十三.
魔石――不純物に魔法素子を含む鉱物の総称である。一口に魔石といっても構成物質によって多種多様だが、ここ皇国では特に二酸化ケイ素の結晶に魔法素子を含む物、早い話が魔法入りの水晶を指す。含まれる魔法の波長によって色を変える魔石は、実にカラフルで美しい。古くから魔力を補うアイテムとしてのみならず、宝石としても珍重されてきたこともうなずける。幸いなことに、今は人工的に合成できるから、庶民――茜のような子供にも手が届くけれど。
普通の魔道具屋と違い、比較的低年齢層、それも女性向けのショップはファンシーな雰囲気だ。さして広くない店内に、小粒の魔石を使ったストラップや魔術用の筆記具など、ちょっとした小物が並ぶ。
実を言えば、魔石や魔術用のペンは青柴の売店でも売っている。売ってはいるが、実用一辺倒でかわいくないのだ。普段目にすることのない、きらきらした魔石のビーズを前に、茜は愛里歌と額を寄せてはしゃいだ。
「これだけあると目移りするよね。」
「だな。どれにするかなぁ……。」
一方で付き合わされている葵は不機嫌さを隠しもせず、千歳もどこか手持無沙汰な様子だったが……当然ながらまるっと無視する。
愛里歌はいつになく熱のこもった眼差しでビーズを一つ一つ選り分ける。色と形、並べたときのまとまり感。見た目だけではなく、もちろん中身も重要だ。選び出すビーズは、小粒ながらどれも質が良い。その分、値段は多少張るのだけど。
(ストラップかチャームでも作るのかな?)
魔石を買うとは聞いていても意図までは聞いていない茜は、真剣な親友の横顔を盗み見て首をかしげる。トーナメントに持ち込むアイテムにでもするつもりだろうか? 本人に聞いても「まだヒミツだ。」と笑うだけで教えてくれない。
慎重に小粒のビーズをいくつか選んだ愛里歌は、最後に大粒のビーズを手に取った。水色のビーズ、スペードの形のビーズだ。目線の高さに掲げ、目を細める。
「お揃い、だな。」
はっとした茜は、自分の右手を持ち上げた。手首に揺れるのは、緑色のクローバーのお守り。
「本当、お揃いだ。」
思わず茜も笑み崩れる。
「これにする。茜は?」
「あたし? あたしはいいよ。」
魔法陣入りのゴムボール作成に教官の手は借りられない。だが材料となるゴムボールや魔力供給源は、提供してもらえることなっている。だから茜が魔石を買う必要はない。茜はそう説明して首をかしげたが、愛里歌は少し困ったように微笑んだ。
「違うよ。筆ペンが要ると言っていただろう?」
「そうだった!」
きらきらした魔石のかけらにすっかり心を奪われていたが、茜の目的はあくまでも魔法陣用の筆ペンである。
みんなで揃って筆記具のコーナーに移動すると、そちらも魔石に負けず劣らずカラフルだった。あまりの多彩さに、茜は目を白黒させる。
「……全部で何色あるの、これ?」
「三百色以上あるらしいぞ。どれにするんだ?」
「さんびゃくしょく……。」
魔法素子を含む特殊なインクを使用した筆ペン――マジックマーカーは、簡単に魔法陣や呪符を作れる便利ツールだ。そのお手軽さとカラーバリエーションの豊富さが好評を博していることは知っていた。知ってはいたが、いざ実物を見ると種類の多さに目が回りそうだ。どれを選んでよいか見当もつかず、茜は途方に暮れる。
「たしか色によって効果が微妙に違うんだよね? どれにすればいいと思う?」
「効果といっても、そこまで厳密なものじゃないぞ? 相性がいいとか、魔法の通りがいいとか、その程度だ。気に入った色がなければ混ぜ合わせることもできるし、気にせず茜の好きな色を買えばいい。」
「……混ぜられるんだ。」
どうやら世の中は、茜が思っていたよりも進んでいるらしい。
愛里歌に言われて不安は減ったものの、今度は逆にどの色もきれいで選べない。全色欲しい! と言いたいところだが、それはお財布が許さない。
たかがペン、されどペン。マジックマーカーは一本の値段が結構高い。
「会沢さん、マジックマーカーは初めて? だったら十二色セットあたりがいいんじゃないかな。基本は押さえてあるし、混色すればだいたいの色は作れるから。」
