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戦禮のアンジェクルス  作者: 黒須かいと
11/83

第二章「アンジェ学科戦禮コース」(5)

 Ⅴ

 中間テストまで、残すところ三日となった。この頃になると、授業は半日で終了し、後の時間は、学生たちが各々にテスト勉強をする時間に当てていた。

 中間テストでの範囲は、それぞれの専科によって違いはあるが、アンジェ学科では戦術シミュレーション、白兵戦基礎、歴史、索敵基本技能、アンジェシステムの五教科である。

 戦術シミュレーションは、座学棟にあるシミュレーションルームで、毎授業チェスのように学生同士で対戦する。地上戦か宇宙戦かは告げられず、学生たちは人数分用意されている、半球体型の画面の専用シミュレーターを操作し、アンジェクルスを模ったユニットを動かす。テストでは、教官が提示した敵の動きを読み解き、それに見合った作戦と隊列の動きを筆記するというものである。

 竜也は歴史の授業の次にこれが苦手だった。アンジェシステムの授業ならば、反射神経と感が人一倍良い彼にとって、シミュレーターを手足のように動かすのは造作もないことだった。とくに武道を得意とする彼は、前線戦闘向きの力天使級シミュレーターとの相性は素晴らしいもので、教官も一瞬押し黙るほどである。しかし、戦術となると話は別だ。周囲の状況把握に敵との距離の捕捉、自軍のパワーや補給物資のバランス、アンジェクルスの隊列、すべてが計算の上に計算を重ねなければならないこの教科は、反射神経や感でどうにかなるわけもなく、ついつい力技で押し切る、大凡戦術とは言い難い方法をとってしまうのが竜也の悪い癖であった。無論、そのせいで授業での戦歴は芳しくない。

 索敵基本技能は、もはや機械操作の丸暗記しかないので、歴史の授業と同様に頭に叩き込むとして、戦術の筆記だけはどうにもならないと観念し、竜也は教えを請うべく、親友に珍しく頭を下げた。賢く優しい美少年フィッツは、柔らかい笑顔を浮かべて頷く。

「もちろんっ! あ、僕はアンジェシステムの操縦がいまいち掴めてないから、後で僕にも教えてね?」

「了解した」

「じゃあ、戦術シミュレーターの席取りしてくるから、竜ちゃんはアンジェのシミュレーター、二時間後の使用予約入れといて!」

「ああ、終わったら俺が直接そっちの教室行く」

「うん、待ってるね」

 竜也はA組の教室を出ると、足早にアンジェシステムのシミュレーターがあるドッグへと向かう。

 学生は教官と違い、手相認証ではなく、生徒カードをリーダーに通したのち、スキャン装置の上に手ではなく、ドックタグ代わりであるロザリオを乗せる。すると、入学式当日、クレールス・ユリウスが見せたように、専用エレベーターが地面からせり上がって来た。と、そこから偶然にも、学生が四人出てくる。ボタンの帯リボンは、二人は一年であるためしておらず、もう二人は二年の証である青い物をしていた。

 竜也は軽く敬礼をしてからエレベーターに乗ろうとすると、先輩の一人に、強く肩を掴まれた。

「……なんすか?」

 いきなりの事に、少しいらついた竜也が睨みを効かせ振り向くと、にやにやと不快な笑みを浮かべた他の三人の顔も映った。

「はは、睨むなよ。俺達ちょっと天野くんとお話ししたいだけだって」

「だから、なんすか、用件は?」

「ここじゃちょっとアレだから、向こうで話そうか?」

――アレってなんだよ……。

 明らかに不可解な呼び出しに、呆れながらも竜也の神経は完全に警戒モードに切り替わっていた。

「悪いけど、俺今テスト勉強で忙しいんで、そんな暇ないです」

 なるべく馬鹿な面倒事は回避するべきだと考え、エレベーターに乗ろうとするが、自分とは別クラスの一年がそれを阻止する。一人が下りのボタンを押し、もう一人がドアの前に立ちはだかったのだ。

