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六.

 準備万端整えた茜は、一階のラウンジに向かった。共用の情報端末があるから、そこで今夜の天候と『妖精の喇叭』の群生地を再確認する。

(……特に問題なさそう、かな。)

 調べたところ、天気は晴れだし、月の出の時間もばっちりだった。群生地も記憶にあるとおり、樹海に入ってすぐの浅瀬にある。

 これならすぐに依頼達成して帰ってこられるだろう。安堵した茜は、日当たりのよいソファに腰掛けてはふっと息をついた。

 時間の余裕はある。出発までコンシェルジュが運んできてくれた本日のおもてなし――生クリームとカスタードクリームがダブルで美味しい特選エクレアと、香りも爽やかなミントティー――を堪能することに決めた。おやつならさっきも愛里歌と食べたけど……これからハードな採集依頼に赴くのだ。これくらい、いいだろう。

「いただきまーす♪」

 両手を合わせ、大口を開けて特選エクレアにかぶりついたところで――

「ごきげんよう、茜さん! お出かけかしら?」

「!!?」

 真後ろから声をかけられて、思わず口の中のエクレアを飲み込んでしまった。のどにつかえそうになって、あわててティーカップを取った。ミントティーでほとんど丸呑みのエクレアを押し流す。もちろん、味などわからない。

 ……せっかくのティータイムだったのに。

 思わず涙目になる茜に、声をかけてきた少女が柳眉をひそめる。

「大丈夫でして?」

「……なんとか。」

 不幸なタイミングのいたずらだ。あんたのせいだよ、と、言えるはずもなし。

「なら結構ですわ。少しお時間よろしくて?」

「え……、」

 正直、気乗りはしない。言われそうなことは大体想像がつくが、どうせろくなことじゃない。それはわかっているけれど――忙しいと逃げたところで空いている時間を聞かれるだけだ。押しの強い彼女に勝てる気がこれっぽっちもしない。

(……まあ、いいや。)

 人間、時には諦めが肝要だ。曖昧にうなずいて返す。

 つんと顎を上げる高慢な表情がよく似合う美少女は、茜の前のソファにしとやかに腰を下ろした。音もなく近づいたコンシェルジュがティーセットをセッティングするのを、ごくごく自然に受け入れている。

(うん。やっぱりお金持ちってなんか違う。)

 いわゆるお育ちというヤツが。

 白魚のような、と形容されるにふさわしい優美な指先でティーカップをつまむ姿は、まさに一幅の絵のようだった。

「えーっと……なんか用?」

 話しかけてきたくせに沈黙を守る彼女に、先に焦れたのは茜のほう。

 彼女は左の眉だけ器用に持ち上げて見せ、手にしたカップをソーサーに戻した。

「わたくしからあなたへのお話なら、要件は一つしかありませんわ。」

 ですよねー。

 内心のツッコミは、もちろん彼女へは届かない。

「茜さん。あなた、青柴をお辞めになる気はなくって?」

「何度も言ってるけど、その気はないよ。」

「あなたのような弱い方が葵様のお姉さまでいらっしゃるとか。あまつさえ同じ道を志すとか。葵様のご迷惑だとはお考えになりませんの?」

「何度も何度も言ってるけど、あたしが青柴に来たのは葵とは関係ない、自分の意思だから。辞めるつもりなんか、ぜったいないから。」

「強情でいらっしゃいますこと。」

(どっちがだよ……。)

 扇子で口元を覆い、わざとらしいため息をついたお人形のような美少女――駒方佳野は、なんと会員数三十余名を誇る葵のファンクラブ『葵様を見守る会』の会長だったりする。

 ……この場合、ツッコミを入れるべきはファンクラブなど作ってしまった佳野と、ファンクラブなど作られてしまった葵のどちらだろう?

