第三章「編入生」(4)
Ⅳ
六月中旬、この時期の地中海は晴れていれば、日が照りつけ暖かい、大変過ごしやすい気候である。しかし、雨が降ると急に温度が下がり、夜もまた昼間との寒暖差があった。
そのような天候の中、昨日のプールでの一件で、フィッツは少々風邪を引いたようであった。遠慮がちに鼻を啜る音が、授業中の教室にはある程度目立ってしまう。
「大丈夫か?」
見かねた竜也がポケットティッシュと風邪薬を購買で買い、昼食時に渡した。
「ありがと~」
熱はないようで、鼻水くしゃみ以外の症状はない。食欲もとくに問題ないようで、大好きな人参もいつも通り頬張っていた。
「あいつ今度こそ本格的に風邪引いたみたいだな」
竜也は今日も欠席したライオネルのことを指して言った。
フィッツは昨日竜也の用意した風呂で温まった後、すぐに寝てしまったので、症状は軽度であったが、ライオネルの症状は重かったようだ。
この時期に二人して夕方に差し掛かった時間帯に、着衣したまま冷たい水の中で大暴れ。しかも、その後濡れたまま話し込んだ上に片付けまでして、寒空の下、塩素を含んだ着衣から水滴を漏らし帰ってきたのだ。当然の結果だと、竜也は眉間に皺を寄せる。
「あ、あはは……」
フィッツがから笑いしていると、竜也の後ろに忍び寄る影があった。なにやら殺気めいたものを感じて、竜也はさっと席から立ち上がり振り返る。
「竜也、てめぇ、この野郎!」
「げっ、ヨハン先輩……」
ついに見つかったかと、竜也は溜息をついた。
「てめぇが部活サボったせいで、契約金倍返しする羽目になったじゃねぇかっ!」
竜也としては、人を食い物にしようとするからそういう目に会うのだと、逆に説教してやりたい気持ちになった。が、やると言ってサボったのは事実で、野球部部長に迷惑をかけたもの確かだ。とりあえず昨日考えた言い訳を言おうとした直前、フィッツが立ち上がり頭を下げた。
「ごめんなさい先輩。竜ちゃんはちょっと昨日僕の用件に付き合ってくれてて、急だったもので、途中で抜けて来てもらっちゃったんです。僕のわがままで本当にすみません!」
必死に謝り出したフィッツに、ヨハンは余程ただならぬ事情があったのだろうと、及び腰になる。仕方なく、咳払い一つで、昨日のことは不問としてくれた。
「ところでお前ら、今日は儀礼式だぜ」
ヨハンはにかっと笑うと、二人の背中を力強く叩いた。フィッツは思わずそれにむせる。
「儀礼式?」
竜也が疑問符を浮かべると、ヨハンは腕組みしながら、まだ同じ笑みを湛えている。
「わん公と兎連れて、放課後チャペルに来いよ。そうすりゃ分かる」
もったいぶる先輩に首を傾げながら、半信半疑で二人は放課後、雷神とルナを同伴させ、チャペルの門を叩いた。
重厚な彫刻を施された扉が、左右にゆっくりと開く。
「おめでとう!」
扉を開くと、そこには生徒会の面々、さらにはクレールス・ユリウスに、学長までが手を叩いて二人を祝福した。二人は驚き、その場に立ち尽くす。
「ほらほら、とっとと前に進めお前ら!」
ヨハンが二人の背中に回り、ぐっとクレールス・ユリウスと学長のいる祭壇まで押し出す。その道の両端には、ダナン、貴翔、アスカが、柔らかな表情を湛えている。
「この度は、生徒会当選、おめでとうございます。よって、テスト戦禮者に選ばれた貴方方には、学長から他学生より一足先に、誓鈴の証、ならびに生徒会章を贈らせていただきます。どうかこの先、お二人に英雄の加護があらんことを」
クレールス・ユリウスは祈りの形を切ると、学長と祭壇の中央を交代した。
「本当におめでとう。けれどここからが始まりだ。慢心することなく、今後も一生懸命訓練に励むこと。いいね?」
学長は二人ににっこりと微笑む。慌てたように、二人は返事をしつつ敬礼する。
