二十.
「なんだ、元気そうじゃないか。」
「愛里歌っ!」
保健室のベッドで暇を持て余していたら、大荷物を抱えた愛里歌が見舞いに来てくれた。ぱっと喜色を浮かべた茜が跳ねるように上体を起こす。
「そうなんだよ。もう大丈夫だって言ってるのに、まだ寝てろって。」
どうやら丸一日以上眠りっぱなしだったらしく、事態を重く見た養護教諭に絶対安静を申しつけられてしまったのだ。普段使いきれていないギフトを急に酷使したせいで、体に半端ない負荷がかかったのだろうと説明された。筋肉痛のような状態だろうか?
話を聞いたときはそんなものかと思っただけだが、すでに決勝トーナメントも完全に終わっていると聞かされて驚いた。あんまり症例がないこともあって、誰もベッドから離れる許可を出してくれないのがツライ。退屈すぎるし、絶対に体がなまる。
ぶーぶーと口をとがらせる茜の額を、愛里歌がぺしりと叩く。
「みんなに心配かけたんだ。少しは反省しろ。」
「……ごめんなさい。」
小さくため息をついた愛里歌はベッドわきの丸椅子に腰かけ、カバンから次々見舞いの品を取り出した。プチブーケ、お菓子、メッセージカード。心配する文言に交ざって「よくやった!」的な文章もあって、じんわり泣きたくもあり、笑いたくもあり。
「芹沢教官からも伝言を承っているぞ。」
でんっと渡されたのは、特別製の虫かごだった。
「時間制限はないから保健室から出られたら開けろ、だそうだ。」
もちろん中には紙製の蝶が入っていた。それも十匹も。そう、十匹。この上さらに増えるのか……。
げんなりする茜に、愛里歌はさらに追い打ちをかける。
「あと茜の奮闘をたたえて、ペナルティは半分でいいそうだぞ。」
「あたし勝ったよ!?」
目を見開いて叫ぶ茜に、愛里歌は呆れたようなまなざしを注いでため息をついた。
「予選は勝ち抜いたが、決勝には進出していないだろう? だからじゃないか?」
「そんなあ……。」
ショックだ。ペナルティ――面倒くさい雑用から逃れたいというのも、頑張った一因なのに。葵との試合の後、倒れている間に燃え尽きてしまった分の蝶はカウント外にしてくれるらしいから、それだけでも、ありがたいと思うべきなのかもしれないけれど。
一通り見舞いの品を出し尽くした愛里歌は、次にリンゴを取り出した。しょりしょりとその場でむき始める。
愛里歌の涼し気な顔を盗み見ながら、茜はずっと気になっていたことを尋ねる。
「……それで、トーナメントは結局どうなったの? 終わっちゃったってことだけは聞いてるんだけど……?」
なぜか、養護教諭は詳細までは教えてくれなかったのだ。茜がショックを受けるとでも思ったのだろうか?
「結局今年も葵が優勝した。」
――ハイ、たしかにショックでした。
「あたし勝ったよね!?」
「その直後に倒れただろう。決勝に出られない茜の代わりに敗者復活戦が行われて、葵が勝ち上がった。怒涛の勢いで決勝トーナメントも優勝。……すべての試合でつまらないほどの瞬殺だったぞ。」
「……少しはお祭りとか演出とかお楽しみとか意識しないのかな、あの子は。」
「そんなサービス精神あふれた性格じゃないだろう、アレは。それに茜が倒れたからな。」
リンゴをむき終えた愛里歌が、カラフルなピックを刺してから茜に差し出した。ご丁寧にウサギの形にむかれたリンゴを、ありがたく受け取ってかじる。
「あの後大変だったんだぞ? トーナメントを放棄して付添おうとするから。なんとか説得して試合は継続させたが、優勝を決めたとたんに保健室に直行だ。茜が寝ているベッドの脇を威圧感たっぷりにのし歩いてな。養護教諭すら近寄らせない始末だ。なるほど、冬眠明けの熊とは上手いこと言うものだと思ったよ。」
誰がそう呼んだのかは知らないが……茜は羞恥で頭を抱えた。恥ずかしすぎて愛里歌の顔が見れない。
誰だそれ。そんな人間は知らない。茜の知っている弟は、いつも仏頂面でお姉ちゃんとろくに目を合わせてもくれない弟だけです!
