第二章「アンジェ学科戦禮コース」(4)
Ⅳ
五月上旬、地中海海上の空は青く澄み渡り、学園都市ユグドラシルへは、燦々と輝く太陽が降り注いでいた。
聖ユグドラシル男子士官学校の校庭では、男子たちの威勢の良い掛け声が響き渡る。
一年のアンジェ学科はA組からD組まであり、一クラス四十五名の定員で、竜也とフィッツは同じA組に所属している。
「きびきび動けぇ! ちんたらやっていると、敵に狙い撃ちされるぞ!」
鬼教官、エルンストの怒号が響く。
二人のクラスは今、白兵戦基礎という授業の真っ最中だった。普通科の一クラスとも合同で、校庭で繰り広げられる実装備込みの、所謂障害物競走だ。
まず、スタートと同時に、目の前に用意されたライフルの銃弾を込め、一気に障害物の網、泥地、ハードル、人工芝を、匍匐前進と全力疾走で切り抜け。最後にうず高く詰まれた土嚢から、人型の的を狙って引き金を引く。それが終わったものは、校庭を一周し、ライフルを定位置に戻した後、教官にタイムを報告する。
皆、擦り傷と泥まみれになりながら、必死にタイムを縮めようと奮闘していた。
「くそっ、なんでアンジェクルスを動かすのにこんな泥臭い授業が必要なんだ!」
「こんなことも出来ない奴にアンジェクルスは操縦できない」
「なんだと竜也! もういっぺん言ってみろ!」
「ちょっと、二人とも! 教官がこっち睨んでるからやめなってばっ!」
三回目のスタート地点につきながら、いがみ合っているライオネルと竜也を、フィッツが叱咤する。
三人とも演習服が泥だらけだが、竜也に傷はほとんどなく、三人の中でもっとも付着した泥が少ない。対して残る二人は体の三分の二は泥にまみれ、フィッツは誰よりも傷だらけである。スタートで地面に滑り込み、泥地で足をすくわれ、とにかく誰よりも転倒していた結果である。そのため、決して一つ一つの動作が悪いわけではないのに、タイムは伸び悩んでいた。
「貴様ら、中間テストまで、あと二週間だ。それまでに人より抜きん出ていなければ、当然テスト戦禮者、即ち生徒会役員にはなれんぞ! いいか、一番でなければ優秀とは認めん。二番はケツから数えてビリってだけだ! わかったなっ!」
「サー、イエッサー!」
「よし、次の列前進、進め!」
エルンストがスタートの笛を鳴らす。その瞬間竜也はあっという間にライフルを抱えて、網を潜る。片腕で地面を掻く第一匍匐で、網に絡むこともなく、素早く脱出する。そこから泥地とハードルを飛ぶように駆け抜け、人工芝で指定された第四匍匐で土嚢ににじり寄り、ライフルで狙いを定め、的の肩と腹を打ち抜く。そうしてさっさと校庭を一周し、澄まし顔で武器を所定の位置に戻すと、次の順番を待っている学生たちが、彼に対して羨ましげな表情を浮かべた。
「天野、タイムは?」
「はっ、一分五〇秒三六であります」
「よろしい。今のところお前が一番だ。だが、弾が左に反れる癖があるな。一発で的の中心に当てろ。肩では仕留められない」
「了解であります」
「うむ、これからも驕らずに精進せよ」
「イエッサー」
教官と竜也が短い会話をすませた頃、フィッツとライオネルがほぼ同着でライフルを所定の位置に戻した。他の学生たちも、後に続きばらばらと泥だらけで校庭を走っている。
「ふん、俺が先だこのオカマ野郎」
「痛っ!」
ライオネルは我が先にと、僅差で前にいたフィッツを、わざわざ腕の擦り傷を抓るようにしてどかした。それを見ていた竜也がぴくりと片眉を上げるが、フィッツはそれを無言で制す。
「教官、自分のタイムは三分三十秒〇五であります」
「ふむ、貴様、先ほど俺が言ったことを復唱してみろ」
「……は?」
「よし、思い出すまでそこで立っていろ」
「え、タイムは?」
「思い出すまで止めるな」
そう言いながら教官は、ライオネルの止めてあったベルトのストップウォッチを再スタートさせた。
「そ、そんな!」
「口答えするな!」
「ひっ、イ、イエッサー!」
その様子を他の連中はひそひそと笑っている。ライオネルは顔を真っ赤にしながら、教官の隣に立ち、言葉を必死に思い出そうとする。
「グローリアス、貴様は?」
「はっ、三分三十一秒〇六です」
そこで竜也ははっとする。フィッツはわざわざライオネルに抜かされた分、タイマーを調整したのだ。あんな奴のためにそんなことするなと小突いてやりたいが、そういう律義なところがフィッツという人間であった。
