第四章「聖ヴァルキリー女子士官学校」(2)
Ⅱ
眉目秀麗な生徒会副会長の眉間には、不釣合いなくらい深い皺が刻まれている。竜也とヨハンは、その顔を見て「しまった」と後悔した。
「竜也、あなたは敵の急所を狙いすぎです。そんなことではすぐに失格ですよ。ヨハンは敵との相性が悪いと思ったら、戦い方を変えなさい。大体これではただの潰し合いではありませんか。喧嘩ではなく練習をしなさい練習をっ!」
叱られてしまった二人は肩を落としながら謝罪の言葉を述べた。しかし、竜也は内心、叱られることを差し引いても、先ほどの貴翔いわく“喧嘩”をした意義はあったと考えた。少なくとも、自身の機体の出力と攻撃方法、また、ヨハンの機体の性能まで解ったのだ。決して無駄ではない行為だったはずだ。さらに、実に幼稚な言い訳かもしれないが、先に喧嘩を売ったのは明らかにヨハンである。それに対して黙っていられるような竜也ではない。そのため、心の中では母親に楯突く年相応の少年らしく、舌を思い切り出してやった。
竜也は貴翔の本質はここ最近理解して来ているものの、どうにも苦手意識という根本的なところからは脱出出来ずにいた。ようは、有り大抵に言うと、鬱陶しいのである。
竜也には母親が居ない。正確には、どんな人物であったのか、声は愚か、姿かたちですら解らない。
本来ならば、母親たる人物が、彼の人格形成に関わるはずであったが、それがなかった彼にとって、叱る人物という者がほとんどいなかった。
一応、養父という名の保護者は居たが、ほとんど在宅は望まれず、彼と彼の親友を面倒みていたのはミモザという老婦人が主である。彼女は献身的で温和な非常に出来た家政婦であったが、子を叱るということをあまりしなかった。というより、その子供ら二人が、非常に良く出来た子たちだったので、その必要がなかったというのが本当のところであるのだが。
何にしろ、以上の事から竜也という少年は、叱られるという行為そのものにあまり耐性がなかった。そのため、どうにも頭から否定されることに、反抗心と苛つきを覚えてしまうのである。
「で、フィッツはどうしたんです?」
少し投げやりな言い様に、貴翔はこれといって咎めず、眼鏡のフレームを押さえる。
「はぁ、それが、他校戦の説明などする必要もないくらいにルールブックを熟読していたようで、それ自体は大変結構なことなのですが……。それ以前に、彼にはまず、文字通りの“練習”が必要でして……」
珍しく物言いがはっきりしない貴翔に首を傾げつつ、竜也はフィッツをメインカメラで捉える。
「う、うわぁあああああっ!」
フィッツの機体は地面ではなく、なぜか空中に存在していた。
飛行タイプが多い主天使級ならいざしれず、彼の機体は後方支援型の能天使級である。あまりにも意外なその姿に、竜也は驚愕した。
フィッツの機体、ガブリエルは、不恰好に腕をばたばたと動かしながら、まるで意味もなく空を掻いている。そしてその機体の行く末は、あろうことか校舎側の敷地と実機演習場を区切っている塀の上であった。
ずんと重い音を立て、塀の上に降り立ったフィッツの機体の足は、当然着地点へとめり込んだ。
「こらぁあっ! 貴様何をやっているかぁあっ!」
エルンスト教官がその事態に校舎側から気づき、体育会系の部活動の連中からメガホンを奪い取り怒号を上げる。
「ご、ごめんなさぁあいっ!」
フィッツの泣き声とも取れる叫びが、機体のスピーカーを通じてこだまする。
「うわちゃあ……、やっちまったなぁ、フィッツ」
ヨハンが見ていられないとばかりに額を叩く。竜也はその後も次々と塀を踏み崩す親友の姿を見て、ただただ唖然とするしかなかった。
「わぁ~んっ! これどうやって止めるんですかぁっ?」
よくよく見ると、ガブリエルの機体の足には、なにやらヒールのような部分がある。そこが地面に触れるたびに、機体は大きく空へと跳ね上げられてしまっているようだ。
「落ち着きなさいフィッツ! 機体マニュアルを確認出来ないのですか?」
そう貴翔に叱咤され、フィッツはべそをかきながらも、迅速にもらったデータからヘルプで項目を呼び出す。
「あった! ラビットモード解除、これだっ!」
地面につくすれすれのところで、フィッツは解除措置をとる。すると、次のジャンプに備えていた上体がぐらつき、そのままアスファルトへと前のめりに倒れた。
「……いったぁい」
何とか動きは停止出来たが、フィッツの実に情けない声が、あたりに虚しく響く。
「フィッツ、なんていうか……その、大丈夫か?」
