第一章「聖ユグドラシル男子士官学校」 (1)
Ⅰ
政暦二〇〇〇年、三月下旬。桜が競うようにして満開の花を散らし、地面はすっかり可憐なピンクの絨毯を敷き詰めていた。
地球の極東に位置する日本地区東方部。かつての勇猛果敢な将校、天野龍一の墓が、この土地で生まれ、宇宙で塵と化した戦死者の形だけの墓石の列に存在している。
そこに深々とお辞儀をし、軍隊式の敬礼をして、墓前に立つ二人の少年がいた。
そのうちの一人、黒髪に意思の強そうな鳶色の瞳を持つ少年は、この土地の人種を色濃く受け継ぐ純血である様子で、線香の束に火を付け、墓前の皿へ着火側を左にして寝かせた。直ぐに両手を合わせながら二、三歩後ろに下がり、再びお辞儀をして目を閉じ黙祷する。
地元民であろうとも、今時これほどに風習を貫いている人間はほとんどいない。それは奇特な彼の家柄を物語っていた。
彼の名は天野竜也という。天野龍一その人の息子である。父の死後、彼は親戚のもとではなく、龍一本人の遺言により、戦友アルバート・オブ・キャテリー・グローリアスのもとに預けられた。
アルバートの家は地球ではなく、ムーンヴィレッジと呼ばれる月面軍用基地居住区域の邸宅である。そこには彼と一人息子がおり、その息子とは、今隣で金髪の豪奢な髪を、一つに青いリボンで編み束ね、龍一の墓にカサブランカの花束を供えた少年である。
その少年が男子とは思えぬ美麗な笑顔で竜也を振り返る。
「竜ちゃんとここに来るの何年ぶりだっけ?」
「三周忌以来だから俺は七年ぶり。フィッツは熱出して寝込んだから一周忌以来だろ」
フィッツと呼ばれたアルバートの美しき嫡子は「そうだっけ、良く覚えてるね」と、細く形の良い眉を片方上げ、苦笑いして答える。彼らは十年間衣食住を共にし、もはや幼馴染というより兄弟のような間柄であった。
アルバートに養ってもらっていたとはいえ、二人は常に家を留守にすることの多い父親に代わり、中学に上がる頃には家政婦が必要ないほど、家事を完璧に分担してこなしていた。喧嘩もたまにはしたが、直ぐに仲直りし、よく協力し、お互いを尊重し合い暮らしてきた甲斐あって、今や無二の大親友である。
今年、そんな二人のもとには念願だった父親たちの母校『聖ユグドラシル男子士官学校』への入学内定通知が届いた。今回の墓参りは、入学式前に竜也の父へそのことを報告するためのものである。
「折角だし、竜ちゃんの実家にご挨拶による?」
エメラルドグリーンのくりくりと丸い瞳を輝かせ、フィッツはわくわくとした様子で、親しいあだ名で竜也に話しかける。
「いやだ」
そんな親友の様子に、少し面倒くさそうに、しかしきっぱりと彼は答えた。
「ええっ、なんで?」
あまりにも無情な断り方をする親友に、腹こそ立たないものの、少し大げさにフィッツは驚愕した。
竜也の家庭はそもそもこの土地に深く根付く由緒正しき軍人家系である。天野家が代々ブリーダーとして管理するライカンスロープと呼ばれる血統の、軍用に品種改良された狼犬は特に有名である。軍内でも「天野印のライカンスロープは千の敵を倒す」とのお墨付きであった。
そんな根っからの軍人家庭であるのだ、今回の士官学校入学を喜ばないはずがないとフィッツは思ったのだが、竜也には実家に行きたくない理由があった。
「なんで出雲じゃないんだって、伯父さんがうるさいに決まってる」
出雲とは、地球共同連邦に三つある士官学校のうち、この日本地区にある士官学校『連邦国立出雲士官学校』のことで、竜也の伯父はそこの出身将校であった。
かつて伯父は地球防衛の任務に当たっていたが、足を悪くしてからは退役し、今はライカンスロープの育成に励んでいる。
そんな彼の弟である龍一は、なぜか代々天野家が通っている出雲ではなく、あえて聖ユグドラシルに入学した。おそらくアルバートと意気投合したため、日本地区をはなれたのであろうが、兄にはそれが許せなかった。それを甥っ子まで同じことをやらかしたのでは、いよいよ伯父は憤慨を通り越して慟哭しかねない。
