第一章「聖ユグドラシル男子士官学校」 (2)
Ⅱ
車内はひたすら沈黙していた。竜也は仏頂面で窓の外を眺め、貴翔は助手席で腕組みをしたまま目を瞑っている。両者とも頑なに口を開く様子はない。
最初にその沈黙に耐え切れなくなったのはフィッツだった。ダナンに後部座席からそろりと話しかけてみる。
「あ…あのぅ、この車って、私物なんですか?」
「いや、まさかここには持ってこれないからな」
ダナンが運転する車は士官学校の共用車で、免許を提示の上、申請書を書けば使えるものだという。明日の入学式で使う備品の調達に利用しており、その際に二人を発見し、車を止めたのだ。
「君たちが来たら是非会わせたい人がいてな。まぁ、後のお楽しみだ」
フィッツは何のことだか分からず首を傾げた。ダナンのいたずらっぽい笑顔がバックミラーに映る。
「さて、そろそろ着くぞ」
目の前に見えてきたのは一際目立つ白い壁の校舎。中央に存在する楕円筒の建物には、校章である金色の翼に十字の印が施されている。その左側には、在学士官候補生と教官をすべて収容できる講堂。右側には座学教室などが含まれる、シンプルなビル型の建物が配置されていた。その目の前にはもう一つの建築物、チャペルがある。薔薇窓のステンドグラスがあしらわれた小奇麗なそれは、この場所が英雄信仰のミッションスクールである象徴である。
副学長が共同訳政暦伝書の編集総取締役も勤める英雄伝承者であることが有名で、彼は基本このチャペルにいる。昼休みや放課後などに、士官候補生たちのカウンセリングなどを勤め、歴史学の授業も行うことがあり、なかなか忙しい人物であることがうかがい知れる。
そんな副学長、ユリウス・ドルニャークが、ダナンたちの乗った車を校門で出迎えた。
「クレールス・ユリウス、おはようございます」
「おはようございますダナン。発注品は無事受け取れましたか?」
大変丁寧にお辞儀した三十路半ばの男性は、クレールスの平服である白い裾長の詰襟を着込んでいる。 肩には赤いシルクに金の刺繍模様のついたストールを掛け、ゆるいウェーブのある髪が、その肩口にふわりとかかっていた。透き通った声と、柔和な笑顔で出迎える姿は、天界の使者さながらである。
貴翔は軽くユリウスに挨拶をしてから、車の荷台を開け、中に入っていたジュラルミンケースを二つ両手に提げて持ってきた。それにユリウスが首を傾げる。
「これで全部ですか?」
「いえ、あと三ケース残っています」
そのやり取りを見て、フィッツがひょっこりと窓枠から顔を出す。
「あの、それ何ですか? 良かったら僕手伝いましょうか?」
「いえ、結構です。これは明日の入学式でもっとも重要な物ですので」
ぴしゃりと貴翔に断られ、やり場のない気持ちになってしまう。竜也がその様子を見ていたのか、フィッツに「よせばいいのに」と目配せした。
「まぁまぁ、そういわずに。大事なお気持ちだけ受け取っておきましょう」
貴翔をそう宥めた後、ユリウスは彼からケースを受け取り、講堂に向かって歩いていった。貴翔はその後を付いていく形で、残りの三ケースを重ねて持っていく。
「ダナン、私はこのまま講堂の装飾の手伝いをしてきます」
「分かった。俺も後から手伝いにいく」
一瞬、貴翔は何か言いたげに竜也を見たが、くるりと向き直り、講堂へ早足に行ってしまった。
「まったく、相変わらず素直になれないやつだ……」
ダナンは独り言ちると、車を徐行発進させ、屋上駐車場に向かった。車を止めると、ダナンは後部座席の二人に向かってまたあのいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「さて、ちょっと二人には俺について来てもらおうか?」
