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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
16/83

第三章「編入生」(3)

 Ⅲ

 薄らぼんやりとした視界の中、目の前にはたった一人で書類をまとめ、機材を調整している白衣の女性がいた。彼女に近づいて顔を確認しようにも、なぜか自分のいる位置から一歩も動けない。それどころか、声すらも出せはしない。

 彼女に触れたい、こちらに気づいて欲しい。そう強く願うと、女性はふとこちらを見て微笑んだようであった。口元の微かな動きを読み取る。

「フィッツ」

 自分を呼ぶ声にはっとして目覚める。

「お母……さん?」

「は? 寝ぼけてるなお前」

 そう言われて目を擦ると、竜也の呆れ顔が自分を覗き込んでいた。むくりと起き上がり、ぼうっとする頭で、さっきのは夢だと悟る。

 フィッツは不思議な夢だと思った。今まで母の顔は写真でしか見たことがなく、自分がまだ生まれて間もない頃に亡くなったと、単的な情報しか父から聞かされていない。それなのに、なぜ夢の中に出てきた母は白衣姿だったのだろうか。大体、あれは本当に母だったのだろうか。そもそもあんなにぼやけた視界で、女性だと断言できるだろうか。

「変なの……」

「ん?」

「ううん、何でもない」

 もはや現実に目覚めてしまえば、夢の映像など尚更曖昧になってしまう。けれど、どうしてあんなはっきりしない夢を、母だと思ったのか。その疑問だけが、執拗に頭の片隅へと残った。

「今日は選挙の開票日だろ? 早めに学校行くって言ってたから起したんだぞ?」

「あ、そうだったね。ごめんごめん」

「早く着替えて飯食いに行くぞ」

「は~い」

 朝の弱いフィッツは、しっかり冷水で顔を洗ってから登校支度を済ませ、二人で食堂へ向かった。

 いつも割と静かな朝食の時間だったが、この日は新たな生徒会二名が一年生から選ばれるとあって、心なしかざわついた様子だった。皆誰に票を入れたか、誰が当選するかで盛り上がっている。

 席に座り、二人でトーストを齧り始めた時だった。臨時ニュースとして、食堂の備え付けテレビにキャスターの顔が映る。そのニュースのタイトルを見て、皆一気にそちらへと関心が向いた。

『臨時ニュースです。先ほど、我が国のNSW社製の新型兵器が、宇宙国境線を侵害した敵艦隊を迎撃しました。月の天文台が偶然撮影した映像が届いています』

 画面がキャスターからVTRに写る。遠目だが、確かに紫紺色の禍々しい機体が、激しい閃光を放ち、艦隊の真ん中を薙ぎ払う様子が映し出された。

「これ、アンジェクルスだよね?」

「ああ、けど、天使というより、もっとこう……」

 悪魔や魔王の類ではないか。恐らくこの映像を見た誰もが抱いた感想であろう。圧倒的な力に成すすべもなく退散していく敵艦隊に、学生たちは騒然とした。

「すごいな……。これでかなりの抑止力になったんじゃないか?」

「うん、だといいけれど。でも蜂の巣を突いたって考え方も出来るんじゃないかな?」

 フィッツが不安げな表情で画面を見つめたまま、決して大手を振って喜べることではないと、戒める。

「宇宙国境線は、一応一〇年前の会戦で決定付けされて、今まで小競り合いはあったけど、ここまで大きな数を減らしたことはなかったから、敵がこれで慌てて何か暗躍し始めないか、僕はそれが心配だな。しかも、これは見ようによっては割と一方的だから、敵がどう湾曲した因縁を付けて来るか分からないよ」

 それに、とフィッツは続ける。

「NSW社が宣伝用のカメラを用意せず、偶然撮影された遠目の映像しか公開されないのはおかしい。これって、まだ大々的に全貌が分かっちゃいけない段階ってことじゃないのかな? 新兵器の試験的に敵艦隊を的として使ったのだとしたら、かなりまずいんじゃ……」