「大体、親父の遺言無視して、兄貴だけ掻っ攫ってった伯父さんになんて会いたくないし。いいんだよ、俺は絶対天野家の敷居は跨がない。あんなところは実家じゃない。俺の実家はお前と同じムーンヴィレッジだ」
竜也は天野家の凝り固まった血統思考にうんざりした様子で語った。
「そんなこと言わずに。だって竜ちゃんのお父さんだって、天野家の軍用犬はすごいって褒めてたじゃない。訓練現場見せてくれるかもしれないよ?それに、お兄さんに会えるかも……」
「くどいぞ、フィッツ」
フィッツが言い終わらないうちに、ばっさりと竜也は切り捨てた。それほどまでに天野家には嫌悪感があった。
「俺には親父が残してくれた神威の子、雷神がいる。それに、兄貴は昔から苦手だ。俺と違って天野家の水があってるみたいだからな」
竜也には双子の兄がいる。彼が今年、伯父の意見を素直に聞き入れ、出雲に入学することになった件は、アルバートからの連絡で、竜也も聞き及んでいる。
フィッツはしゅんとしていたが、ぱっと顔を上げたかと思うと、本当は明日の入学式で初めて袖を通す予定だった、碧色の制服の袖を握って、くるくると回ってみせる。
「ねぇねぇ、この制服なんだか可愛いよね。ケープ付いてるし、ベレー帽なんて幼稚園生以来じゃない?」
話題を急カーブで切り替えてくるのは、気まずくなったフィッツの常套手段であったので、竜也は特に気にする様子もなく話題に乗った。
「制服は三校中一番ダサいよな」
「あっ!酷い。けど言えてる。他の二校はなんかこう、きっちりかっちりしててカッコいい系だもんね」
そんなくだらない話をしながら、来たる入学式に向け、期待が膨らむ二人は、結局寄り道せず、士官学校へ向かうため、真っ直ぐ空港へと向かった。
聖ユグドラシル男子士官学校は、イタリア半島に程近い海上上空に浮かぶ全寮制の巨大学園都市である。内部には士官候補生たちが過ごしやすいよう、様々な店や、多少の娯楽施設まで完備されており、さらにはそこの従業員たちの住居まであるため、さながら複数の街がそのまま天空に上昇してしまったような様相である。しかも、この通称ユグドラシルは、他の二校に比べると、はるかに規模が大きいため、主力要塞の役割も果たしているという。そのため地球共同連邦の正規軍も常に駐屯している状態である。
午前七時三十五分、日本地区から超高速旅客機でユグドラシルの空港に着いた竜也たちは、早速正規軍の検問を受けなければならない。ここ最近パンデミックの自爆テロやスパイなどが横行しているという現状が各地であるため、軍のお膝元であるユグドラシルの駐屯兵も、けして肩の力は抜けないのである。
金属探知機のゲートを潜ると、次に二人を待っているのは証明書の直接提示だ。
「君たちその制服ここのだけど、一応学生証みせてね」
若い兵士が申し訳ないといった様子で手をずいっと前に出す。肩にはライフルを背負って、襟章の階級は一等兵を表していた。黒い手袋をした手の平に学生証を二枚乗せると、素早くそれをカードリーダーに通す。
「お勤めご苦労様です」
二人揃って敬礼すると、確認を終えた若い兵士も、おおっと慌てて学生証を二人に返し敬礼する。
「これはこれは、天野元帥閣下とグローリアス元帥閣下のご子息様たちでしたか!やはりこの士官学校をお選びになられたんですね。自分は叩き上げでこれからですが、お二人には輝かしい武功が必ずや約束されているでしょう。これから三年間がんばってください」
その声を聞いた周りの兵士たちも、興味津々で二人に視線を送った。なんとなくむずがゆくなった二人は、愛想笑いでその場を切り抜け、空港近くの公園で一息ついた。
「はぁ~、びっくりしたぁ」
気の抜けた声でフィッツが噴水の淵に腰掛ける。
「あんな丁寧に挨拶しなくてもいいのに。僕たちまだ階級だってないのにね」
「だいたいその内ばれるとはいえ、あんな馬鹿でかい声で個人情報流出するなって話だよな」
二人して早速父たちの母校という場所の洗礼を受け、なんともやりにくい空気が漂う。何度目かの溜息をついてから、こんなことで引いていたのではこの先乗り切れまいと、さっさと気持ちを切り替え、学校校舎へ向かうことにした。