「それではこれより、生徒会役員儀礼式を執り行う。一同、敬礼」
両端にならんだ生徒会が、ダナンの言葉で一斉に姿勢を正す。自然と竜也とフィッツの緊張も高まった。
それを合図に、学長アルバートは朗々と自身の息子を形式的に呼ぶ。
「総合成績二位、投票数第一位。フィッツ・オブ・キャテリー・グローリアス。並びに誓鈴候補生ルナ」
「はっ」
ルナと共に一歩前へ出たフィッツは、表情を引き締め、学長としての父を見た。
「英雄の定めしそなたの名は“ガブリエル”嘗て救世主の訪れを告知せし、水を司り、百合の花を携えたエデンの園の統治者よ。その慈悲の心を持って節制のとれし世界を築きたまえ」
クレールス・ユリウスが賞状を読み上げたのを聞くと、思わずフィッツは目を見開いた。そのガブリエルという戦禮名は、かつて父が賜った名と同じ名であったのだ。その表情を読み取ったアルバートは小さく頷く。
「祈りを捧げなさい戦禮者ガブリエル」
クレールス・ユリウスに言われるがままに、フィッツは祈りの形を切り、腕を胸の前に置いた。その袖に、学長は生徒会役員と書かれた帯を付けた。これが生徒会役員の証である生徒会章である。会長と副会長には、これとさらに飾緒がつけられていた。
賞状をクレールス・ユリウスから受け取った学長は、それをフィッツに渡す。次に誓鈴の証と呼ばれる鈴を再び副学長から受け取ると、アルバートはルナを抱きかかえるようにフィッツに指示する。抱えられたルナは、そっと学長から鈴を首に下げてもらった。
「あら、これで貴方としゃべれるのね、フィッツ」
ルナの声が鈴のスピーカーから、大人ぶった少女の口調で再現される。予想通り生意気そうな声音に、竜也は思わず顔を顰めた。
「次、総合成績五位、投票数第二位。天野竜也、並びに誓鈴候補生雷神」
「はっ」
名を呼ばれ、さっと表情を引き締め直した竜也は、フィッツと入れ替わる形で前に雷神と共に歩み出た。
「英雄の定めしそなたの名は“ミカエル”……」
竜也もフィッツと同じ反応を示した。
__戦禮名ってクレールスが英雄の啓示を受けて決めるっていう話だったが、あまりに出来すぎてないか? ひょっとしてアルバートさんが決めてる……とか?
そう思いながらも、父龍一と同じ戦禮名を戴いて、まんざらでもない様子の竜也であった。
「嘗て英雄の軍勢を率い統率せし将の器。火を司り、鞘から抜きし剣を携えた武力の長よ。その正義の心を持って、英雄の意思を遂行したまえ」
竜也は祈りの形を切り、学長から帯をつけてもらう。雷神も、ルナと同じ誓鈴の証を首にかけて貰った。
「我が主竜也よ。今後もよろしく頼む」
雷神は落ち着いた低音で誇らしげに言うと、竜也は嬉しそうに頷く。
「お前の声はずっと聞こえていた気がする。こちらこそよろしくな」
雷神と竜也には、今まで歩んできた人生の情景が、ありありと浮かんでいた。人語をやっと手に入れた雷神は、思わず昔話を長々と語りたくなったが、今は正式な儀の最中である。それ以上は何も言わず、ただ整然と前足をそろえ座った。
「これを持ち、二人と二匹は正式な戦禮者と誓鈴となった。一繋ぎの輪となった我が国を守るために、精一杯尽力することを願う」
「はっ」
二人は揃って再び学長に敬礼する。
「それでは、これにて儀礼式を終了とする。二人はこれより生徒会室で、先輩たちに今後の流れの説明を聞くように。以上」
二人はほっと緊張の糸が切れる。学長は学長室へと戻り、クレールス・ユリウスは、チャペルの奥にある自室へと戻った。それを見送った生徒会の面々と共に、生徒会室へと竜也たちは向かった。
「さて、改めまして、生徒会へようこそ」
アスカは機嫌良さげに二人を椅子に座らせた。生徒会室には、先輩たちの誓鈴も、皆勢ぞろいしていた。誓鈴同士も、新しい後輩に挨拶を交わしていた。そんな中、ヨハンが椅子の背後から二人の肩を叩く。