きょとんとする二人を連れ出し、ダナンは中央棟屋上駐車場のエレベーターから、一階だけ降りると、両門開きになる木彫りの立派な扉の前へと導いた。そこでダナンは咳払いを一つすると、ドアを二回ノックし、腕を後ろ手にし、足を軽く開く。
「ダナン・アヴドゥル・カスィーム生徒会長であります。来客を案内してまいりました。学長、入室のご許可を」
良く張った声で堂々とそう告げると、天井からスピーカーを通して返事が返ってきた。
「……どうぞ」
「はっ」
一連の流れを見て二人は少なからず緊張した。そんな彼らに先輩らしく「大丈夫だから」と微笑みかける。ダナンが片方の扉を押し、先に入室すると、なにやら会話している様子だったが、すぐに出てきて二人を手招いた。
おずおずと入っていくと、前に立っていたフィッツが竜也よりも先に素っ頓狂な声をあげた。
「やあ、フィッツ、竜也。元気にしてたかい?」
部屋の奥の中央に、どっしりとしたデスクがあり、その向こうには二人が良く見知った笑顔が鎮座していた。
「お、お父さんっ!」
「アルバートさん、なんでここにっ?」
ほぼ同時に、二人で広い部屋に響き渡る驚きを示す科白を投げつける。その様子を見てダナンは大成功とばかりにくすくすと笑っていた。
「あはは、びっくりしたかい?」
「当たり前だよ!」
学長席で満足げに微笑む父親に向かって、フィッツが餅のように白い頬をぷっと膨らませてみせる。
「いやぁ、悪かったねぇ。実は前任者が急に病気で倒れてしまってね。急遽私が学長の任につくことになった。言っておこうとも思ったんだが、この方が面白いだろう?」
本当になんとも急な話で、フィッツは思わず唖然とした。
前任も元帥職で、確かもう一、二年で退役の予定だったはずだ。 父よりも老年であったから、確かにそういうことがあってもおかしくはないのだが、世の中そんなことがあるのだろうかと、ほんの少し立ちくらみにも似た感覚を覚えた。
「アルバートさんとグルだったんですか、ダナン先輩……」
じろりと竜也がダナンを睨むと、彼は悪びれる様子なく、相変わらず人の良い笑顔を浮かべている。整った男前な顔立ちが、今はなんだか無性に腹立たしい。
「それでは、自分はこれで失礼いたします」
ダナンが敬礼すると、アルバート学長は慌てて呼び止める。
「おや、もういってしまうのかい? 折角こんな役回りをしてくれたんだから、お茶でも飲んでゆっくりしていけばいいじゃないか」
「いえ、親子の団欒の間にいては聊か失礼ですので。それに、早く行かないと副会長殿に叱られてしまいます。それでは、どうぞ楽しいひと時を」
冗談めかしながら、ダナンは丁寧にお辞儀をして、律儀に扉を両手で閉めながら退出した。竜也はその様子を見て溜息をつく。
「あんな真面目そうな人に何させてるんですか……」
「うんうん、良い子だよねぇ彼。ささっ、座って座って」
うきうきとしながらアルバートは二人を応接用の長椅子に座らせ、ガラス張りのテーブルに準備していたケトルから、湯をティーポットに注ぎ始める。
「お父さん、こんなことしてて良いの?」「大丈夫、どうせ親子だってすぐばれちゃうんだし。入学式前に呼び出したからって問題ないさ」
「いや、問題あるだろ……」
「気にしない、気にしない」
二人のつっこみなど意に介さず。我が道を謳歌する父に、二人は頭を抱え沈黙した。
歌劇場を思い起こさせるような広々とした講堂内部には、背筋が自然と正されるような涼しい空気が漂っている。その舞台袖に、普段から背中に定規が入っているような男、副会長こと貴翔がダナンを向かい入れた。
「お帰りなさいダナン。新しい学長のご機嫌取りも大変ですね」
