第四章「聖ヴァルキリー女子士官学校」(3)
Ⅲ
入学式前日に立ち寄った時には、あんなにも美しい春の様相を見せていた日本も、梅雨という独特の気候のため、竜也が私服で空港に降り立った時には、すでに雨粒がしとしとと降り注いでいた。それは父の墓前につく頃には、すっかり大粒へと変わり、膝から下がぐっしょりと濡れ、ほぼ差している傘は意味を成さなかった。
「まったく、こんな日くらい晴れにしろよ」
折角来てやったのにと、天に居るはずの父に文句を垂れる。
「俺、テスト戦禮者になったんだ。生徒会役員で、しかも戦禮名はあんたと同じ。これでやっと同じ土俵に上がれたな。まあ、見ててくれよ」
――絶対こんなくだらない戦争なんて、俺が終わらせてやるから。
そう心に誓った時、後ろから誰かが近づいてくる気配を感じた。
「お前……、竜也か?」
酷く自分に似た声に振り向くと、そこにはやはり自分とほとんど同じ顔をした人物が立っていた。違う点を上げるとするのなら、私服ではなくきっちりと紺の学ランを身に纏い、長い黒髪を高く一本に結い上げていることくらいであろうか。
「辰巳、兄貴なのか?」
二人は確証を得られず、お互いの顔を見合わせ、立ち尽くした。無理もない、彼らは双子の兄弟でありながら、十年間一切顔を合わせてはいないのだ。突然の再開に、どう反応を返していいのか困り果てていると、辰巳の後ろからひょっこりと可愛らしい顔がこちらを覗き見た。
「え、辰巳ちゃん、竜也ちゃんがいるの?」
そのぱっちりとした瞳は青灰色で、髪も柔らかな亜麻色でありながら、主だった顔立ちは日系人の少女である。小柄な彼女は辰巳の背に隠れてしまっていたが、竜也を見るなり嬉しそうに駆けよって来た。
「わ、わっ! 本当に竜也ちゃんだ! 久しぶりだねぇ、私の事覚えてる?」
竜也が眉間に皺を寄せて考えてしまうと、少女は少し残念そうに苦笑した。
「覚えてなくても無理ないよ。私は相馬アリス。ほら、よく小さい頃、近所の神社で遊んだでしょ?」
竜也の中でおぼろげに記憶が甦る。
彼女は天野家とは分家に当たる相馬家の娘で、竜也たちとは同い年になる。彼女の家は代々神主を務めており、境内は子供たちの良い交流の場であった。そういえば、よく兄弟で彼女の家に遊びに行ったことがある。
アリスが純潔の日系でないのは、祖母の代が英人だったからだという話をいつだったか聞いたことがある。邦人と英人の良いとこどりをしたようなその容姿は、幼い頃から評判であった。かく言う竜也と辰巳も、将来どちらが彼女を嫁にもらうかで喧嘩したことがあった。もっとも、今となっては両者とも、そんなことがあっただろうかと首をひねってしまうくらいの些細なものである。
すっかり彼女の事を思い出した様子の竜也を見て、アリスは一つ提案をした。
「雨すごいし、ここで立ち話もなんでしょ? どこかお店に入ろう?」
父の墓前に献花し終えた辰巳は、いまいち気の進まない面持ちであったが、竜也は彼女の提案を飲むことにした。
墓地から出て、しばらく大通りを道なりに歩いて行くと小さな藍色の看板が立っていた。店の暖簾を潜ると「お勧めだから絶対食べて!」と、二人に前ふりをしてから、アリスが注文を入れる。
「おばさん。あんみつ三つとあったかいお茶ください」
「あら、アリスちゃん、雨の中大変だったでしょ?」
アリスとは顔馴染みの甘味処の店主が三人の顔を見比べるなり「まあ」と声を上げた。
「やだアリスちゃんったら、イケメン二人も連れてきちゃって。で、どっちが彼氏なの?」
「え、ち、違いますよ! ただの幼馴染です!」
「あら、そうなの?」
少しつまらなそうに女将は厨房に入って行った。
「ごめんね。おばさん恋愛相談大好きで……」
二人をテーブル席に先導しながら、アリスは顔をほんのり赤く染めた。
この木造で黒蜜の香りが染み込んだ雰囲気の良い店は、アリスが私立中学に通っていた際に、よく友達とお忍びで訪れた場所らしい。女将に一つ恋愛相談を持ちかけるにつき、あんみつに求肥を二つおまけしてくれたのだという。
竜也が正面の席に座り、アリスの話に相槌を打つ間も、辰巳は彼女の隣で黙りこくっていた。
「辰巳ちゃんね、竜也ちゃんが月に行っちゃってからも一生懸命日本舞踊と三味線練習して、八歳の時女形で舞台に立ったの。可愛かったんだよ~。後、弓道も上手で、去年のお祭りでは流鏑馬なんかもしちゃって……。あ、写真が家にあるから寄って行きなよ」
そこまで話し終えると、竜也が答える前に辰巳が机を苛立ちながら叩いた。突然のことに、アリスははっと口元を押さえて目を見開く。
「竜也、貴様今更どの面下げて戻ってきた?」
「ちょ、ちょっと辰巳ちゃん……」
制止しようと袖を掴んだアリスの手を払い除け、辰巳は鋭い眼光を竜也に浴びせた。そんな兄の態度に、竜也はやはりなという諦めに似た思いと、ほんのりと苦みを帯びた感情を抱く。
「安心しろよ。別に天野家の敷居を跨ぐ気はさらさらない。けど、あそこには一応親父が眠ってる事になっている以上、命日に息子が墓参りに行ったって問題はないだろう?」
「いいや、ダメだ。今後一切、来ないでもらおう」
間髪入れずに拒否され、竜也は思わず席を立ちあがった。
「どういう意味だ?」
二人の同じ鳶色の視線が交差する中、アリスは恐々と肩を竦める。
「そのままの意味だ。お前はもう天野家の人間ではない。俺や伯父上を裏切り、父の仇も忘れ、のうのうと月であの軽薄な男に洗脳教育されたお前に、もはや日本に踏むべき土地はない」
――裏切り? 洗脳? 何のことだ?