「まあ、ある程度予想は出来てたっつぅか、お前らは良い意味でも悪い意味でも目立ってるからな!」
「どういう意味っすかヨハン先輩」
竜也がむっとしていると、にたにたとするヨハンのふくらはぎに、貴翔の軽い蹴りが入る。
「痛って!」
「貴方の方がよっぽど悪い意味で目立ってますよヨハン」
その言葉にぎくりと背の低いヨハンの背中が跳ねる。
「成績は相変わらず座学類は赤点すれすれ。さらに後輩をだしに荒稼ぎしているらしいじゃないですか。本当になぜ貴方が生徒会役員に当選したのか謎で仕方がありません」
「うぐっ……」
ヨハンが俯くと、ダナンは苦笑しながら貴翔を窘める。
「こらこら、すぐにヨハンを足蹴にするのはお前の悪い癖だぞ?」
「しかしダナン。ヨハンは少々勝手が過ぎると申しますか、生徒会としての自覚が足りないように思います」
「まあ、成績はもう少しがんばれとしか言いようがないが、学校内で後輩を巻き込んで商売を始めるのは感心出来んな」
生徒会長にちらりと見られ、ヨハンはぼそりと「すんません」と答える。竜也は珍しく、貴翔を先輩として、良くぞ言ってくれたと内心感謝した。むしろもっと蹴ってやってくれとさえ思う。これに懲りて変な商売に人を巻き込まないでくれれば大変有り難いというものである。
ダナンは皆が席に座り落ち着いたのを見渡して、咳払いをする。
「さて、竜也、フィッツ。これから君たちは正式に生徒会役員、並びにテスト戦禮者として活動してもらう。部活動に所属しているなら、それより生徒会の方がもちろん優先順位は上だ。さらに、場合によっては授業よりも優先されるので、そこは覚えておいて欲しい。緊急の場合は放送で呼び出す場合もある」
「緊急、ですか?」
フィッツが尋ねると、ダナンは頷き答える。
「SW社など、軍需会社がらみの呼び出しや、学長指令だったり、その時により様々だな。ああ、後、基本的に部活動などの用事が無い場合は、放課後必ず生徒会室に顔を出すこと。まあ、大まかな決まりはこれくらいだな。主な活動は貴翔、お前から資料を説明してくれ」
「了解しました」
貴翔は手元のノート端末を二人に見えるように机に置いた。
「ここに記されているのがこの学園の主な委員会と部活動です。これらを総合的に統括しているのが我々生徒会です」
ずらりと連なる名前に、竜也はぎょっとしたが、フィッツは興味津々に画面を覗き込んだ。
「一年に二度委員会は生徒会を中心に集まり、体育祭、文化祭、美化活動などを取り仕切ります。さらに一年に一度、部活動は活動監査を行います。それぞれの部活がちゃんと活動を行っているか、抜き打ちで見に行きます。普段は風紀点検や経理運営、雑務です」
「その辺りはあまり中学校時、一般教育上の生徒会とあまり変わりませんね」
フィッツがそう言うと、貴翔は頷き、次の資料へとノート端末の画面をスライドさせた。
「フィッツの言うとおり、ここまでは特に変わったことはありません。重要事項はこちらです。生徒会がもっとも力を入れなくてはいけない行事ですね」
画面には『他学校との対戦事項』と記されていた。
「テスト戦禮者というからには、テストをしなくてはなりません。もちろん普段の授業や個人練習などのデータはSW本社に送られています。しかし、それでは偏ったデータしか集まりません。そのため、他学校の生徒会とテスト機体で対戦することによって、どのようなところが弱点か、本当にその機体に必要な能力とは何かを算出し、改良していくことが可能です。SW社が本当に欲しいデータとは、練習して得たものではなく、生きた実戦になるべく則したデータなのです。テスト機は改良が成功すれば、卒業時そのまま操縦していた学生に寄与されます。ここまでは、分かりましたか?」
