第三章「編入生」(2)
Ⅱ
五月も終わりへと差し掛かった頃、士官候補生たちは緊張の一瞬を迎えようとしていた。
「竜ちゃん、見てみて!」
「……見たくない」
「大丈夫だから見てってば!」
教官室前の壁には、ずらりと学生たちの名前が連なった掲示画面が並んでいた。
それを確認することを拒否する竜也の顔を無理やり修正し、フィッツは中間テストの結果を報告した。
「ほらほら! 僕たちちゃんと総合点十位以内だよ!」
それを聞いて竜也は渋々と自身の順位を確認した。総合点ではアンジェ学科の一年生中、彼が五位、フィッツが二位であった。
細かく五教科目別に見ると、竜也は白兵戦基礎、アンジェシステムの二科目ではダントツの一位であったが、フィッツがテスト前に危惧した通り、戦術シミュレーションの科目は、尻の方から数えた方が早そうであった。その他の歴史と索敵基本技能は平々凡々とした成績で、なんとも波の激しい成績結果となっていた。対してフィッツは、戦術シミュレーションの結果はトップで、その他の教科はすべて平均以上の優秀な成績を収めていた。しいて言うならば、竜也とは逆に、白兵戦基礎とアンジェシステムの成績が、やや中央よりではあるが、それでもまずまずの結果である。
「ん?」
竜也は総合成績の表を見る中で、意外な人物が一位になっていることに気がつく。
「なんであいつが一位なんだ……」
「ああ、白兵戦基礎とアンジェシステムは僕より彼の方が上の成績だったからね。総合すると彼が上になるんだよ」
そうフィッツが説明していると、竜也曰く〝疑惑の一位〟が、二人の後ろから現れた。
「残念だったなあ、フィッツ。お前の負けだ」
ライオネルが自慢げに鼻っ柱を高々と掲げる。
「ふふ、本当だね。負けちゃったよ。ライオネル一位おめでとう」
フィッツは愛想良く微笑で返した。その反応に少し面白く無さそうなライオネルであったが、総合点の一位と二位の差が僅差でも、ライオネルにとって二人の上に立つことは大勝利を収めたのと同等であった。
「竜也、お前の生徒会入りは絶望的だな。格闘馬鹿のくせに新型アンジェクルスに乗れないなんて気の毒な奴だ。テスト戦禮者になれば好き放題乗り回せたのになあ?」
「何言ってるんだお前。入学式のアスカ先輩の話ちゃんと聞いてたか? 成績上位者は結局SW社でシャッフルされて、そこから残ったメンバーを最終的には学内選挙で決めるんだろ?」
竜也の言うとおり、本当のところこの成績表だけでは生徒会入りは予想出来ないのである。流石に二十位以下の成績となると厳しいものがあるが、竜也の五位という成績ならば、問題なく候補としてSW社にデータを送信されることだろう。
「三位以内に入ってない奴が、たった二席しかないテスト戦禮者の席に座れると思ってるのか? 大体僕の人望を持ってして選挙に勝てないなんてありえない」
その自信満々の科白に、竜也は呆れ果てて肩を竦める。
「めでたい奴だ。そこまで自分を過信評価出来るのは、ある意味幸せだな」
竜也とライオネルの視線は交差し、ばちばちと火花を散らしている。その間をフィッツは「まあまあ」と仲裁し、その場をなんとか収めた。
何はともあれ、すでにこの成績表と候補者データはSW社に送られている。後は学内選挙と開票の結果を、黙って待つしかないのだ。
「よお、お前ら。テストどうだったよ?」
放課後、森林緑園で雷神とルナを放し、雑談していると、二人の間にヨハンが割り込んできた。
「まあまあですよ。先輩は?」
フィッツが聞くと、ヨハンは急にぎくりとした顔をして、顔を背けた。
「いや、まあ、俺の成績はいいとして……。そ、そりゃそうと、今日はお前らに部活の勧誘をしに来たわけなんだわ。うん」
言うやいなや、ヨハンは手作りのチラシを二人に手渡す。
「サッカーですか」
「そ、俺が入ってる部活だ。お前ら二人ともまだ部活決めてないんだろ?」
この巨大な学園には、それに似合うだけ様々な部活がある。が、アンジェ学科の学生は、これと言ってまだ決めかねている学生も多く、テスト勉強も相まって、まだまだ入部をしていない学生も多数いた。二人もその例外ではなかったのだ。