竜也は困惑しながらも、自分に非はないと信じ、兄に問う。
「軽薄な男って……まさかアルバートさんのことか?」
「それ以外に誰がいる。あいつが親友面をして、伯父上と父を引き裂き、仕舞いには戦場で友を裏切り、尚且つお前を拐した。そんな奴の肩を持つお前は天野家の面汚しだ。恥を知れ!」
あまりの妄言の連発に、竜也は怒る気にもなれず、こめかみを押さえながら席にもたれた。
「馬鹿馬鹿しい。いったいそんな情報誰に刷り込まれたんだ?」
大方父とアルバートのことを良く思っていなかった伯父が、都合良く養子に仕立てた辰巳にそれこそ洗脳教育せしめたのだろう。
当初、父が亡くなった時、伯父は兄弟二人とも養子に迎える算段であったが、いざ遺言書の蓋を開けてみると、まったく彼の意に沿わない文面が示されていた。
竜也は潜在的に、この伯父という人物が苦手であったため、遺言通りアルバートのもとに行くと言いきったが、辰巳は寧ろ父が健在の頃から伯父の言うことをよく聞く側であった。
そもそも、伯父に子供はいなかった。そこに丁度よく世継ぎとなる弟の子供らが転がり込んできた。当然、天野家の教育を受けさせ、脈々と続く仕来たりを組ませるつもりであった。しかし、彼にとって、それをいきなり弟の親友を名乗る男に掻っ攫われる形となったのだ。
伯父にとって、自分の思い通りにならない者はみな敵なのだ。それを思うと、竜也は情けなくなった。
「馬鹿はお前だ竜也。事の真実に霞をかけ、現実を見ようとしない愚か者だ。お前はあの男に騙されているんだぞ?」
それをさも当たり前のように言ってのける兄に嘔気すら覚える。
「これ以上あんたと話しても水掛け論だが、これだけは言っておく。かつて提督を断罪しようとした政治家がいたが、証拠不十分で国民から忌み嫌われた。なぜか分かるか? それだけアルバートって人が器の出来た人間だってことだ。少なくとも、伯父さんなんかよりはずっとな」
辰巳は青筋を立てながら息を吐く。
「……浅はかな。貴様は育ての親が仇であっていいというのか? 事もあろうに、色情をつんだ父を許し、招き入れてくれた伯父上の器が小さいというのか?」
竜也にはもはや我慢の限界であった。兄の言葉の選び方や物言いの一つ一つが気に入らない。竜也は侮蔑をこめて鼻で笑った。
「ああ、あんたをそんなふうに育てちまったクソジジイって言った方が分かりやすかったか?」
辰巳は急に立ち上がったかと思うと、素早く平手打ちを放つが、竜也の腕によって、それは彼の頬を捉えることはなかった。
「……出ていけ。顔も見たくない!」
「はっ、言われなくてもそうするさ」
竜也は震えるアリスの頭を優しく撫でると、お代を両手に握らせてやった。
「騒がせて悪かったな」
店を出て行こうとする竜也に、女将は慌てて小さな袋に入った金平糖を、こっそりと手渡した。
「何があったか知らないけど、喧嘩しちゃったんだね。大丈夫、いつか時が全部流してくれるよ。これでも食べて元気お出し」
竜也はその言葉に苦笑しつつ、お礼を言って受取った。外に出ると雨はまだ勢いを弱めてはいなかった。空港に歩を進めながら、竜也は前髪を濡らして空を見上げた。
「時が奪ったものは、時が返してくれるのかな? なあ……、父さん」
少し疲れた面持ちで、竜也がユグドラシルの空港から、噴水のある広場まで歩いてくると、いきなり夜空に打ち上げ花火が大輪を咲かせた。
「……は?」
呆気にとられた竜也の目の前で、花火はなおも踊り続ける。よくよく見ると、一つ一つ中に文字が読み取れる。
「り ゆ ち ん?」
横並びになった字を読んでみる。
「た ん じ……び お で み と……?」
何のことかさっぱり分からず、竜也がぽかんとしていると、植木の影からこそこそと話し声が聞こえてくる。
「ちょっ、先輩日本語間違ってるし! “め”が“み”になってるし!」
