第二章「アンジェ学科戦禮コース」(6)
Ⅵ
「フィッツ!」
戦術シミュレーターの教室に飛び込み、呼んでみるが返事がない。見渡すと、テスト勉強をしていた学生たちが一斉に竜也を凝視していた。
「どうした、竜也?」
同じクラスメイトである、中東系の顔立ちをしたメルレインが竜也の元に寄って来た。その後ろから、やはり同じクラスのリューベックが、ひょっこりと団子鼻を突き出す。どうやら二人組みでシミュレーションの最中だったようだ。
「リューベック、メルレイン。お前らフィッツの奴見かけなかったか?」
その質問にリューベックは団子鼻をぐしぐしと掻く。彼は常に鼻炎気味らしかった。
「ん~、こっちには来なかったなあ」
「廊下では見かけたぞ」
メルレインが無骨な親指で教室の外を指しながら答える。
「誰かと一緒じゃなかったか? どっちに行ったか分かるか?」
「待て待て、どうしてそんなに慌ててるんだ?」
「ちょっと面倒なことになってるんだ。訳は今度話すから、とにかく知ってることを教えてくれ!」
普段の何事にも動じない、侍のようなの竜也を見ている二人は、これはただ事ではないと悟った。
「とりあえず落ち着け。そうだな、うん、確かに誰かと一緒だったぞ。確か人数は四、五人くらいだったか」
「誰か分かるか?」
メルレインがいくつか特徴を挙げようとすると、リューベックが「あっ」と手を叩いた。
「そういえばあいつも一緒だったぞ」
「あいつ?」
「ライオネルだよ。あとはみんな先輩じゃなかったかな」
「……ライオネルが?」
メルレインも確かに思い当たったようで「ああ、そう言えばいたな」と呟いた。恐らく先輩たちの長身に、フィッツと同等くらいの身長のライオネルは目立たなかったのだろう。
竜也はその名前を聞いて、なにやら思い当たった様子だった。
――あいつ、上級生には意外と人望あったのか? いや、追求は後だ、今はとにかくフィッツを探さないと……!
「行き先は?」
「なんか練習しようぜとか言ってた。なぁ、そうだったよな、メルレイン?」
「ああ、演習服をみんな持っていたから、体育館か校庭じゃないか?」
体育館は先ほどまで裏手で揉めていたのだ、来ていたら気づいてもおかしくはない。ならばと、竜也は窓から身を乗り出し、だだっ広い校庭を舐めるように見渡した。
「……いたっ!」
フィッツの黄金色に輝く三つ編みは目立つ。その彼を囲んで、確かにライオネルと四人の先輩らしき人物たちが立っていた。皆、演習服を着込み、フィッツになにやら話しかけている様子だった。
――バカッ!何であんな奴らにくっついて行ったんだ! 鈍いにもほどがあるだろっ!
竜也は内心で舌打ちし、二人に礼を述べると、廊下を全速力で疾走する。
「あ~、行っちゃったねぇ。それにしてもやっぱり彼は足が速いなあ。まるで雲に乗ったおサルさんみたいだ」
「お前、孫悟空は中国人だろ。……あれ? 日本人だったか? って、アホ! 暢気に言ってる場合か。ありゃ絶対ヤバイ感じだろ!」
メルレインがリューベックをごつごつとした拳で小突きながら叱責する。
「ええっ? じゃあ、どうしろっていうのさ?」
「報告するに決まってる。学生の相談窓口は、クレールス様より先に、まずは会長様ってな!」
クレールス・ユリウスへの相談は、あくまでメンタル面が主であり、実質的な学生同士の問題は、基本的に主席である会長へ相談するのが通例となっている。教官は挟まず、学生内のトラブルは学生内で、というのがセオリーであった。
「ああ、なるほど」
のんびり屋のリューベックを尻目に、メルレインは携帯端末を操作し、生徒会室へ直に連絡をとった。
「はあ、はあ……」
フィッツは擦り傷を増やしながら、必死に匍匐前進の練習をしていた。これだけ見ればただの練習であるが、それを先輩たちとライオネルが囲んで見ているという、なんとも異様な光景であった。
