四.
東都幼年学校――俗に『青柴』と呼ばれるこの学校は、皇国守備隊の幹部候補生を育成するために設立された私設のエリート養成所である。一学年百名に満たない狭き門を潜り抜けた子供たちは、十一歳から十五歳になるまでの五年間を人里離れた青柴で切磋琢磨して過ごす。
エリート校を称するだけあって、青柴のカリキュラムは厳しい。中学校相当の通常学問は当たり前で、戦術や魔術、体術などもみっちりと仕込まれる。授業だけではない。厳格な寮監の厳しい指導の下で共同生活を行い、協調性や社交性なども鍛えられる。入学することは難しいが卒業することはさらに難しいと評判で、入学時の六割が無事に卒業できれば当たり年とされるほどだ。それだけに青柴卒業生は引く手数多なのだが、ほとんどの生徒は守備隊士官学校に進学し、エリートコースに乗って守備隊幹部となる道を選ぶ。
そんな将来のエリートたちをサポートするべく、学校側は金に糸目をつけなかった。施設・設備は常に最新鋭のものを揃え、その充実っぷりは国立の士官学校をはるかにしのぐと言われている。
当然ながら、かかる学費は天井知らずだ。入学金や年間の授業料自体が高額なのは言うに及ばず、設備費、寮費、各種積立金に寄付金と、何かにつけて必要になる諸経費も馬鹿にならない。とはいえ、生徒の多くが名門軍人貴族の家系であり、かつ、守備隊か警備隊の幹部の子弟である現状、あまり問題にはならなかった。
茜ももちろん、そんなお金持ちの一人……と言いたいところだが、残念ながら会沢家は先祖代々庶民の家系だ。お金持ちしか入学できないと思われがちな青柴だが、実は特待生制度にも力を入れていたりする。おかげで茜たち姉弟も、最新設備の恩恵にあずかれるというわけだ。
もっとも、あくまで学費の面では……である。
授業料や生活費など諸々の費用のほとんどを免除される特待生とはいえ、世の中それだけでどうにかなるものではない。細々とした生活必需品を揃えるにも、円滑な友人付き合いや、偶のちょっとした贅沢を望むのであっても、自由に使えるお金が多少は必要となる。
そんなわけ――なのかどうか正確なところは知らないけれど――で、青柴には素材を扱う卸業者の受付カウンターが付設されていた。名頭の樹海の周辺は動植物の宝庫だし、希少な薬草の生息地もある。採集した薬草や魔石をカウンターに持ち込んで報酬を得るのが、青柴の生徒の伝統的なお小遣い稼ぎだった。青柴側も社会活動および修練の一環として、生徒が依頼を請けることを認めている。
生徒から面白半分に『ギルド』の名で親しまれている素材業者のカウンターには、茜もたびたびお世話になっていた。数ある依頼の中でも比較的容易で安全な採集依頼なら、茜にも充分対応できたから。
週末のお楽しみに向けて、手ごろな依頼はないものかとギルドの掲示板を見上げて――あった。満月の夜、空に向けて釣鐘型の花を咲かせるダチュラの亜種、通称『妖精の喇叭』の採集依頼だ。ファンシーな名前がつけられたその花は、毒にも薬にもなり、定期的に繰り返される定番の採集依頼だ。茜も前に請け負ったことがある。花が開いていないと意味がないからタイミングは難しいが、採集自体は簡単だし、なかなかよい値段で取引されるところが魅力だ。
ありがたいことに、今回の依頼は以前請けたときよりも更に報酬がよかった。納期が近いせいだろうか。
(納期は明後日か……。)
首の後ろに手を当てて、カレンダーを思い起こす。今夜はちょうど月齢十五――おあつらえ向きの満月だ。
いそいそと依頼書に手を伸ばしかけて、ふとためらった。
多くの薬草と同様、『妖精の喇叭』の生息地も樹海にある。そして夜に咲く。つまり、夜の樹海に足を踏み入れる必要がある。
(……まさか、ね。)
脳裏をよぎるのは、散々な出来だったシミュレーション訓練だ。だが茜は、頭をふるふると振って嫌な予感を振り払う。
ここは青柴。幼年学校のお膝元だ。あんな魔獣など、野放しになっていてたまるものか。
再び伸ばされた指先は、迷うことなく依頼書を引き剥がした。
「あの……、」
「こんにちは、会沢様。本日はいかがなさいましたか?」
掲示板から剥がした依頼書を手にカウンターに向かうと、馴染みの受付嬢ににっこり笑顔で迎えられた。お手本にしたい、完璧な営業スマイルだ。きらきら艶々さらさらで、輝かんばかりの笑顔。
(いつ寝てるんだろう……?)