 竜也はフィッツの言葉に頷き、自分の深慮の浅さを反省する。

 確かに油断は禁物なのだ。一〇年前の会戦によってもたらされた抑止力は絶大であったが、それによってパンデミックの脅威から完全に逃れたわけではない。戦争は終着点も分からず、今もどこかでテロやスパイが潜んでいる。そんな状態が五〇〇年前からずっと続いているのである。

 天野龍一という英雄を失った現在。いざ会戦となった時、打開出来る決め手がない地球共同連邦は、泥沼の対決を余儀なくされるやもしれない。ならばそうならぬように膠着状態をすれすれでも保つのが、今のところ得策ではないのか。それとも、あの禍々しいアンジェクルスが、真の英雄と成り得るのだろうか。

「しかし、人型単機であの出力なんて、見た後でも信じられないな」

「うん、正直鳥肌が立ったよ」

 フィッツが感じたのは、強力な兵器への興奮ではなく、恐怖であった。こうして人間はより強力な兵器を作り合い、お互いに命を奪い合うのだ。ずっと太古の時代からそれは変わらぬ人間の業であろう。

 朝から不安を煽るようなニュースを見てしまった二人は、ぼうっとそのままテレビを眺めており、結局いつも通りの時刻に登校した。

 教官室前の掲示場には寄らず、真っ直ぐ教室へ向かうと、メルレインたちがにやにやとしながらこちらに向かってくる。

「よっ、お二人さん。開票結果見たか?」

「ううん、まだだよ?」

 フィッツが首を振ると、メルレインは自身の額を手で軽く叩いた。

「か~っ! さすが余裕だねぇ」

「結局誰だったんだ?」

 竜也が尋ねると、メルレインは隣にいたリューベックと顔を見合わせ、またにやにやとする。

「なんだお前ら、ちょっと気持ち悪いぞ?」

 竜也が怪訝な顔つきをするが、二人は相も変わらず、もったいぶっている。

「いやあ、だってねぇ、メルレイン?」

「なあ、リューベック?」

 まるでいたずらの仕掛けでも作ったかのような二人の態度に、とうとう竜也とフィッツも顔を見合わせた。

「竜ちゃんは誰が当選したと思う?」

「さあな」

 素っ気無いながらも、竜也の目線はちらりとフィッツを二度見したので、そこにいたメルレインとリューベックは「竜也の一票は言わずもがなだな」と、ひそひそと耳打ちしあった。そう言っている間に予鈴が鳴り響く。皆慌てて着席し、結局二人は結果を教えてもらえずじまいであった。

 ただ、フィッツの前の席にいる筈のライオネルが、今日はなぜか見当たらない。隣の竜也に尋ねても、知るわけもないことはとうに分かりきっていたので、フィッツは一体どうしたのだろうかと思うに留まった。


「う~ん」

 フィッツが首を傾げながら考え込んだのは、昼休みが終わり、午後の誓鈴との訓練授業中であった。

 体育館で各自誓鈴の障害物訓練、高所耐性訓練、嗅覚識別訓練などをしている中、フィッツはルナに指示も出さずにきょろきょろとしていた。

「何やってんだお前、見つかったら教官に怒られるぞ?」

 雷神と一通りの障害物競走を終わらせた竜也が、フィッツに声をかける。

「午後になってもライオネル来ないなあ、と思って……」

「あんな奴どうだっていいだろ」

 むっとした竜也は冷たく言い放った。

「そうは言っても、彼今まで欠席したことなかったから、変だなあって」

「教官も別に気にしてなかったから、欠席の連絡はちゃんと入れてあるんだろ? 普通に風邪でも引いたんじゃないか?」

「う~ん、そっか。それもそうだね」

 いまいち腑に落ちない様子であったが、フィッツはルナに声をかけ、嗅覚識別訓練用具の隣にパーテーションで区切られた、聴覚訓練に向かった。それを見て、竜也も自分たちの訓練へもどる。