「どうしたフィッツ、もう息切れか?」
にやにやとしながらライオネルが見下ろす。他の連中もこそこそと耳打ちし合い、フィッツに向かって冷笑を送っていた。
「ううん、大丈夫。まだがんばれるよ」
「はっ、じゃあ次はこれな」
健気に彼らに言われたのであろう練習課題をこなすフィッツに、ライオネルは投げつけるように練習用ライフルを渡した。
「お前射撃得意だろ? ここから走って土嚢まで行って、三個的を撃ってみろよ。そしたら今日の練習は終わりにしてやる」
フィッツは真剣に「わかった」と頷くが、ライオネルはそれに対し「ただし」と付け加える。
「一個でも外したら校庭二十周……いや、五十周は出来るだろ。ちゃんと連続で的のど真ん中撃ち抜かないと、いつまで経っても竜也との楽しい放課後練習はおあずけだぞ」
その科白に周りの先輩たちはそろって大笑いする。
「まさか学長のご子息が、こんなお綺麗なご令嬢だとは思わなかったぜ」
「スカートを穿いて、殿方のお相手をなさっていたらいかがですか?」
「優秀な彼氏に助けてもらった方がいいんじゃねぇか?」
「いつもみたいに〝竜ちゃ~ん〟って呼んでみろよ」
悪意を全面に貼り付けたような先輩たちの嘲笑は、しかしフィッツの心を挫くには不十分だった。
「大丈夫、ちゃんと出来るよ」
フィッツは太陽の様な眩しい笑顔で答える。先輩達の言う〝お綺麗な顔〟は、再三やらされた匍匐前進のせいで泥だらけだ。それでも、その輝く美しさは、まるで至宝の原石の様に気高く凛として、一切何者にも汚されることのない強さを放っていた。
「よし、言ったな。じゃあ早速やってみろよ」
あまりの動じなさに、ライオネルが面白く無さそうに言い放った。
「うん、見ててね」
そう言いながら、フィッツはライフルを小脇に抱え、一気に走り出すかに思えたが、いきなり前のめりに頭から転んでしまった。
「あははっ、相変わらずお前はよく転ぶなあ。おつむが勉強のし過ぎで重いんじゃないか?」
ライオネルが心底愉快そうに笑う。
「軍人には向いてねぇよなあ?」
そう言いながら、出していた足を、先輩の一人がさっと引っ込めるのを、フィッツは見ていたが、あえて何も言わずに立ち上がり、目標に向かって走る。
「なぁ先輩、次はあれ押してやろう」
ライオネルが先輩達に耳打ちすると、一人が手の平サイズのリモコンを取り出し、四角い黄色のボタンを押した。
「うわっ!」
その瞬間、走っていたフィッツの目の前にハードルがいきなりせり上がって来た。当然足を掬われ、再びフィッツは地面に平伏す形となった。膝から落ちたようで、右足からじわりと血が滲む。
校庭器具は地中にすべて設置してあり、リモコンはそれを出すための操作器具だった。先輩の一人は陸上部のため、容易にそれを体育準備室から持ち出すことが出来たのだ。
「くっ……」
痛みを堪えて再び立ち上がると、よろよろと前進する。フィッツはまったく諦めていなかった。
「けっ、顔に似合わず根性座ってるじゃないか。先輩、今度は的を可動させてくれよ。もちろん最高速で」
ライオネルの指示通り、陸上部の先輩はリモコンを操作し、土嚢前に到着したフィッツを戸惑わせた。
「ははは、撃てるもんなら撃ってみろ!」
縦横無尽に動く白黒の的は、これまでフィッツが体験したことのない速さであった。だが、それでもきつく口を結び、的を狙う。銃声が三回響き、的の動きが止まった。
「あ~あ、惜しかったなあ。一個外れだ」
ライオネルは、中心部を外れた的を指さし、フィッツの背後に近づく。
「ほら、約束通り走れよ」
フィッツは彼の言うとおり、ライフルをその場に置き、痛む足に鞭打って走り出した。
「フィッツ!」
その時、校舎側から竜也が現れた。怒りに揺らめく眼光を湛えながら、こちらに走ってくる。
「何やってるんだお前!」
「あ、竜ちゃん」
少し疲れた表情で、それでもあくまでにっこりと微笑むフィッツは気丈であった。