竜也とフィッツは頷き、貴翔の指が指し示した対戦事項に目を通す。そこには聖ヴァルキリー女子士官学校と、連邦国立出雲士官学校の名があった。
竜也は反射的に、出雲の字に反応する。
__そういえば、兄貴はどうしているだろう……。
出雲に入学したはずの血を分けた双子の兄弟を、つい思い出さずにはいられない。今は当然自分と同じ年で、きっと何も問題なく育っていれば身長も顔も一緒のはずである。そんな人間がもう一人いるというのは、改めて思うと不思議なものだ。
「今年は夏休みに入る直前にヴァルキリーと、文化祭の後に出雲と対戦か……」
アスカが今年の対戦事項を除き見てつぶやく。
「基本的には対戦三日前に私たちユグドラシルの学生が他学校に赴き、学校交流会、アンジェクルスのメンテナンス、作戦ミーティングなどを対戦までに行います。歴史の古い我が校が、他校と文化共有することも、目的の一部ということをお忘れなく」
そこまで貴翔の説明を聞いたフィッツが、ノート端末を凝視していると、とある項目で挙手した。
「あの、貴翔先輩。ここの規約ってところに、対戦人数は七名って書いてあるんですが?」
たしかに、見渡してみる限り、現時点で生徒会役員の人数は六名である。対戦を行うには一人人数が足りないのだ。
「NSW社というSW社から分裂した武器会社があるのは知っているな?」
竜也とフィッツはダナンの言葉に頷く。
「一年に一機、その会社もアンジェクルスを学校に提供している。しかしSW社ほど大規模な会社ではないため、三校に順番に一機ずつ配っている。つまり、今年が我が校に配られる順番というわけだ。そこで、本来ならば三名新規学生を生徒会入りさせるところなのだが、今年は少し状況が違う」
二人が首を傾げていると、生徒会室の内線が鳴った。貴翔が立ち上がり、壁に備え付けてある応答スイッチを押す。
「はい、そうですか、わかりました」
簡潔に貴翔はそう受け答えるとスイッチをオフにした。
「編入生が学長室に到着したそうです。生徒会皆で来るようにとのことです」
「お、来たね。NSW社の秘蔵っ子」
貴翔の報告に、アスカとヨハンはうきうきとした様子であった。いまいち状況の飲み込めない一年生二人は、ダナンに疑問符の浮かんだ顔を向けると、彼はくすりと笑う。
「行けば分かる」
そう言われるがままに、慌しく皆学長室へと移動する。誓鈴たちもがやがやとついて来るが、学長室の前にダナンが立つと、皆静かに姿勢を正した。
「生徒会一同参りました」
中から「入りなさい」と学長の声が響いた。ダナンを先頭に、一同はぞろぞろと入室する。自然と学長室に戦禮者と誓鈴が交互に横並びとなり、学長が皆を見渡すと、一つ頷いて自身の隣に立っている少年を紹介した。
「NSW社から来たセシル・リヴォーヴィチ・イオノフくんだ。明日から竜也、フィッツと同じクラスに入るからよろしく頼むよ」
学長のその言葉に、セシル少年は愛想笑いもせずに、黙って一同に軽いお辞儀をした。窓から入ってくる夕日に、銀灰色の髪が輝き、白すぎる肌はそのまま日と溶け合って消えてしまいそうである。神秘的なマゼンタカラーの瞳は、どこか暗い影を落としていた。
この陰気とも見える少年に、一同は一拍間を置いて、ダナンから自己紹介を始めた。
「生徒会長、三年のダナン・アブドゥル・カスィームだ。戦禮名はアズライール、誓鈴は隼のバルムンクだ。何か分からないことがあればすぐに聞いてくれ。で、こっちが副会長の……」
「貴翔です。同じく三年で、戦禮名はラファエル、誓鈴はフェレットの偃月。何でも聞く前に、しっかり各要項を読んでくださいね」
つんとした態度で、貴翔は早口にそう述べた。
__なるほど、この人は初対面の人間には常にこうなんだな。
竜也は入学式前日に味わった貴翔の第一印象の悪さを思い出し、少し彼の性格の本質とやらを把握した気になった。それにしても、先輩の戦禮名を改まって聞くのは初めてだ。少し新鮮な気分になりながら、竜也は少年を見つめる。