「ルナ、いい? この音だよ。良く聞いて」

 体育館の端に用意された箱型の、無数ボタンが並列している装置を操作する。人間にはほぼ聞こえないキーンという音が、ルナの耳に届く。

「じゃあルナ、同じ音のするのはどれ?」

 すると、ルナは目の前に並べられた黒い小型スピーカーから流れ出した音を聞き、先ほどと同じ音のするスピーカーの前まで来た。

「さすがだね、聴覚は誰にも負けないよ!」

 フィッツが音をすべて切ってから、ルナを褒め称えると、彼女はすまし顔でフィッツの膝に前足を乗せた。

「はい、よく出来ました」

 乾燥りんごを一欠けらもらい、落ち着いてそれを食べる。

「ねぇ、ルナ」

 食事中のルナに、フィッツは話しかけた。

「昨日は彼、なんともなかったよね? 本当に風邪なのかな?」

 それに、とフィッツは付け足す。

「開票日の日に来ないなんて、らしくないよね。絶対人一倍気になってたはずだもの……」

 ルナはしばらく飼い主の瞳を、なにか言いたげにじっと見つめたが、はやくもう一度練習しようとばかりに、前足で機械を踏みつけ催促する。

「そうだね、僕が悩んだってしょうがないか」

 フィッツは「よしっ」と気持ちを切り替えると、再びルナと共に訓練に励んだ。


 放課後、早々に竜也は部活が入っているとのことで、彼から雷神を預かり、フィッツは一先ず寮へと戻った。

 自室でルナと雷神をゲージに入れ、水をやっていると、ドアに備え付けられたポストからカタンと蓋の開閉音がする。何かと思いポストの中身を確認すると、中にはメモの切れ端に殴り書きで「屋内プールに来い」と書いてあった。

 プールは今日水泳部の活動曜日ではないため、この時間は空いているはずである。

 このあからさまに怪しいメモの指示通りプールへ向かい、また厄介ごとに巻き込まれたら……。そうなれば間違いなくかの親友が激怒するであろうが、フィッツは躊躇うことなく部屋のドアノブに手をかけた

――ここで立ち向かわなきゃ。僕は強くなりたいって竜ちゃんに言ったじゃないか!

 そうとなれば、竜也に引き止められない今がむしろチャンスであろう。フィッツは足早に屋内プールへと向かった。


「ん?」

「おい、どうした?」

 校庭で野球の練習中、人数合わせのため(言わずもがな、ヨハンと部長との間には、すでに竜也を商品とした金銭取引が成されている)バッターボックスに立った竜也が、寮の方を向いて固まる。それに気づき、キャッチャーの先輩が声をかけた。

「あ、いえ。別に」

――気のせいか?

 竜也には見慣れた人影が早々と去っていくように思えたが、気を取り直してピッチャーを見つめる。カーンと勢い良く一発目で高々とヒットを繰り出し、二塁まで行った竜也は、再び影の向かったと思われる方角を確認してみる。

――屋内プール?

 竜也は何か胸騒ぎを感じずにはいられなかった。


 フィッツは脱衣室を素通りし、中に入ると辺りを見渡す。誰もいない屋内プールは、しんと静まり返っていて、少し不気味である。

「まだ来てないのかな?」

 あの手紙の主は、もう分かっている。同じクラスメイトだ。何度か筆跡を見たことがある。あれは間違えなく、ライオネル本人のものだった。しかし、今のところ彼らしき人影どころか、足音一つすらしない。フィッツは待ちぼうけを食らう形となり、なんとなしにプールの水面をのぞいた、その時である。

「この野郎っ!」

「うわっ!」

 いきなり水球用ボールを背後からぶつけられ、衝撃でフィッツは制服のままプールへ落下した。

「げほっ! げほ、げほっ!」

 まったくの無防備であったため、フィッツは思い切り鼻から水を取り入れてしまった。苦しげに咳き込む彼に、駄目押しとばかりに、水泳部の備品である多面体のダイブボールを、籠から掴み出してこれでもかと投げつけた。水に沈む仕様のボールは、当然重く硬い。まともにくらえば悶絶する痛みである。

「ちょっ! ちょっとまってよライオネル! まず話をっ」

「うるさいっ、お前の話なんか聞きたくない!この卑怯者!」

 なにやら一気に感情が爆発した様子のライオネルは、いつものように先輩は引き連れておらず、直接フィッツを叩きのめしたい一心であるようだ。気のせいか、目の下が少し赤く腫れぼったくなっているようだった。