「おっと、竜也じゃないか」
「ライオネル……お前っ!」
今にも殴りかかりそうな竜也の目の前に、ライオネルをかばうようにして先輩たちが並んだ。竜也も負けじとフィッツの前に進み出て、先輩たちに立ちはだかる。
「これはこれは、英傑と名高い天野提督のご子息ではありませんか」
「はは、ナイトがお姫様を助けに来たみたいだぞ」
「さすが犬屋の息子だ。忠犬を絵に描いたみたいな登場だな」
竜也は先輩たちの馬鹿にする言葉を奥歯で噛み締める。
「俺はあんた達に用はない。ライオネル、お前と話がある」
「ふんっ、僕はお前と話なんかしたくない」
ライオネルはそっぽを向いて、ぼそぼそと独り言を垂れ流す。
「まったく、来るとは思ってたけどこうも早いとはな。あの役立たず」
「ライオネル、お前やっぱり!」
竜也の疑いは確証に変わった。あの掲示板で仲間を集い、いじめを計画、実行している首謀者は、やはりこのクラスメイトに間違えない。
「おやおや、何を勘違いしているんだい?」
先輩の一人が、噛みつかんばかりに威嚇する竜也に、したり顔で近づいて来た。
「俺たちはフィッツくんとテストのために練習していたんだ。つまり、彼のお手伝いをしていたんだよ。それになにか問題があるかい?」
「ふざけるなっ! 誰が見てもそうは思わない!」
一触即発の現場に、突如として朗々とした声が響いた。
「貴様らっ、何の騒ぎだ!」
西日に照らされ、青々とした黒髪が、さらさらと風に舞う。頼もしいきりりとした顔立ちで、なんの躊躇いもせず、両者の間に仁王立ちしたのは、我らが生徒会長、ダナンであった。その後ろで、眼鏡を抑えつつ、冷めた表情でその補佐役である貴翔が、溜息混じりに問う。
「貴方がたはここでいったい何を揉めているのですか? 中間試験まで残すところ後三日だというのに、随分と余裕でいらっしゃるようですが? 喧嘩なれば両成敗。双方とも減点対象ですよ? 何か申し開きがあるのなら聞いて差し上げましょう」
皮肉たっぷりのその言葉は、貴翔の怒りを如実に表している。
流石にまずい状況になったと思ったのか、ライオネルは精一杯人の良い笑顔を繕って、ダナンと貴翔に向かって言い訳をした。
「いえ、あのですね。僕達はフィッツくんが暇そうにしていたので、是非練習に付き合ってあげようと思いまして。わざわざ知り合いの先輩方に手伝ってもらっていたところなのですよ」
実にわざとらしい取って付けた様な理由に、聞いていた竜也は反論した。
「練習に付き合ってたって言うなら、なんでフィッツだけ傷だらけで、お前たちは土汚れの一つもついていないんだっ!」
「それはそいつがただ単に鈍臭いだけだろ?」
「違うっ! 明らかな集団的な嫌がらせだっ! お前たちは……っ?」
白熱する竜也の腕を、後ろからフィッツが遠慮がちに引っ張る。
「竜ちゃん、もういいよ。僕は大丈夫だから」
「……フィッツ?」
その瞬間、ライオネルは勝ち誇ったように会長たちに言ってのけた。
「ほら見てください。本人が大丈夫だというのですから、まったく問題ないでしょう?」
ダナンはフィッツに向き直り、優しい声で話しかける。
「本当に、大丈夫なんだな?」
「はい、問題はありません。なので、喧嘩ではありませんし、嫌がらせも受けていません」
納得のいかない竜也は「おい、フィッツっ!」と叫んだが、頑として本人は首を横に振る。これ以上、事を荒立てるなということであろうか。とにかく、竜也は黙るしか術はなかった。
「お分かりになりましたか?竜也は僕たちに言いがかりをつけてきたんです」
調子に乗ったライオネルは、喜々とした顔で宣った。だが、さすがに見かねたダナンは、目を瞑りながら一息つくと、かっとその目を見開き、ライオネル一同を睨みつけた。