「あ? お前ら何してんの?」

「先輩たちが話し聞けっていうんだから、行こうぜ天野、な?」

 相変わらず下品なにやけ顔をする相手に舌打ちをして、ちらりと襟章のクラスを確認する。

――B組とC組か、暇な奴らだな。

 竜也はさらに、先輩二人の襟章も確認し、肩を掴んだ先輩が自分と同じA組で、もう一人がD組だと判明した。

 竜也はもうどうでもいいとばかりに肩をすくめ、大げさに溜息をついてみせた。

 ライカンスロープの雷神が隣にいないタイミングの今日を狙って、しかもわざわざテスト前のこの時期にいったい何の因縁をつけてくる気か、感の鋭い竜也はろくな事にはならないと悟る。案の定、連れて行かれたのは体育館裏という、なんともベタな場所であった。

――不良漫画の読みすぎだろ。呆れるどころか寧ろお決まり過ぎて笑える。

 鼻で笑ったのに気付いたのか、はたまた先輩相手にちっとも怖がる様子を見せない竜也に痺れを切らせ、D組の先輩がいきなり胸ぐらを掴んできた。

――ほら、やっぱり……。

「お前さぁ? ここまで来て何されっかわかんねぇの?」

「さぁ? 大方ろくでもないことだろ?」

 あまりにもくだらないので、竜也の目はしらけていた。制服を掴まれ、壁に叩きつけられようとも、まったく動じない彼に、同じ組の先輩が話しかける。

「天野、お前さぁ、いっつも同じ奴とつるんでるだろ? ほら、あの女みてぇな奴とさぁ?」

「だから?」

「質問を質問で返すんじゃねぇよ!」

 D組の拳が風をきって竜也の右頬にヒットする。

「……っ」

「お前みたいな奴らは気持ちわりぃんだよ! この学校から出ていけ!」

「おホモ達とカマ野郎はいらねぇんだよ!」

「親父が英雄様だかなんだかしらねぇが、お前なんかただの親の七光りだろ。とっとと犬小屋へ帰れよ! 犬屋の天野!」

「そうだそうだ、犬臭くてかなわねぇっ!」

 げらげらと笑いながら、畳み掛けられる罵詈雑言に、元来短気な竜也の血は、あっというまに沸点へと到達した。

「……はっ」

 竜也が横を向いていた顔をゆっくりと正面に戻す。その口元は歪な笑みを浮かべ、目は怒りの炎を宿していた。

「あんたらは二つ、俺の地雷を踏んだ」

「ああっ?」

「一つはあいつの悪口。もう一つは親父の名を汚した。だから、もう我慢しない。あんたらの売りつけてきたくだらない喧嘩、粗品もいいところだが買ってやるよ。この、目腐れ下種野郎共っ!」

「てめぇっ!」

 もう一撃くらわせようとしたD組のパンチは空を切った。掴んでいたはずの竜也の上体はすでに腹辺りにあり、突き出した腕は彼の両手にしっかりと握られていた。そして次の瞬間、D組の体は宙を舞った。

「ぐえっ!」

 蛙が轢かれたような呻き声をあげ、彼は背中から地面へ落ちた。

 先輩がいとも簡単に投げ捨てられ、一年二人はぎょっとしていたが、もう一人残っていたA組の先輩が、短い口笛を吹いて、ボクシングの構えを見せる。

「ジュードーか? おもしれぇ、俺はアスカと一緒に大会に出たこともあるボクサーだ。かかってこいよ」

 そう言い放つ先輩に向かって、竜也は持ち前の鋭い眼光で睨みつける。

「あんたみたいなクズがアスカ先輩の名前を口にするな。胸糞悪い……」

「っんだとごらぁああっ!」

 かかって来いと言っておきながら、彼は自ら拳を振り上げ竜也に襲いかかる。竜也は落ち着き払った様子でそれをなんと片手で受け止めた。

「なっ!」

「あのさ、あんたのストレート軽すぎ。大会に出たとか大ウソだろ?」

 どちらが加害者で悪人か、判別があいまいになるほど、竜也は狂気じみた表情で、相手の拳をぎりぎりと音がなるほど握り締めた。恐ろしいほどの握力に、思わず悲鳴が上がる。

「ぐぁああっ! って、てめぇっ!」

 加害者であるはずの先輩が、苦し紛れにもう片方の拳で応戦しようとするが、もはや緩慢とすら思える動きに、竜也は実に退屈そうに、持っていた手を捻り上げ、一人目と同様投げ飛ばした。一人目と違っていたのは、その持っていた手を離さず、後ろ手に掴み上げたことだ。恐らく脱臼しただろうが、知ったことではない。