丁度新一年生歓迎の横断幕を、舞台頭上に飾り付けた後、マイクのテストに入るところだったらしい。中央教壇に置いてあるマイクのスイッチをわざわざONの状態で毒を吐く。
「俺にまで皮肉を言うとは、相当虫の居所が悪いようだが、どうしたら機嫌を直してくれるんだ?」
降参だと言わんばかりに、ダナンがわざとらしく肩をすくませて見せる。それに対して、相変わらず能面顔で相手は素っ気無く答えた。
「べつに、機嫌など悪くありませんよ」
「嘘だな。お前が無表情で人に悪態付くときは特にな」
無表情という単語に引っかかりを覚えたのか、貴翔はあからさまに眉間に皺を寄せてみせる。
「これで満足ですか?」
「なにがあったんだ? 話してみろ」
「……」
貴翔はしばらく黙り込んだ。すると徐に客席に向かい、うなだれる様に舞台の淵に座り込んだ。ダナンもそれに習って横に座る。
ダナンは常に学年のトップを走る主席であり、それを考慮せずとも、皆に頼りにされる真面目で優しい、非の打ち所のない優等生を絵に描いたような人物である。対して貴翔は彼の直ぐ後を追う次席であったが、性格は極めてとげとげしく、寮のルームメイトを何度も追い出した経験があるほどだ。その眼鏡の下の美貌と相まって、時より周囲から薔薇のようだと揶揄されていた。
しかし、この鋭く尖った性格は、何も彼が望んでそうなっているわけではないようで、貴翔はそのことについては多少なりとも負い目を感じていたのだ。
今でこそ三年生次席になり副会長という任が与えられ、特別に寮は一人部屋になったが、一、二年の頃は誰も彼と相部屋にはなりたがらず、結果唯一彼を相手に出来るダナンが常にルームメイトであった。それ故、こうして彼には敵うまいと、貴翔自ら折れることが常である。
「要するに、同族嫌悪ってやつです」
ぽつりと溜息混じりに貴翔が発した言葉は、普段よりも弱々しい。こうしてしおらしくしている分には、それでこそ百合のように可憐なのだが、それを知るのは恐らく隣にいる特別な優等生だけであろう。
「“家訓を重んじ例に従え”我が家では耳にタコが出来るほど言い聞かせられてきました。規則、礼儀、価値観。すべて雁字搦めで、それが嫌で兄に任せて全部放って家出した私と、彼があまりにも被ってしまって……。まるで自分を見せつけられているようでつい当り散らしてしまいました」
竜也たちには悪いことをしたと、再び溜息をつく貴翔の肩を、優しく二度叩くと、ダナンは客席の間をゆっくりと歩きながら首にかかっていたロザリオを握り、貴翔に振り向く。
「“我らが命は英雄王メシアと共にあらん”家柄など、戦場に出てしまえば無意味で価値などない。俺たち一人一人はただの兵力の一粒にしか過ぎないんだ。そんなものに拘り怯える俺に比べたら、お前たちの方がよっぽど立派で羨ましい」
演技ぶった後の言葉尻がなんとも自虐的であったが、そんなことは微塵も感じさせない朗々とした響きのある声で彼は言い切った。
そんな相手に、負の感情しか表していなかった面が、ふわりと花弁が開くように破顔した。
「本当に、アラブの王子様には敵いませんね」
「王族なんかじゃない。俺の家はただの油屋だ」
「知っています。冗談ですよ」
普段冗談など言わぬ相手に不意をつかれ、ダナンは吹き出し、腹を抱えて大笑いし始めた。それにつられて貴翔も口元を押さえてたまらず肩で笑う。
するとその時、遠くの方から他の学生たちの叫び声が、複数人分耳に飛び込んできた。
「なんでしょう?」
「行ってみよう」
二人が講堂の外に出ると、花壇で草むしりをしていたユリウス副学長が、慌てた様子で二人に駆け寄ってきた。
「学生寮の方からです!」
「分かりました。貴翔、行くぞ」
頷き合い、二人は全速力で現場に向かった。