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十五.

 ぶるぶる震える体を両腕で抱き込む。怖いから震えているんじゃない。これは武者震いだ、おびえなきゃいけないようなことは何もないのだと、いくら自分に言い聞かせても震えは止まない。

「うー……」

 思わず漏れた唸り声に、傍らの親友が呆れたようにため息をついた。

「そこまで思いつめる必要はないだろう。たかがトーナメントだぞ?」

「それのどこが“たかが”なのよ……。」

 過去三年間、一回戦すら突破したことがないというのに、予選を勝ち抜かなくてはならない茜の気持ち……圧し掛かるプレッシャーが愛里歌にはわからないのだろうか? 涼しい顔を見ると、つい愚痴の一つもこぼしたくなるというものだ。

「しゃんとしたまえ。せっかくわたしがセコンドについているんだから。ああ、安心してくれ。わたしの試合はすでに終わったから、全力でバックアップする。」

「応援と見せかけて過剰なプレッシャーをかけるのはやめてよっ!」


 とうとう開催されたトーナメント。初戦を前にして、茜は極度の緊張に身を震わせていた。


「まあそう言うな。これをやるから。」

「これ……。」

 差し出されたのは、スペードの形をした魔石のチャームだった。あの日、真剣なまなざしで愛里歌が選んでいた、水色のビーズを使ったチャーム。

「残念ながら自分の試合では使う暇もなかったからな。良ければ使ってやってくれ。」

「愛里歌はサポート系特化だもんね。」

 緊張のせいか、微笑もうとしても苦笑いみたいな微妙な笑顔しか作れない茜に、愛里歌は黙って肩をすくめてみせた。

 浄化や治癒能力に優れた愛里歌は、その分、正面切っての戦闘能力への適性が低い――というか、ほぼゼロだ。魔力値は普通(もちろん青柴基準で)なのだが、トーナメントのような、一対一での勝負は苦手としていた。まして今年は初戦の相手が優勝候補の一角である市井則之だったこともあって、すでに敗退が決まっている。

 正面戦闘は苦手だからと、本人は何でもない風に笑うけれど、悔しくないはずがない。きっと、このチャームは愛里歌のそんな気持ちのあらわれなのだろう。

 託された愛里歌の気持ちの分も頑張らねばならない。覚悟を決めて、茜は受け取ったチャームを手首に巻き付けた。緑のクローバーの隣で、水色のスペードが揺れる。

「ありがとう。でももらっちゃうのは悪いから、ちょっと借りるだけにする。予選を勝ち抜いたら、ちゃんと返すよ。」

「……そーゆー不用意な発言は控えろ。前々から言おうと思っていたが、茜はうかつすぎる。」

「なんで? 借りたものを返すのは当然でしょ?」

「そーゆー問題じゃない、うかつにフラグを立てるなと……、」

 きょとんと首をかしげる茜に、理解していないことを悟ったらしい。愛里歌はがっくりと肩を落とす。

「ああ、わかった。つまりアレだ、悪夢は人にしゃべると実現しないし、吉夢は実現するように胸に秘めておくのと同じだ。」

「決勝トーナメント進出は良い夢だから、人に話すなって?」

「ちょっと違うけど、まあ、そんなところだ。頼むから、滅多なことは言わないでくれ。わたしがいつもそばでフォローできるとは限らないんだぞ。」

「やっぱりよくわからない。そんなものなの?」

「そんなものなんだ。……ほら、そろそろ始まる。お呼びだぞ。」

「うわあっ、本当だ! い、行ってくるっ!」

 いつの間にか試合は進み、気づけば自分の名前が呼ばれていた。茜は小走りで受付に向かう。

 バインダーを小脇に挟んだ監督役の教官に、頭のてっぺんからつま先まで一瞥された。

「会沢茜?」

「はい。」

「こちらに右手を。それとゼッケンを見せなさい。」

 差し出されたプレートに右手を乗せるとじんわり温かくなって、手の甲に学籍番号が浮かび上がる。その番号がゼッケンや手元の名簿の番号と一致するかチェックした教官は、次に茜のゼッケンに手をかざした。短く唱えられた呪文に反応して、ゼッケンに縫い込まれた魔石が淡く発光する。

 子供同士とはいえ、真剣勝負のトーナメントには危険が伴う。安全策として、ゼッケンには、いざというときに選手を安全地帯――場外に強制転移させる魔法が組み込まれているのだ。もっとも、発動すればその時点で負けが確定するのだけれど。

「……異常なし。持ち込む魔道具を出しなさい。」

「はい。これです。」

 使用する魔道具もチェック対象になる。茜の場合は、右手首に揺れる魔石のお守りが二つ。どちらの魔力量も問題ないレベルのはずだ。実際、測定機に表示される総魔力量は規定値以下で、茜はほっと胸をなでおろす。