先輩たちの部活の勧誘は、テスト前期間中自粛することと、生徒会から制限が掛かっていたので、本格的な勧誘活動はこの時期に行うのが慣わしであった。
「僕、走りながら何かするのはちょっと……」
「なんだ、フィッツ苦手なのか? なら竜也、お前どうだ?」
「サッカーより野球派なんで」
「んだよお、つれねぇなあ。俺には貸しがあんだろお前ら?」
ヨハンの言葉にフィッツはさっと青ざめる。身体検査での出来事が脳内再生され、パンツの悪夢が蘇る。
「ご、ごめんなさい。他の形でなら返しますから」
そう言って縮こまるフィッツを見かねて、竜也は溜息をつく。
「しょうがないっすね。俺、助っ人でならいつでも入りますよ」
「ちぇっ、正式部員はあくまで拒否かよ。まあしょうがねぇな。それで大目に見てやるよ。お前のアドレス教えやがれ」
ヨハンと端末同士を接触させ、アドレスを交換し合っていると、わらわらと「天野見つけた!」と、部活の勧誘合戦に乗り出した先輩たちがこちらへ複数人近づいてきた。いずれもスポーツ系の部活動なのだろう。筋骨隆々とした先輩たちが目の前にくると、なんともむさ苦しい雰囲気が漂った。皆、竜也の成績の偏りを知り、これはきっといわゆる『脳筋』に違いないと踏み集まってきたのだ。なんとも失敬な話であるが、否定しきれないのが竜也の悲しいところであった。
「天野竜也、貴様俺のところでバスケしないか?」
「いやいや、それよりやっぱ剣道だろ。得意中の得意だって聞いたぞ!」
「いーや、陸上こそスポーツの基本だ!」
「まて、さっき野球って聞こえてきたぞ。天野野球好きなのか?だったら是非野球部に!」
「空耳だろ。それより雨が降っても屋内プールで出来る水泳部に!」
「それならテニスだって練習は屋内で出来るぞ!」
その他にも色々と勧誘の声が聞こえてきたが、竜也は段々話を聞くのが面倒臭くなり、その場から立ち去ろうとする。鼻から剣道、空手、柔道の練習は欠かしていない生活を送る竜也は、体育会系の部にわざわざ属することはないと考えていたからだ。しかし、そこでなぜか高々と笑い声を上げた人物がいた。
「まぁ、待てよお前ら。そんなにもみくちゃにしたら選べるもんも選べねぇだろ。そこでだ、俺から一つ提案がある」
ヨハンは笑い声とその科白で一同を惹きつけた。竜也はなんだか異様な気配を感じ取り、思わず足を止める。
「こいつは、サッカー部専用の助っ人になった。たった今契約を結んだばかりだ。そこで、なんとなんと、今なら俺様に一回千ライン払えば、天野竜也を特別に貸し出してやる!」
「……はっ?」
竜也はあまりの出来事にぽかんと口を開いた。
ラインとは地球共同連邦の共通通貨であるが、さすがにこのなんとも身勝手な売り文句に、いきなり商品にされてしまった竜也は怒気を含んだ声を発する。
「なっ、何言ってるんだ! ふざけるなっ!」
「素直に正式入部しねぇからだぜ? 大体いつでも助っ人に入れるんだろ? サッカー部限定じゃなくても行けるだろうよ? 口は災いの元だな〝竜ちゃん〟?」
にやにやとしながら、早速現金を受け取り、予約スケジュールを埋めていくヨハンに、呆れてものが言えない。なんと金にがめつい先輩であろうか。
「あんた、それでも生徒会役員かっ!」
「何とでも言え。俺の正義は金なんだよ。大体貸しって話だったろ? なら体張って返せよ」
「なっ、悪徳の借金取りか何かかあんたは……っ!」
「良いんだぜえ? お前のアドレスこいつらにばら撒いても?」
「ぬっ、ぐ……っ!」
そんなことをされては、この様子を見る限り、一気に勧誘が激化し、混乱を招くのは明白だ。そう思うと、ヨハンが統制してくれた方が幾分ましではあるのだが、それにしたって、あまりにも道徳、常識共に外れた行為ではないのだろうか。竜也は悔しさを押し殺すしかなかった。
「りゅ、竜ちゃん。僕この中でどれか出来そうな部活に正式に入るよ。そしたら竜ちゃんの負担がちょっとは減るでしょ?」