 それはともかくとして、茜は事あるごとに佳野に退学を要求されていた。

(佳野にしてみれば、あたしが目障りなんだろうけどさぁ。)

 葵と顔を合わせては剣突を食わせる茜が鬱陶しく、気に食わないのだろう。

 いや、茜の態度に非がないとは言わないが、葵の態度だって褒められたものじゃないはずだ。葵があんなふうに突っかかってこなければ、茜だって応戦する必要なんてないんだから。

(嫌いなヤツなら無視すればいい――ってわけにも行かないところがね……。)

 葵の姉は茜だけ。茜の弟も葵だけ。無視したくても、気になってしまうのは、きっと葵も同じはずだ。

(どうしたもんかなー……。)

 昔は「あかねちゃん、あかねちゃん」ってかわいかったのに、いつからあんなに反抗的になっちゃったんだろう。

 愛里歌あたりに聞かれたら「思春期にもなってそんな男は不気味なだけだぞ?」などと突っ込まれそうなことをつらつらと考えてしまう。幼いころを思い出してついつい遠い目になってしまった茜に、佳野は息をついて肩を落とす。

「勘違いなさらないでくださいましね。わたくし、これでもあなたの才能は評価しておりますのよ。青柴をお辞めになっても、あなたのギフトを生かせそうな道をいくつかご紹介できますわ。」

「そういう問題じゃないよ。とにかく辞めないから。」

「ではこのまま在学なさるとおっしゃるの? 茜さんは頭がよろしくていらっしゃるもの。ご自身の魔力値ではどうにもならない壁があることくらい、よくご理解なさっているはずだわ。意地を張らず、現状を冷静に省みて投了の判断を下すことは勇敢な行いでこそあれ、けして恥ではありませんのよ? あなたや周りの安全のためにも。」

 佳野の諭すような口ぶりに、茜は唇を噛み締めた。葵のように頭ごなしに反対されればまだ、反射的に反発できるのに。

 魔力値が低い。イコール、弱い。

 そんなこと、いまさら佳野に指摘されるまでもない。自分のことは自分が一番よくわかっている。だけど、それでも。

 ――広くて大きな背中。頼もしい笑顔。ぜったいに安心できる場所。茜の、目指す場所。

 口を真一文字に結び、茜は毅然と顔を上げる。

「辞めないよ。心配してくれてありがとう。でも、別に意地を張ってるわけじゃないよ。あたしが、そうしたいの。だから、辞めない。」

「そう。残念ですこと。」

 ぱちりと扇子を閉じた佳野が、滑らかに席を立つ。

「お気が変わられましたら、どうぞおっしゃってくださいな。いつでも対応させていただきますわ。」

 何度繰り返したかわからない話題を吹っかけてきた相手は、来たときと同様、嵐のように去っていく。

 背筋のぴんと伸びた彼女の背中を見送って、茜ははあっとため息をついた。

 食べかけのエクレアもミントティーもすっかりぬるくなり、とても美味しそうには見えなくなっていた。


 さらに追い討ちをかけるかのように、出発の時間が迫っても、寮監は戻らなかった。

(どうしよう……。)

 申し訳なさそうに頭を下げるコンシェルジュの前で、茜は口に拳を当てて考え込む。

 依頼は『妖精の喇叭』の採集。納期は明後日で、満月は今夜だ。今日を逃せば違約金か、キャンセル料が発生するわけで。そうなれば週末のお出かけなんて無理なわけで。

 実際には、『妖精の喇叭』は満月の夜に花開き、二、三日咲き続ける。今日がダメでも、明日なんとかなるかも知れない。……なるかも知れないけど、咲いてから日が経った花は、格段に引き取り価格が低下する。できれば避けたい事態だ。

「会沢様?」

「あ、ごめんなさい。ありがとうございました。」

 心配そうにこちらを伺うコンシェルジュにぺこりと頭を下げると、茜はそそくさとフロントを離れた。

(……大丈夫、だよね?)

 今までだって、何回も外出届は提出してきたが、受理されなかったことは一度もない。届出自体は、出してあるのだし。

(うん、たぶん大丈夫。)

 発生するかもしれない違約金かキャンセル料、さもなくば品質低下のことを考えれば、今夜を逃すことはできない。

 うんうんとうなずいた茜は、薄闇の中、名頭の樹海へと足を進めた。

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