筆ペンの陳列棚の前で固まってしまった茜に、千歳が助け舟を出した。背後から腕を伸ばして十二色セットのケースを取り上げる。
「足りない分はこれから少しずつ増やしていけばいいよ。どう?」
「それもそうだね。」
差し出されたペンセットを素直に受け取って、茜はうなずいた。色数が多すぎて一本ずつ選ぶことはできそうにないし、オーソドックスな色があらかじめ選んであるのは、初心者には心強い。十二色なら予算的にも問題ないし。
「これにするよ。小元くん、ありがとう。」
千歳に礼を言い、愛里歌とともにレジに並ぶ。
清算を済ませて外に出ると、日は暮れていないものの、予想以上に影が長かった。魔石と筆ペン選びに思いの外時間がかかったらしい。
「どうする? 今なら十六時台のバスに間に合いそうだけど。」
時計を見ながら確認する。その次のバスでも門限には充分間に合うが、今なら日没前に帰れそうだ。
「欲しいものは買えたし、いいんじゃないか?」
「二人がいいなら僕は構わないよ。」
「用事が済んだら寄り道せず、とっとと帰れよ。」
……うん、安定してむかつく最後のセリフは聞かなかったことにして。
誰も異論はなかったので、茜たち四名は帰途に就いた。時間には余裕があったから、ぶらぶらウィンドウショッピングを楽しみながらバスターミナルに向かったのだが――これがまずかった。
愛里歌とあれがかわいい、こっちはおしゃれと、ディスプレイを覗き込みながら歩いていれば、時間などあっという間に経過する。
「あ、バス来てる! 乗りまーすっ!」
バスターミナルに着くと、青柴行きのバスはすでに止まっていた。走り出した茜は、その勢いのままステップを駆け上がり車内の空席を探す。発車時刻が迫っていたせいで空席は少なく、二人掛けの席は後ろのほうに一か所空いているだけだった。
「愛里歌、ここ空いて、」
振り向いたいつもの位置に親友の顔がなかった。代わりにあるのは変哲もないシャツのボタンだった。驚いて恐る恐る視線を上げると、現れたのは不機嫌そうな葵の顔。
「……なんで、あんたが。」
「うるさい。邪魔だからさっさと奥に行ってくんない? 後ろつかえてんだよ。」
文句を言う暇もなく、窓際の席に押し込められる。続いて葵は隣の席にどっかりと腰を下ろした。
「なんであんたがっ!?」
「だからうるさい。座れよ、出発できないだろ。」
慌てて車内に視線を巡らせると、愛里歌と千歳はそれぞれ空席に座るところだった。茜の視線に気づいた親友はにっこり笑って下向きに指さし、茜はつられたようにシートに着席する。
茜が腰を下ろすのを待っていたかのように、バスはゆっくりと走り始める。
(な、なんで葵が隣にっ!?)
なぜかといえば、バスに乗るためにいきなり走り出した茜に最初に追いついたのが葵で、その流れのままにバスに乗り込み席に着いたからである。つまり、完璧な自業自得。
気づかれないようにこっそりと隣の様子をうかがうと、葵はアームレストに肘をつき、むすっとした顔でそっぽを向いていた。お世辞にも友好的な雰囲気とは言えないが、けんかを吹っ掛けるつもりもなさそうだ。バスの中なのだから、それも当然か。
ほっとした茜は、はふっと息をついて肩の力を抜く。
バスの揺れに身を任せ、ぼんやりと窓の外を眺める。緊張が解けた上で話もせずぼうっとしていれば、自然と眠くなるというもので。
何度かうとうとしてはがくっとするのを繰り返していたら、隣からため息が聞こえた。
「いいから寝たら? 青柴に着いたら起こすから。」
「んー……」
けしてその言葉に安心したわけでも頼りにしたわけでもないのだけれど……こてんと窓に額をつけた茜は、速やかに眠りに落ちていった。
「……さん、ねえさん。」
「んー、」
ゆさゆさと揺さぶられて目を開けると、目の前には呆れかえったような弟の顔があった。
「いつまで寝てるつもり? 起きなよ、青柴に着いたよ。」
ぱちぱちと瞬きする間に意識は急速に覚醒する。
「つ、着いたの?」
「だからそう言ってるだろ。」
眉間にしわを寄せる葵が、怒ったように鼻を鳴らした。
本当に葵に起こされてしまったこと――葵の隣で着いたこともわからないくらい熟睡してしまったことが恥ずかしくて、茜は頬を赤く染める。