先ほどからまったく表情一つ変えない彼は、とてもではないが自分と同じ年だとは思えない。背格好から見て、いいところで中学一年生といったところだろう。この学校でヨハンよりも背の低い人物を初めて見た気がする。
しかし、このセシルという少年は、まるで表情プログラムを入れ忘れたかのような無機質さである。不気味といってはなんだが、見た目とそれがあまりにも不釣合いであるのには違いなかった。その証拠に、貴翔の冷たい物言いにも眉一つ動かさない。
「僕は二年の書記で、アスカ・L・イオタ。戦禮名はウリエル、誓鈴は狐のムラクモ。これからよろしく。硬くならずに肩の力抜いて、仲良くしようね」
友好的に話しかけるアスカにさえ、無言の能面を貫く。この少年がどういった性質をもった人間なのか、さっぱりと伝わってこない。
「俺も二年で、バルトロメイ・ヨハン。あ~、フルネームは長すぎるから覚えなくていいぜ。戦禮名はメタトロン、誓鈴はライオンのアポロだ。あ、あとサッカー部員熱烈募集中だからよろしくな!」
溌剌としたヨハンにも、軽い会釈のみ。これはいよいよ言葉がしゃべれないのか、或いはそれほどまでに緊張のピークに達しているのか。竜也が困惑する中、フィッツが夕日を弾き返すほどのさわやかな笑顔で自己紹介する。
「はじめまして、僕はフィッツ・オブ・キャテリー・グローリアスだよ。戦禮名はさっきもらったばかりで、ガブリエルっていうんだ。誓鈴は兎のルナだよ。太腿にお星さまのマークがあるのがチャームポイントなんだ。ほらっ」
「ちょ、ちょっと!レディのお尻を見せびらかすってどうなのっ?」
怒るルナを宥めながら、フィッツはルナの丸い体を抱えて後ろを向かせる。初めてセシル少年は、少し驚いたような表情を浮かべた。
「同じクラスに仲間が増えるのってなんだか嬉しいな。これからよろしくね、セシルくん」
本当に嬉しそうなフィッツに、セシルは初めて口を開いた。
「……呼び捨てで結構です。あと年は貴方がたより下です」
抑揚はないが、変声期を迎えていない少年の声に、竜也は驚く。飛び級ということであろうか。とにかく、よっぽどの才能があってこの学校に向かえ入れられたのだろう。
「ほら、最後竜ちゃん」
「あ、ああ」
間を置いて竜也も自己紹介する。彼はフィッツや先輩たち(貴翔はのぞく)のように、気の利いた科白も思いつかなかったので、簡潔に本名と戦禮名、それと雷神の紹介をした。あまりにも素っ気無い紹介文だったため、メンバーの最後だったこともあり、少ししんとした間があった。竜也は仕方がないと、思い切って質問することにした。
「呼び方はセシル……で、いいんだよな?」
「はい、問題ありません。竜也さん」
「あ、いや。俺も呼び捨てで構わないんだが……。それより聞きたいことがある」
「目上の人間には敬称をつけるべきだと習いましたので、ご了承いただければと思います。答えられる質問であれば回答いたします」
表情と共に機械的な返事に、何となくやりにくさを感じてしまう。
「NSW社から来たって話だが、それってつまりどういうことなんだ?社員ってわけじゃないんだろ?」
セシルはなにやら学長とひそひそと話していたが、やがて竜也に向き直り、小さな口を開いた。
「先輩方にはすでに学長から通達があったとのことですので、この場を借りて竜也さんとフィッツさんにもお伝えいたします。しかし、これはあくまで一部の人間にしか伝えないようにと言われている機密事項です。どうか他言なさらないようにお願いいたします」
機密事項と聞いて、竜也も自然と背筋を正す。軍人の、しかもエリートを目指すのであれば、機密事項の一つや二つ、いや、複数保持することもありえるだろう。その出発点とも思えば、自然と話を聞くのに緊張を禁じえなかった。