「ああ、もう。好きにしろ……」
投げやりにそう言うと、竜也はがっくりと肩を落とした。こうして竜也とフィッツは、生徒会役員選挙の開票日まで、せっせと部活で汗を流す事となるのだった。
竜也達が部活の勧誘に会っている同時刻。学長室に来客があった。
「久しぶりだな。アルバート」
赤い口紅に、エナメルのハイヒールが攻撃的な印象をもたらすが、弓なりになった瞳の下には泣き黒子があり、それが表情を多少柔らかくしていた。
年齢はアルバートとさほど変わらぬか、少し下くらいといった様子だが、シックなカラーのタイトスカートが、彼女を実年齢より若々しく演出していた。さながらキャリアウーマンといった風貌の彼女だったが、学長が席を勧めた途端「煙草はいいか?」と訪ねてきた。学長は特に嫌がる様子なく「どうぞ」とライターを差し出した。学長の点した火に、悪びれもせず自分の煙草を燻らせ、すっと一服つく。
「本当に久しぶりだねヴァレンチナ。今は権威あるNSW社の博士殿なんだろう?君とこうして会うのはもう何年ぶりだろうか」
アルバートがにっこりと微笑むと。ヴァレンチナと呼ばれたその女性は、ふっと煙を吐き出す。
「イザヤの葬式以来だ。相変わらず人懐っこい顔するのが得意なんだなお前は。あの頃とちっとも変わっちゃいない」
「すまないね。元の作りがこうなんだ」
「はっ、イザヤもお前のその胡散臭い顔に惚れたんだろうな。ペテン師め」
「どうぞなんとでも。ただ、そうやって私に悪態をつくためにここに来たんじゃないんだろ?」
お互いに肩で笑うと、ヴァレンチナ博士は、足を組み替え、持っていた鞄からボールペンのようなスティック状の映像投影機を取り出す。それを机の上に置いて起動させると、真ん中から彼女の研究成果、DCプロジェクトの詳細が、光の板となって現れた。
「あの当時、SW社の主力研究員は、私たちのことを異端だと言って追い出した。イザヤは出て行く私たちを引きとめようとしたが、私はそれを振り切った。そして結果がこれだ」
投影機は一人の少年の姿を映し出す。まだあどけない、華奢な少年は、どこかうつろな目をしている。
「人間のナノマシン搭載に成功したのか……」
「そうだ。拒絶反応も今のところゼロ。戦闘実験は数日後宇宙で行ってくる予定だ。丁度一年に一機テストで作っている新型アンジェクルスもNSW本社から出来上がったと報告があったからな。それに乗せてみようと思う。本社もいよいよ実験が成功したものだから、本腰を入れ始めてな。なかなかシビヤな設計のアンジェシステムを採用して来た。まったく、期待が大きすぎて嬉しさで涙が出てくる」
ヴァレンチナ博士は深々と眉間に皺を寄せ、明らかな嫌悪感を表した。
初めこそ意気込んでSW社から独立したのに、蓋をあければ失敗ばかり続く研究部署は孤立し、肝心のNSW本社は親会社同様、アンジェクルスや一般兵器を作る方針を固めて行った。研究費用の方はおざなりになり、その中で苦汁を飲むようにして研究を続けてきた彼女にとって、今までの仕打ちから手の平を返したような本社の喜びように、会社という組織媒体に嫌気が差していたのだ。
「それで、その涙の結晶を私にどうしろというんだい? 良くがんばったねと、君の頭を撫でてあげればいいのかな?」
「馬鹿を言うな。私はイザヤのようにはいかんぞ?」
そういいながら、彼女は手首に嵌めたビーズのアクセサリーを、ころころと指で転がした。
「君は相変わらず彼女に対して拘るのだね」
「お前と一緒になんぞなったから彼女は志半ばで先立ったのだ。私たちと一緒に来ていれば、もっと違う結果があったはずだ」
アルバートの妻、イザヤは、SW社の優秀な研究員であった。彼女もかつてヴァレンチナと一緒に、ナノマシンの開発部に所属していた。彼女たちは親友同士であったが、ヴァレンチナ率いる研究チームが、人道を無視したナノマシンの投与実験を開始したことから、彼女たちの間には亀裂が入った。
優秀なイザヤを、どうしてもヴァレンチナは新設する会社に引き入れたかったのだが、人体実験を拒むイザヤをとうとう説得し切れなかったのだ。