そんな茜に、葵はもう一度鼻を鳴らし、踵を返してバスを降りる。急いで後に続くと、バス停では先に降りた愛里歌たちが待っていた。
「お待たせしてスミマセン……。」
「まったくだよ。よだれ垂らして熟睡するとか、ありえないだろ。」
「うっ、」
慌てて口元をこする。よだれを垂らした顔をさらすとか、本当に最悪だ。
うなだれる茜の肩を、愛里歌はぽんと叩いた。
「気にするな、よだれもヘンな跡もついてないから。」
「ヘンな跡ってなにっ!?」
「本当に心配いらないから。大丈夫だよ、会沢さん。」
傾きかけた日が、ブロックタイルの小道に長い影を落としていた。茜たちはくだらない会話を交わしながら、寮までの道を並んでたどる――葵以外は。
寮の前の四角い池に差し掛かったとき、一人後方を歩いていた葵の足が止まった。
「葵?」
「バカじゃないの。」
「今、なんて?」
瞬時に警戒態勢に切り替えた茜が、威嚇中の猫のように全身の毛を逆立てる。
葵は茜の態度に構わず、嫌そうに――心底嫌そうに表情を歪めた。
「バカじゃないのかって言ったんだよ。俺の隣で爆睡するほど疲れてるのに街まで出かけるとか。ペナルティだかなんだか知らないけど、そもそもトーナメントのために朝練するってのがバカだろ。あんたがいくら特訓したところで弱いことに変わりないって、なんでわかんないのさ。ほんと、信じられないくらいバカだよね、姉さんは。」
「葵っ!?」
血相を変えた千歳が姉弟の間に割って入ろうとしたが、腕を上げた茜によって阻まれる。茜は焼き切れるような眼差しで下からにらみつけながら、自制心をかき集めて反射的に怒鳴り返したいのをこらえた。
「……なにが言いたいの。」
「この際はっきり言わせてもらうけど。いくら姉さんが努力したところで父さんや芹沢教官みたいな筋肉はつかないし、俺や千歳の魔力値には届かない。いい加減、限界ってものを理解しなよ。」
「そんなの、葵には関係ないっ!」
「ないわけないだろ。あんたが青柴にいる限り、あんたの不始末は俺にも降りかかるんだよ? 弱いくせに無茶するから、周りに迷惑をかける。ガキっぽいわがままも大概にしろよ。だいたい、」
意味深に言葉を切って、葵は不快そうに目を細める。頭のてっぺんからつま先までじろりと見下ろされて、茜の体がびくりと震えた。
「そんなちっこい体で戦えるとか、本気で思ってるわけ? ほんと、お花畑だよね、姉さん。そろそろ大人になってくれてもいいのにさ。」
「な、な、な、」
怒りで体が震える。本当に怒っているとき、人は言葉が出てこなくなるらしい。酸素不足の鯉のように口をパクパクさせることしかできない茜を、ふふんとあざ笑う葵。
「何べんだって言ってやるよ。そんなちっこい体で戦えるわけないだろって。」
「誰がちびだってっ!!?」
「自分の身長くらい覚えてないの? それともそんなにはっきり言ってほしいの? 本当にマゾいね。」
信じられない暴言の数々に、茜はわなわなと拳を握りしめることしかできない。
「とにかく! 姉さんが決勝トーナメントに進むなんて逆立ちしたって無理に決まってる。分不相応な目標は諦めて、とっととうちに帰りなよ。」
言いたいことを一方的にまくしたてて満足したのか、葵はさっさと寮に入っていく。すれ違う一瞬、馬鹿にしきった視線を茜に投げかけながら。
「おい待てよ、葵! 葵っ!! ああもう、何考えてるんだ、あのバカは! ごめんね会沢さん、久世さん。今日は楽しかった。それじゃ!」
葵に続き、ひらっと手を振った千歳も小走りで寮に入っていく。
残された茜は、いまだ怒りに身を震わせていた。激情のあまり、身動きが取れない。息もうまく吸えない。目の前が真っ赤になるとはきっと、こういうことを言うのだろう。
「あ、茜……?」
「……なによ。なによ、なによ、なによ、葵のバカーーッ!! しんっじらんないっ、人のことどこまでバカにすれば気が済むのよっ!?」
当然ながら、気遣う愛里歌の声が耳に入るはずもなく。
握ったこぶしを空に突き上げ、肺の中の空気をすべて吐き出す勢いで、茜は叫んだ。
「こうなったら絶対に決勝トーナメントまで残って、葵をぎゃふんといわせてやるんだからーー!!」