セシルは制服のポケットからボールペンのような投影機器を出すと、学長室の白い壁に向けてスイッチを押す。その映像を見た瞬間、竜也とフィッツはあっと声を出して驚いた。
「これって……」
「昨日のニュースで見たアンジェクルスじゃないか?」
投影された映像はまさしく、紫紺色の禍々しい機体。一瞬にして艦隊を中央から打ち砕いたアンジェクルスであった。
「これが僕のアンジェクルス、戦禮名ルシフェルです。マスコミに映像を放送されてしまったのは致し方のないことだと思っています。機密事項は僕自身の方が重要ですから」
すると、セシルは事務的に次の映像を写す。
「DCプロジェクト?」
見なれない単語に、フィッツが首を傾げる。
「ナノマシン開発のことはご存知ですか?」
セシルの言葉に、二人ははっとする。当時人道に反する研究だということで、大変問題になったSW社の開発である。二〇年前の事件とはいえ、NSW社にてまだ続いているとの噂もあったため、その世代の人間でなくとも、ナノマシンの名は知っていた。二人の表情から読み取ったのか、セシルは頷く。
「人間自身のDNAを組み立て直すことによって、ナノマシンを搭載出来る新人類を作る。それがDCプロジェクトです。そのプロジェクトの最初の成功例が、この僕なのです」
先輩たちは改めてその事実を聞き、神妙な顔つきになり、一年の二人は、驚きで目を見開く。そんなことをさらりと言ってのけた少年は、映像を消し、一同に向きなおった。
「先ほど見せた機体はナノマシンを搭載された僕にしか操縦できません。何分色々なことが初めてでしたので、この間のテストでも少々問題が発生しまして……。そのため、あなた方と一緒に、この機体のテストと改良を重ね、それと兼ねて対人コミュニケーションを学ぶために活動出来ればと考えています」
「この間のテストって、ニュースの……」
「はい、国境進入した敵艦隊撃退任務です」
フィッツが懸念していた事柄を、特に悪びれる様子もなく、むしろ当然であるかのように言ってのけるセシルに、悪寒すら覚える。
「僕が怖いですか?」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
一瞬心を見透かしたようなセシルの態度に、竜也の心臓は鼓動を早めた。ナノマシンとは、人の心を読み取ることが出来るのだろうか。なんにしろ、可能性は未知数の研究である。恐怖に似たものも確かに感じたが、竜也の心に次に浮かんだ感情は、どこかわくわくとしたものであった。
「なるほど、他言無用っていうのは良くわかった」
「ご理解いただけて幸いです」
その直後、今まで黙って様子を見ていた学長が、二度手を打ち鳴らした。
「はいはい、堅苦しい挨拶はそこまで」
真剣だった一同の表情は拍子抜けしたように学長を見つめた。
「ようは、普通の友人として彼と接してくれればいい。セシル、君もうちの一学生になるんだから、早くみんなと馴染むように勤めないといけないよ?」
「……努力します」
「違うよ」
学長に否定され、セシルは戸惑った表情を浮かべる。
「皆に向かってよろしくお願いします。仲良くしてください……だ。言ってごらん?」
その言葉に竜也はそうかと理解した。この少年は、社会性を身につけておらず、幼稚園に入学したての幼児のようなものなのだ。つまり、人見知りしているだけであって、決して機械のような人種ではなく、自分たちとなんら変わらぬ人間であるのだ。人にあいさつされたらどう返答し、どのような表情を作るべきか、そういったことがただわからないだけなのだと……。そう思ったら、竜也は自然と彼の前に歩み出て、あいさつの手助けをするように握手を求めた。