それから程なくして、イザヤは幼い我が子、フィッツを残し、研究中の不慮の事故により他界した。
ヴァレンチナは当時アルバートに事故の詳細を求めたが、軍事機密に関わる重要な研究内容だったため、彼は口を決して割らなかった。
「……彼女を守れなかったことに関しては、もはや何も弁明の余地はないよ」
「当たり前だ……っと、話がずれたな。本題に戻ろう」
ヴァレンチナは煙草の火をガラス製の灰皿で揉み消すと、映像投影機をタップする。すると、少年の画像から詳しいプロフィール画面に移り、表示された。
「一応入試と同じ問題をやらせてみた。あと、この学校で行われている中間テストと同じ内容の物もだ。どうだ、オールクリアだ。素晴らしいだろ?」
「息子自慢かい?」
「とぼけるな。ここまで見せて私が言いたいことが分からないわけではあるまい?」
アルバートは苦笑いすると、やれやれと椅子の背へもたれる。
「君はなんだかんだ私を信用してくれていて嬉しいよ」
「勘違いするな。お前くらいしか話が通せないと思ったまでだ」
「まあ、だろうねぇ」
そういうと、彼は立ち上がりワークデスクの引き出しを開け、さらさらと何やら書き出した。
「はい、特別編入許可書だよ。サインとこれに書いてある必要書類持って来たら、学生証を発行してそちらに送らせるよ。赴任早々特例出させるなんて、君は本当に無茶な人だ」
「えらくあっさりとしているな?」
疑い振りげなヴァレンチナに、アルバートは悲哀を込めた表情で返した。
「君は妻の親友だった。少なくともイザヤは死ぬまでそう思っていた。だから私もそれに倣い、出来ることはしてあげるつもりだ」
アルバートは一呼吸置くと、こう続けた。
「彼女はね、君を止めてあげられなかったことをずっと悔やんでいた。知っていたんだよ、君自身がナノマシンを投与実験した事実をね」
「ふっ、あのおしゃべりめ」
そう言いながら、ヴァレンチナはまた手首のビーズに触れる。
「それ、懐かしいね。妻も同じようなのを肌身離さず持っていたよ」
それを聞き、ヴァレンチナの手が止まり、ほんの少し、柔らかい表情を浮かべた。
「……アルバート」
「うん、なんだい?」
「今度一緒にイザヤの墓参りに付き合ってくれないか? 色々と彼女に報告したいことがある」
「もちろん、良いとも。きっと妻も喜ぶ」
にっこりと微笑むと、ヴァレンチナもぎこちなくだが笑ってみせた。アルバートからもらった書類を鞄にしまい、席を立つ。退出寸前に、彼女は扉の前でふと手を止めた。
「アルバート、私は確かにナノマシンの安全を立証するために、自らの腹に投与した。その腹で純粋な新人類を生み出そうとしてな。結果、ナノマシンは私の女としての機能を根こそぎ奪っていった。だがその代わり、脳に上った極少量のナノマシンが、私に計算式というヒントとひらめきをくれた。そうして出来たのが、さっき見せた成功体だ。彼は私の大切な子だ。文字通り、腹を痛め、死ぬ思いをして生み出したな。私はそのことに誇りを持っているし、後悔もしていないつもりだ」
振り向いた彼女の顔はまるで、戦地を掻い潜って来た兵士のようであった。
「それについては否定も肯定もするつもりはないよ。それが君にとっての正義なのだろうからね」
ヴァレンチナはしばらくアルバートの心を探るような瞳で見つめるが、すぐにドアノブへと手を伸ばした。
「……イザヤがお前を選んだ理由が、少し分かった気がする。――では、邪魔をしたな」
「ああ、またね」
扉が閉まるまで学長は来客を見送り、一つ伸びをしてから、机の一番細い引き出しを開ける。そこには、古い写真立てがしまい込んであった。それを手にとって眺めながら、ぽつりと呟いた。
「いけないね。君の名を久々に聞いたものだから、つい感傷的になってしまうよ」
そこには若かりし日の自分と、妻イザヤの幸せそうな微笑が写っていた。さらさらとシルクのようなブロンドの髪に、丸く愛らしいエメラルドの瞳で、その後自分に降りかかる不幸など、知りもせずに。