「え、え? ライオネル、どういうこと?」

「とぼけるな! どうせお前の親父に頼んで、竜也を当選させたんだろう!」

 それを聞いたフィッツは目を見開く。

「普段から一緒にいるくせに、生徒会まで二人だなんて、いい気になるな! このホモ、オカマ、気持ち悪いんだ! いい加減にしろっ!」

 それに対してフィッツは口を開きかけたが、何を思ったか、黙って水に潜る。

「逃げるのかっ? この、出て来い!」

 ライオネルが思わず身を乗り出した瞬間であった。水面からずるっと伸びた白い腕が、彼の胸倉を掴み引きずり落とした。

「がっ! ごぼ、ごぼぼっ!」

 ライオネルは真っ逆さまに水中へボール共々沈む。元来泳ぎはさほど得意ではないようで、どうにかこうにか犬掻きで這い上がろうともがくが、パニック状態に陥りうまくいかない。そもそも興奮していた彼は、フィッツ以上に水を大量に飲み込んでしまっていた。そのため、息苦しさから段々と動きが鈍くなって来る。

 そんな彼の両脇を、再び白い腕が掴み、プールサイドまで導く。

「ぐ、げっほ、うえっ」

「大丈夫? ごめんね。まさかこんなに溺れちゃうとは思わなくて……」

 塩素に鼻をやられ、いまにも嘔吐しそうな相手の背をさすりながら、フィッツは謝罪した。

「なんだか頭に血が上って、ちゃんと会話できなさそうだったから、とりあえず冷却処置をとってみたんだけど……」

 それを聞いたライオネルは、きっと血走った目でフィッツを睨む。だが、ぼろぼろと涙を流したその目は、迫力には程遠いものだった。

「ばっ馬鹿野郎、お前なんて大嫌いだ!」

「うん、知ってる。とりあえず落ち着いて話をしようよ、ね?」

 プールサイドの上から、水に浸かったままのライオネルに手を差し伸べる。むすっとした顔のまま、相手はフィッツの手を握ったが、すぐに力を込めて、再びフィッツをプールに振り落とそうとする。

――このっ、分からず屋!

 フィッツはこの時、大変珍しくも怒りという感情を覚えた。過去に竜也と兄弟喧嘩の様な状態になったことはあったが、ここまで急転直下で感じる怒りは初めてであった。そのため、自身を引く手に絶対に放すまいと抱きつき、ライオネルもろとも水底へ落ちるという選択を下した。

 再び溺れるライオネルに、水中では聞こえるわけもないが、フィッツは叫んだ。

「いい加減にしてよっ!」

 ライオネルもなにやら叫んでいるようだったが、ごぼごぼという水音しかお互いの耳には届かない。フィッツはそれから一切口をつぐんで、ライオネルの重石になるように体にしがみ付いた。

 このままどちらかの息が限界になるまで続けるつもりであったが、ライオネルは早々と降参を告げるように、自身の首に回っている白い腕を二、三叩いた。

 フィッツは本当に降参したのか疑ったが、そもそも泳げないライオネルのことを考慮すると、ここらが潮時かと、ぱっと手を離した。

 今度は完全にダウンしたようで、ライオネルはべったりとプールサイドに腕を投げ出すと、ぜーぜーと真っ青な顔で、必死に酸素を体内へと送り届けていた。

 そんな彼を尻目に、落ち着き払ってプールサイドに腰を下ろすと、フィッツは怒った顔を作ってライオネルに告げる。

「ちょっとは落ち着いた?」

「……」

「冷静になったかな?」

「……ああ」

 ライオネルは心底悔しそうに返事をすると、そのままめそめそと本腰を入れて泣き出した。

「もお、本当にどうしたの? ほら、話してごらん?」

 今度は素直にフィッツの手により引き上げられた彼は、大人しく体育座りをして、肩を震わせた。まるで幼児に退行してしまったかのような相手の情けない様子に、フィッツは溜息を漏らす。