竜也の引きつった顔がフィッツのモニターに映し出される。すっぽりエアバックに突っ伏す形になっていた上体を起しながら、フィッツは鼻をさすった。
「な、なんとか……」
そこにダナンとアスカ、それにセシルの機体まで駆けつけ、とりあえずフィッツの機体を抱き起こす。
「あ~あ、派手にやっちゃったねぇ。修理代、やっぱ生徒会の経費から落とされるのかなぁ、これ」
アスカは半壊した壁を見て苦笑いする。
「まったくもう! 相変わらずおっちょこちょいなんだから! 危うく事故死するところだったわよ!」
ルナは金切り声を上げ、毛を逆立てる。フィッツは必死に「ごめん」と繰り返していた。
「具体的に何を行ったらこうなったんだ?」
ダナンが貴翔に説明を求めると、彼は溜息をつきながら答える。
「フィッツの機体には初めて実験的に高機能のジャンプ移動能力が付けられているようです。で、試しにラビットモードという機能をスタートさせたのですが……」
本来であれば、その名の通り脱兎の勢いで移動し、射撃するといった行動が実現できるのだが、操縦者が慣れていないと、滞空中に機体の重心がぶれ、思わぬところに着地してしまうようである。
「練習あるのみと、やらせてはみたのですが、どうにもうまく行かないようですね」
「……なるほど」
その先輩たちの会話に、己の未熟さに打ちひしがれているフィッツが、今にも本当に泣きそうな顔をしていたので、竜也は眉尻を下げつつ提案する。
「おい、フィッツ。ハッチ開けろ」
「ふえ?」
「いいから、早くしろ」
怒っているのかととれるほどの口調に、フィッツは恐る恐るハッチを空けた。そこには、同じくハッチを空けた竜也が目の前に立っていた。
竜也は軽々とフィッツの機体に飛び移ると、本来の戦禮者をしっしと追い払い、ルナの席に無理やり押し込んだ。
「りゅ、竜ちゃんどうするの?」
ルナを抱えながら不安げに親友を丸い瞳で見つめる。
「舌かまないように黙ってろ。雷神、ちょっと其処から離れろ」
「御意」
雷神は素直に主の言うことを聞き、ハッチを閉め、少しミカエルの機体を後退させる。本来四足歩行の動物の脳波イメージ伝達では、うまく二足歩行で移動をさせられないのだが、この程度の動きであれば、プロの軍用犬である雷神には朝飯前であった。
「試しに俺が動かしてみる。それで、もし簡単に動かせるようなら俺がお前に操作方法を教える。けど、俺でも難しいと感じる場合はモーリス博士にお願いして改良してもらうんだな」
言いながら竜也はラビットモードと示された入力画面を選択した。操縦桿を握った瞬間、ルナの脳波が竜也とリンクする。思わず彼女はぞっとした。
「貴方と繋がるなんて聞いてないわよ!」
「モード名からしてお前とじゃないとうまく機能しなさそうだろ。我慢しろ」
「横暴よっ! フィッツ、何とか言ってやってちょうだいっ!」
フィッツはそれに対して黙って首を振った。主の裏切りとも取れる行動に、ルナは絶句する。
「諦めろ。前に向かって思い切り走る感覚をイメージしろ。お前の足はどう動く? どう跳ねる?」
竜也に命令されるのは甚だ迷惑であったが、ルナは仕方なく、言われた通りにした。
「貴方も精々機体に振り回されればいいわっ! 覚えときなさい、こうよっ!」
その途端、アイボリーカラーの機体は思い切り空中へと飛び出した。およそ三十階に匹敵するビルを、高速エレベーターで、急激に上昇したように体が浮遊感に襲われる。
周囲で生徒会の学生たちが見守る中、竜也はにやりと笑った。
「いいこだ、ルナ」
その横顔に、フィッツははっとした。不敵に、且つ余裕と自信に満ちたあの逞しい英雄。在りし日の、天野龍一提督そのものの表情が、そこにはあった。ルナも何か只ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、きょとんとした表情である。
ガブリエルの足が降下を始めたのを見計らって、竜也はフットペダルを両足で器用に微調節し、ジェットを小出しにしながら着地、続いたジャンプもうまいこと軌道修正しつつ前へと進む。
「なるほど、フィッツ。こいつはとんだじゃじゃ馬だが、使いこなせば後方だけじゃなく前線にも起用出来るかもしれないぞ?」
「本当っ?」
「ああ、例えばこうだっ!」
竜也はいたずら坊主の顔つきで、ジャンプした滞空中に、機体を反転させ、ライフルを構えた。その照準は、真っ直ぐにとある機体に向けられた。
「へぶっ!」
唯でさえ派手なピンク色に染められていた機体は、頭から思い切り駄目押しのペイントを喰らい、尻餅をつく。
「竜也てめぇっ! 後でぜってぇ絞めてやっからなぁっ!」