 もはや先輩としての敬愛の念など、こうなっては皆無である。竜也は四天王よろしく、餓鬼のように相手を踏みつけながら、同輩である残りの二人を夜叉と見まごうほどの鬼気迫る表情で向き直った。

 あまりの早業に、二人はしばらく真っ青な顔をして立ち尽くしていたが、はっと気づいたように頷き合い、逃げる算段をつけたのか、くるりと後ろを向いて一歩を踏み出した。

「まさかただで帰れるとは思ってないだろうな?」

「ひっ!」

 二人同時に悲鳴を上げたのも無理はない。今しがた先輩を足蹴にしていたはずの相手が、後ろで自分たちの首根っこを掴んだのだ。軋む首で後方に向き直ると、痛みに呻いている先輩たちと、鬼の形相でにやけている竜也と目が合った。

「ご、ごめん天野! 俺たち先輩に掲示板で誘われて……」

「掲示板? 何のことだ、見せろ」

「え、いや、でも……」

 携帯端末を出し渋る相手を、竜也は面倒臭そうな素振りで、相手同士の額がぶつかる様、両方の頭をぐっと鷲掴んで、シンバルのように叩き合わせた。

 鈍い音と共に、二人は地面に崩れ落ち、竜也はB組の方からポケットを弄り、端末の画面に触れる。

 ブックマーク画面に飛ぶと、一番上に〝裏〟BBSと記された文字が写った。いかにもな題名に眉を顰めながらも、竜也は画面をタップする。

「……っ!」

 スレッドに書き込まれた文章に目を通し、思わず息を飲む。そこには先ほど口で言われた比ではない、ありとあらゆる大量のフィッツと竜也に対する悪口と中傷が、よくもこれだけ思いつくと、うっかり関心してしまうほど連なっていた。

 竜也は肩をわなわなと震わせた。自分だけならいざ知れず、親友、さらには親のことまで、あることないこと勝手に晒し上げられているのだ。内容は基本的に、実に品のない下ネタが主であったが、中には自分たちとグラビアアイドルのコラージュ写真なども乗せられており、あまりにもくだらないが、今の竜也の精神的には、我慢の「が」の字ほども期待出来ないのは確かだ。

 その証拠に、無意識に、かつ自然に、竜也は持っていた端末を膝で叩き割った。

「う、うわっ!」

 ある意味一発殴られるよりも手痛い仕打ちを受け、B組は今にも泣き出しそうな顔をした。

「……行けよ」

「え?」

「とっとと俺の前から消えろってんだよっ!」

「は、はいっ!」

 二人は一目散に走っていなくなった。が、その代わりに誰か来た足音がして、ふとそちら側を見てみると、先ほど竜也が倒した相手を見下ろす赤毛の二年生、アスカが、相変わらずへらへらとした様子で竜也にあいさつする。