「What?!」
「お二人とも、僕たちもうばれてます。出て行ってた方がいいんじゃ……」
「わ~ん! もうぐだぐだだよぉ~!」
そう言いながら、フィッツ、アスカ、セシルが一斉に出てきて竜也にクラッカーを鳴らした。
「た、誕生日おめでとう! 竜ちゃん!」
「ハッピーバースデー竜也くん!」
「お、おめでとうございます竜也さん……」
一瞬凍りついたような間に、三人は「これはひょっとしてやらかしちゃったか?」と、一気に背筋に冷たい汗をかいたが、竜也はこみ上げてくるものを耐えられなかった。
「…………ぷっ!」
吹き出したのを皮切りに、竜也は「なにやってんだよ」と大笑いし出した。三人は心底ほっとして、竜也の両手を引っ張り公園の奥まで導いた。
「よう! 主役、待ってたぜ!」
言いながらヨハンが手に持っているライターをぶんぶん振るので、隣にいた貴翔が頭をはたいて「危ないでしょう!」と注意した。彼らの足もとには家庭用打ち上げ花火の筒が、文字数分転がっていた。
「ヨハン! 君スペルミスだよ!」
「ああ? お前がこれで大丈夫、つったじゃねぇか!」
どうやら文字選びはアスカ、花火の改造はヨハンが担当したらしい。
「まあまあ、いいじゃないか。さ、竜也。十六本分、しっかりロウソクを吹き消してくれ」
そう言ってダナンが折りたたみ式の土台に置いたケーキを指し示す。そこには手作り感たっぷりの歪さが、堂々と存在感を醸し出していた。傾いたスポンジ部分に、無理やり塗ったくったクリームが、まるで雪崩のように決壊し、溶けたロウソクが直接その上を滑って行く。
「……これ、誰が作ったとか聞いちゃだめっすか?」
「ああ、それはな……っ」
ダナンの口を咄嗟に塞いだのはアスカだった。
「いや、ほら、なんていうか、一見女子力的な物が高そうな人選にしたんだけど、どうもジャンル違いだったっていうか……ね?」
アスカの視線は泳ぎながらも、眼鏡の下の琥珀色の瞳とばっちり目線が合ってしまった。それに竦み上がるアスカを余所に、貴翔はつかつかと竜也に歩み寄り、にっこりとほほ笑んだ。
「御安心なさい。市販の物で作りましたので、ちゃんと食べられます」
妙な威圧感に押されながら、竜也は一息でロウソクの火を吹き消した。
改めて皆から祝福の言葉を贈られ、気恥ずかしさに油断していると、いきなり後ろから全力で振った炭酸飲料をぶち撒かれる。
「ぬあっ!」
「や~い! ペイント弾のお返しだバ~カ!」
ヨハンの実に子供じみた復讐に、竜也も野球部で鍛えた腕をふるい、剛速球のケーキ投げで応酬した。
「へぶっ!」
「……あ」
争いが過熱したヨハンと竜也以外の一、二年生の面々は、戦々恐々としてその場から距離をとる。
「貴翔、今日は無礼講なのだから、あまり目くじら立てずに……」
「貴方達っ! そこに正座なさいっ!」
ダナンの説得も虚しく、その後滾々と二名は副会長から説教を受ける羽目となった。
「ねぇ、生徒会ってバカの集まりなの?」
すっかり予定が狂い、蚊帳の外になってしまった本日のマスコットキャラクターたちのうち一匹である、可愛いフェアリーのコスチュームを身に纏ったルナが、さめざめと耳をもたげる。
「あんた案外真面目ちゃんなのね。そんなだと疲れちゃうわよ?」
リリスが魔女のとんがり帽子を傾けながら鼻で笑った。
「あはは、クリーム髭のサンタさんだ! ヨハン変な顔!」
「ってか、ルナちゃんたちの格好どう見てもハロウィンよね。あはは!」
マイペースに笑い転げるアポロと偃月の横で、ムラクモは必死に笑いを堪え、さらにその隣には、相も変わらず不動の姿勢の雷神に、一羽の隼がとまった。
「楽しい。それ、良いこと」
ぼそりとしたその声を聞き、皆一斉に彼に注目した。
「……バルムンク、あんた喋れたの?」
隼はルナに首をかしげながら、何を考えているのか分からない表情で瞬きをした。