「貴様、俺が言ったことを復唱してみろ」
「はっ、一番でなければ優秀とは認めん。二番はケツから数えてビリ……で、あります」
ライオネルが「それか!」と目を見開く。
「その通り、お前は優秀ではない。しかし的は一発で当てていたな。そこは評価しよう。そして質問だ。なぜタイマーをいじった?」
当然のように教官にばれたが、ぎょっとするライオネルとは真逆に、フィッツはいたって落ち着いた様子で語った。
「はい教官、私が彼より後に教官の前に立ったのは紛れもない事実であります。ならばタイムが彼より早いのはおかしいと思い、少し進めました」
「なるほど、変に几帳面なのか、はたまた偽善なのか計りかねるが、そういった行動はあまり褒められんな。以後気をつけるように」
「はっ、申し訳ありませんでした」
フィッツは特に弁解もすることもなく、ただ深々と頭を下げ、次の順番を待つ列の一番後ろについた。
「馬鹿だな、なんで余計なことをしたんだ?」
竜也は半ば呆れ顔でフィッツを問い詰める。
「うん、ごめん」
いつもの天使のような笑みであっさりと謝る親友に、竜也は拍子抜けした。彼の真意は分からないが、恐らく、フィッツなりの気持の収め方だったのかもしれない。そうなると、普段からへらへらしていると見られがちのフィッツも、人並みに譲れないプライドというものがあるのだろう。心なしか、その横顔は少し凛々しくも見えた。
ライオネルが罰則として校庭を二十周している間に、授業を終えた他の学生はシャワールームへ駆けこんだ。次の授業があるため、演習服ごと一斉に水を浴びる。皆それぞれに生き返るような表情をしていた。
フィッツは高く結いあげていた三つ網を解き、髪についた泥を落とす。その様子はまるで乙女が水流で髪をとかしているような麗しさがあった。
竜也は内心短く切れば楽なのにと思う反面、それは少し勿体ない気もするので、提案はせずにいる。
軋む毛髪に苦戦しながら、フィッツはウェーブのかかった金髪を、大雑把に三つ網に再生する。その様子を見て、いつも適当に切ってくれと頼む、家庭内理容師ことフィッツに任せたざんばら髪の竜也としては、よくまあ器用にやるものだと関心すらした。ちなみに、フィッツは恥ずかしがって口にしないが、長くしている髪には何やら願掛けのようなことをしているらしい。つくづく可憐な美少年である。
濡れた演習服を乱暴に絞り、各々が着替え終わる頃に、ライオネルが死者のような顔をして現れた。フィッツが心配そうに駆けよろうとするが、竜也がそれを止める。悪態をついた奴に情けをかける必要はない。竜也の瞳がそれを物語っていた。それに気付いた悪童、ライオネルは獲物を見つけた蛇のように、血走った目で二人を睨みつけた。
「行こう」
「え、でも……」
「あんなのほっとけ」
汚れ物を入れたボンサックを背負って、竜也はフィッツの腕を引っ張り教室へと戻って行った。
エルンスト教官にしごかれた後の座学は、皆酩酊したような目の据わった表情をしている。くたくたの上に水を浴びた体は、それは気持ちよく眠りへと誘う。だが、新学期早々の中間テストも、目と鼻の先である。テスト戦禮者の席がかかっているため、皆必死に瞼を抉じ開けていた。うつらうつらとする主を、机の隣に伏せている雷神が、心配そうに見守る。
今日は昼休み後、誓鈴候補生の教練演習がある。具体的には、誓鈴候補生と学生が一組になり、障害物や指定された物を取ってきたりする訓練授業である。そのため、クラス全員が動物たちを連れてきていた。この時期になると、さすがに各々が誓鈴候補生たちとも打ち解けつつあり、皆大人しく飼い主に付き従っている。
『軽く噛み付いてやったら?』
隣の席に、ちょこんと座っているルナが雷神に話しかける。彼女はふっくらとした身体を香箱のように丸め、主人の座っている椅子の下に鎮座していた。
『主に牙を剥くなど言語道断。これは主が自身で乗り越えなければいけない試練だ』
『ふん、ご主人様が聞いて呆れるわ。運動能力は認めてあげてもいいけど、要はただの脳筋でしょ?軍人は頭が勝負よ。ごらんなさい、私のご主人様ならちゃ~んと起きてお勉強してるわよ』
たしかに、周りの連中が脱落寸前であるにも関わらず、フィッツはしっかりと戦術授業の話に耳を傾けていた。ルナが鼻高々と公言するわけである。