しかも葵の奇行はそれで終わりではなかった。
「実力行使で追い出されてからは少しはマシになったから、問題ない。それでも貧乏ゆすりは止まらなかったがな。」
「……なんかもう、ごめんとしか。」
どうしよう、恥ずかしさで頭が沸騰しそうだ。人が寝ている間、なにしてくれちゃってんだ、あのバカは。
「ごめんといえば……ごめん、チャーム使っちゃった。今度買って返すよ。」
気にするな、と肩をすくめる愛里歌。でもそうはいかない。返すと約束したのだ。値段を考えると恐ろしくなるけれど……それでも半ば強引に、また街に出かける約束を取り付ける。
「でね?」
「なんだ?」
「いい加減教えてくれてもいいでしょ。愛里歌の秘密。」
愛里歌は首をかしげ、片方の眉だけ持ち上げて見せる。
茜は少し焦ったように言いつのった。
「あのね。前にも言ったけど、都合のよすぎる偶然を信じるほど、あたし、おめでたくないよ? 愛里歌はいつだってあたしを助けてくれるけど、それを偶然とは思えない。」
エアバッグの魔法が詰まった魔石のチャームにしてもそうだが、葵を倒した蔦の魔法にしてもそうだ。愛里歌が茜のギフトで空間中の魔法素子を直接コントロールできないかとか常識外のことを言い出さなければ、そもそも思いつきもしなかった。
「ずるいじゃない、あたしは愛里歌になんでも話してるつもりなのに。」
「わかったわかった。」
口をとがらせる茜に、愛里歌は困ったように笑った。人差し指をぴんと立てて、茶目っ気たっぷりに唇に押し当てて片目をつむる。
「内緒にしてくれよ? 実はわたしもギフト持ちなんだ。先見のギフトがあって、予知夢を見ることがある。」
「! すごいじゃないっ! いいなあ、使えそう。なんで秘密なの?」
茜は興奮で身を乗り出すが、愛里歌はつまらなそうに肩をすくめて見せるだけだった。
「普通の夢と区別がつかないんだ。」
「えっ……?」
「普通の夢と区別がつかない。いつ起きるのかもはっきりしない。まあ、夢によっては内容から発生時期をある程度推測することもできなくはないんだが……どの夢が現実化するのかは、正直見当がつかない。夢日記はつけているし、後になって、あれがそうだったんだと思い返すことはあるけどな。おまけに当たる確率はどう高く見積もっても一割を切るし。言っただろう、運がよかったんだって。」
「それって……、」
「はっきり言って、茜のギフトのほうがよほど便利だぞ? 悪夢におびえずに済むし。」
「……重ね重ね、ごめんなさい。」
なんかもう、愛里歌には一生頭が上がらない気がしてきた茜であった。
愛里歌と他愛ないおしゃべりに興じていたら、ドアがノックされた。
「どうぞ。」
応えると「失礼します」と一礼して、葵が入ってくる。
愛里歌に聞いたような奇行に出た素振りはかけらもなく、明け方に見たようなしおれた様子もなく。不機嫌そうで仏頂面の、実にいつも通りの葵だ。どうやら冷静になって己を取り戻したらしい。もしくは愛里歌の説明が大げさすぎたか。
……茜としては後者であってほしい。そして愛里歌はヘンな気を利かせないでほしい。つまりここに残ってほしかったのだが……止める間もなく「ゆっくり話し合え。」と言い残して保健室を出て行ってしまう。
残された茜は、親友に代わって丸椅子に座った弟と向き合うしかなかった。
「優勝したんだって? おめでとう。」
聞いたからには一応祝福しなくてはと声をかけたが、むすっと顔をしかめられただけだった。
「別に。大したことじゃないよ。」
ああ、そうですか。本当に、あのときのかわいげはどこに行った!?
「それより、姉さんの方こそなんだよ、あの術は。」
「いや、なんだと言われても……魔力ダダ漏れの葵がばかすか魔法打つから、大気中に使われなかった魔力が余りまくってたじゃない。それを使ってちょっと強めの捕縛術を組んだだけだよ。」
「……大気中の魔力を直接? それも元は俺の魔力を?」
「空間中の魔法素子を一定割合支配できるのが、あたしのギフトだしね。……まあ、現実はそう簡単じゃないけど。ただ葵の魔力は、姉弟だからだと思うけど、あたしのと波長が似てて使いやすかったんだよね。」
沈黙した葵が、じーっと茜を見る。居心地が悪くて、茜はもじもじと身じろいだ。
「……自分がどれだけ常識はずれなことを言っているか、理解してる?」
(あんたよりはね!)
言いたいけれど、言えない。自分のギフトのことだ。口で言うほど簡単でない――使いにくいのは、身をもって知っている。正直言うと、あの蔦だって発動できるとは本気で思っていなかったくらいだ。
目を細めて茜を凝視していた葵が、深々とため息をついた。
「あんな大規模な技、どれだけ使う機会があると思ってるのさ。」
「そこなんだよねー……。」
ついでに一度発動すると自分に返ってくることがわかった。まさか、丸一日寝込むことになるとは……つくづく、使えないギフトである。
ギフトを使ったときの激しいめまいと頭痛が筋肉痛と同じような症状なら、訓練次第で解消されるのだろうか? されてほしい、心から。そうじゃないと本当に使えない。
「聞いていい?」
「できれば聞かないでください。」
「そう。それで発動率はどれくらい?」
聞くなって言ったのに!
気にせず聞くなら、最初から余計な前置きなんかつけるんじゃないと思った茜は悪くない、たぶん。
「……言わなきゃダメ?」
「つまりアレが初成功なわけか。」
なぜばれてるし!?
半眼でにらんでくる葵から逃れるように、茜は視線をそらした。
いや、実験はしたのだ。したのだが、一度も成功しなかった。茜の魔力をいくら大気中に放出しても、放出速度と拡散速度の兼ね合いでどうしても絶対魔力量が足りず、実験にならなかった。愛里歌や水城たちにも協力してもらったのだが、今度は魔力量は足りても茜が愛里歌たちの魔力の波長になじめず、うまくコントロールできなかった。
魔力量。波長。どちらも満たせるのは、今のところ葵だけだ。
「本当にバカだよね、姉さんは。よくそんな術を実戦投入したよね。無謀というか無鉄砲というか向こう見ずというか……今後もアレを使う気なら、もっと工夫がいるだろ。」
「わかってる。……協力、してくれる?」
葵は相変わらず人を見下してくるけれど。そっぽを向いてさらされた耳たぶが、ほんのり赤い気がするから。照れ隠しなんだろうなあと、そう思えたから。
「仕方がない。誰かさんは、俺が見張っていないと無茶をしまくるみたいだから。」
憎まれ口をきかれても、なんだかかわいらしく思ってしまったから。
「うるさいな。……うん。よろしくね、葵。」
二人が息の合った実力派ペアとして活躍する日も、たぶん、そんなに遠くない……かもしれない。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
本編はこれで完結となります。