「やあ、竜也。チャンバラは楽しかったかい?」

「……あ」

 竜也は咄嗟に殴られた跡の残る頬を腕で隠した。急に冷や汗が彼の背筋を伝う。

――まずいな、この人これでも生徒会のナンバースリーだった。喧嘩はたしかばれるとテストから減点される……。

 もし最悪そうなれば、当然その分テスト戦禮者の候補リストから外される確立があがってしまう。

 懲罰内容を思い出し、戦々恐々とする竜也のことはさて置き、アスカは倒れている二人の肩を軽く二回叩き、含みのある笑顔で耳元に呪詛のように囁いた。

「喧嘩両成敗で、このままだとみんなテストから大幅減点だけど、この場で何もなかったことにするなら、目を瞑ってあげてもいいかなあ、なんてね。さあ、どうする?」

「うぐっ、アスカお前、この状況見てわからねぇのかっ?」

「ん~? なにがあ?」

「俺ら一方的にやられてんだろうがっ! 喧嘩じゃねぇ、暴行事件だ!」

「ふ~ん?」

 ちらりとオリーブ色の瞳が、赤毛から竜也を覗き見る。すると、アスカは軽くウインクをして、二人に向き直る。

「じゃあ、君たちはこの子一人に後輩二人も引き連れて、一方的に〝なんの抵抗もなく〟やられちゃったの?」

 あくまでにっこりとした笑顔は崩さず、アスカが皮肉たっぷりに問いかける。それに相手は苦虫を噛み潰したような表情で、ゆっくり頷いた。

「天野竜也」

「は、はいっ」

 急に改まった呼ばれ方をして、竜也はいつものアスカではない気迫を感じ、真っ直ぐに正しい敬礼をした。

「その頬の痣の説明をしたまえ」

「はっ、これはそこにいるD組の先輩に殴られた跡であります」

「意味もなく、ただ突然殴りかかって来たのか?」

「はい。なにやら話があるとのことで連行されたのですが、ここについた途端に殴られました」

「ふむ」

 アスカはわざとらしく顎を撫でると、二人を向き直る。

「だ、そうだよ?」

「そ、それは嘘だアスカ。その痣はそいつが先に殴りかかって来たから、避けたら壁に勝手にぶち当たったんだ!」

 よくもこれだけ口から出任せを言えたものだと、竜也は呆れからすっかり閉口してしまう。このまま水掛け論へ流れ込むかと思われた展開は、しかしアスカの一言によりあっけなく幕を閉じることになる。

「その台詞、果たしてこれを提示しても会長たちの前で同じことを発言できるかな?」

 アスカがずいと自身の携帯端末を目の前に突き出す。

「このモンドコロが目に入らぬかあっ!」

 台詞の元ネタが分かる竜也は思わず古典的なずっこけをしてしまいそうになるのが、両足を踏ん張ることで何とか耐えた。それとほぼ同時に、アスカが録音の再生機能を起動する。すると、大音量でこの場で起こった出来事が、最初から最後まで、克明に音声で再現された。その瞬間、二人の先輩の顔が見る見るうちに蒼白になっていくのが、竜也にも手に取るように分かった。

「な……アスカ、それ……」

「いやあ、まさか体育館裏でこんなお約束な展開に出会えるなんて思わなかったよ。あ、そうそう、ちなみに動画もあるけど見る?」

「ま、まさかそれ今から会長に持っていくんじゃないよな?」

 にこにこと笑っていたアスカはきょとんとした様子で首を傾げる。

「え、なに? 黙ってて欲しいの?」

 アスカのわざとらしい問いかけに、先輩二人は押し黙ってしまう。そしてそのまま深く頷いた。

「う~ん、どうしようかなあ。君ら竜也くんに罪を擦りつけようとした虚偽罪もあるからなあ」

「た、頼むアスカ。どうしたら勘弁してくれるんだ?」

「え~、そうだなあ」

 もう言うことは決まっているのだろうが、アスカはこの状況を心底楽しんでいるようで、わざわざもったいぶった言い方をする。

「どうして後輩にわざわざ因縁つけるような真似したのかな? 僕がネットでの陰湿な盛り上がり知らないとでも思う? まあ実害ないなら見逃してあげたんだけど、実際こういうこと起こっちゃ困るんだよねぇ。ほらあ、僕も生徒会の端くれでしょ? それこそ風紀乱されちゃかなわないんだよねぇ。そうだなあ、君らにはせめてもの責任として、この事件の首謀者を発見してもらおうかな。僕に情報提供してくれたら、この録画は削除させてもらうよ。君らにとって悪い条件じゃないはずだよ?」

 笑顔は崩さず。されどマフィアのボスのような貫禄すら伝わってくる物言いで迫るアスカに、先輩二人は固唾を呑んだ。

「わ、わかった。わかったから、このことは無かった事に……」

「まずは竜也くんに謝罪……だよね?」

 語尾を強めて指摘され、弱りきった二人は竜也に頭を下げた。正直どうでもよかったが、竜也は「もういいっす」とだけ呟いた。

「そうそう、こうなったからには一応言っとかないとね」

 唐突にアスカは竜也の肩に腕を乗せ、気取ったように言い放った。

「実はこの子、僕の友達だから、今後何かあったら、次はただじゃおかないから覚えといて?」

 いつもの貼って付けたような笑顔ではなく、明確な脅しを意図した表情で、アスカはぎらつく瞳で相手を見据えた。彼らはたじろぎ、すごすごと宿舎の方へと戻って行った。さすが最強ボクサーと噂される男の一喝は違うと関心していると、二人の先輩が視界から消えた途端、へなへなと腰が抜けたように、竜也の隣にしゃがみ込んでしまう。

