ!
親友のフィッツや相棒の雷神にまで退席されてしまい、竜也は頭を抱えて悶絶したい気持ちに駆られたが、目の前でぽろぽろと涙をこぼすサンドラをそのままにしておくことも出来ず、とにかくこちらに来るようにと手招く。
サンドラはしおらしくベッドサイドの丸椅子に腰かけるが、なおもしくしくと泣いている。困り果てた竜也は、一つ軽く深呼吸をしてから、本人に問うた。
「なあ、どうしたら泣きやんでくれるんだ?」
明らかに弱り顔の竜也に、サンドラは小さく口を開く。
「……し、ぱ……ぃ」
「ん?」
「――っ、心配したんですのよ!」
一気に吐き出されるように言われた一言に、竜也はぱちぱちと目をしばたかせた。
「あのまま、お、落ちて、いたらと思うと……お、恐ろしく、て。わたっ、私のせいで、貴方が亡くなっ……うっ……」
竜也はそこまで聞いて、やっと自らが彼女に何を伝えなくてはいけないのかが、ようやく解釈出来た。
「ごめん、本当に無茶して悪かった」
「……」
「でも、こうして俺は生きてる。だからもう、大丈夫だ」
サンドラはこくりと小さく頷く。竜也はまだ痺れの残る手で、彼女の涙を拭おうとするが、そっと制止される。
「傷に響きますわ」
「構わない、これくらいさせてくれ」
彼の言葉に、サンドラはやっと心が落ち着いたのか、竜也の手の下で、柔らかく微笑んだ。
涙に濡れてもなお美しい彼女の顔に、竜也は初めて妙な感覚を覚えた。えも言えぬ、なにやらふわふわとして暖かいその感情に、戸惑いながらも心地よさを感じた。
「あ~、じれったい! 竜也くんのにぶちん!」
医務室から退出した後、食堂に集まった一同の中で、ロニンはぷうっと膨らませた頬で文句を垂れる。長机の中心には茶菓子が用意され、皆各々に飲み物が配られていた。軽い打ち上げ会のような状態である。
「まあまあ、あの二人はあれでいいんじゃないの?」
シャイアンがよしよしとあやすようにロニンの頭を撫でた。
「うむ、若いな」
ダナンがなんとも年寄り臭い事を言う横で、貴翔が呆れたように反論する。
「どうせ吊り橋効果というやつでしょう。無理してくっつけても長続きはしないと思いますがね」
「じゃあ、お前も試してみてはどうだ?」
「なっ?」
まさかのダナンの手の平返しに、貴翔は思わず丹花の方を向いてしまった。彼女はまんざらでもなさそうに、真っ赤になって下を向く。それに黙り込んでしまった貴翔を見て、アスカが口笛を吹いて茶化すと、ココットに今にも射殺されそうな視線を送られた。
「かぁあ~っ! もう何なんだよこのむず痒い空気! 反省会するんじゃなかったのかよ!」
ヨハンが苦々しげに叫ぶと、明らかな僻みだと、周囲の視線が刺さる。そんな中、キュリアが彼の首に腕をまわし、ジュースの入った紙コップを持ち上げる。
「まあまあ、皆無事だったし良かったじゃん! 私たちヴァルキリーチームはまた負け判定だったけどねぇ~。とりあえずお疲れ様! はいっ、かんぱ~い!」
「ぐえっ、先輩入ってる! 技決まっちゃってるからこれっ!」
ヨハンは必死にキュリアの腕をぺちぺちと叩くが、彼女はまったく気づきはしない。それを皮切りに、反省会ならぬ雑談会は賑やかに行われた。
「本当に、お二人が無事で良かったですね。フィッツさん」
セシルにそう言われ、フィッツはしみじみと安堵した様子で紙コップの縁をなぞりながら答える。
「うん、なんだか取り乱しちゃって、恥ずかしいところ見せちゃったね」
「いいえ、僕はなんだか安心しましたよ」
「え?」
「ちゃんと皆も、人の死は怖いと思うんだって、分かったから」
セシルは語った。自身は戦うために生まれたのに、竜也のように好戦的になれないことを悩んでいた。それは人の死がどんなに恐ろしく悲しいものか、知ってしまったからだ。