「今回の件はフィッツの発言に免じて不問とする。だが、これ以上物事を掻き乱す気なら、こちらにも考えがあることを覚えておけ。練習だろうと何だろうと、今日は解散することを命じる。以上だ!」
覇気のある発声に圧倒され、あわよくばこの場で竜也だけでも減点対象にしようとしたライオネルたちは、舌打ちしながら諦め去って行った。その後姿に、フィッツはほっと胸を撫で下ろしたが、竜也は不信顔で親友である彼を見つめた。
「ごめんね竜ちゃん。ありがとう」
「フィッツ……お前なあ」
二人の間に微妙な空気が流れそうになるのを、貴翔の咳払いが追いやった。
「お二人には生徒会室に来てもらいます。今回の件、どういった事情なのか整理しておかねばなりませんからね」
ダナンもそれに頷く。
「お前たちに非は無いことはこちらとしても理解しているつもりだ、安心しろ。試験前だというのに悪いが、現状把握しておかねばならない事態だと、生徒会は推察している」
二人は生徒会長の言葉に、ただ黙って従った。
保健室で傷の手当てをし、制服に着替えたフィッツを引き連れ、ダナンたちは生徒会室に向かった。学長室ほどではないが、それでも十分広く清潔な空間に、初めて入った一年二人は、きょろきょろとしつつ先客を見て声を上げた。
「あっ、アスカ先輩」
「ヨハン先輩まで」
二人の後輩に呼ばれ、気さくに彼らは挨拶した。
「やあ、竜也くん。さっき振りだね」
「げっ! お前らどうした、顔ボロボロじゃん?」
どうやらヨハンだけは事情を把握していないらしい。机を挟んで並行して配置されている長椅子にそれぞれ座っている彼らは、後輩を一人ずつ手招き隣に座らせた。
「ヨハンはまずこれを見なさい」
そう言うと、貴翔は自身の携帯端末を彼に手渡した。
「……な、何だこれ」
ヨハンはじっと画面を見つめてから、苦悶の表情を浮かべる。画面に立て続けに並べ上げられた嘔気すら覚えるゴシップネタに一同を見渡した。
「これ、みんな知ってるのか?」
「僕達はね。フィッツくんは?」
アスカは美しい造形の顔立ちを、ガーゼで痛々しく覆っているフィッツを見つめた。それはいつものすかした笑顔ではない真剣なものだ。ヨハンは少し躊躇しながらも、貴翔の携帯端末をフィッツに回す。ちらっと画面を見た彼は、なるほどと肩を落とし、アスカに答えた。
「……数日前から変な視線みたいなものは感じていました。まさかネット上でこんなことになっているとは思っていませんでしたが、もし知っていたとしても、気に留めるようなことではないと思っていたので」
「だが事実、今日君達は被害にあった」
ダナンが一人掛けのソファーに腰を下ろすと、長い足を組みながら溜息をつく。
「正直なところ、学園内のいじめそのものは今までなかったわけではない。血の気の多い連中が集まってもいるわけだから、前例がないのは不自然だろう。そのたびに前生徒会も鎮圧に努めてきたし、自然鎮火する事も多かった。だが今回は少々勝手が違う」
「どういうことですか?」
竜也は苛つきながらダナンを見据えていると、彼の横に立っている貴翔が引き継ぐ。
「ようは相手を殴って黙らせればいいという問題ではないということです。ああ、一応言っておきますが、生徒会はこれまでにそうやって相手を黙らせたことは一度もありませんがね。例えばの話です」
それに対してヨハンが「似たようなことはやってるぜ。貴翔先輩もどちらかというと口より足が先に出るタイプだ」と茶々を入れたので、ぴしりと本人に一瞥される。ヨハンが縮こまったのを見計らって、貴翔は咳払いをしてから話を進める。
「私たちが先ほどの現場に向かったのは君たちのクラスメイトから通報があったからです」
これだけ掲示板に悪口が書き込まれる中、人間不信になりそうなところだが、その中でもこうして自分たちのために動いてくれる仲間がいるとなると、冷えてしまいそうな気持ちが多少温かくなる。竜也はおそらくその人物はメルレインたちであろう事を悟り、心の中で彼らに感謝した。