「よろしくな、セシル」
「あ……、よ、よろしくお願いします。えと、な、仲良く、してください……?」
ぎこちなくだが、竜也の笑顔に似せた顔を作ろうと必死な様子が窺える。フィッツも遅れてセシルと握手し、おどおどとしていたが、どことなく少年は嬉しそうだった。
「ああ、そうそう」
学長が何か思い出したようにまた手を、今度は一つだけ打った。
「学生寮の部屋は機密保持のためにも竜也とフィッツの部屋と同室にしておいたから、二人は荷物の整理とか手伝ってあげなさい」
「え、そ、そんな結構です。僕一人で出来ますから」
遠慮するセシルに、フィッツは笑みを絶やさず答えた。
「いいって、いいって。こう見えても、竜ちゃんは片付けの天才だからね!」
「お前はたまには自分で片付けしろ!」
その竜也の叱咤に、フィッツはぺろりと舌を出しておどけてみせる。その様子を見たセシルは、初めて自然な微笑を浮かべた。
こうして新たな仲間を含めた一同は、廊下でそれぞれの寮へ解散しようとした直後であった。
「ちょーっとまった!」
アスカがそう叫んだ後ろには、貴翔が眼鏡を抑えながら人数分の食事券をぱっと広げて見せていた。
「今日の夕食は歓迎会を用意しています。こちらの券は学長からのプレゼントですので、ありがたく使わせていただきましょう。もちろん店には誓鈴同伴の予約はすでに入れておきました」
「おお、さすが学長!」
一人一枚ずつ三〇〇〇ラインコース食べ放題の券を見て、ヨハンは目を輝かせた。
「はいはい、会長。そのあとカラオケに流れるっていう案は?」
アスカが調子にのって提案すると、貴翔はむっとした顔をしたが、ダナンは快活に笑って見せて、その案を許可した。
「ああ、ただし、門限は守れよ」
「了解であります!」
アスカとヨハンが何かを結託したように一年生を見つめる。
「当然、一年は二次会強制参加だから」
「え!」
驚く一年に、ヨハンは得意げに言ってみせる。
「当たり前じゃねぇか。お前たち本日の主賓だぜ?」
セシルは「カラオケ?」と首を傾げ、フィッツはそんな彼にカラオケとは何たるかを教えていたが、竜也は異常なまでの拒絶反応を見せていた。
「無理。俺は行かない」
顔を青ざめさせながら言う竜也に、アスカが追い縋る。
「へ、なんでだい? カラオケは日本文化じゃないかい?」
「日本人が全員カラオケできると思ったら大間違いです。俺は行きたくありません」
「えぇえっ! そんなこと言わずに行こうよぉ~」
なおも竜也の腕を掴みながら縋る先輩に、竜也は辟易している様子だった。
結局のところ、たらふく食事を取ってから一同は、嫌がる竜也を引きずってカラオケ店に行ったのだが、その時に竜也がぼそりと「みんな後悔すればいい」と呪詛を述べたのに、果たして何人気づいたことだろうか……。
「ああ、竜也くんが嫌がる理由がわかったよ……」
アスカは耳を塞ぎながら、滝のような汗を流して苦笑する。
「くっそ、竜也が音痴なんだとばっかり俺思ってたぜ!」
悔しそうにがっかりとしながら、涙目でヨハンが言う。
「人間、得て不得手があるといいますが……」
呆然としながら貴翔は頭を抱える。
「いやあ、見事なものだな」
相変わらず平然とした笑顔を湛えつつも、ダナンですら少し顔色が悪い。ある意味感心している先輩たちに対して、耳の良さを自慢としているルナは、一番スピーカーの近くにいたこともあって、早々と気絶していた。他の誓鈴たちも、心なしか戦慄いている。
「フィッツ……」
曲が終わり、真っ青な顔をしながら竜也が静かに親友の肩に手を乗せる。
「お前はもう、歌うな……」
「ふぇ?」
「なるほど、これがカラオケ……」
セシルは今日、新たな文化を学んだことに感慨深く思ったが、同時に、これが人間の苦行というものなのだろうかと、頭を悩ませた。