竜也にはそういった思いが分からないのだと思っていた。しかし、彼は身近な人を亡くしているにも関わらず、なお戦うスタンスを崩していなかった。それがセシルには不思議で仕方がなかったという。
「でも僕、少し見えちゃったんです。彼の心が」
生き延びたい。その強い欲求の中には、今隣にいる人を守りたいという信念が中枢にあった。そして、そのためになら自身の命をも賭けることを厭わない。生きるために立ち向かう。死なせたくないからこそ戦う。それが彼の強さであり原動力なのだと、セシルは感じ取ったのだ。
「人間は不思議な生き物ですね。考え方一つで強くもなれれば、弱くもなってしまう」
「セシル……」
人工物の少年は、今までの心のつかえが取れたのか、少し晴れやかな表情でフィッツに微笑んだ。
「僕は竜也さんのように強くはなれないかもしれません。けれど、フィッツさんのように優しい人でありたいと、今回の事で強く思ったんです」
純粋なその気持ちを真正面からぶつけられ、なんだかフィッツは照れ臭く思った。そんな気持ちを誤魔化すように、彼は「あっ」と声を上げ、セシルに提案する。
「そう言えば来週から夏休みだよ! セシルも皆とどこか遊びに行きたくない?」
「夏休みは遊ぶものなのですか?」
「だって勉強ばっかりじゃ疲れちゃうよ?」
その会話が偶然聞こえたダナンは、一つ手を打った。
「ならば皆、家に二日ほど泊まりに来るか?」
その一言に、皆の視線、特にヨハンの瞳がギラギラと輝いた。
ダナンの家と言えば、噂に名高い油田王の豪邸である。いくつもの別荘。当然どれもプールに広い庭付き。一流のシェフを抱え、高級ホテル並みの部屋の数々。そんな想像がいとも容易く脳内に構築される。まさに豪華絢爛なアラビアンナイトの世界である。
そんな夢のような空間を一目味わいたいと、人間誰しも一度は思うところではないだろうか。特に、ヨハンのようにその世界とはまったくもって縁遠い人間にとっては、なおのことである。
「予定いつ空いてるんすかっ? 俺いつでも空けときますっ!」
「がっつくんじゃありませんヨハン、はしたない。人さまのお宅ですよ?」
貴翔に注意されながらも、興奮さめやらないヨハンに、ダナンは特に嫌な顔一つせず答えた。
「よし、ならばスケジュールを後で皆の端末に一斉送信しよう。その日に来れそうな者は俺に連絡を返してくれ」
「女子も? 女子もいいの?」
「無論だ」
ダナンの返事にロニン、シャイアン、キュリアの三人は大喜びした。しかし、残りの三人はどうも都合があるようで、少し残念そうな顔をしている。
レニーは祖父と二人暮らしのため、長い休みくらい一緒に過ごしたいという思いがあり、ココットも家族と過ごしたいという同意見であったが、丹花だけはそういうわけではないらしく、大変無念そうな顔をしていた。
「どうしてダメなんですか?」
フィッツが聞くと、丹花は恥ずかしそうにもじもじとしながら答える。
「だって、皆さんお泊りするんですよね?」
「はい、二泊三日になるんじゃないでしょうか?」
「その……家は、嫁入り前にお泊まりに行っちゃいけないって、お母さんが……」
一同は総じて貴翔をじっと見つめた。
「ははは、未来の夫が一緒なら問題あるまい」
「なっ! ダナン、貴方先ほどからどうしてそういう事ばかり!」
妙にうけているダナンに怒鳴りながらも、貴翔は捨て猫のような目で訴えてくる丹花に、眉間に皺を寄せる。ぐっと何かを堪えるようにそっぽを向くと、諦めたようにつぶやいた。
「別に、来たいならそういうことにして、勝手に来ればいいじゃないですか……」
つっけんどんな物言いに、他の女子の軽蔑の眼差しを注がれたが、丹花だけは随分と嬉しそうである。その様子を見ていたルナと偃月は、据わった目つきで会話するのだった。
「なんだ、ただのツンデレじゃない」
「ええ、間違えなくツンデレよね」