公園から直ぐの大通りに出ると、流線型で半球状の車が行き交う道路に出る。
車の底と道路から発せられる電磁反発力により、完全オート運転で安全に走行出来るよう整備されているのが現代交通手段の主流である。それによりこの型の車は免許がなくても乗れるため、貴重な士官生たちの足だ。共用車は手持ちの通信端末から呼び出せ、自分たちのいる場所にすぐに迎えにくる。
フィッツが早速自身の通信端末で車を呼ぼうとしたその時、一台の車が二人の目の前で止まった。珍しく完全オートではない型、つまり免許のいる車である。今時このような型を自家用車として持っているのは、将校クラスの軍人か、一部の金持ちであったが、まったく心当たりのない二人は目を合わせて「知ってる?」「いいや」という不毛なコンタクトを取った。ゆっくりとそのドアが開き、助手席にいた人物が優雅な足取りで二人の前に降り立った。
「貴方たちは、新一年ですか?」
すらりと痩身のその人物は、琥珀色の眼光を、眼鏡のグラス越しに二人に飛ばした。二人の着ている碧色の制服と同じ物を着用しており、直ぐに先輩であろうことが解釈できる。腰に手を添え、いかにも性格がきつそうな印象を受けるが、聡明そうな顔にはフィッツの少女のような美しさとは別の種類の華麗さがあった。
「まさかとは思いますが、一日勘違いしていないでしょうね?」
呆れたような声音で言われ、あからさまに竜也がむすっとして答える。
「入学式は明日の午前八時からです。ちゃんと分かってます」
「ほう?」
二人の視線が、まるで導火線の火花を散らしているように交差する。フィッツが慌てて間に入り、一日早く制服を着ている理由を丁寧に説明した。
「なるほど、父親の墓前に報告を……。ずいぶんと感傷的なんですね」
不揃いな髪を掻き上げる艶のある仕草も、竜也にとっては腹立たしいことこの上なかった。
「いけないですか?」
「いいえ、ただ実に日系人種らしい心がけだと思いましてね。根強い独自の文化を抱える地区の人間は、やはりパンデミック的だと危惧されるのも仕方のないことなのかもしれません」
ぎりぎりと握り締められる右手を、そっとフィッツの手が静止する。ビー玉の様な目でじっと見つめられ、竜也はただ深呼吸せざるおえなかった。
「やめないか貴翔!」
堪りかねた様子で、運転席から鼻筋の通った端正な顔つきの青年が、足早に近づいて来る。深海のような瞳で、貴翔と呼んだ人物を叱るように一瞥すると、すぐに竜也に向かって謝罪する。
「すまない、貴翔は普段こんなことを言うやつではないのだが、昨日から入学式の準備が忙しく、いらついているようだ。許してやって欲しい」
その程度のストレスを、人種差別紛いの悪態で発散されてはたまったものではないが、謝罪する青年の誠実さの裏に、何か複雑な事情があるようで、それ以上踏み込む気にはなれなかった。
「いえ、べつに」
不快感を露骨に表情に浮かべながら、竜也は吐き捨てるように答えた。
誠実な青年はやれやれといった様子で、腰まで届く長い髪を揺らしながらフィッツに向かって歩み出る。
「失礼、君はフィッツ・オブ・キャテリー・グローリアスか?」
「は、はい」
「やはりそうか。目と髪の色が同じだからひょっとしたらと思ってな。嫌な思いをさせておいて申し訳ないが、良ければ一緒に来ないか?もちろん、天野竜也、君も」
二人は驚きに目をしばたかせた。
「え、えっと。ごめんなさい、あなたはいったい……」
フィッツがおずおずと問うと、相手は優しく微笑んで握手を求めた。
「たびたびすまない。俺はダナン・アブドゥル・カスィーム、ダナンでいい。今年三年になって生徒会会長の任に付いた。一応、今年の入学者はすべて把握しているのでな、確かめたまでだ。驚かせてしまったな」
士官学校のシステムでは、年度末学年主席になったものが、自動的に生徒会会長の任を授かることになっている。しかし、いくら学年主席でも、新一年生の顔と名前をすべて記憶するとは恐れ入る。竜也たちは、このダナンという青年に対して、少なからず信頼の種を芽吹かせた。