「ちょっ、先輩?」

「うあ~、格好つけるのも楽じゃないよねぇ……。長台詞は緊張するよ」

「……え」

 あまりの豹変ぶりに、竜也の対応が追いつかず固まる。だが、よくよく考えてみれば、こちらの少し頼りなげな感じの方が、アスカ先輩らしいと言えばらしいのではないか。というより、豹変していたのはどちらかというと先ほどの凄みのある先輩の方ではなかったか。どちらにせよ、少しアスカの裏を垣間見てしまったような複雑な気分になった。

「あ、いま格好悪いと思ったでしょ? 鳩が〝おコメ食っちゃった〟みたいな顔しちゃってさ」

「先輩、それを言うなら〝豆鉄砲食らった〟です……」

「あれ? そうだっけ?」

 少し恥ずかしそうに頭を掻きながらアスカは立ち上がる。

「まあ、仕方ないじゃないか、僕は貴翔先輩のように口が達者じゃないんだから、これでもしゃべりながら色々考えてたんだよ? 君を困らせた奴をちょっとでも懲らしめてやりたいじゃないか。……許せないよ、ああいうの」

 竜也はその言葉にはっとして、慌てて心配をかけたことの謝罪と、助けてもらった礼を述べた。アスカはいやいやと手を振ると、ふと竜也の頬の痣に触れる。

「大丈夫、痛い?」

「一応殴られるのと同時に顔を横に向けて衝撃流したんで、そこまでは……。ただ、跡が残らないと殴られ損なんで、多少は痛みます」

 竜也もまったく考えなしに怒りに身を任せたわけではなく、少しでも証拠となるものを残そうと努力したようだ。少なくとも両者共に手を出したとなれば、一人だけが裁かれるということはないだろう。後から思い出したことではあったが、その場合の減点は心底悔しいものの、相手も同じ目に遭うと思えば、自分一人の過失にならないだけましである。その転んでもただでは起きぬという返答がいたくアスカのツボにはまったらしく、腹を抱えて笑い出した。

「あはは、君もなかなか計算高いね」

「そりゃどうも」

「でも今やその痣(証拠)は不要だね。湿布で隠しとこう。教官にばれると喧嘩の件を追求されかねないからね。こんなことで減点なんて嫌でしょ?」

「当たり前です!」

 確かにいくらアスカが証拠の動画を提示し、弁解しようとも、一発殴られてからほぼ倍返し以上で喧嘩を買ってしまったのは事実だ。喧嘩両成敗としてのペナルティである減点は、出来る事ならば、是が非でも避けて通りたいところである。

 湿布で隠しておけば、テスト前の自主練習でしくじったとでも言っておけばどうということはない。幸い保健室に行かずとも、アスカが冷湿布を持ち歩いていたため、それを借りて貼ることができた。

「はは、これで僕たち共犯だ」

「喧嘩のもとはあいつらなんですから、それを黙っているのが共犯というのは、どうも納得出来ませんがね」

 悪戯っぽく言ったアスカに、竜也はむすりとしながら答えた。

「うん、それ、その喧嘩のもとなんだけどね? そもそもの原因であるあの裏掲示板、誰があのスレッド立てたかまだ分かってないんだよ。妙な盛り上がり方しているのを僕が三日前に発見してね。一応会長たちにも伝えて、当の掲示板の管理人を当たっても、スレッド立てたやつまで管理してないっていうんだ。ふざけてるよねぇ。悪口の中には学長に対する不敬罪に当たる物まであるし、出すとこ出したら大変な騒ぎになるよ」

