序章
……禍き戦により大地は荒廃す
人々は死の雨を恐れ逃げまどい
国々は疲弊し世の終わりを只嘆く
突如眩き光が天から舞い降りて
黒き天空を割り出でたり
煉獄と化した戦地を薙ぎ払い
邪悪なる軍勢を追い払いて
二つ聳え立つ翼を掲げしは
我らが仰ぎし英雄なり
その後輪には白き鳩が舞い
青き空から慈雨を注がれたり
大地を安寧の地へと転生し
母なる月をも救いし英雄
邪悪なる者が地を割らんとする時
我らが英雄は現れん
讃えよ我らが主を
讃えよ我らを救いし神の身使いを
政暦二○○○年版
共同訳政暦伝書
序章
政暦一九九○年、地球共同連邦はその年、宇宙開拓同盟と幾度と続けられてきた戦闘を繰り広げていた。
星々が瞬く広大な宇宙でたった二つの勢力が小競り合いを始めたのは、かれこれ五百年ほど時を遡らなくてはならない。
そもそも人類は政暦に暦が変換されたその時に、一つになったはずであった。国はただの地方地区となり、地球、及び月を統一国家と考え、それまでの国の仕切りや価値観とは切り離したはずである。しかし、古代思想を組成すべく、立ち上がった人々がいた。
『血筋と文化を愛し、それぞれの意思を尊重すべく個々の国家を持つべし』そんなキャッチフレーズが流行り、それが宇宙開拓同盟を作り上げた。
それこそ始めは宇宙を旅して、自らの望む国々を作ろうというただの妄想思想でしかなかったのだが、その勢力は徐々に膨張し、ついには開発途中であった火星を乗っ取る形で反乱の炎が爆発した。
彼らの目的は、古の時より先祖から預かった土地を、もとあるべき形に戻せという要求であった。無論一繋ぎの輪となった人類の大半はこれに反発。が、予想以上に宇宙開拓同盟の影響は大きく、莫大に支持層が増え、次々と地球から火星へと人口は割かれていった。
このことから、地球共同連邦は、彼らのことを『パンデミック』と苦々しく呼ぶようになる。そうして会戦は不毛な生死のやり取りの回数を刻む、ただの時系列表と化していた。
そして今回の戦も、地球共同連邦の火星奪還作戦の、ほんの一幕であった。
「撃てーっ!」
どちらの勢力も共に、宇宙艦隊司令官の一斉放火の号令が響く。次々と崩れ去る座天使級と呼ばれる駆逐艦や智天使級とされる巡航艦を尻目に、熾天使級、すなわち戦艦が地球共同連邦の陣営から突出した。
「馬鹿かっ! そんなところに出ては敵に狙い撃ちに合う、下がれ!」
しかし次の瞬間、司令官は信じられない光景を目にする。
「ライカンスロープの咆哮を舐めるな! 行くぞ神威!」
「御意!」
右翼から回り込むように敵陣を襲撃した黒く厳つい船体は、二千万km以上離れたこの戦域から、地球に轟くのではないかと疑うほどの閃光を放った。それは船先端から発せられた強大な槍となり敵左翼後方を薙ぎ払う。
「くっ! 何だあの戦艦は。これがアンジェクルスの能力を百%引き出した結果だというのか……」
戦艦に有るまじき機動力に、パンデミックの司令官が恐れ慄く中、突出した熾天使級の猛攻は止まらない。
「もう一度だ、喰い破ってやれ神威!」
その好戦的な黒髪の艦長の隣には、銀灰色の狼犬が鎮座していた。その瞳は血の様に赤く、ルビーのように煌いた。刹那、再び閃光が走り、敵の左翼をほぼ全滅に追い込んだ。そうこうしている内に、敵司令官は撤退命令を出しつつ、前方への攻撃はやめずに後退を始めた。激しい弾幕に味方の中央が切り崩される、そう思ったのは杞憂であったかのように、突出した熾天使級とは別の船体が、ずいと前方に躍り出る。
「龍一だけに良い格好されては、私の立場がありませんからね」
白く輝く美しい丸みを帯びた戦艦は、半球型の防御壁を展開した。
「耐えますよ、アルテミス」
「はい、アルバート。防御壁、最大出力で展開を維持します」
ウインクしたアルバートという金髪の中年将校に、アルテミスと呼ばれたシロクジャクが美しい尾を広げながら答える。防御壁は見事に砲撃を防ぎ、味方側の被害は最小限にすんだ。敵艦隊はさっさと逃げ帰り、本日の会戦は終了したかに思えた。