『ふむ、フィッツは幼い頃から聡い子だった。我が主人も、彼にはお世話になっている。主はどうも座学とやらが苦手でな。まぁ、人間誰しも得手不得手があるだろう』
苦笑する雷神には、ルナのように張り合おうとする気はさらさらない。むしろ、竜也とフィッツに親のような愛情を向けてすらいるように感じる。ルナにはそれが多少面白くなかった。
『あんたって本当につまんない男ね』
『すまんな、自分は根っからの武人気質故、卿のような女子の考えには理解が及ばんのだ。それよりも、ルナ殿はフィッツのことが気に入っているようで何よりだ。戦禮者と誓鈴の信頼関係はとても大事なことだからな』
その言葉に毛を逆立て、ルナが勢い良く立ち上がる。
『な、なに言ってんのよ、別に頭から認めてるわけじゃないわよ! ドジだし、おっちょこちょいだし、全然まだまだご主人としては頼りないかぎりなんだから!』
人間には聞こえぬが、周りの誓鈴候補生たちにははっきりと聞き取れたようで、皆目を丸くしてこちらを一斉に見つめる。ルナは少し居心地が悪かったが、目の前のライカンスロープは一切気にする様子はない。
『卿のように勝気でしっかり者の女子が側にいれば、彼も安泰だ』
余裕の笑みで返され、ルナはいまいちもやついた気持ちが晴れない。
『と、当然でしょ。私が目指すのは誓鈴界のファーストレディよ!』
『おお、それは頼もしいかぎりだ。それでは自分は、卿のSPにでも今のうちに立候補しておかねばなるまい』
その科白に、思わずルナの思考は一時停止する。この堅物がそんな冗句を述べることが出来たのかと、あまりにも意外であった。いや、ひょっとすると、この男の場合、割と本気なのかもしれない。
ルナは気を取り直して、あくまで冷静を装い、座り直す。
『カサノヴァ気取る年でもないでしょうに』
『はて、自分は教養が乏しいので、そのような言葉は知らんが?』
『いいのよ、知らなけりゃ一生知らないでも恥はかかないわ』
未来のファーストレディは、もうどうでもいいといった投げやりな態度でそっぽを向く。彼女のSP候補は相変わらず特に気にする体もなく、床にぺたりと顎を乗せた。
雷神は今年で竜也たちと同じ十五の年を数える。
動物にとって十五年の月日は長い。ライカンスロープは他のイヌ科の動物とは違い、品種改良により寿命が長い。通常ならば犬は体の大小で異なりはするが、二十年も生きれば大往生である。だが、ライカンスロープはその倍は生きる。つまり寿命は大体四十年とされているのだ。しかしそうはいっても、彼は余生の三分の一以上をすでに過ぎている。人間で言うならば中年に片足を突っ込んだと言われても、仕方のない年齢である。(彼の場合は前足一歩分であろうか)それ故に、彼はこの世に生を受けた任を真っ当するためにも、主人である竜也に、一日でも早く軍人として、人として、立派になってもらいたいと、常日頃から願っていた。
彼は、天野龍一、即ち主の父親から、託っていたことがある。
「雷神、お前はしっかりものだ。母親のいないこいつらを気の毒に思うのなら、どうか誰よりも目をかけてやって欲しい。そりゃ人間の母親とお前が違うのは百も承知だ。けれど俺はこう思うんだ。かける愛情ってやつに、人間も動物も、性別も関係なんかないってな。ああ、母親の代わりになれなんてそんな無茶なことを言うつもりはない。ただ単純に、こいつらを愛してやって欲しい。それくらい出来るだろ?」
語りかける優しい人間の父親の目は、ただひたすらに純粋であった。雷神の父、神威も、この人間の男こそ我が誉れであると賞賛するほどに。
しかし、その彼らは、そう言って出て行った翌日に亡くなった。戦死だったという。雷神にとってその知らせは、強かった自身の父を失った悲しみよりも、父をも失った幼い人間の子らに同情する方が、気持ちとして勝っていた。
竜也は不思議な子だった。自分の父親が死んだというのに、涙も見せず、ただ俯いて黙っていた。気になって近づいた雷神のことを、彼はそっと抱きしめると、自身に対して言い聞かせるように呟いた。
「父さんたちは軍人だから、死ぬのは当たり前なんだ。だからお前も俺も、泣いちゃいけないんだ。あいつは、そうは思えないみたいだけど……」