 念のため手製のゴムボール弾も申告したが、それはいいと首を横に振られた。前に芹沢教官に聞いた通り、手書きの呪符と同じで規制の対象外だった。

「道具に頼らないと何もできないなんてね! これだから五組の連中は。」

 茜のウェストバッグの中身を見たのだろう、先にチェックを終えていたらしい対戦相手が馬鹿にしたように笑った。真岩雲雀――二組の生徒である。

「そんなの、人の勝手でしょ。」

 憤慨した茜が頬を膨らませる。真岩は思いっきり人を見下した顔で口を歪めた。

「強がっていられるのも今のうちだ。格の違いを見せてやるよ。」


 ――ええ、ええ。見せてもらいましたとも。


「勝者、白、会沢茜!」

 審判が茜の勝利を告げるのを、どこか釈然としない気持ちで聞いた茜は、相手の首筋に押し当てたナイフを下ろした。そのまま一歩下がると、真岩が膝から崩れ落ちる。

「くそっ! なんでっ!!」

「いや、なんでって言われても……。」

 魔力の強さの違いは確かに見せつけられた。真岩の作り出した土の竜は本当に素晴らしかった。迫力もあったし、破壊力も充分。ただコントロールが今一つだったし、狙いが微妙なものを九匹も十匹も作り出す必要はなかったように思う。竜は立て続けに襲ってきたけれど、最初の一匹の突撃を避けてしまえば、もうもうと立ち上る土埃が煙幕代わりになって、避けるのは簡単だった。おまけに真岩は、視界不良も気にせず、同じ場所を攻撃し続けていた。茜が同じ場所に居続けると、なぜか信じ込んでいるように。

 結果、視界が制限される中でこっそり移動した茜が真岩の背後を取り、ナイフを突きつけて試合終了。

「とりあえず、もう少し周りをよく見たほうがいいと思う。」

 悔しそうに固めた拳を地面にたたきつける相手に、茜が言えることはそれだけだった。


 試合を終えて戻ってきた茜を、満面の笑みで愛里歌が迎える。

「初勝利おめでとう、茜。」

「んのわりに、しょっぱい顔してんなぁ。」

 一方で、頭の後ろで手を組んだ水城は苦笑いだ。

「いや、だってさぁ。なんであれだけ魔力があって、あんな無駄な使い方しかできないの?」

 見た目による威圧感が必要な場合もあるだろうが、その前に性能が伴ってなければ意味がないのではないか? 工夫するところや力を入れるべきところが間違ってやしないか? 茜はそう思うのだが……二人はそうでもないらしかった。水城はわからないといった風に首をかしげ、愛里歌は軽く肩をすくめる。

「そうか? カッコいいじゃん、ドラゴンとか。それが大事だろー。」

「わたしには悪趣味に見えたがな。まあ、趣味も目的も人それぞれだ。人の好みに口は出せないよ。」

「にしても限度があるでしょ。あれはないと思うんだけどなぁ。……ところで水城くん、どうしてここに? 試合は?」

「おぅ、今更聞くか? もちろん、華々しく負けてきたぜ!」

「自慢できることじゃないでしょ!」

 にっこり笑って親指をぐっと立てる水城に、茜がすかさず突っ込む。

「しゃーねーじゃん。俺はセンサーであって、剣でも盾でもねーんだから。その代り、武が頑張ってるぜ。」

「黒部氏は無事に一回戦を突破したそうだぞ。」

「すごいじゃない! あたしも応援に、」

「人の応援してる場合じゃないだろ、会沢姉は!」

 そうでした。

 去年までずっと初戦敗退だったから。毎年のノリで、二回戦目があることを失念しかけていた茜が、照れたように頬をかく。

(そうだった、今年は次があるんだ!)

 ほとんど相手の自滅のような勝利とはいえ、勝ちに違いはない。ようやく少し実感できたのか、くすぐったいような嬉しいような気分で、にまにましてしまう。

「武の二回戦まで余裕があるから、その前にちょこっと陣中見舞いに来たってわけだ。なにしろ今年一番の注目株だしな!」

「注目? なんで?」

「教官陣のイチオシだから当然だろう。早朝特訓もしていたし、指導にも熱がこもっていた。……まさか、ばれていないと思っていたのか?」

「……てっきり秘密訓練かと。」

「……周りを見ないことにかけては、茜は人のことを何も言えないと思うぞ。まあ、それだけじゃなく、茜があの会沢葵に喧嘩を売ったせいもある。」

「そーそー。おまけにこのまま勝ち進めばいずれ直接対決になるしな!」

 水城が視線をぐるりと巡らせた。つられて茜も同じ方を見る――葵のいる方を。

 こちらの視線に気づいたのだろうか。一瞬葵と視線が合ったような気がした。もっとも、にこにこ笑って手を振る千歳と違い、葵はすぐにそっぽを向いてくれたけれど。

「期待してるぜ。ぎゃふんと言わせるんだろ、会沢姉!」

 反射的に「姉じゃない」と返しながらも、茜の視線は葵からそらせなかった。

 茜と葵は同じグループだ。それはつまり、最終的に葵を下さなければ、決勝トーナメントに進めないことを意味している。

 茜はきゅっと唇をかみしめる。トーナメントは始まったばかり。まだまだ先は長かった。

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