 ほとほと困り果てているアスカに、竜也は眉を顰める。

「履歴を当たってみてもダメですか?」

「スレッド立てたのは図書館のパソコンみたいでね。そこからは各々各自の部屋からだったり携帯端末からだったりだから、何人関わってるかとかは予測つくんだけど、肝心の首謀者の尻尾が掴めないでいるんだよ」

 たしかに図書館のパソコンなら、誰が使っても自由である。貴重な資料があるため、外部から書物を借りに来る者もいるくらいなので、そこから個人を割り当てるのは不可能に近い。

「掲示板を盛り上げてる連中は何人か絞り込めたんだ。でもまだ確証にはいたらないし、捜査は難航中だねぇ。大体は軽い悪ふざけみたいな書き込みなんだけど、今回みたいに実害があったんじゃ、いよいよ見逃せないかな。ただの品のない悪口程度で取り締まっていたらきりがないし、本来はここまで生徒会は手を出さないんだけどね。君たちの親が親だから、放って置くといずれは教官たちの目にも留まる。そうなると悪乗りした奴ら全員取り締まって大事になるから、そうなる前にどうにか止めさせなくちゃ……」

 現状を把握すればするほど、生徒会の書記ことアスカは頭を抱えてしまう。とにかくまずは管理人に掲示板自体の削除を要求しようとも思ったが、首謀者を炙り出すにはまだ必要との見解で、貴翔に止められたらしい。確かに今回のように徒党を組んで喧嘩を売り込みに来るくらいだ。すでに掲示板だけのやり取りではなく、個人同士レベルの情報共有にいたっているのは明白だった。

「首謀者がもし分かったらどうなるんですか?」

「今のところはそいつ一人を厳重注意と数日間の謹慎処分ってところかな。小学生に例えるなら、隠れた壁に校長先生の息子たちの悪口を、仲間集めていっぱい書いてやったぞ! くらいなもんだからね。こちらとしても、書き込んでる人数が人数だから、あまり事を大きくしたくないんだよ。ごめんね?」

 掲示板になんらかの悪口を書き込んでいる複数人全員なんらかの処分を受けるとなると、掲示板でのただの悪ふざけにも関わらず「新任学長への不敬罪により男子士官候補生大量処分」などと大げさなニュース沙汰になってしまう可能性がある。そうなるよりは、首謀者一人に責任をとってもらい、そこで改めて掲示板を削除すれば、事は内々で済むことなのだ。

 竜也としても、そこまで大々的なことは求めていない。第一「いじめられました」と、取材カメラの前で話すのは、あまりにも情けないので御免被りたいところである。

「とにかく今後も変な因縁つけてくる奴がいるかもしれないから気をつけて。やられたらやりかえしたくなるのは分かるけど、ほどほどにね。出来ればその前に僕らに連絡くれると助かるよ」

「分かりました。どうもご迷惑おかけしてすみません」

「そんな畏まらなくていいよ。困った時はお互い様。それに僕たち友達でしょ?」

 深々と頭を下げる竜也に、アスカはへらへらといつものように笑って見せた。

 こういった気配りの出来る先輩がいるだけでも、他者より恵まれた環境にいることは確かだ。別に掲示板での誹謗中傷や、個人レベルのいじめなど、竜也にとって取るに足りない些細なことだが、それでも心強い支えがあることに越したことはない。だが、このまま黙ってただ先輩を頼りにしているわけにもいかない。事態がこれ以上悪化する前に、自分自身も行動せねばなるまい。竜也は自身のプライドも賭け、そう決意を固めた。

「まったくテスト前だっていうのにねぇ、暇な連中だよ。まあ僕もテスト勉強なんてほとんどした試しがないから、人のこと言えないけどねぇ」

 からからと苦笑するアスカを見て、竜也ははたと気がついた。

――そうだ、俺が狙われたって事は、恐らくフィッツも……。

「すいません先輩、俺フィッツと約束してたことがあって」

「お、テスト前の勉強会かな? 関心関心」

 竜也は今回のお礼を再び述べ、教室へと駆け戻って行った。

「やれやれ、有名人の息子たちってのは大変だなあ。ただのサラリーマンの親父に、僕はある意味感謝しとくべきなのかもなあ」

 アスカは溜息混じりに呟いた。

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