あいつと言った瞬間、今まで気丈に振舞っていた少年の目に、同情とも、失望ともとれる色が浮かんだように見えた。
思えばすでに、この頃から竜也は、双子の兄である辰巳との間に亀裂が垣間見られていた。
竜也は真実をありのままに受け止め、現実的にとらえることができたが、辰巳はプライドの高さから、父が死んだことに酷く憤っていた。
双子である彼らは、元来何をするにも一緒であり、誰が見ても仲の良い兄弟であったはずだった。互いに軍人になることを誓い、共に地球を守るのだと約束した。しかし、いつしか辰巳にとってのそれは、ただの敵への復讐を果たす手段でしかなくなっていた。叔父はその兄の考えを良しとし、同調というより、父の仇である敵を殲滅することが、まるで兄の人生目標であるかのようにけしかけた。
竜也はそれに賛同しかねた。彼は父から教わっていたのだ。敵を恨み殺すという行為は、自らに跳ね返るもろ刃の剣であると。そして仇討ちは永遠に連鎖するのだと。父は兄、辰巳にも言い聞かせていたが、彼は納得していなかった。それは、仲間や親族を殺されて黙っているのは腰ぬけのすることだという、叔父の意見の方に共感していたからに他ならない。
どちらが正しいのかなど、幼い竜也には分からなかったが、ただただ、自分とは違う価値観になってしまった兄を、悲しく虚しいと感じるようになっていた。
だからであろう、いざアルバートのところに引き取られた時、竜也は心底ほっとした気持ちになった。
息の詰まる実家にくらべ、ここには共感者がいる。父がいなくなってから、どこか一人ぼっちであるような心細さを抱えていた竜也にとって、アルバートとフィッツは良く自分を理解し、認めてくれる、本当の意味での家族なのだと感じた。そして、軍人になるという決意が揺らがなかったのは、この人たちを守ろうという、強い意志からだった。
雷神はそんな竜也のこれまでの人生を傍らで見てきて、自分は果たして何をしてやれただろうと、ふと考えるときがある。
結局、竜也の心の傷を埋めてやれたのは、あの二人であることは間違いない。ならば、ずっと隣にいた自分は役立たずだったのだろうか。龍一のいう愛情というものが、やはり種族の違う自分にはなかったのだろうか。だが、たまにそうして憂いていると、雷神の言葉が通じているわけでもないのに、竜也はそっと近くに寄って来て、頭を撫でてくれながらこう言うのだ。
「これからも一緒について来てくれるよな?」
その言葉をかけられるたびに思い出す。自分はすでに、彼の家族の一員であることを。
雷神は早く候補生ではなく、立派な竜也の誓鈴になりたいと切に願う。
「無論だとも、我が主にして友である兄弟よ」
一日も早く、人間の言葉で、そう彼に伝えたいのだ。
夜間〇時、他手続きの訓練や授業で疲れ果て眠る一年の学生寮では、何やら一部で不穏な動きがあった。
暗い部屋でこそこそとパソコンを起動させ、カタカタとキーボードを打ち込んでいる。その画面には、学生同士の情報交換を目的とする、掲示板が表示されていた。しかし、通常のそれとは異なる点がある。それは、情報交換という題名の隣に括弧をつけた“裏”という文字があるのだ。そしてそこに新しく立てられたスレッドがある。
〈キモい連中を晒し上げるスレその①〉
新一年の日本人とリュヌ、あいつらきもくね?
言えてる。ってかあいつら同じ部屋なんだろ? 常に一緒だし。
ホモなんじゃね?(笑)
げぇ! やめろよ、男子校でとかガチすぎるっての!(爆笑)
俺この間日本人がリュヌの腕掴んで教室戻るの見たぜ。
はい、ホモ決定~!(祝)
(祝)っじゃねぇ~!
本人たちに聞いてみるってどう?
聞いてどうするんだよ?
そういうのきもいからここに持ち込むんじゃねぇって言えば?
だよなぁ、気づいた奴らで粛清してやらねぇと、風紀が乱れちまうもんな(笑)
ああ、でもだめだ。そういうやつらがここにいるって考えるだけで鳥肌たつ!
そうだな、いなくなればいいのにな。
ウザいよな、存在自体。
退学退学! マジで消えてくれぇ~!
良いこと思いついた。
お、貴官の進言を許可する!(笑)
パソコンの光に照らされた口元が、不気味に半月型を描く。
「あいつらを各個撃破するんだ。そして二人まとめて退学にしてしまえばいい。具体的には……」
ぼそぼそと呟きながら、キーボードを叩く瞳は、毒蛇のそれに酷似していた。