「その彼らの話で、今まで不明だった首謀者が特定できました。竜也達もすでに気づいているでしょうが……。アスカ、資料を」
貴翔の指示で頷いたアスカは生徒会の備品であるノート端末の画面を提示した。そこにはあのライオネルの学生情報が細かく掲載されていた。
「なぜ彼が貴方たちに目をつけたのか詳細は知りませんが、些か面倒なことに巻き込まれたようですよ」
貴翔の細長い指が、ノート端末の画面をすべり、とある項目でぴたりと止める。そこにはライオネルの家族構成と、家長である父の名が示されていた。
「ホープマン・バーンズ。彼の父は現国防委員長です」
その真実に竜也は驚き、フィッツは知っていたのか、ただ黙って俯いた。
この国の国防委員長とは、即ち軍を政治的に管轄している役職の長である。彼は学長アルバートと何かと因縁のある仲だという噂が大変有名で、その中でも特に有名な話が、天野龍一が戦死した原因究明のため、査問会にアルバートを呼び出し、執拗に責め立てたというものである。
ホープマンはどうにか埃が出るまで彼を叩くつもりであったが、当時龍一と並んで英雄扱いされていたアルバートには民衆の無実を請う署名運動が起き、アルバート派の軍人達の手によって、デモが執り行われそうになったことから、治安を優先し会議は取りやめ、アルバートは不問とし、何事もなかったかのように当時の部署に戻ったという。
「つまり、いじめっ子側には大きな後ろ盾があるってことか。確かに面倒くせぇなあ……」
ヨハンが渋い顔を作って頭上で手を組む。
国防委員長の息子が軍人のトップである学長の息子をいじめ、さらには公共物である掲示板に悪口を書き込む。下手にこのことが教官や学長自身の耳に入って、ライオネルが休学に追い込まれるとなると、彼の父親が黙っていないだろう。査問会での彼の噂を知っている者ならば、必ず息子の失態を帳消しにすべく、アルバートになにかしらの因縁をつけるであろうことは、予想に難くなかった。それほどまでにホープマンという男はプライドを傷つけられることを酷く嫌う人物なのである。
「じゃあ、先輩たちはこのまま俺たちに黙ってくだらないあいつ等の行動に付き合ってろって言うんですかっ?」
竜也はいよいよ机を叩き立ち上がる。
「竜也くん、どうどう……っ!」
慌てて隣に座っているアスカが、暴れ馬を窘める様に竜也を着席させる。
「もちろんそうは言っていない。事がクラス内の小競り合いで済まず、上級生も関わっている事態だ。俺たちも生徒会として君達をバックアップして行くつもりがある。少なくとも、今回のように表立った行動がある時には助けに入る。しかし問題なのは、フィッツ、君自身だ」
ダナンに話をふられ、フィッツはぴくりと肩を震わせた。
「君はこの事態をどう受け止めている?」
竜也もそこは気になるところであった。先ほどの件で、彼は事を荒立てたくなく、それには自己犠牲すら厭わない様子さえ窺える。確かに、父親との関係を考えれば、大事にしたくない気持ちは分かる。だが、それ以前にフィッツ自体がライオネルたちによって心身共に押しつぶされてしまうことは、絶対にあってはならないことだ。もはやそんなことになろうものなら竜也自身が黙ってはいないだろうが……。
「……僕は」
フィッツがおずおずと、重い口を開いた。
「少し、様子を見たいと思うんです」
その一言に一同は眉を顰めたが、ダナンだけは表情を変えず、彼の話を聞く姿勢を崩さなかった。
「ただ手を拱くというのなら愚行だと思うが、何か君なりの考えがあるのだろう。それを聞かせてはもらえないか?」
「はい、その、僕はこう思うんです」
フィッツは一息置くと、何か決意を込めた眼差しで語り始めた。