「ライオネル、泣いてちゃ分からないよ?」

 親が子供を宥めるように、フィッツは彼の背中を軽く叩く。思えば二人して制服のままずぶ濡れで、背中を丸めて並んで座っているのは、冷静に見るとなんとも滑稽な姿である。だが、フィッツは根気よく、相手が泣き止むのを待った。しばらくすると、やっとまともに口の利けるようになったライオネルが、ぽつりと漏らした。

「なんで、お前と竜也まで当選して、僕が落ちるんだ。父さんにどんな顔して会えばいい……」

 フィッツはそこではたと、自分たちがまだ開票結果を見ていなかったことに気づく。

――そうか、僕ら二人してテスト戦禮者に選ばれてたんだ。

 しかし、それを言うならライオネルは結果を見るどころか今日一度も教室に顔を見せていない。一体どこで情報を仕入れたのだろうか。フィッツが問いかけると、ライオネルは素直に白状し始めた。

「開票結果見るのが怖くて、風邪ってことにしてくれって同室の奴に頼んで欠席した。でも、やっぱり気になって、掲示板覗いたんだ」

「例の裏のやつ?」

「ちっ、違う。あれはもう生徒会にばれたから書いてない。表の方だ」

 表とはつまり、学生たちの正規な情報交換板の方である。

「父さんの期待に答えられなかった。父さんは僕がエースになることが悲願だって言っていたのに。よりによってアルバート学長の息子に負けたなんて知ったら……」

 その言葉を解釈すると、どうやらライオネルの父親と、自身の父が犬猿の仲であることは、どうしようもなく間違いようのない事実なようで、フィッツは深く溜息をついた。

「どうして君のお父さんは僕のお父さんが嫌いなの?」

 ここはもう腹を割って話そうと決めたフィッツは、遠慮なく尋ねる。

「例の天野提督謎の戦死説だよ。知らないのか?」

 俯いたままのライオネルの言葉に、父が疑われた査問会の事件を思い出す。フィッツは「もちろん知ってるよ」と答え、次の相手の言葉を待った。すると、静かな声音ではあったが、堰を切ったように彼は語った。

「確かにうちの父さんはアルバート学長が性格的にどうも合わないらしい。だけど、だからってなんの証拠も根拠もなしに査問会を開いたわけじゃない。大体父さんの一存で開けるものでもないからな。周りの政治家たちも何人か同調したからこそ査問会を行えたんだ。でも蓋を開けてみればどうだ。結局世論に圧倒されて、査問会は中途半端に閉会。父に同調した連中は手の平を返して世論に乗っかり知らん振りさ。まるで父さん一人が悪者みたいにマスコミに書かれてしまった。僕の家は当時大変だった。いたずらや嫌がらせのメール、電話なんて当たり前。壁には“恥知らず”“恩知らず”のラクガキが絶えなかった。そのせいで母さんは一度ノイローゼで倒れた」

 フィッツはライオネルの告白に驚愕しながらも、その証拠と根拠とやらが気になって仕方がなかった。一体父になんの非があったというのだろうか。

「初めの根拠は虚偽報告の疑いからだった」

 ライオネルが言うには、天野龍一の死因は流れ弾による戦死であると報告された。だが、軍内部での告発で、あれは流れ弾ではないという内通があったというのだ。

 これは何かあると踏んだライオネルの父、ホープマンは、仲間を集めて捜査し始めた。すると、どうも天野提督の一番近くにいた艦がアルバートの旗艦であったという情報が入ったのだ。

 その後のブラックボックスの回収が早急すぎる点も、ホープマンは怪しんだという。

 アルバートは戦友の死に打ちひしがれることも、動揺することもさほどなく、的確にブラックボックスの回収にまわった。その当時の艦隊司令官の命令もないうちにである。

「当時、父はいよいよアルバート提督が怪しいと踏んで、そのブラックボックスの行方を追った。そしたら、ありえないことに軍には保管されていなかったらしいんだ」

「え、結局どこにあったの?」

「未だに分かってない。何しろ、査問会で当の本人に問い詰めたら、見つからなかったの一点張りだったらしいからな」

 フィッツは思わず眉を顰めた。当時すべてが最新鋭と謳われた主力戦艦(セラフィム)から、原爆ですら壊れないと言われているブラックボックスが回収できないのは、確かに妙な話である。