茜は内心首をかしげざるを得ない。
二十四時間営業のカウンターでは、綺麗なお姉さんがいつでも出迎えてくれる。そう、いつでも。深夜でも、早朝でも、休日でも、それこそ二十四時間いつだって。
美人の受付嬢に笑顔で迎えて貰えるのは嬉しいけれど……そこまでいくと逆に不気味だ。実際、歴代の先輩方も同じ気持ちだったのだろう。彼女の存在は青柴の七不思議の一つに数えられている。ついたあだ名は『名頭の樹海の眠らない魔女』。いつからいるのか、そして、なぜいつでもいるのか。誰もが首をひねるが、完璧な笑顔に阻まれて誰も突っ込めない。
もちろん茜も、胸にわだかまる疑問は笑顔で黙殺する。女の人にそんな微妙なことを聞くなんて、勇敢を通り越してバカなだけだ。……気にはなるけど。気にはなるけれど!
「この依頼、請けたいんですけど。」
好奇心を押し殺し、何事もなかったかのように――実際なにもないんだし――依頼書を渡す。書類を一瞥した彼女は手元の端末を小気味よくタイプし、銀色のプレートを差し出した。
「それではお手数ですが、こちらにお手をお願いいたします。」
コードが繋がった金属製のプレートに、言われるままに右手を乗せる。ひんやりとした金属板が、ほんのり温かくなる。魔法が通っているのだ。その証拠に、茜の右手の甲に三つ柏の紋章が七桁の数字とともに浮かび上がる。何のことはない、入学時に埋め込まれた、校章と入学年度と三桁の連番からなる茜の学籍番号である。ちなみに会沢茜の番号は二番だ。一番は弟の会沢葵。成績のみならず学籍番号でさえもトップとは、厭味にもほどがある。
茜の学籍番号を読み取って何をしているのかと言えば、希望した依頼を請けられるかどうかを審査しているのだった。詳細な要件は公開されていないが、青柴の成績やこれまでに請けた依頼の達成状況などを照会し、無理なく依頼がこなせるかどうかを総合的に判断している……らしい。
審査にかかる時間はほんの二、三分ほど。以前請けたことがある依頼だし、問題ないはず――そう思ってはいても、受付嬢が手元の端末を確認している間は緊張する。
もじもじと身じろぎする茜に、顔を上げた受付嬢はグレードアップした営業スマイルを見せてくれた。
「はい、確認いたしました。ご利用ありがとうございます、会沢様。」
茜はほっと肩の力を抜き、続く受付嬢の質問にうなずいて答える。
納期は明後日ですが、よろしいですか?
キャンセルの際は規定のキャンセル料が発生いたしますが、よろしいですか?
期限が過ぎたら違約金が発生いたしますが、よろしいですか?
報酬の振込先は学校指定の口座でよろしいですか?
すべての問いにうなずき返すと、最後に数枚の書類が挟まったバインダーを差し出された。契約内容と、特に注意すべき事項が下線で強調された契約書だ。
「こちらをよくお読みになって、よろしければ署名、捺印をお願いいたします。こちらと、こちらと、」白く長い指でぺらりと書類をめくる。「こちらになります。」
「はい。」
バインダーごと書類を受け取り、内容をざっと目で追った。問題なさそうだ。一つうなずいた茜は鉛筆で丸く囲って貰った記名欄に名前を書き、はんこを付く。最後にもう一度記入漏れを確認して――よし。
「お願いします。」
バインダーを受付嬢に返すと、内容を確認した彼女がにっこり笑った。契約書の一枚目をバインダーからはずす。
「確かにお預かりいたしました。またのご利用をお待ちしております。」
自分のサインと卸業者の印鑑が押された契約書の控えを受け取って、茜ははふっと息をついた。