「彼らには僕たちにああして関わることで何かを得ようとしている理由がある。たぶん、それは二点だと思うんです。一つ目は弱者に相手を貶め優越感を得ること。二つ目は彼らにとって目障りな障害を蹴落とし、自分たちが優位に立つこと。そう考えたときに、どうして彼らが僕らに対してだけそうしたいのか、それが分かれば全面抗争せずとも、きっと彼らの気持ちや行動を鎮圧できると思うんです。いじめの加害者を絶対悪だと決め付けるのは容易い事です。確かに彼らは僕らに嫌がらせをしました。しかしその原因を把握し、こちらが彼らにそういった行動に現れないように対処しないかぎり、きっと第二、第三のライオネルのような障害に、僕たちは悩まされ続けることになる。だから僕としては、この機会に彼らのような人間とどう関わっていけば問題解決できるのか、そういったものを学び取る、ある意味でいいチャンスだと思っているんです」
フィッツの思想に生徒会役員たちは各々に考えを巡らせている様子だった。竜也だけは面白く無さそうに仏頂面で腕組みしながら、そっぽを向いている。フィッツはその様子に苦笑しつつ続けた。
「なんだかすみません。先輩たちや竜ちゃんが心配して、何か手を尽くしてくれようという行為はとてもありがたいんです。けれど、僕自身は、これは己で道を切り開かなければいけない事案だと思っているんです。見苦しいかもしれませんが、しばらく、もう少しだけ、僕に任せておいてはいただけないでしょうか?」
それに納得したように会長はゆっくり頷き、その隣の副会長は、感心した面持ちで答えた。
「貴方は一辺倒ではない面白い考え方をするのですね。人は見かけによらないとはよく言ったものです。……いいでしょう。そこまで言うのなら、しばらく様子を見させてもらいましょうか」
それに賛同しながら、ヨハンは「へへっ」と笑って見せた。
「お前意外と骨のある男じゃねぇかっ、見直したぜ!」
「うんうん、かっこいいなぁ、フィッツくん。あ、でもでも、本当にピンチな時は、僕たちに助けてってちゃんと言うんだよ?」
アスカの言葉に、ヨハンは慌てて頷く。
「そうだぜ、さすがに俺らだって見かねたらすっ飛んでくかんな?」
「はい、ありがとうございます」
フィッツはにこりと一同に微笑んだ。しかし、その中にあっても、相変わらず竜也は不機嫌な表情を変えはしなかった。
結局、その日の夜、ベッドに横になるまで、二人はなかなか会話できずに過ごしていた。先にその沈黙を破ったのはフィッツだった。彼は二段ベッドの上で寝ている竜也に、聞こえるか聞こえないか分からない、ぎりぎりの声量で話しかけた。
「竜ちゃん、まだ起きてる?」
返事はない。けれど彼は続けた。
「今日は色々とごめんね。だけど、君にも意地があるように、僕にもそういうものがないわけじゃないんだ。そこのところを、理解してもらえると嬉しいのだけど……」
その言葉に反応したかのように、フィッツの視線の先で、ベッドの天井が揺れる。
「……分かってるよ。お前は案外意地っ張りだ」
ぼそりとそう呟かれた一言に、フィッツはふふっと思わず苦笑する。
「そうかもね。君とそこは肩を並べる自信があるよ」
「馬鹿だお前は、弱いくせに粋がるな」
「うん、自分でもそう思うよ。けれどね、強くなりたいんだ、僕は」
再び沈黙が流れる。けれどもそれは、今までの様に重いものではない。むしろ、フィッツの言葉が残した余韻は軽快なものであった。
「……無理するなよ。あと、俺が我慢するには限界があるからな」
そう言うと再び天井が揺れ、布団の擦れる音が聞こえる。今度こそしっかり眠りにつくべく、掛け布をかぶり直したのだろう。
「ありがとう、竜ちゃん。あ、明日こそ、一緒に練習しようね?」
「ああ、そうだな。おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
二人はいつのまにか、自然と頬を綻ばせていた。今日の事件をよそに、肝心の中間テストは、残りわずか二日後と迫っていた。