「それに根本的におかしいんだ。主力戦艦がたった流れ弾一つに落とされると思うか? 内通によると、すごい勢いで大破したらしい。当たり所が悪かったっていえばそれまでなんだが、それにしたってそんなうまく当たるか? 大体、敵艦隊が退却した後だぞ? 一番接近していたアルバート提督が疑われても、仕方のない状況じゃないか?」

 畳み掛けるようなライオネルの訴えに、フィッツはしばし黙り込んだ。たしかに疑いたくなるホープマンたち議員の気持ちも分かる。だが、根拠があっても証拠がないのは確かだ。息子としては、父の身の潔白はこの際ちゃんと証明しておきたい。

「……父さんは、当時のアルバート提督は、なんて答弁したの?」

「基本、知らぬ存ぜぬか、だんまりの応答だったみたいだ。どうも軍上層部との密約があるんじゃないかっていう噂だったけど、真意は分からない」

 そこまで語ると、ライオネルは抱えていた膝にぎゅっと力を込め、またも涙ぐんで震えた声で嘆く。

「真実を追い求めた父さんの行動は正しいんだ。現に酷い嫌がらせも徐々に沈静化して、なんとか政治家として立て直した。それも父さんのがんばりがあったからこそだ。父さんは正しいことをしっかりやり通して、もう一度世間に認めてもらえたんだ。それでも未だに父さんのアルバート学長へのイメージは払拭しきれていない。だからこそ、僕はお前たちに勝ちたかったし、復讐してやりたかったんだ。僕と同じ目に、父さんと同じ目に会えばいい。正しいことをしているのに、負けるってことが……、周りの連中に裏切られることが、どれだけ名誉と尊厳を傷つけられるか、味わえばいいって、そう思ったんだ」

 悔しい、悔しいと、ごつごつとしたプールサイドの床を叩く拳を、フィッツは優しく制した。

「ごめんねライオネル。僕は君のことを分かろうと思っていて、ちっとも分かってなかったことが、今やっと分かったよ。話してくれてありがとう。君にとって辛い思い出だったろうに……」

 フィッツは、今までライオネルという人物は、竜也に劣等感を抱き、その彼と仲良くしている自分を、どうにか困らせてやろうと意地悪を仕掛けてくる、そのくらいのことだとばかり思っていた。ひょっとしたら、竜也と本当は仲良くなりたかったのかもしれない。けれど最初の出会いから嫌われてしまった彼にはそれができなかった。その上での悔し紛れの行為だったのではないかとすら思っていたが、まさか根底にこのような問題を抱えていたとは思わず、自分の深慮の浅さをただただ反省した。

 ライオネルの睫毛はすでにぼろぼろに抜け落ち、床を叩いた手は、瞼同様、真っ赤に腫れてしまっていた。

「ライオネル、僕は君に説教なんてするつもりは毛頭ない。だから、これは本当にただ単に聞きたくて聞くのだけど、僕達に復讐を始めて、何か良いことはあったかい?」

「……胸がすいたさ」

「本当かい? それは初めのうちじゃなくて?」

 ライオネルは、それまでずっと下を向いていた顔を、初めてフィッツに向けた。

「ああ、ああそうさ。だんだん苦しくなってきたさ。お前らはすごく楽しそうに過ごしているのに、僕はずっと悔しさと憎さでいっぱいだった。いつの間にかクラスで僕は浮き始めていたし、ネットで集まった連中だって、面白半分で付き合ってやっただけだとか言って、生徒会にばれたらすぐに逃げていった。お陰で僕は今や一人ぼっちだ」

「じゃあ、ひょっとして……」

「ああ、開票結果から僕が落選することは、ほとんど予想がついていた。お前たちは英雄の息子で人気者。僕は英雄を疑った悪い政治家の息子。思えば見え透いた結末だった」

 項垂れるライオネルに、顔を上げるようにと、フィッツは優しく微笑む。それは自分の過ちに気づき、苦しむ咎人を救う聖なるものの表情に酷似していたかもしれない。

「ねぇ、ライオネル。君は確かにテスト戦禮者には選ばれなかったかもしれない。けれど、僕らより成績優秀なのは紛れもない事実だよね? だったらなにも心配することはないよ。お父さんだってきっと褒めてくれる。それに、君は一人ぼっちなんかじゃないよ」