ヨハンの喚き声が機内に響き渡る。それに思わず竜也だけならずフィッツもつられて笑った。
「……くだらない」
その光景を今まで黙ってみていたセシルは、ぼそりと独り言ちた。
――彼らは本当の人の死を知らない。その光景を、感覚を、血が流れ、魂が消え行く様を見ていない、だから……。
「ああして笑っていられるんだ」
人知れず人工物の少年は、手の平に爪を立てた。
結局、その後モーリスと竜也が話し合った結果、フィッツの機体にはジャンプをアシストする機能が追加されることとなり、その日の実機演習は終了となった。
皆は反省会もかねて、ドッグ内にある休憩スペースで腰を下ろした。竜也とヨハンが何やら言い合いになっているのに見かねたフィッツが、二人の間に割入ると、竜也がはたと何かに気づいたように停止した。
「……あ? やっと謝る気になったかクソ後輩?」
ヨハンが忌々しげに竜也を睨みつけるが、それをさっさと無視して本人はダナンのもとへ小走りに寄って行く。
「すみませんダナン先輩。ちょっといいですか?」
その後ろでヨハンが地団駄を踏んでいるのは会長の目にも入っていたが、彼もまたそれを気には留めなかった。
「うん? どうした?」
「ちょっと用事を思い出して……。飛行機の予約とってあるんで、今日はここで失礼していいですか?」
「かまわんが、後で送信するヴァルキリーのデータはしっかり目を通しておくんだぞ?」
「了解です」
すると竜也はさっさとその場を後に去って行ってしまった。ヨハンは面白くなさそうに口を尖らせていたが、フィッツは何かに気づいたように不安げな表情になる。
「彼、急にどうしたんだい?」
アスカが目を丸くしていると、フィッツがおずおずと答えた。
「その、今日は竜ちゃん誕生日なんですけど……」
「え! なんだい。じゃあ、お祝いしなきゃじゃない?」
ダナンと貴翔はそこで今日の六月二十一日という日を思い出し、視線を床に落とした。
「……そうか、なんとも気の毒な話だな」
「ダナン、同情は彼の望むところではないでしょう。ただ、世の中そういうこともあるのですね」
的を射ない二人の言葉に、アスカは目を白黒させて困惑する。
「へ? 僕なにか場違いなこと言った?」
ヨハンとセシルも首を傾げている。フィッツは申し訳なさそうに打ち明けた。
「その……、今日は天野龍一提督のご命日でもあるんです」
その事実に、一同はしんと静まり返ってしまった。
「うわっ、え? あ……そ、そんな偶然ってあるの? 僕すごく今自分が恥ずかしいよ」
アスカは頭をくしゃくしゃとしながらしゃがみこんでしまった。
地球共同連邦の英雄、天野龍一の死は、人々に多大なるショックを与えた。あれから今年で十一年目に入る。五歳の誕生日、プレゼントを楽しみにしていた竜也のもとに届いたのは、父の戦死を告げる手紙であった。
――こんなに身近に死を体験しているのに……。
セシルは人知れず動揺した。血の繋がりを持った者の死は、竜也に戦に対する恐怖という念を刷り込まなかったのだろうか。あの戦いに見せる嬉々とした表情と、彼の生い立ちに激しいギャップを覚える。
「……あのさ」
一同の反応を遮る様に、ヨハンが急に呆れ顔を作る。
「だからなんだってんだよ。誕生日だろ? 普通に祝ってやりゃいいじゃねぇか」
「え、えぇえっ? さすがにそれって無神経すぎない?」
アスカの反応に皆同意の色を示したが、ヨハンは堂々と反論した。
「何言ってんだよ。この世は生きてるもんのためにあんだろうが。死んだ奴のことをいつまでも思って人生楽しめないなんて損じゃねぇか!」
その言葉の意外性に、各々顔を見合わせた。
「あいつが帰ってきたら、みんなで祝ってやろうぜ? サプライズだ! アスカ、お前そういうの考えるの得意だろ?」
しばらくぽかんと口を開けていたアスカだったが、間を一拍置いて、ぱっと目を輝かせた。
「イ、Yes! I see! 任せて!」
フィッツの表情も自然と明るいものになり、会長と副会長も巻き込み円陣を組んだ。きょとんとするセシルの腕も引っ張り込み、如何に竜也を驚かすかで話は盛り上がる。その様子を外から誓鈴たちは、ほのぼのと見守っていた。
「ヨハンったらあんなに竜也と喧嘩してたのに……」
アポロが苦笑いすると、リリスが羨ましげに溜息をつく。
「青い春ってやつかしら? 若いっていいわねぇ」
その言葉に、ルナ以外の誓鈴たちがうんうんと保護者会のごとく頷いたので、彼女はその瞬間自分が誓鈴中、一番の最年少だということに気づく。
――この中にいると、私早く老いる気がするわ……。