「なぜ追わない!」
母艦から司令官の怒りの矢が、通信画面を通して二人の将校に撃ち込まれた。しかし金髪の紳士アルバートは、洒落を言うような口調で司令官を宥める。
「進言いたします元帥閣下。パンデミックの本丸がどれ程の規模か分からないまま突っ込むのは得策ではないと思います。ここは一度帰還して立て直してはいかがでしょう?」
「ならば斥候を出せばいいだろう」
司令官はイライラと進言を跳ね返すと、本日の功労者、というより、司令官の頭痛の種からも返答があった。
「斥候を出そうとしたらばったりここで鉢合わせしちゃったんですよね~。一回戦ったから火星線戦まではエネルギーが持ちませんよ」
へらへらと笑う黒髪の天野龍一という人物は、その功績は折り紙つきであったが、多少の命令違反があるため上司としては厄介な部下であった。いまいち前線現役時代の戦い方が抜けないことが原因だと推測される。
「確かに天野印の犬屋直伝のライカンスロープは強いかも知れん。だがお前はもう少し団体行動をだな……」
苦言を呈す通信は、突如としてぶつりと途切れた。
「あ、おい! 話はまだ終わっていないぞ天野中将!」
部下のあまりに不貞な行為に、司令官は憤怒する。慌ててアルバートが個人回線を繋ぎ、戦友の龍一に話しかける。
「こら、流石に途中で通信を切るのはまずいですよ……――龍一?」
自分にも答えない友に疑問を抱き、何度も回線を繋ぎなおしてみるが、うまくいかない。自然と通信を傍観していた乗組員たちもざわつき始める。
「龍一、どうしたのですか、応答してください!」
「アルバート、龍一さんの熾天使級アンジェクルスが、どんどん離れていきます!」
アルテミスの言葉にはっとして肉眼で確認すると、まるで糸の切れた凧のように、宇宙空間の風景とどんどん溶け込んで行ってしまう戦友の戦艦が目に映った。
「なっ、これはいったいどういうことだ!」
数々の武勲を挙げてきた船体を、固唾を呑んで一同が見守った。何か異常が起きたことには違いなかったが、いったい何があの船に起きているのか、まったく予測がつかなかった。
「まさかさっきの戦闘で負傷したんじゃ、救護班を至急!」
アルバートが救護船に向かうよう命令したその時であった。
「ダメですアルバート、今近づいてはいけません!」
アルテミスの全身の羽毛が逆立った。瞬間、彼はアルバートの命ではなく、自己判断で防御壁を展開する。
目の前が一瞬にして真っ白になる。眩しさに閉じていた瞼をそっと開くと、そこには轟沈した黒い戦艦の破片が、虚しく宙を彷徨っていた。
「……龍一?」
あまりの出来事にアルバートだけではなく、司令官までもが呆然と立ち尽くした。
「あ、天野中将の旗艦熾天使級アンジェクルス、戦禮名ミカエル沈黙。ば、爆沈しました。原因の詳細分からず。繰り返す、天野中将の――」
動揺した声で伝令兵が全艦に放送を流す。アルバートが艦長席を思い切り叩いたのは放送が繰り返しに入ったときだった。乗組員はいつも冷静で柔和な彼しか見たことがないため驚いたが、アルテミスだけは違った。
「早くブラックボックスを探して回収しましょう、アルバート。せめて原因くらい探らないと気がすみませんから」
「……ああ」
その年、会戦には勝利したものの、地球共同連邦《アースライン》は大きな代償を払うこととなった。
天野龍一中将、永年三十五歳。死因は流れ弾による戦死。二階級特進、並びにその功績を認め、永久名誉元帥とする。
誓鈴神威、永年七歳。戦禮者と共に使命を全うし戦死。
紫陽花にしとしとと物悲しい雨が滴り落ちる。数多く並ぶ死者の鎮魂の場に、黒い雨傘は、早朝の薄暗さにより、持ち主の存在をより儚げにさせていた。
「……仇は取るよ、父さん、神威」
納骨もされていない墓石に花束を置き、龍一と同じ黒髪の少年が呟いた。
政暦一九九○年、六月のことであった。