「……え?」

 フィッツはきょとんとするライオネルに、両手を差し出した。

「僕と友達になろうよ、ライオネル」

「は? な、なに言ってるんだっ? 意味がわからない。どうしてそうなるんだっ!」

「うーん、僕思うんだけど、父さんたちは父さんたち、僕たちは僕たちじゃない?」

 フィッツは一旦行き場のなくなった手を引っ込めて、人差し指を立てる。

「あのね、僕と竜ちゃんがよ~く知ってる人にね、親の罪を子に重ねて仇討ちなんて、馬鹿ばかしい。そんなのいつまでたっても復讐を復讐で返して、終わりが見えないじゃないかって言ってた人がいるんだけど、僕はまったくその通りだと思うんだ」

 軽い口調でそう言ってのけるフィッツに、ライオネルはまだ信じられないものを見る表情を変えない。そこでフィッツはにやりと意味深げな表情を浮かべた。

「それに、はっきり言って君が憎いのはどちらかというと僕より僕のお父さんでしょ?」

「うっ? まあ、そうだけど……」

「じゃあ、僕らに復讐したってしょうがないじゃない。悔しかったらとっととエリート軍人にでもなって、正面から直接本人に会って追求でもなんでもすればいい。違うかい?」

 ライオネルはどぎまぎしながら問う。

「お、お前は自分の父さんにそんなことされるのは嫌じゃないのか?」

「疑いは綺麗さっぱり晴らした方がいいしね。もちろん息子である僕は無条件に父を信じてあげる義務がある。だけど、真実が知りたい人間の邪魔をするつもりはないよ。身包みでも何でも剥がして調べ上げちゃってよ。まあ、何も出ないとは思うけどね」

 いたずらっぽく歯を見せるフィッツに、自然と今までずっととげとげと苦しかった胸の仕えが、ライオネルの中から消え去っていく様だった。同時に、虚しさのようなものもこみ上げて、何ともいえない心情になってしまった。もはやどう返していいものか思いあぐねている様子である。

そこでフィッツは、もう一度手を差し伸べるが、ライオネルは首を横に振った。ここまで言っても駄目かと、半ば諦めかけたフィッツであったが、ライオネルは慌てて理由を述べた。

「嫌じゃないだ。むしろ、なんていうか、本当にいいのかなって」

「気にしなくていいんだよ?」

「いいや、そういうわけには行かない。それに、やっぱりいきなり仲良くなんて器用なこと、僕には出来ない」

「う~ん、そっかあ……」

 じゃあ、とフィッツは手を打った。

「僕待ってるよ。ライオネルの気持ちが整理つくまで」

 その言葉を聞いて、今まで意地悪な笑みしか浮かべたことのなかったライオネルが、初めて嬉しそうにはにかんだ。

「ありがとな。それと、悪かった。もう意地悪いことはしない」

「まあ、あのスパルタ練習で、思いのほか白兵戦基礎の点が上がった気がするよ」

「わ、悪かったってば……。お前も結構意地悪いな」

「君ほどじゃないよ」

 二人はお互いのびしょ濡れの顔を見合わせて、ふっと吹き出した。一頻り声を出して笑い合った後、フィッツが濡れた制服が重かったのか「よいしょ」と掛け声を出して立ち上がる。

「さあて、ダイブボール拾わなきゃ」

 ライオネルが喚きながらフィッツにぶつけようと投げた多面体の重いボールは、未だにプールに複数沈んだままになっていた。

「これ、何に使う道具なんだ?」

「知らないで投げてたのっ? これは水泳初心者の人が、水の中に目を開けて入る練習で使うんだよ。見てて」

 そういうとフィッツは肺にたっぷり空気を送ると、プールへ思い切りダイブする。人魚のような華麗な入水に、思わず息を飲む。ライオネルが惚けて見ている間に、次々とボールは拾われて行き、残り半分というところで、手一杯になってフィッツがプールサイドに戻ってくる。

「ね、いい練習になるよ。ライオネルもやってみなよ?」

「い、いや僕は無理っ!」

「もう、じゃあせめてこれ使って手伝って」

 ひたひたとプールサイドに上がり、なにやら倉庫から取って来たかと思えば、ライオネルにずいっと長い柄の網を渡した。

「はい。これで拾って」

「……わ、わかった」

 女性のような容姿のせいで、なよなよしたイメージばかりが先行していたフィッツであったが、今日をもってライオネルの彼へのイメージは覆った。

――こいつはやっぱり将軍様の息子だ……。慣れたらいきなり命令口調か……。

 そんなことを思っていたら、つい口をついて出てしまう。

「オカマというか、姫将軍だったか……」

「何か言った?」

「い、いや、なんでもないっ!」

 フィッツにむっとした顔で睨まれ、ライオネルはせっせとボール拾いを手伝った。

 

「た、ただいまー……」

 フィッツはこっそりと自室に戻ったが、当然そこには部活をすでに終えて帰ってきている竜也がいた。彼はパソコンに向かって座っている。

「今日は部活で着衣水泳の練習でもしたのか?」

 こちらを向かずにそう尋ねる竜也の表情(当然のように無表情)を窺いながら、水浸しで室内に上がっては、火に油を注ぐと思い、玄関より中に入れずに棒立ちになる。

「え、えっとお、まあ、そんなところ……?」

「そうか、大変だったな」

 意外なまでにあっさりとした返事に、フィッツは思わず変な声が出そうになるのを、喉のすんでで止めた。

「どうした? 早く上がって制服洗濯機に放り込んどけ。もうそうなったら普通に洗って脱水かけるしかないだろ。ああ、あと、体冷えただろ。風呂にはゆっくり浸かれ。湯、張っておいた」

「え、う、あ……はい」

 怒られるどころか、至れり尽くせりの状態に、ある種の不気味さすら感じるが、ここはもう逃げるように脱衣所に入っていくしか選択肢はなかった。

 フィッツがこそこそと濡れた制服を苦労しながら脱いでいると、竜也から唐突に声が掛かる。いよいよ何か逆鱗に触れたかと、背筋を凍らせたフィッツであったが、耳に届いた言葉はたった一言だった。

「あのふざけた掲示板、消えたみたいだ」

「へ? え、そ、そっかあ。それは良かったねえ」

 そう生返事をし、とっとと浴槽へ逃げ込もうとしたが、瞬間竜也の端末がけたたましくバイブレーションを起す音が聞こえた。なんと、竜也の端末は、脱衣所にある空のゴミ箱をひっくり返した中に入っていた。受信されるたびに、ゴミ箱がゴゴゴと音を立てて独りでに動く妙な光景だ。

「え、えっと。竜ちゃん。これは何?」

 思わず尋ねてしまってからしまったと思ったが、特に竜也は変わった様子はなく、すんなりと返答する。

「ああ、今日部活途中で放り出してきたから、たぶんヨハン先輩か、野球部の部長からの文句だ。電源オフにすると拒否ってるのばれるから、気づかなかった体を装っているだけだ。後でいきなり腹下したとかなんとかいって誤魔化す。まあ、無駄な抵抗ってやつだ。ほっとけ」

 あまりにも無茶のある言い訳内容だったが、自分の着衣水泳ということにした言い訳も大概だったので、もはや何も言えない。大人しく湯船にたっぷり張った湯に浸かり、一先ず長い長い溜息をつく。そもそも浸かる用には作られていない湯船は、浅く狭かったが、それでもなんとも言えない心地良さに目を瞑る。

「タオルと着替え洗濯機の上置いとくぞ」

「ひえっ! は、はいっ!」

 油断しきっていたところを、いきなり脱衣室から声が投げ込まれたので、思わず声が裏返る。

「今日は良くがんばったな」

「う、うんって、ふえっ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げるフィッツに、竜也は笑いを噛み殺しながら、脱衣所を出て行った。しばらくフィッツはただでさえ丸い目をさらに丸くしていたが、すっと何かを悟ったように苦笑した。

「……竜ちゃん」

 ありがとうと続けた言葉は、湯煙と一緒に天井へと消えて行った。

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